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診断

2017年9月 1日 (金)

<診断の検討を不要とした裁判例>

1 裁判で主張する場合の問題点

ⅰ 医師は患者の症状(と検査結果)をもとに診断を下します。その診断をもとに症状を認めることは循環論です。診断の適否を検討しても、症状の存否・程度には影響しません。

診断の適否を検討することに意義がある事案は極めてまれです。実際に診断された傷病名とは異なる傷病名でより合理的に被害者の症状が説明でき、その場合には被害者の症状と事故との因果関係を否定できる場合にのみ、加害者側はその代替案を主張・立証することに意味があります。

代替案を示すことなく、被害者に対する診断を否定して、これにより症状や事故との因果関係が否定できるかのうように論じることは誤りです。

 ⅱ 但し、訴訟でこの主張をしても裁判官によっては認めて頂けないと思います。その理由として以下の3点が考えられます。

   最大の理由は、「後遺障害の判断のためには診断が正しいことが必要である」との先入観です。即ち、「これまでの事件で診断の適否を判断して、それにからめて後遺障害の有無・程度や事故との因果関係を判断してきた」という裁判官の個人的な経験がかなり大きく作用していると思います。

 2つ目の理由は、「実際の裁判例でもすべて診断の適否を判断しているではないか」との考えです。たしかに、判断している裁判例は非常に多いのですが、一方で判断していない裁判例も少なからず存在します。しかし、これらの裁判例はほとんど知られていません。

 3つ目の理由は、1つ目の理由から派生した「これまで診断の適否を判断してこれにより結論を決めてきた。それが全部誤りであったとすると、判断ミスを何回も繰り返してきたことになる。そんなはずはない。」との理由です。

 ⅲ 上記の3つ理由はいずれも論理的なものではありません。それゆえに診断の検討が不要である理論的根拠をいくら並べても効果は期待できません。

このため「CRPSを発症したと言えなければ、『CRPSによる症状』が認められないのは当然ではないか。」との考え変えることは非常に困難です。「それは単なる循環論ですよ」と指摘しても容易には理解してくれないでしょう。

 そこで、現実の裁判例を示すことが効果的です。以下では、診断の適否の判断を不要とした裁判例のうち最近のものを中心に検討していきます。

2 横浜地裁平成24年7月31日判決(判例時報216379頁)

 ⅰ 脳脊髄液減少症が問題となった事案です(病名で事件を紹介すると病名と症状の混同を招きやすいのですが、他に適切な表現が思い当たりません。)。

   判決は、「…で認定した本件事故後の原告の症状・治療経過等によると、原告には、本件事故により、頸部受傷後の頭痛、後頸部痛、背痛などの神経症状が残存したことが認められる。」(85頁)として、治療経過などから症状を認定しました。

   続けて、「原告は、平成20年10月27日ころに休職した以降は、仕事をすることができず、また、鎮痛作用のかなり強い鎮痛剤を継続的に使用しているのであって、その痛みの程度は著しいと考えられる。」として、治療経過、投薬、休業の事実などを根拠に症状を認定しました。

 ⅱ このように症状に関わる事情から症状を認定することは正しい方法論です。症状を認定するためには症状に関係する全ての証拠を洩らさず検討する必要があります。検討しなかった証拠により、結論が変わる可能性があるからです。

 即ち、症状から近い順に、①被害者本人の訴え、②医師が確認した症状、③検査結果、④治療内容、⑤治療期間、⑥就労や日常生活への影響、⑦診断(症状を確認した医師の評価)、⑧その他の事情、の全てを余すところなく検討して、被害者の症状を認定する必要があります。

 ⅲ これに対して、加害者側は「客観的な証拠である画像所見による証明が不可欠である」として上記①から⑧のうちの③の一部のみを特別視する(不可欠の要件とする)ように誘導します。加えて、診断の適否で結論を決めるようにも誘導します。この誤りに陥ると上記①から⑧の全てを無視することになります。

さらに、被害者の症状を否定する方向でのみ上記①から⑧の全ての事情を考慮できるとの誤解に誘導します。これが「症状を認定するためには画像所見と診断が不可欠である。症状を否定するためには全ての証拠を用いることができる。」との誤りです。この誤りに誘導された裁判例をしばしば見かけます。

 ⅳ 横浜地裁判決は上記に続けて、「…のとおり、原告は脳脊髄液減少症を発症した疑いが相当程度あるから、原告の上記症状は、脳脊髄液減少症による可能性が相当程度ある。また、仮にそうでないとしても、原告の現在の神経症状が上記のとおり重いものであることは明らかであり」とし、後遺障害等級9級10号の「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」に該当するとしました。

 この判決のポイントは、①症状に関係する各証拠から症状を認定していること、②最初に症状を確定させ、その上で病名を検討し、その病名の可能性があるとしたこと、③病名が不明であっても症状が重いことには変わらないとしたことです。

 

 ⅴ この判決は非常に優れています。ただ1つ難点は後遺障害等級を認定していることです。判決で後遺障害等級を認定することは法が求めている判断ではありません。判決で被害者の具体的症状を認定して、これに対応する労働能力喪失率を認定すれば、損害額は算定できます。

   後遺障害等級の認定は自賠責の手続で完結しています。訴訟は自賠責の続審ではありません。ところが、実際には訴訟で等級が上がった場合には、加害者の任意保険会社はその等級に応じた負担額を自賠責に支払ってもらうことがでます。例えば、本件は自賠責では14級であったので、判決が9級と認定したことにより加害者の任意保険会社は自賠責の負担額の差額(616万円―75万円=541万円)を追加で支払ってもらうことができます。だからといって民間の私企業の利益のために裁判所がわざわざ後遺障害等級を認定する必要はありません。

被害者が重い後遺障害を残している事案であっても、自賠責で極端に低い後遺障害等級(または非該当)とされることは非常に多くあります。そのような事案では、加害者側からウソ医学やウソ理屈が主張されることが多く、被害者が訴訟でも救済されていない事案が非常に多く発生しています。

この状況で、被害者を救済した判決で後遺障害等級を認定したならば、加害者側(損保)は自賠責に対して、「ぜひこれからも実態に合わない非常に低い後遺障害等級を認定し続けて下さい。」と希望する立場に置かれます。これに対して、訴訟で後遺障害等級を認定しないこととなれば、加害者側は自賠責に対して、「実態に見合った後遺障害等級を認定してくれないと困るよ。」と苦情を言うべき立場に置かれます。

このような考慮からか、後遺障害等級を認定しない判決はしばしば出されています。私自身も上記の趣旨を主張して、後遺障害等級を認定せずに、労働能力喪失率を上げた判決を頂いたこともあります。

3 東京高裁平成22年9月9日判決(自保ジャーナル18321頁)

 ⅰ 軽度外傷性脳損傷が問題となった事案です。判決は、被害者の治療経過、症状経過を詳細に述べて、最終的症状(後遺障害)や検査結果を非常に詳細に認定しています。

判決は「控訴人は、本件事故により頭部に衝撃を受け、これにより脳幹部に損傷を来し(脳細胞の軸索が損傷し(剪断ではない))、これを原因として、漸次的・経時的に右上肢のしびれ、筋力低下(握力低下)、頻尿、等の種々の症状を発症させ、その症状は平成16年12月9日に固定するに至り、現在、控訴人には自覚症状としては「手に力が入らない、歩きにくい、ペットボトルの蓋が開けられない、排尿回数が多い、臭いが分からない、道に迷うことがある」との障害が残り、他覚的症状としては、(省略…検査結果を詳細に列挙)との症状が残存しているものと認められる(以下、これを「本件後遺障害」という)。」とします。

この判決の優れている部分は、①後遺障害が病名ではなく具体的な症状であると正しく理解していること、②症状を確定させた上で病名を検討するという正しい順序で検討していることです。

 ⅱ 判決は上記に続けて、「たとえ、①控訴人が本件事故後に実況見分に立ち会って警察官に指示説明をし、その後自ら控訴人車を運転して(略)まで帰ってきているとしても、すなわち、本件事故後に強い意識障害はなかったとしても、②また、控訴人にはCT検査やMRI検査の画像所見において異常所見が認められないとしても、③さらには控訴人車の同乗者には後遺障害が生じていないとしても、軽度外傷性脳損傷においては事故後すぐに症状が現れるとは限らず遅発性に症状が現れることもあるというのであり、また、軽度外傷性脳損傷の場合には必ずしも画像所見に異常がみられるということでもないというのであるから、上記①②③の事情をもって控訴人において本件事故により脳幹部に損傷を来した(脳細胞の軸索が損傷した)事実を否定することはできないものというべきである。」とします。

