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CRPS/RSD

2016年5月18日 (水)

身体障害者1級が後遺障害なしとされた(27.10.21)

1 大阪地裁平成27年10月21日(自保ジャーナル196385頁)

  この事案で、①被害者は身体障害者福祉法の身体障害者程度等級で1級(自賠責で4級以上に相当する)とされ、②訴訟では後遺障害等級併合4級を主張しました。一方で、③自賠責の認定では14級9号とされ、④判決では後遺障害を否定されました。非常に極端な結論となった事案です。

判決には被害者の後遺障害を否定した(実質的に詐病と認定した)根拠が色々と書かれています。従って、この判決を読まれた方の大半は詐病事案と受け止めると思います。しかし、私は被害者には身体障害者1級(自賠責では併合4級以上)の後遺障害が存在していると考えます。

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2 事故状況

 被害者は事故当時41歳女子アクセサリー販売・家事従事者です。平成22年4月7日午前9時39分頃に父親運転の乗用車の後部座席に乗っていて赤信号停止中に追突事故に遭いました。事故により車は約1.3メートル前方に押し出され、車の修理代はリアバンパの取替、バックドアパネルの分解修理等により12万0160円を要しました。

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3 症状の経過

ⅰ B病院(事故当日から9日後まで)

  被害者がB病院に救急搬送され、首から肩の痛み首・腰・両手のしびれを訴えた。2日後からは右手の痛みを訴えた。両上肢の動きは良好で、レントゲンでは頚椎・腰椎・肩に明らかな異常はなし。

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ⅱ C病院(事故10日後から長期間)

 上肢の挙上不可頭痛、項頚部痛、気分不良を訴えた。頭部と頚椎のMRIではストレートネック、第5ないし第7頚椎にヘルニアが見られたが、それ以外の異常はなし。腰痛MRIでも異常なし。(注)原文は「頸」ですが全て「頚」としました。「項頚部」はうなじのことです。

事故35日後に喘息発作、背部痛、頭痛、筋収縮ありとされ、2か月後に「右上肢90度挙上可能。背部痛天候に左右される」とされ、3か月後には「頭痛あり上肢挙上できず、不安あり、ストレス状態、上肢挙上できないため不安あり、上肢の知覚異常あり」とされた。

4か月弱後には「歩行障害あり、右上肢挙上不可、頭痛あり、頭重感あり、左頭部半分しめつけられる光があたると頭痛、保険きられた」とされた。上記の記載から、この時点で加害者の保険会社は治療費の支払を止めたと思われます。

5か月弱後には「歩行障害、左上肢挙上不可、頭痛あり、全身倦怠感あり、不安あり」とされ、約半年後には、「歩行OK、上肢挙上できる、右下肢・腰の重い感じあり、全身倦怠感あり」とされ、その4日後に「頚部痛あり、右聴力低下、右上肢90度挙上、喘息あり、腰痛あり」とされた。

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 ⅲ D大学附属病院(約7か月後。1回のみ)

   握力は左右ともに0kg、徒手筋力テストでは2~4、この時点では肩関節は他動では可動域制限はなし(自動では屈曲120度、外転90度、外旋40度)との検査結果が出た。

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 ⅳ C病院(7か月後以降)

   約9か月半後に「右上下肢感覚障害、知覚異常あり」とされ、約10か月半後に「歩行楽になっている、右下肢感覚がない(寒いとき)、疼痛低下」とされた。1年弱後に「歩行OK、右上下肢脱力、感覚障害、不安あり、不眠は投薬でOK」とされた。

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4 症状固定、後遺障害認定(14級9号)

  事故から約1年3か月後の平成23年7月4日に症状固定とされ、後遺障害診断書が作成されました。傷病名は「外傷性頸椎症、外傷性腰痛症」で、  自覚症状は「頚部、項頚部痛、上肢挙上障害、気分不良、不安感、右上・下肢脱力、感覚低下」、他覚症状および検査結果は「右上下肢脱力、感覚障害、歩行障害、上下肢疼痛」および肩肘手股膝足の各関節の可動域制限です。

  自賠責の後遺障害認定では、頭部・頚部の痛みについて客観的な医学的所見に乏しいとして14級9号とされ、両上下肢の脱力・感覚低下、痛みについては後遺障害を否定されました。

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5 被害者が訴訟で主張する後遺障害

 ⅰ 被害者の主張する後遺障害

ア 右上肢(機能全廃)…脱力、感覚低下、疼痛、可動域制限(肩、肘、手関節。肩関節は2分の1以下)により、自賠法5級6号の「1上肢の用を廃したもの」にあたる。

  イ 左上肢(著しい機能障害)…脱力、感覚低下、疼痛、可動域制限(肩、肘、手関節)により、自賠法10級10号の「1上肢の3大関節中の1関節の機能に著しい障害を残すもの」にあたる。

  ウ 右下肢および左下肢(著しい機能障害)…脱力、感覚低下、疼痛、可動域制限(股、膝、足関節)により、自賠法10級11号の「1下肢の3大関節中の1関節の機能に著しい障害を残すもの」にあたる。

  エ 以上を併合して4級に該当する。

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 ⅱ 被害者側の主張する併合等級(併合4級)は、複数の後遺障害が存在するうちの最も重い右上肢(5級)を1級繰り上げたもので、後遺障害等級認定の原則的な考え方に従ったものです。

但し、自賠責(労災)の等級認定では、例えば5級の高次脳機能障害と7級の身体機能障害の事例で、全体病像として1級ないし3級とすることも認めています(『後遺障害認定必携』16141頁)。本件の場合も全体病像として3級以上に相当するとの主張も考えられます。細かい話ですが、訴訟では後遺障害等級に「該当する」ではなく「相当する」と表現する方が正確であると思います。

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 ⅲ そもそも被害者が後遺障害等級を主張する必要があるのか、裁判所が認定する必要があるのか、という問題もあります。自賠責の認定規則には裁判所に対する法的拘束力はありません。法的には裁判所が後遺障害等級を認定しなければならない理由はありません。

後遺障害等級に対応する労働能力喪失率は個別の事案の被害者の労働能力喪失率とは一致しないことが通常です。裁判所は被害者の実態をより正確かつ適切に反映する損害算定方法を用いるべき責務があります。従って、被害者の実質をそのまま反映させて端的に労働能力喪失率100%を主張しても構わないと思います。

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6 胸郭出口症候群を基盤としたCRPSではなかろうか?

 ⅰ 上肢のしびれ、挙上制限、脱力

被害者の症状や症状の経過からは、被害者は実は胸郭出口症候群を基盤としたCRPSではなかろうかとの疑問があります。

   事故直後に見られた首から肩の痛み、両手のしびれ、上肢の挙上不可、頭痛、項頚部痛、気分不良などは胸郭出口症候群の事案で多く見られるもので裁判例でも多く確認できます。特に上肢の挙上制限や脱力は交通事故による胸郭出口症候群で多く見られ、のちに可動域制限が悪化してCRPSとされた事案は裁判例でも多く存在します。

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 ⅱ 頭痛、嘔気、めまい、全身倦怠感

胸郭出口症候群では頭痛、嘔気、めまい、全身倦怠感などの様々な不定愁訴が生じることが広く知られています。私の経験では胸郭出口症候群とされた方で、喉を押さえられたような違和感や嘔気を訴えていた方が何名か居られました。上肢の使用などによりその症状が悪化して咳き込む状況が生じます。本件での喘息発作はこの違和感や嘔気が原因の症状であるようにも見えます。

   胸郭出口症候群もCRPSも、頚部や肩部のMRIでは症状を説明できる異常所見がみられないことが普通です(それが存在すれば胸郭出口症候群やCRPSにはなりません)。

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 ⅲ 筋収縮、筋緊張

   頚部や肩部の筋収縮は、胸郭出口症候群(による神経損傷)の痛みによる組織の収縮として説明できます。私の経験でも、胸郭出口症候群とされた方で顔面・頭部の部分的な違和感ないし筋緊張を訴えていた方も居られたので「左頭部半分しめつけられる」との症状もこれと同様のものであり、痛みによる筋の収縮が原因の症状とも考えられます。

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 ⅲ バレリュー症候群の症状

「光が当たると頭痛」(光過敏性)はバレリュー症候群による症状と類似します。交通事故後にバレリュー症候群(頭痛、目眩、耳鳴り、眼精疲労、倦怠感など)の症状を訴える方はしばしば見られます。光に対する過敏性もバレリュー症候群による症状に含まれます。

これらの症状は、胸郭出口症候群やCRPSとされた方でもしばしば見られます。私の経験でも胸郭出口症候群やCRPSとされた方で視覚の調節機能がうまく働かず、モノがぼやけて見えたり、二重に見えたりするようになった方や、光がまぶしく感じるため色の付いた眼鏡を使用するようになった方が居られました。

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 ⅳ 両側の症状

医学的には胸郭出口症候群では両側の上肢に症状が生じることが少なくないとされ、交通事故により胸郭出口症候群とされる症状が生じた方でもこの点は同様です。

私の経験では交通事故で胸郭出口症候群とされた方の6~7割は両側に症状を訴えていました。但し、どちらか一方の症状がより重いことが通常です。軽い側の症状が診断書やカルテではほとんど無視されていることもあります。

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 ⅴ 症状の悪化、拡大(ミラーペイン)

CRPSでは症状が悪化していく過程で、当初は症状が出ていなかった(無視できるほどの軽い症状であった)四肢のほかの部位に症状が出現する事案は裁判例でもしばしば見られます。この症状の拡大は医学的にはミラーペインと呼ばれるもので、CRPS患者にしばしば見られます。

ミラーペインはCRPSの裁判例の3~4割ほどで確認できます。特に重症化事案では過半数で確認でき、重症化事案では症状が四肢のほかの部位に波及することが多いと言えます。

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 ⅳ 以上のとおり、被害者の個別の症状や症状の経過は本件事故による胸郭出口症候群による神経損傷を基盤としたCRPSと考えるとほぼ全てが整合的に説明できます。また、本件の被害者と類似の症状経過をたどった裁判例も少なからず存在します。

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7 診断がなされなかった理由

 ⅰ 本件では、日本版のCRPSの判定指標に当てはめると、持続する痛み、可動域制限の2つの要件を満たすため陽性となります。それ以外にも感覚異常、ミラーペイン(症状の拡大)などの症状があり、上記の症状を整合的に説明できる他の疾患が考えられないことから、CRPSとの診断は可能な状況にあると言えます。

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 ⅱ 裁判例では、CRPSと診断した病院に通院してから、CRPSの根拠とされる症状や検査結果がいくつか追加される事案が非常に多く見られます。むしろ、CRPSを疑っていない病院ではその症状が軽視されていることが通常であるとも言えます。

   従って、本件でもCRPSを裏付ける更なる症状(腫脹、皮膚・爪・毛の萎縮性変化、皮膚色の変化、皮膚温の変化、発汗の異常など)が存在した可能性があります。

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 ⅲ 裁判例では、CRPSと思われる事案でその検討・診断がなされていない事案や、訴訟になってから鑑定でCRPSとされた事案や、かなりの期間が経過してからCRPSと診断された事案は、多く見られます。

CRPSの見落しは古い事件ほど多い傾向があります。また、大学病院などの高度医療機関に通院していない事案や、高度医療機関に通院していない時期にはその診断がなされない傾向もあります。本件では大学病院に通院したのは1度だけのようです。仮にCRPSが見落とされていたとすると、そのことも原因の1つと考えられます。

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 ⅳ 胸郭出口症候群についても、それが疑われる事案で検討・診断がなされていない裁判例は多く見られます。胸郭出口症候群は徒手検査のほかに血管造影や神経造影などの検査を経なければ確定診断を出しにくいため、その検査ができる機材と医師のスキルがない病院ではその診断ができず、診断ができる病院が少数に絞られるという事情があります。

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 ⅴ 私の経験では名古屋市内の医療機関で胸郭出口症候群との診断書を見たことがある医療機関は3か所のみです。いずれも大学病院等の高度医療機関です。そのうち1つ(大学病院)は症状のみから「疑い」との診断を下したものであり、検査はしていません。その病院では胸郭出口症候群を取り扱っていないとのことで、患者さんは他の病院で検査を受けて確定診断を受けました。

別の病院(大学病院)はある医師が勤務していた時期のみ胸郭出口症候群の診断と手術がなされていましたが、その医師が転勤したため現在も胸郭出口症候群の診断ができるのかどうか不明です。

現在も胸郭出口症候群の検査・診断をしてもらえそうなのは、残りの1つの医療機関のみです。その病院は10年以上前には胸郭出口症候群の手術をしていましたが、治療成績が良くないことと医師の転勤のため現在手術はしていません。

胸郭出口症候群は診断ができても、手術などにより症状が改善する症例が少ないため、積極的に診断・治療をする医療機関は多くないのが現状です。他の地域でも状況は似たようなものであると思います。

胸郭出口症候群の診断ができないと、適応がないため神経障害性疼痛を前提とした神経ブロック注射や投薬などの治療が行なえない(行いにくい)という問題があります。もちろん、胸郭出口症候群に対する手術もできません。このため、有効な治療がなされないまま症状が悪化する可能性が高くなります。

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8 事故態様(その傷病が生じる可能性の有無)

  判決は、被害者が外傷性頸椎症や外傷性腰痛症を負ったことは認めました。上記のとおり、被害者の車両は追突により1.3メートル前方に押し出され、その修理代は12万0160円でした。同乗していた被害者の両親は怪我をしていません。判決は被害者の通院経過からは判決の認定した約10か月後の症状固定日までの通院の必要性はあったとしました。

  一方で判決は、被害者には後遺障害は存在しないとしました。その判断に事故態様が影響した可能性もありますが、判決はこの点は述べていません。裁判例では本件と同程度以下の外力と思われる事故で被害者に胸郭出口症候群やCRPSとされる症状が生じたものがしばしば見られます。従って、本件でも事故により被害者に胸郭出口症候群やCRPSとされる症状を生じた可能性は否定できません。

  理屈の上では、「その怪我をする可能性のある事故でその怪我が生じた」との事情には何ら問題はありません。事故態様としては「その怪我を生じる可能性」が認められればそれで充分です。以上に対して、加害者側は「その傷病を生じるほどの事故態様であるのか」(大きな事故であるのか)との誤った判断に誘導することが通常です。

  『交通統計』によれば、この事故が起きた平成22年の人身事故の被害者総数は約89万6300人です。そのうち約4割(35万8520人)は追突事故の被害者です。約35万人の被害者の中には、本件と同じレベルの追突事故により本件のような重大な症状が残存した方もかなりの数になると思います。

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9 症状の経過(悪化否定論の誤り)

 ⅰ 判決は被害者の症状経過について「容易に理解し難い経過をたどっている」(94頁左列)と述べています。判決が念頭に置いている症状経過とは、事故直後の時期に最も重い症状が出て、その後は治療により症状が軽くなるとの経過です。これは「悪化否定論(最初が最大論)」とも言うべきもので、加害者側が訴訟で主張する定番中の定番のウソ医学です。

  判決は、被害者の右上肢の可動域制限は、事故10日後に挙上できないとされ、約2か月後、7か月後、8か月後に90度であったのが、1年3か月後に90度以下に悪化したことについて、「リハビリテーションを受けていたにもかかわらず(悪化したのはおかしい)」として、疑問を呈しています(93頁)。左上肢についても同様に症状が悪化したことに疑問を呈しています。

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ⅱ しかし、CRPSの重症化事案では、すべての事案で時間の経過とともに関節可動域制限は悪化します。事故直後に関節拘縮に至っている事案は存在しません。痛みの持続などにより関節周囲の組織が劣化して伸縮しない状況に至ることにより、関節拘縮に至ります。

  悪化否定論(最初が最大論)は一般論としてこの経過がありえないとする、とんでもないウソ医学です。交通事故訴訟では加害者側から、このレベルのウソ医学が多く用いられます。医師名義の意見書や鑑定書で述べられると、このレベルのウソ医学でも信じてしまう裁判官は少なくないというのが実情です。

  たとえば医師の鑑定書で、「通常であれば事故直後の時期に最も重い症状が出て、治療によりそれが改善するはずであるが、この患者はその逆の症状経過であり、理解不能な症状経過である。」などと力説されると、信じてしまう裁判官は少なくないようです。しかも、一度騙されると別の事件でもそのウソ医学を用い、その裁判例を見た別の裁判官もそのウソ医学を用いるという悪循環も存在します。

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 ⅲ CRPS以外にも時間の経過とともに症状が重くなる事案や、症状が一進一退を繰り返しながら最終的に重い後遺障害が残る事案はしばしば見られます。これに対して、悪化することそれ自体を否定する主張はただのウソ医学です。いくら医学的知見を欠いているといっても、裁判官であるならば悪化否定論のような定番のウソ医学には騙されてはいけません。

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10 「歩行障害」の意味

 ⅰ 本件の被害者は、事故の4か月後から「歩行障害」を主治医に訴えたとされています。このようにCRPSの症状が相当期間経過後に四肢の別の部位に波及していく事案(ミラーペイン)はしばしば見られます。

   判決は、被害者は事故の4か月後に「歩行障害」を訴え、10か月後と11月後には「歩行OK」とされていたのに、1年3か月後には「歩行障害」とされたのは矛盾すると考えています。

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 ⅱ しかし、この「歩行障害」は、歩行ができないとの意味ではなく、ゆっくりとした歩行しかできなくなったとの意味であると考えられます。CRPSの症状が下肢に波及すると、下肢に力が入りにくくなることや股関節などに軽度の可動域制限が生じる(本件の被害者はいずれも訴えている)ことや上肢に振動が波及しないようにするため、ゆっくりとした歩行しかできなくなります。急な動きをするとふらついたり倒れたりします。

また、ゆっくりとした歩行であっても、事故以前に比べると非常に疲れやすくなっていることや、長距離の歩行は下肢の痛みやしびれを増強させることなどから、長い距離を歩くのは困難になります。

   このことをもって「歩行困難」とされたと考えられます。一方で、「歩行OK」とは上記の状況ではあっても「歩行はできる」との意味であると考えられます。従って、両者は矛盾しません。判決は「歩行障害」を「歩行不可能」を意味するものと誤解しています。

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 ⅲ そもそも、これらの点に疑問を持ったのならば、当事者に釈明するなどして調査嘱託により主治医に問い合わせるべきです。もちろん、主治医は自分の書いたカルテに矛盾があるとの回答はしないと思います。

判決で不意打ち的に主治医の記載した被害者の症状が矛盾すると指摘して、あたかも主治医と被害者がグルになって詐病を主張しているかのように記載することは、避けるべきです。

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11 可動域制限のしくみについて

ⅰ 判決は、「上肢の可動に影響を及ぼす腱板損傷や脊髄損傷を負ったことを裏付ける画像所見や神経学的な異常所見は見当たらない」(94頁)と述べて、可動域制限の原因が見当たらないとの趣旨を述べます。CRPSは画像所見では裏付けられないのでこの部分は誤りです。

  CRPSによる可動域制限は骨や腱がつっかえて動かなくなるわけではありません。痛みの持続により組織が劣化して伸縮性を失うために生じるものです。ところが、後遺障害の認定に際して画像所見にこだわり、可動域制限のしくみを理解しない裁判例は多く見られます。

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ⅱ 痛みが生じるとその部位の組織が収縮します。これは出血を止め、細菌の侵入を防ぐための生理的な反応です。しかし、痛みが治まらずに持続すると、その収縮が続きます。これによりその部位の血流が悪くなり、うっ血による腫脹(浮腫)が生じたり、皮膚、爪、毛に萎縮性変化が生じたり、骨の萎縮が生じたりします。組織の収縮が続いて栄養の供給が滞ればその組織は劣化して伸縮性を失います。これにより可動域制限が生じます。これがCRPSによる関節拘縮の大まかな説明です。

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12 ブログの記載について

 ⅰ 被害者は事故時にパワーストーンなどのアクセサリーの販売をしていて、事故後もそのブログを更新していました。判決はそのブログの記事のうち、被害者が活動的に動いていることを示す内容について、被害者の症状と矛盾すると指摘します。しかし、健康関係の商品を販売しているブログの記載をもとに、被害者の症状を否定するのは、スジが悪い認定であると思います。

ブログの記事の中には被害者が事故による症状の悪化を書いている部分も存在します。これに対して、判決は「体調が万全ではないことを記した記事も掲載されており、そこからはことさらに事実を隠そうとする様子は見受けられない」(95頁)として、症状が軽いことを示唆するブログの記載は信用できるとします。この部分は「症状が重いとする記載があるので軽いとする記載が信用できる。よって、症状が重いとする記載は信用できない。」との奇妙な理屈になっています。

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 ⅱ 被害者がブログで掲載している内容は上で検討した内容と明確に矛盾するものはありません。判決は歩行障害を歩行不可能と誤解したことから矛盾があると考えている部分がいくつかあります。さらに、「重大な後遺障害があるのに、テーマパークに行くことは不謹慎である」とのニュアンスも込めて、矛盾すると認定しているようにも見えます。

顧客に向けて最大限、元気であることをアピールしている記事を元に後遺障害を否定することは、やはりスジが悪いと思います。交通事故の被害者が活動的であることに対して、過剰反応をして懲罰的に扱う裁判例はしばしば目にするのですが、その心境は理解し難いものです。

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13 診断がなくとも症状を認定できる

 ⅰ 以上のとおり、私は本件では被害者の主張する症状は全て存在すると考えます。これに対して、被害者がことさらに虚偽の症状を訴えていた可能性は非常に小さいと考えます。

   ところが、本件ではCRPSや胸郭出口症候群について診断がなされていません。後遺障害診断書の「外傷性頸椎症、外傷性腰痛症」との傷病名では被害者の症状をうまく説明できません。そこで、このような事案で被害者の後遺障害を認める判決を書くことができるかとの問題があります。結論としては、裁判官は自分が得た心証に従った判断をするべきであり、被害者の後遺障害を認めることに何ら支障はありません。

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 ⅱ そもそも診断により症状が裏付けられる関係はありません。この点は以前にも何回か述べました。診断に際しては患者の症状は大前提であり、医師は患者の症状(と検査結果)を元に診断を下します。その診断により症状が裏付けられるとすると、循環論に陥ります。症状それ自体は、診断の有無や適否とは無関係に認定する必要があります。

   本件では被害者が事故直後から症状を訴え、その症状が悪化して最終的な症状(後遺障害)につながる経過があり、事故との因果関係は認められます。この場合には、被害者の症状が事故と関係ないことは加害者側が主張立証するべきことです。

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 ⅲ 被害者の症状について、それを診断により説明する必要がないとしても、その症状が交通事故により生じる種類のものであることは必要であると思います。本件では、「交通事故ではしばしば見られる症状経過である」、「胸郭出口症候群やCRPSの症状の経過として説明することもできる」と述べればそれで充分です。胸郭出口症候群やCRPSの診断がなされていることやその診断が正しいことは要求されません。

   但し、その心証を当事者に開示して、加害者側に反論の機会を与えるべきであると思います。加害者側が望むのであれば被害者に追加の検査を受けてもらうなどして、被害者の持病によりその症状が生じたのかどうか等について、加害者側に主張する機会を保障するべきです。

加害者側は被害者の行動を監視して隠し撮りするなどの行動により、被害者の後遺障害への見方が変わる可能性もあります。CRPSは難治性の傷病ですが、不治の病ではないため、治療や手術により改善する可能性もあります。

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14 証拠を限定しようとする加害者側の誘導

 ⅰ 被害者の症状を認定する証拠に制限はありません。民事訴訟法は証拠となりうるものを制限していません。これは民事訴訟法の基本的な原則です。ところが訴訟では加害者側は、被害者の症状(後遺障害)を認定するための証拠を極限まで制限させようと様々な手を尽くします。この理屈に騙された判決は非常に多く存在します。

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 ⅱ 「他覚所見」の誤解に誘導

   症状の証拠を制限するために、「症状の認定は他覚所見に基づくべきだ」とすることは、加害者側の定番の主張です。さらに加害者側は他覚所見(医師が五感により感知できるすべての症状)を画像所見に限定する誤解に誘導しようとします。

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 ⅲ 「明確な客観的所見」への誘導

   他覚所見の正しい意味(医師が五感により感知できるすべての症状)を知っている裁判官も少なくないため、加害者側は他覚所見という言葉を避けて「明確な客観的所見のみにより症状を認定するべきだ」との表現で画像所見に限定しようとすることも多く見られます。本件では判決は、「客観的な医学的所見」に限定するとの趣旨を述べていますが、加害者側の定番の主張に騙されています。

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 ⅳ 診断の適否への誘導

症状に対する診断が正しいことまでも必要であるとの主張も加害者側の定番の理屈です。この理屈に誘導するために加害者側は「CRPSによる症状」、「CRPSに由来する症状」など病名と症状をセットにした抱き合わせ表現を多用します。この点はすでに何回も書いてきました。

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 ⅴ 存在しない症状への誘導

   証拠を制限する最たるものは「存在しない症状」に誘導する理屈です。判定指標から明らかなとおり、CRPSには必須の症状は1つたりも存在しません。しかし、加害者側は必須の症状を主張することが多く、それが複数存在するとの主張も珍しくありません。この誤りにまで誘導された裁判例は各種の疾患で多く存在します。

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 ⅵ その場限りの必須の症状への誘導

   CRPSに必須の症状が1つも存在しないことは、判定指標から一目瞭然であり、これを理解している裁判官を騙すことはできません。そこで加害者側は「関節拘縮に限っては骨萎縮が必須である」との主張を併用することが定番となっています。

医学意見書で「これほど長期間にわたって関節拘縮が続いたならば、必ず顕著な骨萎縮が生じるはずである。私の長年の経験からは本件の事情は極めて不合理である。」と定番の理屈を力説されると、コロッと騙される裁判官は少なくありません。

もちろん、この場当たり的な主張に何らの根拠もありません。現に存在する症状(関節拘縮)から目をそらして、存在しない症状(骨萎縮)に誘導していることを理解できれば、騙されることもないと思います。

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 ⅶ 以上のほかにも加害者側が症状を認定する証拠を制限しようとする理屈は存在します。加害者側は様々な手を尽くして症状を認定する証拠を制限しようとします。加害者側の医学意見書や鑑定書もその理屈を取り入れていることが通常です。

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15 症状を認定する方法について

 ⅰ 症状を認定するに際しては症状に関係する全ての証拠を洩らすことなく検討する必要があります。本件では証拠を制限せずに事実経過を眺めれば、被害者の主張する症状は容易に認めることができます。

本件事故は被害者が同乗する車両が追突された形態の事故であり、被害者がわざと事故を起こした可能性は否定できます。偶然の事故に遭った方がこれほどまで重度の後遺障害を訴えると考えることは、合理的ではありません。

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 ⅱ 被害者の訴える症状が徐々に重くなっていったことや、四肢の他の部位に波及していったことも、詐病では考えにくいことです。詐病であれば当初から全ての症状を訴えることの方が合理的です。被害者が後遺障害により仕事ができなくなったとの事情が存在することも、後遺障害を裏付ける事実です。

   そもそも、詐病で長期間の通院をして治療を受けることは、考えにくいことであり、詐病でこれほど重い後遺障害を訴えることや訴訟を起こすことはなおさら考えにくいことです。これほど重度の後遺障害について、医師が詐病を見落とすことも非常に考えにくいことです。

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 ⅲ 関節可動域検査は医師が患肢の抵抗の重さを実感しながら行なわれるものです。本件では上肢と下肢について自動可動域のほかに、他動可動域が計測されている(91頁、92頁)ところ、医師は患部の可動域が組織の劣化により制限されている終末感(限界感)を体感した上で他動可動域を決めます。

従って、普通の医師であれば上肢や下肢について重度の可動域制限を偽装する患者のウソを見抜けないということはありえません。例えるならば、10分間触ってもぬいぐるみの猫と本物の猫の見分けが付かないというようなものです。

   私は頚部の可動域制限については「全く動かせない」として患者がごまかすことはありえると考えていますが、本件はその事案ではありません。上肢や下肢の可動域検査の結果は、医師と患者の共謀を疑う特別の事情がない限り、信頼できます。

本件で複数回行なわれた可動域検査の結果が類似していることや、徐々に悪化していることにも鑑みると、可動域検査の結果には非常に高い信頼性が付与できます。身体障害者程度等級認定で1級とされていることは、その信頼性を高めます。

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ⅳ 仮に被害者が詐病で胸郭出口症候群やCRPSの症状を偽装していたのであれば、その診断を受けるためにいくつもの医療機関を回るはずですが、現実には事故10日後から同じ病院への通院を続けています。その結果、被害者の症状を合理的に説明できない診断にとどまっています。この事情は被害者の症状が詐病ではないことを決定づけるものです。

   このように訴訟に現れた全ての事情を考慮すれば、本件で被害者の主張する後遺障害が存在することは容易に認定できます。訴訟に現れた全ての事情をもとに認定することは自由心証主義の本質です。また、一般人の常識的判断と同様の結論を導くために不可欠の原則でもあります。

これに対して、「明確な客観的所見」などの美名のもとに証拠を限定すること(加害者側の定番の理屈に騙されること)は民事訴訟法を理解しない誤りというほかありません。

 

2014年10月19日 (日)

橈骨遠位端骨折とRSD(26.3.27)

1 名古屋地裁平成26年3月27日判決(自保ジャーナル192373頁)

  この事案の特徴は、①事故による橈骨遠位端骨折後にRSD様の症状が生じたこと、②明白にRSDの症状が生じているにも関わらず医師があえて診断をしていないこと、③判決の思考方法に種々の問題があること、などです。

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2 症状の経過

 被害者は症状固定時51歳男子会社員(大工)です。平成21年11月22乗用車で直進中に右折車と衝突し、左上肢等を負傷しました。

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 事故当日…B病院。左肩から指先までのしびれや左胸部の痛みを訴え、B病院に救急搬送される。頚部、左肩部、左手関節部の痛みを訴えるも、X線検査では骨傷はないとされる。

 

 12日後…D病院。自宅近くのD病院に通院先を変え、MRI検査を受け、骨棘の形成、椎間板の変性、右頚部皮膚・皮下に血腫の疑いありとされるも、特に問題はないとされ、C病院を紹介される。

 

 22日後…C病院。頚部痛、左上肢痛を訴え、左手関節部に腫脹、圧痛が確認され、X線検査の結果と併せて左橈骨遠位端骨折と判断され、ギプス固定された(以上、初診時)。1週間でギプスは外され、RSDも考えるとされてノイロトロピンを処方された。

70日後のX線検査では左手関節に骨萎縮ありとされ、82日後には左手の掌屈が30度、背屈が30度とされ、関節拘縮が認められるとされた。3か月後には3か月間拘縮が変わらないとされた(事故時からの症状との趣旨)。

 半年後…D病院で症状固定とされた。傷病名は左上肢挫傷、頚椎捻挫、左橈骨遠位端骨折、左手関節拘縮左手指拘縮とされ、自覚症状は左肘関節・前腕・手関節・手指の疼痛、可動域制限、手指巧緻運動障害(茶碗が持てず、パソコンも左手は使用できない)とされた。

 

1年半後…その後も症状は改善せず、左手の可動域は手関節が概ね3分の1、指関節は概ね2分の1に制限される。自賠責では14級とされる。

 以上の経過で、被害者は6級相当の後遺障害(手関節の可動域が2分の1以下で10級10号、指関節の可動域は概ね半分ほどで運動障害が大きく7級7号として併合)が残ったとして提訴しています。

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3 橈骨遠位端骨折とCRPS

ⅰ CRPSはきっかけとなった外傷からは想像できないほど重症化することが多いとされ、多くの医学書で外傷のうち橈骨遠位端骨折(手首の骨折)の場合にはCRPS(RSD)を発症する割合が特に高いとされています。

手首や足首の骨折の場合には近傍を通る神経が損傷を受けやすく、神経損傷に起因する症状が悪化してCRPSに至りやすいと言えます。

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ⅱ 本件では被害者は事故直後から左手の強い痛みを訴え、左手の可動域が大幅に制限されていたところ、救急搬送先のB病院や12日後から通院したD病院では手首の骨折とは診断されず、22日後から通院したC病院で橈骨遠位端骨折と診断され、D病院でその診断が引き継がれた後遺障害診断書が作成されています。

  この経過から、当初より痛みが強かったため早期に転院を繰り返していたことと、「橈骨遠位端骨折」はレントゲンの微妙な読み取りで判断したことが窺われます。手首の骨折のほか脊椎の圧迫骨折でも後日に骨折が判明する事例はしばしばあります。実際にはレントゲンからは骨折が読み取れない状況で、症状から骨折と判断したと考えられる事案も見られます。

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4 本件での医師の判断について

ⅰ 本件では本当に骨折があったのかについて、少し気になる点があります。事故の22日後から通院したC病院では、被害者の訴えが非常に強く、左手関節の可動域制限が強く、左手首が腫れていたことをX線検査の結果と併せて、初診時に橈骨遠位端骨折と判断したようです(79頁左列)。

  C病院は初診時に骨折と判断してギプスシャーレで固定しましたが、1週間でギプス固定を終了し、再度X線検査を行なって次回通院時から左手関節のリハビリを行なうことを決めたとされています。C病院はリハビリを始めて数日経過したころには「RSDも考える」とカルテに記載し、ノイロトロピンを処方しています。

