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事実認定

2015年7月12日 (日)

むち打ち損傷の16日後に容態急変(43.11.15)

1 名古屋地裁昭和43年11月15日判決

  名古屋高裁昭和48年11月30日判決(交民6巻6号1742頁)

 

  かなり古い裁判例です。要約すると、むち打ち損傷の2日後から入院して16日後に容態が急変して22日後に死亡した事案について、高裁での3件の鑑定を経て因果関係が否定された事案です。

  この事案の特徴は、①2年後のルンバール事件最高裁判決(昭和50年10月24日)に通じる因果関係判断の枠組みが述べられていること、②むち打ち損傷についての昔の考えと今の考えの違いが出ていることなどです。

2 事故状況

ⅰ 被害者は事故時28歳の男子。大手建設会社に入社して9年を経た中堅技術者で、事故前の健康状態には全く問題がありません。昭和42年9月21日午前11時30分頃に小型乗用自動車を運転して左折のために先行車に続いて停止していたところを、小型貨物自動車に時速40キロほどの速度で追突され、先行車にも衝突するという事故に遭います。

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 ⅱ 時速40キロでの追突はかなり強い衝撃が生じます。現在の考えでは、脳や脊髄に損傷を与えるなどして人を死亡させる可能性を有することに争いはないと思います。事故のあった昭和42年の時点ではヘッドレストは旧式でより大きな被害が出やすい状況です。

   ところが、高裁判決は、時速40キロを前提に「脳ないし脊髄に浮腫を発生させるほど強力なものであったかどうかについては証拠上必ずしも明らかではなく」(1752頁)と述べて、追突による衝撃を重く見ていません。高裁判決はこの考えが背景にあります。

ⅲ 上記の「脳ないし脊髄に浮腫を発生させるほどの衝撃と言えるか」という視点にはそれ自体に問題があります。これは現在の裁判例にもしばしば見られる誤りです。

事故態様としては、現に生じた傷害が生じる「可能性」があれば足ります。その結果を生じさせる「可能性」がある事故態様で、現にその結果が生じたのであれば、原因としてそれ以上のものを求めることは誤りです。

たとえば同種事故(本件で言えば時速40kmでの追突事故)が1000件起きたと想定した場合に、1~2件で同種の結果が生じると考えることができればそれで十分です。まさにその事案こそが裁判で争われる事件であると言えます。膨大な数の交通事故のうち重大な結果に至ったものだけが訴訟に至ります。この「裁判に至る過程で事故が選別されている」という視点はごく基本的なものです。

3 症状の経過

  ポイントは事故16日後に症状が急激に悪化して22日後に死亡したことについて、事故との因果関係が認められるかどうかです。以下では、この点を考慮して症状の経過を述べます。

事故当日…E病院。通院。頭部挫傷、頚部鞭打損傷とされる。

事故翌日…食物等を飲み込む際にのどの痛みを覚え、医師の指示により2日後から入院することとなる。

2日後…E病院。入院。カラーによる頚部固定を行なう。入院中は食欲もあり、体温も平常であった。

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(評)嚥下障害は脳血管障害を疑うことができる有力な事情です。その他の訴えは不明ですが、むち打ち損傷では事故の翌日以降に頚部・頭部の痛みが強くなる事案が多く見られるので、頭部・頚部の痛みが事故直後より強くなったことが入院の事情として推測できます。

 5~6日後…風邪気味の症状を呈する。

 11~12日後…風邪気味の症状を呈する。

 12日後…医師の許可を得て入浴した際に脳貧血で倒れたため、退院を見合わせる。

  (評)12日後の入浴が入院後の最初のものであるのかは不明です。症状が安定してきたことから医師の許可を得て事故後初めて入浴をしたようにも読めます。

 16日後…悪寒、発熱(39.4度)、関節痛、頭痛、全身発疹が生じるも解熱剤により回復した。

 17日後…発熱、関節痛、嘔気、食欲不振、全身倦怠感の症状が現れ、抗生物質が投与された。

 18日後…胸内苦悶、呼吸困難の訴えがある。

 19日後…意識不明となる。

 20日後…意識回復するが、午後に起き上がろうとしてけいれん発作を起こし、全身じんましんとなり、呼吸停止が頻繁になり、けいれん発作、呼吸停止を繰り返した。

      造影剤によるレントゲン検査では脳の左半分には血腫はみられなかったが、右半分は造影剤が入らず(脳圧が高くなっている可能性が考えられた)、検査はできなかった。

 21日後…四肢冷感、チアノーゼを呈した。

 22日後…死亡した。

4 解剖所見

  脳軟膜に充血と浮腫、脳実質に充血と浮腫、頚髄下部にある程度の充血と浮腫、脳軟膜に軽い炎症性の細胞侵潤のほか各所に小出血が認められ、頚髄の出血・癒着は認められなかった。脳の浮腫は脳幹だけではなく、脳全体に軽度のものが認められた。

  一方で、頭蓋内出血や脳内出血は見られず、くも膜下出血や硬膜下出血は否定される状況であったようです。なお、MRIが普及する以前の事件ですので、MRI検査は行なわれていません。

5 3件の鑑定

 ⅰ 地裁では鑑定が行なわれず、高裁で3件の鑑定が行なわれ、地裁判決の約5年後に高裁判決が出ています。まず事故と死亡の因果関係を認めるA鑑定が提出され、これを否定するB鑑定が提出されるも内容に難があったため、C鑑定が提出されたようです。

   3件の鑑定は全く異なる内容です。専門家が誠実に鑑定を行なえば大筋で似通った意見になり、細部での意見の不一致に集約されることが通常であると思います。しかし、交通事故訴訟では、医学意見が相互に天と地ほどの異なることが多く見られます。本件でもこれが確認できます。

