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CRPS判定指標

2015年2月21日 (土)

自賠7級の右上下肢CRPS(26.4.22)

1 横浜地裁平成26年4月22日判決(自保ジャーナル19251頁)

  この事案の特徴は、①自賠責で7級4号と重い後遺障害認定がされていること、②ドラッグチャレンジテストでケタミン、ビスホスホネート製剤などが用いられていること、③にもかかわらず主治医がギボンズの基準も使用していること、④判決が骨萎縮や筋萎縮について誤解していること、などです。

2 症状の経過

 被害者は症状固定時46歳男子会社員です。平成18年11月24日に有料道路の料金所手前で停止中に追突されました。

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事故当日…C病院。頚部痛を訴えた。翌日には頚部の伸展痛、僧帽筋の圧痛を訴え、頚椎捻挫と診断された。3か月弱通院した。

1か月後…J整形外科。リハビリのために1か月通院。頚部の伸展痛、右手のしびれ等を訴えリハビリを受けた。

2か月半後…D病院。2回だけ通院。頚部痛。右前腕尺側(小指側)のしびれ等を訴え、頚椎捻挫と診断された。

(評)この時期にいくつかの病院に通院していることからは、早期から強い症状が出ていたと考えられます。

2か月後…E大学病院・整形外科。頚部痛、右手の脱力感、右下肢前面のしびれを訴えてE大学病院への通院を開始した。2か月半後にサーモグラフィーで右肘、右手は左側に比べて低温とされた。

4か月後…E大学病院・整形外科。尺骨及び腓骨の筋電図の筋電図は正常であったが、右手首から先が動かなくなった、右腕が挙がらなくなった、右握力が0である、右頚部から上肢にかけてRSD様の症状があると診断された。以後麻酔科にも通院した。

4か月後…K整形外科病院。1か月弱通院。頚椎捻挫、CRPS疑いとの診断名のもとリハビリを受けた。

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(評)この時点で右上肢の症状がかなり重くなっています。右上肢全体に重い症状が出ています。

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4か月半後…右下肢の痛みを訴えるようになった。

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(評)上肢のCRPSが重症化した事案では多くの場合に下肢にも何らかの症状が出ており、下肢の症状がのちに重症化する事案も少なくありません。

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5か月後…E大学病院・麻酔科。ギボンズのRSD診断基準に照らし①アロディニア、②灼熱痛、③浮腫、④発汗の異常、⑤皮膚の変化が陽性とされ、⑥皮膚の色調または体毛の変化が擬陽性、(時間によって赤黒くなる)として、「5.5+α点」(RSDの可能性が高い)とされ、1週間後にCRPS(Ⅰ型)と診断された。

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    (評)ギボンズの基準については、あとで述べます。

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5か月後…L整形外科病院。頚部痛、右肩痛、右上肢しびれ、右下肢痛を訴え、リハビリを受けた。

     1年7か月後に右上肢を固定する装具を用いるようになり、1年8か月後の時点では杖を使って続けて2、3分ほど歩行できる状況であった。2年4か月後に手動の車椅子を使用するようになり、2年8か月後に電動車イスを使用するようになった。

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半年後…E大学病院・麻酔科。12日間入院し、神経ブロック療法や薬物チャレンジテストが試みられるも、大きな効果はなかった。右手のみ発汗し、手指に触れるだけでも痛いと訴え、可動域訓練もできなかった。

      リハビリ科において、右前腕から右手指にかけて、皮膚紫紅色、発汗あり、筋萎縮なしとの所見が示され、7か月後には痛みが右腕の肘付近から頚部にまで広がった上、右手の発汗が著明となり、手首から先を動かせない状況になった。

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9か月後…E大学病院。11日間入院し、脊髄刺激装置トライアル及びケタミンテストが試みられたが、効果は乏しかった。その後も同病院に通院を続ける。

      2年3か月後に両下肢のサーモグラフィーにより、右下肢(膝下)の皮膚温が左下肢(膝下)に比べて低温とされた。

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1年1月後…F病院。CRPSの専門医を受診し、右上肢にアロディニア、発汗、筋萎縮が著明であり、右手指の可動域がわずかであるとの所見が示された。

      1年半後に病名が右上肢CRPS(RSD)、右上肢筋萎縮著明、指をわずかに動かせる程度、アロディニアと発汗著明であるとする診断書が作成された。但し、被害者が痛みを訴えたため、触診、可動域測定などはできなかった。

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1年2か月…G大学病院。両側手部の単純X線撮影が行なわれ、右手の脱灰が存在するとの所見が示された。ギボンズの基準で、①アロディニア、痛覚過敏、②灼熱痛、③皮膚の色調、体毛の変化、④発汗の変化、⑤X線上の脱灰像を陽性、⑥罹患肢の温度変化、⑦交換神経ブロックの効果を擬陽性として、RSDスコアを6点とした。

      1年5か月後に10日間入院し、ケタミン持続療法を受けるも効果はなかった。この時点では病院の玄関から診察室まで自力で歩くことが可能であった。また、骨シンチグラフィーでは両上肢に異常なしとされた。

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1年半後…G病院。症状固定とされた。傷病名は、CRPS(右上肢)、外傷性頚部症候群。右上肢につき、①灼熱痛、②アロディニア、③発赤、④チアノーゼ、⑤皮膚温低下(右32度、左33.5度)、⑥軽度の骨萎縮、⑦筋力低下及び筋萎縮(右上腕周径23cm、左上腕周径23cm)、⑧右肩、肘、手、指の関節はいずれも疼痛のために自動・他動ともにできないとの所見が示された。ギボンズスコアは5.5点とされた。

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1年半後…G病院に入院し、神経ブロック、薬物チャレンジテストを受け、フェントラミンにより背部痛の改善及び発汗の低下がわずかに認められた。

 

2年9か月後…G病院。右上下肢につき、灼熱痛、アロディニア、腫脹(弱)、蒼白、チアノーゼ、皮膚温低下(右手28.2度、左手36.7度、右足29.3度、左足35.9度)、発汗異常、軽度の骨萎縮が認められるとされ、CRPS(右上肢、右下肢)と診断され、新たに後遺障害診断書が作成された。

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3 ギボンズの基準について

ⅰ 10年ほど前の裁判例では、CRPSの診断基準としてギボンズの基準を用いているものが少なからず見られます。症状を点数化する点で厳密であるとの印象からでしょうか。

しかし、ギボンズの基準は個人の私的見解にすぎず、この基準を用いた場合の感度、特異度の統計すらなく、何らの検証も受けていない基準です。このため世界的には当初から全く利用されておらず、なぜか日本の一部の医師や麻酔科医のみが用いているとする医学書もあります。CRPSの日本版判定指標(08年)が制定された後はギボンズの基準を用いる医療機関はごくわずかになりました。本件は06年の事故であるため、ギボンズの基準が用いられたようです。

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 ⅱ 臨床の診断の現場では、「その症状を生じる疾患として何が考えられるか。」を検討し、対象となる病態を特定して治療するのに必要な限度で診断が下されます。病態がある程度特定できれば治療を行うことができるので、正式な診断がなされないまま治療が行なわれることもしばしばあります。

患者の症状についてCRPSが疑われ、CRPSにより一応の説明できる場合には、「CRPSではないとすれば他に可能性の高い候補があるか。」を検討します(鑑別診断)。他の疾患の可能性が排除されればCRPSと診断できます。鑑別対象の疾患を広げすぎるときりがないので、ある程度可能性が高いものに限定して鑑別診断を行ないます。

これに対して、CRPSが検討対象に挙がった後に、CRPSとする積極的根拠のみを探し続けることはナンセンスです。ところがギボンズの基準は積極的根拠をスコア化して積み上げるもので、鑑別診断の視点が欠けています。裁判例でも「その疾患の特徴をより多く備えている場合に、その疾患であると診断できる」とする類の致命的な誤りが非常に多く見られます。

診断は典型性の度合いの判断ではありません。この誤りに陥るとごく一部の重症化した典型症例以外はその疾患と診断できないことになります(ほとんどの疾患には必須の症状はなく、典型症例とされる症例の占める割合は大きくありません)。

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ⅲ 本件では上記の症状を生じる疾患として、CRPSの他に候補が見当たらないため、CRPSと診断することに問題はありません。早期から多くの症状が出ている典型症例であると思います。これに対して、訴訟では加害者側からCRPSとする積極的な根拠が足りないとの主張が出されることが通常ですが、論外です。

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4 「CRPSを発症した」との主張について

ⅰ 判決によると、被害者(原告)は「CRPSを発症したこと」や「CRPSに罹患したこと」を主張しています(4頁)。繰り返し述べてきましたが、被害者側はこのことを主張・立証する必要はありません。

   この主張は根本的な誤解に基づいています。即ち、①被害者はCRPSを発症した(CRPSに罹患した)、②よって被害者に「CRPSによる症状」が生じた、③ゆえに被害者の後遺障害は重い、との誤った理屈を前提にこの主張がなされています。

 繰り返し述べてきましたが、症状と診断との間に「診断が正しいので症状が存在する」という関係やその逆の関係はありません。症状の存在は常に大前提であって、診断の適否に関わらず症状は変わりません。荒っぽいたとえですが、死亡診断書の傷病名が間違いだからと言って、死亡していないことにはならないのと同じです。

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 ⅱ これに対して、「傷病のリストに載っていない無名の疾患は存在しない。よって病名が不明な場合には症状の存在は認められない。」との考えもありそうです。しかし、現に存在する症状について「病名不明」との理由でそれを否定できることにはなりません。これを認めることは、あたかも「死因が不明だから死んでいない。」とするようなものです。

なお、通常の診断の手順ではCRPSとの診断を誤りと主張する側が、その症状をより合理的に説明できる他の病名を提示する必要があります。この手順では「病名不明」という状況は生じません。むしろ、診断が否定された場合にこそ新たな病名で症状がより合理的に説明できるようになります。

裁判例では、CRPSで説明ができ(一応の説明ができれば十分です)、その診断を受けている被害者について、「あれが足りない、これが足りない」との指摘をしているものがありますが、論外です。

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 ⅲ 診断が出ている場合は上記のとおりですが、実際には主治医がなかなか診断を 出さないことが多く見られます。症状を説明する疾患を決められない場合には、これを不定愁訴(Medically Unexplained Symptoms:MUS)と言います。総合病院等で初期診療を受ける患者の10~33%が不定愁訴を訴えているとする報告もあります(『不定愁訴の診断と治療』3頁)。もちろん、病名による説明がないことを理由に、その症状が存在しないと考える医師はいません。

以上をまとめると、何らかの病名で説明できることは症状が存在するための条件ではなく、症状について診断が下された場合には、その診断を否定するためには症状をより合理的に説明できる代替案(病名)をあげる必要があります。

. ⅳ 本件では、被害者は事故後に症状が悪化し続けましたが、その症状に対する評価として、「これはCRPSである」とするものが診断です。これを「CRPSを発症した」と表現することもあります。症状に対する評価によって症状は変わりません。症状に対する評価(診断)から症状を決めることは循環論の誤りがあります。

CRPSの事案に限らず、脳脊髄液減少症や軽度外傷性脳損傷の事案でもこの誤りを基軸に据えてしまっている裁判例を少なからず見かけます(もちろん、この誤りを述べない裁判例も少なからず見かけます)。

5 自賠責の認定

 ⅰ 本件で特筆すべきことは、自賠責保険において12級を超える重い等級が認定されていることです。裁判例によれば、平成15年8月にRSDの3要件が制定された以降に後遺障害認定で12級を超える後遺障害等級が認定されたものは皆無に近い状況です。

 CRPS(RSD、カウザルギー)が問題となった裁判例は、平成17年1月から平成24年12月までの間に60件ほどありますが、そのほぼ全部が12級以下の後遺障害等級とされています。その中には、本件のように自賠責の等級認定とは天と地ほどの異なる重い後遺障害を被害者が主張している事案が多く見られます。

 RSDの3要件基準が制定される以前は、CRPS(RSD)と診断された患者について、自賠責で12級を超える等級(11級以上)が認定されたことが確認できる裁判例が多くありましたが、3要件基準の制定後にはほぼゼロになりました。

自賠責の運用に激変が生じています。その原因は現実のCRPS患者であってもその基準を満たすのは1%以下であろうと推断できる極めて不合理な基準(RSDの3要件基準)が制定されたことにあります。

ⅱ 平成17年以降の60件ほどの裁判例のうち、自賠責で「RSDとして」(この言い方は曖昧ですが、自賠責では診断の適否の検討やRSDであるかどうかの検討はしません。検討すると医師法違反の犯罪となります。3要件基準はあくまでもカウザルギーと同じ扱いをするための基準であり、重症度の指標ですらありません。ところが、実際には自賠責ではRSDであるかどうかを検討・判断したかのような曖昧な表現が用いられることが通常です。)12級を超える等級が認定されているものには以下のものがあります。

 東京地裁平成21年9月18日判決(自ジ1809号12頁)は右上肢のRSDが全身(四肢)波及した重症例(実質は3級以上に相当する)で9級が認定された事案です。しかし、この事案は治療と裁判が長期化した事案で、RSDの3要件基準が制定される前に後遺障害認定を受けたと考えられる事案です。この裁判例はすでに検討しました。

「全身に波及したRSDの否定」

http://s-hat.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-077e.html

 

大阪地裁平成22年6月21日判決(自ジ1841号14頁)は、早期に重篤な症状が生じて7か月後に右下肢に重度の後遺障害を残して症状固定となった事案(実質は3級ないし4級に相当する)でRSDとして9級10号に認定されています。

 つまり、裁判例の上では、主治医がいかに重い後遺障害を確認していても、RSDの3要件基準を用いて自賠責で12級よりも重い後遺障害等級が認定されたのは、1件しか見当たらないという異常事態が確認できます。

 ⅲ 本件は自賠責で12級を超える認定がなされたことを確認できる2件目の裁判例です。しかし、被害者が2級相当と主張する重症化事案で7級4号という認定にとどまったものであり、妥当なものではありません。本件においても加害者側は恒例行事のように14級と主張していますが、道徳的に見ればこの主張は良くないと思います。

判決は自賠責と同じ7級4号に「当たる」と認定しています。細かい話ですが、訴訟では自賠責の後遺障害等級の7級4号に「相当する」との表現を用いるべきです。自賠責の等級表は訴訟での法的拘束力はありません。等級表は訴訟では金銭化のための参考資料に過ぎません。「当たる」と書いてしまうとこの構造を理解できていないのであろうかとの疑念を生みます。実際にも自賠責の等級や認定基準に引きずられて、不合理な認定をしている裁判例は少なからず見かけます。

なお、自賠責で12級を超える認定がなされた場合には訴訟に至らずに示談で終わるので、3要件基準制定後に自賠責で12級を超える認定がなされた裁判例が少ないとの推測もありうるところです。しかし、私の知る限り重症化事案であっても12級が上限であって(それどころか非該当も少なくない)、12級を超える認定を見たことはありません。また、3要件基準が制定される以前は自賠責で12級より重い後遺障害等級が認定された後に訴訟となった事案が多く見られます。

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6 問題設定の誤り(CRPSを発症したか)

 ⅰ 判決は、争点として「CRPSの発症の有無、内容、程度」を筆頭に挙げています(7頁)が、「CRPSを発症したかどうか」を争点とすることは2重の意味で誤りです(①診断の適否により症状の存否・程度は左右されない。②その疾患を発症したから症状が生じたとの因果性はない。①と②の両者とも循環論の誤りがある。)。

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ⅱ 診断の適否の判断では、判決はギボンズの基準のほか、国際疼痛学会の判定指標(05年)や日本版判定指標(08年)にも無駄に紙幅を費やし、最終的には「臨床的に用いられる診断基準によってその発症を認定するのは相当ではない」(12頁)との誤り(医学的に意味のない診断基準の導入。)にも至っています。

その上で、「前記の各診断基準を参考にしつつ、客観的な医学的証拠に基づいて認定することができる所見を中心に、CRPSを特徴づける所見の有無及び症状の経過等を総合的に評価してCRPSの発症の有無を判断するのが相当である。」とします。

診断の適否で症状の存否や程度は決まらないので、前提に致命的な誤りがありますが、この点を措くとしても、診断に関する判決の考えは鑑別診断を知らないという致命的な誤りもあります。診断を典型性の度合いの判断と間違えると、ごく一部の典型症例しかその疾患と診断できなくなります。

なお、CRPSには必須の症状が1つたりとも存在しないことは世界中の医師が認める定説です。このことは繰り返し述べてきたとおりです。判決はあまりにも多くの点で誤っています。しかも全てがごく初歩的、基本的なことがらです。

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7 関節拘縮の判断について

ⅰ 以上の経過で判決はなんとかCRPSを発症したと認めましたが、被害者の右上下肢が全廃の状況にあるかどうかの判断において、「CRPSが発症したかどうかの判定とは異なり、廃用状態にあることを推認させる客観的な裏づけ(骨萎縮、関節拘縮、筋萎縮等)を要するというべきである。」(12頁右列)としています。

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ⅱ 訴訟では、加害者側はCRPSと診断できるための要件として骨萎縮、筋萎縮を必須と主張し、一方で関節拘縮があるとするための要件としても骨萎縮、筋萎縮が必要と主張することが通常です。

また、CRPSには骨萎縮や筋萎縮が必須ではないことを知っている裁判官も少なくないため、加害者側は独特の巧妙な表現を用いることが恒例となっています。本件でもこれが確認できます。

判決は加害者側の主張として、「CRPSによる疼痛が重度で、廃用状態が継続すれば、いずれ関節拘縮や骨の萎縮が生じるのであるから、CRPSの発症が認められるためには、これらの事実が認められるか、又は認められない理由が補完されなければならない。」(5頁左列)と述べます。

つまり、①骨萎縮がCRPSに必須であると誤解して欲しい、②その誤解が生じなかったとしても関節拘縮には骨萎縮が必須と誤解して欲しい、との2段構えの曖昧な表現になっています。

もちろん、CRPSに必須の症状は1つたりとも存在せず、関節拘縮に骨萎縮や筋萎縮は必須ではありません。しかし、この意見が医学意見書や鑑定書で述べられると信じてしまう裁判官が少なくないのが実情です。「これだけ上肢が動かせない期間が長く続けば骨萎縮が重度に生じているはずである。私の長年の経験からはこの患者の症状は合理的に説明できない。」といった理屈を技巧的に長々と述べられると、多くの裁判官が信じてしまうのです(信じなかった裁判例も少なからずあります。)。