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ⅱ つまり、C病院は被害者が通院した初日に①左手首の痛み、②大きな可動域制限、③腫れについて、骨折と判断したものの、1週間ほどで考えが変わり、①強い痛みは神経障害性疼痛であると考えてノイロトロピン(神経障害性疼痛に対する薬)を処方しています。

その数日後のカルテに「RSDも考える」とあることからは、②可動域制限や③腫れも神経障害性疼痛に伴うものと見ているようです。ギプス固定を早々に止めたのも、CRPSによる関節可動域制限はギプス固定で悪化するためであると思われます。

  C病院は事故から約70日後のX線検査では左手関節に④骨の萎縮が認められるとしているところ、この時点では骨折の有無よりも骨の萎縮の有無に視点が移っています。C病院は事故の3か月後には、D病院あてにRSDの可能性を指摘した診療情報提供書を作成しています。

  以上の経過からは、C病院の医師は初診時こそは手首の骨折を疑ったものの、1週間後にはRSDであろうとの判断に至り、その後にその考えを強くしていったと考えられます。

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5 なぜCRPS(RSD)と診断しなかったのか

 ⅰ 本件では、上で述べた①痛み(持続する強い自発痛)、②腫脹、③関節拘縮、④骨萎縮のほか、⑤左手の皮膚の変色、⑥左手の体毛の変化も存在するようです(77頁)。これらの症状からは優にCRPSと診断できます。

   本件ではCRPSとすることに疑義を挟んでより可能性の高い他の疾患を示すことは困難です。現に存在する症状をより合理的に説明する代替案(鑑別診断)が示されなければ、その症状を説明できている診断は適切とされるので、本件ではCRPSと診断することに何ら支障はありません。

   なお、裁判例では現にCRPSとの診断が下されている事案において、CRPSとの診断を正当化する根拠の有無や程度を検討しているものはほとんどですが、検討方法そのものに誤りがあります。

CRPSにより症状が説明できる事案では、「より合理的に症状が説明できる疾患があるか」(鑑別診断)との視点で検討する必要があります。この方法では診断の変更が生じても前提となる症状の変更は生じません。診断が否定されるのはより合理的に症状を説明できる疾患に変わる場合ですので、診断が否定された場合にこそ症状の存在はより確からしくなります(ここで「裏付けられる」とするのは不正確であると思います)。

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 ⅱ 本件ではC病院の医師は早期にRSDを疑い、その後に症状が明確になっていったにも関わらず最終的にはRSDと診断していません。なぜ、診断しなかったのでしょうか。

   同じことはD病院の医師にも言えます。C病院からRSDの可能性があるとの診療情報提供書を受け取り、1年弱の間に200回弱のリハビリを続けていたD病院も上記の症状を確認していたはずで、D病院の医師も被害者の症状がCRPS(RSD)であると強く疑っていたと考えられます。

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 ⅲ 裁判例の上ではCRPS(RSD)と診断できる症状を確認していても診断が遅れるパターンがいくつか確認できます。古い判例ではRSDを知らないために見落とされたと思われるものが少なからず見られます。

   医師にCRPS(RSD)の知識があると思われるものであっても、例えば胸郭出口症候群と診断された後に関節拘縮が進行した事案では、重症化するまではCRPSとされない(胸郭出口症候群の症状の範囲内とされる)傾向があります。

   また、手首や足首などの末梢部位のCRPSも診断が遅れる傾向があります。上肢全体の拘縮を生じる重症例に比べて末梢の場合には診断に躊躇するのかもしれません。骨折後に痛みが続いて可動域制限が悪化していった場合も、骨折後の痛みに付随する症状とされ、重症化しないとCRPSと診断されない傾向があります。

但し、本件は遅くとも1か月半後までにはCRPSを疑っていた上に、その後に症状が重症化した事案であるので、1年半後に症状固定となった時点でCRPSと診断しなかったことを説明しにくい事情があります。

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 ⅳ 平成15年に自賠責でRSDの3要件規準が制定された以降は、交通事故後にCRPS(RSD、カウザルギー)と診断された事案では、自賠責ではほぼ全てが極端に低い後遺障害等級とされ、裁判でも低い損害賠償額とされることがほとんどです。

この事情を知る医療関係者は少なくないと思います。このためか、医師があえてCRPSと診断しなかったと推測できる事案をしばしば目にします。但し、診断を回避した目論見がうまくいった事案は見当たりません。CRPSと診断されていても、診断されていなくとも、ほぼ全ての事案で自賠責では極端に低い後遺障害等級が認定されています。

本件ではD病院作成の後遺障害診断書では、RSD(CRPS)との診断はなされず、「左手関節拘縮、左手指拘縮」などの症状それ自体を端的に示す傷病名が用いられています。しかし、自賠責でも訴訟でも後遺障害等級は14級とされています。

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6 診断と症状を取り違える誤り

 ⅰ 本件では事故直後から左上肢や左手首に強い痛みがあり、その頃から左手関節の可動域制限があり、治療期間を通じて医師が症状を確認して治療を行い、最終的には医師が左手関節や左手指の可動域制限を確認しています。従って、被害者の主張する症状が存在することや、それが本件事故により生じたことは症状の経過から容易に認定することができます。

逆に言えば、症状を認定するための事情は上記の内容(現に存在する事情)を骨格としたもの以外にはありえません。しかし、加害者側は現実に存在しないものを求める「ないものねだり」で上記の結論を否定する主張をすることが通常です。

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ⅱ 繰り返し述べてきましたが、症状を認定するに際してCRPSとの診断がなされている必要はありません。診断は症状が存在することを前提に、症状に対する評価として下されるものであって、診断があろうがなかろうが症状は同じです。ところが、裁判例では診断の適否により症状を判断する誤りが多く見られます。診断を主要事実と勘違いして証明責任を適用しているものさえも少なからずあります。

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ⅲ もちろん診断が正しいかどうかは概念の適否の問題であって事実ですらありません。裁判例でも「診断が正しいとは認められないので症状は存在しない。」とストレートに間違えている判決は見当たりません。

実際には、「疾患Rに罹患した状態」を要証事実と誤解している裁判例が多く見られます。本件の判決も「原告がRSDに罹患したことを認めるに足りる証拠はない」(81頁左列1行目)と述べています。しかし、「疾患Rに罹患した状態」と言えるかどうかは疾患Rとの診断が正しいかどうかに左右されるので、結局は概念の適否に帰着します。

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 ⅳ 上記の誤りの背景には、「罹患した状態」が症状を引き起こすとの誤解も存在します。即ち、「CRPSに罹患した」との状況が先にあってそれにより各種の症状が「引き起こされた」と理解しています。

   もちろんこの考えでは「卵が先かニワトリが先か」という矛盾が生じます。症状をもとに診断して、その結果「罹患した状態」になったので症状が生じるとする循環に陥ります。現実には患者に生じた各種の症状が一定のレベルに達したときにCRPSと診断されます。この「結果としてCRPSと評価された状況」を指して、「CRPSに罹患した」と述べるに過ぎません。 

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7 症状は全ての事情を総合して認定するほかない

 ⅰ 症状をいかにして認定するべきかについては前回も述べました。私は症状を認定するためには①症状に関連する、②全ての事情を、③総合して考慮するべきであると考えています。また、④症状により近い事情を重視するべきであると考えています。

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 ⅱ 症状に関連する事情

   症状を認定するために症状に関連する証拠を検討することは当たり前のことです。これに対して、症状との関連性の薄い事情、例えば診断の適否を重視することは誤りです。

診断は症状の存在を前提として下されるものです。一定の症状が存在する前提で診断が下されるため、診断が正しかろうが誤っていようが診断の基礎とされた症状は変わりません。患者の症状を基に診断を下したのに、その診断により患者の症状が裏付けられるとすると循環論法になります。

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 ⅲ 全ての事情

   症状に関連する多くの事情のうち一部を無視することは誤りです。民事訴訟法は原則として証拠方法(証拠となりうるもの)に制限を設けていません。

   症状と関連する事情は、症状から近い事情から順に①被害者本人の訴え、②医師が確認した症状、③検査結果、④治療内容、⑤治療期間、⑥就労や日常生活への影響、⑦診断(症状を確認した医師の評価)、⑧その他の事情があり、これらを総合して認定する必要があります。

   これに対して、上記のうち一部の検討をしないことは、民事訴訟法が証拠能力を認めた意義を否定することになります。また、裁判官は裁判に現れた全ての事情をもとに自由心証により判断するとの原則(民事訴訟法247条)にも反します。常識的に考えてみても、視野を狭くするよりも広くした方が正しい結論に近づくと思います。

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 ⅳ 症状から近い事情

   解明しようとする対象により近い事情を重視することは当然のことです。症状に最も近い事情は被害者本人の訴えです。症状を最もよく知る人は被害者本人であることは疑う余地がありません。従って、最も重視するべきは被害者本人が訴える内容です。

   これに対して、被害者が嘘の症状を主張しているかも知れないとして、無視したり軽視したりすることは誤りというほかありません。この誤りはあたかも産湯と一緒に赤子を流すような誤りです。

   画像所見で裏付けることのできる症状は、現実に生じている症状のうちのほんのわずかな部分に過ぎません。症状の多く(事案によってはほとんど)は被害者の訴えによってのみ知りうるものです。被害者の訴えを軽視すれば症状について最大・最善の情報を捨て去ることになります。

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 ⅴ 総合的判断

   症状を判断するための近道はありません。上記の全ての事情を総合的に考慮するほかありません。

   但し、個別の症状については、それを端的に裏付ける事情から認定できる場合もあります。医師が確認した腫れや皮膚温、皮膚色などは端的にその存在を肯定できます。関節可動域検査で上肢の重度の可動域制限を偽装すること(制限の終末感を偽装すること)が不可能と言えることからは、その検査結果を端的に信用することができます。

   それ以外の直接的な証拠を持たない症状(事案によってはほとんどの症状が直接的な証拠を持ちません)については、総合的に検討するほかありません。それ以外の方法はありません。

   例えば、線維筋痛症などの判断しにくい症状や認知機能の障害などは、「それまで10年以上真面目に働いて、家族を養ってきた被害者が事故をきっかけに嘘の症状を訴える人柄に豹変して、長期間の入通院をして医師や弁護士を騙して、粘り強く症状の偽装を続けてきたのであろうか」との想像をしてみれば、「そんな人はいない」との結論に至ると思います。

この種の常識的な判断を可能にするためには、症状に関連する全ての事情を等しく検討する必要があります。何が常識であるのかの基準はありませんが、世間一般の人が「それは常識から外れている」と判断する事情は確かに存在します。

事実認定のほとんどはこの常識感覚から導き出されるものであって、マニュアルから導ける認定はわずかな例外に過ぎません。常識感覚が要求される認定では、裁判官はときには全人格を賭してでも判断するほかありません。「確実な証拠はないけれども、普通に考えればこうなる。」との実質的心証で間接事実を1つ1つ積み上げて行くことなしに事実認定はできないと思います。それは特別なことではなく、たんに「自分はこう考える」と述べるだけとも言えます。

民事訴訟では事案全体の事情から総合的に判断することは通常のことです。交通事故訴訟で突如として症状を認定するための証拠を極端に制限する思考になることの方が異常であると思います。

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8 可動域制限のメカニズムについて

 ⅰ 本件では被害者の手関節の可動域は他動でも自動でも2分の1以下で、これをそのまま採用すると、後遺障害等級10級10号の「1上肢の3大関節中の1関節の機能に著しい障害を残すもの」に相当します。

   これに対して、判決はいくつかの理由を述べて、この数値を認めませんでした。以下ではこれらを検討します。

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 ⅱ 判決は、「原告の左手関節の可動域制限の原因について明確な客観的所見は乏しい」(80頁右列)と述べます。判決は、加害者側の主張する「ないものねだり」への誘導に乗せられ、「明確な客観的所見」が必要と考えるに至ったようです。

しかし、医師が確認した可動域制限を無視することが出発点になっている点で論外というほかありません。関節の可動域制限はレントゲンやMRIでは裏付けられないので、実際に可動域を測定する方法でしか計測できません。それ以外の方法がないのです。実際にその部分の可動域を測定した数値こそが最善の証拠であり、合理的な理由もなくそれ以上の証拠を要求することは誤りというほかありません。

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 ⅲ 私は事実認定では「何が起きたのか」(生じた可能性が最も高いのは何か)との視点で全ての事情を総合して事案の骨格を組み立てていくべきであると考えます。

しかし、裁判例の中には「~とする確実な証拠はあるか」との形のハードル型認定(私が勝手に命名しました)をしているものは少なからず見られます。この方法は自由心証に証明責任を取り込む誤りが生じている点で問題があります。

   ハードル型認定では実質的な心証を形成しないまま、「とにかく基準を満たさない」という理屈で否定の結論になることが多く、求める証明度が高くなりすぎる傾向があります。証拠を序列化する傾向や「ないものねだり」の証拠を求める傾向も見られます。間接事実にまで証明責任を適用する誤りも見られます。本件の判決にはこれらの誤りが見られます。

この傾向は本件の判決に限ったことではなく、証明責任の所在を考慮して「~と認めるに足りる証拠があるのか」との視点で検討している裁判例は、特に最近では多く見かけるようになりました。この方法は真偽不明になった場合に結果としての証明責任を負う側に、最初から不利益を課して検討している点で問題があります。ハードルを設定した検討で「~であるとは認められない」として真偽不明になった結果、証明責任を適用すると、証明責任を負う側に2重の不利益を課す誤りとなります。そもそも証明責任は事実を認定するための道具ではなく、事実が認定できなかった場合に結論(法規の適用)を決めるためものです。法規の適用に必要な最低限の範囲でのみ証明責任は機能します。

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 ⅳ 判決は、事故直後には可動域制限は生じていなかったので、事故によって可動域を制限する器質的損傷が生じなかった(80頁右列)と述べます。これも「何が起きたのか」の視点ではなく、「事故直後の可動域制限」というハードルを課す思考です。

   しかし、神経損傷後の可動域制限は関節周囲の筋や軟部組織が伸縮性を失うことや癒着を起こすことによって生じるのであって、「骨がつっかえて動かせない」などの原因で生じるものではありません。

   怪我をするとその部位の組織が収縮して出血や細菌の流入を止めますが、神経を傷つけた場合などは痛みが治まらずに続くことがあり、その結果、組織の収縮も続き、その部位の血流低下、組織の劣化(伸び縮みしなくなる)、組織の癒着が生じます。これが関節周囲で起きると関節可動域制限となります。当初は痛みで動かせないと見られていた部位が、時間の経過で組織が劣化して他動でも動かせない状況(拘縮)になります。

   このように痛みによる可動域制限の固定化はある程度の時間を要するので、「事故直後に生じていなかったのはおかしい」というこの判決の考え方は誤りです。

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 ⅴ 判決は、「関節可動域の制限が医学的に合理的な説明によって裏付けられているとは言えず、その発生の機序が原告の主張立証によって明らかにされているとは言えない。」(81頁左列)と述べます。この部分もメカニズムの解明というハードルを課す思考です。

   可動域制限の基本的なメカニズムは上記のとおりで、この説明は取り立てて複雑とは思えないのですが、仮にこの説明が出なかったからといって現に計測された可動域制限を認めないのはおかしいと思います。

   メカニズムが不明なので結果(症状)を認めないという考えは、死因が不明なので死亡したとは認めないという理屈と構造は同じです。どうしてこの理屈に至ったのか理解し難い面があります。

   この事件の被害者は事故直後から左手の痛みを訴え、早期から可動域制限も訴えてきた(それ故に1か月半後までにCRPSの疑いを持たれていた)ので、最終的に可動域制限が存在し、それが事故によるものであることは明らかです。

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 ⅵ 判決は、その下の部分で左上肢の可動域制限について「その発生の機序が明らかにされていない以上、本件事故との因果関係を認めることはできない」と述べます。

   しかし、事故直後の時期から一貫して訴えてきた症状について「医学的メカニズムが不明であるから、事故との因果関係を認めない」とすることは、やはり一般人の常識から著しくかけ離れていると思います。

   メカニズムが不明の事案において「他の原因が考えられない」という常識的な思考から因果関係を認めた一連の最高裁判決(ルンバール事件、B型肝炎事件、概括的認定の多くの裁判例など)も存在します。メカニズムにこだわることの誤りはこれまで何回か述べてきました。この誤りもハードル型認定で多く見られます。

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9 「明確な客観的所見」に証拠を制限する誤り

 ⅰ 上記のとおり判決は、医師が確認した可動域制限を認めるためには「明確な客観的所見」が必要であると述べて、可動域制限を認めませんでした。この部分もハードルを課す視点での検討です。

本件で被害者の症状を認定するに際して、活用できる全ての証拠を総合した場合、被害者の主張するとおりの症状が存在すると考えられます。ところが、判決は現に存在するものとは別次元の問題として「明確な客観的所見」が必要であり、それがない限りその症状は認めないとしています。これではほとんどの症状が認められなくなります。この部分は、それ以上に根の深い問題があります。

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 ⅱ 判決があえて「他覚的所見」や「明確な他覚的所見」との言葉を用いなかったことには理由があります。繰り返し述べてきましたが「他覚的所見」は医師が看取することのできた全ての症状を意味します。これは医学的にも争いはなく、労災や自賠責でも当然の前提とされている初歩的な知識です。「他覚的」という言葉のとおり、他者が五感の作用で看取できれば足ります。臨床では医師が五感の作用で得ることのできる全ての情報が治療のために総動員されます。

   これに対して、訴訟では加害者側は「他覚的所見」が画像所見などに限定されるとの誤解に誘導します。かなり大胆な誘導ですが、このレベルの初歩的な知識を欠いたまま判決が書かれることが少なくないため、ほとんど全ての事件でこの誘導は行なわれます。もちろん裁判官が「他覚的所見」の正しい意味を知っている場合も少なくないので、加害者側は「明確な他覚的所見が必要である」とのあいまいな表現を用いることが通常です。

   医師が目視、徒手、触診などで確認した症状は全て「明確な他覚的所見」ですので、「他覚的所見」と意味はほとんど同じです。即ち、「明確な他覚的所見」という言葉は、「他覚的所見」の意味をきちんと理解していない人を誤りに誘導するために用いられます。

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 ⅲ 「他覚的所見」の有無では後遺障害を判断できないので(被害者の主張する症状のほぼ全ては他覚的所見であるので)、労災や自賠責では「他覚的所見」を総合的に判断することが求められ、労災では労務に影響する度合いが12級と14級の区分基準とされています。

一方、対象が労働者であることが前提とならない自賠責では症状が医学的に「説明できるもの」か「証明できるものか」で区分されます(但し、この区分論は青い本のみで、赤い本にはこの記載はありません)。訴訟では裁判所が「存在する」と判断した症状を認定するだけのことで、とくに制限はありません。

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 ⅳ 本件の判決は症状を認定する証拠を画像所見などに限定することを述べるために、あえて「明確な客観的所見」との言葉を用いたと考えられますが、これでは「他覚的所見」の定義を正しく理解した意味がなくなります。

   「他覚的所見」の定義を正しく理解した場合には、患者から看取することができた全ての症状を余すところなく総合的に検討することが重要であるとの帰結に至ります。これに対して、「明確な客観的所見」のみを基に後遺障害の度合いを判断するべきであるとすることは、本末転倒の致命的な誤りというほかありません。

   画像所見などに証拠を限定する誤りは無条件で天から降ってきたものではなく、「他覚的所見」の意味を誤解したことによってのみ導かれるはずです。他覚的所見の意味を正しく理解していれば、証拠の限定を正当化する根拠は存在しなくなります。ところが、この判決は無条件で「明確な客観的所見」に証拠を限定する誤りに至っています。判決はその他の部分でも無条件でハードルを課している検討が目立ちます。しかも、そのハードルが「ないものねだり」になっています。現に存在する証拠をそのまま検討する視点がなく、心証が高度に空洞化しているように見えます。

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 ⅴ より根本的には、ある事柄を判断する上で、判断の基礎とする証拠を制限することは適切ではないという問題があります。民事訴訟では原則として証拠方法(証拠となりうるもの)に制限を設けられていません。民事訴訟法が証拠方法に制限を設けなかったのは視野を広くした方が正しい結論に至りやすいからです。

   ところが、裁判例の中にはマニュアル化した方法に従うことで正しい結論が出せるとの錯覚から、証拠を序列化して検討対象を狭くする流れがあることも事実です。検討対象が狭くなれば、その狭い対象のなかから正解を導いたとの実感は強くなります。100個の選択肢から1つ選び出した場合よりも2個の選択肢から1つ選び出した方が、正しさへの確信は強くなります。選択肢を1つに絞れば主観的な確信は最大になります。

   選択肢を狭めると確信の度合いは強くなるため、正しい判断が求められる立場の人には何らかの理由を持ち出しては視野を狭めようとする傾向が生じます。この傾向から、事実認定の基礎となる「動かし難い事実」を「明確な客観的証拠」に取り違える誤りが生じやすいと言えます。

   「何が起きたのか」との視点で実質的な心証を取らない人は、他に選択肢がなくなったことにより自動的に結論を決めて、その結果として心証を形成する傾向があります。

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 ⅵ 伝統的な事実認定論では裁判官が事実を認定するにあたって「動かし難い事実」を軸にするべきであるとされてきました。「動かし難い事実」とは価値の高い直接的な証拠のことではありません。

本件では①被害者が一定の症状を訴えていた事実、②被害者が一定期間通院した事実、③医師が一定の症状を確認した事実、④医師が可動域測定をして一定の結論を出した事実、⑤医師がそれを基にある診断をした事実は、その性質上その事実自体が否定されることは、まずありません。固定性の強い事実です。

これらの事実から導き出される結論は、「おそらく被害者の主張する症状(医師の確認した症状)は存在するであろう」ということで、これが動かし難い事実です。一般人が常識的な見方をすればほぼ全員が同じ実感を強く持つと思います。この種の強い実感は「結論の妥当性」と言われるものでもあります。この種の強い実感は「動かし難い事実」の中でも最も重要なものであると思います。この実感を拒絶して証拠の確実性を求めていけば、視野が狭くなると思います。

2014年8月 2日 (土)

CRPSと脳脊髄液減少症(25.10.30)

1 東京高裁平成25年10月30日判決(自保ジャーナル19071頁)

 (1審:新潟地裁長岡支部平成24年12月19日判決)

  この事案の特徴は、①事故後早期に左上肢のCRPS(RSD)と診断されていること、②その後に脳脊髄液減少症と診断されたこと、③胸郭出口症候群との診断も受けていること、などです。

 

2 症状の経過

ⅰ 被害者は45歳女子会社員です。平成13年7月15日に乗用車を運転停止中に追突事故(第1事故)に遭い、3年半後の平成17年1月25日に別の事故(第2事故、後退してきた車両に衝突された)に遭います。

平成18年に第1事故の、平成20年に第2事故の裁判が始まり、両者が併合されて判決が下されています。症状のほとんどは第2事故よりも前に出ているので、以下では第1事故を「事故」と呼び、第1事故を中心に述べます。「判決」とのみ書いたものは地裁判決です。

 

 ⅱ 被害者は事故後早期にCRPS(RSD)と診断され、その治療を受けて症状が少し改善し、1年2か月後からブラッドパッチを受けるなどして、後に低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)と診断され、訴訟では後者を中心に主張し、判決も後者を中心に検討しています。

   判決は加害者側の提出した医学意見に従ったために問題のある部分が多く存在します。この種の訴訟に提出される医学意見書のほとんどは問題のあるものであることや、その対処法は既に述べてきたとおりです。

 

3 CRPS(RSD)について

ⅰ 被害者は事故翌日には左上肢のだるさと痛み、頭痛(左側)、左肩、左肩甲部の痛みを訴え、2か月後には反射性交感神経性ジストロフィー(RSD)の疑いとされ、3か月後に左上半身のRSDと診断されています(21頁)。

  半年後の症状は、①左肩・肩甲骨から背部・上肢の痛み、②左背部の軽度腫脹、③めまい、ふらつき、④左背部・肩から上肢の感覚過敏、⑤左前腕尺側に軽度の筋萎縮、⑥左肩関節前方挙上、左肘関節屈曲・伸展に軽度の関節可動域制限あり、⑦左側の背部、肩から上腕の皮膚温低下などがみられる(22頁)とされています。 

 

ⅱ 上記のうち、①、②、④、⑤、⑥、⑦はCRPS患者に見られる症状であり、これらの症状を説明するほかの疾患が考えられないことや、日本版判定指標を満たすことから、この時点でCRPS(RSD)と診断したことは優に支持できます。

医学的には、この場合にCRPSではないと主張する場合には、その主張をする側においてこれらの症状をより合理的に説明できるほかの疾患をあげる(鑑別診断をあげる)必要があります。

 

ⅲ ところが、CRPSに限らず、訴訟では加害者側は鑑別診断(代替案)をあげることなく、診断基準を操作して「疾患Rであるとは言えない」と主張することが恒例です。

例えば、「CRPS(RSD)であれば症状P、Q、Rが絶対に生じる。被害者にはそれが生じていない。よって被害者はCRPSではない。」と主張します。この主張には、「よって、被害者の症状は根拠がないので否定するべきだ。」との逆転した主張が付随します。

  繰り返し述べてきましたが、CRPSに必須の症状が1つも存在しないことは世界中の全ての医師が認める定説で、全ての判定指標がこれを前提に作成されています。日本版判定指標も5項目のうち「いずれか2つ」を満たせば陽性とされます。なお、必須の症状が存在しないことは疾患として特別なことではなく、ほとんどの疾患で当てはまります。

 

ⅳ 地裁判決は、①被害者が灼熱痛を医師に訴えていなかった、②被害者を治療した医師が外傷性頚部症候群でも説明できるとか、頚椎部以外に左肩甲骨周辺から肩関節にかけての障害も疑われるとの意見を示したことがある、③星状節神経ブロックを施術しても症状は一進一退であった、④自賠責で非該当であった、などの理由で⑤RSDを発症したとするには「疑問の余地があり、直ちに認めることはできない」(36頁)とします。

  上記①はCRPSには必須の症状は1つもないので論外です。しかし、このレベルで誤っている裁判例は多く見かけます。

  上記②は、外傷性頚部症候群は具体的な疾患を意味するものではないので鑑別診断の対象とはなりません。そもそもこの意見はRSDと診断した医師が外傷性頚部症候群のみでは説明できない部分があるとの趣旨で述べた内容です(21頁)。

 

  上記③はCRPS患者であっても、神経ブロック療法の著効例は7%で、一時的な有効例を含めて30%程度に過ぎません(『ペインクリニック』30巻別冊春号247頁、『複合性局所疼痛症候群CRPS』15頁)。CRPS患者の中には神経ブロックで症状が悪化する方(ABC症候群)もいます。しかし、一部であっても著明な効果が生じる患者がいるため、ほとんどの患者にこの治療が試みられます。また、一時的であれ疼痛緩和には意義がある(痛みの持続が症状の悪化をまねく)ため、通常は神経ブロックなどの疼痛緩和の治療が繰り返されます。

  本件の被害者は神経ブロックによる症状の改善が見られたため、1日に2回もの星状神経節ブロックの施術を受けており、非常に強い痛みが生じていたことが優に認められます。このことはRSD(CRPS)との診断を肯定する根拠となります。

  上記④は自賠責ではRSD(CRPS)であるかどうかを判断しないという基本構造を理解できていません(判断すれば医師法違反となります)。また、「自賠責はこう言っている。」としてその根拠を検討しないことは、裁判所が判断を放棄しているようにも見えます。

  上記⑤は訴訟で診断を検討することの法律的な意味を理解できていないため、「疑問の余地があるので直ちに診断が正しいとは認められない」との論理になったように見えます。この点は他の裁判例でも多く見られる深刻な誤りですので、項目を分けて述べます。 

 

4 診断は症状の存在を前提とした評価である

 

 ⅰ 症状と診断との間に「診断が正しいので症状が存在する」という関係や「診断が誤りなので症状は存在しない」との関係はありません。症状の存在は常に大前提であって、診断の適否に関わらず症状の存在は認められます。荒っぽいたとえですが、死亡診断書の傷病名が間違いだからと言って、死亡していないことにはならないのと同じです。

では、なぜ訴訟で診断の適否を検討するのでしょうか。この点の問題意識がないまま漫然と診断が「正しいといえるか」を検討している裁判例をしばしば目にします。

 

 ⅱ 訴訟で診断を検討するのは、通常は「治療の過程である医師がある診断を下した」との事実が存在するからです。例外的に、訴訟になってから鑑定などで「本当は疾患Rではなかろうか」として診断が検討されることもあります。

 

   「患者の症状と検査結果から医師がある診断を下した」との事実は、その症状を説明する理屈として医師がその病名を用いたという間接事実です。診断した病名だけではなく、その根拠となった症状(主要事実)が分かっていれば、この間接事実にはあまり意味はありません、診断は治療の過程で行なわれる医学的行為であって、訴訟で事実を認定するための行為ではありません。

 

 ⅲ ところが、診断を否定すれば被害者の主張する症状は認められなくなるとの誤解から、診断の適否を検討しているように見える判決は少なからず見かけます。

   この考えの根底には、①被害者の症状や検査結果から疾患Rであると判断できる場合には、②被害者の症状は「疾患Rによって引き起こされた症状」(由来する症状)となり、③疾患Rにより被害者の症状が合理的に説明できるようになり、④症状の存在が裏付けられる、との論理が存在するように見えます。

   しかし、被害者の症状を前提に疾患Rと診断し、その結果、「疾患Rに由来する症状」として被害者の症状が裏付けられるとするのは、たんなる循環論法です。

 

 ⅳ 循環論法であることはおくとして、「疾患Rに罹患したから疾患Rによる症状が引き起こされた」との関係性はほとんどの疾患で成り立ちません。現実には一定の症状と検査結果から、診断が下されます。

 

   CRPS患者の症状も様々な態様があります。日本版判定指標は5項目のうちいずれか2つを満たす場合(仮に5項目をA~Eとすると、AB、AC、AD、AE、BC、BD、BE、CD、CE、DEの10通りのパターンがあります)に陽性(感度約80%)となります。つまり、CRPS患者の8割は10通りもの症状の出方をしていて、残りの2割はそれとは異なる症状の出方をしています。

   この前提においてCRPS患者の症状をCRPSに罹患したことにより引き起こされた症状と見ることは現実に合いません。実際には様々な要因から一定の症状が一定の重症度になることにより、CRPSと評価されています。

 

5 診断が否定された場合の方が症状を合理的に説明できる

 

 ⅰ 現実の問題として、被害者の症状を生じさせている傷病名が分からなければその症状がどの程度であるのかがよく分からないという実感は存在すると思います。そこで傷病名に注目することは自然な感覚です。この考えを突き詰めると、症状そのものよりも症状を生じさせた傷病名の方が大切であるという感覚に行き着きます。

   この感覚から、「被害者はCRPSであるとは言い切れない。よって、被害者の症状が重い症状とは言い切れない。」との理屈が生み出されるようです。つまり、傷病名の方が大切なので傷病名の方が主要事実になって、症状がそこから導き出されるという理屈です。しかし、これは単なる循環論法で、しかも診断の実態に合わないことは既に述べたとおりです。

 

 ⅱ 正しい方法(鑑別診断)で診断の適否を検討した場合は、診断が否定された場合にこそ症状の存在がより合理的に説明できるようになります。

 

   例えば、患者の症状(A~E)を確認した医師が線維筋痛症と診断したとして、鑑別診断によりCRPSと修正された場合を想定すると、その鑑別診断が正しいとされたのはより合理的に患者の症状を説明できるからです。

   この場合には新たな病名によって「より合理的に症状が裏付けられた」という見方もできそうですが、検討対象の症状は同じです。

 

   鑑別診断の考えはポパーの反証主義に通じるものがあります。即ち、全ての理論はそれを絶対的に正しいとする根拠を得ることはできず(経験主義)、たんに現時点で反証を免れているに過ぎない。より多くの反証を克服することにより理論はより高い信頼性を得ることができる。反証が認められた場合でもその反証が絶対に正しいわけではないが、理論はより真理に近づいたといえる。この過程を確保するために理論は反証可能性を有していなければならない。

   つまり、ある診断が下されたとしてもそれが正しいと断定する根拠はなく、反証(鑑別診断)により診断が変わる可能性は常に存在します。より多くの鑑別診断を受けた診断は信頼性が高まります。 

 

 ⅲ 以上に対しては、例えば食あたりだと思われていた患者が実は胃ガンであったという場合には、患者が訴える腹痛への評価は異なるはずであり、腹痛という同一の対象であっても、他人による評価という間主観的な尺度で見れば症状の強さに格段の違いがあるという反論が考えられます。

   しかし、これは例示内容に問題があります。一定期間続いた腹痛その他の症状を生じる疾患として合理的な範囲内での比較検討であれば、診断の適否により症状の見方が変わることはありません。重度の胃潰瘍の症状と胃がんの症状とでは前者の方が重くても特に問題はないと思います。

 

 ⅳ まとめ

「医師Aが患者PをCRPSと診断した」という事実は、その診断が誤診であるかもしれないとしても、その医師がその診断を下すほどの症状を患者に確認した事実を意味します。従って、この限度において診断は(漠然とした)症状の存在を裏付ける間接事実です。但し、診断の基礎となった具体的な症状が判明している場合には「診断により症状が裏付けられる」との関係は認められません。