   続けて、「もっとも、控訴人がWHOの定めた軽度外傷性脳損傷に関する平成16年の定義に該当するか否かについては、本件訴訟においてはそれを確定することが必要なわけではない。本件訴訟において重要なことは、本件事故によって控訴人が頭部に衝撃を受けて脳幹部に損傷を来してこれを原因として後遺障害を残存させたか否かであるところ、この事実は上記のとおりこれを認めることができるものである。」とします。

   この部分も非常に優れています。

 ⅲ 続けて「控訴人に残存している本件後遺障害が本件事故を原因とするものであること(本件事故と本件後遺障害との間にいわゆる条件的因果関係があるとの高度の蓋然性)はこれを認めることができるというべきであり(本件事故以外にその原因を考えることができない。最高裁昭和501024日判決)、そして本件事故と本件後遺障害との間には相当因果関係(通常生ずべき関係)も認めることができるものというべきである。」とします。

   上で引用された最高裁判決はいわゆるルンバール事件最高裁判決です。それを「本件以外にその原因を考えることができない」と要約したこの部分も非常に優れています。

 ⅳ 最高裁判決の準則

最高裁判決は、①生じた結果を確定した上で、②具体的なメカニズムが不明であっても、訴訟に現れた全ての事情を総合すると原因Aにより結果Bが生じたと推定でき(高度の蓋然性、80%ほどの証明度)、③Bを生じさせた原因としてA以外の相当程度の可能性がある具体的な他原因が見当たらない状況で(他原因考慮)、因果関係を認めます。

ルンバール事件をはじめとして、保育園保母事件(最高裁平成91128日判決、労働判例72714頁)、バレーボール事件(最高裁平成1833日判決、判例時報1928149頁、判例タイムズ1207137頁)、B型肝炎事件(最高裁平成18616日判決、判例時報194128頁、私法判例リマークス3558頁)、などで繰り返しこの理屈が述べられ、最高裁判決の準則となっています。

上記③の他原因について、ルンバール事件判決は「これが再燃するような特別の事情も認められなかった」とし、保育園保母事件判決は「他に明らかにその原因となった要因が認められない」とし、バレーボール事件判決では原審が他原因の有無を審理しなかったことを「判決に影響を及ぼす明らかな法令の違反」とし、B型肝炎事件判決は「本件集団予防接種のほかには感染の原因となる可能性の高い具体的な事実の存在はうかがわれず、他の原因による感染の可能性は、一般的、抽象的なものにすぎない」としました。

以上のほかに、一般的・抽象的な他原因の存在可能性のみでは、上記①の推定は覆らないとした最高裁判決(平成11323日)があります。

 ⅴ 上記の高裁判決は、上記の判断の対象を「条件的因果関係」と述べて「相当因果関係」と区別していますが、最高裁判例は上記の枠組みのみで因果関係を判断しています。この部分で高裁判決は難があります。

   高裁判決のように、交通事故において相当因果関係として「原因から通常生ずべき結果」であることを殊更に要求することは現実的ではありません。

例えば、平成25年には人身事故の負傷者数は78万1500人ほど存在しますが、必ずしも事故による衝撃の大きい人に大きな後遺障害が残存しているわけではありません。軽度の衝撃の事故で重い後遺障害を残すことになった人も多数存在すると考えられます。同じような衝撃の交通事故であっても被害者に生じる怪我は多種多様です。事故を取り巻く事情が少し違うだけで大きな違いになります。仮に「その衝撃の事故からその後遺障害を残すことになるのは100人に1人である」という事情があったとしても、巨大な分母(例えば78万1500人)の中には数千人レベルで運悪く重い後遺障害を残すことになった人が存在すると推測できます。 

   この場合に重い後遺障害を残したのは「通常生ずべき結果」ではないとして、相当因果関係がないとすること(因果関係を否定すること)は、常識に反します。因果関係の相当性の判断基準としては「交通事故により生じるたぐいの症状が出た」ことで充分です。この考慮は、高裁判決のいう条件的因果関係の判断の中で行なわれています。

   現実的に考えてみても、交通事故を基点として、交通事故により生じるたぐいの症状が出たのであれば、普通は交通事故によりその症状が出たと考えます。

   高裁判決は被害者の後遺障害を「通常生ずべき結果」としましたが、論理的ではありません。本件類似の事故で被害者と同様の症状に至る人は100人中せいぜい2、3人であると思います。高裁判決はこの部分での判断が素因減額に影響しているようにみえます。

 ⅵ 高裁判決のように因果関係の相当性を「通常生ずべき結果」と考えると、同じレベルの衝撃の事故で怪我をしなかった人や軽傷で済んだ人と比較する方向に向かいます。

   実際にも高裁判決は、心因的素因として3割を減額しています。高裁判決は心因的素因として具体的な精神疾患を特定しておらず、その精神疾患が通常、症状を悪化させるものであるとの認定(高裁判決の述べる相当因果関係の認定)もしていません。即ち、被害者の損害を認定するのと同程度の要件を素因減額では求めておらず、被害者と加害者の扱いに不均衡が生じています。

高裁判決は、「素因減額の引き算認定」に陥っています。素因減額の引き算認定には次の2パターンがあります。

1つ目は、①被害者の後遺障害が重い、②事故による衝撃は大きくない、③その差は素因である(XYZ型。私が勝手に命名しました。)です。

この理屈に陥ると素因概念の空洞化が生じます。実際にも高裁判決は具体的な素因を認定しておらず、素因による症状悪化(いかなる素因がいかなる影響を与えたのか)を具体的に認定していません。その結果、重い後遺障害が残存することになった被害者に対する差別的な思考(この人が特殊だから症状が重くなったとの考え)がストレートに素因減額につながっています。その中間で具体的な理由が述べられていません。

2つ目は、①被害者の後遺障害が重い、②医学的な説明(診断)が困難、③その差は素因である(PQR型)です。この理屈も素因概念の空洞化を招きます。

PQR型は、「診断が正しいといえなければ症状が存在することが合理的に説明できない。よって、症状の存在が不確かな分を差し引く」との誤った理屈を前提にしています。この理屈の誤りはすでに述べてきたとおりです。診断の検討に誘導するウソ医学は素因減額を併用することが非常に多く見られます。

高裁判決は、判決には書かなかったものの、事故の衝撃が非常に大きいとは言えず、同乗者に後遺障害がないことや、軽度外傷性脳損傷との診断が困難であると考えたことを考慮して、根拠があいまいなまま上記の2タイプを併用した素因の引き算認定をしたものと言えます。

 

4 山口地裁下関支部平成27年9月30日判決

  (自保ジャーナル198210頁)

 ⅰ この事件は低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)が問題となった事案です。

この事案では被害者は後遺障害を主張しておらず、治療費、休業損害、傷害慰謝料(入通院慰謝料)などを請求しています。この前提で、「その治療は事故と因果関係があるか」が問題となり、その判断の中で被害者(原告)は診断が正しいかどうかを判断する必要はないと主張します。

   判決によると、被害者(原告)は、「医学的知見は医学や医療機器の進歩に伴って変化するものであり、ある傷病名の病気に罹患したか否かについて、少なくとも本件訴訟で判断する必要はない。」(11頁右列)と主張しています。

 ⅱ 一方で、判決によれば「被告は、低髄液圧症候群の診断に当たっては最新かつ医学的に承認された診断基準によるべきであるとして、国際頭痛分類基準、神経外傷学会基準等の診断基準を摘示し、原告の症状はこれらの基準を充たしていないから、低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)に罹患したとは認められないと主張する。」(16頁)とされています。

   判決は上記に続けて、「しかしながら、本件において原告は、原告が低髄液圧症候群ないし脳脊髄液減少症に罹患したと主張しているものではないから、低髄液圧症候群ないし脳脊髄液減少症の診断基準を基にこれらに該当するか否かを検討する必要はないというべきであり、被告の上記主張は採用することができない。」とします。

 

 ⅲ 以上のとおり、この事件では後遺障害の有無・程度や事故と後遺障害との因果関係の判断のために診断が問題となった事案ではありません。

治療費を請求する局面では、「その時点で医師が確認した症状、検査結果等を前提として、その医師がその治療をしたことが不合理といえるか。」との観点で判断すべきです。これに対して、後になって確定診断ができなかったから、その治療費は事故とは関係ないとすることは誤りです。