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 ⅲ CRPSでは疼痛が強く出た部位の軟部組織が収縮して阻血や栄養不足が生じ、この状況が続いた結果として軟部組織が劣化して伸縮性を失い関節拘縮が生じます。同様に阻血や栄養不足のため骨の変化が生じることもあります。即ち、痛みが原因の変化ですので、骨の変化は関節部に限られず関節のない部位(胸部など)でも検出されます。

以上に対して、加害者側は廃用性の萎縮としての骨萎縮(使用していなかったから骨が萎縮した)を主張します。これはCRPSの病態とは異なる理屈です。しかも、廃用性の萎縮が必然とする理由や重度の萎縮でなければならない理由はありません。

裁判例の上では重度の拘縮が生じている事案においても重度の骨萎縮が存在するとされたものはわずかで、骨萎縮が存在しない事案もあり、存在する場合でも軽度のものがほとんどです。

また、CRPSには筋萎縮が生じる症例もありますか、より多いのは浮腫ないし腫脹が生じて患部が膨れ上がる症例で、この場合には上肢は浮腫で太くなります。筋萎縮とは逆の状況です。これが典型症例とされていて多くの医学書でその状況の写真が載せられています。何ゆえ典型症例とは逆に筋萎縮を必然とするのか、理解し難い面があります。

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ⅳ 長期間患者を診察した医師が関節拘縮とした判断は、普通に考えればほぼ全ての場合に正しいと考えられます。これに対して、判決は、医師が診断書にも記載している関節拘縮を信じることなく、「客観的な医学的根拠」(骨萎縮の画像所見など)を求める方向に向いました。既に存在する証拠を検討することなく、「より確実な証拠が必要である」との方向に向かう誤りは他の裁判例でもしばしば見られます。

もちろん、関節拘縮が重度であっても骨萎縮が生じない(もしくは軽度であること)は十分にありうる(裁判例の上では関節拘縮を生じた事案のほとんどがこれに当たります)ことなので、前提に誤りがあります。

また、症状の有無や程度はそれ自体に関連する資料から認定するべきであり、別の資料(骨萎縮、筋萎縮)に置き換えようとする加害者側の誘導に乗ってしまう発想それ自体に根本的な問題があります。

症状を認定するための方法としては、症状に関連する資料、即ち、①被害者本人の訴え、②それを医師が確認したこと、③検査結果、④治療内容、⑤治療期間、⑥就労や日常生活への影響、⑦診断(症状を確認した医師の評価)、⑧その他の事情を総合して検討する必要があります。

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ⅴ これらのうち、画像所見のみに証拠を限定することは民事訴訟法の根本原則(証拠方法を限定しない)に反します。ゆえに、この限定は民事訴訟法に反する重大な誤りというほかありません。この点は前回も述べました。

一般の人々が本件の事情を見た場合には、被害者が長期間の入通院をして苦痛を伴う治療をも受け続けてきたこと、被害者が就労不可能となり車椅子生活となって食事介助や排泄介助を受けていること、実際に診察してきた多くの医師がその症状を認めていること、各種の検査で異常な状況にあると認められること、CRPSとの診断を繰り返し受けてきたことなどの事情から、この被害者の主張する後遺障害が存在することやその内容を優に認めると考えられます。

ところが、裁判例の中にはこの種の実質的な証拠(動かし難い事実。多くの背景事実に支えられている事実)に基づく判断を避けて、客観性の高い証拠を求めるもの(ないものねだり)が少なからずあります。

本件では「骨萎縮は画像で確認できるから客観的で価値が高い証拠だ」との考えから背景事実を持たない単発の観測事実を「動かし難い事実」と誤解したように見えます。

それ以前の問題として存在しない事実は「動かし難い事実」になる余地すらありません。目の前にある事実を捨てて、ないものねだりに向かってしまえば、判断は空洞化してしまいます。

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8 ビスホスホネート製剤について

 ⅰ 本件では治療の過程でドラックチャレンジテスト(薬物チャレンジテスト)が何回か行なわれています。これは簡単に言えば多くの投薬を試してみて、その患者に効果のあるものを探し出そうとする試みです。

   CRPSは患者ごとの病態の違いが大きく、効果のある治療法や投薬の種類も患者ごとに異なることから、大学病院等ではドラッグチャレンジテストが試みられることが多くあります。但し、CRPSは難治性であり、本件のようにほぼ全ての治療法、投薬に効果が見られない症例も多くあります。

   本件ではドラッグチャレンジテストのなかでビスホスホネート製剤も試みられています。この薬が問題になった裁判例は本件が初めてであると思います。

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ⅱ 本件では、上記の誤りのため骨萎縮の有無が争点になってしまったという文脈において、被害者側が「仮に骨萎縮が認められないとしてもそれはビスホスホネート製剤を用いていたからである」と主張したようです。

  ビスホスホネート製剤は、本来は骨粗鬆症の薬ですので、この被害者側の主張には一応の理由があります。しかし、CRPSでこの薬が用いられるのは骨萎縮(骨の変化)を改善するための薬としてではなく、主として疼痛を緩和する効果を期待してのことです。

  おおざっぱに言うと、疼痛により局部での阻血や栄養不足が生じて骨の変化が生じる中で痛みが生じるのであれば、骨の変化により生じる痛みが含まれている場合もあるとの推測が成り立ちます(骨粗鬆症は痛みを伴う症例も多い)。そこでCRPSの患者に骨粗鬆症の薬を試してみたところ、痛みが緩和する患者もいたということです。

  判決は、ビスホスホネート製剤を用いたからといって、骨萎縮が完全になくなるわけではないので、被害者側の主張は成り立たないとしますが、上記のとおり骨萎縮を必須とする前提に誤りがあります。

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ⅲ 裁判例の上では、被害者の治療の過程で骨萎縮が観察されていた事案は少なくないのですが、加害者側は医学意見書により骨萎縮はない(または軽微である)との主張を出すことが恒例です(ほぼ全ての裁判例でこの事実が確認できます)。こうなると水掛け論になり、判決で「明らかに骨萎縮があると認めることはできない」との結論になることがしばしば見られます。

  本件でも治療の過程で骨萎縮が観察されたので、普通に考えれば骨萎縮が存在すると考えられます。しかし、「明らか」という条件がどこかからやってくると厄介なことになります。

本件では加害者側が医学意見書で否定したことを根拠に、判決は骨萎縮を「直ちに」認めることはできないとします(12頁右列)。この種の根拠不明のハードルを事実認定で用いることは誤りというほかありませんが、「証明責任を果たしたといえるためのハードル」という趣旨で恣意的なハードルを各所に設定する裁判例は少なからず見られます。

証明責任は事実を認定するための道具ではなく、事実が認定できない状況(真偽不明の状況)において、結論(法規の適用)を決めるために必要最低限の範囲で用いることが正当化されるに過ぎません(自由心証の尽きたところで証明責任はその機能を開始する)。従って、事実認定に証明責任を取り込むことは誤りとなります。この誤りに陥ると、事実認定に証明責任を取り込んで真偽不明となった結果に対して再度証明責任を用いるという誤り(二重の不利益)にも陥ります。

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9 事実認定と法規の適用の峻別

ⅰ 自由心証(事実認定)と証明責任(法規の適用)が無関係であることは民事訴訟法の基本書などにも明記されています。例えるならば、「事実は火星で確定し、法規は地球で適用する」との関係に立ちます。証明責任は地球で用いる道具です。火星探査船のクルーが現地で観察した事実は火星で確定し、地球にいる上司はその結果をもとに次の段階の判断をするのみです。

法律的に自白が成立したことは、この比喩では「火星探検隊の活動範囲が北半球に限定された」といった意味になり、火星探検隊の観察した事実が火星で確定することに変更はありません。かえって分かりにくい比喩かもしれませんが、両者はきっちり分けて考えるべきです。

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ⅱ これに対して、事実認定のレベルでハードルを課す根拠として、証明度(証明ありとされる程度)を持ち出すことも考えられます。即ち、証明責任を負担する側が一定のレベルを超えた証明をしなければその事実が存在すると認めることができないので(この表現には問題があります)、「明らか」というレベルの証明が求められる、との理屈です。

証明度として最高裁判決は「高度の蓋然性」の証明を求めています。学説の多数はこれを8割程度の心証とします(例えば、和田277頁)。最高裁判決の事案(ルンバール事件)からも、「おそらく~であろう」というレベルが「高度の蓋然性」と考えられます。これに対して、アメリカ法と同様に証明度は証拠の優越(50%超)で足りるとする見解も有力です。

私も証拠の優越(50%超原則)が基本的に正しいと思います。当事者間の相対的な紛争の解決として「どっちの言い分が正しいか」で結論を決めるのはごく自然なことであって、それ以上を求めるのは「おおよそ国家機関である裁判所が事実を認定するためには相応の心証が必要である」とする権威主義に見えてしまいます。

以上に対して、裁判例の中には「明らか」(95%超)との証明度を求めているものが少なからずあります。これは上記の判例や学説を無視した次元の異なる考えです。この誤りに陥ると、間接反証や一応の証明などの民事訴訟法の概念が意味を失います。この誤りは自由心証に証明責任を取り込む誤りと一体になっていることが通常です。

証明責任は真偽不明という異常事態に陥ってもとにかく結論を出さなければならない立場にある裁判官に与えられた特別の道具で、あたかも問題の解けなかった受験生が振る五角形の鉛筆(愚者のサイコロ)のようなものです。この愚者のサイコロを多用すれば、事実から遠ざかります。証明度を高くしすぎると愚者のサイコロを使う機会が多くなります。

裁判官が国民の中から選ばれた優秀な知性を有する者であるとすれば、裁判官は証明責任に頼らずに獲得した心証をできるだけ判決に反映させた方が正しい事実認定が増えると思います。

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  ⅲ それ以前の問題として、証明度は自由心証により心証を確定した後の、次のレベル(法規の適用)で問題になる話です。証明度の問題を自由心証にくりさげることは、まさに自由心証に証明責任を取り込む誤りです。

この誤りの背景には、証明度を「証明責任を果たしたとみなされる立証の度合い」とする誤解があるのかもしれません。証明責任は結果責任であるので、「証明責任を果たした」との見方に問題があります。「証明責任を果たした」との表現は良く用いられるのですが、それはあくまでも結果責任としての見方です。

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ⅳ この種の誤解の原因には司法修習での民事裁判教育にもあると思います。私の修習当時の民事裁判の起案は、事件記録(白表紙)から要件事実を抜き出して、同時並行で事実認定をするというものでした。本来であれば、事実認定のみを行なう起案と、事実認定の結果を要約した1枚の書面から要件事実を抜き出す起案とを分けるべきであると思います。

その上で事実認定に比重を置いた講義をするべきです。現実の訴訟の95%以上は事実認定で結論が決まります。残りの5%以下の部分に過大な労力をかける事は合理的ではありません。要件事実論の技巧的な議論はほとんど役に立たないと思います。

また、事実認定の講義では、法律論を抜きにした事実認定のみの検討を一般人の有する知識をも総動員して行なうべきです。一般人の常識的な見方を抜きにして適正な事実認定はできないと思います。裁判例のなかには法律論(証明責任の所在、証拠の序列化、要件事実論での検討順序など)がバイアスとなって正しい事実認定から遠ざかっているように見えるものが少なくありません。要件事実論と事実認定を同時並行で行なうとこの弊害に陥りやすいと思います。

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ⅴ 法律論からの一切のバイアスを排除して獲得した「生じた可能性が最も高い事実」の心証は、判決でもそのままの表現で「事実認定」として記載し、その先で法律論(要件事実論など)を行なうべきです。この考えからは事実認定のレベルで証明責任を考慮して「~とは認められない」などの表現を用いることは誤りとなります。

つまり、事実認定では得ることのできた心証をありのままに記載し、それで完結させ、その結果に対して、法律論として証明度を満たしているかとの検討を行なうべきことになります。これが民事訴訟法に厳密な考えであると思います。

現実の裁判例ではここまで徹底したものは非常にまれですが、事実認定と法規の適用の峻別の度合いは裁判例によりかなりの差があります。両者を混同して証明責任を事実認定に取り込んでしまうと、「何が起きたのか不明であるが、とにかく基準を満たさない」が繰り返され、実質的な検討がなされずに判断が空洞化してしまいます。最近はこのような裁判例が増えてきたように見えます。

2014年6月 5日 (木)

典型的上肢CRPSを否定(25.10.31)

1 東京高裁平成25年10月31日判決(自保ジャーナル191338頁)

 (1審:水戸地裁麻生支部平成25年5月17日判決)

  この事案の特徴は、①典型的な上肢CRPSの症例であること、②自賠責の3要件を診断基準と誤解したこと、③上肢がむくんで腫れ上がった典型症例を逆に筋萎縮がないとして詐病と認定したこと、④左上肢機能の全廃(5級相当)を主張した被害者を14級相当としたこと、⑤由来する症状論を述べていることなどです。

 

2 症状の経過

ⅰ 被害者は症状固定時46歳の主婦です。平成20年8月16日に乗用車に同乗していて交差点で普通貨物自動車と出会い頭衝突する事故に遭います。被害者は事故直後からB病院に52日入院し、その後もB病院に通院して、約1年8か月後の平成22年6月23日に症状固定とされ、主治医は左上肢CRPSによる左上肢の拘縮とし、これに基づいて被害者は左上肢機能の全廃による5級相当の後遺障害が残存したと主張しています。

地裁判決は自保ジャーナル3頁分しかない非常に簡潔なもので、事故後の治療・症状の経過には触れていません。治療費が951万734円と高額であることからB病院以外にも通院していると思われますが、詳細は不明です。

高裁判決は事故直後の診断名は左肘打撲であった(44頁)としているので、この受傷や頚椎捻挫などがきっかけでCRPSの症状に至ったようです。高裁判決は症状固定時期を事故から約1年後の平成21年8月21に早めている(44頁)ことから、症状の進行の早い症例であったと思われます。

 

 ⅱ 地裁判決が非常に簡潔である理由として、①自賠責の3要件をCRPSの診断基準と誤解して直ちに結論を出したこと、②地裁支部の事件であること(大規模庁の交通事故専門部ではない)、③提訴した側も公設事務所の若い弁護士であること(公設事務所は種々雑多な仕事があり、専門的な訴訟をじっくりやることが困難な状況にあると推測できます)、④裁判官が加害者側の医学意見書を信じて簡単に結論が出せると考えたこと、⑤通院の状況や症状の経過などを後遺障害認定に際して重視する考えを持っていないことなどの事情が考えられます。

 

 ⅲ 自賠責では14級9号とされています。主治医の判断をそのまま採用した場合(5級)とは天と地ほどの違いがあります。なお、地裁判決にも高裁判決にも自賠責の認定理由は引用されていません。

   繰り返し述べてきましたが、CRPSに罹患していても自賠責の3要件基準を満たす人は1%以下と推測できます。平成15年に3要件基準が制定される以前は本件類似の症例は自賠責で重い後遺障害等級が認定されることも少なくなかったのですが、3要件基準が制定された以後の事故では自賠責ではほぼ全てが12級以下と認定されているようです(但し、労災では12級より重いと認定されることも少なくないようです)。

   自賠責では傷病名に関わらず後遺障害の度合いのみを判断することが原則です。3要件基準はこの原則の重大な例外として、重症事案を狙い撃ちして制定されています。その不合理はこれまで繰り返し述べてきたとおりです。

 

3 CRPSの典型症例であること

 ⅰ 主治医は被害者の左上肢の肩・肘・手・手指に著名な拘縮を認めるとしています(48頁)。また、上肢全体にむくみ(腫脹)が生じています。主治医の判断に従い、被害者は5級相当の後遺障害と主張しています。

   上肢全体に痛みが生じて腫れ上がった(むくんだ)状態となり、関節拘縮が生じる症例はCRPSの典型症例です。交通事故によるCRPSの裁判例においても、約半数は上肢全体に症状が生じている症例です。

 

 ⅱ 上肢の各関節の可動域を偽装することは非常に困難で、上肢の全ての関節の可動域を偽装することは不可能と容易に断言できます。例えば医師が患者の肩を固定して肩関節の屈曲、伸展をする(上肢を前後に動かす)場合に、患者が腕を突っ張って微妙な小さい角度での病的な抵抗を偽装することはまず不可能です。腕力の弱い女性が症状を偽装することはなおさら不可能です。肩関節だけではなく肘関節や手関節の症状をも偽装することはより一層不可能と言えます。

この典型症例においては、被害者の詐病や医師がそれを見落とすことはまず考えられないという特徴があります。従って、可動域測定の結果を否定することは、医師と患者の共謀を認定したことを意味します。

 

 ⅲ 裁判例によれば、この重症化した典型症例においても加害者側はほぼ全ての場合に被害者の後遺障害のほぼ全てを否定する主張を行い、その主張を裏付ける医学意見書や鑑定書を提出しています。この外形が理解できていれば加害者側が恒例として出してくる「問題のある医学的知見」(筋萎縮必須論や骨萎縮必須論など)を信じることもないと思います。

   医学的な争点が問題となる交通事故訴訟においては、加害者側はそれぞれの傷病に応じてパターン化した「問題のある医学的知見」のセットが書いてある医学意見書を出してくることが多くみられます。その内容は専門知識を駆使した巧妙なものであることが通常で、巧妙な法律論に誘導するものも多く見られます。

 

 ⅳ 残念ながら私の経験では本当に医師が書いたと私が信じることができた医学意見書はほとんど見たことがありません。その事件と同種の事件で恒例の「問題のある医学的知見」を列挙している医学意見書が出されることがほとんどです。

 そこで、私の事件では「本当に名義人の医師が書いたのであれば、『間違いなく自分が書いた。補助者もいない。』と一筆書いてくれないでしょうか。」と相手方に釈明を求めることが通例となっています。ほとんどの事件で相手方はその釈明に回答せずに逃げ回り、こちらは仕方なく5回、10回と求釈明を繰り返す状況となります。この具体的な方法については以下のエントリーで述べています。

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「損保側医学意見書への対応法」

http://s-hat.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-46d0.html

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   仮に万が一、名義人以外の人がその医学意見書の作成に関わっていたのに「自分ひとりで書き上げた」と嘘の回答し、その回答の内容が医学的にも重大な疑問のあると認定されれば、構造計算書の変造事件とは比較にならないほど重い罪に問われることでしょう。現実に重度の障害に苦しんでいる人に対して意図的な嘘として「詐病だ」と主張するわけですから。私の求釈明に答えられない名義人が少なからず存在するのは、もしかしたらそのような事情が影響しているのでしょうか。