また、医学的に正しい方法(鑑別診断)でその診断が否定された場合には、患者の症状は「より合理的に説明できる」という意味において裏付けられています。但し、対象となる症状そのものは変わりません。 

 

6 間接事実に証明責任を適用する誤り

 ⅰ 傷病名が主要事実であると誤解して、「疾患Rであると認めるに足りる証拠はない」などの形で認定している裁判例はしばしば見られます。本件では、RSDとの診断について、「疑問の余地があり、直ちに認めることはできない」との理由で否定の結論を導います。

 

   この部分には4点の誤りがあります。①傷病名は主要事実ではなく間接事実です。②かりに証明責任が適用される事柄であったとしても、求める証明度が高すぎます。③「証明責任は自由心証が尽きたところでその機能を開始する」(定説)とされているように、証明責任は事実認定の道具ではなく、自由心証で事実が認定できなかったという異常事態において結論(法規の適用)を決める道具です。④自由心証に証明責任を取り込むことは誤りです。

 

 ⅱ 最高裁判決が述べる「高度の蓋然性」は80%ほどの心証(証明度)であるとされています。従って、「おそらく~であろう」との心証であれば足ります。アメリカでは証拠の優越(50%超原則)とされていて、この見地から80%ほどの心証では高すぎるとの批判があります。

以上に対して、「確実」ないし「ほぼ確実」(95~99%)とのレベルの証明度を求めることは誤りです。この誤りに陥ると、表見証明、一応の証明、間接反証などの民事訴訟法概念が機能する余地を失います。 

 

ⅲ この判決は間接事実についても全般的に「~であると認めることはできるか」との視点で検討していて、「何が起きたのか」の視点で実質的な心証を形成していないことが気にかかります。

間接事実についてはそこから得た心証をそのまま述べる必要があります。これにより初めて主要事実の存否を推論する基礎とすることができます。ありのままの心証を基礎としなければ、正しい推論はできません。

 

例えば、数学の問題を解く過程では無理数などはそのままの形で保存(記号化)してその先に進む基礎とします。これに対して「π(3.14…)」という記号を用いずに「3以下であるとは認められない」と結論付けると先に進めません。

 

事実認定も同じで、ある事実について「おそらく~であろう」、「~であるとするのは躊躇する」、「この事実からは~とは考えにくい」、「~の事実と整合する」などの形で各事実に即したありのままの推論を示すことによって、その先の推論の基礎となります。そもそも間接事実については「~であるとは認められない」との結論を出す必要もありません。

しかし、間接事実についてありのままの心証を述べることをことさらに避けている裁判例は少なくありません。「誤った判断を述べてはいけない」という考えからできるだけ心証を開示せず、「確実に~と認めるに足りる証拠はない」という言い方に逃げているように見える裁判例は少なからず見られます。

 

もちろん、主要事実においてさえも「確実」との心証を求めることは正しくありません。求める心証を必要以上に高くすることは事実に即した認定から遠ざかります。事実に最も近くなるためには「生じた可能性が最も高い事実は何か(何が生じたのか)」の視点で検討する必要があります。

その検討を総合した結果、「高度の蓋然性」をもって主要事実の存否を判断できない場合に、初めて証明責任を持ち出して結論(法規の適用)を決めることとなります。

従って、主要事実を認定する場合においても、いきなり「~であると認めることができるか」という視点を持ち出すのはまずく、「何が起きたのか」との視点でその事案を解明できた度合いをそのまま記述し、解明できていない部分について、その度合いが主要事実に求められる証明度に達していないことを示した上で、やむを得ない最終手段として証明責任に結論をゆだねることになるはずです。

 

7 背理法無視の誤謬(他事情考慮の欠落)

 ⅰ 本件で被害者がRSDと診断されたことは、「被害者の症状や検査結果等について医師がRSDと評価できるとして、その診断を下した」との意味を有する事実です。

   もちろん、のちに行なわれた別の精密検査により、別の診断が下された場合においてもこの事実自体は不変です。「その状況をより合理的に説明できる対案が提示され、その対案の方が優れていたから対案を支持する」との状況が生じたとしても、最初に下された診断の元になった症状が否定されるわけではありません。むしろ逆に症状がより合理的に説明できるようになるはずです。

 

 ⅱ 判決の最大の問題は、事故の半年後に確認された症状がCRPS(RSD)ではないとした場合に、その症状をより合理的に説明する傷病名が存在しないことです。これは背理法無視という基本的かつ致命的な誤りです。この場合の背理法は、①「A」または「A以外」である(排中律)、②「A以外」ではない、③よって「A」である、との単純な論理です。

論理の基本原則である背理法を無視した思考に基づき「とにかく『確実にRSDである』とは言えない。よって、RSDであるとは認められない。RSDではないとした場合の候補は見当たらないが、実際に何であるかは関知しない。」との論理は、それ自体が誤りであるというほかありません。これに対して、被害者側は「ではRSDではないとしたら、一体この症状をどうやって説明できるのか」と憤ることでしょう。

   裁判例においては「他の妥当な説明が見当たらない」、「他に考えられる事情はない」、「他の原因は考えられない」との論理を用いる事実認定は多く見られます。

 

 ⅲ 最高裁判例には、因果関係判断については他原因考慮(それでないとした場合に他に原因がありうるか)との点から、相当の可能性がある具体的な他原因をあげなければ、一応の証明ができている原因を否定できないとする準則を述べる一連の判決があり、この準則を前提とする概括的認定に関する一連の判決もあります。

   最高裁判例からは、一定のレベルで証明ができている事柄について、代替案も示さずに「『確実にAである』とは言えない」との理由のみで否定することは誤りとされます。これは論理の基本原則ないし一般的な常識からも当然というべきでしょう。

   従って、医師が症状を列挙してこれに基づいてある診断を下した場合には、その診断を否定するためには代替案(鑑別診断)をあげなければならないことは、医学的な常識であるとともに最高裁判例の事実認定の準則にも合致します。

 

 

8 胸郭出口症候群について

 ⅰ 被害者については、2年4か月後のカルテに胸郭出口症候群との記載があり、2年8月後と3年1か月後に作成された後遺障害診断書に胸郭出口症候群と記載されています(36頁)。その根拠として血管造影検査の結果。左右の鎖骨下動脈の径に差があるとされているようです。この診断は被害者についてRSDと診断した医師ではなく、外傷性低髄液圧症候群とした医師により行なわれています。

低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)が問題となる事案では、これに併せて胸郭出口症候群の診断も下されている事案は少なからず見られます。このタイプの事案では低髄液圧症候群が中心的に議論されていて、胸郭出口症候群の診断根拠がはっきりしないものが多く見られます。本件もこれに属します。

 

 ⅱ 本件では事故後の被害者の症状の経過からは、胸郭出口症候群による神経損傷を基盤にしてCRPS(RSD)を発症したように見えます。

   即ち、事故翌日に被害者が訴えた、左上肢のだるさと痛み、頭痛(左側)、左肩、左肩甲部の痛みは胸郭出口症候群の典型症状です。

 

   上記のとおり半年後の症状は、①左肩・肩甲骨から背部・上肢の痛み、②左背部の軽度腫脹、③めまい、ふらつき、④左背部・肩から上肢の感覚過敏、⑤左前腕尺側に軽度の筋萎縮、⑥左肩関節前方挙上、左肘関節屈曲・伸展に軽度の関節可動域制限あり、⑦左側の背部、肩から上腕の皮膚温低下などがみられる(22頁)とされています。

   このうち、①、④は胸郭出口症候群でよく見られるもので、③のめまいなどの愁訴も胸郭出口症候群でしばしばみられる症状とされています。また、⑤は胸郭出口症候群による神経損傷により生じたものとして説明できます。筋組織は神経の支配が失われると萎縮を生じます。

   一方で、②の腫脹、⑥の肘関節の可動域制限、⑦の皮膚温低下は胸郭出口症候群のみでは説明しにくく、これを基盤としてCRPS(RSD)の段階に至ったと見るべき症状と言えます。

   なお、可動域制限(⑥)については、胸郭出口症候群で肩関節の可動域制限が生じている事案はしばしばみられますが、その可動域制限が肘関節や手関節に及んでいる場合や、可動域制限が重くなった場合にはCRPSの段階に至ったと見るべき要因となります。

 

 ⅲ 胸郭出口症候群が基盤となってCRPS(RSD)を発症したと思われる事案は裁判例では少なからず見られます。

最初に胸郭出口症候群との診断を受けた場合には、その後に症状が悪化し続けて「ここまで重症化したらCRPS(RSD)と診断するべきではないか」と思われる状況となっても、胸郭出口症候群の診断を維持していることはしばしば見られます。

   逆に最初にCRPS(RSD)との診断を受けた場合には、そこに至る過程で胸郭出口症候群を生じているように見えても、その検査を受けていないことが多く見られます。 

 

9 脳脊髄液減少症を検討する意味について

 ⅰ 本件では、脳脊髄液減少症について、①モクリ基準、②国際頭痛分類基準、③神経学会基準、④研究会ガイドライン、⑤厚労省報告書基準などに言及して検討しています(26頁以下)。

   どうしてこれらの基準を列挙して検討しているのかというと、やはり、「正しい基準」がどれであるのかを判断したいからでしょう。判決は、①被害者が脳脊髄液減少症に罹患していれば、②被害者の症状は『脳脊髄液減少症に由来する症状』となり、③傷病名の裏付けのある症状となる、との考えでこの検討をしていると考えられます。

   その前提として、脳脊髄液減少症という疾患についての医学的に正しい診断基準を当てはめることによって、被害者が脳脊髄液減少症に罹患しているかどうかを正確に判断できるとの考えから、上記の各診断基準の比較検討をしていると考えられます。

 

 ⅱ けれども、やはりこの考え方は構造自体に問題があると思います。仮に、脳脊髄液減少症の診断が正しいとされたとして、そこから導かれる患者の症状というものは存在するでしょうか。

   これが循環論法であることはひとまず措くとして、患者の訴える症状と検査結果をもとに脳脊髄液減少症と診断し、その結果患者の訴える症状が「診断が正しいというお墨付き」のある症状となり、その症状の存在を認めることができるという関係性は認められません。

   脳脊髄液減少症の患者にも色々な症状があり、診断が正しいからと言って具体的な症状が導かれるわけではありません。診断は症状の存在を大前提として、これに対する評価として下されるものであって、診断の適否により症状の有無や程度が左右される関係は存在しません。

上記の脳脊髄液減少症についての各種の診断基準は、それぞれが対象とする病態が必ずしも一致していません。このためそのまま診断基準の優劣を検討することができないという問題もあります。

仮に対象とする病態が一致していたとしても、診断基準の優劣の検討は「より多くの患者を適切に選別できるかどうか」との視点で行なわれるので、診断基準が正しいかどうかという意味での検討は次元が異なります。

 

 ⅲ 診断を否定しても症状の存在は否定されないため、ある診断を否定するためには、その診断に取って代わって症状を説明することのできる別の病名をあげる(鑑別診断をあげる)必要があります。

   診断基準とされるもののほぼ全部は、その基準のみで全ての患者を選別できるものではなく、通常はその疾患に罹患していても診断基準を満たさない患者が1~2割ほど存在します。この場合には鑑別診断により、他の疾患の可能性を否定した上でその疾患の診断が下されます。

これに対して、判決では全ての脳脊髄液減少症患者を1人残らず選別できる「正しい診断基準」という架空の存在を想定して、それが何であるかを検討しているように見えます。このため診断基準を列挙して検討するという手法を取っています。

 

 ⅳ 本件で現実に存在する事実は、「その被害者の症状や検査結果から、A医師が脳脊髄液減少症と診断した」との事実です。即ち、①被害者にある一定の症状と検査結果が存在していて、②それらはA医師が脳脊髄液減少症と評価できるものである、との事実です。

上記②の「A医師が脳脊髄液減少症と評価したこと」は事実であるので、事実自体は否定できません。そこで、「本当は脳脊髄液減少症ではない」という次元の異なる主張をすることとなりますが、この主張ではA医師が確認した症状を否定できるはずがありません。被害者の症状の存否や程度に関しては、診断の適否を検討することにあまり意味はありません。

このことは医学的に正しい手順に従い、被害者の症状を説明できる別の疾患をあげて、その疾患により被害者の症状が説明された場合を想定すれば明らかでしょう。

 

 ⅴ 脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)が問題となる事案においては、胸郭出口症候群やCRPSだけではなく、高次脳機能障害や軽度外傷性脳損傷などの別の疾患の診断も受けていることがしばしばあります。

この場合には、脳脊髄液減少症の病名が対象とする症状はどの範囲のものであるのかはっきりしない裁判例がほとんどです。脳脊髄減少症と他の疾患があいまって症状を生じさせているとの趣旨で、かなり広い範囲の症状を脳脊髄減少症で説明しようとしているように見えます。

 

10 症状をいかにして認定するべきか

 ⅰ 「診断が正しいから症状が存在する」との考えや、「診断が正しくないので症状の存在は認められない」との考えが誤りであることは明らかです。また、診断が正しいとされたことにより、「正しい診断というお墨付きのある症状」になるとの考えも同様に誤りです。

   診断は症状を前提として、その評価として下されるものであるとの基本的な考えからは、診断の適否をいくら検討しても症状の有無や程度は見えてこないはずです。症状の有無や程度を判断するためには、症状そのものにより近い証拠を吟味するべきです。

 

 ⅱ 被害者の症状の存否や程度に関しては、①被害者本人の訴え、②それを医師が確認したこと、③検査結果、④治療内容、⑤治療期間、⑥就労や日常生活への影響、⑦診断(症状を確認した医師の評価)、⑦その他の事情を総合して認定する必要があります。

 

   事故後の通院状況や治療内容から「本当に痛くて治療を続けているのであろう」と考えられる場合はしばしば存在します。扶養家族がいるのに就労できずに治療を続けている事情などから被害者の症状の重さを推し量ることもできます。事故前に10年以上まじめに就労していたのに就労ができなくなったとの事情も症状を裏付けます。この種の判断は一般人の常識感覚からは当然のことであり、「弁論の全趣旨」から心証を形成する訴訟でも同様です。

   ところが、上記のうちの診断のみに着目して、しかも、診断の適否にのみ着目し、さらに代替案(鑑別診断)をあげずに診断の適否を検討し、症状の存否を判断することは、やはり感覚としても非常にずれていると思います。一般人からは「裁判官は頭が固いなあ。どうして症状に関連する他の多くの事情に目を向けないのだろう。」と見られると思います。

 ⅲ もちろん、裁判例のなかには通院や治療の状況などから心証を形成して、傷病名に拘らないものも多く見られます。

   最近のものでは横浜地裁平成24年7月31日判決(判例時報2163号79頁)は、被害者について「脳脊髄液減少症の疑いが相当程度ある」との認定で、事故後の症状や治療経過から後遺障害を認定(9級)しています。

   京都地裁平成23年11月11日(自保ジャーナル1871号29頁)は、CRPSの事案で「病名としては不確定であるが、症状として難治性疼痛がある事実は認められ、発現時期等から、本件事故に起因するものである蓋然性が認められる」としています。

   東京高裁平成22年9月9日判決(自保ジャーナル1832号1頁)は「WHOの定めた軽度外傷性脳損傷に関する平成16年の定義に該当するか否かについては本件訴訟においてそれを確定することが必要であるわけではない。本件訴訟において重要なことは本件事故によって(被害者)が頭部に衝撃を受け脳幹部に損傷を来してこれを原因として後遺障害を残存させたかどうかである」としています。

1 存在を認めなかった症状について

 ⅰ 判決は、被害者に対するCRPS、胸郭出口症候群、低髄液圧症候群との診断を「正しいとは言えない」という形で証明責任によって否定する形になっています。その結果、診断の基礎となった症状を裏づけのない症状であるとして被害者の症状を否定する方向に向かっています。

   この部分の構造的なまずさは上記のとおりですが、その結果として被害者の症状の一部を詐病であるとしてその疑いを述べています。即ち、①視力低下、②光過敏、③音過敏、④歩行不能、⑤立位保持困難、⑥座位維持困難、⑦思考力の低下、⑧記憶力の低下、⑨集中力の低下、⑩気力の低下などを列挙して、「そもそも原告にかかる症状が生じているか疑問がある」(37頁)と述べています。

   その理由として、①視力低下については事故から半年後にその訴えがあると述べ、①から⑩について事故直後に受診した病院ではそれを裏付ける明確な他覚所見がないとします。 

 

 ⅱ しかし、交通事故後にしばらくして視力の低下を訴える事案はしばしば見られます。①から⑩はその性質上、「明確な他覚的所見」(この表現には問題があります)を得られにくいものです。そのこと故に詐病を疑うというのも疑問です。

   不定愁訴(医学的に説明できない症状)を訴える患者は、総合診療の現場の1033%を占めると言われています(『不定愁訴の診断と治療』3頁)。その症状が存在しないと考える医師はまずいません。

 ⅲ 判決は「他覚的所見」を画像所見などに限定する意味に誤解しています。「他覚的所見」は医師が五感の作用により確認できた全ての症状を意味します。患者の協力を得て看取した症状も当然に「他覚的所見」とされます。このことはこれまでにも繰り返し述べてきたとおりです。

   他覚的所見の意味を誤解している判決では、「他覚的所見のないものは14級で、あるものは12級」との誤りと抱き合わせで誤解していることが通常で、この判決もこの誤りを取り込んでいます。

   「他覚的所見」は医師が看取した全ての所見であるため他覚的所見の有無では区別できないので、『青い本』では12級と14級は証明と説明の違いとしています。訴訟では、全ての証拠を総合的に吟味して心証が取れれば「証明あり」と単純に考えれば足りる話です。

画像があるから認めるという証拠の制限は、弁論の全趣旨から自由に認定でることを骨格とする自由心証主義に反します。

 ⅳ また、①から③はバレリュー症状などとして裁判例ではしばしば目にします。判決がめまい、ふらつき、耳鳴りの存在を認めつつ、①から③を否定することは、一貫しません。

上記の⑦から⑩に関して、強い痛みが続くと痛みによる健忘症や集中力の低下は多く見られます。被害者が事故の2か月後という早期にRSDを疑われ、1日2回ものブロック注射を受けてきた事情からは、⑦から⑩が存在することは特に疑うべきことではないと思います。

   さらに、④から⑥については、被害者が長期間訴えてきた症状であり、後遺障害診断書にもその記載があることや、被害者の受けてきた治療内容からは、現実にもその症状が存在していると考える方が穏健であると思います。 

 

 ⅴ 判決はCRPS、胸郭出口症候群、低髄液圧症候群を発症したことを認めなかったことが症状を否定することに直結するとの誤った思考から、症状の一部のみ(頭痛、頚部痛、めまい、ふらつき、耳鳴り、左肩・左肩甲部・左上肢の痛みやしびれ)を認め、それ以外を否定しています(37頁)。

   そのすぐ下の部分で、認めなかった症状についてその存在が疑わしいとして後付けの根拠を述べているのですが、証明責任で結論を決めた後で泥縄式にこの結論に従った事実認定をしているように見えます。この部分も構造的にまずいと思います。

   自由心証で実質的な心証を得られなかったために、証明責任に頼って結論を決めたはずであるのに、その後にその結論をもとに別の事実を認定することは、事実認定の構造としても難があります。

   判決は「~であると認めることはできるか」との形で証明責任を先取りした事実認定(自由心証に証明責任を取り込む誤り)をしており、この誤りのために証明責任を適用した結論を元に自由心証で事実認定を行なう誤りが無意識に生じているように見えます。

2013年8月16日 (金)

症状経過で否定されたCRPS(25.1.22)

1 東京地裁平成25年1月22日判決(自保ジャーナル1895号101頁)

  この事件では左上肢のCRPSが問題となっています。

この事案の特徴は、①判決がCRPSについての初歩的な知見に反することを多々述べていること、②診断を検討するための論理を用いていないこと、③自賠責の3要件基準を診断基準と誤解していること、④病期説を診断基準と誤解していること、⑤因果関係と抱合わせで結果を否定する論理を多用していること、などです。

 

2 症状の経過

 被害者は事故時55歳位の女子飲食店勤務兼家事従事者です。平成17年8月8日に、自転車を運転していて、停止中の自動車の開いた運転席のドアに衝突して転倒する事故に遭います。(*以下では日付は断りのない場合は事故日を基準としたものです) 

 

(B病院)事故当日から2年4ヶ月間通院

 事故当日…B病院。後頭部の痛み、手の痛み、手に力が入りにくいなどの症状を訴える。

 52日後…手に力が入りにくいとの症状を訴える。

 3ヶ月半後…左手の冷感を訴える。

 9ヶ月半後…左腕が挙がらないこと、左手のむくみを訴える。

 それ以後…左手の痛み、脱力感、むくみ、しびれ、触角過敏、左腋下の脱毛、左足の痛み及び運動障害を訴えるも、その訴えは一定しない。

      頭痛、項部痛、目眩、右第4指の運動障害、右手の痛み・しびれ・むくみ・関節痛・運動痛を訴えることもあった。

 1年8ヶ月後…症状固定となる。後遺障害診断書で、頚部痛、両上肢の筋力低下、異常感覚の後遺障害が存するとされる。関節可動域検査で左側の肩・肘・股関節のほとんどの運動が右側より制限されていた。

 2年3ヶ月後…2度目の後遺障害診断書で、RSDの症状が継続しているとされる。

 

 

   *上記のとおり片側の上肢が徐々に拘縮していくという典型的なCRPSの症状経過で、その過程で種々の症状が出ています。

   *このような典型症例でも、加害者側は(特定の時期に)特定の症状が出ていることが必要であると主張をすることが恒例です。しかし、CRPSには必ず生じる症状が1つもないことは医学では定説で、このことは国際疼痛学会やアメリカや日本の判定指標から一目瞭然です。

  *ところが、この判決は加害者側のこの主張を鵜呑みにして、「~の時期に~の症状は認められない」との指摘を多く書いています。

このレベルの裁判例が非常に多いためか、加害者側の提出する医学意見書は、「これはふざけすぎだ」というレベルの初歩的な誤りを多く含むものがよく見られます。初歩的な誤りであっても被害者側がその全部について反論し尽くすことは困難であり、裁判官がどれか1つでも信じてしまえばCRPSではないとの判断に至りやすいからです。 

 

(Cクリニック。B病院の主治医と同じ)2年4ヶ月後から通院

 2年4ヶ月後…Cクリニック。頭痛、頚部痛、右第4指の運動障害を訴え、トリガーポイント注射や消炎鎮痛剤などの処方を受ける。

 2年10ヶ月後…14級9号の後遺障害認定を受ける。

 

 

   *被害者の症状は主として左上肢に生じていますが、右上肢や左下肢にも波及しています。CRPSではこのようなミラーペインと呼ばれる症状の波及がしばしば見られます。

   *両側の上肢にしびれが生じる原因としては、胸郭出口症候群や手根管症候群が考えられますが、この事件では被害者は絞扼神経障害を判別できる検査は受けていないようです。これが認められると、絞扼神経障害に起因するCRPS(タイプⅡ)になります。

   *ところがこの判決は、「加害者側の症状が左上肢以外にも及んでいて一定していないのは、不定愁訴であって、実際にはその症状は存在しない」との方向で理解しています。 

 

(D病院・整形外科)2年11か月後から1か月半ほど通院

 2年11ヶ月後…D病院・整形外科。左手尺側の感覚麻痺、左下肢の感覚麻痺およびしびれ、右下肢外側の麻痺およびしびれ、同内側の感覚麻痺を訴える。

肩・肘・手関節及び股関節の自動・他動可動域は、右側よりも左側が制限されていた。聴取書では、初診時から左手の掌は腫れて固くなっており、皮膚温の変化に伴う発汗も見られたとする。

 

    * この時点で左上肢の拘縮が相当程度進行していたことが確認できます。 

 

 3年後…被害者は転倒して、左橈骨遠位端骨折の傷害を負い、3週間ほど左手関節がギプスで固定される。このときのレントゲンで左手の橈骨から手根骨にかけて、骨萎縮を疑わせる所見(輝度の変化)が確認される。

3年後…左上肢尺側のしびれ、両下腿~足底部のしびれ、感覚障害の後遺障害が存し、RSDと脊髄圧迫所見が合併していると思われる、と診断される。

 

   *橈骨遠位端骨折は、CRPSの原因となりやすい外傷であると多くの医学書で指摘されています。本件では被害者が3年後に左橈骨遠位端骨折をするまでに、CRPSの症状がかなり進行しています。

   *ところが、判決は、この怪我の後に確認された症状を引用して、「この怪我によりCRPSを発症した可能性もある」とのニュアンスを述べています。判決は一方では、「この被害者はCRPSを発症したとは認められない」とのニュアンスを述べています。もちろん、これは矛盾します。

そこで判決は、泥縄式に被害者の症状は「CRPSであるかどうかは別にして、本件事故により発症したCRPSであると認めることはできない」との理屈を述べています。これは抱合わせ否定論というべき論理で加害者側が用いる錯誤論法です。最近はこの理屈を取り込んでしまった裁判例をしばしば見かけます。

 

(Cクリニックで確認された症状)

 3年2ヶ月後…被害者の左手に関節拘縮があるとされる。

 3年3ヶ月後…左手について「剣山で刺されているみたいに痛む」との訴えがある。

 3年半後…「左腕が冷たい水に入っている感じがする」との訴えがある。

 3年7か月後…「どこを触られても痛む。今日は熱い感じがする」との訴えがある。医師が左手に腫れを確認する。

 3年9ヶ月後…左手の骨密度の低下が確認される。

 

(D病院・麻酔科ペインクリニック)3年9か月後から通院  

 3年9ヶ月後…D病院の麻酔科ペインクリニック。左手上腕の外転障害、肘から先の痛み、左下肢の痛みと冷感を訴え、星状神経節ブロック注射などを受け、2日間は指の動きが良くなる。

皮膚温の測定により、左右の差が確認される。関節可動域検査では、左側の上肢・下肢の可動域の制限が確認される。

 3年10ヶ月後…RSDの可能性が高いとの診断を受ける。ギボンズのRSDスコアによる。灼熱痛、浮腫、X線画像の異常、RSDに一致した骨シンチグラフィー所見、交感神経ブロックの有効性の5項目が該当するとした。

 4年1ヶ月後…障害内容の増悪・緩解の見通しについて、以前の診療録からCRPSタイプ1であったと考えられ、リハビリ、神経ブロックにより徐々に回復しつつあるが、今後急激に回復することは考え難いとされる。

 4年5ヶ月後…後遺障害認定に対する異議申立で再び14級9号とされる。

 4年10ヶ月後…異議申立に対して、再び14級9号とされる。

 

    *最終的には、典型的なCRPSの重症化例となっています。しかし、裁判例等で確認できる事案では、典型症例であっても、自賠責ではほぼ全部が3要件を満たさないとされています。統計的に見ても、3要件を満たすCRPS患者は1%未満(高く見積もってもせいぜい1~2%)と推測されます。これは基準に誤りがあるというほかありません。

 

3 CRPS(RSD)に必須の症状がないこと

 ⅰ 本件では最終的な症状がCRPSであることに問題はありません。しかし、判決はCRPS(RSD)とするための要件をひたすら厳しくする理屈を述べてこれを否定します。

   本件では被害者には多くの症状が存在するので、普通に考えれば容易にCRPS(RSD)との診断を肯定できます。そこで、加害者側は必須の症状を多くして、加えて、ある特定の時期に、特定の形でその症状が発症しなければならないとし、判決はこれをそのまま取り入れています。

判決は、①灼熱痛が初発症状として生じる、②浮腫は時間の経過とともに固い腫脹となる、③皮膚変化は初期に発赤となり、皮膚温の上昇を伴い、時間の経過とともに蒼白化し、皮膚温の低下を伴う、などの要件の加重を述べています。

 

ⅱ これはCRPSについての病期説に従うものです。CRPSについては、時期ごとの症状の変遷を経て重症化が進行することを、病期ごとの変遷として、表にまとめた医学書はしばしば見かけます。この病期説による説明は、CRPSの症状の経過のプロトタイプ(典型例)の説明として用いられるものです。

しかし、臨床での大規模調査では、実際にはほぼ全ての患者がその病期説による経過をたどらなかったこともあり、無用であるとする見解が支配的です。これを有用とする考えもありますが、それはCRPSの症状の進行のプロトタイプとして考慮することの有用性を述べるに過ぎません。

いずれにせよ、病期説は診断基準ではありません。そもそもCRPSに必須の症状が1つたりとも存在しないことは世界中の医師が認める定説であり、ましてや特定の時期にそれが生じる必要はありません。

 

4 診断に対する検討の仕方そのものについて

 ⅰ それ以前の問題として判決は診断を検討できる論理を用いていないという初歩的な問題もあります。この点は前回も述べています。

診断とは仮説設定や鑑別診断により、現に存在する症状について多くの候補の中から正しい傷病名を探し出す作業です。これに対して、誤った検討の典型例は、代替案との比較(鑑別診断)をしないことです。加害者側はこの方向に誘導します。

ある疾患について、その症状を列挙して症状の多さや各症状の重症度から、その疾患としての典型性の度合いを検討する。これは誤った検討の典型例です。判決は、この方向に誘導されています。

 

 ⅱ この誤った方法に誘導されてしまうのは、疾患への見方に根本的な問題があるためです。

例えば、ある疾患Pで生じる症状としてA~Gがあるとした場合、症状A~Gは全ての患者に必須ではありません。A~Cが主症状とされていても、それが全ての患者に生じるわけではありません。従って、A~Cのどれか1つが生じていなくとも、疾患Pと診断できます。

   これに対して、「疾患Pではなく疾患Rでその患者をより合理的に説明できる」として疑義を述べることもできます。これが鑑別診断です。

   以上に対して、「疾患PにはA~Gの全部が必須である」との主張が的外れであることは明らかでしょう。加害者側はこの主張を毎回のようにします。この主張では「では、この被害者の病名は何であるのか」は明らかにならないので、臨床でこんな考えをする医師はいません。

 

   話がそれますが、NHKで放送している『ドクターG』という番組では患者の症状が少しずつ説明され、3名の研修医がその時点で考えられる病名を答えます。ある時点での診断(初期仮説)がその後の情報(症状、検査)で変更を余儀なくされます。初期仮説としての診断が否定できるのは具体的な代替候補があるからです。

   このように多くの候補の中から、具体的な傷病名の比較検討を通して正しい病名を選び出す作業が診断の手順です。

   これに対して、1つの傷病名のみを検討して、その要件に当てはまるかという典型性の度合いを検討することは、誤った検討の典型例です。

 

5 抱合わせ否定論について

 ⅰ 事実と因果関係を同時に判断して否定する方法

   判決は、被害者の症状を検討するに際して、その症状の有無を端的に述べていません。通常であれば、被害者の症状を端的に認定して、「これらの症状について考えられる疾患は何か」を具体的な傷病名を挙げて、比較検討します。

   ところが、判決は全く逆の方向から検討しています。判決は、「RSDを原因とする疼痛の有無について」、とのタイトルを項目に付して「RSDを原因として生じた症状として、その症状が存在するか」を検討しています。

   端的に、その症状があるかどうかをまず確定させて、その後にその原因を検討するべきところを、否定の結論に導くための抱き合わせの検討をしています。

   判決は、別のところでは「RSDを原因とする腫脹の有無について」とのタイトルを項目に付して、同様に抱き合わせ否定論を展開しています。この方法は否定の結論を導くための論理トリックであり、正当な検討方法ではありません。加害者側はこの抱合わせ否定論をよく用います。

   判決は、症状が存在するかどうかを確定せずに、「とにかく本件事故により生じた症状ではない」、「とにかくRSDによる症状ではない」、「とにかく局所的な交感神経の反射作用等により生じた症状ではない」との趣旨を幾度も述べています。

 

 ⅱ 本件では最終的な症状として、左上肢下肢の関節可動域制限、左手の浮腫、左手のX線画像の異常、骨シンチグラフィー所見(骨密度の低下)、灼熱痛、交感神経ブロックの有効性、皮膚温の変化などの症状が確認できます。これらの症状を説明できるのはCRPSのみであることは、容易に認められます。

 

   ①そこで加害者側は代替案を出さずに、CRPS(RSD)であるとするための要件をひたすら厳しくする方向に誘導します。この点は上で述べました。

   ②これと並行して、症状の存在そのものを否定するための特殊な理屈を述べます。まず、「症状が一見して明白なほどに重症ではない」として重度の症状以外は無視することを主張します。「CRPSというのは重い難病であるから、単に症状があることのみでは足りず、重度の症状が持続的に出ていなければダメだ」という趣旨の主張をします。もちろん、これは暴論です。

   ③上記によっても症状の存在を否定することが困難な場合には、関連性(因果関係)の同時立証を求める論理を述べて、「その症状が存在するかどうかは別として、とにかくCRPSを原因とする症状ではない」などの主張をします。これが抱合わせ否定論です。

 

 ⅲ 判決は、「RSDを原因とする疼痛の有無」とのタイトルで「RSDの症状として見られる疼痛は、患者が罹患部への接触を拒むほどの著しいものであり、多くは初発症状としてみられ、持続性を有するものである」と述べます。もちろん、これは誤りです。

   また、「RSDを原因とする腫脹の有無について」とのタイトルで「RSDの症状として見られる腫脹は、罹患部位を中心として浮腫を伴って生じ、多くの例では時間の経過とともに固い腫脹となる。」と述べます。これも誤りです。