臨床の現場ではその患者の症状に対して、想定できる傷病名のうち最も適切であると考えるものを前提として治療をするほかありません。治療の時点では診断が確定していないことは、頻繁にあることです。

ある傷病名を見込んで治療したところ、改善が見られたことから後日に正式に診断が下されることも多くあります。改善が見られず、別の候補を見込んで治療したところ、その候補が正解であったから、最初の治療費は支払わないというのもおかしなことです。以上に対して、そもそも診断が確定するまでは治療が認められないと考えることは論外です。

従って、脳脊髄液減少症の治療費の相当性の主張において、被害者側が「少なくとも本件訴訟で」診断の適否を判断する必要がないと主張し、判決がこれを認めたことは、ごく当たり前のことです。

 ⅳ 以上に対して、この事件の控訴審(広島高裁平成28325日判決、自保ジャーナル19821頁)は、地裁判決を覆しています。

   高裁判決は、「ブラッドパッチが必要というためには、脳脊髄液腔から髄液が漏出していると認められる必要がある。」(6頁)と述べます。

しかし、その時点で主治医が髄液漏れないしその可能性が高いと判断したことが不合理でなければ、治療の相当性が認められます。これに対して、後になって髄液漏れを検討しなおして、髄液漏れが明確に確認できなければ治療の相当性がないとするのは、誤りというほかありません。

   しかも、高裁判決は、主治医がRI(ラジオアイソトープ)脳槽シンチグラフィーで、①早期膀胱内集積、②腰椎レベルでのRIの漏出像、③硬膜外のRI集積、・正面像で非対称性の異常集積を認めたこと、④MRミエログラフィーにおいて傍脊柱筋の筋層間に髄液漏出を認めたことを、「確定的な画像所見ではない」、「明らかではない」などと否定して、治療の相当性を認めなかったことは、あまりにも不合理というほかありません。

   高裁判決は、「脳脊髄液減少症との診断が正しいと言えなければ、その治療費を請求することはできない。」との理屈を述べるものですが、誤りというほかありません。

   高裁判決の背後にあるのは「診断が正しくなければ症状が認められない。よって、存在しない症状に対する治療費は発生しない。」との理屈です。もちろん、この理屈は誤りです。

 

5 大阪地裁平成13年3月29日判決(自動車保険ジャーナル1421号1面)

  少し古い判決に目を向けると、CRPS(複合性局所疼痛症候群)の事案で、上記判決は、「原告の傷病がRSDであるか否かを特定することは、RSD自体の定義が必ずしも明確でなく、原因も症状も異なる多様な症状を包括して総称されることからすれば、実益があるとはいえず、その痛みの部位、程度、治療経過、予後等と就労の内容等を総合的に比較検討して労働能力喪失率を定めるべきである」としています。

  この判決は症状の有無や程度は診断の適否により決まるものではないことを正しく理解して、症状の検討のために診断を確定させる実益はないとしています。

  その上で、被害者の実質に目を向けて、被害者の痛みの症状の度合いや「特性の靴を使用することにより歩行にほとんど支障がなく、階段の昇降やトイレ等の日常生活動作にも特段の不自由がないこと」、「保険外交員として就職し、稼動していること」等から労働能力喪失率を15%と認定しています。

なお、この判決は、労災のRSDの3要件の制定(平成15年8月8日)以前のものです。RSDの3要件が制定されると、それが「RSDであるかどうかを認定する基準」であるとする誤った主張が加害者側のウソ理屈の定番となり、裁判所は診断の適否の判断に誘導されやすくなったと言えます。

 

(以下は上記裁判例の検討です。)

6 症状を認定する資料を限定していないこと

ⅰ 以上のとおり、最近の判決、しかも私の目に留まった判決に限定しても、診断の適否を判断する必要がないと明言した判決は少なからず存在します(上で挙げなかった裁判例もあります)。古い判決にも同様に診断の適否を判断する実益はないとするものも存在します。

  そのほかにも、診断を否定する積極的な理由がない(具体的な代替案が示されていない)と簡単に述べて、臨床での診断をそのまま採用した判決も少なからず存在すると考えられます。簡潔に要点を押さえた判決とも言えますが、このような判決は判例集にはほとんど載りません(先例としての価値が乏しいので)。

ⅱ 上記の2、3、5の判決に共通して言えることは、症状(後遺障害)を認定する資料を限定していないことです。このため、診断を検討する以前の段階で症状についての心証が確定しています。これが正しい検討方法です。

民事訴訟法は証拠方法(証拠となりうる資料)を限定していません(247条、自由心証主義)。検討から漏れた証拠により、結論が決定的に変わる可能性があるからです。それゆえ、全ての証拠を洩らさずに検討する必要があります。

 

7 一部の証拠を特別視しないこと

 ⅰ 証拠のうち画像所見のみを特別扱いし(不可欠の要件とする)、他の証拠を無視ないし軽視することは誤りです。全ての証拠について、その証拠から推測できることがらをそのまま受け入れることが原則です。その上で、「何が起きたのか(生じた可能性が最も高い事実は何か)」の心証を獲得する必要があります。

例えば、通院が長期化したことは症状が続いているからとすることがごく普通の推測です。これに対して、被害者が無理やり通院しているとの特別な事情を想起して、普通の推測を受け入れないことは誤りです。

鎮痛剤を処方されていることは、痛みが出ていることを推測させる事情です。被害者が休業しているのは、就労できない症状が出ていることを推測させる事情です。医師が認めた症状は、通常はその症状が存在すると認めることができます。

そもそも、存在しない症状を訴える被害者はまれです。重度の症状であればなおさらで、被害者の入通院が長期化し、それまで続けてきた仕事ができなくなったなどの事情がある場合にはさらに疑う理由はなくなります。

このように訴訟に現れた証拠の1つ1つは、その証拠が通常もたらす推測を有しています。①被害者の入通院の事実、②治療内容、③その時点での医師の判断、④休業の事実などの事情は加害者側も争わず、固定性が強い事実です。このような背景事情から推測できることを積み重ねることにより、「動かし難い事実」の心証が形成されていきます。

 ⅱ 以上に対して、一部の証拠(画像所見や契約書など)を「動かし難い証拠(強い証拠)」であると特別視することは誤りです。

「動かし難い事実」は多数の背景事情(確定した事実)から多層的に支持される事実であるのに対して、一部の証拠を特別視することはその逆です。単なる証拠の序列化にすぎず、自由心証主義に正面から抵触します。

この誤りに陥ると、脆弱な基盤の上に他のすべての証拠を載せることになります。誤った方法では「強い証拠」を特別視して、まずその部分だけ事実を確定して、他の証拠をこれに合わせて解釈していきます。その結果、1つ1つの証拠が推測させる事実は最初から無視されます。あたかも独裁者(強い証拠)の一声で全ての理屈が通らなくなった状況が生じます。

例えば、交通事故の事案では、「画像所見がない」を軸に「重い後遺障害を認定しない」という結論を決めて、入通院の長期化、被害者の訴え、医師の認めた症状、検査所見、被害者の休業や退職、身体障害者認定や生活保護などそれ以外の全ての事情を最初に決めた結論に合わせて解釈ないし無視し、一方で被害者の症状が軽いことの根拠に解釈できる面を強調します。

 ⅲ 上記の例のように「動かし難い事実」を「動かし難い証拠(強い証拠)」と勘違いしている裁判例では、その証拠が存在しないことから事実を認定することが多く見られます。

   事実認定では現に存在する全ての証拠から「何が起きたのか(生じた可能性が最も高い事実は何か)」の心証を獲得する必要があります。

   これに対して、「画像所見がない(診断が正しいとは認められない)ので、とにかく被害者の主張する重い症状が存在しないことだけは確定できる。」との思考は誤りです。動かし難い事実を正しく理解していれば、この誤りには陥りません。

この誤りに付け込み、「画像所見」、「骨萎縮」、「筋萎縮」、「~に罹患したこと(診断が正しいこと)」などを必須として、それを特別視する(不可欠の要件とする)ように誘導するのは、加害者側のウソ医学の定番です。

実際にも、一部の裁判官は「動かし難い事実」を「動かし難い証拠」(強い証拠)と取り違えているようにみえます。その違いが裁判官ごとの極端な心証の違いに影響しているようにみえる事件に遭遇することは少なくありません。上記2、3、5の裁判例も裁判官が異なれば、極端に異なった結論になったと思います。

 