 ⅱ A鑑定

   A鑑定は事故による脳や脊髄の損傷に起因して被害者が死亡したとします。事故が原因とすることは、事実の経過や解剖所見からは最も素直な考えであると思います。

   16日後に急激な症状の悪化が生じたことについては、事故により直接脳や脊髄に浮腫が生じたのではなく、まず事故により浮腫ができやすい状態が生じて、二次的に浮腫ができたとします。容態急変後の呼吸困難、高熱は脳幹部に浮腫が生じた結果として説明できるとします。頭蓋内出血や脳内出血が見られないことから晩発性の脳卒中ではないとしつつも、晩発性の脊髄損傷の可能性は考えられるとします。

脳が損傷を受けるなどしてその部分が壊死すると液化して浮腫が生じます。A鑑定はこの経緯により二次的に浮腫が生じ、脳圧が上昇するなどして死亡したとの意見です。但し、事故により脳が直接損傷を受けたのではなく、脳周辺の器官や脊髄が損傷を受け、それにより脳への血液供給が減少するなどして脳全体や脊髄に浮腫ができたとするようです。

   A鑑定の難点は、事故により脳にどのような損傷が生じて、いかなるメカニズムで脳に浮腫が生じたのかが不明であることです。

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 ⅲ B鑑定

   B鑑定は事故とは全く無関係の何らかの呼吸器系統の感染性胸部疾患により死亡したとします。容態急変前の風邪気味の症状や容態急変後の発熱、関節痛、頭痛、全身発疹、吐き気、全身倦怠感等は感染性疾患で説明できるとします。

   解剖所見は、呼吸停止が長く続いたことにより、脳に酸素欠乏が起こったために二次的に生じたものと推測できるとし、脳の浮腫が全体に及んでいることは、この考えを裏付けるとします。

   B鑑定の難点は、①具体的な疾患名(原因)が不明であること、②咳(せき)、鼻水、鼻炎などの症状は確認できないこと、③28歳の男性が事故とは全く無関係にこのような急激な症状を呈する疾患に感染したとは考えにくいこと、④入院中の病院内で被害者のみがその疾患に感染したとすることには疑問があること、⑤脳の右半分に造影剤が入らなかったことから右側に損傷部位が存在したと推測できること、⑥脳幹部の損傷(障害)から呼吸困難が生じたとすることが自然であること、⑦胸部感染疾患では脳全体の浮腫を説明することが困難であることなどが挙げられます。この難点ゆえにC鑑定が作成されたようです。

 ⅳ ウイルス性急性脳症について

   感染性胸部疾患とするB鑑定とは異なり、ウイルス性急性脳症と考えると、事故後の風邪気味の症状、容態急変後の感染症類似の症状および脳全体の浮腫などの解剖所見をA鑑定よりもすっきりと説明できます。B鑑定では浮腫が脳全体に及んだことの説明が困難です。B鑑定がこの疾患に言及しなかったことは少し奇異な感じもします。

   ウイルス性急性脳症ではウイルスに感染した人のごく一部にしか発症しないので、被害者のみが発症したことも説明できます。通常、髄液からはウイルスは検出されないので、この点も矛盾とはなりません。

なお、ここで「非常にまれな症例であるとしても死に至れば訴訟で争われることは必然である。従って、裁判所にそのような症例が集まることは必然である。」との理屈を持ち出すことには難点があります。本件では死亡に至るルートが絞られておらず、ウイルス性急性脳症は死亡に至る多数の説明の1つに過ぎません。

   本件ではウイルス性急性脳症とする決め手はありません。また、まれな疾患を想定すればほぼ全ての症状経過を説明できますが、それは場当たり的な説明に過ぎないとも言えます。事故直後に感染したとすることは場当たり的な説明の最たるものです。

   そこで事故という現実に生じた事実を基点に据えて、本件事故によりウイルスが血液脳関門を通過しやすい状況が生じ、事故により軽度の損傷を受けた脳や脊髄のダメージを大きくし、それがウイルス性急性脳症の発症につながったとする説明も考えられます。これで訴訟に現れた事情を過不足なく説明できます。なお、この場合には事故が原因であるとの結論になります。

   但し、この説明も場当たり的な要素が残ります。まず、ウイルス性急性脳症に感染しやすい状況とは何かが不明です。事故により脳や脊髄に何らかの損傷が生じたのであれば、ウイルス性急性脳症というまれな疾患を介することなく、その損傷の拡大として考える方が説明としてすっきりします。結局のところ事故を原因とした死亡であり、その経過のなかにウイルスが作用している可能性を指摘したに過ぎません。この意味でもA鑑定の方が適切であると思います。

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 ⅴ C鑑定

   C鑑定は、事故と無関係な何らかの原因により脳に血液不足が生じて、浮腫が発生し、脳機能障害により意識障害や中枢性呼吸障害を招来し、脳死に近い状態が生じて死亡したとします。

   一方で、受傷から16日後の急激な症状悪化を理由に事故との因果関係を否定します。即ち、①浮腫は通常24時間ないし48時間で最高となり、その後は徐々に消退するものであるから、受傷急性期に何らの症状も認められないような軽い浮腫が長期にわたって持続し、あるいは次第に助長されて16日後の時点で突然にしかも重篤症状を持って顕在化することは考えにくいとします。

   また、②脳および脊髄に挫傷や受傷時に生じたと思われる出血等が認められないから、浮腫の発生につき外力の影響は軽微であったとします。また、③外力自体も極めて軽微であったとします。さらに、④容態急変後の諸症状を脳幹部の局所障害として説明することは困難であるとします。

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 ⅵ C鑑定の難点

   C鑑定の最大の難点は、死亡の具体的な原因が全く不明であること(とにかく事故とは無関係と述べているにすぎないこと)にあります。本件では入院中に新たに怪我をしたとは考えられず事故以外の原因は見当たりません。

   また、上記③の事故の外力が極めて軽微とすることは無理があります。そもそも医師が言及するべき内容でもありません。

   上記①のように事故後症状が出るまでの期間を限定する理屈は、現在では加害者側から述べられる医学意見の定番です。しかし、頭部外傷の事案では受傷の2日後以降に症状が出現することが少なくないことは、一般常識に属することであると思います。受傷から1~2か月経過して症状が出ることもあるため事実に反します。