   また、皮膚変化については、「RSDの症状としてみられる皮膚変化は、初期においては発赤と健側と比較した場合の皮膚温の上昇を伴い、時間の経過とともに蒼白化と健側と比較した場合の皮膚温の低下を伴う。またRSD発症の初期段階では、罹患部位の発汗が過多となる」と述べます。これも誤りです。

 

 ⅳ 上記のような症状経過をたどる患者がごく一部にいるとしても、それが必須の因果経路ではありません。

そもそもCRPSには必須の症状は1つたりともありません。例えば、腫脹(腫れ、むくみ)が生じないCRPS患者もいるため、わずかな腫脹(むくみ)であっても、擬陽性として積極的に考慮します。このことからは、普通に目で見て分かるむくみがあれば、「腫脹」の要件を優に満たすことは容易に理解できるはずです。上記のような特殊な限定が不要であることは、当たり前すぎることです。

同様に、疼痛も灼熱痛に限られません。皮膚温の変化もその変化があることが分かれば、その要件を満たします。皮膚色の変化も目で見て分かるほどのものであれば、優にその要件を満たします。

これはごく初歩的な知識ですが、訴訟ではこれに反する内容の医学意見書が出されることは頻繁に見られます。ところが、その名義人が高名な医師であったり、裁判所選任の鑑定人であったりすると、裁判官が入れ食い状態で信じてしまっているのが、現状です。

 

6 事実認定の空洞化

 ⅰ 代替候補を挙げずに診断を否定すると、その被害者の症状を説明できる代替案が残りません。抱合わせ否定論で「症状の有無は別として、とにかくRSDによる症状ではない」と認定すると、その被害者の症状を説明できる理屈は残りません。

   従って、この検討方法はそれ自体が根本的な問題を含んでいることは明らかです。むしろ、どうしてこの理屈を取り入れてしまったのかということに疑問を感じます。

 

 ⅱ 判決は、被害者の主張する症状が存在することは概ね否定することなく、(特に判断することなく)「本件事故による受傷を契機としてこれらの症状が生じたことを認めることはできないから、いずれの診断基準に依拠したとしても、原告に本件事故を原因としてRSDが発症した事実を認めることはできない」と述べます。つまり、「とにかくこの事故によって生じたものではない。」とだけ認定しています。

 

 ⅲ この認定はそれ自体に問題があります。この点は前回も述べました。

もとより事実認定は「何が起きたのか」を認定するものであり、「~であると認めるに足りる証拠はあるか」との視点で見ることは誤りです(自由心証に証明責任を取り込む誤り)。

   この判決の認定は、自由心証で結論が出ずに証明責任を適用したようにも見えますが、症状の有無や診断の適否は間接事実であるため、そもそも証明責任を適用するべき領域ではありません。判決は、症状の存否、診断の適否などの個々の間接事実の証明力を、主張事実の証明度と同様に扱い、その上で証明責任を適用しているように見えます。

   そもそも証明責任は事実を認定するための道具ではなく、事実が認定できなかったときに結論(法規の適用)を決めるための道具です。「~であると認めるに足りる証拠はあるか」との視点で事実を認定すること自体にも問題があります。

間接事実については、形成された程度において心証を開示する必要があります。その心証を積み重ねて、主要事実についての最終的な心証が形成することができなければ、真偽不明として証明責任に結論を委ねることもできます。しかし、それ以前の段階で証明責任を先行させてしまうと、間接事実のレベルで心証が空洞化してしまいます。その結果、事実認定も空洞化してしまいます。

   この判決は、証明責任を事実認定に取り込む誤りに陥り、それを間接事実にまで拡大し、「とにかく~ではない」との結論を多用するため、「何が起きたのか」は認定されず、事実認定が空洞化しています。この点は、審理不尽と言わざるを得ません。

 

7 メカニズムを因果関係と取り違える誤り

 ⅰ 判決は、因果関係の検討においては、ある特定のメカニズムに従った因果経路であることが確認できなければ、因果関係を認めることはできないとの考えに立脚しています。これは明確な誤りです。

判決は、結果の有無を認定した後に、その結果を生じる可能性のある原因を探求するという方法を排除しています。現実には、因果関係はこの方法で認定されることがほぼ全部であると思います。この方法は、ルンバール事件の最高裁判決でも用いられています。

 

 ⅱ これに対して、原因となる事象から結論に至るメカニズムを設定して、そのメカニズムのとおりに事実が生じたことを認定できなければ因果関係を認められないとすることは、因果関係を検討する際の最も重要なルートを削除することになります。

   ルンバール事件の最高裁判例では、結果を認定したのちに、「その事象以外に原因は考えられるか」との視点で検討しています。他に原因となりうる事象が見当たらなければ、時間的近接性(連続性)などからその事象が原因であると認定することができます。

   本件では、事故からの症状の連続性からは、被害者の症状が事故から生じたことは明らかであり、その詳細なメカニズムが解明されなければ因果関係を認めないとすることは、最高裁判例に反することとなります。

   抱合わせ否定論は、このメカニズムを因果関係と取り違える誤りに誘導して、因果関係を認定する主要ルートを塞ぎ、一方で間接事実に証明責任を適用する誤りにも誘導し、否定の結論を導くためのトリックとなります。

2013年6月11日 (火)

労災9級の右上肢CRPS(24.11.27)

 

1 東京地裁平成24年11月27日判決(自保ジャーナル1891号40頁)

 

  この事件では右上肢のCRPSが問題となっています。

 

この事案の特徴は、①判決がCRPSについての初歩的な知見に反することを多々述べていること、②初期に胸郭出口症候群(TOS)と類似する症状が生じていること、③右手指に著しい巧緻運動障害が生じていること、④サーモグラフィー検査の検討に問題があること、⑤判決が自賠責の3要件基準を診断基準と誤解していること、などです。

 

2 症状の経過

 

 被害者は64歳男子タクシー乗務員で、平成19年1月31日に追突事故に遭います。車両の修理費用は26万円ほどとされていることからは、追突事故としては中程度のものと思われます。 

 

 (*以下では日付は断りのない場合は事故日を基準としたものです) 

 事故当日…勤務先に戻り、病院に行くことなく帰宅する。

*被害者は、ドアを開けて外に出ようとしたときに追突されて意識を失い、意識を回復して嘔吐したと主張しています。このように少し変わった事情に対しては「本当か?その証拠は?」との視点で検討されるため、疑いのバイアスを持たれやすくなります。

 

  被害者側は、「その傷病が発生する可能性のある事故」であることを証明できれば良く、「その傷病を発生するのにちょうど良い事故」であることを証明する必要はないので、事故状況を必要以上に詳しく主張することは得策ではないと思います。

 

 2日後…B病院。後頭部痛、右頚部痛、嘔気あるも四肢のしびれなし、徒手筋力検査では4~5とされる。

 

 

*事故当日に通院しなかったとの事情は仕事中に事故にあった事例や、末梢神経絞扼障害を後に発症する事例で多く見られます。末梢神経絞扼障害(胸郭出口症候群、手根管症候群、梨状筋症候群など)では、事故による組織の脹れや炎症により徐々に神経が圧迫されて、事故後に症状が悪化するという経過が多く見られます。

 

*最初の通院で徒手筋力検査が行われていることから、この時点で右上肢の脱力ないし違和感の症状を訴えていたはずです。

 

*判決はCRPSを否定する根拠として、事故直後の症状が比較的軽微であったこと、一定の筋力が保持されていたことを指摘します。しかし、CRPSの特徴は当初の外傷の結果からは想像できないほどに症状が悪化することであるので、これらは初歩的な誤りです。

 

 5日後…B病院。後頭部痛、右頚部痛の継続と右上下肢の筋力低下を訴える。

 

6日後…B病院。右上下肢の脱力と右上肢のしびれを訴え、以後9日間入院する(頚椎捻挫の病名)。7日後に頚椎MRIで異常なしとされる。

 

 

 

   *事故から1週間から2か月ほどの期間をおいて、上肢にしびれと脱力が生じる経過は胸郭出口症候群(TOS)で多く見られます。被害者が6日後から9日間入院していることからは、この時点で相当の症状が出ていたものと考えられます。    

 

 15日後…B病院(以後4か月通院)。右頚部痛、右上肢痛、右上肢のしびれを訴える。20日後には握力が右18kg、左34kgとなり、以後も右手の握力低下が続く。

*この時点の症状(上肢のしびれ、脱力、握力の低下)はTOSで典型的に見られるものですが、最後までTOSは疑われず、その鑑別診断のための検査も受けていないようです。

 

*判決はCRPSを否定する根拠として、この時点で灼熱痛等の激しい痛みや右上肢の機能障害を訴えた形跡がないこと、関節拘縮や骨萎縮が出ていないことなどを指摘しています。

 

しかし、CRPSには必須の症状は1つたりともありません(定説)。特定の症状が事故直後の時期に生じる必要はなおさらありません。何ゆえここまでひどい誤りを書いているのか不可解です。

 

*判決はCRPSを否定する根拠として、B病院の診断名は頚椎捻挫(頚髄損傷の疑い)であることを指摘しています。

 

しかし、CRPSはその診断が遅れることに特徴があり、実際にも全ての事案で当初は別の病名が診断されています。CRPSの診断が事故の3年後以降になった事例も少なくありません。提訴後の鑑定で初めてCRPS(またはRSD)と判断された事案も何件かあります。CRPSの典型症状が出ていても、診断がなく、その検討もされないまま訴訟が終わっている事案も何件かあります。

 

 

 

 4か月半後…C整形外科(以後9か月ほど通院)。被害者は右肩関節痛、頚部痛を訴え、星状神経節ブロックなどの治療を受ける。右手握力の低下が続く。7か月後ころから箸やペンなどの巧緻運動の障害の記載がカルテに現れる。10か月後頃に痛みによる指関節可動域制限が現れる。

 

C病院は、当初は外傷性頚椎症性神経根症、右肩腱板損傷と診断するも、半年後に反射性交感神経萎縮症(右上肢)、外傷性肩関節周囲炎の診断名を追加し、1年後に複合性局所疼痛症候群(CRPSタイプⅠ)と診断する。

 

   *半年後にRSDとの診断が下されています。裁判例の上では早期に診断された事案に属します。判決はRSDの診断の根拠が不明であるとしますが、持続する疼痛と関節可動域制限で現時点のCRPSの判定指標を満たし、あとは鑑別診断が問題となるのみです。

 

 *判決はCRPSを否定する根拠として、1年後になるまでCRPSとの診断がされていないと述べます。しかし、半年後に診断された「RSD」と1年後に診断された「CRPSタイプⅠ」は同じ意味です。いくらなんでもさすがにこの間違いはひどすぎます。また、「診断が遅れたのでCRPSではない」という理屈にも無理があります。

 

*この判決は理解し難い非常に不可解な誤りが多く見られます。そのほぼ全部がほかの事件で加害者側の主張として見たことがあるものです。ここまで特殊なことを独自で多数考え出したとも思えないので、これらは加害者側の主張や医学意見書によるものでしょう。

 

加害者側が提出する医学意見書は、全ての事件で被害者の主張を否定する結論にするためか、「さすがにこれはふざけすぎだ」というレベルのものが多く見られ、本件のような典型症例になると「ダメでもともと」といった感じのやっつけ仕事のひどいものが出てきます。そのレベルのものでも華々しい経歴の高名な医師の名義がついていると信用してしまう裁判官は少なくないようです。

 

裁判所はこの種の訴訟で明らかに舐められています。仮にこの判決の記載が医学意見書を元にしているとすれば、その執筆者はこの判決の入れ食い状態には笑いが止まらないでしょう。

 

 

 

 5か月後…D病院(以後1年8か月ほど通院)。頭痛、めまい、右上肢のしびれなどを訴える。

 

 1年後…被害者が原付に乗っていて猫をよけて転倒して、頭、額、膝を打撲してレントゲンを撮ったことがD病院のカルテに記載される。

 

   *この記述からは被害者はこの時点では原付を運転できる状態にあったようです。被害者は足で蹴っていただけと主張したようですが、この点は信じ難いです。この時点では右手は巧緻運動障害が出ていたものの、原付のハンドルを握ることやアクセルを回すことができる状態にあったようです。

 

     この時点での被害者の主張する症状と矛盾しませんが、怪我人や障害者が活発に動くことに対して良くない評価をする人もいます。

 

 

 1年1か月後…C整形外科が平成20年2月29日を症状固定日として、後遺障害診断書を作成する。傷病名は「頚椎捻挫、外傷性頚椎神経根症、右肩腱板炎、複合性局所疼痛症候群(CRPS)」とされ、自覚症状は「右上肢脱力、頭痛、頚部・右肩・肩甲背部痛、右上肢しびれ・疼痛、巧緻運動障害」とされ、他覚所見等は徒手筋力が4~5とされ、握力が右28kg・左36kg、右上肢部分にしびれ・疼痛、手指完全屈曲困難があり、右肩部分に疼痛があるなどとされる。

 

労災では9級と認定されますが、自賠責では後遺障害に該当しないとされ、異議申立後に14級とされます。

 

 

  *この時点では右上肢の疼痛・しびれは続いていたものの、右手の握力はかなり回復しています。右上肢の筋力もある程度保持しています。肩・肘・手関節の可動域制限の有無は不明です。痛みのため検査ができない人も少なくないので、検査数値が書かれていないときでも可動域制限がないと決め付けることはできません。

 

   *判決はCRPSを否定する根拠として、右手握力の変動が大きすぎると指摘しています。この種の指摘は加害者側の医学意見書には頻出です。しかし、症状が一進一退を繰り返したことから、症状そのものが全てなかったことにはなるわけがありません。計測値の変動が大きいことは、症状が一進一退を繰り返したことや、日によって症状の変動があって症状が固定していなかったことを意味します。これに対して、詐病であれば握力の計測値に大きな変動を生じさせないように偽装できます。

 

   *握力に限りませんが、計測値のぶれ(ゆらぎ)の大きさを指摘して、「これは私の経験ではありえない。非常に不可解な出来事だ。ここまで変動することはあり得ない。医学的に説明することは極めて困難である。真に症状が存在するならば絶対にあり得ないことだ!」などと強く主張をするのが加害者側の医学意見書の常套手段ですが、これを信じてしまった判決も少なからず見られます。これでは裁判所が舐められてしまうのもやむを得ないのかもしれません。

 

   *巧緻運動障害は7か月後までには生じています。本件では巧緻運動障害の原因として、CRPSと外傷性頚椎神経根症が考えられます。判決からは、頚椎神経根症と診断された根拠は不明です。仮に骨棘による神経根圧迫などの状況が確認されていないのであれば、巧緻運動障害や左上肢の疼痛、しびれの原因として診断された可能性があります。

 

 

 2年2か月後…E病院(以後判決時まで通院)。被害者は、巧緻性が低下し、肩関節が硬直していると訴える。外傷性頚椎症性神経根症、CRPSと診断を受ける。右上肢知覚異常、筋力低下のために日常生活動作にも支障を来たしており、右上肢には労働能力がないとされる。

 

 

   *症状固定後に症状がかなり悪化し、肩関節の硬直も進行しています。その可動域が記載されていないのは、痛みのため検査ができないとの事情があるようです。

 

*CRPSには症状の悪化が停止したと判断できる医学的な根拠はないので、症状固定の診断(認定)は症状がこれ以上悪化しないことを意味しません。実際にもCRPS(RSD)の裁判例では症状固定後に症状の悪化が生じた(と被害者が主張している)事案がかなりの割合で含まれています。

 

   *労災では、RSD(CRPS)に関しては症状固定後も国費で治療を継続できるアフターケア制度があります。症状固定後も通院で症状の悪化を抑制し続けないと、上肢の硬直などが進行するからです。このように症状固定後に症状の悪化が進行することは国の制度の上でも前提とされています。

 

 

 

 2年5か月後…B病院。身体障害者認定のための診断書が書かれる。外傷性頚椎症性神経根症、CRPS(RSD)を原因とする右上肢の高度の機能障害(右肩、肘、手関節、手指の高度の機能障害)があるため、右上肢での日常生活動作は不可能であるとされる。その約2週間後に3級と認定される(上肢機能障害・右上肢機能の著しい障害)。

 

 

   *右上肢全体に高度の機能障害があるとされていることから、可動域制限も右上肢全体に及んでいると考えられます。典型的な上肢のCRPS(RSD)の状態に至っています。

 

   *判決には上記の各時点の肩、肘、手関節の可動域が書かれていません。被害者の主張には「右上肢の上げ下ろしを満足にすることができず」とあるので、可動域の制限自体はないようにも見えます。しかし、これは「右上肢の高度の機能障害」という認定には合いません。

 

     おそらくこの被害者は痛みのために可動域検査ができない状況が続いていて、特に症状固定後の悪化で肩・肘・手関節に強い可動域制限が生じていたのではないかと思います。被害者の主張する「右上肢の上げ下ろしを満足にすることができず」というのは症状固定時の状況であって、その後の悪化には対応していないように見えます。

 

 

 5年半後…B病院でサーモグラフィー検査を受ける。測定点28対(56か所)のうち、患側(右側)の皮膚温が低かった測定点が21対で、うち2対が1.3度差で、残り19対が0.9度以下の差とされる。

 

 

   *この結果は、患側に皮膚温低下が存在することを明確に示していますが、判決は有意な差とは言えないとします。

 

*皮膚温に限らず程度を問題とする場面では、加害者側は、「一見して明らかな差がある場合に限定するべきだ。そうでないと区別があいまいになる。」と主張します。もちろん、これは暴論です。普通に見て差異があることが分かれば差異ありで、それが微妙であれば擬陽性となります。本件の場合は当然に「差がある」(陽性)となります。

 

 

3 胸郭出口症候群(TOS)について

 

ⅰ 本件で最初に気になったのは、当初の症状が胸郭出口症候群(TOS)の典型症状であることです。TOSはむち打ち損傷により発症する症例が多いことが知られています。しかし、交通事故によりTOSを発症しても、裁判例の上では1年以上経過してからその診断を受けたものが過半数で、TOSには診断が遅れる傾向がはっきり出ています。この事案でもTOSの診断がないことからTOSの発症を否定することはできません。

 

 

ⅱ 上肢のCRPS(RSD)に関する裁判例ではTOSが悪化してCRPSを発症したとみられる事案が多くみられます。仮にTOSが基盤となってCRPSを発症したとしても、CRPSを発症してからTOSの診断のための検査をすることはほとんどないので、CRPSを発症させた原因となる傷病は分かりにくくなります。

 

 

 ⅲ 本件は、事故後に遅れて症状が出ることが多いというTOSの特徴に合致し、上肢の痛み・しびれ・脱力や握力の低下はTOSの典型症例です。また、TOSによる神経損傷を想定すると、これを基にしたCRPSの発症も理解しやすくなります。従って、この事案は「TOSが基盤となって上肢のCRPSを発症したと思われる事案」と言えますが、それ以上の解析はできません。

 

ただし、CRPSを発症させたメカニズムを解明しなければ、最終的な症状がCRPSと言えないわけではありません。本件では最終的な症状が上肢のCRPSであることは明らかです。

 

 

 ⅳ 仮にTOSが基盤にあるとすると、CRPSタイプⅠ(RSD、神経損傷ないもの)ではなくタイプⅡ(カウザルギー、神経損傷のあるもの)になります。これにより自賠責ではRSDではなくカウザルギーの主張ができ、自賠責の3要件基準の対象外となります。

 

   また、TOSの検査として血管造影、神経造影、電気生理学検査を受けて所見が得られた場合には、その所見により自賠責の認定が取りやすくなります。

 

 

4 CRPSについて

 

  本件では最終的な症状がCRPSであることに問題はありません。判決はCRPSを否定していますが、誤りです。判決は自賠責の3要件をRSDの診断基準と勘違いしていますが、3要件基準は自賠責においてもRSDであるかどうかを認定する基準ではありません。そもそもCRPSには必須の症状は1つもありません(定説)。この点は何回も述べてきたのでこれ以上は書きません。

 

普通に考えれば、本件のようにCRPS(RSD)との診断が繰り返された事案の全ては実際にもCRPSであると考えられます。しかし、訴訟では全ての事件で加害者側はその診断を否定し、ほとんどの場合にそれを裏付ける医学意見書を出してきます。この前提状況が分かっていれば、本件のような典型症例で労災の認定(9級)も出ている事案でCRPSを否定する結論になることはあり得ないと思います。

 

  これは思考のスキームの問題です。例えば、20年前であれば突然の電話で「おじいちゃん(泣)…事故にあって人に大怪我させちゃった(泣)…今すぐ示談のためにお金を(大泣)…」という電話を孫から受ければ、それを信用する祖父が大半であったと思いますが、今では高齢者でも信じる人は少ないでしょう。思考のスキームの中に、これが「振込め詐欺」の典型例として組み込まれているからです。

 

 

5 診断に対する検討の仕方そのものについて

 

 ⅰ 判決はCRPSを否定する根拠として色々と述べているのですが、そのどれもが初歩的な誤りであることは、上に述べたとおりです。それ以前の問題として最も気になったのは、診断を検討するための理屈になっていないことです。

 

仮にCRPSを否定することが正しいとした場合に「では一体、この症状をどんな傷病名で説明するのか?」(鑑別診断)という問題です。本件では典型的な上肢のCRPSの症状が生じています。ほかの候補は見当たりません。

 

 

 ⅱ 診断とは仮説設定や鑑別診断により、現に存在する症状について多くの候補から正しい傷病名を探し出す作業です。ある診断が誤りであるとしたことにより、現に存在する症状が消えるわけではありません。本件ではCRPSとの診断を否定する場合には、被害者の症状をより合理的に説明できる代替案を挙げる(鑑別診断を行う)必要があります。

 

   しかし、訴訟では加害者側はその傷病とされるためのハードルをひたすら高くするだけで代替案となる傷病名を出さないことが普通です。この方法は出発点に誤りがあるので、検討する価値のない反論です。

 

   この判決も、CRPSと診断するためのハードルを高くする論理のみを述べていますが、「では現に存在する症状をどう説明するのか。この患者の正しい傷病名は何か。」という肝心の部分を置き去りにしています。これは法律的にも誤りで、審理不尽と言わざるを得ません。

 

 

 ⅲ ところが、裁判所は「被害者が主張するのはCRPS(RSD)という傷病名のみである。だからCRPSかどうかのみを検討すればよい。その先は関知しない。」という誤った考え方に誘導されると、その方向に向かいやすいようです。この種の思考は法曹特有のバイアスのようです。

 

 もとより証明責任を事実認定に取り込むことには問題があります。証明責任は真偽不明になったときに結論(法規の適用)を決めるものなのに、それ以前の段階で証明責任を用いて事実を認定するというのは誤りであると思います。

 

 

 ⅳ また被害者が主張する傷病名は要証事実(主要事実)であるのか、という問題もあります。被害者はあくまでも現に存在する具体的な症状や後遺障害を主張しているのであって、その根拠の1つとして傷病名を持ち出しているに過ぎません。ほかの傷病名で後遺障害が裏付けられるのであれば、それでも構いません。傷病名が不明でも検査結果や日常生活の状況などから後遺障害を認定してもらっても構いません。この考えのもとでは傷病名は間接事実であって、証明責任が生じる対象ではありません。

 

 

 ⅴ 損害賠償請求訴訟では「損害に関する被害者の主張には証明責任が課せられる」という素朴な発想のまま、被害者の主張について必要以上に広く証明責任を課す方向に流れやすい面があります。

 

   しかし、例えば被害者側が、加害者の車は時速60キロであったと主張し、加害者側が時速10キロであったと主張した事案において、裁判所が時速30キロであったと認定することもできます。この場合の速度は主要事実ではありません。

 

仮に主要事実とすると、「時速60キロとの主張が認められない場合に不適用となる法規」があるはずですが、それはありません。時速30キロでも同じ損害(主要事実)が生じることがありえます。また、時速30キロでもわき見などの注意義務違反(主要事実)がありえます。この場合の速度は間接事実であって、過失や損害などの主要事実を基礎付ける背景事情と言えます。

 

問題は損害賠償請求訴訟で被害者が主張している内容のうち、どこまでが主要事実であるのか、ということですが、それは注意義務違反や損害に直結する事柄として、ケースバイケースで考えるほかないと思います。

 

 

 ⅵ 本件で被害者が主張するCRPSとの傷病名については、被害者が主張する具体的症状や後遺障害(事実的損害)を合理化する事情ではあっても、弁論主義の対象となる主要事実ではありません。

 

ほかの傷病名で同じ事実的損害が説明できる場合もあり、検査結果などから事実的損害を説明できる場合もあるので、傷病名にまで主要事実を広げる必要はありません。主要事実を広げすぎると、判断が硬直化するという問題が生じます。

 

   従って、加害者側が「とにかくその傷病ではない。その先は知らない。」として診断された傷病名を否定する主張をしても、その主張は医学的にも法的にも、被害者が受けた診断を否定できる構造を有しません。傷病名を否定するためには、加害者側は「本当は、疾患Sである」などの代替候補を主張する(鑑別診断の手順を踏む)必要があります。

 

   要証事実を広くして間接事実についてまで「~であると認めるに足りる証拠はない」との趣旨を述べている判決をしばしば見かけますが、間接事実については「~であろう」などの推論結果を示して、その推論を総合して主要事実の心証につなげるべきです。

 

 

 抱き合わせ否定論について

 

 ⅰ 判決で気になったのは、判決は最終的な症状として、被害者がCRPSを発症しているのかどうかについて若干あいまいな認定をしていることです。

 

   本件では、被害者側は、①被害者が主張する後遺障害が存在すること、②それが事故により引き起こされたこと、の2点を主張しています。判決は、①を否定する趣旨を述べていますが、同時に「仮に後遺障害が存在する(CRPSを発症した)としても本件事故との因果関係はない」というニュアンスも述べています。

 

つまり、①と②を別個に検討せずに、抱き合わせで否定する論法を用いています。この抱き合わせ否定論は、加害者側が頻出で用いる特殊の論法です。これは否定するためにのみ効果を発揮する錯誤論法ですが、しばしばこの論法を取り入れてしまった判決を目にします。

 

 

 ⅱ 判決は、CRPSとの診断が繰り返され、労災の認定も出ていることから①についてあいまいな部分を残したまま、仮にCRPSを発症していたとしても、事故は比較的軽微である、事故直後の症状は軽度である、事故後すぐにCRPSと診断されなかった等の多数の理由を述べて、被害者が本件事故によりCRPSを受傷したと直ちに認めることはできないとの論理を述べています。

 

   しかし、「確実に①であるとは認められない」では実質的な認定は何もなされません。これに付け加えて「仮に①であるとしても、②(=事故との因果関係」を満たす①ではない。」としても、実質的な認定はなされないままです。この点は以前に述べましたが、非常にまずいと思います。

 

 ⅲ ルンバール事件の最高裁判決では、「ほかに原因は考えられない」との論理で因果関係を肯定しています。メカニズムを解明して正面から因果関係を肯定することができない場合でも、「ほかに原因は考えられない」という理由で因果関係を肯定できます。これは論理としてごく当たり前のこと(背理法)を述べたに過ぎません。

 

   この「ほかに原因は考えられない」という論理の応用形として、概括的認定を認めた最高裁判例も少なからずあります。概括的認定とは、「原因はAかBに絞られる(ほかに原因は考えられない)。AまたはBが結果を生じたメカニズムは不明である。AかBのいずれでも加害者の過失が認められる。ゆえにA、Bのいずれであるかを確定せずに過失と結果との因果関係を認める。」という論理です。

 

ルンバール事件判決は「原因としてAが疑われる。Aであるとするメカニズムは不明である。しかし、Aのほかに原因は考えられない。ゆえに原因はAである。」という論理です。これは「AまたはA以外のいずれかである(排中律)。A以外のものが考えられない。ゆえにAである。」という単純な論理です。

 

   最高裁判例は、「因果関係を認定するためにはメカニズムを解明しなければならない。」とするドグマを否定しています。従って、原因の側から論理法則による因果の糸を結果に届かせることは必須ではありません。

 

 

 ⅳ 本件では、最終段階の症状からは容易に①(被害者の主張する症状の存在)を認めることができます。事故以外に原因が考えられなければ、因果関係は認められます。事故後に症状が悪化し続けた経過は明らかですので、②の因果関係も当然に認められます。

 

   これに対して、判決は事故が軽微である、事故直後の症状が重症ではない、早期にCRPSと診断されなかった、などと事故の側からしっかりとした因果の糸が伸びていなければならないという形でメカニズム論を取り込んでいます。その結果、「CRPSを生じるような事故であったか」という立証不可能な命題を取り込んでいます。メカニズム論に陥ると、原因の側から論理法則的に因果の糸が伸ばせなければダメであるという発想に陥りがちです。

 

 

7 証明度について

 

 ⅰ 「自由心証が尽きたところで証明責任の機能が始まる」(定説)ことから、私は、「証明責任は真偽不明となった後に結論(法規の適用)を決めるための道具であって、事実を認定する道具ではない」と考えています。これは原理主義であって誤りでしょうか。

 

   私の考えからは、この判決の背後にある考え方は理解し難いのですが、これまで検討してきた判決のなかには、「~であると認めるに足りるだけの証拠はあるか」という視点で、証明責任を有する側に自由心証のレベルで高いハードルを課し、その結果、実質的な心証を形成せずに、否定の事実を認定する判決がいくつかありました。

 

   この論理では自由心証のレベルで証明責任が機能を開始していることになり、しかも、自由心証で証明責任による「認定のためのハードル」を課し、その結果として真偽不明となると再度証明責任を適用するという二重の不利益が生じます。

 

 

 

 ⅱ しかし、上記の考えを採用しているように見える判決が少なくないように見えます。これは証明度を考慮した結果でしょうか。

 

証明度を考慮して、「要証事実が高度の蓋然性をもって成り立つこと」を、証明責任を負担する側においてを証明できなければ、その事実は認定できないとして、「~であると認めるに足りるだけの証拠はあるか」を検討するという理屈です。

 

   つまり、要証事実について証明度として「高度の蓋然性」が必要であるとすることは、自由心証において裁判官が得るべき確信の度合いを規定し、自由心証においても証明度を満たしているかどうかという視点で(証明責任を取り込んで)判断できるという論理です。

 

 

 ⅲ この考えに対しては、証明度は自由心証で得た結果としての心証の度合いであり、あらかじめ証明責任を負担する側に厳しい目で判断をするべきであることを意味するものではないと反論できます。

 

   むしろ、裁判官は自由心証ではニュートラルな立場で心証を獲得するべく努めるべきであり、そのために口頭弁論、争点整理、釈明、証拠調べなどの手続が存在すると言えます。

 

   また、「高度の蓋然性」と言っても、一方の主張のみを取り出してそれ自体として確実かどうかを検討するのではなく、相手方の主張との兼ね合いから「こっちの方が正しい」との心証でも構いません。

 

   例えば「原告の主張が正しいと思われるが、確実な根拠はない」という場合であっても、「仮に被告の主張のとおりとすると、~の不都合が生じるから、被告の主張は認められない」という事情から心証を取ることもできます。「高度の蓋然性」を述べたルンバール事件判決でも、「ほかの原因が考えられない」という形で結論を導いています。

 

   また、「原告の主張それ自体では確信が得られない」という場合であっても、「被告の主張との比較では、原告の方が信用できることは間違いない」という場合もあります。この場合も最終的な心証としての「高度の蓋然性」を満たしていると思います。この判断方法を用いるかどうかで結論が異なる事案は少なくないと思います。

 

 

ⅳ 以上から、仮に「~であると認めるに足りる証拠はあるか」という形で検討するとしても、一方の主張のみを検討するのではなく、対案との兼ね合いも考慮して心証を獲得し、最終的な心証として、要証事実の存在(不存在)について「高度の蓋然性」があるとの認識に至っているかを検討する必要があります。

 

   例えば、CRPSの事件で、被害者がCRPSの判定指標5個のうち1個しか満たさない事例であっても、臨床では「ほかの疾患が考えられない」という理由から医師が確信を持ってCRPSとの診断を下す場合もあり得ます。臨床の統計では、CRPS患者の約2割は5個の判定指標のうち1個しか満たしません。

 

   この場合には、訴訟において「CRPSではない」と主張する側は相応の根拠のある反対仮説を挙げる(鑑別診断を行う)必要があります。例えば、加害者が反論として「CRPSではなく線維筋痛症である」と主張した場合には、線維筋痛症の症状との整合性と、CRPSの症状との整合性で優劣を判断して、心証を得ることになります。

 

   以上に対して、判定指標のうち1個しか満たさないことにより、「直ちにCRPSであるとは認められない」として早々に結論を決める論理が間違っていることは明らかでしょう。心証度は全ての検討を終えた時点で獲得した心証についての問題です。なお、上記のCRPSの例は、それ以前の問題として、それが要証事実に関するものかという問題があります。

 

 

 ⅴ このように考えていくと、「~であると認めるに足りる証拠はあるか」という視点での検討は、言葉の意味それ自体から、部分的な検討のみで結論を出してしまう誤りに流れやすいように思います。

 

私は判決文にこのような表現を用いることは避けたほうが良いと考えています。特に間接事実に用いることは誤りであり、主要事実についても心証が獲得できたならば端的に「~と認められる」という形で肯定否定を述べるべきであると思います。

 