 

4 3要件基準は診断基準ではない

 ⅰ 繰り返し述べてきたことですが、CRPS(RSD、カウザルギー)において必ず生じる症状は1つたりとも存在しません。これは世界中の医師が認める定説で、各種の判定指標もこれを前提に作られています。このことは日本版のCRPS判定指標を見れば即座に理解できると思います。

 

 ⅱ 労災や自賠責においてさえも3要件基準はRSDであるかどうかを診断する基準ではないこともこれまで繰り返し述べてきたとおりです。

労災や自賠責の認定係は、医師資格を有していることは必須ではありません。仮に自賠責で診断が行なわれれば医師法違反(犯罪)となります。医師の診断の適否を判断することも医師法違反となります。それゆえ自賠責では診断された病名に関係なく、医師が判断した後遺障害の程度を判断することが原則となっています。この基本的なことを知っていれば、自賠責の3要件基準を診断基準と誤解することはあり得ないと思います。

 

 ⅲ 労災や自賠責ではカウザルギーは医師の認めた診断と症状をもとに後遺障害の程度を判断し、RSDについては3要件を満たす場合にはカウザルギーと同様に扱われるとしています。つまり、3要件基準はRSDをカウザルギーと同様に扱うための要件であって、RSDであるかどうかを診断(認定)する要件ではありません。

   なお、3要件を満たせば医師の診断した症状が存在する前提で後遺障害の程度を判断することになるので、3要件基準が後遺障害の程度を判断する指標になることもありません。

   このように労災や自賠責において3要件基準が診断基準ではないことや、後遺障害の程度を判断する指標ではないことは、普通に基準を読めば簡単に理解できるはずです。しかし、なぜか誤解する人が多くいます。

 

 ⅳ 労災や自賠責の枠組みは、カウザルギー(神経損傷が確認されたもの)とRSD(神経損傷が確認されていないもの)という区分のもとで、RSDにおいては神経損傷が確認されていないことから、特に3要件を満たす場合にカウザルギーと同様に扱うとしたと理解できます。

   但し、臨床での大規模調査による統計上の事実として、3要件を満たすRSDが1%以下と推測できることからは、3要件基準には合理性がないことは既に判明しています。これらは繰り返し述べてきました。

 

 ⅴ ところが3要件基準が制定された以後の裁判例では、加害者側は3要件基準を診断基準であると主張することが恒例となり、この誤った主張を採用した裁判例が多く見られるようになりました。

   また、加害者側は3要件を満たす度合いが重症さの度合いであるとの誤った主張をすることが普通になり、特に骨萎縮がなければ重症ではないとする主張は恒例となりました。この誤った主張を採用した裁判例も多く見られるようになりました。

 

5 3要件基準の当てはめについて

 ⅰ 自賠責では本件のような重症化した典型症例であっても、3要件の各要件を1つたりとも満たさないとしているものを多く見かけます。本件では主治医は左肩・肘・手関節・手指に著明な拘縮を認めたと診断書に記載しています(48頁)が、このような場合でも、「関節拘縮」の要件に該当しないと判断されていることが通常です。

なお、自賠責の後遺障害認定の原則論からは、診断される病名のいかんに関わらず上肢全体に関節拘縮が存在すれば5級となるはずです。RSDという傷病名を狙い撃ちして例外を設定している点に3要件基準の特殊性があります。

 

 ⅱ 自賠責では、まず①可動域測定の結果は他覚的所見ではないとの誤った理屈を前提として述べるものが多くみられます。他覚的所見については前回も述べましたので省略します。可動域検査の結果は他覚的所見であり、典型症例ではその偽装は不可能です。

   また、②関節拘縮が生じているのであれば骨萎縮が生じているはずだとして関節拘縮を否定することもあります。主治医が骨萎縮を認めている場合には、「明らかではない(著明ではない)」とか「軽度である」として骨萎縮の要件を満たさないとすることも多く見られます。

さらに、③関節拘縮が生じているならば筋萎縮が生じているはずであるとして、関節拘縮を否定することもあります。関節拘縮に筋萎縮が必須ではないことは繰り返し述べてきました。

以上のほかに、④レントゲンやMRIで確認できないから関節拘縮を認めないとするものが多く見られます。なお関節拘縮は原理的にレントゲンやMRIで確認することはできません。

 

 ⅲ 骨萎縮については、裁判例の上では主治医が骨萎縮を確認していた事例は少なからず見られます。本件でも主治医はレントゲンで前腕から手指にかけての骨萎縮が見られるとしています(48頁)。

   このような場合でも自賠責においては、「明らかではない」とか「軽度である」として骨萎縮の要件を満たさないとすることが通常です。なお、自賠責の認定係はレントゲンを読み取る能力があることは保証されていません。

   本件では地裁判決は骨萎縮の証明がないとしてこの要件を満たさないと認定しています(48頁)。おそらく、骨萎縮が「明らかでない」などの主張が加害者側から提出され、主治医の判断以上のものが要求されたと思われます。

   高裁判決は「レントゲン上、左上肢には著明な骨萎縮は認められず」(43頁)と認定しています。これは求められる骨萎縮の程度を「著明」というレベルに引き上げることにより否定の結論を導く論法です。これでは加害者側から骨萎縮を否定する医学意見書が出されると、「否定する医師がいるので著明ではない」という理屈になりそうです。

 

 ⅳ そもそもCRPSに骨萎縮は必須ではない(そもそもCRPSには必須の症状は1つたりとも存在しません。なぜかこの初歩的なことさえ知らない人が多くいるようです)と言ってしまえばそれまでです。従って、骨萎縮を要求すること自体が誤りであると容易に断言できます。

   また、CRPSには必須の症状がないため、ごく軽微な骨萎縮であっても擬陽性(カルテには「±」と記載されます)として積極的に考慮する必要があります。これに対して、骨萎縮が「著明」でなければならないとする考えが誤りであることは自明です。

 

ⅴ 以上の点をおくとして、レントゲンの読み取りができない人(裁判官)を相手にレントゲンに骨萎縮が写っていることを理解してもらうことは原理的に困難です。主治医が骨萎縮を認めていても、これを否定する意見が出されれば水掛け論になります。

   主治医が骨萎縮を認めているのであれば普通に考えれば骨萎縮があります。これを否定する意見が出されたときに、それを打ち消すために別の医師の意見を出してその数や医師の経歴を競うのはばかげています。「間違いない」、「絶対に存在する」などの断言口調の強さを競い合うことは、なおさらばかげています。かといって、裁判官にレントゲンの読み取りができる能力を付与することも困難です。

   本件では、主治医は「前腕から手指にかけて」と部位を明確にして骨萎縮があると判断しています。これを信用しないのは医師と患者の共謀を認定することになります。このことが理解できていれば水掛け論で骨萎縮を否定することにはならないと思います。

裁判例の中には、「主治医の判断を特に疑うべき事情は加害者側から出されていない」との趣旨を述べて端的に主治医の判断を肯定したものもあります。私はこの判断が基本になると考えます。

 

 ⅵ 皮膚の変化については、本件では被害者の主治医がこれを認めていたのかどうか明確ではありません。被害者の上肢全体にはっきりとした腫脹(むくみ)が生じていたことからは、皮膚温の変化などの症状が存在したと思われますが、サーモグラフィー検査は受けていないようです。サーモグラフィー検査を受けて主治医が皮膚温の変化を認めていても、自賠責では「明らかではない」として否定されることが多いようです。

 

ⅶ 自賠責の認定では3要件基準を診断基準であると明記することはありません。しかし、3要件基準が診断基準であると読み手に誤解させるような書き方がされることは多く見られます。3要件基準を診断基準と誤解することが推奨されているような感じもします。

  なお、本件では被害者はCRPSと診断されているのですが、CRPSはRSD(CRPSタイプ1)とカウザルギー(CRPSタイプ2)の双方を含む概念です。このうち自賠責で3要件基準が適用されるのはRSDのみです。しかし、地裁判決も高裁判決もこの点を看過して単なる「CRPS」に3要件基準を適用しています。

 

6 疾患に対する見方そのものの問題

 ⅰ 地裁判決は自賠責の3要件基準をCRPSの診断基準と誤解して、①関節拘縮が存在することは否定せず、②骨萎縮と③皮膚の変化の証明がないとして、3要件を満たさないとして、「原告はCRPS罹患しているとはいえない」(48頁)としました。

   前回も述べましたが、CRPSとの診断が正しいかどうかは間接事実にすぎないので、この部分には間接事実に証明責任を適用する誤りがあります。また、関節拘縮(主要事実)が存在することを認めるのであれば、その程度において被害者の後遺障害を認めることになるはずです。

しかし、地裁判決はCRPSの罹患を認めなかったことにより、この関節拘縮は自動的に否定されると考えているようです。これは「診断が正しいと言えないので症状は認めない」との逆転した発想による誤りです。実は裁判例ではこの誤りは少なからず見られます。これは以下の考えが根底にあるようです。

 

 ⅱ 地裁判決は、CRPSに罹患するといくつかの定まった症状が必ず生じることになっており、それが自賠責でのRSDの3要件であると理解しています。なお、繰り返し述べてきましたが、CRPSにおいては必ず生じる症状は1つたりとも存在しません。

   地裁判決は、CRPSにおいては必ずRSDの3要件の症状が存在するとの関係を認めるばかりではなく、「CRPSに罹患したことによりこれらの症状が引き起こされる」との関係性を認めているようです。

   つまり、CRPSはあたかも特定の症状を必ず引き起こすウィルスのようなものであって、CRPSに罹患したことによりその症状が引き起こされるという見方です。この「疾患が症状を引き起こす」という誤解を基にしていると思われる裁判例は少なくありません。

   この考えを基にすると、「被害者はCRPSに罹患していない。よって、被害者にはCRPSが引き起こす症状が生じることはない」との独特の理屈が生み出されます。この理屈に囚われているからこそCRPSに罹患したかどうかを主要事実と誤解してしまうようです。

 

 ⅲ CRPSにおいて「疾患が症状を引き起こす」という見方は適切ではありません。そもそもCRPSは1つの原因により生じる疾患とは考えられていないので、疾患と症状の1対1関係は成り立ちません。

   現実には交通事故により神経が損傷を受けたことなどをきっかけに、痛み、しびれ、灼熱痛、アロディニア、むくみ(腫脹)、皮膚温変化、皮膚の萎縮、チアノーゼ、発汗過剰(過少)、骨萎縮、骨密度低下、筋萎縮などの様々な症状のうちのいくつかが生じて、それが一定レベルまで重症化することによりCRPSと診断されます。

   つまり、症状が先に存在し、それに対する評価としてCRPSとの診断が下されています。診断とは症状に対する評価です。これに対して、「CRPSに罹患したからこの症状が生じた」との見方は発想が逆です。

   CRPSは神経障害性疼痛とされる症状を生じる疾患の1つですが、神経障害性疼痛のメカニズムは多元的に説明されることが多数説で、1つの原因により特定の症状が引き起こされる関係にはありません。

   また、ほとんどの疾患において症状がある程度明確にならないとその診断を受けることができないとの事情は見られます。関節リウマチのように早期治療が効果的とされる疾患において早期治療のための「分類基準」が作られたものもあります。

   実際にもCRPSと診断される以前においては別の疾患で診断され、それが重症化してCRPSとされる事案は多く見られます。例えば、腕神経叢損傷が悪化してCRPS(を併発した)とされる場合などです。この場合には神経損傷による症状が一定のレベルを超えたことにより、CRPSと診断されたと言えます。

 

7 筋萎縮必須論は誤りである

 ⅰ 本件の被害者は上肢全体(肩・肘・手・指)に拘縮が及んでいて、上肢全体にむくみが生じているCRPSの典型症例です。患部のむくみ(腫脹)はほとんどの診断基準や判定指標で重視されてきた症状です。医学書で典型症例として写真が掲載されている患者の多くは患側の上肢が全体としてむくんだ状態にある方です。

   これに対して、高裁判決は上肢がむくんでいることはおかしい、筋萎縮が生じて細くなっていなければならないとして、被害者の詐病を疑う趣旨を述べます。さすがにいくらなんでもこれは酷すぎます。

 

 ⅱ 本件では加害者側は医学意見書を出して筋萎縮必須論を展開したようです。筋萎縮必須論の誤りはこれまで繰り返し述べてきました。CRPSにおいては患部のむくみ(腫脹)は典型症例です。筋萎縮が生じて患部がやせ細るのは全く逆の症状です。

   ところが、加害者側は被害者が詐病であると主張するために「上肢の可動域がこれほどまでに制限された状態が続いていたならば、重度の筋萎縮が生じているはずであって、それが生じていないことは私の長年の経験の中でも一度たりともなかったことである」などと力説する医学意見書が出されることがほとんど恒例となっています。

   高裁判決は「左上肢の関節拘縮があるのであれば、左上肢は運動を行なわず又は運動が制限されるために筋肉が萎縮し、その周径は減少していくものと考えられるところ」と述べ、「いずれも左上肢が右上肢よりも大きな値となっており、関節拘縮のために左上肢の筋肉の萎縮が生じていることとは矛盾した計測値が記録されている」として関節拘縮があるとは認められないとしました(43頁)。

 

 ⅲ CRPSでも筋萎縮が生じる場合はありますが、典型症例はむくみ(浮腫、腫脹)が生じる症例です。しかし、上記の理屈を信じきってしまった人を説得することは困難です。「上肢を動かさなければ筋の萎縮が生じるはずだ」という理屈はシンプルで力強さがあります。一度その理屈を信じきってしまえば、何を言っても無駄であるような感じさえします。

   かつて振り込め詐欺に遭ったおじいさんが銀行員を殴りとばしてATMにかじりついて振込みを果たそうとした事件がありましたが、何かを強く信じきった人を説得してその誤りを認めてもらうことは非常に大きな困難を伴います。

   なお、筋萎縮必須論を信じなかった裁判例においては「筋萎縮はCRPSで重視されない症状である」と簡単に述べて否定したものがいくつか見られます。このように筋萎縮必須論の理屈には反論をせずに、事実として否定することが正しいと思います。

 

8 「由来する症状論」は誤りである

 ⅰ 前回に述べた「由来する症状論」が本件の高裁判決でも述べられています。高裁判決は「控訴人の症状がCRPSに由来するものとは認めがたい」(43頁)とします。自保ジャーナルのタイトルにも「由来する症状ではないと否認して」との言葉が入っています。この理屈(由来する症状論)は一定の構造を有する判断過程を導くものとして加害者側から意図的に用いられています。

   「由来する症状論」では、①被害者が疾患Rにり患したと認めるに足る証拠はない。故に②被害者の症状は疾患Rに由来する症状とは認められない。として、「被害者が訴える症状Sは本件事故により被害者が疾患Rにり患したことに由来するものではない」などと述べます。

 

 ⅱ 被害者のある症状が特定の疾患(例えば疾患R)に由来するかどうかは必ずしも問題にするべき事柄ではありません。症状が存在すると認定できて、それが事故によって生じたと認定できれば、疾患Rに罹患したかどうかにこだわる必要はありません。症状の有無ではなく罹患の有無にこだわる「由来する症状論」は論点ずらしです。

「由来する症状論」は、症状から目をそらして診断というハードルに向かわせるというトリックが存在します。仮に、「診断が正しいとは認められないので、症状は認められない。」との表現ならば容易に誤りと気付くはずです。

しかし、「疾患Rに罹患したから症状が生じた」との表現に含まれる問題は気付き難いものです。ここから1歩進んで「疾患Rに罹患したとは認められないから、疾患Rに由来する症状とは認められない」との表現になると、問題意識がなければ騙されていることに気付くのはかなり困難です。

 

 ⅲ 「由来する症状論」は被害者の症状(主要事実)ではなく、診断の適否(間接事実)の方を重視するように仕向けます。医学的には診断が正しかろうが誤っていようが症状の有無には影響しません。診断は症状をもとに下される評価であって症状を変える力はありません。

   ところが、「由来する症状論」においては、まず、①疾患Rとの診断の適否を検討します。その上で②疾患Rと認められなければ何らかの症状があるとしてもそれは疾患Rに由来した症状ではないとされます。「罹患したから症状が生じる」という逆転した発想を滑り込ませることは「由来する症状論」の前提となっています。

 

 ⅳ この法律構成は加害者側の視点から作り出されています。即ち、①各種の検査結果などから被害者に症状が存在することを正面から否定することはやりにくい。②しかし、「疾患Rに罹患したことは確実だ」という命題なら否定できそうだ。③そこで症状の有無を検討対象から外して、「疾患Rに罹患したことは確実とはいえない。よって、症状は疾患Rに由来する症状とは認められない。」とする理屈が生み出されます。

   本件では主治医は被害者に骨萎縮があると判断しました。しかし、「CRPSに由来する骨萎縮は著明なものでなければならない」という理屈で高裁判決は骨萎縮そのものが認められないとしています(43頁右列下部)。

   主治医は被害者に重度の関節拘縮があるとしました。しかし、「CRPSに由来する関節拘縮を認めるためには著明な骨萎縮と筋萎縮が必要である」との理屈で地裁判決も高裁判決も関節拘縮を否定しました。

   このアクロバティックな判断を可能としたのは、「CRPSに罹患した」とするための要件を格段に厳しくする自賠責の3要件基準です。この3要件基準や筋萎縮必須論に向かわせるための舞台装置が「由来する症状論」です。

 

 ⅴ 「由来する症状論」においては、「では一体被害者の症状に対していかなる診断が下されるべきか」という問題は無視されます。「とにかく疾患Rに由来する症状ではない」とだけ判断されます。

これは「疾患Rに罹患したこと」が主要事実と誤解されていることによります。もちろん主要事実であるとしても事実認定に証明責任を取り込むことや、背理法を無視した認定は誤りですが、「由来する症状論」は「被害者は疾患Rにり患したかもしれないが、それを認めるに足りる証拠はない」との判断の空洞化に誘導します。

 

 ⅵ 気付いてみると、一番重要な症状の有無や程度(主要事実)は正面から検討されていません。「疾患Rに由来すると言えるほどの症状か」という逆転した発想のなかで判断が空洞化しています。診断の適否も「確実ではない(認めるに足りる証拠はない)」とされて実質的な検討はされていません。このように判断を極限まで空洞化して否定の結論を導くところに「由来する症状論」の特徴があります。

 