C鑑定のその他の理屈についても、脳の損傷は必ずしも出血を伴うものではないこと、初期症状として事故翌日に嚥下障害が出ていたこと、浮腫の生じる原因によっては晩発性の症状もありうること、脳や脊髄の出血が少なかったことはむしろ長期間経過後に症状が顕在化したことを説明する事情となること等の難点があります。

6 高度の蓋然性

 ⅰ 高裁判決は、「こんにちにおける医学の進歩にもかかわらず医学的に解明し尽くされていない現象があり得る以上、相当因果関係があるというためにすべての場合に医学的に原因が明らかにされなければならないというものではないが、原因と結果との間には単なる可能性に止まらず高度の蓋然性が必要である」とします。この部分はのちのルンバール事件最高裁判決(昭和50年)の「高度の蓋然性」と同趣旨です。

 ⅱ 「高度の蓋然性」とは、簡単に言えば「高い可能性」です。世の中の出来事のメカニズムを解析し尽くすことは不可能ですので、全体的な観察から原因と目される事情が結果を生じさせた可能性の度合いを検討する必要性があります。その可能性が高いと言える場合には「高度の蓋然性」があると言えます。

   ルンバール事件では、ルンバールの投与が被害児の症状の悪化に影響したかどうかの医学的なメカニズムは不明でしたが、投与の直後に容態が急変したことや、それまで症状が安定していたことなどを理由に、メカニズムは不明でも全体的に見て「ルンバールの投与が症状の悪化に影響した可能性が高い」との趣旨で「高度の蓋然性」という言葉を用いています。

   ただし、この説明では不十分で、最高裁判決は次の「他原因考慮」を含めて「高度の蓋然性」の有無を検討しています。

7 他原因考慮

 ⅰ 高裁判決はA鑑定を正しいと見る余地がないではないが、「B鑑定あるいはC鑑定の指摘する他の原因があった可能性もいまだ捨てきれないものであるから」として、事故と被害者の死亡との因果関係を「肯認するべき高度の蓋然性があることについては証明がなかったことに帰する」と述べます。即ち、高裁判決は他の原因の考慮として、「他の原因があった可能性も捨てきれない」とのレベルでA鑑定を否定しました。

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 ⅱ ルンバール事件最高裁判決は、①全体的にみて原因と目される行為が結果を生じさせたことを推測させる事情がある、②他に原因として考えられるものが見当たらない(他原因考慮)の2つの要件を合わせて、因果関係を肯定できる「高度の蓋然性」に達すると判断しています。

B型肝炎事件の最高裁判決(平成18年6月16日)など、その後の最高裁判決もこの枠組みを用いています。

   即ち、因果関係について一応の推定が成り立つ程度の証明が被害者側によってなされ、これに対して加害者側が相当程度に可能性のある「他原因」を挙げることができなければ、因果関係を肯定するべきであるとするのが最高裁判例の準則であるといえます。

ⅲ 本件の高裁判決も基本的な枠組みは同じです。しかし、②の他原因考慮の部分で一般的・抽象的な「他原因」の存在可能性を理由に因果関係を否定したことは、現在の判例理論とは合いません。

   最高裁平成11年3月23日判決(判時1677号54頁)は、一般的抽象的な「他原因」の存在可能性で因果関係を否定することは誤りであるとの趣旨を述べます。

   平成18年のB型肝炎事件最高裁判決は、「本件集団予防接種等のほかには感染の原因となる可能性の高い具体的な事実の存在はうかがわれず、他の原因による感染の可能性は、一般的、抽象的なものに過ぎないこと等を総合すると」と述べて因果関係を認めました。

 

 ⅳ 本件では事実経過から事故と死亡との間に因果関係の一応の推定が成り立ち、B鑑定とC鑑定は具体的な他原因を挙げていないため、因果関係は肯定できます。この結論は一般人の多数の見方にも沿うものである思います。

   私も事故後の経緯からは事故により軽度の脳損傷が生じて、時間の経過により損傷部位が壊死して浮腫となり、これに何らかの要素が加わり、脳圧を徐々に上昇させ、16日後の容態の急変につながったとすることが最も合理的であると思います。他に相当程度の可能性が肯定できる具体的な原因は見当たりません。

8 結論の妥当性

 ⅰ 以上から私は現在の判例理論ではA鑑定が採用されると考えます。A鑑定の利点は、①交通事故によるむち打ち損傷という具体的な原因が存在すること、②入院中に死亡の結果を招くような他原因が介在した可能性はかなり低いこと、③解剖所見と矛盾しないことにあります。

   一般人のものの見方からすれば、むち打ち損傷の2、3週間後になって急に症状が出ること(手や足のしびれ、脳の障害など)は、しばしば起きることです。また、原因として他のものが見当たらないので、交通事故が最も可能性の高い原因と考えられます。

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 ⅱ A鑑定の難点は事故から16日後になって急激に症状が悪化したメカニズムについて具体的に説明できない点にあります。従って、この期間に他の原因が介在した「可能性」を否定し尽すことは原理的に不可能です。

   この視点からB鑑定を見ると、高熱、呼吸困難、発疹、全員倦怠感などの症状は感染症であると考える一応の理由があるので、B鑑定が正しいの「可能性」は捨て切れません。同様にC鑑定を見ると、本件事故から16日後の容体悪化までの間に何らかの事情(受傷)が介在した「可能性」も捨て切れません。この種の可能性を否定することはおおよそ不可能です。それゆえにこの種の可能性を過大に見ることは誤りとなります。

   従って、結論の妥当性から見てもA鑑定が正しいとすることに問題はないと思います。

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9 最初が最大論(悪化否定論)

 ⅰ 以上に対して、「事故による症状であるならば、事故直後の時期に最大の症状が出るはずであって、事故から2~3週間経過した後に症状が悪化することはありえない。」との考えに基づいた裁判例がしばしば見られます。この考えは、加害者側から出される恒例の主張に影響されたものです。