8 症状を認定してから、診断の検討をする

 上記2,3,5の事案では訴訟に現れた全ての事情を考慮すれば、被害者に相当の後遺障害が存在するとの心証を得ることができます。その状況で被害者が敢えて症状を偽装するであろうかと考えると、そのようなことをすれば治療に支障が生じることは明らかですので、被害者の主張する症状(担当医が認めた症状)が概ねそのまま存在するであろうことは、容易に認定できます。

 このようにして症状についての心証を確定させた上で、診断の適否を検討すると、「この検討にどんな意味があるのであろうか。」との疑問が当然に生じます。そのことが、診断の適否の判断は必要ではないとの正しい判断につながったと言えます。

 症状の存在は診断をするに際しての大前提ですので、診断を検討するためには症状が確定していることが必須条件になります。この点を正しく理解していれば、診断を検討して、その結果により症状を判断する誤りには陥りません。

 

9 因果関係判断についての最高裁判決の準則

 ⅰ 上記3の判決は、ルンバール事件最高裁判決を引用しています。その上で、後遺障害と事故との因果関係の判断のために診断を検討する必要がないとしています。このようにメカニズムが不明であっても因果関係の判断ができることは最高裁判決で繰り返し述べられてきました。

これに対して、「医学的に受け入れられた方法で診断できることにより、症状に対してはじめて医学的説明が与えられる」とか、「~に罹患したといえることにより事故と後遺障害との医学的な整合性が保たれる」などの美辞麗句でメカニズムの解明に誘導するのが、加害者側の医学意見書の基本戦術です。なお、前者の表現は後遺障害の存否の判断のために、後者の表現は事故と後遺障害の因果関係判断のために、診断の適否の判断が必要であると誘導するものです。

ⅱ たしかに症状に対する診断が下されたことにより、その症状が生じたメカニズムはその程度で解明されたと言えますが、メカニズムの解明は症状の存否や因果関係の判断に必須のものではありません。

   また、診断が確定したからといって、事故からその症状が生じたメカニズムが解明されるわけでもありません。上記の保育園保母事件では、頸肩腕症候群との診断に争いはない事案でしたが、保母の仕事によりどのようにしてその症状が生じたのかが不明との前提で、①総合的観点からの高度の蓋然性、②具体的な他原因の不存在の判例準則を用いています。B型肝炎事件も同様にB型肝炎であることには争いはない事案です。

現実的に考えてみても、事故を基点として事故直後から続いていた症状について、何らかの診断ができないからその症状と事故との因果関係が認められないとすることは、あまりにも不合理です。ましてや診断を否定できるから症状が否定できるとすることは論外というほかありません。

 労災や自賠責では診断の適否を判断することができず(医師法17条、医師法20条)、その判断をしません。即ち、半世紀以上にもわたり診断の適否を検討することなく、膨大な数の後遺障害認定が行なわれてきました。この事実からは、あえて診断を検討するのであれば、その必要性を論理的に明確に述べる必要があります。 

2017年2月 9日 (木)

診断の検討への誘導…だましの構造

1 結論

 「なぜ診断を検討するのですか?」では、交通事故訴訟ではほぼ全ての事案で診断の適否の検討は不要であることを述べました。

 即ち、被害者の症状について、実際に診断された傷病名とは異なる傷病名でより合理的に説明でき、その場合には被害者の症状がその交通事故により生じたとは言えないときにのみ、加害者側は具体的な代替案(傷病名)を主張・立証することに意味があります。

 これに対して、診断が適切である(~に罹患したと認められる)ことにより症状が裏付けられる関係は存在しません。また、診断が適切であることにより。事故と被害者の症状(後遺障害)との因果関係が認められるとの関係も存在しません。

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2 診断を検討することの意義

 ⅰ 裁判例でも診断の適否(罹患したかどうか)の検討が不要であると明言したものは少なからず存在します。これらの裁判例は、診断を検討することの意義を論理的に検討した結果、診断を検討する必要はないとの結論に至ったものと言えます。

   また、臨床での診断を否定する積極的根拠に乏しいことを付言して、臨床での診断をそのまま認定する裁判例も存在します。診断を否定する側が積極的に代替案を主張しなければ、この点を検討する意義に乏しいからです。

 

 ⅱ 以上に対して、診断を検討している裁判例は、「なぜ診断を検討するのですか?」との問いに対する回答を述べていません。即ち、「なんとなく結論(後遺障害の存否、事故との因果関係)に影響しそう」との感覚で書いていて、論理的ではありません。

診断を検討している裁判例で「診断を検討する必要性」を論理的に検討しているものは見当たりません。ほぼ全ての裁判例はこの点が論点であるとの認識すら持っていません。実際は極めて重要な論点です。 

 

 ⅱ 軸となる2つの誤解

   診断の検討が必要であるとの誤解に陥った裁判例には軸となる2つの理屈を背景にしています。「背景にしている」と表現するのは、感覚的な根拠に過ぎないからです。

1つ目は、「診断の適否により症状の有無や程度が決まる」との考えです。2つ目は「診断が正しいといえなければ、症状と事故との因果関係が認められない」との考えです

   逆にいえば、診断を検討することに意義を見出すためにはこの2つの理屈のうちのいずれかを採用する必要があります。実際にはいずれも誤りであるため、いかにしてこれらの理屈に騙されるのかを述べていきます。

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3 診断と症状を混同させる理屈

  加害者側の医学意見書や鑑定書において、診断の検討に誘導する部分は、医学的争点に関する全てのウソ医学やウソ理屈の根幹を支える中核部分です。そのためこの部分の表現は特に巧妙に練り上げられたものが多いです。以下では傷病名の例としてCRPS(RSD,カウザルギー)を用います。

  多く見られるのは、「被害者が本件事故によりRSDを発症して、RSDに由来する症状として後遺障害を生じたと言えるのかどうかが問題となります」との誘導です。この表現にはいくつものポイントがあります。

 

 ア 第1のポイントは、「問題となります」という書き方です。

なぜ診断の検討が必要であるのかの理由を飛ばして、「問題となります」と断定して中身の検討になだれ込みます。「診断が正しいならば症状が存在すると言えるため」と理由を書くと論理的でないことがばれます。 

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 イ 第2のポイントは、「発症した(罹患した)」との表現です。

「診断が適切であるか」ではなく「発症したといえるか(罹患したといえるか)」との表現を用います。これにより「RSDを発症したからこそ、RSDの症状が生じた」との感覚に誘導します。もちろん、この理屈は誤りです。症状をもとに診断を下し、その診断を根拠に症状を認めることは循環論です。

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 ウ 第3のポイントは、「RSDに由来する症状」との表現です。

この表現を繰り返すことで症状を認定するためには、RSDと診断できる必要があるとの誤解に誘導します。

正しい方法では、浮腫、皮膚色の変化、関節拘縮などの具体的な症状(および検査結果)を確定し、それらを最も合理的に説明できる傷病名を探します。それが診断です。

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 エ 第4のポイントは、RSDとの用語を用いることです。

正しい用語はCRPS(複合性局所疼痛症候群)です。しかし、加害者側はCRPSという用語を避けます。しかも、カウザルギーに対してもRSDという用語を用いるのが通常です。これは自賠責のRSDの3要件に誘導するためです。

   カウザルギーはCRPSタイプ2(主要な神経の損傷が確認できるもの)に分類され、RSDはCRPSタイプ1(主要な神経の損傷が確認できないもの)に分類されます。

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 オ 第5のポイントは多重の抱き合わせ表現です。

「本件事故による発症」と「RSDの発症」、「RSDによる症状」などの騙しの理屈が込められた抱き合わせ表現を多重構造で用います。これにより、論理的な検討が困難になります。

即ち、「RSDによる症状」との表現は、上記の「RSDに由来する症状」で述べた騙しの理屈のほかに、「RSDによる症状」であるかどうかの確認が事実の有無の確認であるとの誤解に誘導します。正しい方法では、客観的な症状の存否の問題と症状を確定した後に行なわれる診断を、完全に切り離して別々に行なう必要があります。

同様に「RSDの発症」も「RSDを発症した状態」が被害者の症状を生み出すとの誤解に誘導する表現です。

抱き合わせ表現を多重構造で用いることは、加害者側の医学意見書の特徴です。

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 カ 第6のポイントは、抱き合わせ表現により、事故と病名との因果関係の検討に誘導することです。

問題設定で「本件事故による発症」を聞くことで、「事故によりRSDを発症したといえるか」との検討に誘導します。この誤りは「事故直後の時期にRSDと診断できる症状が出ているか」とのさらなる誤りにも誘導します。