「何が起きたのか」について心証が獲得できなかった場合でも、心証が得られた限度において「~であろうと思われる」という形で書いて、その上で証明責任により決めたことが分かるように書いた方が良いと思います。その場合には、「~との心証は得られたものの、それ以上の心証を得ることができなかった。」との表現を用いるべきであり、「~であると認めるに足りる証拠はない」などの表現は論理的にも法的にも適切ではないと思います。この表現では「何が起きたのか」についての心証形成の作業をせずに、直接「~であると認めるに足りる証拠はあるか」を検討したように見えます。

 

   なお、私は民事事件では心証度として「高度の蓋然性」(80%超の心証ともされる)を求めることは適切ではなく「優越的蓋然性」(50%超原則)で良いと考えています。その方が事実に即した認定が増えるからです。裁判所は端的に正しいと考えた事実を認定して判決を書くべきであると考えています。

 

証明度については、「民事訴訟における証明度論再考」(田村陽子、立命館法学327、328号)が双方の主張を詳しく検討していて参考になります。

 

 

 ⅵ なお、「現実には、裁判官は、主観的確信がない限り、証明があったと判断することはないであろう」(『民事訴訟における事実認定』12頁)という観点からは、高度の蓋然性でも優越的蓋然性でもいずれでも結論はほとんど同じになるようにも思えます。

 

どちらの主張が正しいのかを検討した結果、「こっちの方が正しい」という結論を出した場合には、たいていの場合は高度の蓋然性の基準を満たすほどの主観的確信を得ていると思います。対案の提起する問題点を克服できていない状態では「こっちの方が正しい」という心証とはならず、どちらが正しいのか分からないという心証になると思います。主観的な「正しさ」の判断は対案よりも十分に優越しているとの内実を含みます。

 

   ところが、「高度の蓋然性」という縛りを満たすために、「確実な証拠の有無を判決文に書かなければならない」というバイアスが導入されると、柔軟な判断ができなくなり、「~であるとする確実な証拠はあるか」を検討してしまう誤りに向かいやすくなると思います。

 

   本来であれば、裁判官は全ての事件についてきちんと心証を取って判決を下すべきであり、証明責任に結論を丸投げするのは100件に1件以下であるべきです。その前提の上で、全ての事件について「優越的蓋然性」を超えた「高度の蓋然性」の心証を得られるように審理を充実させるべく、訴訟制度を整備してきたというのが、理想論から見た民事訴訟制度の発展史でしょう。

 

   しかし、現実には「高度の蓋然性」という縛りのためか、「~であるとする確実な証拠はあるか」というピンポイントの部分のみを簡単に検討して、事件全体に対する実質的心証(何が起きたのかという心証)を取らずに証明責任に結論を丸投げしているように見える判決が増えている感じもします。これは「確実な証拠もなく提訴した方が悪い」との訴訟観とも言えそうです。

 

   全ての検討を終えた時点での証明度を問題にすると、優越的蓋然性が認められるけれども高度の蓋然性が認められないために、正しいと考える結論を認定できない「心証のグレーゾーン」というべき隙間が生じます。

 

これに対して、最初から「~であるとする確実な証拠はあるか」という視点で検討を始めれば、心証のグレーゾーンは生じません。このため証明責任を自由心証に取り込んで心証のグレーゾーンを消してしまおうとの流れが生じている感じもします。このような弊害が出るのであれば「高度の蓋然性」という目標を取り下げたほうが良いと思います。

 

伊藤眞教授は、証明度に関する4つの神話の第1として証明度を上げれば上げるほど事実認定は真実に近づくというのは神話であると主張しています(判タ1086号14頁、判タ1098号10頁)。私もそう思います。

 

 

 

 ⅶ 以上の前提として、証明度の指標としての「高度の蓋然性」という概念と「優越的蓋然性」という概念は同じ土俵にある概念であるのか、という問題もありそうです。

 

   即ち、「~であるとする確実な証拠はあるか」という形で検討する場合には、証明度としての高度の蓋然性は証拠の有する客観的な証明力の度合いについての評価であるようにも見えます。これに対して優越的蓋然性は、裁判官が「どちらの言い分を正しいと考えるか」という主観的な面が強調されます。

 

   証明度は、要証事実の存否についての最終判断としての心証の度合いのはずなので、そこから主観面を取り除いて証拠による証明の度合いとすることは不自然です。ところが、実際には「これはちょっと証拠が弱いなあ」という感覚を持つことはあります。この場合には「誰だってこの証拠では弱いと受け止めるはずだ」という間主観的な形で証拠それ自体の証明力が客観化されています。

 

しかし、それはやはり個々の証拠の証明力(証拠価値)の問題であって、個々の証拠からの推論を総合して判断した結果としての証明度は評価する人の主観にあると思います。従って、証明度は結局のところは評価する人の主観的な判断であると思います。

 

むしろ、この証明度を客観化する方向に向うと、対案との検討をしないまま個々の証拠の証明力を最終判断としての証明度と誤解してしまう誤りに向かいやすいと思います。個々の証拠の証明力は、多くの場合間接事実に関するものであるため、間接事実についても証明責任に判断を委ねるという二重に誤りにも陥りやすくなると思います。この二重の誤りに陥ると、動かしがたい事実を軸にした推論の積み重ねにより心証を形成し、それが「高度の蓋然性」に達しているかを検討するという手順を踏まずに、間接事実についても「~であるとする確実な証拠はあるか」を検討してしまい、「何が起きたのか」という検討をしなくなります。

2012年7月21日 (土)

倉庫内の事故で発症した左半身RSD(23.11.30)

倉庫内の事故で発症した左半身RSD(23.11.30)

 

1 福岡高裁宮崎支部平成23年11月30日判決、鹿児島地裁平成23年5月8日判決(自保ジャーナル1864号108頁)  

  この事案の特徴は、①倉庫内作業中にフォークリフトが作業員(歩行者)に衝突した事故であること、②被害者が安全配慮義務違反による損害賠償請求をしたこと、③判決が3要件基準を正面から検討して誤用したことなどです。

 

2 症状の経過

ⅰ 被害者は事故時33歳位(症状固定時34歳)で8年間勤めていた会社を退職して訴訟の相手方となる会社に雇用され、約8か月後の平成17年7月28日に後退してきたフォークリフトと衝突する事故に遭います。地裁判決は安全配慮義務違反を否定して会社には責任はないとしたため被害者の症状の経過には触れていません。安全配慮義務違反を認めた高裁判決では被害者の症状の経過が述べられています。以下で「判決」とのみあるときは高裁判決を意味します。

 

 事故当日…E病院。当直医による湿布などの治療のみを受ける。

  翌日以降…Cクリニック。左肩打撲傷、腰椎部挫傷、左股関節部打撲傷、左下腿打撲傷で加療1か月との診断で以後7か月ほど通院して、電気治療等を受ける(実通院164日)。

  40日後…B病院。12日間に4回通院した。

  7か月後…平成18年3月2日にいったん症状固定となる。

       左半身(上半身・下半身)に痛み、しびれの自覚症状あり、握力は右35kg、左10kg。項頚部痛、背部痛、左上下肢のしびれ・放散痛、頚部運動制限の症状は初診時より悪化している。左頚部及び腰部の筋力低下、知覚鈍麻、腱反射の低下がある。MRIでは異常はなく、筋萎縮はない。

  9か月後…18年5月2日にJ病院に通院し、反射性交感神経性ジストロフィー(RSD)の疑いがあるとされる。

以後J病院の紹介でF大学麻酔科、G大学病院麻酔科、H病院ペインクリニックを受診し、少なくとも平成22年1月頃まで3年8か月以上通院治療を受けた。被害者はこの間に左半身の疼痛、左上肢の浮腫(脹れ)、発汗異常、皮膚の変色などの症状が確認される。

 

ⅱ RSDが見落とされがちであること

被害者は事故9か月後に初めてRSDの疑いを持たれています。裁判例では1年以上経過してRSDとの診断を受けた事案も多く見られ、提訴後の鑑定で初めてRSDと判断された事案もあり、RSDと思われる症状(上肢の拘縮など)が出ていてもRSDに言及していない事案も少なからずあり、RSDには見落とされ易い傾向がはっきりと出ています。現在の判定指標では優に診断できる症状が出ていても「RSD疑い」との診断を受けることも裁判例の上ではしばしば見られます。

 本件でも事故の9か月後に突如としてRSDを発症したのではなく、それ以前から症状は出ていたと考えられますが、各治療時点での症状の詳細は判決からは不明です。RSDを見落とした病院においてはRSDの症状をも見落としている(軽視している)ことが多く、RSDを最初に診断した病院に至って突如としてRSDに特徴的な症状がいくつか確認されていることもよく見られます。従って、本件でも浮腫、発汗異常、皮膚の変色などは事故後の比較的早い時期から生じていたと思います。

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  被害者は、事故9か月後に「RSDの疑い」があるとされ、その後3年

8か月以上も通院を続けています。判決ではこの間に被害者がRSDとの診断を受けたかどうかに言及していません。この点は事案のまとめが不十分であると思います。

「RSDの疑い」との診断を経たのちに3年8か月も診断が留保されたとは思えないこと、浮腫、発汗異常、皮膚の変色、持続的な痛みなどにより優にCRPSと判断できることから、本件ではRSD(CRPS)との診断を受けている可能性が高いと思います。いずれにしろ本件ではCRPSを発症したことは問題なく認めてよいと思います。

 

3 請求する相手とその法的構成

 ⅰ 被害者は会社のみを相手に安全配慮義務違反を根拠とした請求をしています。勤務先が被用者の生命・健康等を危険から保護するように配慮する義務(安全配慮義務)を怠り、雇用契約という契約上の義務に違反したことによる債務不履行(民法415条)に基づく請求です。

 

 ⅱ 交通事故の場合、通常は加害者に不法行為(民法709条)による請求をします。加害者の勤務先には使用者責任(民法715条1項)による請求をします。本件の事故もフォークリフトという車両との交通事故ですので、この構成により請求することも可能です。

   しかし、不法行為による請求は3年で時効にかかります(民法724条)。本件では事故が平成17年7月で、訴訟の提起は平成22年です。最高裁平成16年12月24日判決(判例時報1887号52頁、私法判例リマークス32号64頁)は、「おそくとも症状固定日」が時効の起算日になると述べています。

この判決については、「両下肢RSDの否定」でも言及しています。

http://s-hat.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-3e9f.html

 

本件では症状固定日は平成18年3月2日です。この事件では訴訟でRSDではない(または因果関係を否定)された場合には、提訴した平成22年には3年以上経過しているため、不法行為による請求は時効にかかります。

 

 ⅲ 以上に対して安全配慮義務違反による請求は10年で時効となる(民法167条1項)ので本件では時効にはかかりません。被害者側が安全配慮義務違反による請求としたのはこの理由でしょう。

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これに対しては、①安全配慮義務違反による会社に対する請求、②不法行為による運転手に対する請求、③不法行為による会社に対する請求を並立させて3本立ての請求にすることも考えられます。

これは不法行為による請求はRSDが認められる場合には時効にかからないと思われること、不法行為による請求は運転手に過失があれば良い(しかも自賠法3条が適用される)のに対して安全配慮義務違反による請求は会社に安全配慮義務違反があることを立証しなければならないこと、仮に不法行為による請求が時効で通らなくとも安全配慮義務違反による請求が残っていることなどを根拠とします。

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   一方で、不法行為による請求が時効でダメになったときには安全配慮義務違反による請求も否定されやすくなるとの考えや、倉庫内での作業中の事故であり車両がフォークリフトであるという事件の特徴からは会社に対する安全配慮義務違反を主張するのが筋であるとの考えもありそうです。本件では再度の症状固定の診断がなされていない場合に、その日をいつにするのかという問題もあります。

私は主治医に再度の症状固定の診断をしてもらい、その日を正しい症状固定日として3本立ての構成で主張する方法が良いと思いますが、主治医の協力が得られないときなどに問題が生じます。

 

4 安全配慮義務違反の具体的な判断について

 ⅰ この事件では地裁は安全配慮義務違反がないと判断し、高裁は安全配慮義務違反があると判断しました。地裁も高裁も、作業車両が事故を起こさないように安全計画書が作成されていたこと、月に1度安全衛生会議が開かれていたこと、フォークリフトと歩行者をできるだけ区分するために歩行者専用通路が設置されていたことを認定しています。

   その上で地裁はフォークリフトを動かすときにいちいち誘導員(安全監視員)を配置する義務まではないとし、高裁は専業の誘導員は必要ないがフォークリフトがバックするときには誘導者を配置する義務があったとします。

高裁はこの作業現場の労働条件や事故発生の具体的状況(被害者をその場所に向わせた者が運転していたフォークリフトが被害者に衝突した)のほか、労働安全規則151条の7も根拠にしています。これによれば作業車両の行動区域に人を立ち入らせてはならず、人が立ち入るときには誘導者を配置する必要があります。

   人と作業車両が混在する状況で、作業車両が後退するときに安全を監視する者がいない状況を肯定することはできないので、私は高裁判決の結論が正しいと思います。

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 ⅱ 高裁判決は安全配慮義務違反を認めたものの、被害者にはフォークリフトが後退するときのブザー音に気付かなかった過失があるとして、4割の過失相殺をしています。

   この点は、そもそも自分に向ってくる車両の発する音を感知して回避することが法的な義務であるのか疑問があります。たしかに周囲を警戒して外敵から身を守ることは推奨される行動ですが、これが法的な義務であってその対応しだいで過失相殺の対象となるとするのは違和感があります。後方に人がいることに気付かずに車両をバックさせることは車両運転上の過失ですが、歩行者(被害者)がそれに気付かなかったという落ち度とは質的な違いがあります。

   なお、「フォークリフトがバックするときの警報音は誰でも気付くはずである」とすることは誤りです。作業に集中しているときには大きな音であっても注意が向けられないことはよくあります。「不注意による盲目」が生じることは認知科学の実験でも実証されています(クリストファー・チャブリスとダニエル・シモンズの「見えないゴリラ」の実験が有名です。『錯覚の科学』文藝春秋)。標準的な注意力の人でも常に気付くわけではないため、労働安全規則151条の7では作業車両と人との混在を避けるように指導しています。   

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 ⅲ 私は車両の側に歩行者を回避すべき義務が課せられ、自分に向ってくる車両の音に気付かなかったことを歩行者(被害者)の過失とすることはできないのが原則であると思います。

歩行者の側に過失があるとされるのは、路上に飛び出したり、信号を無視して横断歩道を渡ろうとしたり、横断歩道から外れて直接道路を横断しようとするなどの事故への積極的関与がある場合に限定するべきです。自分に向ってくる加害車両の音に気付かなかったことを歩行者(被害者)の過失とする考えは、車両が危険の発生を支配する立場にあるという実態にも合わないと思います。本件では被害者はその場に居た(車両が来るのに気付かなかった)に過ぎません。

   本件が構内作業中の事故であるという特殊性を加味して、被害者に後退するフォークリフトを避けるべき法的義務を認める考えもありうるところですが、それは「フォークリフトの後退音がした場合には構内のいかなる場所に居る者も直ちに作業を止めてその音に注意する」などの強い条件付けが安全訓練などにより達成されている場合に限定されるべきです。人と作業車両の混在を認めて、「その都度気をつけなさい。」とすることは根本的な部分で見方を誤っています。

   本件では危険発生を予見して対応策で危険を予防できる立場の者が、その対応策が行われなかった結果被害に遭った者の過失を主張するとの構造もあります。以上から私は本件では過失相殺をすること自体に違和感があります。

 

5 自賠責の3要件基準は診断基準ではない

 ⅰ 本件では被害者がRSD(CRPS)であることに特に問題はありません。しかし、判決はRSDについての自賠責の3要件基準をRSDであるかどうかの認定基準であると誤解して、さらにそれが医学的な診断基準でもあると誤解して、本件の被害者をRSDではないとしました。

   CRPS(RSD)に必須の症状はないのでこの結論は論外ですが、自賠責の3要件基準をあたかも診断基準であるかのように主張することは加害者側の定番であり、この誤りに至った判決もしばしば見られます。本件の高裁判決は3要件基準を制定した厚生労働省労働基準局長の通達(平成15年8月8日基発0808002号)を引用した上で間違えている点に特徴があります。

   厚生労働省が通達で医学的な診断基準を定める立場にはないことは自明であるのに、どうして3要件基準が通達によるものであると指摘した上で診断基準と誤解したのか理解し難いところです。厚生労働省の通達は配下の組織などに行政上の事務処理の指針を与えるものではあっても、医学の学会を無視して特定の疾患について医学的な診断基準を公的に定めるものではありません。

私は主治医がCRPS(RSD)と診断した場合にそれが誤診である可能性は高く見ても100分の1以下であると思います。専門病院ではその可能性はさらに低くなると思います。交通事故は医療過誤事件ではないので診断をやり直す必要性はありません。自賠責の手続で独自に医学的な診断をするという発想も奇異です。

自賠責の後遺障害認定手続は医学的な診療・診断の手続ではなく、後遺障害の有無・程度を認定するためのもので、その手続の中で独自に医学的な診断が下されることはありません。患者本人と会うことのない自賠責の認定手続で診断が下されると医師法に違反します。もとより医師でない者が診断をすることはできません。

 

 ⅱ CRPSに必須の症状が1つもないことは世界中の医師が認める定説であり、これを前提に国際疼痛学会(IASP)、日本、アメリカの学会等が判定指標を公表しています。この判定指標を参考にそれぞれの国で具体的な患者の状況に応じて診断することになります。なお診断基準と判定指標は異なる概念です。

医学的な診断基準は医学会などを通して提唱され、これに基づき診療ガイドラインなどが作られています。もちろん、これに反対して別の診断基準を提唱することも自由です。こうして医学は発展してきました。CRPS(RSD)についても過去に多くの診断基準、疾病区分が提唱されてきました。以上に対して、国際的な学会や医師の動向を無視して日本の厚生労働省が特定の疾患の診断基準を通達で定めた事実はなく、厚生労働省にはその権限もないはずです。

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   なお、高次脳機能障害については厚生労働省が実質的に主体となって診断基準を定めていますが、医学的には「高次脳機能障害」という疾患単位はなく、国際的な疾病、傷病、死因分類(ICD-10)にもこの病名はありません。行政が福祉施策の対象を画するために作った行政上の概念が「高次脳機能障害」で、このため行政が「診断基準」(正しくは「保護要件」とすべき)でその行政上の概念の範囲を定めています。

この「高次脳機能障害」という行政上の概念は、現実に障害があるかどうかとは別の政策的な観点から定められているので、認知機能に障害が生じた方のごく一部しか補足しません。しかし、認知機能に障害があるかどうかを区分する医学的な疾患単位と誤解されやすいように周知されているふしもあります。

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 ⅲ RSDの3要件基準について三上容司医師は、「国際疼痛学会の診断基準(1994)、本邦の判定指標(2008)のいずれにおいても、これらの所見は必須ではなく、これらの所見を欠いてもCRPSと診断(判定)され得る。したがって、医学的診断基準に基づきCRPSないしRSDと診断され、後遺障害診断書が作成されたにもかかわらず、RSDとしての後遺障害が認定されないという事態が生じ得る」(『複合性局所疼痛症候群CRPS』243頁)と問題を指摘しています。

   三上医師は3要件基準の特殊性を指摘し、「後遺障害認定はあくまでも行政上の作業であり、医学ではない」とします。

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  労災や自賠責の手続においてすら3要件基準はRSDの診断基準ではありませんが、診断基準と誤解されやすいように周知されている面は否定しがたいと思います。

また、3要件基準は後遺障害の度合いと相関しないので通達そのものが有害です。後遺障害の程度については、ほかの後遺障害と同様に現に生じている障害をそのまま評価すれば足ります。何ゆえに後遺障害ではないもの、しかも無関係なものに焦点をずらして後遺障害の重症度を評価する基準が制定されたのか理解に苦しみます。これによりほぼ全ての患者は実際よりもかなり低く後遺障害が認定されることとなります。3要件基準は行政内部の手続の指標に過ぎず、「医学ではない」ので裁判所がこれに拘束される法的根拠はありません。

 

 ⅳ 3要件基準を診断基準と間違える誤りには、傷病一般に対する基本的な理解に問題があると思います。例えば、ある傷病Rの症状としてA~Fがあるとされているばあいに、症状Aは傷病Rの患者の80%に、症状Bは60%に、症状Dは50%に、症状Fは10%に確認できるというように、全ての患者にA~Fの症状が生じるわけではなく、個別の患者ごとに生じる症状(の組合せ)が異なることはよくあります。

従って、自賠責の3要件基準を見て最初に疑問に感じるべきことは、「RSDとはこの3つもの症状が全ての患者にもれなく生じる非常に特殊な傷病であろうか。」ということです。実際にはRSDにおいて必ず生じる症状は1つも存在せず、3要件基準は診断基準でもありません。

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6 事実認定の漏れ

 ⅰ 判決は3要件基準を当てはめて被害者をRSDではないとして、後遺障害等級14級9号の「局部に神経症状を残すもの」に該当するとしました。判決は被害者には単に痛みという自覚症状があるだけで、特に何らかの疾患があるわけではないとの結論になっています。

   この種の結論に対しては、「RSDではないとすると左上肢の浮腫、発汗異常、皮膚の変色などの現に存在する症状や検査結果はどう説明できるのだろうか。」との疑問が当然に残ります。

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 ⅱ 例えば、鑑別診断により他の疾患であるとした場合には、「RSDではなく、他の疾患でこれらの症状が生じました。」としてこの疑問は解消されます。これに対して「RSDではなく、ほかの何らかの疾患でもありませんでした。」となると、現に存在する症状や検査結果を説明するものがなくなり、不合理な結論となります。

重度の症状を訴えて病院に行ったところ、「ある傷病の診断基準に当てはまらないので、何らの傷病でもありません。」と言われて納得できる患者はいません。訴訟で同じことを言われて納得できる人もいません。

   これまで検討した誤って詐病を認定した判決においてさえ、その帰結を正当化するために、被害者による症状の偽装である、医師が患者に迎合して虚偽の診断をした、医師が誤って病的ではないものを病的と誤解した、検査機器の読み取りの間違いであるなどの事情(を示唆するもの)を詳細に述べるものがいくつかあります。それは上記の疑問に答える形で結論が不合理ではないことを示し、事実認定の洩れをなくすためです。

   この判決のように不合理な結果を放置して「とにかく診断基準が出した結果です。その先は知りません。」とすることは事実認定に重大な洩れが残ります。

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ⅲ 判決は「ある傷病の診断基準に当てはまらないので、何らの傷病でもありません。」との論理で不合理な結果を導いています。現実に存在する症状や検査結果に合わない不合理な結果となる場合には、その前提となる事実や論理について再検討すべきです。

   例えば、双方の代理人に「自賠責の3要件の位置づけは診断基準でよいのか、医学的な診断基準(判定指標)とはどのような関係になるのか。」と釈明を求めるという方法もあります。ほとんどの場合に誤解を回避できるのと思います。疑問点について釈明を求めることは裁判官の訴訟指揮の基本です。判決については何ゆえ不合理な部分を放置した判決が出されてしまったのだろうか、との疑問が残ります。

   これに対しては、「釈明を求めると双方代理人が自身の立場に都合の良い、いいかげんな意見を出してきて、訴訟が混乱するだけである。」、「虚偽の証拠の提出を促すようなものである。」との反論もありそうですが、その基本的な考えに同意できません。私の経験では「不意打ち判決」と言われるもののほぼ全部は簡単に釈明できて当事者にほぼ争いがない部分についての誤解に基づくものです。

   弁護士が依頼者と打ち合わせをして訴訟を提起、遂行する過程においては、依頼者や関係者の話をよく聞くことにより誤解を訂正したり、自分で文献を調べて誤解を訂正したり、証拠を取り寄せて誤解を訂正したりすることの連続です。これに対して裁判官はこのような誤解訂正の機会が限定されています。疑問に思った点はどんどん釈明を求めなければ誤解が残る可能性が高いと思います。

 

7 訴訟での後遺障害等級の位置づけ

 ⅰ 仮に判決のようにRSDではないとした場合でも、この事案では被害者は患部に強い痛みを訴えその疼痛を緩和するため3年8か月以上も通院しており、この点をそのまま評価すれば12級13号の「局部に頑固な神経症状を残すもの」に相当します。3年8か月以上も疼痛緩和の治療を受け続けた患者について「頑固な痛み」を認めないのは、一般的な常識にも反すると思います。

   これに対して判決は14級としています。その理由は3要件基準を診断基準であると誤解した結果、被害者がRSDではないとしたために、被害者の症状に傷病名がつかなかったとの形式論にあるようです。つまり、判決は被害者の症状(疼痛、左上肢の浮腫、発汗異常、皮膚の変色など)を説明できる医学的な根拠はないのでその症状は医学的な裏付を欠くたんなる自覚症状に過ぎないとして、12級にはできないとしたようです。

   これは労災や自賠責の認定基準を訴訟に取り入れた結果であるようです。これらの手続では大まかに説明すると、12級は「障害の存在が医学的に証明できるもの」であり、14級は「障害の存在が医学的に説明できるもの」とされています(『青い本23訂版』298頁など)。判決はこの基準を訴訟での判断に取り入れたものと思われます。

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 ⅱ しかし、民事訴訟は自賠責や労災の認定手続の続審ないし上級審ではありません。例えば労災での後遺障害認定(行政処分)を争うためには、異議申立、審査請求、再審査請求を経てから裁判所に行政訴訟を提起して、各過程で労災の後遺障害認定(原処分)の是非が判断されます。これに対して民事の交通事故訴訟はそのような構造を有しておらず、審理の対象も自賠責や労災の後遺障害認定の是非ではありません。

   もとより行政訴訟においてさえも司法(裁判所)は行政とは異なる独自の判断がなしうる立場にあります。ましてや民事の交通事故訴訟での後遺障害の有無・程度の判断が自賠責の認定基準に拘束されると考える法的根拠は全くありません。むしろこれに縛られず、後遺障害の有無・程度を柔軟かつ合理的に判断することが求められます。

被害者は損害賠償額算定の目安とするために後遺障害等級を主張しているのであって、自賠責で認定されるべきであった後遺障害等級を主張しているわけではありません。

 

 ⅲ 裁判例においても、例えば後遺障害等級4級と判断したにも関わらず、労働能力喪失率を92%より低く判断するものはしばしば見られ、12級との後遺障害等級を認定しつつ労働能力喪失率を20%以上と重くするものもあり、自賠責の後遺障害等級や労働能力喪失率に縛られないものはしばしばみられます。

   本件では、3年8か月以上も麻酔科やペインクリニックに通院して疼痛緩和の治療を続けたという事実からは、12級の「局部に頑固な神経症状を残すもの」に該当するとの判断が容易に導かれると思います。

   実際にも被害者は労災の手続では12級の認定を受けていたのですが、判決は14級としています。判決は浮腫や皮膚の変色なども自覚症状と同様に扱う点で、実は自賠責や労災の基準にも合致していません。

労災の基準は労災の手続内での指標に過ぎず訴訟での判断を拘束するものではありませんが、訴訟での判断を合理的なものとするためにその基準を参考にすることは私も構わないと思います。しかし、この判決のように実質論を無視するために形式論の部分だけをつまみ食いして、合理的でない判断に至ることは正しくないと思います。

被害者の状況を実質的に認定すれば、CRPSによる労務への影響がかなり大きく、ほとんど就労不可能の状況にあるので7級ないし9級に相当する後遺障害があるとするべきでしょう。

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 ⅳ なお、本件では判決が実質論として14級相当との心証に基づいている可能性もあります。3年8か月以上も疼痛治療の通院をした事案であっても、被害者への診断を否定する判断に帳尻を合わせる考え方をすると別の見方になる可能性があります。

   即ち、「この被害者はわけの分からない事情で長期間の通院をした非常に特殊な性格や体質の持ち主である。」、「この被害者は『痛がり屋』という特殊性があるのではないか。」、「ほとんど詐病に近いのではないか。」との見方になる可能性があります。

これは誤った判断を前提としてそれを正当化するために泥縄式に特殊な想定に至る典型例と言えます。確証バイアスが良くない方向に強く出たといえます。これまで検討した裁判例にもこの感覚を窺わせるものは少なくありません。

これは「特殊な状況」を説明するために「特殊な人」を導くものです。特殊な結論に至った場合には検討をやり直すことが穏健で、特殊な前提を導いて帳尻を合わせるのは良くないと思います。しかし、形式論により「理詰めで結論に達した」との実感があるときには、その結論が特殊ではないように見えることもあります。

問題はこの先にあります。この判断枠組みが定型化されてしまうと毎回同じような結論に至ります。すると「医学的な診断が否定された事案では、長期間の入通院をしている患者は例外なく問題のある人である。」との結論が類例によりどんどん補強され、確信が強くなります。誤った思考パターンが定型化され誤った結論を出し続けることによる偏見の強化です。

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8 医学的な診断の検討方法について

ⅰ 患者への診断は「この患者にはいかなる疾患が存在するであろうか。」との視点から候補となるいくつかの疾患を比較・検討してなされます。CRPS(RSD)との診断が下されたのであれば、その診断を覆すためにはその患者の症状をより合理的に説明できる他の疾患を持ち出さなければなりません。

これに対して、加害者側は訴訟で「ある傷病の診断基準に当てはまらないので、何らの傷病でもありません。」との論理を常用してきます。加害者側の主張の奇妙さは以下の例を想定してみれば明らかであると思います。

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   医師X「この患者には症状A~Eが確認されています。」

   研修医J「傷病SではこのうちCとDが説明できますね。」

   研修医K「しかし、それ以外のA、C、Eは説明できませんね。そこで傷病Tではどうでしょうか。AとCとDが説明できます。」

   医師X「では傷病TではBとEはどう説明するんだ。」

   研修医K「…何か別の傷病を併発しているかも知れません。」

   医師X「傷病RならA、B、Cが説明できるし、傷病Rでも人によってはDやEが生じることもあると報告されているよ。」

 

加害者「そこで傷病Rに絞って検討すると、実は要件A~EのほかにFGHも必要で、しかも全ての要件が明確(症状が重度)でないと傷病Rとは断定できません。従って、この人は何らの傷病でもありませんね。詐病でしょう。」

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 ⅱ 診断に際しては多くの候補から患者の症状や検査結果に当てはまるものを選択していきます。これに対して、訴訟では加害者側は被害者の主張する傷病を否定するため、その診断基準を厳格化する方向に誘導します。

   一定の症状や検査結果を有する患者について、それを説明する傷病を探すための検討がなされるべき文脈で、「ある傷病の診断基準に当てはまらないので、何らの傷病でもありません。」との論理が持ち出されることは、それ自体が奇異なことです。上記の例では医師や研修医に求められているのは、症状を最も合理的に説明できる傷病を提示して他の候補を適切に除外していくことです。上手く説明できる傷病がないからといって、その症状や検査結果がなかったことにはなりません。

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 ⅲ しかし、この論理を取り込んだ裁判例はしばしば見かけます。それは、「被害者が主張している傷病に対応する診断基準を用いたところその傷病であるとは認めることはできず、一方で被害者はほかの傷病であることを主張していないので、結果的に被害者は何らの傷病でもないこととなる。」との考えです。

   例えば本件においては「被害者はRSDという傷病を主張したのであるから、RSDの診断基準に当てはめてその結果RSDと認められなかった場合には、それ以上のことは被害者も主張していないので認定ができるはずもない。」ということになりそうです。

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   自由心証においては「この患者にはいかなる傷病が存在するであろうか。」との視点で検討すべきですが、加害者側は「この患者がRSDであるといえる確実な証拠はあるか。」との視点に誘導していきます。これは自由心証に先立って証明責任を導入させようとする錯誤論法です。この問題の重要性を見落としてしまうと誤った検討をしてしまいます。

   例えば、「この患者はCRPSとの診断を受けているところ、判定要素のうち1つしか満たさない。しかし、他の疾患ではその症状を説明できないため最終的にはCRPSと診断する。」とすべきところで、対案の検討がないまま「CRPSであるとする確実な根拠がないのでCRPSであるとは認めない。」とすることは誤りです。

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9 証明責任による事実認定について

 ⅰ では証明責任という概念を介することによって、「ある傷病の診断基準に当てはまらないので、何らの傷病でもありません。」との論理を正当化できる場合があるでしょうか。

   その前提として、双方から出された全ての証拠から被害者の主張する事実があるとの心証を得るに至らなかった場合において、裁判官は真偽不明と判断して証明責任を適用した結果として「被害者の主張する事実を否定する生の事実が認定できる」といえるでしょうか。

   この考えに対して伝統的な考えからは、証明責任は「被害者の主張する法律効果の発生を認めない」という法規適用のレベルで作用するもので、「被害者の主張する事実を否定する生の事実の存在を認める」という事実のレベルで作用するわけではないとの批判が考えられます。

証明責任の機能については学説(法規不適用説、証明責任規範説)の上で争いがありますが、両説とも「真偽不明となった場合に被害者の主張した事実を否定する生の事実を認定できる」との論理を少なくとも直接には導きません。これが一般的な考え方であると思います。

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 ⅱ このように証明責任は事実認定のための道具ではなく事実が認定できなかったときに結論(法規の適用)を決めるもの(法が認めたサイコロ)であるとしても、証明責任に従ってある法規を適用するための法律要件(の要素)の存否を決めると、その結論は一定範囲で生の事実の存否に連動します。