   この考えを信じている方は、「事故後に症状が送れて現れるとしても2~3日後までが限度であり、それ以上後に症状が出てきた場合には因果関係は認められない」との思考に陥ります。むち打ち損傷の著書には1週間後に症状が出ることに言及しているものがいくつかあり、この考えは事実に反します。

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 ⅱ 事故から一定期間経過した後に新たな症状が出たり、症状が重くなったりした場合において、加害者側は以下の主張をすることがよく見られます。「事故による症状は事故直後に最大の症状が出てその後は治療により改善することが普通であり、事故後に一定期間経過してから新たな症状が出たり、症状が重くなったりすることはあり得ない。」との主張です。これは「最初が最大論」ないし「悪化否定論」というべき恒例の主張です。

 ⅲ これは事故後に新たな症状が出たり、症状が悪化したりした事案のほぼ全てで加害者側が医学意見書などで主張してくる特殊な主張です。もちろん、誤りです。

   これまで解説した裁判例の中にも事故から2週間以上経過してから新たな症状が出てきた事案は少なくありません。むち打ち症に関する書籍の多くは事故後に症状が出てくる事案があることに言及しています。

   新聞などでも例えば柔道の授業で頭を打ったが、何も症状が出ていないのでそのまま続けるなどしたところ、数時間~数日後に急に倒れて重症になった(死亡した)との内容のニュースはたまに目にします。頭部の怪我の場合には事故から1~2か月してから症状が出てくる場合もあることは一般人の多くが知っていることでしょう。このような立場からは、本件で因果関係を肯定するのはごく当たり前のことです。事故後に入院していた本件では、事故以外の原因が作用した可能性はかなり低くなります。

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10 「高次脳機能障害」は疾患の名称ではない

 ⅰ ところが、自賠責では高次脳機能障害の要件として、事故直後からの意識障害を必須としているため、脳の障害の事例の場合には、事故直後に必ず症状が出るはずであるとの誤解に陥りやすい面があります。

   結論から言えば、高次脳機能障害で事故直後の意識障害を必須としたのは誤りというほかありません。この要件のために現実に症状の生じた方の9割以上が除外されていると思います。違うというのであれば、統計などのデータを見せて欲しいと思います。

RSDの3要件や高次脳機能障害の3要件については、現実に症状のある人のうちどれくらいの人がこの要件を満たすのかの統計があえて作られていないようにも見えます。公的な要件がその検証を受けることもなく、使用され続けることはあってはならないことです。CRPS(RSD)患者であっても自賠責でRSDの3要件を満たすとされる人は1%以下であろうということは、これまでも繰り返し述べてきました。

 ⅱ なお、高次脳機能障害という疾患が存在すると誤解している人が少なくないようですが、「高次脳機能障害」は疾患の名称ではなく、労災や自賠責での保護区分の名称です。障害者総合支援法や介護保険法では「高次脳機能障害」とは異なる保護区分が設定されています。

   行政施策ごとに設定される保護区分のうち、労災や自賠責では「高次脳機能障害」という名称の保護区分が設定され、保護されるための要件が「診断基準」の名称で作られました。

紛らわしいので、「保護区分D」、「保護区分Dに該当するための要件」との名称にした方が良いと思います。誤解を誘引するために紛らわしい名称を用いているようにも見えます。細かいことですが、労災と自賠責では保護区分に該当するための要件が異なります。自賠責の方が格段に厳しくなっています。

   従って、症状のある人のうちごく一部しかこの要件を満たさないことは制度それ自体が当然の前提としています。自賠責では要件が厳しすぎる点に大きな問題があります。私は、後遺障害等級を付されるべき症状の出ている人のうち1%以下しかこの要件を満たさないのではないかと危惧しています。

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 ⅲ 国際疾患分類には「高次脳機能障害」という名称の疾患は存在しないので、そのような疾患が存在しないことは争う余地がありません。しかし、上記の行政上の保護区分に影響されて、医学的な概念としての「高次脳機能障害」が生まれ、その概念が曖昧なまま運用されて、現実の症状やMRIの結果などを場当たり的に判断して、「高次脳機能障害」との診断が下されているため、混乱しやすい面があります。

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11 事実認定の空洞化

 ⅰ 本件の高裁判決は結論の妥当性の価値判断としても、A鑑定をそれ程重視していません。私は、現在においても本件の高裁判決と同様の価値判断に至る裁判官は少なくないと思います。

また、ルンバール事件等の最高裁判決の準則を前提として本件を検討した場合においても「高度の蓋然性」を認めない裁判官は少なくないと思います。この考えには法的に見ていくつかの誤りがあります。

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 ⅱ まず、「高度の蓋然性」を高く見すぎる誤りがあります。学説では「高度の蓋然性」は80%ほどの可能性と考えられています(例えば、和田『基礎から分かる民事訴訟法』276頁)。従って、「おそらく~であろう」との心証に至れば事実として認定することができます。これに対して、90%以上と誤解しているように見える裁判例をしばしば目にします。

   なお、学説の上では優越的蓋然性説が有力です。これは50%超説とも言われますが、実際には51%では足りず60%ほどとする趣旨と考えられています。須藤裁判官は60%対80%の対立図式で説明し、60%で良いとします(「民事裁判における原則的証明度としての相当程度の蓋然性」『民事手続の現代的使命』339頁)。私もこの考えに賛成です。

   いずれにしても、90%の可能性(蓋然性)を求めることは誤りで、80%を超える可能性があればその事実を認めることができることには争いがありません。

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 ⅲ 本件では、交通事故という現存する具体的な原因を挙げているA鑑定と、存在自体が確認されていない事情により結果が生じたとするB鑑定・C鑑定とでは、質的に大きく異なります。この状況において、交通事故が原因である可能性が80%を下回ることはないと思います。B鑑定やC鑑定は一般的・抽象的な他原因の存在可能性を述べたに過ぎません。

   本件の高裁判決が「B鑑定あるいはC鑑定の指摘する他の原因があったという可能性もいまだに捨てきれない」と述べていることからは、求める証明の度合いを高く設定しすぎる誤りに陥っていると考えられます。