 ⅶ 実質的な認定を行なえば、被害者の治療をしてきた主治医の判断や被害者がどのような治療を受けてきたかなどの事情が重視されますが、本件では判決に記載すらされていません。「筋萎縮」、「骨萎縮」などのキーワードの概念的な操作に誘導することにより、実質的な検討から遠ざけることが「由来する症状論」の特徴です。

本件の高裁判決は、実質的には被害者の詐病と医師の共謀を認定するものです。しかし、判決はキーワードの概念的な操作により結論を導いているため、被害者の詐病を実質的に認定しつつも、医師が共謀したとの認識はないように見受けられます。これも判断の空洞化を導く「由来する症状論」の効果であるといえます。

 

9 症状は主として背景事情(事案の全体)から認定していくほかない

 ⅰ この事件では地裁判決も高裁判決も、被害者の症状を認めるためには、確実な根拠を必要とするとして、骨萎縮や筋委縮などを重視します。高裁判決はこれらが認められないので、被害者の症状は「他覚的に認められるものではない」(44頁 )としています。

   つまり、「関節拘縮を認めるためには、骨萎縮という他覚的所見や筋委縮をいう他覚的所見が必要である」との前提に立っています。もちろん、この考えは他覚的所見の意味を誤って理解しています。他覚的所見とは医師が感知したすべての所見を意味します。この点については前回も述べました。

 

 ⅱ 高裁判決は、他覚的所見の意味を誤って理解したため、関節拘縮を認めた主治医の可動域測定の結果をそのまま信用するという穏当な判断ができなくなっています。

   医師が上肢全体に著明な関節拘縮を認めたとする本件で、その判断が誤りである可能性はゼロですので、関節拘縮を認めないことは医師と患者が共謀したと認定したことになります。判決は「患者が必死に偽装すれば医者を騙せる」と考えているかも知れませんが、ここまで騙される医師はまずいないと断言できます。判決は、実質的な心証を持たずに概念的な操作で認定しているように見えます。

   私はこの誤りの根底には、症状が何らかの別の症状や検査結果により裏付けられるとの誤解が存在すると思います。ある症状についてそれを確実に認定できる画像所見などを求めれば、ほぼ全ての症状の存在を肯定できなくなります。症状の存在を認定する根拠に画像所見を求めること自体が誤りです。

症状の存在は、基本的には被害者本人の訴えや、被害者を診察した医師の判断や、通院の期間や受けてきた治療の内容や、就労や日常生活などへの影響といった総合的な事情から認定するほかないものです。これらの背景的な事情の積み重ねこそが事実認定の本質であり、裁判官はときには全人格を賭けてその認定を行うことが求められます。この要請から逃避すれば事実認定は空洞化してしまいます。この認定をする度量がないまま画像所見などで裏付けられないとして切り捨てていけば事実認定の空洞化は避けられません。

 

 ⅲ 事実認定は主張に対応する「絶対証拠」の有無をチェックする作業ではないのですが、対応する証拠を個別にチェックしているように見受けられる裁判例をしばしば目にします。

   伝統的に支持されてきた事実認定論では「動かし難い事実」を軸にしてそこからの推論の積み重ねにより事案の全体像を作り上げて、個々の証拠の検討はこの事案の全体像に整合するかどうかという視点で行なわれます。全体の視点と個別の証拠を常につき合わせながら、相互のチェックを繰り返していくことが事実認定の基本であると思います。

   これと対極にあるのは、全体像を練り上げる以前の段階で、個別の部分で「絶対証拠」がないことだけで証明責任を適用して否定の結論を導くことです。全体像を持たずに個別の部分ごとに細分化した認定を繰り返すことは伝統的な事実認定論とは正反対のものです。

   本件では被害者の事故後の治療の経過や医師の診断からは被害者の主張する症状はほぼ全て存在すると考えられます。ところが、地裁判決も高裁判決もこの全体像を持つことなく、細分化された部分の判断で結論を出しています。その思考過程が「~であるとは認められない」との判断であるため、事実認定がさらに空洞化してしまったように見えます。

 

10 タクシー代について

 ⅰ 本件では被害者は通院などのほか養護学校に通う子供の送り迎えや買い物などの細かなことにもタクシーを利用していたことから、810万円ものタクシー代が損害として主張されています。

一般的には通院だけでなく買い物などの細かなことにもタクシーを利用するのは、事故による症状が重いからであるとされます。タクシー代を否定する場合には、「そんなに頻繁にタクシーを使うほど重い症状ではない」と述べることが通常です。

ところが高裁判決は「症状が重ければタクシーを使って色々なところに行けるはずがない」と逆の理屈を述べています。高裁判決は「本件事故によって左上肢全体に疼痛があり、左上肢の関節拘縮があるのであれば、買い物は困難であろうし、通院とは無関係の場所に頻繁に赴く必要もないであろう」(44頁 )とします。また、事故前から長男の送り迎えにタクシーを利用していたことも認定して、タクシー代は事故による損害ではないとしています(44頁)。

 

 ⅱ 上記のとおり被害者の症状の存否は、通院の状況、症状の経過、医師の判断、被害者の日常生活の変化などの事情を総合的に判断して行なわれるべきものであって、検査結果などに視野を限定して判断するべきものではありません。ところが、本件では地裁判決も高裁判決も通院の状況や症状の経過に触れず、筋萎縮・骨萎縮がないとして後遺障害(症状)を否定しています。

   被害者がタクシーを多用したことは、通常は症状が重かった根拠となる間接事実です。しかし、本件では症状の判断では検討されず、症状(後遺障害)を否定したあとに「症状が重ければタクシーを使って色々なところにいけたはずがない」として、前提にあわせた理屈を展開しています。この部分は判断の構造に問題があります。

   また、この部分は「障害者は家でおとなしくしているべきだ」という差別的な視点が強すぎます。世の中には被害者と同レベルの後遺障害があっても必死に頑張って障害者枠などでなんとか働いている人も多く存在します。少しでも活動範囲を広げようとスポーツをしている人もいます。この判決の見方によるとパラリンピックに出ている人はすべて詐病になりかねません。盲目の人がマラソンを完走したりすると、詐病を疑うことになりそうです。

 

 ⅲ 通常とは反対の理屈を用いる上記の認定は、事実からの実質的心証に導かれたものというよりも、トコロテン方式で押し出されるようにして出てきたものです。高裁判決は後遺障害を否定する事実認定を行ったあとで、それにつじつまを合わせるように上記の認定をしており、その構造自体に問題があります。

自由心証が尽きたところで証明責任は機能を開始するとされている(定説)ように、証明責任は事実を認定する道具ではなく、真偽不明となった状況において結果(法規の適用)を決めるための道具であって、合理的な推論を積み重ねた上で事実を認定した状況とは根本的に異なります。

証明責任は真偽不明の状況に陥っても結論を出さなければならない職責にある裁判官に特別に使用することが許された道具です。裁判官はきちんと心証を取って証明責任に頼らずに判断をすることが望ましいことは言うまでもありません。たとえるならば証明責任は試験問題が解けなかった受験生が振る五角形のサイコロ(愚者のサイコロ)のようなものであって、その使用は最大限避けられるべきものです。証明責任の使用は事実認定を空洞化させます。

ところが一部の裁判例ではありますが、定説とは逆に事実を認定するに際して最初から証明責任の所在を考慮して「証明責任を満たすほどの証拠があるか」との視点で事実を認定しているように見えるものもあります。これでは自由心証は最初から存在しません。さらには、事実を細分化してその1つ1つを順番に証明責任で認定しているように見えるもの(すごろく認定)もまれに目にします。

また、証明責任を使用して事実を認定したあとで、その結果につじつまを合わせて別の事実を認定しているように見える裁判例もあります。これはサイコロを振って「2」の目が出たあとで「今日は3月2日だから2の目が出たんだ」と後付で理屈を述べるようなもの(サイコロの出た目に合わせる認定)です。証明責任により導かれた結果をもとに別の事実を認定することは、民事訴訟法が予定していないことであると思います。

 

 ⅳ 本件の高裁判決は、関節拘縮の有無の認定で「由来する症状論」を用いて「~であるとは認められない」という形で証明責任に頼った事実認定として関節拘縮を否定しています。事案の全体像を視野に入れた総合的な判断は行なわれておらず、実質的心証の裏づけのない空洞化した認定がされています。

   その後に検討したタクシーの多用は、普通は症状が重かったことを裏付ける事実です。ところが高裁判決は先に認定した事実につじつまを合わせるために、「症状が重ければタクシーを使って色々なところに行けるはずがない」としています。

高裁判決は事実認定を部分ごとに細分化して、しかもその結論を証明責任にゆだねて、証明責任が導いた結果につじつまを合わせるべくその後の認定をしているように見えます。

 

2014年4月13日 (日)

7年5か月後に固定とされた左肩CRPS(25.7.11)

1 大阪地裁平成25年7月11日判決(自保ジャーナル191238頁)

  この事案の特徴は、①症状固定まで7年5か月を要したこと、②判決が診断の適否に拘らなかったこと、③症状の程度の判断で診断基準を取り込んでしまったこと、④骨萎縮、筋萎縮に拘ったこと、⑤自営業者の収入について適切に判断していることなどです。

 

2 症状の経過

  被害者は事故時51歳の解体自営業男子です。平成13年6月25日にバイクで直進中に路外に出ようとした乗用車に衝突される事故に遭います。以下の経過で症状固定までに7年5か月を要しています。自賠責では12級(痛みについて12級、関節可動域制限は非該当)とされ、被害者は5級相当と主張して提訴しています。

 

 事故当日…B病院。左鎖骨骨折に対して手術が行なわれ39日間入院。手術後に鎖骨痛、左肩疼痛・異常知覚・関節運動痛が確認される。退院後はB病院に通院した。

 1年1か月後…左鎖骨の骨癒合が生じたことから、抜釘術が行なわれた

 1年半後…C大学病院への通院を始める。左鎖骨骨折後左側肩関節周囲炎と診断される。「リハビリしていたが徐々に左肩関節部疼痛出現・増悪してきた。」、「左肩関節部痛は受傷後数日して出現、現在初発時より症状強く認める。自動での屈曲(腕を前から上に挙げる)と外転(腕を横から上に挙げる)が20度しかないとされる。

 

*手術後に骨の癒合が遅れて抜釘が1年1か月後となり(痛みが続くと骨の癒合は遅れる傾向があります)、肩の自動可動域が大幅に低下していることからは、この時点ですでにRSDを疑うことができる状況にあります。

 

(以後のC大学病院での経過)

1年7か月後…針治療により90度挙上できるようになる。

 1年8か月後…今のところRSDは考えていないとされる。

 1年11か月後…MRIにより腱の肥厚、関節溝の変形・滲出を認め、炎症による変化を疑われる。

 2年1か月後…まだアロディニアきつい。この頃に星状神経節ブロックが始まる。左肩部RSDとされる。

 2年2か月後…ペインコントロール不良。

 2年5か月後…左肩のモビライゼーションのために入院、手術を受けて、一定の改善が生じた。

 2年8か月後…左肩のモビライゼーションのために再度の入院・手術

3年8か月後…右足を打撲して、のちに右足もRSDと診断される。

 7年5か月後…症状固定とされる(C大学病院)。左肩の関節可動域は、屈曲(腕を前から上に挙げる)が18度、伸転(後から上に挙げる)が12度、外転(横から上に挙げる)が25度、外旋(肘を90度曲げた状態で外に開く)が38度、内旋(肘を90度曲げた状態で内に閉じる)が43度であった。

 

3 症状固定までの期間について

 ⅰ この事案の特徴は症状固定までに7年5か月もの期間を要した点にあります。これまで検討した事案でも症状固定までに4年や5年を要した事案がありましたが、7年5か月は最長です。

症状固定までに長期間を要した事案では症状の悪化がゆるやかで徐々に悪化して行ったという事情が多く見られます。本件では1年半後の時点でかなりの可動域制限が生じていますが、2年半後(平成16年)ころから関節拘縮に至ったとしているので、他動可動域の制限が遅れて生じたようです。7年5か月後の可動域に自動・他動の区別の記載がないのは、非常に強い痛みのため他動での検査ができなかったと考えられます(この事情はしばしばみられます)。

 

 ⅱ 関節拘縮は、関節周囲の組織の伸縮性が低下して生じます。骨やスジが引っかかって動かせない状況ではありません。伸縮性が低下した組織を無理やり動かすと組織が引き剥がされて損傷を受け、強い痛みとなります。その痛みがさらに組織の伸縮性を低下させます。従って、我慢して動かせば治るというものではありません。このため多くの患者が関節拘縮の状況にまで悪化します。

関節拘縮の状況に至っても、一定以上の力を加えて組織を引き剥がせばより広い可動域を得られますが、非常に強い痛みが生じます。この事情のため他動可動域を確認することは多くの場合に困難です。

 

4 労災のアフターケア制度

 ⅰ 労災ではRSDとカウザルギーはアフターケア制度により、症状固定後も3年間は国の費用負担で治療が受けられ、その後も更新できます。本件が労災適用であったならば、症状固定が早められてアフターケア制度による治療に切り替えられていた可能性が高いと言えます。

   加害者の損保が早期の症状固定を求めて治療を打ち切ることはしばしばあるので、CRPSが疑われる事案で労災が並行して使える場合には、早期から労災の手続も進めておいた方が良いといえます。但し、加害者の任意保険が対応している場合には、会社側はほぼ全ての場合に労災を使うことを嫌がる傾向があります。

 

 ⅱ CRPSがアフターケア制度の対象とされているのは、症状固定後も治療を続ける必要が特に高いからです。CRPSでは治療を止めてしまうと関節拘縮が悪化するおそれが強くあります。実際にもCRPSの裁判例では、被害者が症状固定後に症状が悪化したと主張している事案は多く見られます。労災でも早期に症状固定となり、その後に悪化すると同じ問題が生じます。

   この点をも考慮すると、判決が医師の判断に従い7年5か月後の症状固定を認めた点は穏当であると思います。但し、治療内容によっては症状固定を4、5年後にしてその後数年の治療費をアフターケア的な必要性から賠償対象に含める判断の方が良いのかもしれません。

 

5 各種の診断基準、判定指標の意味

 ⅰ CRPS(RSD、カウザルギー)には歴史的には多くの診断基準があります。本件ではギボンズの診断基準、国際疼痛学会(IASP)の2005年の判定指標、日本の2008年の判定指標に言及しています。

   いくつかの診断基準・判定指標に言及するときに多く見られる誤りは、診断基準が異なれば、CRPSとされる範囲が変わるという誤解です。本件の判決にもこれが見られます。

   例えば、ランクフォード(Lankford)の基準を用いた場合に、基準に当てはまらなかった患者はもとより基準に当てはまった患者についても、他の疾患でその患者の症状を説明できるか検討します(鑑別診断)。その結果、最終的に他の疾患(関節リウマチ、線維筋痛症など)とされることもあれば、CRPS(RSD)であったとされることもあります。診断基準を変えたところ、何の疾患か分からない病態(分類されない病態)が生じてしまうというのでは、おかしなことになります。

 どの診断基準を用いても、その先の鑑別診断を経て最終的な診断が下されるので、診断基準が異なっても最終的な診断はほぼ同じになるはずであり、同じになるべきであると言えます。

 

 ⅱ このことはIASP、アメリカ、日本の判定指標からはより明確に理解できます。これらの判定指標は感度(その疾患を有する人が陽性になる度合い)と特異度(その疾患を有しない人が陰性になる度合い)が公表されています。臨床用指標は感度が80%ほどになるように調整され、研究用指標は特異度が90%以上になるように調整されたものが作成・公表されています。

   例えば、99年のアメリカの判定指標は、臨床用は感度85%、特異度69%、研究用は感度70%、特異度94%です(『神経障害性疼痛、診断ガイドブック』147頁)。

IASPの05年の判定指標は、臨床用感度85特異度60研究用感度70特異度96です。

日本の08年の判定指標は、臨床用は感度82.6%、特異度78.8%、研究用は感度59%、特異度91.8%です。

   即ち、診断基準や判定指標は、その基準だけでCRPSを判断するものではなく、必ず鑑別診断が必要とされます。臨床用基準の感度が高いのはより多くのCRPS患者を対象に含めて患者の漏れをなくすためです。研究用指標の特異度が高いのは、他の疾患の患者が紛れ込まないようにするためです。

 もちろん、臨床用指標を用いても研究用指標を用いても、ある患者についての最終的な診断は同じになるはずであり、同じにならないとしたら問題です。判定指標とは別個独立した方法(鑑別診断など)で罹患の有無を判断できるからこそ判定指標が作れるのです。

 

 ⅲ 以上のとおり診断基準や判定指標を多く列挙してもほとんど意味がありません。診断のために重要とされるのは、これらにより一次的な選別を経た後の鑑別診断の方にあります。

判定指標は、鑑別診断を行なう前段階としてその患者がCRPSである可能性がどれくらいであるのかの目安を提供します。判定指標の有用性は患者を選別する能力、即ち感度・特異度により決まります。

   これまで「診断基準」として提唱された多くの学説も、その基準のみでRSD(CRPS)であるかどうかを決められるわけではなく、より多くの患者を正しく選別できる基準を目指すなかで提唱されてきたものです。

実は医学的に「診断基準」とされるもののほぼ全ては、その基準だけで全ての患者の診断をすることはできません。最終的に診断を確定させるためには鑑別診断が不可欠です。

 

 ⅳ これに対して、判決は、「CRPSについては多数の判断基準が作成されており、そのいずれを用いるかによって、CRSPであるか否かという結論に差異が生じてくることになる。」(50頁)と述べますが、かなり初歩的な誤りです。この誤りのため判決は診断の適否を検討してもたいして意味がないとの結論に向かいます。

判決は医学的な基礎知識が大幅に不足しているため、現場での医療レベルを見下しているようにも見受けられます。また、CRPSという難病に罹患したこと自体についての差別的な感覚(この人は普通ではないからCRPSに罹患した)は多くの裁判例で窺われます。

 

6 診断の適否は必ずしも判断する必要はない

 ⅰ 判決は「原告の症状がCRPSであるか否かということそれ自体を検討、判断することに積極的な意義はないというべきであり」(50頁)として、診断の適否には拘らないと述べています。ここに至る経緯での誤りは上記のとおりですが、私はこの部分だけを取り出せば、間違いではないと思います。

 

 ⅱ 交通事故訴訟で被害者が主要事実(法的な要件となる事実)として主張しているのは、最終的に被害者に残存することとなった症状(事実的損害)の存否と程度です。即ち、個別の被害者は具体的な症状そのものを主張し、その症状を金銭に評価して賠償額を定めて欲しいと主張しています。