この見地から証明責任の効果を事実面にも広く波及させていくという立場もありうるところです。その延長として、「ある傷病の診断基準に当てはまらないので、何らの傷病でもありません。」との論理までも正当化できるでしょうか。要件事実論の事例演習においては、証明責任を用いた事実認定としてこの種の思考が滑り込まされるおそれがあります。

 しかし、「ある傷病の診断基準に当てはまらないので、何らの傷病でもありません。」との論理は、それ自体が論理として誤っています。従って、証明責任により誤った論理が導かれたのであれば、その過程のどこかに誤りがあると疑うべきで、誤りに合わせた理屈を探すべきではありません。

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 ⅲ 対案なき検討について

   ある傷病の診断基準のみを検討することは、対案なき検討という根本的な問題があります。単に診断基準を当てはめるだけではなく、他の疾患と比較して検討する必要があります。他の候補の検討は非常に重要です。患者の症状を説明できるほかの候補がない場合にはCRPSと診断できるにも関わらず、CRPSのみを検討してその診断基準を厳格にするとそれができなくなります。

   「AかA以外のいずれかである(排中律)。A以外は考えられない。よってAである」という背理法的考察は事実認定では不可欠です。これに対して、「Aであるとする確実な証拠はない。よってAではない。」との理屈は誤りです。この誤りは「Aであるかどうか」の検討で他の候補が考えられるかを検討していないことに由来します。

   真偽不明とする以前に背理法的考察を経ておくこと(その診断を否定しても他の傷病で説明できる等の事情により結論の妥当性が維持されるかの検討をすること)は不可欠です。

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 ⅳ 厳格基準の誤謬、自由心証に証明責任を取り込む誤謬

ある特定の疾患の診断基準をあてはめるに際して、基準を殊更に厳格にすることも誤りです。これは「厳格な基準であるほど正しい結論が導かれる」とのバイアスにより生じます。実際には基準を厳しくすればするほど、感度(疾患を有する者が陽性になる度合い)が低下してしまいます。訴訟はごく一部の重症患者のみを救済するためのものではなく、全ての被害者を救済するためのものです。

この厳格基準の誤謬の背景として、証明責任を自由心証に取り込む誤謬がしばしば見られます。即ち、「傷病の証明責任は被害者側にあるので、診断基準をより厳格にするべきである。」との形で証明責任を自由心証に取り込んでしまう誤りです。もとより証明責任は真偽不明になったときに不利益に扱われるという結果についてのものであり、結果が出る前から不利に扱い、その結果さらに不利に扱うこと(二重の不利益)を意味しません。

従って、自由心証での判断に先行して証明責任を考慮した枠組みを設定すること(被害者の主張する傷病が存在する確実な証拠があるかとの枠組みで検討すること)は、その構造自体に誤りがあります。しかし、「この主張・立証が証明責任のハードルを越えたか。」という視点から検討するハードル設定の誤謬(証明責任を自由心証に取り込む誤謬)に陥っているように見える判決は少なからずみかけます。

このタイプには「80%の心証でAが起きているように見えるけれど、95%を超えないと認定できないので、Aを否定してBにする。」という理屈で認定をしているように見えるものがあります。このやり方では大半の場合に事実に反する認定に至ると思います。

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証明責任は真偽不明になったときに初めて使用が許されるものであって、自由心証の初期設定としてあらかじめ「証明責任のハードル」を設定することは誤りです。また、ある事実の存否はその事実が起きた実質的な可能性を探求することにより決められるはずで、「証明責任のハードル」という無関係かつ不明確な感覚論を持ち込むことは合理的ではありません。

事実認定は「Pが起きたことが確実であるか」ではなく、「何が起きたのか」との視点で最も可能性の高いものを選択する過程と言えます。最も可能性の高い出来事について「確実に起きた」とはいえないとして、これよりも可能性の低い出来事が起きたことにするのは不合理です。この不合理を回避するために動かし難い事実からの推論、背理法的考察、釈明などにより合理的な心証を獲得する必要があります。それこそが事実認定と言われるものであると思います。

なお、「80%の心証でAが起きているように見えるけれども、Bの可能性も20%あり、その先はいくら考えても、釈明を促してもどうしても分からなかった。」という場合には、恥を忍んで証明責任に頼るという考えもありそうですが、AとBの相対評価が80%対20%でAの優勢が明らかであれば、Aを選択する十分な心証が存在すると言うべきです。

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 ⅴ 証明責任による事実認定の問題

証明責任を真偽不明となった場合に被害者の主張する事実を否定する生の事実を認定する道具と捉えること(ある傷病の存否のみを検討して、真偽不明との判断からその傷病が存在しないとの事実を認定すること)は、もとより問題があります。真偽不明であるがゆえに証明責任を持ち出したのに、その証明責任により事実が認定できてしまうのはおかしなことです。真偽不明を繰り返して広範囲な事実を認定していくことはなおさら問題があります。

   複雑な事件での事実認定においては、まず事件全体の中から主要事実・間接事実等の分類にこだわらず「動かし難い事実」を見つけ出し、この「動かし難い事実」やそこから直接に導かれる事実、それら相互の関係性から事件の骨格を組み立てていくというのが、伝統的に支持されてきた事実認定論であると思います。自由心証の領域では全ての証拠を完全に等価値とすることから出発して思考を組み立てる必要があります。「分かること」を積み重ねて事実を認定していくことは常識に適ったことです。

   これに対して、いきなり要件事実を「認定」しようとして、証拠を序列化して少数の証拠のみを検討しただけで直ちに真偽不明として証明責任に飛びついてその要件事実を確定して、次の要件事実の検討に移るという不可解な手順で認定をしているように見えるものもまれに見られます。「分からない」を積み重ねて事実を認定していくのは正しくないと思います。

 

2012年5月28日 (月)

RSDでもPPSでもないとした右足筋萎縮(23.7.19)

1 新潟地裁平成23年7月19日判決(自保ジャーナル1859号87頁)

  

  この事案の特徴は、①治療長期化事案であるが被害者の症状の経過が判決で触れられていないこと、②被害者がRSD(CRPS)と主張している部位や根拠が不明であること、③加害者がポストポリオ症候群(PPS)と主張したこと、④判決が自賠責の3要件基準をRSDかどうかの基準として誤用したこと、などです。

2 症状の経過

ⅰ 被害者は事故時53歳位(症状固定時58歳)の女子給与所得者です。被害者は平成16年9月4日にアパート敷地内で携帯電話をかけていたところ、背後からバックで駐車場に入ろうとしていた乗用車に衝突され、以後、被害者が症状固定と主張する平成21年6月12日まで4年9か月通院します。加害者は7か月後の平成17年3月31日が症状固定日であると主張しています。

  判決は長期間の通院経過を別表(自保ジャーナルには掲載されていません)に記載し、本文では各通院先での診断名や各時点での症状やその経過などについて触れられていません。おそらく別表にも詳細は書かれていないと思います。各通院先での診断名や症状の経過などは事案の骨格を形成する部分であるので、少なくとも診断名とその時点で医師が確認した症状について触れるべきであると思います。

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ⅱ 被害者の主張によると、被害者は本件事故により、頚椎捻挫、右膝・右上腕打撲、右膝・右手擦過傷、右肋骨不全骨折、腰部挫傷、右足関節捻挫、右手関節捻挫、左膝靭帯損傷、右下腿痛、右耳痛、身体表現性障害、反射性交感神経性ジストロフィー(RSD、複合性局所疼痛症候群・CRPS)、身体型疼痛障害(慢性疼痛障害)等の傷害を負い、平成21年6月12日の症状固定まで4年9か月8日間にわたり通院治療したとされています(実通院392日)

   判決からはこれ以上の詳細は不明ですが、上記のうち捻挫、打撲、擦過傷、骨折、挫傷の診断は事故直後に診断され、それ以下の診断は治療を続けても症状が改善しない中で下された診断名と考えられます。

 ⅲ 被害者はこれらの後遺障害は少なくとも9級に該当するけれども、右足変形の既往障害があるので、12級13号「局部に頑固な神経障害を残すもの」に該当するとの主張をしているようです。

後遺障害等級の主張は部分ごとに区別して行う必要があるところ、判決によると被害者側は各部分ごとの後遺障害等級は主張せず、全体としての後遺障害等級のみを主張しているようにも見えます。既往症については「9級の後遺障害から12級相当分(既往症)を控除する」との構成で主張した方が良かったようにも思います。

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3 RSD(CRPS)の主張

 ⅰ 判決によると、被害者は両下腿、両肩(特に右肩)から上腕の痛みとしびれ、指先のピリピリ感、下肢の痛みとしびれ、膝痛、腰痛、耳の中の痛み、頚部痛、不眠等が事故後、現在(判決時)まで続いており、これらの全てがRSDによるものと主張しているようです。判決のとおりであるとすると、被害者側は各部位ごとにRSDであることの具体的な主張はしていないように見えます。

判決では、被害者の「右足筋萎縮(運動不能)」という症状にも触れており、被害者側としてはこれもRSDによる症状であると主張したようです。「右足」は右の足首以下の部分を指すのですが、足が筋萎縮になったというのはどうにもしっくりしません。被害者は下肢や下腿に痛みとしびれを訴えているので、「右足筋萎縮」は「右下肢(下腿)筋萎縮」の意味で誤用しているようにも見えます。この点も判決からははっきりしません。右下肢の各関節の可動域制限の有無や程度について、被害者から主張がなされているかどうかを含めて、判決では触れられていません。

 ⅱ 判決によるとRSDは医師の診断によるものであるようですが、どの時期の医師がどの部分についてRSDと診断したのかは、判決には書かれていません。

   医師は運動障害や筋萎縮のある右足(右下肢?)をRSDと診断し、上肢については診断していないようにも思われるのですが、判決ではそれも不明です。この判決は全体的に事案の整理がほとんどできていないという印象を受けます。

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4 ポストポリオ症候群(PPS)との主張

 ⅰ 加害者側は、被害者には後遺障害はなく、仮に後遺障害が残存するとしてもそれはポストポリオ症候群(PPS)であると反論します。

   このPPSの主張は主として被害者の右足筋萎縮や運動障害についての主張であると思います。判決も被害者の右足(右下肢?)に筋萎縮があることは前提としており、この筋萎縮は証拠の上で明白に認められるレベルのものであったようです。

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 ⅱ 判決は、被害者の幼少期にポリオの既往があると認めたものの、これに起因する成年後のポストポリオ症候群(PPS)は数ヶ月から1年程度で進行は停止し、かなりの程度に回復する人が多く、ほとんどの人が発症前の日常生活に戻ることができる旨の医学文献や医師の知見があるとして、本件の後遺障害がPPSによるものと「直ちに認めることはでき」ないとして否定しています。

   「直ちに認めることができる」というレベルに至らないと事実を認定できないというのも変ですが、判決はPPSの証明責任が加害者側にあるとの前提で加害者側がその証明責任を果たしていないので「PPSであると直ちに認めることはできない(ので本当はPPSかも知れないけれど認めない)。」との論理になっています。

   結論的には私もPPSとする積極的な根拠に乏しいことから、被害者の症状はPPSではないと思います。しかし、判決のように自由心証のレベルで判断に至る前に証明責任を先行させて「直ちに認めることはできないので(本当はPPSかもしれないけれど)否定した。」との論理を述べることには引っかかるところがあります。

 ⅲ 証明責任について

本来であれば、「~の事情からは本件がPPSであるとする積極的な根拠に乏しく、むしろPPSではないと判断すべき事情が~のとおりに存在する。従って、PPSではないと考えられる。」という形で自由心証の範囲内でPPSではないとの心証が形成されたことが分かる書き方にした方が良いと思います。

判決の書き方では証明責任がまず先にあり、「証明責任を満たすかどうかという視点」でのみ自由心証を用いているように見えますが、これでは心証を形成する前から証明責任を負う側に不利なハードルがあるようにも見えます。証明責任はあくまでも心証を形成できなかったとき(真偽不明の場合)に初めて持ち出すものであるはずなので、証明責任を先行させる枠組みに見えるところが気に掛かります。このように証明責任の所在を意識したことを前面に出して、自由心証のレベルで認定したのではなく、「証明責任が果たされなかったので結論は~とする」との枠組みで事実認定を記載する判決は少なからず見られます。

裁判官は証明責任を考慮して、「~ではないと認められる」とは書かずに、「~であると認めることはできない」との表現を用いることを好みます。この表現の方が法律的に厳密な感じもします。かりに「~ではないと認められる。」との心証が形成されていても、証明責任を考慮して「~であると認めることができない。」との書き方ができるのに、それを超えた無駄な心証を形成する必要も開示する必要もないとの考えもありそうです。「~ではないと認められる。」と書いてしまうと、証明責任を知らずに無駄なところまで心証を形成したとの見方もされそうです。

しかし、「~であると認めることはできない」との書き方では、「よく分からなかったので証明責任を満たさなかったことにしますね。」という認定との区別がつきません。自由心証のレベルで「~ではないと認められる」との判断ができたのであれば、「~ではないと認められる。」という書き方をするべきです。ここで「認められる」のレベルに達していなければ「~ではないと考えられる」と書けば良いと思います。

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 ⅳ 当たり前のことですが、証明責任に頼った判断をすることにより、真実に即した認定がなされるわけでも、真実に近づくわけでもありません。証明責任とは、何が正しいのか分からないという特殊な状況においても裁判官が裁判を拒否せずに結論だけは出せるようにするために法が異例の処置として特別に使用を認めた「サイコロ」です。証明責任に結論を委ねることは、要するに「サイコロで決める」ということです。

私も試験のときに五角形の鉛筆を振ってマークシートを埋めたことがありますが、自分で考えて埋めたマークシートと鉛筆が決めたマークシートでは、自分で考えた方が正答率は高いと思います。証明責任に頼るということは、とにもかくにもマークシートを埋めることはできたけれども正答率は保証しないということを意味します。

証明責任は「無知の尺度」です。判決文で「証明責任で決めました。」との論理が書かれていると、「こんな問題も分からずに証明責任に結論を丸投げしたのだろうか?」という印象を受けます。私の経験では平均レベルの法曹が証明責任に頼らなければ事実の骨格が判断できない事件は100件に1件ほどではないかと思います。

弁護士からの評判の良い裁判官は例外なく事件の本質を正確に見抜く力量のある方です。事件の本質を正確に探究できる有能な裁判官であれば証明責任に頼って事件の骨格を決めなければならない状況に陥ることは1000件に1件ほどかも知れません。

それはともかく本来であれば当事者が主張する事実についてどちらの言い分が正しいのかについてきちんと探求して心証を確定させた上で判決を書くべきであり、どちらが正しいのか分からない状況、即ち判決をなす機が熟していない状況で判決を書くことは異例のはずです。

しかし、どこまで審理しても真実が明らかにならない場合もあり、現実の社会では訴訟の迅速化の要請などから時間的制約もあって、例外的に何が正しいのか分からないという特殊な状況が生じることも否定できず、そのような異例の状況においてのみ証明責任に結論を委ねることが正当化されます。

以上の考えには異論があるかもしれませんが、私は証明責任による判断はできるだけ避けて最後に用いる究極の手段にするべきであり、証明責任に頼らずに心証を形成して判決を下すのが原則であると思います。

これとは全く正反対に、自由心証に先行して証明責任の枠組みを設定し、「証明責任を満たすかどうかという視点」で自由心証レベルの判断を行うことは正しくないと思います。例えば、本件では「被害者にはどのような傷病が存在するのであろうか。」との視点で探求すべきであって、「被害者はRSDであることの証明責任を果たせたと言えるほどの証拠を有しているか」との視点で探求することは正しくないと思います。

5 RSDの診断基準

 ⅰ 3要件基準

   判決は3要件基準をRSDであるかどうかの診断基準とし、「RSDと認定するには、自賠責保険及び労災保険上のRSD認定の3要件である関節拘縮、骨萎縮、皮膚変化(栄養障害、温度)を充足することが必要というべきである。」と述べます。その上で被害者は3要件に該当すると言えず、被害者がRSDであるとした医師は3要件の検討をしていないとします。この部分はいくつもの意味で誤っています。

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 ⅱ 診断基準ではないこと

3要件基準は自賠責保険や労災保険の手続においてさえも、RSDであるかどうかの認定基準(診断基準)ではありません。このことは基準を解説した著書にも書かれています。例えば、『改正障害等級認定基準、上巻』(平成16年3月、厚生労働省労働基準局編集)の45頁では「3要件を満たさないものは、RSDに該当しないという趣旨ではありません」とわざわざ明記しています。

   これらの手続では「3要件基準を満たさないRSD」の存在を認め、12級または14級の後遺障害を認定するように指導しているだけで、RSDかどうかを3要件基準で決めるとはされていません。

   

 ⅲ RSD(CRPS)には特有の症状がないこと

医学的にはRSD(CRPS)には特有の症状がない(必ず生じる症状が1つもない)ことは世界中の医学者が認めている定説ですので、1つであってもRSDに必須の要件を要求することは重大な誤りです。

現実にも国際疼痛学会、アメリカ、日本のそれぞれのCRPS判定指標においても、必須の症状は1つも要求されていません。これらの基準では4~5の項目(判定指標ごとにその中身は異なります)のうち任意の2つを満たせば、判定指標を満たすとしています。

しかも、これはあくまでも「指標」に過ぎず、各指標の4~5項目のうち任意の2つを満たすCRPS患者は統計上それぞれ8割ほどしかいません。従って、1項目しか満たさない場合にも他の疾患の可能性が排除されるなどの状況においてCRPSと診断されます。もちろん指標の各症状はそれが確認できれば軽度でも構いません。

   これに対して、特定の3項目が診断のときに「明らかに生じている」という3要件基準は国内外の診断基準に比べて異常に厳しいものであり、現実のCRPS患者でこの厳しい要件を満たす者は1割以下(おそらく5%以下)であろうことは容易に推断できます。

さらに3要件に含まれている骨萎縮は国際疼痛学会、アメリカ、日本のいずれの基準においても判定の要素にさえ組み込まれていません。発症頻度が低い(統計によると30~50%ほど)からです。その発症頻度が低い骨萎縮が判定時に重度に(明らかに)生じている患者はCRPSの患者の1割以下と推測され、骨萎縮の要件のみにて大多数のRSD患者が洩れ落ちることになります。

 ⅳ 3要件はRSDの重症度と相関しないので、RSDとして12級を超える等級が認定されるために3要件基準を満たさなければならないとする自賠責や労災の基準は医学的には誤りというほかありません。

   後遺障害の重症度については、労務への影響の度合いや可動域制限などを直接検討すれば足りるので、RSDの場合にのみわざわざ重症と認定されるための特別の関門として3要件基準を設ける必要性はありません。同じCRPSであるカウザルギーでは3要件基準は用いられません。

   この不合理な3要件基準が制定された政治的な背景はおくとして、これは自賠責や労災の手続内での指標として設けられたものであって、裁判所を拘束するものではありません。従って、裁判でこの基準を用いることは法的な根拠のないことです。

 ⅴ 本件では日本のCRPSの判定指標を用いるべきです。判決では被害者は全身性のRSDを主張しているようにも読めますが、そうであるとすると各部分について検討する必要があります。判決の述べる事情では、この被害者の各部位に日本の判定指標をあてはめることはできません。

   右足筋萎縮が問題となっていることから、医師がRSDと診断したのはこの部分のみであるようにも思われますが、上記のとおり判決からははっきりしません。

   判定指標は診断の過程の1つにすぎず、現に存在する症状に何らの傷病名も与えられない不合理な結果は回避すべきですが、判決では「とにかくRSDではない。その先は知らない。」との論理になっています。これは背理法無視の誤謬です。

   

6 既往障害について

 ⅰ 被害者は幼少期のポリオを原因として脊髄に起因した弛緩性の麻痺が右足にあり、これによる運動障害もあったため平成元年9月に身体障害者手帳2種6級(下肢の足関節の機能の著しい障害)の認定を受けています。

   この障害が平成16年9月4日の事故の後の平成16年11月9日に2種3級に変更されており、判決によるとこの変更は右足筋萎縮や運動障害の悪化に基づくものであるようです。

   この変更が本件事故後に確認された症状に基づくものであるのか、本件事故前に確認された症状に基づくものであるのか、それが不明であるのか判決には記載されていません。この判決は事案の整理はよくないと思います。疑問に感じたことの釈明もしないまま判決に至ったのでしょうか。

 

 ⅱ 判決はこの変更は事故後に確認された症状に基づくものであるというニュアンスを述べて、事故前に症状が生じていて事故後にそれが確認された可能性がある(これに反する被害者本人の供述は信用できない)ので、事故との因果関係はないとしています。

   この部分はさすがに荒っぽい理屈だと思います。この理屈を持ち出すとどんな怪我をしても事故前にその怪我が生じていなかったと証明できない場合には(ほとんどの場合に証明不可能であると思います)、事故との因果関係が否定されそうです。

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 ⅲ 判決の論理の流れは、①RSDであるためには3要件基準を満たす必要がある(もちろん誤りです)、②本件は3要件基準を満たさない、③よってRSDではない、④RSDではないとしたので右足筋萎縮や運動障害を説明できる傷病が存在しなくなった、⑤そこで事故後に筋萎縮が生じたとする確実な証明を求めると、案の定それがない、⑥よって筋萎縮と事故との因果関係を認めない、(⑦事故前に筋萎縮が生じた原因については関知しない)、という具合になっていて、この流れの中で⑤の論理がはさみこまれてしまったのは、典型的な泥縄式(いきあたりばったり)の判断ともいえそうです。

   筋萎縮が事故前に確認されていないのであれば、事故後に生じたとするのが穏健な判断であると思います。事故前に筋萎縮が生じていたのに、「もうすぐ事故に遭うから病院に行くのはやめよう。」と被害者が特別な予知能力を発揮して我慢し続けてきたとの前提はかなり不合理です。

判決は「事故前に筋萎縮や運動障害の悪化が生じていたけれども痛みはなかった(ので病院にも行っていなかった)。」との事情を想定しているようにも見えますが、その想定自体が奇異であり、特殊な前提に合わせてご都合主義的に特殊な想定をしたと言わざるを得ません。

もとより判決の導く結論に対しては「何ゆえに事故前に筋萎縮が生じたのか。」について説明できませんが、判決は「とにかく事故とは関係ない。その先は知らない。」との形で証明責任に結果を丸投げした形にして、導いた結論の先にあるものを放置しています。

泥縄式の認定は事件の全体を整合させる思考(本来はここから始めるべきであると思います)が欠けていることに原因があると思います。個別のポイントごとに(証明責任を用いるなどして)結論だけを決めていくと泥縄式になります。

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7 気になったこと

 ⅰ この判決を読んでいて疑問に感じたのは、「生の事実に迫って事実を認定していこう」という姿勢が感じられないことです。判決をいくら読んでも事件の核心部分が見えてきません。

   判決は「3要件基準を満たしていないのでRSDではない、その先は知らない。」、「(本当はPPSかもしれないが)PPSであると直ちに認めることはできないのでPPSではない、その先は知らない。」、「事故前に筋萎縮が生じていなかったと判断できる確実な証拠はないので事故により筋萎縮が生じたとはいえない。なぜ事故前に筋萎縮が生じたのか、事故前に治療を受けなかったのかは知らない。」との論理構成になっています。事実認定を診断基準や証明責任などの形式論に丸投げしているために必然的にこのような論理となっています。

私は自由心証を用いる以前の初期設定に証明責任を配置して「証明責任を満たすほどの証拠があるか」との視点で検討していることが、その原因であると思います。この枠組みは自由心証の尽きたところで証明責任の機能が始まるとする定説とは対極に位置します。この枠組みでは証明責任というハードルを越えたかどうかによって事実を認定することになりますが、このハードルの高さに客観的な基準があるわけではないので、必然的に自在にハードルを上下させる方向に向います。この場合には事件の中身と関係ない形式論理でハードルが上下することになります。

また証拠の序列化を初期設定で行うため、事件のストーリーに合わせた証拠の検討も不十分になりがちです。判決は証拠の序列化を先行させて被害者の言い分(供述)は最初から証拠価値がゼロであるとしているようにも見えます。民事訴訟法が証拠としての能力(適格)を認めているものについて、証拠の中身を検討する以前に価値を序列化することは正しくないと思います。これでは事件の実体が見えてきません。

   この判決に従うと被害者はRSDでもPPSでもない正体不明の病と闘って4年9か月もの長期間にわたって通院したことになりそうです。被害者は偶然にも事故と同時期に事故と関係ない正体不明の病により通院を始めたことになり、判決からは特殊な被害者が特殊な主張をしているとのニュアンスが感じられます。「特殊な人による特殊な出来事である」との説明を用いれば、どのような事実認定でもつじつま合わせができますが、それ故にその事実認定はほぼ全ての場合に誤りであると思います。

   

 ⅱ この事件の核心は、「この人は一体どのような傷病のために長期間の通院をしたのだろうか。」、「この人にはどのような後遺障害が残っているのだろうか。」という点にあり、この点を脇において要件を満たすかどうかだけに視点を限定して「とにかく要件を満たしていない。その先は知らない。」との論理を述べることは正しくないと思います。この判決は自由心証のレベルで生の事実を探求して事実を認定することをせずに、形式論理に頼って何も認定せずに証明責任で結論だけを決めたように見えます。

証明責任は事実を認定するためのものではなく、事実が認定できなかったときに結論だけを決めるものであり、証明責任に頼って結論だけを決めてしまうとその反作用として空白部分が多く残されてしまいます。この空白部分がいかに不合理であってもそれは「証明責任に従ったのだから仕方ない」、「これは特殊な人による特殊な出来事である」と考えることは、前回に述べた背理法無視の誤謬と言わざるを得ません。

 ⅲ 通常であれば裁判官は事案の全体像(事件のスジ)を把握することを最初に行い、まず「動かし難い事実」(動かせない事実)を見つけ出し、それを軸にして全体を整合させつつ事実を組み立てていくという形で事件の全体像を把握していると思います。この「動かし難い事実」は要件事実とは無関係に生の事実のなかから見つけ出していきます。

   これに対して、この判決のように全体像を把握することなく、いきなり形式論理(要件事実、診断基準)や証明責任に飛びついて、順次必要な部分だけをその都度決めていくという判決もまれに見かけます。しかし、このやり方では上記のような泥縄式の認定にならざるを得ないと思います。

   本件では、「この人はどのような傷病のために長期間の通院をしたのだろう。」、「この人にはどのような後遺障害が残っているのだろうか。」という事件の核心部分の全体像を最初につかむ必要があると思います。

   この場合に「被害者が実際に通院した事実」、「ある病院である診断を受けたこと。」、「その治療を受けたこと」などの客観的事実は「動かし難い事実」となります。その通院や治療が長期間に及んでいて医師の診断がある場合には、それに相応する症状が存在することも「動かし難い事実」です。動かし難い事実は証拠から直接確定できる事実だけでなく、そこから演繹できる事実をも含みます。しかし、このような「動かし難い事実」は要件事実ではないだけに軽視されがちです。

上記の事実は例えば署名・押印のある抵当権設定契約書と同様の重さがあります。契約書が存在する場合には「何が起きたかは不明であるがとにかくこの契約書は捏造である。」との認定がされることはありませんが、人の傷病の場合には長期間の通院や治療や診断という事実から導かれる「動かし難い事実」であっても、「何が起きたかは不明であるがとにかくRSDではない。RSDとの診断も誤診(医療過誤)である。」との形で否定されやすいようです。

   何らの傷病もないのに4年9か月も通院する人はまずいません。形式論理を先行させて「RSDでもPPSでもない、その先は知らない」との理屈で「よく分からない事情で4年9か月も通院した非常に特殊な人がいる」との結論を導くことは正しくないと思います。この判決は全体像の把握や背理法的考察をしないまま証明責任というサイコロで順次結論を決めて前に進むすごろく式の認定になっているように見えます。

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   また、被害者の現時点(訴訟時)での所見や診断はリアルタイムの医師の判断であり、これも確実性が高い証拠(動かし難い事実)であると思います。被害者の現時点での症状から被害者に「何らかの後遺障害」があるとすれば、それは何であるのかを探求することとなります。このようにして事案の探求をして事実を明らかにしていくことは判決を書くにあたって不可欠であり、仮に不明な点があれば釈明をするべきであると思います。

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 ⅳ 裁判例の中には形式論理に頼った判断を、「高い視点からの客観的な判断」であると考えて、事案の中身に踏み込まない形式的な判断を志向しているように見えるものもあります。その背景には形式論理だけで結論を導き出して中身のごちゃごちゃした問題に入り込むことを避けることは、スマートであるという価値観があるようにも見えます。しかし、私はこのような考えは基本的な部分で間違っていると思います。

2012年3月31日 (土)

3回鑑定が行われた右上肢・左下肢RSD(23.1.26)

1 さいたま地裁平成23年1月26日判決(自保ジャーナル1863号1頁)

東京高裁23年10月26日判決も同時に掲載されていますが、以下では地裁判決について述べます。

  

  この事案の特徴は、①被害者が20を超える病院に入通院したこと、②3回の鑑定が行われていること、③疑問のある鑑定意見を判決が重視していること、④RSDとの診断が多数回繰り返されてきた右上肢を判決がRSDではないとしたこと、⑤心因的素因により2割の減額をしたことなどです。

2 症状の経過

ⅰ 被害者は事故時29歳の女子会社員です。被害者は平成11年5月25日に自転車を運転していて交差点内で乗用車との衝突事故で受傷します。

  当初は、ごくありふれたむち打ち事案のような治療を受けていますが、1か月半後に右上肢のRSDとの診断を受け、その後に左下肢のRSDも診断され、多数の病院に入通院して治療を受けます。

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ⅱ 複雑な治療経過をどのように判決文にまとめるべきか?