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 ⅳ もう1つの誤りは、実質的な心証を形成しない誤りです。事実認定では、「何が起きたのか」との視点で、「生じた可能性が最も高い事実は何か」を探求する必要があります。即ち、事実認定のレベルでは獲得した心証をありのままに述べ、その後にその内容が事実として認定できるほどの証明の度合いを兼ね備えているかを検討する必要があります。

これに対して、自由心証に証明責任を取り込む誤りに陥り、実質的な心証を形成する以前の段階で証明責任を考慮に入れて、「~であるとの証明ができたといえるほどの証拠があるか」とのハードル型思考に陥っている判決をしばしば目にします。この誤りに陥ると実質的心証が形成されず、「とにかく証明責任を満たしたとは言えない」との判断がなされ、心証の空洞化が生じます。

本件の高裁判決が、「何が起きたのか」や「生じた可能性が最も高い事実は何か」の心証を述べることなく、「因果関係を肯認すべき高度の蓋然性があることについては証明がなかったことに帰する」と述べて心証が空洞化していることは、この誤りを示すものであると思います。

この2つの誤りはほとんどの場合セットになっています。この誤りは現在の裁判例にもしばしば見られるものであり、古くて新しい問題であると思います。

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12 むちうち損傷の概念

ⅰ 昭和40年代のこの時期の裁判例や文献では、「むち打ち損傷」の概念が今と異なります。頚部の過伸展や屈曲が生じる態様の交通事故は広く「むち打ち損傷」とされ、「むち打ち損傷」から生じる結果も軽度の症状から重症事案、死亡事案まで様々なものが含まれています。

  つまり、「むち打ち損傷→結果」との単純な図式で、「結果」には多種多様なものが含められています。本件も「むち打ち損傷による死亡」との図式で扱われています。

ⅱ 現在は「むち打ち損傷」に代わり「外傷性頸部症候群」との病名が定着し、対象とする症状もこの病名に合わせて限定されるようになりました。現在は事故の外形が「むち打ち損傷」でも、のちに軽度外傷性脳損傷、低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)、胸郭出口症候群、CRPSなどの診断が下されると、「むち打ち損傷」は軽視されます。

  私は「むち打ち損傷」を軽視することは良くないと思います。とくに因果関係判断においては、「むち打ち損傷→結果」との単純な図式の方が、本質を捉えていると思います。

即ち、事故の態様(原因)と症状(結果)に着目して、「その症状はむち打ち損傷から生じることがある類のものである」、「他の原因は見当たらない」との方式でシンプルに判断することが正しいと思います。

 ⅲ これに対して、加害者側は証明妨害のために色々な立証命題を被害者側に押し付けてくることが通常です。

例えば、CRPSの事案では、①「事故はCRPSを発症させるほどのものであるか」、②「事故後早期にCRPSを発症したといえるか」、③「被害者の症状はCRPSに由来するものと言えるか」との立証命題を次々と被害者側に押し付けてきます。

   これらを取り入れてしまうと「(A)CRPSを発症させるほどの事故→(B)事故直後のCRPSの発症→(C)CRPSに由来する症状」を検討する誤りに向かいます。

上記(A)と上記(B)の誤りは上で述べたとおりです。上記(C)が誤りであることはこれまでも繰り返し述べてきました。しかし、この誤りに誘導されてしまった裁判例はしばしば目にします。症状に着目すれば、事故直後から症状が連続していることが明白であるにも関わらず、CRPSとの診断が正しいかどうかにより因果関係が決まるというのは奇妙なことです。

   なお、診断は症状を大前提としてその評価として下されるものであり、診断が正しくとも、誤っていたとしても、変更されたとしても、その元となる症状は変わりません。従って、「病名→症状」の流れはその部分だけで誤りと断定できます。

ⅳ この理屈による弊害が最も強く出ているのは、脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)の事案です。交通事故後にこの病名が診断された膨大な数の事例(裁判例)が存在することは、交通事故(とくにむち打ち損傷)により、この病名に対応する一定範囲内の症状が生じることを裏付けます。

   ところが、裁判例では診断が正しいかどうかの無益な議論に終始して、その議論の帰結により症状の有無や程度を決める誤りに陥っているものが多く見られます。

2015年2月21日 (土)

自賠7級の右上下肢CRPS(26.4.22)

1 横浜地裁平成26年4月22日判決(自保ジャーナル19251頁)

  この事案の特徴は、①自賠責で7級4号と重い後遺障害認定がされていること、②ドラッグチャレンジテストでケタミン、ビスホスホネート製剤などが用いられていること、③にもかかわらず主治医がギボンズの基準も使用していること、④判決が骨萎縮や筋萎縮について誤解していること、などです。

2 症状の経過

 被害者は症状固定時46歳男子会社員です。平成18年11月24日に有料道路の料金所手前で停止中に追突されました。

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事故当日…C病院。頚部痛を訴えた。翌日には頚部の伸展痛、僧帽筋の圧痛を訴え、頚椎捻挫と診断された。3か月弱通院した。

1か月後…J整形外科。リハビリのために1か月通院。頚部の伸展痛、右手のしびれ等を訴えリハビリを受けた。

2か月半後…D病院。2回だけ通院。頚部痛。右前腕尺側(小指側)のしびれ等を訴え、頚椎捻挫と診断された。

(評)この時期にいくつかの病院に通院していることからは、早期から強い症状が出ていたと考えられます。

2か月後…E大学病院・整形外科。頚部痛、右手の脱力感、右下肢前面のしびれを訴えてE大学病院への通院を開始した。2か月半後にサーモグラフィーで右肘、右手は左側に比べて低温とされた。

4か月後…E大学病院・整形外科。尺骨及び腓骨の筋電図の筋電図は正常であったが、右手首から先が動かなくなった、右腕が挙がらなくなった、右握力が0である、右頚部から上肢にかけてRSD様の症状があると診断された。以後麻酔科にも通院した。

4か月後…K整形外科病院。1か月弱通院。頚椎捻挫、CRPS疑いとの診断名のもとリハビリを受けた。

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(評)この時点で右上肢の症状がかなり重くなっています。右上肢全体に重い症状が出ています。