   従って、症状の存否と程度が認定できれば、病名が認定されなくとも構いません。病名は被害者の症状を裏付ける間接事実の1つに過ぎないので、必ずしも認定する必要はありません。

   被害者の症状を認定するための資料(証拠)はそれ以外にも数多く裁判に提出されています。まず、被害者自身の供述です。次に、被害者を診察した医師が確認した症状です。診察した医師が複数となればその価値が高まります。さらに個別の症状についての検査結果なども重要な証拠です。本件では被害者の上肢の可動域制限を医師が繰り返し観察してカルテ等に記載してきたことは重要な意味を持ちます。

被害者の受けてきた治療の内容や治療を受けてきた期間なども、当然にその症状が存在すると考える判断材料となります。被害者が事故によりどの程度就労の制限を受けているのかという事実も、被害者の症状の程度を判断する重要な資料です。

これらの証拠から被害者の主張する症状の存否が判断できない事案は非常にまれであると思います。本件でも被害者の主張する後遺障害が存在することはこれらの事情から優に認定できます。従って、診断された病名が正しいかどうかにこだわる必要はありません。

 

 ⅲ 裁判例でも、被害者に対する診断の適否の判断にこだわらず、その判断を留保して被害者の症状を認定したものはしばしばみられます。

   比較的最近のものでは、東京高裁平成22年9月9日判決(自保ジャーナル1832号)は「控訴人がWHOの定めた軽度外傷性脳損傷に関する平成16年の定義に該当するか否かについては、本件訴訟においてはそれを確定することが必要なわけではない。本件訴訟において重要なことは、本件事故によって控訴人が頭部に衝撃を受け脳幹部に損傷を来してこれを原因として後遺障害を残存させたか否かであるところ、この事実は上記のとおりこれを認めることができるものである」(15頁)と述べて、軽度外傷性脳損傷と診断できるかどうかに関わらないものとして被害者の症状の存在を認めています。

 横浜地裁平成24年7月31日判決(判例時報2163号)は「原告は脳脊髄液減少症を発症した疑いが相当程度あるから、原告の上記症状は、脳脊髄液減少症による可能性が相当程度ある。また、仮にそうでないとしても、原告の現在の神経症状が上記のとおり重いものであることは明らかであり」(85頁)と述べて、被害者の症状の存在を認めています。

 

7 診断の適否は症状の有無に関係しない

 ⅰ 「診断が誤りなので症状は認められない」との誤り

 裁判例でしばしば見られる誤りに、「被害者に対する疾患Rとの診断は正しいとは認められないので、被害者の主張する症状は認められない。」という理屈があります。

たしかに診断によってその症状に対する見方が変わるという面はあります。例えば、強い腹痛で胃の辺りがキリキリ痛むのでネットで調べてみて胃がんだと確信した患者が病院に行ったとします。そこで医師から「胃がんじゃありませんよ。」と言われたとすると、その症状はかなり軽い症状のような気もします。けれども、強い腹痛で胃の辺りがキリキリ痛むという症状が存在することには変わりありません。もしかすると大腸がんかもしれません。十二指腸潰瘍かもしれません。

   本件においても、CRPSとの診断が誤りであって他の疾患であったとしても、被害者の症状は変わりません。症状は診断をする際の大前提であっていかなる診断が下されようとも、その症状は変わりません。

 

 ⅱ 「診断が正しいから症状が存在する」との誤り

逆に、「診断が正しいから症状が存在する」との考えも誤りです。症状は診断をする際の大前提であり、症状が存在することを根拠として診断を下したのに、その診断により症状の存在が裏付けられるとすると、循環論法になります。

以上のとおり、診断が正しかろうか誤っていようが、症状には何ら影響は与えません。荒っぽい例えですが死亡診断書に記載した死因が間違っていようが死亡した事実が変わらないのと同じです。診断は事実(症状・検査結果)を前提とした評価ですので、事実を変える力はありません。

   しかし、臨床では診断が必要とされます。上記の例で患者に「ではどんな病気ですか。」と尋ねられた医師が「とにかく胃がんじゃないから今日は帰りなさい」と答えて済ますわけにはいきません。やはり、病名を解明する必要があります。訴訟では治療のために病名を解明する必要がないので、診断の適否を留保することは可能です。

 

 ⅲ 診断した事実それ自体が証拠となる

   訴訟では診断の適否は必ずしも検討する必要がありませんが、医師がある患者に対して、一定の症状と検査結果からある病名の診断をしたことは、それ自体が証拠としての価値を有します。ある病名の診断がなされた事実は、その病名を診断するにふさわしい症状(ないし病態)をその医師がその患者に確認した事実を裏付けます。

   従って、本件のように大学病院で持続的にCRPSと診断されたことは、それ自体が重要な証拠価値を有します。この証拠価値は診断の適否とは別個に存在します。判決はこの点を軽視しているように見えます。

 

 ⅳ 「由来する症状論」は誤りである

   「診断が正しいとは認められないので、症状は認められない。」とすると端的に誤りと断定できます。そこで最近しばしば見かけるのが「由来する症状論」(私が勝手に命名しました)です。

これは、①被害者が疾患Rにり患したと認めるに足る証拠はない。故に②被害者の症状は疾患Rに由来する症状とは認められない。との理屈を述べるものです。その上で、「被害者が訴える症状Sは本件事故により被害者が疾患Rにり患したことに由来するものではない」などと述べます。

   「由来する症状論」では、①では症状ではなく診断に着目することにポイントがあります。症状(主要事実)の有無を検討対象にするべきであるのに、診断(間接事実の1つ)の適否に置き換えています。

加えて、「被害者は疾患Rにり患したかもしれないが、それを認めるに足りる証拠はない」として診断の適否の結論を回避します。これは間接事実に証明責任を適用する誤りです。

   加害者側の視点でみると、①各種の検査結果などから被害者に症状が存在することを正面から否定することはやりにくい。②しかし、「疾患Rを発症したことは確実だ」という命題なら否定できそうだ。③そこで「疾患Rを発症したことは確実とはいえない。よって、症状は疾患Rに由来する症状とは認められない。」として、否定の結論を導きます。

気付いてみると、一番重要な症状の有無や程度は正面から検討されていません。診断の適否も「確実ではない(認めるに足りる証拠はない)」とされて実質的な検討はされていません。このように判断を極限まで空洞化して否定の結論を導くところに「由来する症状論」の特徴があります。

これはこれまでに「抱き合わせ否定論」として何回か批判した理屈と構造は同じです。最近は判断を空洞化させる手法が色々と発達してきた感じもします。

 

8 3要件基準は診断基準でも重症度を認定する基準でもない

 ⅰ 労災の判断枠組み

労災では、CRPSをカウザルギーとRSDに分けて、カウザルギーについては診断の基礎となった症状が存在するとの前提でそのまま後遺障害等級を認定します。RSDについては3要件(関節拘縮、骨の萎縮、皮膚の変化)が認められれば、カウザルギーと同様に判断します。これが労災での基本的枠組みです。自賠責でも同じです。

 

 ⅱ 労災では診断の適否は判断しない

   労災ではカウザルギーやRSDの診断の適否は判断対象ではありません。医師ではない労災の担当官がこれを判断すると医師法違反になります。RSDの3要件は、RSDとの診断が正しいとの前提で「3要件を満たすRSD」をカウザルギーと同様に扱うとするものです。

   3要件がRSDであるかどうかを判断する指標ではない(診断基準ではない)ことは、厚生労働省の担当課が編集した『労災保険、改正障害等級認定基準』の45頁にも「3要件を満たさないものは、RSDに該当しないという趣旨ではありません」と明記されています。

 

 ⅲ 3要件は重症度の指標ですらない

RSDの3要件基準は「カウザルギーと同様に扱われるための要件」であって、いったんカウザルギーと同様に扱われることとなれば、その先で3要件を考慮することはありません。従って、労災や自賠責においてすら3要件は重症度を判断する際の指標ではありません。3要件を満たせば、あとは後遺障害診断書に記載の症状が存在する前提でその重症度を判断することになっています。

   CRPSのうち、カウザルギーは神経損傷が確認できる病態(タイプ2)でRSDは神経損傷が確認できない病態(タイプ1)です。そこで、労災では神経損傷が確認できないRSDについては、特に3要件を満たす場合にカウザルギーと同様に扱うとしたのです。

   しかし、3要件基準が厳しすぎて3要件を満たすRSDは1%以下と推測されることからは、この要件の設定はそれ自体が誤りというほかありません。以上のことは繰り返し述べてきました。

 

 ⅳ 本件では、加害者側からこの3要件基準を診断基準であるとする誤った主張がなされ(44頁)、判決もこれを診断基準であるかのように扱っています(49頁)。しかも、判決は、3要件を満たす度合いが高いほど重度のRSDであるとの二重の誤解もしています。

 

9 症状の重症度は全ての事情を考慮して判断するべきである

 ⅰ 上記のとおり、判決は各種の診断基準や判定指標を、「その基準だけでCRPS(RSD)であるかどうかを診断するもの」と誤解したために、基準ごとに結論が異なることになっておかしいから診断の適否は検討する必要はないとしました。結果的にみれば、症状を判断するに際して診断の適否にこだわる必要がないとした部分は正しいと思います。

 

 ⅱ 判決は、「診断の適否により症状についての医学的証明が与えられるわけではない」との趣旨も述べています。この部分も正しいと思います。しかし、ちょっと引っかかるところがあります。

   判決は、診断の適否にこだわらず「原告の症状についてどの程度他覚的所見に基づく医学的な説明が可能であるか、または永続する蓋然性がどの程度あるのかを検討」(50頁)するべきであるとします。ここも誤りとはいえませんが、ちょっと引っかかるところがあります。結論から言えば、判決は「他覚的所見」の意味をかなりまずい方向に誤解しています。この誤解は他の裁判例でもしばしば見られます。

 

 ⅲ 臨床では触診の結果なども含めて医師が感知した全ての所見が「他覚的所見」とされます。労災や自賠責でも「他覚的所見」をこの意味で用いています。このことは後遺障害診断書の「他覚症状」欄を見れば一目瞭然でしょう。医師が患者の協力を得て計測した可動域検査の結果はもとより、医師が触診などにより感知した患者のしびれや痛みも「他覚症状」の欄に記載されます。

   また、各種のCRPSの判定指標からも一目瞭然です。例えば日本版の指標(08年)で「他覚所見」とされているのは、以下のとおりです。

       A:皮膚・爪・毛の変化(目視で確認)

B:関節可動域制限(徒手検査で確認)

C:アロディニア(触診、ピンクリップテストで確認)

D:発汗の亢進ないし低下(触診や目視で確認)

E:浮腫(目視、触診で確認)

 

即ち、目視や触診や徒手検査で確認したものも当然に他覚所見となります。このように他覚的所見を正しく理解した場合、他覚的所見があるかどうかの区分は後遺障害の程度を判断する際の指標にはなりません。なにしろほぼ全ての症状について他覚的所見が存在します。

   そこで労災では後遺障害が就労に影響する程度をもって症状の程度を識別することとなっています。労災がこの基準を採用したことは被害者が就労していることが制度上の前提だからでしょう。

この前提がない自賠責では症状について医学的に説明できる場合が14級とされ、医学的に証明できる場合が12級とされています。但し、この「説明と証明の区分論」は『青い本』の解説にのみ書かれているものであり、自賠法やその規則や通達などの公的裏づけはありません。

 

 ⅳ 以上のとおり、症状の重症度を判断するにあたって、労災は就労に影響する度合いを重視し、自賠責は「説明と証明」の区分論を用いていますが、「他覚的所見」が必要とはどこにも書かれていません。というよりも、後遺障害として症状が記載されている以上、その症状には他覚的所見があることが前提となります。

   そこで原則に戻って、症状の重症度を判断するためには、被害者自身の訴えを重視しつつ、被害者を診察した医師の判断や検査結果、通院の期間や治療内容、被害者の生活や就労の上での実態などの症状を裏付ける全ての要素を考慮する必要があります。この観点から見れば、本件で被害者の主張する症状が存在することは容易に認められます。

 

 ⅴ これに対して、訴訟では加害者側は「他覚的所見」の意味を画像所見などに限定することを前提に、確実なもので症状が裏付けられる場合が12級で、その裏づけがなく症状を説明できるに過ぎない場合は14級であるとの誤った基準を主張します。本件の判決は「他覚的所見」の意味を誤って理解したことを前提に述べている部分がいくつか見られます。

 

10 症状の根拠に症状を求める誤り

 ⅰ 被害者の主張する上肢の関節拘縮はCRPSの典型症例です。医師が測定した可動域制限をそのまま評価すると肩関節の用廃として8級相当の後遺障害となります。これに筋力低下や痛みを総合して左上肢全体が機能していないと判断すれば5級相当となります。そこで被害者側は5級相当の後遺障害があると主張しています。

 

 ⅱ これに対して、判決は被害者に関節拘縮があると認めているものの、それが「器質的な廃用性変化」と認められなければならないとしています。関節拘縮は組織の伸縮性の低下や組織の癒着によるもので、それ自体が器質的な変化ですので、この部分は意味不明です。

ところが、判決は「器質的な廃用性変化」として骨萎縮や筋萎縮が必要であるとします(52頁)。ある症状が存在すると認められるために、別の症状が必要であるとする主張は加害者側からは頻繁に出されます。なかでも骨萎縮必須論や筋萎縮必須論は定番中の定番です。もちろん関節拘縮には骨萎縮も筋萎縮も必須ではありません。

関節拘縮は関節可動域検査により確認したことにより、端的に認定されるべきものです。症状の根拠に症状を求めること自体がおかしな話で、それをやりだすと無限後退に陥ります。

   判決は、「他覚的所見」の意味を誤解したことから、可動域検査の結果をそのまま信じるという穏当な結論に行けなくなり、確実な根拠として筋萎縮や骨萎縮を求めてしまい、それを正当化するために、筋萎縮や骨萎縮がある場合が本当の関節拘縮であるとの考えに至っています。前提の誤りを正当化するための泥縄式の流れです。

 

 ⅱ 筋萎縮必須論は成り立たない

繰り返し述べてきましたが、医学的にはCRPSには筋萎縮は必須ではありません。関節拘縮にも筋萎縮は必須ではありません。しかし、高名な医師の医学意見書で「これほど長期間にわたって関節が動かせない状況が続いていたならば、著明な筋萎縮が当然に生じるはずであり、それが生じないことは誠に不思議なことであり、私の長年の経験の中でもなかったことである」などと説得的に述べられると、信じてしまう人は少なくないようです。

裁判例の上ではこれを信じてしまった裁判官は半数くらいいます。しかし、CRPSの典型例として医学書に掲載されている患者のほぼ全員は上肢がぶくぶくと膨れ上がった方です。特に末梢にいくほど浮腫が強く生じていて、手は軍手を3重にはめたように膨れ上がっていることもあります。これは筋萎縮が著明に生じて、腕がガリガリに痩せ細った状況とは正反対です。臨床の実態からはどうして筋萎縮が必須と主張されるのか理解し難いと言えます。

私の知る限り、これまで提唱された数多くの診断基準や判定指標のなかで筋萎縮を判断要素の1つに含めたものは存在しません。むしろ逆に浮腫(腫脹)を判定要素に含めることが通常です。

   ところが、関節拘縮には筋萎縮が必須と強く信じてしまった方は、医学書の症例写真であっても「この患者は特殊であって参考にならない」とか、「この患者は関節拘縮が生じていないから腕が細くなっていないのだ」などの論理を生み出してしまうようです。この状況に至ってしまった方を説得するのはほとんど不可能に近いと言えます。理屈はどうあれ現に関節拘縮に筋萎縮は必須ではないというのが臨床の実態です。

 

 ⅲ 骨萎縮必須論も成り立たない

これも繰り返し述べてきましたが、骨萎縮も関節拘縮に必須ではありません。関節拘縮は組織の伸縮性の低下により生じるのであって、骨萎縮により生じるわけではありません。IASP(国際疼痛学会)、アメリカ、日本の判定指標では骨萎縮はCRPSの判断要素の1つにも組み込まれていません。従って、元々これを重視する理由もありません。

ところが、ギボンズの基準は骨萎縮を重視し、労災の3要件基準でも骨萎縮は必須とされています。そこで、3要件基準が診断基準であり、重症度を判断する指標でもあるとした2重の誤解から、骨萎縮を重視した判決は多く出ています。

裁判例の上では、重度の関節拘縮が生じていた被害者であっても重度の骨萎縮が生じていた方は非常に少数です。圧倒的大多数は骨萎縮が軽度であるか存在しないとされています。このため、骨萎縮必須論は詐病を主張する加害者側の定番中の定番です。

たしかに、「関節拘縮が生じて長期間関節が動かせない状況が続いたのであれば、必ず関節部で骨の萎縮が生じるはずである。私の長年の経験からは…」などの意見を説得的に述べられると、信じてしまうのはやむを得ない気もします。裁判例の上でも骨萎縮必須論を信じてしまった裁判官は半数を超えていると思います。逆に言えば信じなかった方も相当数います。

骨萎縮必須論を信じると、被害者が詐病であり、診断した医師たちはとんでもない低レベルのヤブ医者か被害者とグルであるという帰結が導かれることを考えると、何とか常識を働かせてこの理屈を拒絶するべきであると思います。

本件の判決は、「骨萎縮などの物理的な廃用性を伴っておらず、器質的な症状を前提とする上位等級の各障害と比較した場合、制限の程度や永続の蓋然性というところで、どうしても一定の差があるものと考えざるを得ないところである」(52頁)としています。この背景には「他覚的所見」の意味についての誤解も存在します。

 

 ⅳ 二重基準(特別基準)の誤り

   筋萎縮必須論や骨萎縮必須論は、ほとんど必然的に二重基準を導入します。一般的な診断基準でCRPSとされた患者について、「筋萎縮がないのでCRPSではない」とすると診断についての二重基準になります。

   厳密には「CRPSにより関節拘縮が生じたならば、必ず筋萎縮が生じるはずだ。筋萎縮がないので関節拘縮ではない。関節拘縮が否定されるのでCRPSではない。」という理屈で診断を否定します。この二重基準が生まれることからも、筋萎縮や骨萎縮の必須論は誤りと言えます。

 

 ⅴ 二重基準の導入

判決は、被害者について「類型的にCRPSとされる患者が有する症状の一部を欠いており、医学的に大多数の医師がCRPSと判断するかは必ずしも明らかではないところである」(52頁)と述べます。