   正しくは、結果(最終的症状)を確定してから、その症状を生じさせた原因として、事故以外のより可能性の高い具体的な候補(代替案)が存在するかを検討します(ルンバール事件、B型肝炎事件等の最高裁判決の準則)。正しい方法では、病名(診断の適否、罹患したか否か)は最初から最後まで検討対象にはなりません。

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 キ 第7のポイントは、抱き合わせ表現により、「RSDを発症するほどの事故であるか」との検討に誘導することです。

「本件事故による発症」との表現で、「RSDに発症するほどの事故でなければ、RSDの発症との因果関係は認められない」との誤解に誘導します。

正しくは、その事故によりその怪我(事故直後の症状)を生じる「可能性」があれば足ります。その後の悪化は連続性の問題です。論理的にも「その怪我をする可能性のある事故により、その怪我をした」で何ら問題はありません。

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 ク 第8のポイントは、現に存在する症状の検討をさせないように誘導することです。

   因果関係についての正しい検討では、最初に結果(最終的症状)を確定してから「その結果を引き起こした原因は何か」を検討します。これに対して、加害者側は、最後まで結果(後遺障害)の有無を正面から検討しないように誘導し続けます。

誘導先の1つは「現実の被害者の症状がどのようなものであるかは措くとして、とにかくRSDに罹患したとは言えないので、RSDによる症状は生じていない。」との理屈です。

もう1つは「現実の被害者の症状がどのようなものであるのかは措くとして、とにかくRSDを発症させるほどの事故であるとはいえない」との理屈です。

この誤りに誘導されると、被害者の症状を正面から検討することなく、「そのような症状が存在するはずがないので、検討するまでもなく認めない。」との理屈になります。この誤りに誘導された裁判例は多く存在します。

 

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 ケ まとめ

以上のように、加害者側の医学意見書や鑑定書では細部まで非常に巧妙に考え抜かれた表現が用いられています。中でも診断の検討に誘導する部分はそれに引き続くウソ医学やウソ理屈の根幹になるため、いわゆる「決め台詞」のように良く考えられた表現が用いられています。但し、騙しの理屈を網羅したものばかりではなく、そのうちの数個を用いるものも多くみられます。

上記の各ポイントについて前提知識なく医学意見書を読むと、ほとんどの裁判官は誤った理屈に誘導されると思います。もちろん、「このような騙しの理屈に特化した巧妙な表現を多用する医学意見書を本物の医師が書いたのであろうか。」との疑問は当然に生じます。

ちなみに私は加害者側が提出した医学意見書で本当に医師が記載したと信じることができたものに遭遇したことは1度もありません(これはあくまでも私の主観的な感想であり、実際には本当に医師が記載したものが存在したかもしれません。)。私はこの種の訴訟を多数経験してきましたが、毎回のように巧妙な表現や色々なウソ医学、ウソ理屈が練りこまれたものが出てくるのでうんざりしています。

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4 診断の検討に積極的に誘導する表現

  上で述べたのは、被害者側の弁護士や裁判官を「知らない間に診断の検討に誘導されていた状態」と「具体的な症状の存否・程度を検討せずに、それを否定する結論に誘導されていた状態」にするための表現です。これに対して、積極的に診断の適否の検討に誘導する表現もしばしば用いられます。例えば、次のようなものです。

 「被害者の症状の発生や存在について、医学的に説明することができると言えるためには、医学界で一般に認められている診断基準をみたすことが必要不可欠です。」

この表現にもいくつものポイントがあります。

 

 ア 第1のポイントは「医学的に説明」という言葉です。

これは『青い本』の「後遺障害認定実務の問題点」が述べるいわゆる「証明と説明の区分論」を意識したものです。症状の存在を認めるためには(後遺障害等級14級以上にするためには)、その症状について医学的に説明できなければならないとし、医学的説明として診断を求めるものです。

これに対する反論は「なぜ診断を検討するのですか?」のなかで述べたとおりです。

そもそも、①労災や自賠責では診断が正しいかどうかを判断しません。この判断をすると医師法17条の「医業」を行なったものとして犯罪になります。仮に認定担当者が医師であったとしても患者を直接診察せずに診断をすると医師法20条の犯罪になります。従って、自賠責の後遺障害認定を説明する理屈(証明と説明の区分論。この理屈それ自体も誤りですが。)を根拠にして、「説明のためには診断の検討が必要である」との理屈を導くことはできません。

理論的にも、②症状をもとに診断をするのに、その診断により症状が(整合的に)説明できるから、症状が認められるとするのはたんなる循環論です。

また、③症状が存在することと、その症状を医学的に説明できることとは次元の異なる別の問題です。もとより、④必ずしも診断により症状が説明できるわけではありません。ある症例に対して病名を与えることと、個別の症状がどうして生じるのかというメカニズムの解明は別の問題です。因果関係の判断とメカニズムの解明は別問題です。

さらに、⑤被害者がCRPSと診断された事案においては、「その診断が正しいか」ではなく、「より適切に被害者の症状を説明できる病名があるか。その別の病名によれば事故との因果関係を否定できるか。」を検討するべきです。代替案なき検討は意味がありません。

 

 イ 第2のポイントは「医学界で一般に認められている診断基準をみたすこと」という表現です。

この部分には、「たしかに一般的な基準をみたさなければ『RSDによる症状』とは言えないなあ」と信じてしまいそうな巧妙さがあります。

   しかし、診断を検討する必要性を論証するために、「RSDによる症状」であることが必要と述べることは、結論先取りの誤りとなります。 

 

 ウ 第3のポイントは「医学界」、「一般的に認められている診断基準」などのそれらしい言葉を用いることにより、何となくその気にさせることです。

それらしい表現としてはこの他にも、「RSDという診断により被害者の症状を整合的に説明できるかどうかが問題となります」とか、「RSDという診断により被害者の症状について医学的な整合性が保証されるかどうかが問題となります」などの表現が考えられます。

   「整合的に説明できるかどうか」などと言われると、「整合的に説明できた方が良いですね」という気にもなります。けれども、ある症状についてある診断ができるかを問題にしているに過ぎません。「何となくその気にさせる表現」をちりばめることはウソ医学、ウソ理屈を隠すための常套手段で、よく練り上げられた表現が多用されます。

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5 診断が正しいことによる納得感

 ⅰ 被害者の症状に対するCRPSとの診断が正しいと言える場合には、被害者の症状に対する納得感のようなものが生じます。

これはある意味当然のことです。診断の過程では、患者の症状をもとに、それに当てはまる病名を探し、患者の症状を最も合理的に説明できる病名が診断されるからです。病名をもとに症状を眺めたときに、その症状に対する納得感が生じるからこそ、その病名が診断されたと言えます。しかし、この納得感により症状の存在が裏付けられるわけではありません。

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 ⅱ これに対して、「症状をもとに診断を下し、その診断をもとに症状を認めることは循環論になりますが、この過程を全体としてみれば、診断が正しいことにより症状の存在は『より確からしくなる』と言えます。」という理屈はどうでしょうか。

   この理屈は、「全体としてみれば」という部分で論理性を失っている点に難点があります。この言葉は「説明する」の修飾語に過ぎません。

   現実にも、例えば「熱が39度あるので病院に行ったらインフルエンザと診断された。」との事案で、診断により熱が39度あることが「より確からしくなった」と言えるかと問われたならば、否定します。体温計の数値は前提として確定しています。

つまり、上の「より確からしくなる」というのは、症状が不確かであることが前提になります。これに対して、診断の前提となる症状や検査結果は存在が確定しているものです。症状の存否は診断の前提として、診断とは無関係に存否を判断する必要があります。

従って、存在を認定した症状が「より確からしくなった」というのは、納得感が増したという意味に過ぎず、診断により症状が「裏付けられる」という関係は存在しません。

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 ⅲ では、「症状ABCが存在するXさんがCRPSと診断されたことにより、その症状ABCが『CRPSによる症状』として整合的に説明できるようになった。これにより症状ABCの存在が『より確からしくなった』」という理屈はどうでしょうか。

   上記の「全体としてみれば」の部分を「整合性」という言葉に言い換えたに過ぎませんが、なんとなく正しそうな気がするかもしれません。しかし、「説明する」の修飾語に過ぎません。

   この場合も症状ABCは診断の前提として確定しているはずであるので、「整合性」により症状が裏付けられるという理屈には成り立ちません。

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6 診断と因果関係を混同させる表現

 ⅰ 上記のとおり、「診断が正しいといえなければ、症状と事故との因果関係が認められない」とする理屈が成り立たなければ、診断の適否を事故との因果関係に関連させることはできません。