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4か月半後…右下肢の痛みを訴えるようになった。

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(評)上肢のCRPSが重症化した事案では多くの場合に下肢にも何らかの症状が出ており、下肢の症状がのちに重症化する事案も少なくありません。

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5か月後…E大学病院・麻酔科。ギボンズのRSD診断基準に照らし①アロディニア、②灼熱痛、③浮腫、④発汗の異常、⑤皮膚の変化が陽性とされ、⑥皮膚の色調または体毛の変化が擬陽性、(時間によって赤黒くなる)として、「5.5+α点」(RSDの可能性が高い)とされ、1週間後にCRPS(Ⅰ型)と診断された。

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    (評)ギボンズの基準については、あとで述べます。

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5か月後…L整形外科病院。頚部痛、右肩痛、右上肢しびれ、右下肢痛を訴え、リハビリを受けた。

     1年7か月後に右上肢を固定する装具を用いるようになり、1年8か月後の時点では杖を使って続けて2、3分ほど歩行できる状況であった。2年4か月後に手動の車椅子を使用するようになり、2年8か月後に電動車イスを使用するようになった。

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半年後…E大学病院・麻酔科。12日間入院し、神経ブロック療法や薬物チャレンジテストが試みられるも、大きな効果はなかった。右手のみ発汗し、手指に触れるだけでも痛いと訴え、可動域訓練もできなかった。

      リハビリ科において、右前腕から右手指にかけて、皮膚紫紅色、発汗あり、筋萎縮なしとの所見が示され、7か月後には痛みが右腕の肘付近から頚部にまで広がった上、右手の発汗が著明となり、手首から先を動かせない状況になった。

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9か月後…E大学病院。11日間入院し、脊髄刺激装置トライアル及びケタミンテストが試みられたが、効果は乏しかった。その後も同病院に通院を続ける。

      2年3か月後に両下肢のサーモグラフィーにより、右下肢(膝下)の皮膚温が左下肢(膝下)に比べて低温とされた。

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1年1月後…F病院。CRPSの専門医を受診し、右上肢にアロディニア、発汗、筋萎縮が著明であり、右手指の可動域がわずかであるとの所見が示された。

      1年半後に病名が右上肢CRPS(RSD)、右上肢筋萎縮著明、指をわずかに動かせる程度、アロディニアと発汗著明であるとする診断書が作成された。但し、被害者が痛みを訴えたため、触診、可動域測定などはできなかった。

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1年2か月…G大学病院。両側手部の単純X線撮影が行なわれ、右手の脱灰が存在するとの所見が示された。ギボンズの基準で、①アロディニア、痛覚過敏、②灼熱痛、③皮膚の色調、体毛の変化、④発汗の変化、⑤X線上の脱灰像を陽性、⑥罹患肢の温度変化、⑦交換神経ブロックの効果を擬陽性として、RSDスコアを6点とした。

      1年5か月後に10日間入院し、ケタミン持続療法を受けるも効果はなかった。この時点では病院の玄関から診察室まで自力で歩くことが可能であった。また、骨シンチグラフィーでは両上肢に異常なしとされた。

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1年半後…G病院。症状固定とされた。傷病名は、CRPS(右上肢)、外傷性頚部症候群。右上肢につき、①灼熱痛、②アロディニア、③発赤、④チアノーゼ、⑤皮膚温低下(右32度、左33.5度)、⑥軽度の骨萎縮、⑦筋力低下及び筋萎縮(右上腕周径23cm、左上腕周径23cm)、⑧右肩、肘、手、指の関節はいずれも疼痛のために自動・他動ともにできないとの所見が示された。ギボンズスコアは5.5点とされた。

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1年半後…G病院に入院し、神経ブロック、薬物チャレンジテストを受け、フェントラミンにより背部痛の改善及び発汗の低下がわずかに認められた。

 

2年9か月後…G病院。右上下肢につき、灼熱痛、アロディニア、腫脹(弱)、蒼白、チアノーゼ、皮膚温低下(右手28.2度、左手36.7度、右足29.3度、左足35.9度)、発汗異常、軽度の骨萎縮が認められるとされ、CRPS(右上肢、右下肢)と診断され、新たに後遺障害診断書が作成された。

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3 ギボンズの基準について

ⅰ 10年ほど前の裁判例では、CRPSの診断基準としてギボンズの基準を用いているものが少なからず見られます。症状を点数化する点で厳密であるとの印象からでしょうか。

しかし、ギボンズの基準は個人の私的見解にすぎず、この基準を用いた場合の感度、特異度の統計すらなく、何らの検証も受けていない基準です。このため世界的には当初から全く利用されておらず、なぜか日本の一部の医師や麻酔科医のみが用いているとする医学書もあります。CRPSの日本版判定指標(08年)が制定された後はギボンズの基準を用いる医療機関はごくわずかになりました。本件は06年の事故であるため、ギボンズの基準が用いられたようです。

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 ⅱ 臨床の診断の現場では、「その症状を生じる疾患として何が考えられるか。」を検討し、対象となる病態を特定して治療するのに必要な限度で診断が下されます。病態がある程度特定できれば治療を行うことができるので、正式な診断がなされないまま治療が行なわれることもしばしばあります。

患者の症状についてCRPSが疑われ、CRPSにより一応の説明できる場合には、「CRPSではないとすれば他に可能性の高い候補があるか。」を検討します(鑑別診断)。他の疾患の可能性が排除されればCRPSと診断できます。鑑別対象の疾患を広げすぎるときりがないので、ある程度可能性が高いものに限定して鑑別診断を行ないます。

これに対して、CRPSが検討対象に挙がった後に、CRPSとする積極的根拠のみを探し続けることはナンセンスです。ところがギボンズの基準は積極的根拠をスコア化して積み上げるもので、鑑別診断の視点が欠けています。裁判例でも「その疾患の特徴をより多く備えている場合に、その疾患であると診断できる」とする類の致命的な誤りが非常に多く見られます。