しかし、本件で被害者がCRPSであることに異論をさしはさむ医師はまずいないでしょう。異論を述べるためには他の疾患でより適切に説明できることを示す(鑑別診断をあげる)必要がありますが、他の疾患の可能性が考えられません。判決には鑑別診断を知らないという初歩的な誤りが見られます。

   判決は診断の適否に必ずしもこだわる必要はないとの正しい判断を経由しているのですが、それは大学病院で多数の医師がCRPSと診断してその治療や手術をしてきたことから、その診断を否定できないために判断を回避したに過ぎないようです。

判決は診断基準や判定指標で考慮される色々な症状を列挙して、被害者に現れていない症状があることを理由に被害者の症状が重度ではないとのニュアンスを述べます(52頁)。その結果、実質的には「CRPSと言えるほどの症状があるとするためには、これらの症状がほとんど備わっていなければならない」との理屈になっていて、数十倍以上に要件を厳しくした別個の診断基準を作り出したのと同じ状況に至っています。

しかし、日本版指標の5項目のうちのどれか2つだけを満たす人(10通りの組合せのうちのいずれか1つを満たす人)という緩い基準でさえも、これを満たすCRPS患者は8割に過ぎません。判定指標の5項目のうちのいずれか1個しか満たさないCRPS患者は2割もいます。

判決の列挙する症状を全部満たす人はCRPS患者のうち1%もいないと思います。これでは診断の適否を留保したことの意味がなく、むしろより劣化した判断を導くための前ふりになっています。

 

 ⅵ 「由来する症状論」の誤り

なお判決のこの部分は実質的には「診断が正しくないので症状は認められない」との理屈と同じ内容になっています。

即ち、「類型的にCRPSとされる患者が有する症状の一部を欠いており、医学的に大多数の医師がCRPSと判断するかは必ずしも明らかではないところである」(52頁)との部分は、「類型的なCRPS」という架空の概念を作り出して、それに該当すれば個々の症状についても「CRPSによって生じた症状」であるとされて、それゆえに重い症状であるとされるという理屈になっています。これは「由来する症状論」を実質的に導入したとの同じで判断の空洞化を招きます。

 

11 認定した結論の先にあるものを具体的に想定するべきである

 ⅰ 本件では全ての事情を考慮すれば被害者の主張する症状が存在することは優に認められます。仮にこの事件を陪審員が判断したのであれば私と同じ判断に至ると思います。事実認定では健全な常識と論理法則に従ってそのままの事実を認めればそれで良いと思います。

   陪審員による判断であれば、被害者が症状固定までの7年5か月の間に疼痛緩和のために様々な治療を受けてきたことや、関節拘縮を和らげるために2回の入院・手術を受けたとの事実から、端的に関節拘縮を認めると思います。

   これに対して、本当は関節拘縮が進行していないのに、詐病を主張して長期間にわたって治療を受け、2回も手術を受けたと考えることは無理があります。また、これに騙される医師がいるはずもありません。それゆえに可動域測定の結果はそのまま採用することが穏当であると言えます。この常識的な見地からは、事故から12年ほど経過した判決時において、骨萎縮や筋萎縮がないから関節拘縮は器質的なものではなく、永続性がないという理屈を持ち出すこともないと思います。

   ところが、関節拘縮があるとするために「特別な何か」が必要であると固く信じてしまう方向性から筋萎縮必須論や骨萎縮必須論を信じてしまった裁判例は多く見られます。

 

ⅱ 事実認定のために一般人の大半が信用するレベルでの証拠では足りず「特別な何か」を求める傾向は、裁判官であるが故に生じる傾向であるとも言えそうです。

   即ち、「いやしくも裁判官が事実として認定するからには、おおよそ一般人の大半がその事実が存在すると信じるに足りる事情が存在するのみでは足りず、法的にその事実の存在を肯定することを認めるに足りる特別な事情が必要というべきである。」との感覚です。

   これは「裁判官は国民から裁判権を委託された重要な地位にあることから、その裁判権を行使するには相応の根拠が必要であり、単に国民目線で判断すれば良いというものではない。」との考えとも言えます。この考えは、「確実な証拠もなしに訴訟を起こした方が悪いんだ」との価値観にも通じるものがあります。

   私はこういった権力的な発想は国民主権のもとの裁判権としてはふさわしくないと思います。国民目線で判断して構わないと思います。普通の国民の常識に合致した結論を導くべきです。

 

 ⅲ 判決が関節拘縮を認めるために筋萎縮や骨萎縮などを必要とする論理に至ったのは、長期間の通院や医師による治療や2回の手術といった「形のないもの」を軽視したためであるとも言えます。判決が筋萎縮必須論や骨萎縮必須論を信じてしまったのは、「形のあるもの」にこだわったためであると言えます。

   しかし、症状の存否や程度の判断は、それに関連する全ての事情を考慮するべきであって、証明手段を限定することは自由心証主義にも反すると言えます。民事訴訟では証拠方法に制限はない(弁論の全趣旨が証拠となる)のが原則です。従って、証明のための手段を限定することはこの原則に対する重大な例外となります。証拠方法を制限せずに自由で柔軟な判断を確保することは、裁判官が自己の良心に従って判断する上で何があっても譲ってはいけない部分(聖域)であると思います。

 

 ⅳ 被害者が長期間通院して疼痛緩和の治療を繰り返してきたことや医師がその症状を確認した上で2度の手術を行なったことは、普通に考えれば非常に強い疼痛やこれによる可動域制限(関節拘縮)が存在することを裏付ける端的な事実です。この思考こそが原則とされるべきです。

   これに対して、「詐病の被害者が無理に長期通院していたかもしれない。」などの懐疑論を持ち出されると、その懐疑論にはほとんど反論不可能です。なぜなら懐疑論は次々と別の懐疑論を生み出すことで反論から逃げ続けるからです。2度の手術も「医師もグルである可能性は否定できない」との懐疑論を持ち出せばキリがありません。

   このように懐疑論を持ち出せば、おおよそいかなる一般論・原則論も無意味になります。原則となる思考を放棄してしまえば判断は場当たり的なものとなります。

   原則論を否定する特殊な事情が存在することは、その特殊な事情を主張する者が証明するべきことは議論の一般原則として広く認められています。この観点からは、原則論で認定するために特別な証拠を求めたことは論理的にも正しくないと思います。

 

 ⅴ 実際問題として、この判決の判断を医師や一般人の視点から見ると非常に根深い問題を起こすことになります。長期間診察して2度も手術をした患者の症状を医師が見誤ることはありえないため、患者の関節拘縮を否定したことは「医師もグルである」と断定したと言えます。この受け取り方は一般人の目から見ても常識的な理解であると思います。判決は実質的には、被害者は10年以上も詐病を訴え続けてきて、医師もこれに加担したと認定していますが、さすがにこれはまずいと思います。

 

 ⅵ ところが、この判決は被害者が詐病かどうかをほとんど考慮していないように見えます。判決は「他覚的所見」の意味を誤解して、関節拘縮を認めるためには筋萎縮や骨萎縮が必要であると考えてしまい、しかも、訴訟でもその基準を用いるべきだという誤り(証拠方法の制限)にも陥ってしまったために、機械的な操作で関節拘縮を否定したように見えます。この過程では被害者の実態は考慮に入ってきません。

   また、CRPSと診断された被害者の症状についても、判決は上記のとおりCRPSであるかどうかの判断を留保し、一方で多数の症状のうち一部が欠けていることを指摘して、被害者の症状全体が「類型的にCRPSとされる症状」ではないとして、そこから被害者の個々の症状も軽いはずだとの論理(由来する症状論)を述べています。

   このように実質的な判断を高度に空洞化させているため、判決は被害者の詐病や医師の加担を実質的に認定したという意識もほとんど持っていないようにも見受けられます。

しかし、被害者の主張する後遺障害(医師が診断した症状)をそのまま認めれば5級となるところを、判決で12級としたことは特別な説明(詐病と医師の加担)を要する異常な事態です。12級という結論の先にあるもの(詐病と医師の加担)を直視するべきであって、そのことから結論の妥当性に疑問を持って然るべきであると思います。

 

2012年11月16日 (金)

4か月治療中断した左上肢RSD(24.6.21)

 1 さいたま地裁平成24年6月21日判決

(自保ジャーナル1880号46頁)

  この事件では左上肢CRPSが問題となっています。この事案の特徴は、①被害者が事故後3か月半ほど通院した後に4か月近く通院を中断し、その後にRSDと診断されていること、②判決が自賠責の3要件基準をRSDの診断基準と誤解したことなどです。

 

2 症状の経過

 被害者は事故時33歳男子会社員で、平成19年5月15に直進走行中に追突事故に遭います。

  事故当日・・・B病院。救急車で搬送され、腰椎捻挫、頚椎捻挫、末梢神経障害、頚椎圧迫骨折との診断を受ける。

  翌日・・・C整形外科。頚椎・胸椎・腰椎捻挫、左肘捻挫と診断される。

  1週間後…C整形外科。5月22日に症状が悪化しているとされる。

2週間後…C整形外科。5月28日に抹消神経障害と診断される。左肘部に腫脹(はれ)が認められる。鎮痛剤投与やマッサージなどを受けるも、通院期間中に左上肢や左手指の痛みやしびれを訴え、9月3日まで約3か月半通院する。

その後は4か月近く通院せず。この間に左前腕から左手指にかけての部分が痩せ、コップを持つことも苦痛になり、再び通院する。

  7か月後…C整形外科に再び通院。担当医は一見して左手・左手指の筋萎縮を認め、専門医に紹介する。

  7か月半後…D医療センター。反射性交感神経性ジストロフィー(RSD)と診断される。以後50日間に6回通院。

  10か月後…E医院。自覚症状として左上肢の痛み、運動障害(動きが悪い)、知覚障害(しびれ感)、他覚的には手指の筋萎縮(1指に著明)が認められ、左上肢RSDとする。約8か月通院した。

  1年1か月後…平成20年6月28日に症状固定とされる。左上肢全体の知覚鈍麻、筋力低下、明らかな左手握力の低下、左母指球・小指球の萎縮、左前腕から手指にかけての疼痛が残存するとされる。  

 

 

3 通院の中断について

 ⅰ 被害者は事故後3か月半ほど通院したのち、4か月近く通院を中断しています。被害者は事故による痛みのため事故の約40日後には12年ほど勤めていた勤務先を退職し、その後に就職活動をしていたところ事故の約3か月後に母親が転倒して入院し、手術を受けるという事情が背景にあり、通院を続けても症状が軽快しないとの思いから通院をしなくなり、通院を再開するまでの間は自分で市販の鎮痛剤を購入して服用していたと主張しています。また、事故の半年後には父親が倒れて病院に搬送されたとの事情があったとしています。

   これに対して加害者側は、事故衝突の程度は比較的小さく、4か月も通院を中断したのは症状が治ゆしたからであり、別の原因で新たな症状が生じた可能性もあるので、事故との因果関係が認められないと主張します。

 

 ⅱ 判決の認定によると、被害者は左上肢・左手指の痛みを一貫して訴えていたほか、左肘には腫れが認められ、カルテなどからは通院により症状が軽くなっていく状況にはなかったようです。また、通院再開後の症状との間でも継続性が認められたことから、判決は症状が軽快したために通院を中断したわけではないとして、この点については被害者の主張を概ね認めた認定をしています。

 

 ⅲ 被害者は、事故11か月後の平成20年4月に就労に復帰してフォークリフト作業などに2か月ほど稼動し、同年9月からは介護の仕事に就き、特段の勤務制限を受けることなく判決時まで就労を続けています。被害者は通常の就労は可能であり、時に労働に差し支える程度の疼痛が生じるとして、後遺障害等級12級13号の「頑固な神経症状」が存在すると主張しています。

   これらの事情からは、被害者の痛みの症状は重症とは言えないようです。この事情もあって通院を中断して市販の鎮痛剤に頼ることになったと考えられます。通院再開後の症状と連続性があり、ほかに原因となる事情も見当たらないことから、被害者の後遺障害は事故によって生じたものと考えられます。なお、被害者の症状が重度ではないことは、判決が簡単に検討しただけでRSDを否定した背景となっているように見えます。

 

4 3要件基準について

 ⅰ 被害者は、D医療センターやE医院でRSDとの診断を受け、星状神経節ブロック療法を受けるなどしています。本件では上記の症状からも被害者がCRPS(RSD)であることは特に問題はありません。

   しかし、判決は「原告には中度の骨萎縮は認められたものの、関節拘縮や皮膚の変化(皮膚温の変化、皮膚の萎縮)が認められないのであって、RSDを発症したとまでは認め難く」とのみ簡単に述べて、この診断を否定しています。判決のこの部分は労災や自賠責の3要件基準によるものです。この種の誤りが裁判例の上で多く見られます。

 

 

ⅱ 3要件基準の位置づけ

労災や自賠責では反射性交感神経性ジストロフィー(RSD)について、①関節拘縮、②骨の萎縮、③皮膚の変化(皮膚温の変化、皮膚の萎縮)という慢性期の主要な3つのいずれの症状も健側と比較して明らかに認められる場合にかぎり、カウザルギーと同様の基準により、7級、9級、12級に認定するとしています。判決は、これを診断基準と誤解して本件にあてはめています。

 

 ⅲ 3要件基準は診断基準ではない

   すでに何回も書きましたが、3要件基準は診断基準ではありません。労災や自賠責においても3要件基準はRSDかどうかを認定する基準ではありません。後遺障害認定は医学的な診断の手続ではないので「RSDであるかどうか」を診断(認定)しません。この判断を行なえば、医師でない者が医学的な判断を行なったことになり、医師法違反になります。

労災の後遺障害認定手続は行政官が診断書と画像資料(通常はカルテは見ません)を主とする制約された資料をもとに、後遺障害の有無・程度を定型的に判断する行政手続です。この判断への不服申立は審査請求、再審査請求という行政不服審査法上の手続によりなされます。

自賠責の後遺障害認定手続は労災病院の医師との面談もなく、形式的手続としての特性がより純化されています。これらが医学的な診断や治療の過程とは根本的に異なることは明白でしょう。

 

 ⅳ 後遺障害の程度(重症度)を判断するための指標でもない

   3要件基準は後遺障害の程度を判断するための指標ではありません。上記のとおり、3要件を満たした場合にはあとは「カウザルギーと同様の基準により」後遺障害の程度を判断するものとされています。

従って、3要件を充たす度合を参考にして「骨萎縮が重いから後遺障害が重い」などの判断を行なうことは誤りです。

 

 ⅴ 3要件は純粋に間口での条件である

   以上のとおり、労災の通達の文言を正確に理解すれば、3要件は純粋に間口審査のためだけに用いられるべき要件であって、それ以上のものではないことは明らかです。

   即ち、被害者がRSDと診断されると後遺障害の程度を判断する前段階で、この上乗せ基準(3要件)が必要とされます。特定の疾患を狙い撃ちした間口での要件です。実際には自賠責ではほぼ全件で3要件を充たさないとされているようであり、この点に大きな問題があります。3要件を充たさないとされると格段に低い等級となります。

この厳格な間口での条件について誤った説明が周知されているようであり、後遺障害の程度の判断指標として用いるものや、あろうことかRSDであるかどうかを判断する基準として用いるものも多く見られます。

 

 ⅵ 不当な制約である

   労災の後遺障害認定手続においては、被災者の病名が問題とされることはなく、後遺障害の程度のみが問題とされるのが通常です。RSDの3要件はこれに対する例外であり、RSD患者を狙い打ちにしたものとなっています。

   では、なぜ労災ではRSDに対して、このような厳しい条件を間口で課しているのでしょうか。結論から言えば合理的な理由を見出すことはできず、不当な制約というほかありません。

 

5 3要件基準の不合理さ

 ⅰ 国際的な判定指標よりも格段に厳しいこと

   CRPS(RSD)については、必須の症状は1つたりとも存在しないことは医学的には定説で異論はありません。国際疼痛学会、米国・日本の医学会ではこれを前提とした判定指標を定めています。

   これらの判定指標は4ないし5項目のうち任意の2項目に該当する患者の感度が概ね80%となるように作られています。感度とは疾患を有する者が検査で陽性となる度合いです。感度80%の検査では疾患を有する人の80%が陽性(CRPSの指標の2項目を充足)になります。国ごとに異なる判定指標が作られたのは、国ごとの医療文化などの事情を反映した精緻な診断ができるようにするためです。

   日本では5項目のうち2項目を満たせば陽性となる判定指標が作られました。もちろん必須の症状は1つたりとも必要ではなく、5項目をAないしEとした場合、AB、AC、AD、AE、BC、BD、BE、CD、CE、DEの10通りの組合せのいずれかの症状がある患者はCRPSの可能性が特に高いと言えます。

 

ここで2項目を満たす患者について「CRPSの可能性が80%である」と表現するのはちょっと乱暴です。正確にはCRPS患者の8割は上記の10通りのどれかを満たすというのが感度80%の意味することです。逆に言うとCRPS患者の約2割はA~Eのうち1つしか満たさないと言えます(より厳密には1つも満たさないCRPS患者もありえます)。

 

 

 ⅱ せいぜい1~2%しか捕捉できない

これに対して、3要件基準は、①A(皮膚・爪・毛のいずれかの萎縮性変化)のうち皮膚の変化のみ、②B(関節可動域制限)のうちの関節拘縮のみ、③A~Eに含まれない骨萎縮を3要件として要求し、しかもそれらが「明らか」であることも要求しています。

   まず、上記の10通りの組合せのうちABの組合せみに限定しているので、この時点で捕捉されるCRPS患者が約8%にまで激減することが予想されます。この時点で3要件の正当性は完全に否定されます。

   しかも、そのAとBの各要件を両方とも限定してさらなり絞り込みをしています。加えて、AとB以外の要件(骨萎縮)を新たに課しています。この時点でこの要件を満たすCRPS(RSD)患者は1%以下と予想できます。

 

   さらに、3要件の全てが「明らか」であることを要求し、しかも、その「明らか」であることが、制約された資料(カルテに記載のある症状も診断書に記載がない限り考慮されません)により、医師でない素人が形式的にこれを判断できることを必要としています。

   これでは、どれほどひいき目にみても、3要件で捕捉できるのはCRPS(RSD)患者のうちでもせいぜい1~2%でしょう。普通に考えれば0.1%以下でしょう。実際にも裁判例では重症化した典型症例でさえもほとんど全ての場合に自賠責では3要件基準を満たさなかったとされています。