但し、加害者側の医学意見書や鑑定書ではこの理屈をはっきりと述べません。これを正面から書いてしまっては、ネタバレになって裁判官を騙せません。

   そこで、上で述べた「被害者は本件事故によりRSDを発症して、RSDに由来する症状として関節拘縮を生じたと言えるのかどうかが問題となります」といった抱き合わせ表現で論理的な検討を困難にして、感覚的に診断の適否の検討が因果関係の判断に必要であると誤解するように誘導します。

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 ⅱ 実質的に考えてみても、事故直後から左上肢の痛みを訴えてきたのに、その痛みがCRPSであることが判明した(診断が下された)のが事故から1年後であるとして事故との因果関係はないと主張しても、この理屈に騙される裁判官はほとんどいません。

   事故直後からの症状の連続性ないし一貫性からは因果関係は当然に認められます。「診断ができるようになった時期」の問題だけで因果関係を否定することはあまりにも不合理だからです。

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7 論点であることを気付かせることから始まります

  以上のとおり、診断の適否を検討して、その結果により症状の存否や事故との因果関係が決まるとの誤りを排除するためには、それが論点であることを気付かせることが重要です。その上で、「それでも診断を検討するというなら、その意義を明確に述べて欲しい。」と主張することが重要です。

 

2017年1月18日 (水)

なぜ診断を検討するのですか?

1 なぜ診断を検討するのですか?

 ⅰ 交通事故の被害者に対して下された診断が正しいのかどうかが争点となっている裁判例は多数存在します。しかし、診断が正しいかどうかを検討することに本当に意味があるのでしょうか。その検討により、症状の有無や程度が変わるのでしょうか。

 結論から言えば、診断の検討に意味があるのは、極めて限られた例外的な場合のみです。即ち、被害者の症状について別の傷病名で説明でき、その場合には被害者の症状が交通事故により生じたと言えないときにのみ、加害者側はその主張をすることに意味があります。

 ⅱ 加害者側の提出する医学意見書には、多種多様な誤った医学的知見(ウソ医学)やこれを支える誤った理屈(ウソ理屈)が記載されていることが多く、これに騙された裁判例は非常に多く存在します。

   その中でも、①診断が正しいといえなければ、症状が認められない、②診断が正しいと認められなければ事故との因果関係は認められないとの主張は、これに続く多くのウソ医学やウソ理屈の骨格を形成する定番中の定番のウソ理屈です。以下では、CRPSを例に述べます。

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2 診断が正しいかどうかは事実の存否の問題ではない

ⅰ 診断は、症状(及び検査結果)の存在を前提に、これに対する評価として下されます。診断が正しいかどうかは事実の存否の問題ではありません。事実(症状)の存在を前提とした評価の問題です。従って、診断の適否は主要事実(被害者が主張・立証するべき事実)やその一部になる余地はありません。

ⅱ これに対して、加害者側は医学意見書を用いるなどして「CRPSに罹患した」、「CRPSによる発症」、「CRPSに由来する症状」などの表現を多用して、これらが主要事実であるかのように主張します。

  例えば、「被害者は本件事故によりCRPSを発症して、CRPSに由来する症状が生じたと言えるかどうかが問題となる。」として、被害者の症状(疼痛や関節拘縮など)を「CRPSに由来する症状」にすり替えます。

  これは「CRPSに由来する症状」という事実の有無を判断しているとの錯覚に陥れることを目的とするものです。その上で、被害者側にて「CRPSに由来する症状」であることを証明しなければならないとの誤りに誘導します。

  加害者側が述べる理屈は、「あの場所には『美しい山』は存在しない。よって、あの場所には山は存在しない。」との理屈と構造が同じです。このことに気付けば、「被害者には『CRPSによる症状』は存在しない。よって、被害者には関節拘縮は存在しない。」との理屈が誤りであることは明白です。

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3 症状は診断により裏付けられない

 ⅰ 診断は事実(症状)に対する評価であって、事実を変更する力はありません。 

患者の症状(例えば、熱が39度ある)について、「風邪である」と判断しようと、「はしかである」と判断しようと、熱が39度あるという事実に変化は生じません。診断は事実(症状)に対する評価であって、事実を変更する力を持ちません。

これに対して、「風邪との診断は誤りである。よって、平熱である(体温計が壊れている)。」との理屈は誤りです。

 ⅱ 症状の存在は常に診断の基礎となる大前提であり、診断が正しくとも、誤っていたとしても、変更されたとしても、症状の存否や程度に影響を与えません。

症状を根拠に診断を下したのに、その診断を根拠に症状を認めることは循環論法でもあります。診断を根拠に症状を認めることは、例えるならば、死亡診断書の傷病名が正しいことを理由に死亡の事実を認定するようなものです。

診断は症状に対する評価として下されるものであり、診断が正しくとも、誤っていたとしても、変更されたとしても、症状の有無や程度に影響を与えません。

 ⅲ 以上に対しては、「その症状が存在すると仮定して診断を検討したところ、その診断ができない。よって、その症状は存在しない。」との理屈であれば成り立つとの反論も考えられます。

   実際にも、加害者側は「被害者の主張する症状ABCが存在すると仮定して、CRPSと診断できるかどうかを検討したところ、その診断はできない。よって、被害者には『CRPSに由来する症状』であるABCは存在しない。」との理屈を述べることが多くみられます。

   しかし、その診断ができないことは症状が存在しないことを導かず、その症状に対して別の診断が可能であることを意味するに過ぎません。また、「症状が存在する」を前提に「症状が存在しない」が導かれたことは、前提と矛盾する結論を導いたことに他ならず、通常は検討が誤りであることの論証例です。加えて、結論が逆の場合(診断を認める場合)には循環論法となります。

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4 被害者が証明する対象は事実である

被害者が訴訟で後遺障害として主張しているのは、例えば左上肢の拘縮や頚部から左上肢にかけての強い痛みなどの具体的症状であって診断の適否ではありません。

これに対して、加害者側は、「CRPSによる症状」が後遺障害であるとの誤りに誘導しようとする。これは症状を病名にすり替える誤りです。

現実に被害者の主張する症状(後遺障害)が存在し、それが交通事故により生じたものであるならば、その傷病名の適否(症状に対する評価)は問題とはなりません。加害者側が傷病名を争うことに意味があるのは、別の具体的な傷病であることを積極的に主張して、その別の傷病が交通事故により生じたものではないことが主張できる場合のみです。

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5 労災や自賠責では診断の適否を判断しません

  労災や自賠責では診断の適否は判断対象ではありません。これはごく初歩的な基礎知識です。実際にも具体的な症状ごとに区分された後遺障害等級表に対する当てはめを行なうのが後遺障害認定の基本です。

  仮に万が一、労災や自賠責で診断の適否を判断すると、医師法17条の「医業」を行なったものとして犯罪となります。後遺障害認定という定型業務のなかで診断の適否を判断することは、まさに「医業」そのものです。

自賠責の異議申立に対する審査の手続や審査会の判断では、医師が加わることもあるとされていますが、医師がアドバイスをしたからといって、医学的判断をすることはできません。看護婦が医師のアドバイスを受けて診断できないのと同じです。従って、労災や自賠責の定型的処理の中に「医師のアドバイスによる診断の適否の判断」が組み込まれることはあり得ません。

仮に認定担当者が医師であるとしても、患者を診察せずに診断を下すことは医師法20条違反の犯罪となります。従って、患者を診察しない自賠責の手続で診断の適否の判断することはできません。

なお、RSD(反射性交感神経性ジストロフィー、CRPSタイプ1)と高次脳機能障害においては「労災や自賠責が診断の適否を判断している」との誤りを加害者側が主張することが多いため、以下に述べます。

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6 労災や自賠責ではRSDであるかどうかを判断しません

 ⅰ そもそも労災や自賠責のRSDの3要件は診断基準ではありません。カウザルギー(CRPSタイプ2)と同様に扱うかどうかを判断するための基準であると基準に明記されています。これに対して、3要件が診断基準であるかのように主張することは加害者側の定番のウソ医学です。

   また、RSDの3要件は後遺障害の重症度を判断する指標でもありません。カウザルギーと同様に扱うかどうかの判断においてのみこの3要件を用いることができます。

 ⅱ 以下のとおり、現実のRSD患者であっても、この3要件を満たす者は皆無に等しいと推測できることや、この3要件は「カウザルギーと同様に扱うかどうかを判断する基準」としても誤りです。この点は私のブログで繰り返し述べてきましたが、以下に要約して述べます。