診断は典型性の度合いの判断ではありません。この誤りに陥るとごく一部の重症化した典型症例以外はその疾患と診断できないことになります(ほとんどの疾患には必須の症状はなく、典型症例とされる症例の占める割合は大きくありません)。

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ⅲ 本件では上記の症状を生じる疾患として、CRPSの他に候補が見当たらないため、CRPSと診断することに問題はありません。早期から多くの症状が出ている典型症例であると思います。これに対して、訴訟では加害者側からCRPSとする積極的な根拠が足りないとの主張が出されることが通常ですが、論外です。

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4 「CRPSを発症した」との主張について

ⅰ 判決によると、被害者(原告)は「CRPSを発症したこと」や「CRPSに罹患したこと」を主張しています(4頁)。繰り返し述べてきましたが、被害者側はこのことを主張・立証する必要はありません。

   この主張は根本的な誤解に基づいています。即ち、①被害者はCRPSを発症した(CRPSに罹患した)、②よって被害者に「CRPSによる症状」が生じた、③ゆえに被害者の後遺障害は重い、との誤った理屈を前提にこの主張がなされています。

 繰り返し述べてきましたが、症状と診断との間に「診断が正しいので症状が存在する」という関係やその逆の関係はありません。症状の存在は常に大前提であって、診断の適否に関わらず症状は変わりません。荒っぽいたとえですが、死亡診断書の傷病名が間違いだからと言って、死亡していないことにはならないのと同じです。

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 ⅱ これに対して、「傷病のリストに載っていない無名の疾患は存在しない。よって病名が不明な場合には症状の存在は認められない。」との考えもありそうです。しかし、現に存在する症状について「病名不明」との理由でそれを否定できることにはなりません。これを認めることは、あたかも「死因が不明だから死んでいない。」とするようなものです。

なお、通常の診断の手順ではCRPSとの診断を誤りと主張する側が、その症状をより合理的に説明できる他の病名を提示する必要があります。この手順では「病名不明」という状況は生じません。むしろ、診断が否定された場合にこそ新たな病名で症状がより合理的に説明できるようになります。

裁判例では、CRPSで説明ができ(一応の説明ができれば十分です)、その診断を受けている被害者について、「あれが足りない、これが足りない」との指摘をしているものがありますが、論外です。

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 ⅲ 診断が出ている場合は上記のとおりですが、実際には主治医がなかなか診断を 出さないことが多く見られます。症状を説明する疾患を決められない場合には、これを不定愁訴(Medically Unexplained Symptoms:MUS)と言います。総合病院等で初期診療を受ける患者の10~33%が不定愁訴を訴えているとする報告もあります(『不定愁訴の診断と治療』3頁)。もちろん、病名による説明がないことを理由に、その症状が存在しないと考える医師はいません。

以上をまとめると、何らかの病名で説明できることは症状が存在するための条件ではなく、症状について診断が下された場合には、その診断を否定するためには症状をより合理的に説明できる代替案(病名)をあげる必要があります。

. ⅳ 本件では、被害者は事故後に症状が悪化し続けましたが、その症状に対する評価として、「これはCRPSである」とするものが診断です。これを「CRPSを発症した」と表現することもあります。症状に対する評価によって症状は変わりません。症状に対する評価(診断)から症状を決めることは循環論の誤りがあります。

CRPSの事案に限らず、脳脊髄液減少症や軽度外傷性脳損傷の事案でもこの誤りを基軸に据えてしまっている裁判例を少なからず見かけます(もちろん、この誤りを述べない裁判例も少なからず見かけます)。

5 自賠責の認定

 ⅰ 本件で特筆すべきことは、自賠責保険において12級を超える重い等級が認定されていることです。裁判例によれば、平成15年8月にRSDの3要件が制定された以降に後遺障害認定で12級を超える後遺障害等級が認定されたものは皆無に近い状況です。

 CRPS(RSD、カウザルギー)が問題となった裁判例は、平成17年1月から平成24年12月までの間に60件ほどありますが、そのほぼ全部が12級以下の後遺障害等級とされています。その中には、本件のように自賠責の等級認定とは天と地ほどの異なる重い後遺障害を被害者が主張している事案が多く見られます。

 RSDの3要件基準が制定される以前は、CRPS(RSD)と診断された患者について、自賠責で12級を超える等級(11級以上)が認定されたことが確認できる裁判例が多くありましたが、3要件基準の制定後にはほぼゼロになりました。

自賠責の運用に激変が生じています。その原因は現実のCRPS患者であってもその基準を満たすのは1%以下であろうと推断できる極めて不合理な基準(RSDの3要件基準)が制定されたことにあります。

ⅱ 平成17年以降の60件ほどの裁判例のうち、自賠責で「RSDとして」(この言い方は曖昧ですが、自賠責では診断の適否の検討やRSDであるかどうかの検討はしません。検討すると医師法違反の犯罪となります。3要件基準はあくまでもカウザルギーと同じ扱いをするための基準であり、重症度の指標ですらありません。ところが、実際には自賠責ではRSDであるかどうかを検討・判断したかのような曖昧な表現が用いられることが通常です。)12級を超える等級が認定されているものには以下のものがあります。

 東京地裁平成21年9月18日判決(自ジ1809号12頁)は右上肢のRSDが全身(四肢)波及した重症例(実質は3級以上に相当する)で9級が認定された事案です。しかし、この事案は治療と裁判が長期化した事案で、RSDの3要件基準が制定される前に後遺障害認定を受けたと考えられる事案です。この裁判例はすでに検討しました。

「全身に波及したRSDの否定」

http://s-hat.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-077e.html

 

大阪地裁平成22年6月21日判決(自ジ1841号14頁)は、早期に重篤な症状が生じて7か月後に右下肢に重度の後遺障害を残して症状固定となった事案(実質は3級ないし4級に相当する)でRSDとして9級10号に認定されています。

 つまり、裁判例の上では、主治医がいかに重い後遺障害を確認していても、RSDの3要件基準を用いて自賠責で12級よりも重い後遺障害等級が認定されたのは、1件しか見当たらないという異常事態が確認できます。