  判決では一般的には「事案の概要」では争いのない部分をまとめ、「争点に対する判断」では裁判所の判断を記載します。この判決は治療の経過が「事案の概要」と「争点に対する判断」の2か所に分散していて散漫な印象を受けます。少なくとも入通院した病院とその時期や治療内容は「事案の概要」で網羅した方が良かったと思います。

本件ではその時期ごとの症状に争いがあったため「争点に対する判断」で分けて書いたとも考えられますが、この場合でも通院した事実や治療内容などは「事案の概要」に記載した方が良いと思います。入通院経過について争いがある場合においても、「被告は~と主張しているが、~の理由で(後記のとおり)採用しない」と付記して「事案の概要」で最低限の骨格は網羅した方が良かったと思います。

ⅲ 以下では、判決が分散して記述した治療経過等をまとめて検討します。

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事故当日…平成11年5月25日。B病院に救急搬送される。全身打撲、頭部外傷、左下腿皮下血腫、頚椎捻挫と診断され、翌日まで入院。B病院には1か月通院。

   判決の認定によると、事故直後は被害者が首や左下腿などの痛みを訴えるも、レントゲン、CTでは異常はなく、事故4日後には全治約10日間の安静加療を要する見込みとの診断を受けています。当初は後の症状をうかがわせるような診断は受けていません。しかし、のちの経過からは事故後早期からRSDの症状が出ていたと思います。このように初期の病院でRSD(CRPS)の症状が見落とされることは、多くの事案において見られます。

18日後…6月12日より。C大学附属D病院。頚椎捻挫、左下腿挫傷と診断され、1か月に6回通院。

    被害者が早期に大学病院に転院したことから、事故直後の時期からかなり強い痛みを訴えていたと推測できますが、判決では詳細は不明です。被害者は、首と左下腿の痛みを訴え通院し、レントゲン、MRIで異常はないものの、首の痛みや可動域制限が改善しなかったため、E病院への転院となります。

1か月半後…7月13日より。E病院。外傷性頸部神経根症、反射性交感神経性ジストロフィー(RSD)と診断され、約4か月入院。退院時には、頸部捻挫、RSD(右上肢)との診断を受ける。

被害者はE病院の通院初日に右上肢についてRSDとの診断を受け、そのまま入院します。右上肢はとくに手関節から先の浮腫(むくみ)が顕著で、可動域制限も確認されています。被害者は腕の痛みのため、歩行時には右腕を振らず、体への振動を押さえるために歩行はかかとのみで接地しています。その後のリハビリの中で右手の握力は2.5kgにまで低下しています。

判例の上ではRSD(CRPS)の患者はRSDとの診断を受けるまでに3年やそれ以上を要したものもあり、その過程で症状の原因が分からずに精神科に回される事案も多く、遅れて診断される傾向が明らかにあります。この傾向は診断基準が確立する以前の古い事案ほどよく当てはまります。この事故があった平成11年前後の事故の裁判例では事故の1か月半後という短期間でRSDとの診断を受けた事案はわずかです。

以上から本件ではE病院への通院開始の時点ではっきりしたRSDの症状が右上肢に出ていたことが推測できます。被害者がそのまま4か月(126日)入院したことも、これを裏付けます。

持続性の痛みと知覚過敏、浮腫(むくみ)により、日本版のCRPSの判定指標を満たすことや、右上肢の運動障害なども考え合わせるとこの時点でCRPSを発症していたことに問題はないと思います(判決ではCRPSの発症を否定していますが、誤りです)。

被害者は、4か月に及んだ入院中に浮腫以外はほとんど症状が改善しなかったことから、退院と同時に自宅近くのF大学病院に通院を始めます。

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 半年後…11月22日より。F大学病院。2年ほど通院した模様。

      F大学病院でもRSDとの診断を受け、平成12年5月12日(事故の約1年後)を症状固定日とする後遺障害診断書が作成される。

   被害者は、通院当初に右肩から手までの右上肢全体と左下腿は触っただけでも痛みを感じるアロディニアの症状が確認されています。この症状はこれより以前から生じていたはずです。

左下腿の痛みをかばって足を引きずって歩行していた状況はここでも確認されています。左下腿の痛みは事故直後から続いており、それが悪化して行ったようです。この時点では左下腿にもRSDを発症していたと思います。

  

11か月後…平成12年4月11日より。Sクリニックへ通院。

    被害者は、右手は握りこんだ状態で指と指の間にカビが生えてきたためSクリニックに通院します。このことから指をグーの状態で握りこむジストニアのタイプのRSDが生じていたことが分かります。

F大学病院での星状神経節ブロックや仙骨硬膜外ブロックで腫脹が改善するなどの効果はあったものの、症状全体としては基本的には改善していません。そのため心因の要素もあるとして、精神科を紹介されます。

1年9か月後…平成13年2月21日より。h大学病院精神科へ通院。心理テスト結果には問題はないとされるも、抑うつと診断される。主治医は心因性疼痛の要素もあるとする。

2年2か月後…平成13年7月12日より。U病院ペインクリニック科へ通院。右上肢、左下肢にアロディニアを伴う疼痛があり、右肩関節、肘関節、左膝関節には疼痛のためか可動域制限があること、右手指には関節拘縮がないこと、右上肢の発汗が減少していること、右手指に腫脹があることが確認されるも、RSDとはっきり診断できないとされる。

現在の判定指標では優にCRPSと判定できる症状が出ているので、この時点でも右上肢、左下肢にRSDの症状が続いていたことが確認できます。この段階までにRSDとの確定診断が繰り返され、症状も悪化しているのですが、U病院は「RSDとはっきり診断できない」としています。平成13年時点では確立した診断基準がなかったため、診断に躊躇する事案がしばしばみられます。

私が気になったのは、U病院で右手指に関節拘縮がないとされていることです。上では右手を握りこむタイプの症状のため指にカビが生えてきてSクリニックに通院したとあるところ、この時点では症状が改善していたのでしょうか。

右手指には腫脹(むくみ)が依然としてあり、アロディニアの症状も出ていたことから、おそらくは自分では(痛みもあって)指をほとんど開くことができない状況ではあるものの、他人が少しの力で指を開くことができるため、関節拘縮とは判断されない状況にあったようです。

    患者さんによっては、指が強く握りこまれた状態で拘縮して、力を入れても容易には開かない方もいるようですが、この時点ではそこまでの症状ではなかったようです。

2年3か月後…平成13年7月16日。F大学病院。右上肢、左下肢について傷病名を反射性交感神経性ジストロフィー(RSD)として平成12年5月12日を症状固定とする後遺障害診断書が作成される。右手左足に骨萎縮が確認される。

    通常は後遺障害診断書を作成した日かその直近の診察日が症状固定日としますが、1年2か月も遡って症状固定日を決めていることから、平成12年5月以降は症状の改善はほとんど見られなかったようです。

しかし、ここまで極端に症状固定日を遡ることには疑問があります。症状が改善しなくとも、平成12年5月12日以降の治療で症状の悪化が防がれた可能性もあることは否定できず、RSDという難病であることに鑑みれば、症状の安定が始まった時期に症状が固定したとすることには疑問があり、腫脹(むくみ)が改善したという程度においては治療の効果もあったと言えます。

2年9か月後…平成14年2月28日より。Gセンター整形外科。RSDを原因とする右手、肘(右上肢機能障害)、左下肢機能障害との身体障害者診断書・意見書を作成。その後も神経ブロックなどが効果を有せず、RSDとの診断が下される。

    原告は、事故の2年9か月後(平成14年2月28日)にGセンターの医師が身体障害者の等級認定の診断をした日が症状固定日であると主張しています。このことからこの時点までには被害者の主張する症状は全て出ていたようです。

2年9か月後…平成14年3月2日より。H内科への通院を始める。

       RSDと診断され、運動療法のリハビリなどを受け、足の動きに改善が見られる。

2年9か月後…3月4日より。Jクリニックに通院する。3回の通院のみ。

2年11か月後…4月15日。Kセンターを受診。右半身麻痺、左下肢麻痺、右拇指屈曲麻痺、右手関節屈曲変形、正中神経麻痺、右肩関節拘縮、右肘関節拘縮、右膝関節拘縮との診断を受ける。

2年11か月後…4月24日より。L病院への通院を開始するも、M大学病院神経内科を紹介される。

3年10か月後…平成15年4月2日。N病院を受診。右上肢・左下肢麻痺、右肩・肘・手・指関節拘縮、左股・膝・足関節拘縮、右顔面神経麻痺、右上肢・左下肢知覚異常との診断を受ける。

   上記のとおり、事故の1か月半という早期にRSDという診断を受け、事故1年後に症状固定との診断を受けたことからは、早期から強い症状が出ていて、かなり早く症状が進行して重症化した典型的なRSDの症状であると考えられます。

   KセンターやN病院での診断などによれば、右上肢は肩、肘、手の関節に強い拘縮が出ているほか、手関節が屈曲した状態となるジストニア様の症状が出るタイプのRSDとして重症化していることが分かります。左下肢についても股、膝、足の関節に拘縮が出ていたことが分かります。

4年後…平成15年5月12日。O大学病院を受診。顔面神経右不全麻痺。右上肢不全麻痺、左下肢不全麻痺と診断される。

5年3か月後…平成16年8月9日。P病院を受診。傷病名をRSDとする年金診断書を作成される。翌年にも同様の診断をされる。

3 後遺障害認定

 ⅰ 被害者は事故日(平成11年5月25日)の約1年後(平成12年5月12日)に症状固定とされ、平成14年2月18日に以下の後遺障害認定を受けます。

   被害者の右前腕の痛み及び筋力不全等の症状については、本件事故による頚椎捻挫に起因して生じたRSDに起因する症状であり、「局部に頑固な神経症状を残すもの」として12級12号とされました。左下肢痛及び痺れ等の症状については、RSDに起因する症状と捉えることは困難であるとして14級10号に該当するとされ、右上肢と併合して12級とされました。

   自賠責の後遺障害認定は以上のとおりですが、右上肢については肩・肘、手関節の可動域制限や疼痛が考慮されておらず、左下肢についても同様です。可動域制限が各関節の後遺障害の等級に該当するかの判断もなされていないようです。また痛みによる日常生活全般への影響も無視されています。

ⅱ 上記の症状の経過の中で医師が診断した内容をそのまま受け取ると右上肢は5級6号の「1上肢の用を全廃したもの」に準じたものとなり、少なくとも7級4号の「神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができない」に該当することは明らかです。

下肢の症状も考慮すれば、後遺障害の認定は異常なほどに低いと思います。RSDの事案ではこのような不可解な後遺障害認定がなされる事案が非常に多く見られます。

4 3件の鑑定

 ⅰ 本件では、3件の鑑定がなされています。鑑定書を書いたとされる医師が被害者を診察した順にA鑑定(平成20年12月12日)、B鑑定(平成21年2月25日)、C鑑定(平成21年8月31日)とします。

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   A鑑定(加害者側に非常に好ましい結果)は9級7の2「通常の労務に服することはできるが、疼痛により時には労働に従事することができなくなるため、就労可能な職種が相当な程度に制限されるもの」に相当するとしつつも、被害者の後遺障害には事故による影響は少ないとし、被害者への詐病の疑いを繰り返し述べる内容となっているようです。このため被害者側が再度の鑑定を申立てた結果、B鑑定がなされたようです。

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  B鑑定(被害者に好ましい結果)は、右上肢、左下肢とも7級の4「神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」に相当し、両者の併合で5級の2「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの」に相当するとします。この鑑定は、上記の入通院先の各病院での診断をそのまま鑑定書に反映させたものですが、これに対して加害者側が再度の鑑定を申立てC鑑定がなされたようです。

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   C鑑定(加害者側に非常に好ましい結果)は、右上肢はRSDないしその可能性が高く、左下肢はRSDであるとして、12級の12に該当するとします。さすがにこれは低すぎると思いますが、判決では軽視されその概要のみしか分かりません。

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ⅱ 判決はA鑑定を非常に重視します。A鑑定の鑑定人は医療センター長の肩書を持つベテランの医師で年間15ないし25件程度のRSD臨床例を経験し、RSD患者の症例を熟知しているとして高く評価します。

その上で、「鑑定人が、経験上、賠償が絡むと詐病を訴える患者がいるため、常にRSD患者を診る時には目を引いて客観的に見るようにしている旨を述べている点は十分首肯できる」としてかなりの信頼を寄せ、鑑定書の記載や鑑定人質問での回答も肯定的に評価し、「鑑定人の示した理学所見や診断は十分信用に足るものであって」とさらに持ち上げて、この鑑定人にほれ込んだ心情が窺われます。

私はこれまでに華々しい経歴の医師によるとされる医学意見書や鑑定書を安易に信用しないように繰り返し述べてきましたが、この判決では経歴のある人がそれらしい言葉を述べたこと自体を非常に高く評価している点が気に掛かります。

結論から言えば、この判決はA鑑定を重視したと思われる不可解な医学的見解を多数述べることとなっています。

 ⅲ 以下はあくまでもこの事件のことではなく一般論ですが、これまで検討してきたCRPSの事案のほぼ全てにおいて加害者側から医学意見書が提出されています。私の経験や裁判例などから知りえた知識からは、その意見書の名義人は華々しい経歴の医師であることが少なくないようで、なかには大学医学部の部長レベルの医師やCRPS(RSD)患者を多数経験してきた高名な医師も含まれています。

これら加害者側の提出する意見書は被害者がRSD(CRPS)であることを否定ないし疑い、被害者の詐病を繰り返し強く示唆する内容となっています。被害者の主張を否定するために出されるものなので当然といえば当然ですが、このような医学意見のなかでCRPS(RSD)に必須の症状は1つも存在しないという基礎知識を述べたものは見当たりません。それどころか、必須の症状を多数存在するとするものや、さらには判定要素ですらない骨萎縮や筋萎縮が必要であるのみならず、それが重度でなければならないとの誤った見解を述べる意見が多く見られます。

これと同じ意見が裁判所の選任した鑑定人によって述べられると、裁判所はそれをより強く信じてしまう傾向があるようです。しかし、上記のとおり世の中には被害者に格別に不利となる問題のある意見を述べる医師が少なからずいるようにも見えます。ところが裁判所の提示した鑑定人リストを見ても、被害者側の弁護士はこの中の誰が「ハズレ」なのか分からないため、鑑定人を決める作業はあたかも「カードが透けて見える人とのババ抜き」をさせられるような状況となるようにも思われます。実際にもこれまで検討してきた裁判例の上では鑑定書であっても被害者に格別に不利なものは少なくないようにも見えます。

 ⅳ アメリカやオランダとの比較では、日本でCRPSを発症する人は年間に1万人~2万人ほどであり、そのうち半数前後が交通事故によるものであると私は推定していますが、専門病院の医師がCRPSとの診断を下した患者については、私は詐病の可能性は高めに見ても1000分の1ほどであると考えています。

5 判決の述べる医学的見解について

 ⅰ 反射

   判決は、「右上肢について深部反射はいずれも正常であり、病的反射も認められない」としてこの点を重視します。反射を重視することは、それ自体がちょっと奇異な感じがしますが、「異常な反射がない」、「病的反射がない」と述べて、被害者の詐病を強く示唆する医学意見は加害者側の定番です。判決によればA鑑定にはこの旨の記載があるようです。

CRPSに特有の反射はない(少なくとも知られていない)ため、何ゆえ反射に言及したのか、それ自体が理解し難いところです。ところが、筋反射や腱反射をあたかも「全ての疾患に対する万能な検査」であるかのごとく述べることは加害者側の医学意見の定番です。

   仮にCRPSではなく反射が言及される疾患であるとしても、反射を重視することは正しくありません。例えば、頸部神経根障害において筋伸張反射の感度は概ね3%~24%とされています。上腕二頭筋以外は10%以下です(『エビデンスに基づく整形外科徒手検査法』132頁)。つまり検査としての価値が非常に低いこと(価値がないこと)に反射の特徴があります。しかし、問題のある意見書においては、反射が生じる医学的な理由から詳細に説き起こして、反射の重要性を訴えて被害者の反射が不合理であると主張するものは少なくないようです(特に頚椎の不全麻痺の事例では)。

   従って、CRPSという特有の反射のない(もしくは知られていない)疾患において、仮に意見書で反射が正常であることをいぶかしむ様な記載があれば、この部分のみにおいて、その意見書の全ての価値を否定して構わないようにも思います。

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 ⅱ MRIに異常はないとの記載について

   判決は、右上肢について病的反射がないことに加えて、MRI検査で異常がないことにも言及して、MRI検査で異常が見当たらないのは、他覚所見に乏しいと述べます。

   しかし、CRPSにおいて特有のMRI画像はありません。従って、MRIで異常が認められないことは、MRIで検出されるほかの疾患(ヘルニアなど)による症状発生の可能性を否定して、消去法的にCRPSであることを裏付ける事情となります。つまり、MRIで異常が見当たらないことはCRPS(RSD)を肯定する事情です。

   ところが、MRI検査で検知できない疾患において、その疾患を否定しようとする医学意見書では、「MRIという高精度の精密検査で異常が見つからないのは、いかなる疾患も生じていないからだ。」とのニュアンスを述べることは定番です。判決はこの主張に惑わされた感じがします。

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 ⅲ 骨萎縮

   判決は、右上肢について事故の2年以上後まで骨萎縮を明確に認めた所見はなく、所見を認めた医師がいるものの、鑑定人(A鑑定)は明確に否定しているとして、これをRSDの要件として重視します。CRPS(RSD)において骨萎縮が必須であるとする主張は、RSDを否定すべく提出される医学意見書での鉄板ともいえる定番です。

   しかし、CRPSにおいては特有の症状が存在しないことは、世界中の医師が認める定説ですので、必須の症状を認定することは、それだけで重大な誤りです。

また、現在の国際疼痛学会やアメリカ、日本のCRPS判別指標においては、骨萎縮は判定要素の1つにさえ含まれていません。従って、骨萎縮がないことによりCRPS(RSD)であることを否定することは、より強い意味で誤りです。

重症のCRPSには重度の骨萎縮が必須であるとする加害者側の定番の主張(特別基準論)はもとより論外です。そのような相関性は医学的には認められていません。

   CRPSにおいてはいったん生じた症状が改善することもあります。このことは骨萎縮に限りません。このように症状が一過性の場合もあるため、日本のCRPSの判別指標においては、症状の経過のなかでの一過性の症状をも対象に含めて検討します。

   従って、仮に鑑定時点で骨萎縮が確認されなかったとしても、症状の経過の中で骨萎縮がなかったことを意味するわけではありませんが、判決はこの点についても誤解しています。仮にこれが判決の重視したA鑑定に基づくとすると、本当にこのレベルの医学意見が出たのであろうかと疑われる内容です。

   本件では、右上肢について通院中にも骨萎縮の存在は繰り返し確認されており(F大病院の整形外科・麻酔科、G病院など)、自賠責の認定でも確認され、A鑑定の2か月後に行われたB鑑定でも「明らかな骨萎縮」があるとされ、12級との非常に低い等級を述べたC鑑定でさえも、「軽度の骨萎縮」があるとしています。従って、A鑑定のみが正しく画像を読み取ったと考えるべき状況にはないように思います。

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   なお、高裁判決は、CRPSによる可動域制限が長期間続いていたならば顕著な骨萎縮が生じているはずだという理屈(特別基準論)を付け加えています。「この事件は特別の事情があるからこの要件が特別に必要である。」という特別基準を持ちかける論法です。これを認めたら一般の基準の意味がありませんので、この論理自体に問題があります。一般的な基準でCRPSとされるものを、これを否定するためだけの特別基準を当てはめてCRPSではないとすると矛盾が生じます。可動域制限が長時間続いたならば重度の骨萎縮が生じるという論理ももちろん誤りです(そのような相関はありません。)。しかし、この定番の主張に惑わされた判決は多く見かけます。

あろうことか高裁判決は筋萎縮も重度でなければならないという理屈も付け加えていますが、これも誤りです。筋萎縮を判定要素に含む診断基準は過去においても一度も提唱されたことがないはずです。国際指標や日本の指標では浮腫で腕がむくむこと(判定要素の1つ)を重視していますが、これとは逆に腕が痩せ細ることも同時に要求するのは矛盾となります。まさにその矛盾を高裁判決は述べており、しかも重度の浮腫と重度の筋萎縮が同時に必要であるとしています。

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 ⅳ 浮腫

   判決は、被害者が事故後早期に発症した右上肢の浮腫(むくみ)が、その後の神経ブロックなどの治療により改善したとする一方、「浮腫は時間の経過とともに憎悪、拡大するのが一般的である」として、被害者がRSDではないとする方向に向います。

   しかし、CRPS(RSD)においては特有の症状は存在しないことは、当然のごとく浮腫についても言えます。従って、この点のみにおいてすでに誤りがあります。

   それはおくとしても、判決の述べる「浮腫は時間の経過とともに憎悪、拡大するのが一般的である」という考えは誤りです。上記のとおりCRPSにおいてはいったん生じた症状が改善することもあるため、判定指標においては治療のなかで一時的に存在した症状も検討対象に含めます。従って、治療の経過のなかで浮腫(むくみ)が生じたことはそれ自体が、RSDを肯定する重要な要素となります。

   この点をもおくとしても、難病とされるCRPS(RSD)といえども、治療によって症状が改善する患者さんもいるので、浮腫が悪化せずに改善する場合があることは至極当然のことであると思います。現にこの事件では事故の1か月半後にRSDと診断された時点で、右上肢には特に右手関節から先に顕著な浮腫(むくみ)が確認されていたところ、その後の治療で改善したとされています。

仮に万が一、これも鑑定に基づくとすれば、本当にこのようなレベルの医学意見が訴訟で出されたのであろうかと疑いたくなるようなひどい誤りですが、訴訟ではこのレベルのものを頻繁に見かけます。このレベルの意見でも権威のある方の名義の鑑定書・意見書において深遠な口調で「私の長年の経験からは~である」などと自身満々で書かれていると信用してしまう裁判官も少なくないようです。

判決は、A鑑定では鑑定(診察)時には浮腫(むくみ)は一切認められなかったと明確に述べているとして、浮腫は存在しないとしていますが、これも疑問です。A鑑定以前の多数の入通院先やA鑑定の2か月後に診察したB鑑定では、浮腫を認めたとしています。偶然にもA鑑定のときだけ浮腫がなくなっていたとは考えにくい状況があります。

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 ⅴ 程度問題の錯誤

   以下はあくまでもこの事件のことではなく一般論ですが、私の経験では被害者の詐病を強く示唆したRSDを専門の1つとする華々しい経歴を有する非常に高名な鑑定人が、軍手を3重にはめたようにはれ上がっていた右手(とくに手の甲の部分は軍手5重位になっていました)を「ごく軽度の腫脹」としてほとんど無視したこともあります。

この種の訴訟の経験のない裁判官が鑑定人を信用しきってしまうと、軍手を7重にはめたような誰が見ても疑うことなく病的であると思えるような腫れ方になってはじめて「普通の腫脹」であると勘違いするかもしれません。そのような典型症例の写真が医学書に載っていることもこの勘違いを後押しするかもしれません。そうなれば、見て分かる程度のむくみが生じている場合であっても「浮腫なし」と断言されると、「医学で疾患として認められるレベルの浮腫(むくみ)はこの程度では足りないのだな。」と納得してしまうようです。

しかし、腫脹とはむくみのことであり、それ以上でもそれ以下でもありません。私のような素人が「少しむくんでいる」と気付く程度のむくみであっても、普通の医師は「腫脹あり」と明確に診断します。

普通の人が「むくんでいる」と気づくレベルであれば、当然に医学的にも「むくみあり(+)」とされます。ましてや軍手を2重にはめたほどであれば、「顕著な腫脹あり(++)」という表現が使われるレベルです。

こんなことは当たり前ではないかと思う方も多いかもしれません。しかし、医学の知識のない人が「かなりむくんでいる」と思うレベルの腫れ方であっても、自分が信用しきった高名な医師が同じ状況を「ごく軽度の腫脹である」とか「病的な浮腫はない」自身満々に明確に断言すると、「ほぅーそれが医学の基準なのか。なるほど、危うく勘違いするところであった。」と納得してしまうことも少なくないようです。

他の症状についてもこのような「程度問題の錯誤」は少なからず生じるようです。筋萎縮など数字が出るものについても、例えば右足大腿部と左足大腿部の周囲の差が1.5cmであるのを筋萎縮によるものと考えていたところ、高名な医師が自身満々に「わずか1.5cmだから誤差の範囲であり筋萎縮と断言できるレベルではない」との趣旨を明言すると、「ほぅこれが医学のスタンダードなのか。なるほど、危うく勘違いするところだった。」と納得する方も少なくないと思います。

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 ⅵ 主観基準のレトリック

   この「程度問題の錯誤論法」には前フリとして、「主観基準のレトリック」ともいうべき論法が導入されることもあります。

「骨萎縮があるといえるためにはどの程度の骨萎縮があれば良いのか分からない。」、「どこまでの皮膚色の変化があれば良いのか分からない。」と強調して、判断する医師の主観に委ねられる部分が大きいので基準を運用する際には、「誰もが認める一見して明らかな重大な症状のみを採用すべきだ」という結論に誘導します。この結論だけ見ればとんでもない暴論ですが、素人には知識のない専門分野で権威のある人が前フリから丁寧にこの理屈を述べると信じる人も少なくないようです。

   当たり前のことですが、骨萎縮があること自体が分かれば、それは「骨萎縮あり(+)」です。むくみがあることが分かれば「浮腫あり(+)」です。皮膚の温度差(1~2℃の差であっても)や皮膚色の違いなども同様に違いがあること自体が分かれば「あり(+)」です。基準は主観に流されるような曖昧なものではありません。

   わずかに症状が認められる場合であっても擬陽性(±)として積極的に考慮します(実際にもギボンズの基準では擬陽性をも考慮することが明記されています)。CRPSには必須の症状はないので、存在が確認できる症状についてはわずかなものも洩らすことなく考慮すべきことは当たり前のことです。

   以上に対して症状が存在すること自体に争いがないものに対して「存在するけれど軽度なので無視するべきである」とか「誰もが認める一見して明らかな重大な症状のみを考慮すべきだ」という論理がとんでもない暴論であることは明らかでしょう。

      こんなことは当然のことであると言われるかもしれませんが、C鑑定にこの趣旨の記載がなされていたようであり、高裁判決はこの論理を大幅に取り入れています。

   CRPS(RSD)の事案ではほとんどの場合に加害者側から被害者の傷病を否定べく医学意見書が出され、医学の素人であれば騙されてしまうような「一見するともっともらしい」主張や指摘が数多く用いられます。たとえ暴論であっても医学知識に乏しい被害者側がその全てを反駁しつくすことは至難の業なので、多数の主張を織り交ぜてきます。医学意見書の名義人が高名な医師であることも少なくないようで、そのような舞台設定による「劇場効果」もその意見を信じさせる要素になっているかもしれません。裁判所が選任した形になっている鑑定人となれば劇場効果はなおさら高くなるかもしれません。

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ⅷ 「軽微」という表現そのものについて

  以下はあくまでもこの事件のことではなく一般論ですが、目視や写真で見てすぐにそれと分かる腫脹(むくみ)について「軽微な」という形容詞をつけることは重大な誤りです。しかし、加害者側に有利な内容の意見書では「軽微な」、「ごく軽度の」、「わずかな」という形容詞を多用するものは頻繁に見られます。

医師であってもむくみであるかどうかの判別が困難なレベルのごく僅かな腫脹であれば、カルテには「わずかに腫脹が見られる(±)」と記載されると思います。「±」(擬陽性)は「わずかに見られる」、「軽微な」、「ごく軽度の」という意味で、「あり(+)」とは区別されます。

普通に見て腫脹(むくみ)や骨萎縮、筋萎縮、皮膚の変化などがあること自体に疑いがないものに対して、擬陽性(±)の意味となる「ごく僅かな」、「軽微な」、「ごく軽度の」という形容詞を用いることは重大な誤りです。医師がこのような初歩的な言葉使いの間違いをするとは思えないレベルの間違いです。

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以上に対して、「軽度」という言葉はどうでしょうか。「軽微な」、「ごく軽度の」、「わずかな」にくらべて症状が少し重い感じがします。「症状が存在するけれども軽度である」の意味ならば、擬陽性とは別の意味とも言えそうです。私も文脈によっては「軽度」という表現には問題がないと思います。

ただし、「軽度の骨萎縮」という表現は問題のある意見書に見られる独特の表現であるように思います。骨萎縮があると分かるものは「骨萎縮あり」と書くだけでよいのに、わざわざ「軽度の」という言葉を追加することには違和感があります。とくに症状を評価する段階ではなく、取り出す段階でこの表現を用いることはおかしいと感じます。

「軽度」という言葉は取りようによっては擬陽性とも取れる言葉です。普通であれば、骨萎縮の内容を説明する表現として、「~骨頭部に骨萎縮あり」という形でその部分を示して書くと思います。部分の限定もなしに「軽度の骨萎縮」という言葉が用いられると、「どこに骨萎縮があるかどうかは別としてとにかく軽度であることが言いたいのであろうか。なぜ場所や範囲を示さないのであろうか。」(この人は画像が読めているのだろうか)という違和感があります。

まして「ごく軽度の骨萎縮」という表現ともなると、それは骨萎縮の有無について擬陽性との見解を示すものとなり、他の複数の医師が「骨萎縮あり」(陽性)としたものについてこのような表現を用いると、そこには見解の相違があり、どちらかが誤りということになります。

問題のある意見書のなかには、「ごく軽度の」という言葉を「陽性(骨萎縮あり)であるけれどもごく軽度である」という意味で用いているものをしばしば見かけます。医師がこのような表現を臨床で用いるとは思えません。私はこのような形容詞の使用法それ自体に強い違和感があります。

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 ⅸ 不自然なレトリック

   以下はあくまでもこの事件のことではなく一般論ですが、問題のある医学意見書においては、端的に症状を記述すべき部分で「病的な浮腫はない」、「病的な筋萎縮はない」、「著明な浮腫はない」、「明らかな骨萎縮はない」、「下垂のためか腕がうっ血している」などの余分な形容詞を用いるものをよく目にします。

   例えば、浮腫があることが写真でさえも分かる状況において「病的な浮腫はない」という表現が用いられたりします。文字通りに受け止めると、「浮腫(むくみ)があるように見えるけれども、病的なほどのレベルには達していないから、医学的には浮腫はないとすべきものである」という意味に思えますが、これは不可解なことです。

   私はカルテの中でこのような形容詞を用いるものは見た記憶がありません。普通のカルテにはそれぞれの症状について、端的に「+」(陽性、症状あり)、「-」(陰性、症状なし)、「±」(擬陽性、症状がわずかに見られる)との外形的事実のみを記載しています。

症状に「病的な」などの形容詞をつけて記載することは、医師が臨床で用いている一般的な症状の表現法とは、根本的な部分で視点が異なります。個々の症状を取り出して記述する際に病的かどうかを述べることはおかしなことです。

臨床ではわずかな症状も洩らすまいとカルテに擬陽性まで記載している医師が、医学意見書では「著明な浮腫はない」として一見して明白で確実なもの以外を無視すべきであるとして、症状の見方を根本から変更した表現法に切り替わるというのも不自然であると思います。

また、症状の有無だけを端的に記載すべき部分で、「下垂のためかうっ血していた。」、「不使用のためか拘縮が生じていた」という余分な形容詞や、「この症状は~に整合しない。」という否定の理屈を付け加える癖のある意見書も、加害者側の意見書ではよく見かけます。臨床ではカルテには端的に症状の有無だけを列挙して、列挙を終えた後にいくつかの傷病の候補を当てはめて検討していくはずです。従って、臨床での検討方法とは根本的に異なる思考法を医学意見書で用いるというのもおかしなことであると思います。

以上のように問題のある医学意見書においては、「症状を端的に取り出す」という症状を検討する前提が成り立っていないものをしばしば見かけます。

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 ⅹ 不使用による症状

   判決は根拠とはしませんでしたが、A鑑定は被害者の右手指はRSDではなくて一次性局所ジストニアで、左下肢は軽度のRSDで、これらによる長期間にわたる右上肢および左上肢の不使用が被害者の症状の原因であるとしています。つまり、被害者の「不使用」が症状の最大の原因であるとしています。

   一次性(原発性)ジストニアとは、他に原因となる要素が見当たらないジストニアをいい、二次性ジストニアは薬剤や遺伝などにより生じたものを言います。つまり、A鑑定は右上肢の症状は手指のみ(腕にはない)であり、その手指については事故とは関係しないジストニアの発病であるとして、加害者の責任ではないとしていることになります。これによると、ジストニアは局所性のものであって、上肢全体の症状が重く見えるのは被害者の個人的事情であるということになりそうです。

   左下肢についても現実に症状が確認できるよりも軽度なRSDであって、症状が重く見えるのは、使えるのに使わなかった「不使用」という被害者の個人的な事情によるとしているようです。

   この部分を普通に読むと、この被害者はもともと軽度の傷病(しかも事故と無関係な一次性ジストニア)に過ぎないのに、とんでもない特異な性格のため、格段に重症に見せようとして右上肢・左下肢を数年という長期間にわたって全く使用しないことにより、無理やり重症化したRSDのような症状を作り出したということ述べているように読めます。

   さすがにA鑑定のこの部分は「いくらなんでもそんな人がいるわけがない」というのが普通の感覚ではないかと思います。人前でだけ症状を偽装するだけではなく、人の見ていない日常生活でも数年にわたり一度も関節を曲げないというレベルの努力をしていたことになりそうです(私はこれでもRSD類似の症状を作り出せる可能性はないと思います)が、普通であればこのような想定を要求する話は、その前提部分を信じないと思います。

   また右上肢については、事故後早期から多くの病院で繰り返しRSDとの診断がなされ、その治療が続けられてきた経緯からは、一次性局所ジストニアという加害者側に非常に都合の良い病名が正しいとすると、被害者は偶然にも事故直前頃に一次性ジストニアを発症し、事故の1か月半後にE病院でRSDと診断されるように人知を越えるレベルの偽装工作をした(私はこの偽装は不可能であると思います)と想定して、当初からの治療経過の全体をつじつま合わせしなければならないこととなりますが、さすがにこれは荒唐無稽なストーリーであると思います。

6 出来過ぎストーリー

 ⅰ 事故により重篤な後遺障害を負ったとして被害者が訴訟を起こしたところ、加害者側は以下のようなストーリーを主張してきました。

   それは「本当は軽微である事故をきっかけにそれまで真面目に仕事をしてきた被害者の人格が変わり、何かにとり憑かれたように虚偽の症状を訴えることに人生を賭けるという特異な性格に変質し、どのような偽装を用いたのか想像も付かない特殊な偽装方法を天才的なひらめきによりあみ出して、さらに驚異的な粘り強さでその偽装を根気良く続けて、長期間にわたってウソの病気の治療を受け続け、仕事も休み続け、知人や家族や主治医や弁護士を騙し続けて、重症化した症状の偽装を続けてきた。」というストーリーです。これは加害者側に非常に都合の良い出来過ぎたストーリーです。普通の人は「こんなことはあり得ない」と思うでしょう。

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 ⅱ しかし、このような帰結(世界像)を必然のように導いてしまう医学意見書はCRPSの訴訟においてはむしろ定番とも言えます。なにしろCRPSの訴訟では重症事案であっても症状を否定する医学意見書が出されることが恒例行事のようになっています。

被害者の主張する症状を否定する(詐病とする)ことになれば、長期間の通院や治療や仕事の休業なども最初から最後まで全部がウソに基づくことになります。

ところが詐病を認定する判決においては、その認定を全体として整合するようにつじつまを合わせた世界がどのようなものであるのかについて、考えていないようです。ただ泥縄式(行き当たりばったり)に事実を前から順に決めて行くだけで、その事実を決めてしまうことがどのような帰結(世界像)を導くのかをきちんと想定していないように見えます。「正しいはずの基準(方法論)が導いた結論だから、どんな結論であっても物理的に不可能でない限り、正しいはずである。」という考えで自分が認定した事実の先にある帰結(世界像)を直視していないように思います。

   認定した事実の先にある帰結(世界像)を想定してみれば、上記のような「とんでもない」というレベルのストーリー(しかも当事者の一方に非常に都合の良いストーリー)を作り上げる必要があることに気付き、はたと考え直すはずです。

上記の想定は、加害者側に都合のよい結論に至るために全ての事情を最初から完全に作り変える「出来過ぎストーリー」です。この種の「出来過ぎストーリー」を導くもとになる陰謀論(詐病による事実全体の再構成)をどうして信じてしまうのか、私には不思議で仕方ありません。

年間1~2万人ほどと推測されるCRPS患者の症状の経過としての外形を否定して、数千万人に1人いるかどうかという極めて特異な人間により周到に偽装された症状であると考えるには、相当に確実な根拠を必要とすると思います。

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7 すごろく認定

 ⅰ 上記のような「出来過ぎストーリー」に陥ってしまうのは、事実認定において結論の妥当性の検討が十分になされていないことに原因があるように思います。

結論の妥当性を検討することは、事実認定では不可欠の基本的思考です。認定しようとする事実がその先でどのような帰結(世界像)を導くのかをちくいち検討することは、初歩的かつ基本的なことであると思います。