   日本版のCRPS判定指標の5項目をAないしEとすると、判定指標は現実のCRPS患者で「5個のうちいずれか2個」の要件(AB、AC、AD、AE、BC、BD、BE、CD、CE、DEの10通りのうちいずれか)を満たす者が82.6%ことを意味します(感度82.6%の意味。感度とはその疾患の患者がその検査で陽性となる割合です)。

CRPS患者の約2割はAないしEのうち1つしか満たしません。また、判定指標からはCRPSには必須の症状が1つたりとも存在しないことが、一見して明白です。

   これに対して、労災。自賠責のRSDの3要件は、①上記10通りのうちのABのみに限定し、さらに②A(皮膚、爪、毛のいずれかの萎縮性変化)を皮膚の変化のみに限定し、③B(関節可動域制限)を関節拘縮に限定し、加えて④骨萎縮が必須であるとし、さらに⑤上記3つの全てが明白であること(重症であること)を要求しています。

これではRSD患者のほぼ全てがこの要件を満たしません。実際にもCRPSの事案で自賠責が3要件を満たしたと認定した事案は裁判例(重症例が多い)では皆無に近い状態です。裁判例では4級ないし5級相当と思われる症状の事案で14級や非該当が少なくありません。

   被害者の症状が重篤であることが多い傷病(CRPS)を狙い撃ちした特殊な要件がどうして設定されたのか、理解し難い面があります。

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7 労災の「高次脳機能障害」は疾患の名称ではなく、行政上の概念です

ⅰ 医学書でも「行政上の高次脳機能障害」と「医学での高次脳機能障害」とを明確に分けて説明するものが多く存在します。

なお、医学での「高次脳機能障害」は疾患の名称ではなく、種々の原因(疾患、怪我など)により生じた一定範囲内の症状をあらわす概念です。このため国際疾患分類(ICD)にもこの病名は存在しません。

日本高次脳機能障害学会のいう「医学での高次脳機能障害」は失語症が含まれている点において、「行政上の高次脳機能障害」とは異なります。日本高次脳機能障害学会はもともと日本失語症学会という名称で失語症を中心にしていました。「行政上の高次脳機能障害」には失語症が含まれていないという重大な欠陥があります。

この点について、「失語症は障害者手帳の対象となっていたため、行政上の概念から除外された」と説明されることもありますが、事故(交通事故)により失語症になる方もおられるため、この説明は誤りというほかありません。現状では事故により失語症になった方が適切な賠償を受けることは非常に困難です。

 ⅱ 注意するべき点は、自賠責で認定の対象となるのは「行政上の高次脳機能障害」の有無ではなく「脳外傷による行政上の高次脳機能障害」の有無であることです。

自賠責では交通事故後に「行政上の高次脳機能障害」とされる症状が生じた方のうち、「脳外傷による高次脳機能障害」の要件を満たす人(1~5%位であろうか)のみが保護される仕組みになっています。この要件から漏れた方は「非器質的精神障害」と見なされます。

  上記に対しては、「行政上の高次脳機能障害」に該当するかどうかは、行政の管理区分としての「高次脳機能障害」に該当するかどうかの判断であるとも言えます。このように考えれば、その該当性の判断は医学的判断ではないと言えます。

  しかし、審査の対象となる被害者(患者)は「高次脳機能障害」と診断されていることが通常です。このため単純に「行政上の高次脳機能障害」の該当性の判断であるから、自賠責でも判断できるとは言い難い面があります。

  この問題を回避するために、自賠責では「脳外傷による高次脳機能障害」に当たるかどうかを判断し、「高次脳機能障害」であるかどうかを判断しない仕組みになっています。

  以上に対して、加害者側は、「脳外傷による高次脳機能障害」の要件を「高次脳機能障害」それ自体の要件と混同させる主張をすることが通常です。また、「行政上の高次脳機能障害」が医学的な疾患の名称であるかのように扱い、「高次脳機能障害を発症した」、「罹患した」などの表現を用いて、その診断の適否の検討に誘導することも非常に多いですが、いずれも誤りです。

 

 ⅲ 以上のとおり、労災や自賠責においては、診断が正しいかどうかの判断をすることなく、長年にわたり後遺障害認定を行なってきた実績があります。

   これに対して、「診断の適否を判断しなければ後遺障害の有無や程度を判断できない」とする考えは、事実において明らかに誤っているというほかありません。

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8 「罹患したから症状が生じる」の誤り

 ⅰ 以上に対して、加害者側は診断の適否(罹患したこと)が主要事実であると誤解させるべく多種多様な主張を多層的に行なうことが多いです。

   よく見られるのは、「原告の関節拘縮は『CRPSに由来する症状』である。原告がCRPSに罹患したからこそ、『CRPSに由来する症状』が生じた。従って、原告がCRPSに罹患したかどうかにより、『CRPSに由来する症状』が存在するかどうかが決まる。」との理屈です。

   これは単なる症状を「Aに由来する症状」にすり替えて、診断の適否を検討するように誘導するもので、CRPSのみならず、低髄液圧症候群など多種多様な傷病名の事案で加害者側が用いるウソ理屈です。そこでは「Aに罹患した状態」、「Aを発症した」などの表現が多用されます。

   もちろん、このような医学意見書を本当に医師が作成したのであろうか、プロのゴーストライターでなければ訴訟用のウソ医学やウソ理屈を多用した主張をここまで巧妙には書けないのではないかとの疑問は当然に生じます。

 

 ⅱ 症状をもとにして診断が下されるのであり、診断が正しいから症状が生じるわけではありません。上記の主張にはトリックがあります。それは「発症した(罹患した)から症状が生じる」との理屈です。この理屈はあたかもウィルス性疾患に感染してそれ故に症状が生じたとの因果性を含んでいます。

  しかし、CRPSはウィルス性疾患ではなく、患者に一定の症状が存在することによりその診断が下されます。この診断により症状が生み出される関係は存在しません。医師が「CRPSを発症した」などの表現を用いることもありますが、それは「患者の症状はCRPSと評価できる」との意味で、上記の因果性を含みません。

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9 症状に対する説明として診断を求めるウソ理屈

 ⅰ 加害者側のウソ医学、ウソ理屈は通常は多層的に主張されます。加害者側の医学意見書には上記の因果性とは別の理屈も記載されることが通常です。

  例えば、「被害者の症状をCRPSと認めることはできない。即ち、被害者の症状は医学的に説明できない全く不可解な症状であると言わざるを得ない。よって、そのような症状を認めることはできない。」との主張です。要するに、「診断が正しいと言えなければ症状は認められない」との理屈です。この点に気付けばこのウソ理屈に騙されることはないと思います。

  この理屈の背景には、『青い本』の「後遺障害認定の問題点」が述べるいわゆる「証明と説明の区分論」があります。そこで述べられている「医学的に説明可能」の意味を「病名が正しいことにより症状が説明される」とする誤解に誘導すると、上記の理屈が補強されます。

ⅱ この理屈には、いくつかの致命的な問題点があります。

第1に、この理屈は「診断が正しいことにより症状が認められる」との構造であるため上記の循環論(症状をもとに診断を下し、その診断をもとに症状を認める)に陥ります。

  第2に、症状が存在することと、その症状を医学的に説明できることとは次元が異なる別の問題です。熱が上がった原因が不明でも、温度計が壊れていることになりません。死因が不明だからといって死者が生き返るわけでもありません。

  第3に、現実的な問題として、ほぼ全ての疾患には非典型症例が存在するところ、その症例がどうして生じるのかを説明することは非常に困難です。典型症例においても医学的機序が解明されていないものは非常に多く存在します。

  第4に、自賠責では診断が正しいかどうかを判断しないため、「医学的に説明可能」の意味を診断による説明と理解することはできません。『青い本』でさえも「医学的に説明可能とは、現在存在する症状が、事故により身体に生じた異常によって発生していると説明可能なもの」としています。

  第5に、被害者がCRPSとの診断を下された事案においては、その診断が被害者の症状を説明できる最も適切な病名であることが通常です。これを否定するためには被害者の症状をより合理的に説明できる代替案(具体的病名)をあげて主張する必要があります。これが鑑別診断です。具体的な対案を出すことなく「とにかく(確実に)CRPSであるとは言えない。」と主張することは診断を検討する方法として誤りがあります。

 

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10 診断を否定するためには別の候補をあげる必要がある

 ⅰ 臨床では医師は患者の症状を最も合理的に説明できる病名を診断します。通常はその病名により患者の症状のほとんどが説明できます。従って、その診断を否定するためには他の具体的な病名をあげて、その対案の方が患者の症状をより合理的に説明できることを主張する必要があります。これが鑑別診断です。