 

 ⅲ 基準そのものが極めて不合理である

労災や自賠責の後遺障害認定が、簡易迅速な形式的手続であり、訴訟のように実態を反映できる手続ではないとしても、さすがにこの3要件基準はひど過ぎると思います。どうしてこのような基準が作られたのか理解し難いところです。

現に存在する各部位の後遺障害をそのまま判断すれば足りるので最初から必要のない基準です。なぜ特定の傷病のみを狙い撃ちした上乗せ基準が作られたのか不可解です。

   労災の認定を争う訴訟(行政訴訟)ではこの問題が顕在化します。訴訟での審理の対象は原処分である労災の認定の適法性であるところ、「労災の認定基準に従ってなされた認定として正しいか。」を訴訟で判断するとした場合には3要件基準そのものが不合理であるとしなければ、被害者は救済されないこととなります。

 

 ⅳ 骨萎縮が3要件基準に含まれていることについて

   骨萎縮は日本の判定指標だけではなく、国際疼痛学会や米国の判定指標でも判断要素には含まれていません。これまでに公表されてきた各種の診断基準でも骨の萎縮は重視されていません。これはCRPSにおいては軽度のものを含めても骨萎縮の発症率が低いこと(829人の患者による有名な大規模調査によればCRPS患者全体の36%)などに因ると思われます。

ギボンズの基準のような特異な基準(個人が公表したものにすぎず、公表以来これを用いる医師は世界的にはほとんどおらず、なぜか日本でのみよく知られている。感度・特異度の統計も存在しない)では骨萎縮を要件に入れていますが、基本的に重視されていない症状です。

 

 

 ⅴ カウザルギーとの不均衡

同じくCRPSであってもカウザルギー(CRPSタイプ2)であればこの上乗せ基準(3要件基準)は適用されません。本件では肘部で神経損傷が生じていた可能性があり、その場合にはカウザルギー(CRPSタイプ2)となり、3要件基準は適用されません。電気生理学検査などにより神経損傷が判明したかどうかにより格段の差が生じます。

カウザルギーとされた場合には、現に存在する後遺障害をそのまま判断します。例えば、肩や肘の可動域が制限されていればその度合いに応じて後遺障害認定がなされます。上肢の肩・肘・手関節がほとんど動かなくなる典型的に重症化した上肢CRPSでは4級ないし5級となります。痛みが就労に影響する度合いも現実の就労状況(就労先での就業制限など)を参考に判断できます。このように他の後遺障害と同様に判断すれば足りるので3要件基準はもともと必要がありません。

 

これに対して、3要件基準が適用される場合には、これを満たさないと自動的に14級以下となります(場合によっては12級とされます)。従って、カウザルギーであれば4級ないし5級とされる被害者であってもRSDとされた場合にはこの上乗せ基準を満たさないとして14級や12級にされるおそれがあり、裁判例ではその例が少なからず確認できます。

 

6 鑑別診断について

 ⅰ 判決は3要件基準を診断基準と誤解して、これにあてはめて簡潔にRSDとは認められないとしていますが、「では本当の病名は何であるのか?」という問題は放置しています。この点も繰り返し述べてきましたが、やはり事実認定としてまずいと思います。

 

現実に症状が存在して病院である傷病(例えば疾患R)が診断された患者に対して、「疾患Rではない」とする場合には、代替候補(が優勢であること)を認定する必要があります3要件基準を用いた判決の多くは、3要件基準を当てはめて「とにかくRSDではない。その先は知らない。」という認定となっていますが、事実認定ではこのような論理は例外的です。

   この考えの背景には、「被害者にはRSDであることを証明する責任があり、裁判所が認定するのは被害者がRSDであるといえるかであり、その先は認定する必要がない。」とする誤った考えから証明責任を事実認定に取り込む誤りが存在するように見えます。このため行政の許認可での要件審査のように形式的な一方通行の検討しかなされていません。

 

   事実認定では「何が起きたのか」を判断するはずで、「~と証明できたとする証拠があるか」を判断するわけではないはずです。証明責任は自由心証の尽きたところで機能を始めるとする定説によれば、真偽不明になった場合に結論(法規の適用)を決めるのが証明責任であって、事実を認定するために証明責任を用いるわけではないはずです。「真偽不明になったので、証明責任で事実を認定しました。」という理屈はそれ自体が矛盾しています。

 

 ⅱ 本件でこのような誤りに陥ってしまうのは、3要件基準を診断基準と誤解した場合にはこれのみで結論が出せる(RSDかどうか判断できる)ように見えることにあるようです。

現実にはCRPSの判定指標を用いた医学的な方法によっても、判定指標だけでは結論は出ません。判定指標はあくまでも「CRPS患者の約8割はこの指標を満たす(2項目を充足する)」という目安に過ぎず、指標に含まれない症状も含めて症状の全体をほかの傷病で説明できるかどうかを検討する(鑑別診断)必要があります。

 

7 背理法について

 ⅰ 裁判においても、ある事実の存否が問題となっている場合に「仮にAでないとした場合にほかに候補が見当たらない。ほかの候補では合理的に説明できず矛盾が生じる。」ことは「Aである」との認定をなす重要な判断要素となります。

背理法は事実認定の中核をなす論理であり、背理法を無視した認定は当然に誤りとされます。背理法を検討していなければ審理不尽となります。「Aである」という命題を検討するに際して「Aではない」と仮定して「AでないとするとBが考えられる。しかしBは誤りである。」、よって「Aではない」は誤りである。「Aである」もしくは「Aではない」のいずれかである(排中律)から「Aである」を導くのが背理法です。

刑事裁判では「Tはその時間に東京にいた」を検討するに際して「Tはその時間に大阪にいた。」が成り立てば「Tはその時間に東京にいた」は成り立たないとの背理法(アリバイ認定)がなされます。

   これに対して、「仮にAでないとした場合にほかの候補が一応は見当たらない。しかし、何らかの別事情ではないと信じられる程度にAが強く証明されていないので、他の事情の余地は否定できない。よってAであるとは言い切れない。」との考えで他の候補の検討をすることなく、「Aではない」とすることは正しくありません。

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 ⅱ 背理法はあまりにも基本的過ぎて見落としがちかもしれません。例えば、交通事故直後に大腿骨骨折と診断された場合にも現実には車両の速度、衝突した角度、車両の強度、被害者の骨の強度などの事情から因果関係を認定するのではなく、「ほかに原因がない(衝突の瞬間に自分で骨を折ったなどの代替候補が否定できる)」との視点から背理法を暗黙のうちに取り入れて因果関係を認定しています。

   この場合に加害者が「自動車の速度が不明なので因果関係を認めるべきではない。」、「自動車の破損が軽度なので因果関係を認めるべきではない」と主張したとしても、「では、ほかの原因はありうるのか?」との考察からその主張は認められません。加害者は代替原因が存在すること(またはそれが優勢であること)を主張する必要があり、それができなければ反論としての価値はありません。

しかし、被害者の怪我が大腿骨骨折ではなく、むち打ちなどのときは「では、ほかの原因がありうるか?」との考察の重要性が見落とされることは少なくないようです。背理法は意識しないとその重要性を理解できないかもしれません。しかし、因果関係を背理法抜きで認定できる事例は実際にはほとんどないと言えます。

例えば科学法則は経験的に知られた事実に過ぎない(論理的に導かれるものではない)ので、厳密に言えば全ての科学法則は「これ以外の合理的な説明は考えられない。別の説明がなされたとしてもそれは誤りであろう。」という形で背理法(下記のとおりこれを背理法と言うのは厳密には正しくないかもしれません)を取り込んでいます。背理法は事実認定のための中心的道具と言えます。

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ⅲ 但し、より厳密に言うと「他の候補では説明できない」という形で背理法を用いるときには、論理的に完全無欠の結論を出せるわけではありません。「他の候補」となりうるものを全て列挙して検討することはできないからです。それゆえに全ての科学法則は経験的に知られた事実に過ぎない(論理的に導かれる絶対的なものではない)とされます。

「Aである」との主張をする側が「Aではない」との結論を導く他の全ての候補を検討して否定することは不可能です。これに対して「Aではない」との主張をする側は反例を1個指摘すれば足ります。従って、他の候補を主張する責任は「Aである」を否定する側にあります。

これは議論の一般論としての常識的な責任分配です。自由心証のレベルではこの常識的な責任分配が用いられます。ほとんどの方は無意識にこの議論のルールを取り入れて判断しています。自由心証で真偽不明となった場合には、法的な証明責任の分配に従います。

この両者のレベルの違いは重要です。「Aである」を否定するためには、「Aではない」とする反例を1つ挙げれば足ります。それをせずに「とにかくAではない。その先は知らない。」との反論をなすことは議論の基本的なルールを逸脱したものとなります。

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なお、経験主義は論理学とはそりが合わず、現実の世の中の事象に背理法を適用する場合には、命題が否定されるときのみ背理法は論理的な厳密性を有していると言えます(ポパーの反証主義も基本的にはこの考え同じと言えます)。例えば、アリバイによる反証が認められれば背理法により犯人性が否定できますが、アリバイによる反証が認められなかったことは犯人であることを意味するわけではありません。事故直後に大腿骨骨折が判明したとの事例でも、大腿骨骨折と事故との因果関係を否定しようとする反証(例えば、事故直後に自分で骨折させた)が否定されたとしても、事故による大腿骨骨折が論理的に確定するわけではありません。

 

このように現実の事象に背理法を適用する場合には、論理学での背理法のような厳密さはありませんが、一般的には現実の世の中の事象にも背理法は用いられています。

 

 ⅳ 以上のとおり、「~ではない」との事実を認定した場合に、「では何であるのか?」との問題に答える代替候補が用意されていない場合には事実認定は問題をはらむこととなります。

   しかし、上記のように「被害者にはRSDであることを証明する責任があり、裁判所が認定するのは被害者がRSDであるといえるかであり、その先は認定する必要がない。」という種類の誤解が出発点で存在するように見える事実認定は少なからず見かけます。

   正しくは、「何が起きたのか」を自由心証で認定し、「何が起きたのか」についてどうしても認定できない事態に陥ったときには何も認定せず、証明責任を負担する者に法規が適用できないことの不利益を課すこととなるはずです。

 

私の経験では証明責任に頼らなければ事実の概要が判断できない事件は100件に1件ほどであると思います。普通に判断して結論が出せない事件はまずありません。これに対して、証明責任を事実認定に取り込む誤りに陥っているように見える判決では「事実が認定できる」とするためのハードルを高くしすぎる誤りに陥っているように見えます。もとより「何が起きたのか?」という視点ではなく「~と認定できる証拠があるか」との形でハードルを越えるかどうかの視点で検討すること自体にも問題があります。

また、事実認定に証明責任の視点を取り込んで証明責任を負うものに厳しいハードルを課した認定することでその認定が正当化されるとの感覚を持っているように見えるものもあります。当事者の主張するストーリー全体の合理性よりも、書面による証拠を重視するべきとの価値観を持っているように見えるものもあります。

   しかし、自由心証のレベルですでにして証明責任が取り込まれて、当事者の一方に不利なハードルが課せられ、その結果として真偽不明になったとして事実が認定されずに不利に扱われるという「二重の不利益」は法の予定していない論理です。

 

8 証明責任に合わせた記述について

 ⅰ 判決文では「~ではないと思われる」との心証であっても、「~であるとは認めるに足りない。」という書き方をされる方が多く(もちろん心証の度合いが分かる書き方をされる方も多くおられますが)、それが法律的に厳密であると思われているふしもありますが、私は、これは避けるべきでしかも上述の弊害を生じる原因でもあると思います。

自由心証のレベルで「~ではないと思われる」との心証であれば、それをそのまま書くべきであって、「~であると認めるには足りない」などの心証と乖離した表現は用いるべきではないと思います。

特に自由心証では結論が出なかったとの論理に見える書き方(なぜその事実を認定できたのかという問題が生じます)や、自由心証のなかに証明責任を取り込む誤りに陥っているように見える書き方(証明責任を考慮して事実認定をしたかのような書き方)は避けるべきであると思います。誤った書き慣わしが身についてしまうとその論理をも無意識に取り込んでしまうことになります。

   証明責任は自由心証による事実認定とはまったく異なる次元で用いるべき概念であり、それゆえに証明責任は自由心証の尽きたところでその機能を開始するとされます。その証明責任を自由心証に取り込んで事実認定を補佐する道具のように表現することは誤りと言うほかありません。

 

 ⅱ この考えには異論があるようにも思いますが、私は証明責任とはあたかも問題が解けなかった受験生が振る五角形の鉛筆のようなものであり、最後までその使用を避けるべき最終手段であると考えています。証明責任には「愚者のサイコロ」という側面があることは否定できないと思います。安易に証明責任に頼ることは司法サービスの質を低下させ、裁判を受ける者の顧客満足度を低下させます。

 実際に体験した事実を訴訟で主張する当事者本人(もちろん何が起きたのかを熟知しています)は、事実に迫るための十分な努力をせずに証明責任に結果を丸投げしたように見える判決に対しては、「なんだサイコロで決めたのか?」との不満を抱くことになると思います。

2012年9月17日 (月)

日本版指標を検討した右上肢CRPS(24.3.27)

1 東京地裁平成24年3月27日判決(自保ジャーナル1873号54頁)

  この事件では、右上肢CRPSが問題となっています。この事案の特徴は、①右肩腱板損傷に起因する右上肢のCRPSであること、②CRPSが重症化する経過がゆるやかであり、事故から4年5か月後にCRPSとの診断を受けたこと、③判決が国際疼痛学会と日本のCRPSの判定指標に言及したこと、④判決が日本版の指標を検討するも自賠責の3要件基準を重視したことなどです。

2 症状の経過

 被害者は50歳男子大学非常勤講師で、平成18年10月7日に交差点を直進していて、右折してきたタクシーと衝突して怪我を負います。

   

  事故当日・・・G病院。エアバッグによる打撲痕が全胸部に認められ、咽頭に違和感あるも、レントゲンでは骨折は認められず。

  4日後・・・D病院。頚椎捻挫、右肩打撲、頭部・胸部打撲と診断され、約半年間に17回通院。事故10日後の握力は右40kg、左42kgであった。

50日後・・・D病院。重いものを持った後から右肩を中心に痛みが再燃したと医師に告げる。その後も右肩痛を訴える。

  5か月後・・・D病院。右肩から右手までしびれが出たと医師に告げる。

  5か月半後・・・H整形外科。平成19年3月22日から半年間に82回通院。初診日に右肩、右肘、右手首、右手指の症状を訴える。腕の挙上で痛み、ペンが持ちにくい、字を書くときに力が入らない。握力は右25kg、左35kg。右肩に可動域制限あり。疼痛や感覚異常が著明とされる。

       頚椎MRIでは異常は見つからず。右肩MRIでは腱板に損傷ありとみられ、事故10か月後の右肩MRIで棘上筋腱損傷と診断される。以後右肩の可動域制限が悪化する。

  2年後・・・H整形外科。症状固定。傷病名は外傷性頸部椎間板ヘルニア、右肩腱膳板損傷、自覚症状は右肩痛、右上肢痛、右手しびれ・ふるえ、頸部痛、他覚症状は頸部の可動域制限、ジャクソンテスト・スパーリングテスト・右陽性、C5領域異常知覚、C6・7・8の知覚鈍麻あり、握力右14kg、左25.5kg、右肩・右肘・右手関節に可動域制限ありとされ「臨床像はCRPSに一致すると考えられます。」とされる。

  2年2か月後・・・14級9号の「局部に神経症状を残すもの」との後遺障害認定を受け、二度の異議申立でも変わらず。

  2年7か月後・・・Cクリニック。事故3年半後に星状神経節ブロックで背部の疼痛が悪化したこと、左手の皮膚が光釈していること、左手が右手に比して冷感があること、疼痛の範囲が拡大していることなどを指摘して、RSD又はCRPSタイプⅡが悪化している可能性があるとされる。

  3年10か月後・・・B大学医学部附属病院。右上肢の色調の変化が確認される。手の発汗の増加、右手が黒くなったり赤くなったり汗が出たりするとの訴えがある。アロディニア、痛覚過敏が確認される。

  4年5か月後・・・B病院で右肩肩板損傷後CRPSとの診断を受ける。右上腕挙上不可、右上肢の色調変化、知覚低下、アロディニア、痛覚過敏ありとされる。

  4年10か月後・・・J病院。右肩関節MRIで肩関節腱板のうち、棘上筋腱に断裂をみとめ、上腕骨骨挫傷疑い、関節唇損傷とされる。

3 CRPSの症状の経過がさまざまであること

 ⅰ 以上のとおり、本件は右肩の受傷(腱板損傷など)をきっかけにCRPSを発症したもので、症例も上肢の拘縮という典型例です。最終的な症状がCRPSであることは特に問題はありません。しかし、症状の進行が非常にゆるやかであったこともあり、正式にその診断を受けたのは事故から4年5か月も経過した後です。

本件では5か月後の時点では右肩の可動域制限は小さかったものの、その後肩・肘・手首の関節可動域が徐々に制限されていきます。事故から3年経過した後も症状が悪化し続け、最終的には右上肢全体が典型的なCRPSの重症化となるに至っています。

 ⅱ これまで検討した事案のなかには、半年で重症化したものもあれば、1年以上経過してから症状の悪化が進んだものもあり、症状固定が事故から4年や5年経過した後となったものもあり、CRPSの症状の経過は事故ごとに大きく異なります。RSDについての「病期説」は、このような臨床の事例に整合しないことから、今では支持されていません。

4 CRPSの判定指標の位置づけ

 ⅰ 判決は国際疼痛学会(IASP)の94年、05年のCRPS判定指標や日本版の08年の判定指標に言及していますが、初歩的な部分でいくつもの誤りをしているため、正しく検討できていません。

 ⅱ 指標とは

   まず判定指標はあくまでも「指標」すなわち「目安」であって、この指標を満たせばCRPSであるとか、満たさなければCRPSではないというものではありません。08年の日本版判定指標(臨床用)は、「CRPS患者の8割はこの指標を満たします」、逆に言えば「CRPS患者であってもこの指標を満たさない人が2割います」という目安として臨床での診断に役立てるものとして作成されています。