しかし、事実認定に疑問のある判決の多くは、結論の妥当性の重要性を理解していないように見えます。それどころか、「正しい前提が導いたのであるから、その帰結も正しい。」というところで思考を終えてしまい、その先の検討をまったくしていないようにも見えます。

 ⅱ とくに要件事実論を過剰に重視しているように思われる判決においてはこの傾向が窺われます。もとより要件事実論は事実認定のための理論ではないと思われるのですが、事案全体のなかからまず要件事実とされる部分に着目してその部分のみの事実認定を先行しようとして、それが自由心証主義でできなければ深く検討せずに直ちに証明責任を適用して、まず要件事実とされる部分を確定させ、これにつじつまが合うようにそれ以外の部分を順次認定していくという、泥縄式(行き当たりばったり)に見える認定はまれに見かけます。この事実認定のやり方は要件事実論の枠組みをはみ出しているように思います。

私はこれを「すごろく認定」と呼んでいます。サイコロを振ってすごろくのように前に進んでいくだけの認定です。証明責任とは真偽不明に陥っても結論を決めなければならない立場にある裁判官に与えられた伝家の宝刀で、証明責任に頼ることは自由心証主義のもとでの理性による合理的な認定をあきらめて、証明責任という「サイコロ勝負」に結果を委ねることを意味します。このサイコロ勝負を局所的に繰り返して事実認定を泥縄式にしていくやり方は、まさに「すごろく認定」というべきものであると思います。

   事実認定がすごろく式にならないようにするために、認定しようとしている事実の一つ一つについて、事案の全体像と整合するかどうか、その認定がどのような帰結を導くのか(その帰結は不合理とはならないか)を逐一検討することは基本的なことであると思います。

 ⅲ 背理法について

   以上の検討は、背理法が関係します。背理法は例えば「√2が有理数ではない」を証明するために「√2が有理数である」と仮定して検討するときに用いられたりします。簡単な例では以下のようになります。

   <命題:クモは昆虫ではない、を証明せよ>

   ①「クモは昆虫である」か「クモは昆虫でない」のいずれかである。

   ②「クモは昆虫である」と仮定する。昆虫は足が6本である。よって、クモの足は6本である。

   ③ クモは足が8本あるので仮定②は誤りである。

④ ゆえに「クモは昆虫ではない」が正しい。

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   背理法は、以下の手順を踏みます。

   <命題:AならばBを証明せよ>

   ① 「A→B」か「A→B¬」のいずれかである(排中律)。

    * 「→」は「ならば」、「¬」は「ではない(否定)」です。

   ② 「A→B¬」と仮定して、矛盾を示す。

   ③ ②より「A→B¬」は誤りである。

   ④ ゆえに「A→B」である。

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これを本件のような事例にあてはめると、以下のとおりとなります。

<命題:患者Xは詐病ではない、を証明せよ>

① 「Xは詐病である」か「Xは詐病ではない」のいずれかである。

② 「Xは詐病である」と仮定する。すると、上記の出来過ぎストーリーが必然的に必要となる(必然的帰結)。しかし、これは正しいとは考えられない。

③ ②より、「Xは詐病である」は誤りである。

④ ゆえに「Xは詐病ではない」が正しい。

 ⅳ 背理法とすごろく認定

   背理法の話を出したのは、すごろく認定には背理法の視点が欠けているのではないかと考えたからです。つまり上記の②の部分で「Xは詐病である」との仮定が導く帰結の妥当性を検討することは、背理法による検討の過程に位置づけられます。

   ただし、よくよく考えてみると背理法という言葉をわざわざ用いるまでもないかも知れません。当事者双方の主張がどのような帰結を導くのかを逐一検討することは当然のことであり、背理法を持ち出すまでもないとも言えそうです。

しかし、事実認定を基礎付け主義的に行う傾向のなかでは、「正しい基礎を積み上げて導かれた結論について妥当性を検討するのは良くない。」という思考に陥る可能性もないとは言えないと思います。背理法は思考の一般原則であり、証明責任に頼った認定をする前に自由心証主義のレベルで必ず検討すべきことがらであると思います。

2012年2月22日 (水)

温熱療法を否定された左下肢RSD(17.11.25)

1 名古屋地裁平成17年11月25日判決(自保ジャーナル1635号2頁)

  判決は抜粋ですので、症状の経過などの詳細は不明です。

  この事案の特徴は、①事故1か月半後という早期にRSDと診断されたこと、②入浴施設のある特別室への入院が争点になったこと、③自賠の3要件基準が広まる前の事案であること、④後遺障害診断書の症状固定日を否定して早期の症状固定を認めたことなどです。

2 症状の経過

ⅰ 被害者は事故時45歳男子中古車販売業代表者です。被害者は平成12年5月21日に出会い頭の衝突事故に遭います。判決は抜粋のため治療経過等の詳細は不明です。

  被害者は、事故直後から非常に強い痛みを訴えていたようであり、事故の1か月半後という早期にRSDとの診断を受けています。平成18年以前の判例では1か月半という早期にRSD(CRPS)との診断を受けた事案は少なく、事故から2、3年後にようやくRSDとの診断を受けたという事例がしばしば見られます。

判決によれば、被害者は事故直後から左下肢に強い疼痛を訴え、徐々に症状が悪化し、左下肢の発汗消失、冷感、熱感、サーモグラフィー検査で左右に温度差が認められ、骨シンチグラフィー検査では左下肢で集積が認められたとされています。従って、被害者がCRPS(RSD)であることは問題がないと思われます(それでも恒例行事のごとく加害者は争っていますが)。

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ⅱ 被害者は、事故3週間後の平成12年6月21日から12月31日まで半年ほど入院しています。自営業の経営者が入院して事故後半年も仕事ができない状況ですので、相当に重い症状であったと推測できます。

  被害者は、左下肢の痛みを訴え、入院に際しては入浴により体を温めると痛みが和らぐとして入浴施設のある部屋を希望したところ、入浴施設があるのは1日あたり3万1500円高くなる特別室しかないということで特別室に入院します。

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ⅲ 被害者の症状は平成13年になると落ち着いてきたようであり、強い痛みは続いていたものの、症状の悪化も改善もほとんどなく、こう着状態になっていたようです。判決ではこのことを理由に平成13年4月18日に症状が固定したと判断しています。

 しかし、被害者は酷い痛みのため仕事にはほとんど復帰できなかったようであり、症状の改善を望んでそのまま治療を続け、平成14年11月12日に症状固定となります(しかし、上記のとおり判決では症状固定時が1年7か月早められています)。

   症状固定時の傷病名は反射性交感神経性ジストロフィー(RSD)、自覚症状は「左下肢、特に下腿の疼痛と冷感」、他覚症状等は、「左臀部、左大腿、左下腿諸筋の筋緊張低下、左下肢発汗消失、左下肢、特に下腿の皮膚温低下、骨シンチグラフィーにて左下肢で集積亢進を認める。」とされています。

3 特別室への入院

 ⅰ 被害者は事故後半年ほど入浴施設のある特別室に入院しています。被害者は入浴により体を温めると痛みが和らぐことから、入浴施設のある部屋への入院を希望したところ、入浴施設のある部屋は特別室しかないことから特別室に入院することになったようです。

   CRPS(RSD)の患者のなかには体が冷えると痛みが強くなる人がいることは医学的にも認められており、クーラーの冷風にさえも強い痛みを感じる患者もいます。従って、入浴により体を温めることにより症状が和らぐという被害者の訴えは事実であると思います。

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 ⅱ TRPチャネル

 医学的には、侵害刺激の温度に反応するTRPチャネルの存在が知られており、43度以上で活発化するTRPV1、8~28度で活性化するTRPM8、17度以下で活性化するTRPA1などが知られています。このほかにも種々のTRPチャネルがあります。これらのイオンチャネルが活性化すると、自由神経終末内にカリウムなどの陽イオンが流入してインパルスが発生し、痛みとして感知されることになります(詳しくは『痛み研究のアプローチ』146頁、『麻酔科学レクチャー』2巻4号592頁、『臨床整形外科』42巻6号541頁、『難治性疼痛の薬物療法』106頁などに記載があります)。

  このように痛みが温度変化に関連することは医学的にも証明されているので、被害者が入浴施設のある部屋に入院して、体温を一定以上に保持しようとしたことは理由のあることです。

ⅲ 温熱療法

しかし、判決は病院側で被害者に対して入浴の時間や回数、温度などを指示した事実はないとして、その必要性を否定しています。病院は温熱療法としての細かい指示はしていなかったようです。そこで判決は、温熱療法という治療を行うわけでもないのに、1日3万1500円も高くなる特別室が必要であるとは認められないという結論に至っています。

  温熱療法の有効性については、二重盲検法に基づいた明確な証拠はないとしつつも、CRPSの患者にはこれを積極的に導入してすべての患者に行っているという医師もいます(『オルソペディクス』18巻6号・05年6月23頁)。

  温熱療法には、①42度前後の湯と10~15度の湯に交替に患部を浸す交代浴と②単なる温浴や③渦流浴などの方法があり、浴槽に入浴剤や自然塩をいれるなどのバリエーションもあるようです。患者に自宅での温熱療法を指示することもあるようで、患者が自宅でも行える自由度の高い治療法のようです。

細かな条件のある交代浴にしても温度が患者に合わなければ、適宜変化させても良いようです。交代浴により劇的に症状が改善した例が紹介されているもの(『整形・災害外科』45巻13号、02年12月1337頁)もありますが、二重盲検法を経ているわけではないので交代浴だけの効果とは言い切れないようです。単なる温浴の方が効果が強い人もいるという報告もあり、ケースバイケースのようです。単なる温浴としての温熱療法は、約42度のお湯に体を浸す(入浴剤や自然塩を適宜入れる)というもので、普通の家庭での入浴と外形は同じです。つまり、外形的には温熱療法と入浴とを区別することはできません。

ⅳ 判決は、この温熱療法がこの事件の被害者に用いられたのであれば、それに付随する医師からの細かな指示などの記録が残っているはずであるが、それがないのであれば温熱療法は行われていたとはいえず、特別室の必要性は認められないとしました。判決は温熱交代浴を念頭において、いやしくも治療と称するのであれば医師が温度や温水に患部を浸す時間などの細かな指示を与えて、それを看護日誌などに記載していなければならないとの考えたようです。

  体が冷えると痛みが増し、入浴で痛みが軽減するという理由だけで特別室を認めることは過剰な出費を加害者に強いるということで、判決は「正規の治療」のハードルを高くしてしまいました。

  しかし、上記のとおりCRPS(RSD)患者において温度に敏感に痛みが生じる例があり、温度変化により痛みが関連することは医学的にも証明されていることであって、被害者が「痛みが上まで響いてくる。ふくらはぎがもぎちぎられるような感じ。」であるとして激しい痛みを訴えていたことに鑑みると、その痛みを抑えるために入浴施設のある部屋に入院して、痛みが生じたときには随時入浴して疼痛を緩和することや疼痛を予防することができるという重要性があることからは、その程度において特別室は必要であったと言えます。

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 また、温熱交代浴よりも単なる温浴の方が効果が強い患者もいることや、温熱療法には多くのバリエーションがあり患者が自宅でもできるとされているように自由度の大きな治療法であること、単なる温浴は普通の入浴と外形はほぼ同じであることからは、医師による細かな指示により管理されたものだけを温熱療法とする判決の前提には誤りがあります。

RSDにおいては早期の治療が重視されていることに鑑みても、事故後早期の入院において特別室での入院が疼痛の抑制に役立ったといえるのであれば、それは「無用なぜいたく」であるとは言えないと思います。以上から、私はこの費用を加害者が負担することとなっても、とくに不合理とは思いません。

 ⅴ なお、病院側は温熱療法としての細かな手順を指示してそれを記録化していないにも関わらず、被害者の入浴を温熱療法と理解しており、診断書には「温熱療法施行。温熱療法は主に入浴であり、疼痛に対し、著効を示し、随時必要とした。そのため随時入浴可能な病室を必要とした。」との趣旨を数回にわたり記載していたようです。

   病院側は、RSDという疼痛を主とする疾患において随時の入浴で疼痛が抑制されるならば、患者の自由度の高い入浴であっても治療としての温熱療法であるとの考えで、実際にも温熱療法を施行したという認識で診断書に温熱療法と繰り返し書いていると思います。

実際の医療現場ではこの病院側の考えは特別に変わったものであるとも思えません。温熱療法は基本的にはそれだけで決定的に良くなるという治療ではなく、これにより患者に日常的に持続している疼痛とこれに因るストレスを緩和させて、他の治療の効果を高めようという形で、治療の背景的な部分に位置づけられるものであるので、判決のように温度や入浴回数などの厳格な管理がなければ温熱療法ではないとすることは、現場の実態に合わないと思います。

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   これに対して、判決からは、「被害者の言いなりになって被害者に無用なぜいたくをさせた病院が、泥縄的にそれを温熱療法として肯定しているに過ぎないのではないか。」とのニュアンスが感じられます。判決からは、温熱療法ではないとして特別室への入院費(約640万円の増加)を否定されれば、病院側は治療費の回収が困難となるから、やってもいない温熱療法を診断書に記載したのではないかという懐疑も感じられます。

   判決は温熱療法を医師による細かな指示と管理のもとで行われる治療に限定するという定義レベルでの誤りに陥ったために(これは加害者側の医学意見書に基づくものかもしれませんが)、本件での温浴を当然のように治療とみなしていた病院の意識と乖離してしまい、病院が患者に迎合して虚偽内容の診断書を繰り返し書いたとの見方に流れていったようです。

   しかし、病院側が繰り返し虚偽内容の診断書を作成したことになる結論になることが分かった時点で、その前提をもう少し検討すべきであったように思います。

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 ⅵ このように正規の診断書に対しても、判決の結論に反するものについては「患者からの何らかの圧力により医師が患者に迎合した。」とのニュアンスでこれを否定してしまった判決はこれまでにもしばしば見られたものです。これは証拠の読み替えです。都合の悪い証拠に対して、特別の事情を付加してその証拠を否定しようとする確証バイアスと言えそうです。

   特に患者の(実質的な)詐病を誤って認定した判決においては、「医師が患者に迎合して心ならずも虚偽の診断をした」とのニュアンスで診断を否定することが多く見られます。このような穏当でない証拠の読み替えをする結論に至った場合には、その前提をもう一度検討しなおしたほうが良いと思います。

4 RSDの該当性

 ⅰ 上記のとおり、本件がCRPS(RSD)であることには特に問題はありません。本件は自賠責保険の3要件基準が制定される以前の事故で、平成15年8月8日に通達された3要件基準はこの訴訟では反映されていないようです。実務で加害者側から3要件基準に基づいた主張がなされた事案の判決が出始めたのはこの判決の出た頃からです。

   すでに他のところで何回も述べましたが、CRPSの最大の特徴は特有の症状がないこと(必ず生じる症状が1つたりともないこと)であり、このことは世界中の医学者が認めている定説であり、ごく基本的な常識です。

しかし、3要件基準は、①関節拘縮、②骨の萎縮、③皮膚の変化(皮膚温の変化、皮膚の萎縮)という慢性期の主要な3つのいずれの症状も健側と比較して明らかに認められる場合にかぎり、カウザルギーと同様の基準により、7級、9級、12級に認定するというものです。

 ⅱ この3要件基準は労災や自賠責においても「RSDかどうかを判定する基準」ではありません。労災や自賠責では「3要件基準を満たさないRSD」が存在することが前提となっており、それは12級以下の等級とされるというのが3要件基準の趣旨です。

もちろん3要件を満たすかどうかと後遺障害の重症度は相関しないので、この3要件基準は誤りというほかありません。何ゆえ被害者に不利にしか働かないこのような基準が制定されたのか、理解に苦しみます。

   一方で、訴訟では加害者からこの3要件基準がRSDの診断基準であるという誤った主張がなされることが常態化しており、その結果、「3要件基準を満たさないのでRSDではない」との誤った論理を述べる判決も少なからず見られます。

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 ⅲ 3要件基準が訴訟で主張される以前は、被害者の症状を全体として検討するほかないため、それ以後の判決よりも実質的な考察がなされているものが多いと思います。本件においても、被害者の症状を実質的に検討してRSDであるとの判断に至っています。また主治医の診断への尊重という傾向も見られます。

   本件での加害者側の主張はその後の判決でもしばしば見られるもので、①灼熱痛が出ていない(出る患者は一部のみなので誤った主張です)、②熱感を訴えず、冷感を訴えている(双方の症状ともCRPSで生じるので誤りです)、③発汗の左右差がない(すべての患者に発汗の差異が生じるわけでもないので誤りです)、④浮腫が認められない(すべての患者に浮腫が生じるわけではないので誤りです)というものです。

   判決は、浮腫(むくみ)が認められないことをもってその症状がSRDではないとはいえないと述べ、この点に本判決の意義があるとして、自保ジャーナルでは「浮腫、発疹なくともRSDを認めた」事例として紹介されています。しかし、CRPS(RSD)においては必ず生じる症状は1つたりともないことは世界中の医学者の定説であり、ごく基本的な常識であるというポイントさえ押さえていれば、悩むこともないと思います。

なお、この判決は「被害者には灼熱痛がなかったとは言えない。」とする苦しい論理を用いたため、被害者が患部に冷感を訴えていたことと整合しにくくなっています。

5 症状固定日について

 ⅰ 被害者は、平成12年5月21日に事故に遭い、平成14年10月29日に主治医により症状固定と診断されています。これに対して判決は、主治医の診断を否定し、その1年半前の平成13年4月18日に症状が固定したと判断しています。

   判決の根拠はその頃に症状が安定し、その後に症状の悪化も改善もほとんど生じていないという点にあります。被害者は入院中からの歩行訓練により、平成13年2月2日には歩行が安定し、その後も歩行の安定は続き、3月16日には歩行訓練は終了したとされています。

   左下肢の冷感や痛みなどは続いていたため、被害者はその後も通院を続けたようですが、平成14年10月29日に症状固定と医師が診断するまで、症状にはほとんど変化がないようです。

 

 ⅱ 私は判決が被害者の症状固定を1年半も早めたことには疑問を感じます。 CRPSのような慢性化した強い疼痛について、症状がおちついてきた直後の時期に症状が固定したとすることには強い違和感があります。主治医の見解を否定して、かなり極端に症状固定を早めたことも穏当ではありません。

   現実にも判決が症状固定とした平成13年4月18日に早々に症状固定を認める医師も少ないと思います。この時点では被害者には依然として強い痛みが残っていて、日常生活に多大な支障が出る状況であり、さらに症状を改善させようとして治療を続けるのが、一般的な医療現場の実態でしょう。この時点では治療により改善するのか、それとも悪化するのか、さらには四肢のほかの部位に広がる(ミラーペイン)のかは全く予想できません。

CRPS(RSD)の裁判例においては、いったん症状が落ち着いた時点で早々に症状固定と診断された後に症状が悪化した(と被害者が主張している)事案はしばしば見かけます。

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   仮に被害者が平成13年4月18日に通院をやめていた場合には、5月以降に再度症状が悪化した可能性もあります。もちろん症状が悪化しなかった可能性もありますが、CRPSのような難病で症状が一時的に改善してその後の治療のなかで悪化しなかったことをもって、症状が安定しだした時期に早々に症状が固定したとして、その後の治療の意味を否定することは正しくないと思います。

症状固定についての判断は、基本的には主治医の現実の判断を尊重するべきで、本件のように主治医の診断とおりにRSDであると認めたにも関わらず、症状固定日を1年半も早めたことは穏当ではないと思います。

この判決には、上記の温熱療法についての理解不足から病院側の診断書を虚偽内容であるとして特別室の入院費を否定したことも伏線となって、症状固定を早めることになったというニュアンスも感じられます。

つまり、「病院側は、被害者の意向に押し切られて心ならずも高額な特別室への長期間の入院を認めてしまい、それを泥縄式に肯定するために内容虚偽の診断書を何回も書いてきた。」との見方が前提としてあるため、「患者の症状が安定していたにも関わらず、病院はいまだに患者からの圧力に屈して長期の通院を受け入れて、症状固定を必要以上に先延ばしにした。」とのニュアンスが感じられますが、知識不足から温熱療法を否定され、医療現場の実態を無視して症状固定日までも大幅に否定された病院側としては、不本意でしょう。

2012年1月27日 (金)

左胸部CRPSの肯定(18.1.24)

1 札幌地裁平成18年1月24日判決(自保ジャーナル1665号11頁)

  判決は抜粋ですので、症状の経過などの詳細は不明です。

  この事案の特徴は、①左胸部のCRPSであること、②神経因性疼痛のメカニズムについて詳細な言及があること、③症状固定時期の認定が詳細であること、④就労と家事労働の逸失利益を区分したこと、⑤心因的素因をきっちり否定したことなどです。

2 症状の経過

ⅰ 被害者は事故時46歳の美容業兼主婦です。被害者は平成8年7月7日にセンターラインオーバーの対向車との衝突により、多発肋骨骨折等でCRPSを発症します。判決が抜粋のため事故後の症状の経過は不明です。

   被害者は、事故により左第6、7、8、肋骨骨折、両膝・両大腿・左肘挫傷、右膝挫創、頚椎捻挫、腰椎捻挫、頭部・右手関節打撲、右手捻挫、右膝蓋靭帯損傷(外傷性関節症)、左肋間神経痛、右膝内部痛(正座不可)、右膝内側知覚異常の傷害を負ったとあり、かなりの重症を負っています。

   被害者は左肋骨の多発骨折により早期から左胸部にCRPSの特徴的な症状を生じていたようです。

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 ⅱ 胸部のCRPS(RSD)は判例では少数です。加害者はCRPS(RSD)ではないと争いますが、判決はCRPSの特徴的な症状を多く列記(灼熱痛、痛覚過敏、知覚障害、強い持続痛、アロディニア、皮膚蒼白・冷感・温度差、浮腫、皮膚血流の変化、発汗異常)しており、CRPSであることには問題はありません。左肋骨の多発骨折により同部位にCRPSが生じていることから、因果関係にも問題はありません。

3 神経因性疼痛のメカニズム

ⅰ 判決は神経因性疼痛の状態、発生機序について、詳細な医学理論を展開しています。この部分は他の判決には見られない特徴的なものです。以下に一部を引用します(丸数字は引用者)。

  証拠(略)によれば、①原告には、疼痛障害が強く見られ、神経因性疼痛の要素が強く関与していること、②この神経因性疼痛は、発作的な痛みや刺すような痛み、燃えるような痛みであり、交感神経系の影響を密接に受けるC繊維の自発発火が持続的な灼熱痛を起こし、更に脊髄後角細胞を感化しやすくすること、③知覚神経(Aδ~Aβ)は、末梢の神経受容器から鋭敏な痛みをAδ線維を通して、触覚、振動覚の刺激をAβ線維を通して脊髄後角細胞に伝えるが、このとき損傷部の末梢の侵害受容器が炎症物質などで障害、感作されていくと、侵害刺激を調整することができず、どんどん刺激を脊髄後角細胞に伝えることになり、そこで感作が生じることになるという発生機序であること、すなわち、④正常時には、脊髄後角細胞では交感神経刺激(C線維)と知覚神経(Aδ~Aβ)、そして脳からの下行性抑制系によって、痛みをはじめ、侵害刺激を調整して、それを中枢に伝える機序が働いているが、脊髄後角細胞での調整作用が侵害されると、軽度の刺激に対しても痛覚過敏になったり、Aβ線維を伝わった触覚、振動覚を痛みとして感じるアロディニアが生ずることが認められる。

  このように、原告の疼痛障害は、発生機序が医学的に証明しうるものであり、後記認定のとおり、強度で長期間にわたり持続的に発生している疼痛であって、時には労働に差し支えるものであるから、「局部に頑固な神経症状を残すもの」(後遺障害等級12級12号)に該当するというべきである。

ⅱ どうでしょう。これを一読してその意味が理解できる人は、医療関係者以外ではまずいないと思います。何回か読み返すと感覚的なニュアンスとしてスジが見えてくるという程度であると思います。興味のない人にはチンプンカンプンではないかと思います。

  この判決の説明は、1986年にロバーツ(Roberts)が交感神経依存性疼痛(SMP)という概念と仮説を導入して、アロディニアを説明したときの理論に基づいていますが、現在ではこの考えは正しくないとされているようです。

 RSDについての93年のベルドマン(Veldman)の826症例による大規模研究では、交感神経ブロックの有効例は7%に過ぎず、一時的な有効例も含めて30%程度であり、無効・症状の悪化が66%にも上ったとされ、このことが94年に国際疼痛学会がRSDをCRPSと変更することにつながります(『ペインクリニック』30巻別冊Ⅰ・246頁以下)。

  これは神経因性疼痛(今は神経障害性疼痛と呼ぶ方が多いようです)が上記の説明ではおさまらないことを意味します。「CRPSに見られる神経障害性疼痛には、持続性の自発痛のみならず、発作性のもの、誘発性のアロディニアがあり、性質も灼熱様、切り傷様、締め付け様、電撃性と多岐にわたり、一元的な機序で説明することは不可能である」(『ペインクリニック』30巻別冊Ⅱ333頁)とされているようです。

  細かい説明は省略しますが、神経障害性疼痛については現在では『神経障害性疼痛診療ガイドブック』13頁以下のように多元性を認める説明が一般的のようです。

  なお、上記のようにCRPSにおいては神経ブロックの効果は限定的ですので、「神経ブロックに効果がなかったのでCRPS(RSD)ではない」という加害者側の定番の主張は誤りとなります。

ⅲ この判決が医学的な理論を詳細に引用した部分は積極的な認定として評価できるのですが、私が気になったのは、判決が「これで神経因性疼痛のメカニズムが証明されたから、局部の頑固な疼痛がある」との理屈を述べる部分です。ここまでの説明をしないと12級レベルの痛みがあることを認定できないというのは感覚としてちょっとずれている感じがします。

この判決は、次に述べる「メカニズムを因果関係と取り違える誤謬」に陥っているようにも見えます。

ⅳ メカニズムを因果関係と取り違える誤謬

  因果関係を細かく探究していくと、その結果を生み出すメカニズムが解明されていくことは事実です。メカニズムが解明されたことにより、事実をより深く理解したとの実感が生じて因果性についての心証も強くなるという面も否定できません。

しかし、メカニズムが解明されないと因果関係が証明されたことにならないとすると、ちょっと問題です。

  例えば、「壁のスイッチを押して電灯をつけた」という説明に対して、「君はその建物の配電図をみて確認したのかね。していないだろ。なぜその因果関係を認めるのだね。」などと詰問されても困ります。内部のメカニズムの解明と因果関係の有無とは別の問題です。メカニズムの解明にはきりがありません。配電図とおりに配線が組まれていることや、電気信号が電灯の切替えになる仕組みなども解明して理解しないと因果性が認められないとするわけにもいきません。

  因果関係の証明は、内部のメカニズムの説明とは異なります。因果関係は事実Aと事実Bに因果性が認められればそれで足ります。内部メカニズムの解明は突き詰めるときりがありません。

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上記のメカニズムを重視する判決の論理に対しては、その理論(SMP仮説)がこの事件に当てはまることの証明があるのかという問題がまず生じます。さらに他のメカニズムを主張する学説による反論も考えられます(本題とは関係ないところで無用な論争が生じます)。

このほかに分子生物学に還元したメカニズムの説明までするべきであるとの反論(実際にも、現在では分子生物学的手法によるより難解な説明がされています)も考えられます(より詳細なメカニズムを解明すべきという形で因果論から後退していきます。)

さらに全ての科学法則は経験的に知られているだけで経験からは未来が必然的に導かれることはないという根源的な反論(ヒュームの亡霊。ただしヒュームは恒常的連接ないし規則性で因果関係を肯定すると思いますが)や、ある宇宙の物理定数はその宇宙の偶然でしかないという更なる根源からの反論(因果論を無意味にします)もありうるところです。

  本件では、CRPSは激しい疼痛を生じる場合があるとされることに言及すれば、十分ではないかと思います。

ⅴ 判決は、CRPSにり患しているとしながらも、被害者の後遺障害等級を12級と低く見積もりました。判決は被害者の就労の労働能力喪失率を50%とみているので、これは奇妙に見えます。9級ないし7級の認定をするべきであったと思います。

  判決は、後遺障害等級を認定するためにはメカニズムが解明されていなければならないとの誤謬に陥ったため、後遺障害の認定に用いるハードルが高くなっているように見えます。

   判決の認定額は1441万円ですが、さすがに認定額が低すぎると思います。この判決は素因を否定したものの「CRPSという特殊な傷病により生じた損害の全部を加害者に負わせるのは良くない。」というある種の差別的な見方で後遺障害等級を低めに認定して帳尻あわせをしたような印象も受けます。

3 症状固定時期

 ⅰ 被害者は、平成8年7月の事故の後、長期間通院を続けて平成14年に症状固定となったと主張して、平成15年に訴訟を起こしているようです。

これに対して、加害者は平成9年1月(事故半年後)に症状固定となったと主張しています。現実にも被害者は平成9年1月にはいったん症状が軽減したようですが、その後は悪化と改善を繰り返し、平成10年12月には内視鏡的胸部交感神経節焼灼術の手術を受けています。

   CRPSの症状には進行性があり、その進行の度合いは個人差が大きく、症状は一進一退を繰り返し、症状が固定したかどうかをその時点で判断する医学的な指標もないことから、症状が固定したかどうかは事後的に判断するほかないと思います。

 ⅱ 判決では平成11年1月に医師により転地療養を勧められたことや、手術により痛みの性質が明らかに変わったとして、平成11年1月20日が症状固定日とされています。この判決は、症状が一進一退を繰り返すことから、ある時点で改善していてもすぐに症状固定であるとしなかった点は正しいと思います。

   判決は、その後の症状の経過について触れていませんが、症状の悪化が止まったかどうかは事後的に判断するほかないことからは、症状が固定したとする平成11年1月20日以降の症状の経過を述べなければ上記の判断が正しかったのかどうかは分かりません。この部分は少し問題があると思います。

 ⅲ 判決が抜粋のため被害者の主治医が判断した症状固定の時期は不明ですが、おそらく平成11年1月20日よりも後の時期だったのではないかと思います。慢性化した疼痛に対する手術の1か月後に、早々に症状が固定したと医師が判断したとは思えません。

   症状が一時的に良くなってもある程度の期間の経過観察を続ける必要があることから、症状固定日は上記の手術後の経過も引用した上で、もう少しあとの時期にした方が良かったのではないかと思います。

4 就労と家事労働の逸失利益について

 ⅰ 判決は、被害者の逸失利益の算定において、少し技巧的な方法を用いています。まず基礎となる収入を、賃金センサスにおける女子労働者の全年齢平均(約335万円)としています。この点は妥当であると思います。算定する期間を短くする場合には被害者と同年齢の平均年収を用いるべきですが、期間が長くなるときは全年齢平均を用いるべきです。

   判決は、これを前提として約335万円のうち約116万円は美容師としての就労による所得であるとし、残りが家事労働のよる所得であるとみなし、就労分は50%の労働能力喪失があるとし、家事労働分は14%の労働能力喪失があるとして、両者を区分して労働能力喪失率も異なるとして計算しました。

 ⅱ この判決の考え方(外での就労と家事労働の区分)は、有職主婦の逸失利益の算定において、1つのありうる方式であると思います。

ただし、両者を分けずに算定するやり方が通常ではないかと思います。判決の考え方に対しては、家事労働も同じ労働であるのに家事労働を低く見ているのではないかという批判もありそうです。

   一般的には外での労働の方が厳しい環境で行われ、自宅での家事労働よりも制約が大きく、後遺障害による影響が生じ易いようにも思われるので、判決の考えはそれが被害者の実態に即したものであれば、特に問題ではないと思います。

   

5 心因的素因について

 ⅰ この判決は、被害者の心因的素因を否定しました。被害者の治療期間が長くなると素因が認められ易い傾向があり、この事例では、さらに被害者に不利な事情があることを判決も引用しています。

   判決は①平成8年12月25日(事故から4か月半後)付けの病院の報告書のなかに、被害者には心因的要素もありそうであるとの記載があり、②平成10年3月4日のカルテには自賠責の打ち切りについての記載があり、③同年7月15日の病院の書簡には、被害者が症状を訴えながら涙を流すなどの精神的な面の影響の強さを示唆する事情が書かれており、④同月22日の病院の診療情報提供書には「抑うつ状態疑い」「やや神経症傾向はあるものの、心身症タイプで抑うつもあることから、やはり、末梢性の」神経性の痛みが抑うつ気分で「強められているということかも知れません。」との記載があることを引用しています。

 ⅱ しかし、判決は、「これらの記載が指摘する原告の心因的要素は、本件事故により発生した原告の疼痛等の症状が長期間慢性化し、そのための入通院治療を繰り返しているにもかかわらず、痛みが消失しないこと等についての原告の心理的不安感、焦り、いらだち、絶望感等によるものであると認めるのが相当であり」としています。

   判決は、「前記記載をもってしても、事故により障害を負った患者が陥る通常の心理状態の域を超えて、素因による減額をすべきであるような原告の特異な性格や精神的要因の存在を認めるには足りない」として、素因減額を否定しています。正しい判断であると思います。

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