  医学的な手法(鑑別診断)においては、診断が否定されるのは通常は代替案となる病名が患者の症状をより合理的に説明できる場合です。診断を検討した結果、患者の症状が説明不能に陥るのはおかしなことです。

ところが、訴訟では加害者側は代替案をあげることなく、現実に診断された病名の診断基準を厳格化して主張することが恒例となっています。この主張はウソ医学です。対案なき検討は鑑別診断という医学的な手法を無視したものです。

 ⅱ 鑑別診断の考えは、「代替説明」という基本的な論理(条理)を用いるものといえます。ある事実について、Aという説明ができているところ、他の有力な説明(B)を提示することなく、「とにかくAであるとする確実な証拠はない」と主張することは誤りです。代替案となる説明を提示していないからです。

   要するに「Aではないとしたら、いったい何なんだ!」というごく自然な反論への回答が必要ということです。この回答(代替説明)を用意しない主張が誤りであることは、一般的な常識であるとも言えます。

   最高裁判決においても「代替説明」の理屈は取り入れられています。有名なルンバール事件やB型肝炎事件において、ある事実(P)が原因であるとの推定が成り立つ状況においては、代替説明となる具体的な他原因を相当程度に主張・立証しなければ、それ(P)が原因であることを否定できないとする論理は、判例上確立されています。

   これは訴訟法的には表見証明や一応の推定の問題としても説明できます。即ち、ある推定が成り立つ状況においては、相手方において具体的な反対事実を相当程度に立証しなければなりません。実際にも裁判例において、「他に合理的な説明は考えられない」、「他に原因となりうる具体的な事情は見当たらない」などの表現で代替説明の論理を述べるものは非常に多く存在します。

 ⅲ 以上のことから、訴訟の場においても、ある診断が下されていて、それにより患者の症状について一応の説明が可能な場合においては、その診断を否定する側において具体的な代替案を提示して、その代替案となる病名がより合理的に患者の症状を説明できることを主張しなければならない、と言えます。もちろん、加害者側がこの主張をする意味があるのは、その代替案が交通事故により生じる傷病ではない場合のみです。

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11 病名と特定の症状と結びつける誤り(病名と症状の混同)

  病名による医学的説明にこだわっている裁判例においては、病名を特定の症例に強く結びつける誤り(病名と症状の混同)が多く見られます。

  例えば、「CRPSには激しい痛み、皮膚の変化、骨萎縮が必須であり、これが存在しないものはCRPSではない。CRPSと認められない以上、その症状は単なる痛みの症状に過ぎず軽いはずであり、関節可動域制限も実は主張より軽いはずだ。」との理屈です。この考えは、病名を特定の症例と同視する強い実感に基づいているように思います。

  もちろんCRPSには必須の症状は1つたりとも存在しません。これはごく初歩的な医学的常識です。必須の症状が1つも存在しないことは疾患として特殊なことではなく、極めて頻繁に見られることです。医学書でその疾患で見られる基本症状として列挙されている症状は、ほとんどの場合必須の症状ではなく、多くの患者で確認できる症状に過ぎません。

  ところが、加害者側のウソ医学ではその疾患であると認めるためには多くの症状や検査所見が必須であると主張することが恒例となっています。

診断に際して重要なことは、「現実に確認された症状や検査所見を最も合理的に説明できる病名は何であるのか」です。これに対して、ウソ医学は存在しない症状に焦点を当てること(ないものねだり)に特徴があります。ウソ医学では、その結果として現実に確認された症状を否定しようとします。この点にウソ医学の特徴があります。

加害者側は、医学意見書を用いるなどして「この疾患はABCDE…の症状が必須である。」として病名を特殊な重症例と混同させて、「ないものねだり」に誘導することが非常に多いのですが、検討方法自体に誤りがあります。

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12 事故との因果関係の証明のために診断を求める考え

 ⅰ 加害者側は、事故との因果関係の証明のために、診断の適否の判断が必要であると誘導することも多くみられます。

   例えば、「原告の主張する関節拘縮はCRPSに由来する症状である。従って、原告は本件事故によりCRPSを発症して、CRPSに由来する症状を生じたことを証明する必要がある。」との理屈を述べるものです。

   即ち、「病名による説明がなければ、その症状が事故により生じたのかどうかを判断できない」と主張するものです。これは上記の「正体不明の症状を認めることはできない」との理屈とも重複する面があります。

   加害者側は、この意図のもとに医学意見書を用いるなどして、「原告は本件事故によりCRPSを発症して、CRPSによる症状を生じたものとは認められない」などの多重の抱き合わせ表現を多用します。抱き合わせ表現は上で述べたほかの理屈を兼ね備える多層的な意味を持ちます。

 ⅱ この理屈は診断の適否により症状を裏付けようとするものではないので、上記の循環論を避けることができます。但し、この理屈では診断を否定しても症状は否定できません。

   そこで、加害者側は「診断を否定した以上、事故との因果関係が認められない被害者の症状の存否や程度を検討する必要はない」との理屈で、現実に被害者に残存する症状を検討しないように誘導します。

   即ち、「被害者にどのような後遺障害が残存しているかはともかくとして、とにかく『本件事故により発症したCRPSに由来する症状』は存在しないことだけは認められる。」との理屈に誘導します。

 ⅲ 正しい検討においては、まず被害者に現存する症状の有無や程度を確定します。その後に、「その症状を生じるについて、本件事故以外により可能性の高い具体的な候補が存在するか」を検討します。診断の適否は最初から最後まで検討対象にはなりません。

   もとより因果関係を証明するために病名を証明する必要はありません。被害者の症状は通常は事故を基点として始まり、事故後の治療経過からは最終的な症状(後遺障害)との連続性を有しています。

   この状況においては事故と最終的な症状との因果関係は推定されます。この因果関係の推定を覆すためには加害者側にて、「より可能性の高い具体的な代替原因」を主張する必要があります。これが最高裁判決(ルンバール事件、B型肝炎事件など)の基本的な考えです。

  このように最終的な症状(後遺障害)について事故による外傷性の推定が働く以上、被害者側が病名においても新たな証明をしなければならない理由はありません。むしろ、加害者側が「その症状は事故により生じる外傷性のものではないこと」を真の病名となる具体的な病名をあげて主張する必要があります。最高裁判決においても具体的な「他原因」の主張・立証を相当程度しなければ因果関係の推定は覆らないとしています。

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13 事故後早期の診断を求める考え

 ⅰ 加害者側が用いる医学意見書では、事故との因果関係の証明のために事故後早期の診断が必要であるとの趣旨を述べることが多く見られます。

   例えば、「被害者が本件事故によりCRPSを発症したのであれば、遅くとも事故半年後にはその診断ができるほどに悪化していたはずである。しかし、事故半年後の被害者の症状からはCRPSと判断することはできない。よって、被害者は本件事故によりCRPSを発症したとは言えない。」との理屈を述べます。

   上記の「半年」は事案によって、2か月、3か月、3週間、1年などの期間に変わります。要するに被害者の症状の悪化がカルテ等から読み取れる時期よりも早い時期で区切ります。

   CRPS(RSD,カウザルギー)の事案では、医学意見書で病期説(三期説)を引用するなどして、事故後半年以内などの早期に症状が重症化する必要があるとする主張も多用されます。なお、病期説は疾患をイメージするためのもので、診断基準ではありません。臨床の大規模調査ではほとんどの患者が病期説の説明とは異なる症状経過を辿ったため、現在では病期説の説明自体が否定されています。

 ⅱ 上記のとおり、事故との因果関係を証明するために病名を証明する必要はありません。従って、その病名が事故後早期に診断できることはなおさら必要ありません。

   着目するべきは診断の適否ではなく、被害者に生じた具体的症状です。症状それ自体の連続性が明らかであるにも関わらず、任意の一時期でそれを区切って因果関係を否定することは、極めて不合理です。

   もちろん、事故によりCRPSを発症した(正しくは、「CRPSと評価できる症状に至った」である)事案では、半年以内に重症化するとの法則も存在しません。実際には、事故から1年後以降も悪化し続ける事案も多くみられます。CRPSでは症状固定が事故の3年後以降になっている裁判例も少なくありません。

   CRPSにおいては疼痛緩和の治療が打ち切られると症状が悪化する症例が多いため、労災の場合には症状固定後も国費で治療を続けることができるアフターケア制度が設けられています。即ち、症状固定後であっても症状が悪化することは国の制度の前提にもなっています。