   これを看過した誤りの典型は「指標を満たすのでCRPSである」とすることや、「指標を満たさないのでCRPSではない」とすることです。

   05年のIASP判定指標があるのに、なぜ日本版が作られたのかというと、その元になった99年のアメリカの判定指標について、オランダでの感度や特異度がアメリカとはかなり異なっていた(低かった)ことから、文化圏や医療システムなどによる違いが大きいとされ、個々の医療文化圏に応じた判定指標が必要であると考えられたからです(『複合性局所疼痛症候群CRPS』70頁)。つまり、目安としての判定指標はその国ごとに作成した方が診断に役立つということで、日本版の指標が作られています。

 ⅲ 目安(指標)はあくまでも目安であること

   判定指標はあくまでも診断の目安に過ぎず、指標のみで診断をすることは誤りです。患者に生じた全ての症状について、CRPSで生じるとされている症状であるのか、他の疾患でも生じうるものであるのかを検討する必要があります。この点を看過した誤りの典型は指標にある症状のみを検討することです。

   日本版とアメリカ版、IASP版では指標に含まれる項目に違いがあり、最も大きな違いは日本版の指標に含まれる症状が少ないことです。一見すると日本版は5項目あって、アメリカやIASPの4項目より多いように見えますが、実際は1つの項目で列挙される症状が少ないため、日本版では検討対象の症状が少なくなっています。

   上記の各指標からも明らかなとおり、CRPSには必須の症状は1つもありません。日本版の指標は「CRPS患者のうち、指標の5項目のうち2つを満たす方は8割ほどである。」という目安です。例えば5つの項目をA~Eとすると、そのうち2つ、例えばAB、BC、AC、CD、AE、BE、AD、EC、BDなどの多数の組合せのうちのどれかを満たす患者はCRPS患者のうちでも8割しかいないことを意味します。さらにA~Eのうちの1つしか満たさないCRPS患者が2割もいます。

 ⅳ 臨床用か研究用か

   判定指標には臨床用と研究用があります。これはどちらが正しいというものではありません。この点についての典型的な誤解は「臨床用は満たすけれども研究用は満たさないのでCRPSではない」というものですが、判決ではそのニュアンスが述べられています。

   「CRPS患者の約8割はこの指標を満たす。」という臨床用をもちいても、「CRPS患者の約6割がこの指標を満たす。」という研究用の指標をもちいても、個々の患者について同じ診断に至るはずです。従って、「訴訟で臨床用を用いるべきか、研究用を用いるべきか」、「臨床用を満たすが研究用は満たさない」などの検討をすること自体が誤っています。

   

 ⅴ 日本版の但し書きについて

   日本版の判定指標には、但し書きに「外傷歴がある患者の蔓延する症状がCRPSによるものであるかを判断する状況(補償や訴訟など)で使用するべきではない。また、重症度・後遺障害の有無の判定指標ではない。」と記載されています。この記載をそのまま受け取ると、判定指標は訴訟では使えないことになります。

   しかし、よく考えてみると、判定指標はあくまでも診断の目安に過ぎないのに、なぜその目安を使えないのかという疑問は当然に湧き起こります。アメリカ版にもIASP版にもこのような但し書きはありません。CRPSは交通事故、医療事故、労災事故、スポーツでの事故などの外傷により発症することが多く、歴史的にもアメリカの南北戦争での負傷により生じた症例が重視されてきた事実があり、事故などで使えなければ意味がありません。

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この但し書きは、①判定指標はあくまでも指標(目安)に過ぎないのにその目安に挙げられた項目だけを検討する(患者に生じた全ての症状を検討しない)、②指標を満たすかどうかにこだわる(ほかの疾患との鑑別診断をしない)、③「研究用の方が正しく認定できる」とする(指標の意味が分かっていない)、という誤った使われ方をすることや、④指標の位置づけを理解しないまま用いられることに対する懸念を表明したものと考えられます。

これに対して、何らかの政治的な陰謀により、「判定指標を使わずに自賠責の3要件を診断基準であると誤解して使用すれば、CRPS患者の9割以上がCRPSと認定されなくなるので、この指標を使わせたくない勢力がこの但し書きをつけるように要請したのだ。」、「CRPSに必須の症状が1つもないことや、自賠責3要件が診断基準ではないことさえ知らずに、ほとんどの判決が書かれている現状を維持すべきだと考えた勢力の要請によるものだ。」、などと考えるのは邪推でしょう。たしかにこれまで検討した事案ではCRPSに必須の症状がないことや自賠責3要件が診断基準ではないことに反した医学意見に騙された判決が少なからず見られましたが、邪推は良くないですね。 

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   上記のとおり、私はこの但し書きは指標を用いる際の懸念を表明したものと考えています。それはCRPSが事故や外傷によって生じることが多い疾患であることにもよりますが、より本質的には「判定指標」の意味そのものからの当然の帰結とも言えます。

判定指標の意味するものは、「CRPS患者のうち指標の任意の2項目を満たす人は8割しかおらず、任意の3項目を満たす人は6割しかいない」という臨床の実態です。この臨床の実態は指標を「使う・使わない」の問題ではなく、「知っているか、知っていないか」の問題です。但し書きを「CRPSの臨床の実態についての基礎知識を知らなかったことにして判断しましょう。」との意味で理解することはナンセンスです。

私は訴訟においても一応はこの指標に当てはめた方が良いと思いますが、指標にない症状についても「CRPS以外の傷病でこの症状が生じるだろうか」と全ての症状について検討することはより重要であると思います。

 ⅵ 判定指標への当てはめについて

   判決は、判定指標への当てはめで「症状が明らかではない」との趣旨を述べてその項目を満たさないとしていますが、初歩的な誤りです。指標へのあてはめにおいて、症状が「存在するかどうか」が問題であり、「存在し、かつ明らか(重症)である」ことを求めることは誤りです。

当たり前のことですが症状が存在すること(および、かつて存在したこと)が確認できれば軽度でもその項目を満たします。症状が重症であることや明らかであることは必要ではありません。なお、症状が存在するかどうかの判別が微妙なときは擬陽性として考慮します。

ある症状の存在を確認できるにも関わらず、「明らかでない(重度ではない)ので無視するべきだ」とする「程度問題の錯誤論」は加害者側の頻出の錯誤論法ですが、この判決はこの錯誤論法に惑わされたようです。この問題については、下記でも述べています。

「3回鑑定が行われた右上肢・左下肢RSD(23.1.26)」

  http://s-hat.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-ede3.html

   

 ⅶ 鑑別診断について

   CRPS(RSD)を検討する際に最も重要な点は鑑別診断です。主治医がCRPSと診断した患者について、それを否定するためには他の疾患の候補を示して、その疾患により患者に生じている症状を説明できることを主張・立証する必要があります。本件では加害者側はこの主張をしていません。加害者側は、「とにかくCRPSではない。その先のことは知らない。」との論理を用いていますが、この主張は主治医の診断を覆すに足りる構造となっていないため、本件ではCRPSであることは問題なく認めて構わないと思います。ところが、鑑別診断の視点を欠いたままCRPSのみを検討して、「何らの傷病でもない」との不合理な結論を導く誤りはほかの裁判例でも見られます。

   なお、仮に加害者側が反対仮説となる疾患を主張した場合には、鑑別診断を検討する必要があります。この場合には判定指標を2項目満たしていても別の傷病によりそれが説明でき、そちらの方が合理的である場合には、CRPSとされません。

例えば、アロディニアや浮腫が生じていてもほかの症状からは線維筋痛症が疑われる場合や、痛覚過敏と皮膚の変色が生じていてもほかの症状からは手根管症候群や足根管症候群が疑われる場合には、鑑別診断は不可欠です。一方で判定指標を1項目しか満たさなくとも、判定指標に含まれていない症状や、ほかに候補となる傷病がないことからCRPSと判断すべき場合もあります。この視点からは、「症状が明確ではない(重度ではない)のでその項目を満たさない。」という考察が論外であることは明らかでしょう。

   

5 関節可動域制限について

 ⅰ この判決は、多くの医師が確認してきた右上肢の関節可動域制限を否定しました。医師が確認した関節可動域制限はれっきとした他覚所見ですので、これを否定することは非常に不可解です。

   しかし、加害者側は「可動域制限を画像で分かる所見で確実に証明すべきだ」との主張を恒例行事のように出してきます。これに惑わされたのか、判決は「右肩関節の可動域制限を伴う機能障害については客観的所見による裏付のあるものとは認めることができない」としていますが、これは医学知識の不足と、証明責任を自由心証に取り込む誤りによるものです。

ⅱ 関節拘縮はレントゲンやMRIなどの画像所見では裏付けることができず、基本的に医師による可動域検査によってしか測定できません。従って、可動域検査を否定すると関節拘縮は認められなくなります。それゆえに加害者側は画像などの客観的所見で裏付けるべきだと主張します。

  関節拘縮は、患部の組織が癒着するなどして収縮性をなくすことにより生じます。この場合には縮小した可動域を超えて動かそうとすると組織の癒着が重みとなって現れます。医師はその重みで可動域の終末感を判断します。これ以上力を入れれば組織が引き剥がされる直前の重みを判断して可動域検査がなされます。

   この重さを分からずに可動域検査をする医師はまず居ません。たとえるならば、10分間触ってもぬいぐるみの猫と生きた猫の区別が付かないというレベルのことであると思います。患者が腕に力を入れるなどして可動域をごまかすことは不可能と考えて差し支えないと思います。

   以上の前提で判決の認定を読むと「詐病であり、医師もこれに加担したであろうから、可動域検査の結果は認めない。」との趣旨に見えますが、さすがにこの部分は論外です。判決は詐病でないことや医師がこれに加担していないことの証明責任を被害者に負わせていますが、当事者に「ないこと」の証明責任を負わせることは基本的な誤りです。また、医師の知識やスキルを見下した考えが背後にある点にも気に掛かります。

   なお、「詐病ではないこと」の証明を求めているのではなく、「その疾患が本当に生じていること」の証明を求めているとの反論もありそうですが、医師が診断した疾患について「患者が偽装した可能性や医師がこれに協力した可能性が存在するので、それを否定しなさい。」との証明を求めることは、具体的な事実の証明を求めるものではなく、「ないこと」の証明を求めるものであることは明らかでしょう。

   

 ⅲ 判決は、自賠責3要件を引用して、「関節可動域制限が続いたならば骨萎縮を生じているはずだ。」との趣旨を述べているので、加害者側の典型的な主張に惑わされ、被害者の詐病を疑ったようにも見えます。

   上記のとおり関節拘縮は患部の組織の癒着や収縮性の喪失により生じるものであり、骨萎縮とは関係しません。両者の相関性についての医学的統計などはもちろん存在しません。関節拘縮が骨萎縮を必然とするという理屈は、「コーラを飲めば骨が溶ける」という類の理屈と同じです。

これまで検討した裁判例でも関節拘縮が重度に生じていた患者でも骨萎縮が重度に生じていた方はほんのわずかな例外でした。なお、加害者側の医学意見書では主治医の確認した骨萎縮を「ない」、「ごく軽度」とすることが定番になっています。

私の経験でも関節がガチガチに固まった状況が数年間続いていた方で骨萎縮がない(もしくは軽度)とされた方がいましたが、全身麻酔下の可動域検査で関節がガチガチに固まっていた状況を確認できたので、可動域制限が重度であることは重度の骨萎縮を必然としないことは私の経験の上でも確認されています。

   しかし、両者が無関係であるからこそ加害者側は「それだけ腕が動かせないのならば骨萎縮は重度に生じているはずなのに、骨萎縮がない(または軽度)であるのは極めておかしい。」、「これは医学的にはありえない出来事である。私の長年の経験からは到底考えられない特異な出来事である。」、「患者をビデオカメラつきの部屋に入院させて長期間監視するべきだ。」などとして詐病を主張する医学意見書を提出することが恒例行事となっています。

   本件のように上肢全体が拘縮していく典型的なCRPSの症例で関節拘縮を認めないのは異常としか思えないのですが、骨萎縮についての加害者側の恒例の主張(及びこれを裏付ける医学意見書)に騙された判決は、本件以外でも多く見かけます。

   そのような判決のほとんどは、骨萎縮はCRPSに必須の要件ではないことを理解しているのですが、「関節拘縮がある場合には骨萎縮が生じる」、「関節拘縮が重度である場合には骨萎縮は重度に生じる」との関連性を用いて特別の要件を導入する論理(特別基準論)にまんまと騙されています。特別基準論とは一般の基準(公的な基準)では認められない特別な要件を、特別な事情があるとして滑り込ませようとする論法です。特別基準論を認めると一般基準の意味がなくなり、一般基準で肯定された結果がそれを否定するためだけの非公式な基準で否定されるという矛盾が生じます。しかし、特別基準論をそれらしい理屈で持ちかけられると騙され易くなるようです。

6 放置認定

 ⅰ この判決を読んでいて最も疑問に感じたのは、「では判決はこの被害者をいったいいかなる傷病であると判断したのであろうか。」ということです。この判決は、「とにかくCRPSではない。あとのことは知らない。」との理屈を述べています。この判決は結論に都合の良い部分のみに着目して、これに整合する理屈を述べていますが、これは確証バイアスの特徴的な出方です。

本来であれば自分の考えに不都合な部分はないかという視点で反証をつぶしていくことにより心証を固めていくべきですが、この判決ではその逆を行っています。自分の選択しようとする結論に都合の良い事実や解釈のみに着目するバイアスに陥っています。その結果、判決の結論では説明できない不都合な部分が放置されたままになっています。不都合な結果が放置されたことは審理不尽になります。

 ⅱ この被害者は、判決の否定した左上肢の拘縮のほかに、皮膚の変色や皮膚色の変化や皮膚の冷感、発汗の異常などの症状も出ていますが、それをいかなる傷病で説明できるのか、判決では触れられていません。鑑別診断の視点がないままCRPSを否定したため、これを説明する疾患がありません。

   判決は自由心証のなかに証明責任を取り込む誤謬に陥っていて、「この被害者をCRPSであるとする確実な証拠があるのか。」との視点で検討しているようにも見えます。

本来であれば自由心証では「この被害者にはいかなる傷病が残存しているのか。」との視点で検討し、現実に存在する症状を説明できない結論に至ることはありえないはずです。本件では「CRPS以外にこの症状を説明できるものは存在しない。」ことは特に問題なく、容易に判断できると思います。

   しかし、証明責任を自由心証に取り込んでしまうと、自由心証のレベルで「~とする確実な証拠はあるか」との誤った検討をしてしまいます。例えば本件では、「この被害者をCRPSであるとする確実な証拠はない。したがって、この被害者はCRPSではない。一方でこの被害者はほかの傷病を主張していない。よって、病名を認定する必要はない。その先は関知しない。」との流れになります。

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   普通の事実認定では、自由心証による検討で「最も可能性が高い」と判断した結論を認定できるように苦心します。ところが、「最も可能性の高いのはA(その次はBでその次はC)であるけれども、証明責任を果たしたといえるほどの証拠はない(明らかではない)ので、Aの否定であるTにする。」との論理を用いているように見える判決をしばしば見かけます。証明責任を誤って自由心証に取り込んでしまい、それがバイアスとなり適切な事実認定を妨げているように見えます。

   かりにCRPSの症状が少ない事案であっても、「ほかの傷病により説明できるか」(鑑別診断)との思考から、「ほかにこの症状を説明できる傷病は見当たらない。」となれば、「CRPSである」との判断に至るはずです。

 ⅲ 以上に対して判決は、「この被害者をCRPSであるとする確実な証拠があるのか。」との視点から、検討対象の症状が「明らか」であることが必要とし、さらに臨床用の指標だけではなく研究用の指標も満たす必要があるとのニュアンスを述べ、さらに自賠責の3要件(もちろんこれは診断基準ではありません)を診断基準として扱いっています。

   加えて、関節拘縮があるとするためには骨萎縮が必要であるとの要件まで付加して、関節拘縮あるかどうかの検討でも「~と認めるに足りる確実な証拠はあるか」との視点から検討しています。これらの誤りの原因が、自由心証に証明責任を取り込む誤りにあることは明らかでしょう。

   事実認定が証明責任とは無関係であることは民事訴訟法の基本中の基本であり、事実認定は全ての証拠を検討対象にして合理的な検討をして結論を決めることによりなされます。事実認定は自由心証によってのみなされます。

自由心証により事実を決めることができない事態が生じた場合には、まず釈明を求めるなどして当事者にさらなる立証を促します。それでも事実を認定できない場合(真偽不明の場合)には、その結果として法規を適用できなくなりますが、この場合に適用する法規を決めるのが証明責任であり、証明責任によって適用すべき法規が決められますが事実が認定されるわけではありません。証明責任は事実を認定するものではなく、事実が認定できなかった場合に(自由心証が尽きたとこで)初めて機能を開始して、結論(法規の適用)を決めるものです。

たしかに証明責任を用いた場合には法規が適用されずに不利益をこうむる側が生じますが、その反射的な効果が事実認定であるとすることは誤りと言うほかありません。事実が認定できなかったからこそ証明責任が用いられたのに、その結果として事実が認定できたとすると矛盾が生じます。ましてや自由心証にその反射的効果をあらかじめ取り込んで、「~とする確実な証拠はあるか」との視点で検討して、一方に不利益な視点を導入することは誤りです。

   証明責任を用いた場合に不利益をこうむる側にあらかじめ「確実な証明をする義務」を課すことは誤りです。その結果、証拠からは「明らかではない」として真偽不明になったとすることも誤りです(自由心証では最も可能性の高い事実を探求する作業が行われるべきです。)。さらにその結果、証明責任を用いて不利益に扱うこと(二重の不利益)も誤りです。

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 ⅳ 被害者の主張を否定した判決の結論は、その症状が詐病であった(及び医師もそれに迎合ないし協力した)とするものですが、この種の結論で不可解に思うのは、「そんなに熱心に詐病を行う人が居るであろうか。」ということです。

事故前には何の問題もなかった一般人が事故をきっかけに特殊な知識と技能を備えた人柄に豹変し、5年にも及ぶ長期間にわたり多数の病院で虚偽の症状を訴え、職場や家庭でも虚偽の傷病を訴え続け、訴訟でもこれを主張するという人柄に豹変した。これが判決の認定した事実からは不可避となる帰結です。この帰結を回避できない認定を判決はしています。

これは特殊な前提につじつまを合わせるために必要とされる「超人」を登場させる論法ですが、このような「超人」を持ち出してつじつまを合わせなければならなくなったのは、その前提が誤っているからであると思わなかったのでしょうか。

   背理法的考察をしていれば、このような誤りに至ることはなかったと思います。背理法はアリバイ認定でも用いられる基本的な論理で、事実認定でも不可欠の論理です。