 ⅲ 本件は自賠責で12級を超える認定がなされたことを確認できる2件目の裁判例です。しかし、被害者が2級相当と主張する重症化事案で7級4号という認定にとどまったものであり、妥当なものではありません。本件においても加害者側は恒例行事のように14級と主張していますが、道徳的に見ればこの主張は良くないと思います。

判決は自賠責と同じ7級4号に「当たる」と認定しています。細かい話ですが、訴訟では自賠責の後遺障害等級の7級4号に「相当する」との表現を用いるべきです。自賠責の等級表は訴訟での法的拘束力はありません。等級表は訴訟では金銭化のための参考資料に過ぎません。「当たる」と書いてしまうとこの構造を理解できていないのであろうかとの疑念を生みます。実際にも自賠責の等級や認定基準に引きずられて、不合理な認定をしている裁判例は少なからず見かけます。

なお、自賠責で12級を超える認定がなされた場合には訴訟に至らずに示談で終わるので、3要件基準制定後に自賠責で12級を超える認定がなされた裁判例が少ないとの推測もありうるところです。しかし、私の知る限り重症化事案であっても12級が上限であって(それどころか非該当も少なくない)、12級を超える認定を見たことはありません。また、3要件基準が制定される以前は自賠責で12級より重い後遺障害等級が認定された後に訴訟となった事案が多く見られます。

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6 問題設定の誤り(CRPSを発症したか)

 ⅰ 判決は、争点として「CRPSの発症の有無、内容、程度」を筆頭に挙げています(7頁)が、「CRPSを発症したかどうか」を争点とすることは2重の意味で誤りです(①診断の適否により症状の存否・程度は左右されない。②その疾患を発症したから症状が生じたとの因果性はない。①と②の両者とも循環論の誤りがある。)。

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ⅱ 診断の適否の判断では、判決はギボンズの基準のほか、国際疼痛学会の判定指標(05年)や日本版判定指標(08年)にも無駄に紙幅を費やし、最終的には「臨床的に用いられる診断基準によってその発症を認定するのは相当ではない」(12頁)との誤り(医学的に意味のない診断基準の導入。)にも至っています。

その上で、「前記の各診断基準を参考にしつつ、客観的な医学的証拠に基づいて認定することができる所見を中心に、CRPSを特徴づける所見の有無及び症状の経過等を総合的に評価してCRPSの発症の有無を判断するのが相当である。」とします。

診断の適否で症状の存否や程度は決まらないので、前提に致命的な誤りがありますが、この点を措くとしても、診断に関する判決の考えは鑑別診断を知らないという致命的な誤りもあります。診断を典型性の度合いの判断と間違えると、ごく一部の典型症例しかその疾患と診断できなくなります。

なお、CRPSには必須の症状が1つたりとも存在しないことは世界中の医師が認める定説です。このことは繰り返し述べてきたとおりです。判決はあまりにも多くの点で誤っています。しかも全てがごく初歩的、基本的なことがらです。

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7 関節拘縮の判断について

ⅰ 以上の経過で判決はなんとかCRPSを発症したと認めましたが、被害者の右上下肢が全廃の状況にあるかどうかの判断において、「CRPSが発症したかどうかの判定とは異なり、廃用状態にあることを推認させる客観的な裏づけ(骨萎縮、関節拘縮、筋萎縮等)を要するというべきである。」(12頁右列)としています。

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ⅱ 訴訟では、加害者側はCRPSと診断できるための要件として骨萎縮、筋萎縮を必須と主張し、一方で関節拘縮があるとするための要件としても骨萎縮、筋萎縮が必要と主張することが通常です。

また、CRPSには骨萎縮や筋萎縮が必須ではないことを知っている裁判官も少なくないため、加害者側は独特の巧妙な表現を用いることが恒例となっています。本件でもこれが確認できます。

判決は加害者側の主張として、「CRPSによる疼痛が重度で、廃用状態が継続すれば、いずれ関節拘縮や骨の萎縮が生じるのであるから、CRPSの発症が認められるためには、これらの事実が認められるか、又は認められない理由が補完されなければならない。」(5頁左列)と述べます。

つまり、①骨萎縮がCRPSに必須であると誤解して欲しい、②その誤解が生じなかったとしても関節拘縮には骨萎縮が必須と誤解して欲しい、との2段構えの曖昧な表現になっています。

もちろん、CRPSに必須の症状は1つたりとも存在せず、関節拘縮に骨萎縮や筋萎縮は必須ではありません。しかし、この意見が医学意見書や鑑定書で述べられると信じてしまう裁判官が少なくないのが実情です。「これだけ上肢が動かせない期間が長く続けば骨萎縮が重度に生じているはずである。私の長年の経験からはこの患者の症状は合理的に説明できない。」といった理屈を技巧的に長々と述べられると、多くの裁判官が信じてしまうのです(信じなかった裁判例も少なからずあります。)。

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 ⅲ CRPSでは疼痛が強く出た部位の軟部組織が収縮して阻血や栄養不足が生じ、この状況が続いた結果として軟部組織が劣化して伸縮性を失い関節拘縮が生じます。同様に阻血や栄養不足のため骨の変化が生じることもあります。即ち、痛みが原因の変化ですので、骨の変化は関節部に限られず関節のない部位(胸部など)でも検出されます。

以上に対して、加害者側は廃用性の萎縮としての骨萎縮(使用していなかったから骨が萎縮した)を主張します。これはCRPSの病態とは異なる理屈です。しかも、廃用性の萎縮が必然とする理由や重度の萎縮でなければならない理由はありません。

裁判例の上では重度の拘縮が生じている事案においても重度の骨萎縮が存在するとされたものはわずかで、骨萎縮が存在しない事案もあり、存在する場合でも軽度のものがほとんどです。

また、CRPSには筋萎縮が生じる症例もありますか、より多いのは浮腫ないし腫脹が生じて患部が膨れ上がる症例で、この場合には上肢は浮腫で太くなります。筋萎縮とは逆の状況です。これが典型症例とされていて多くの医学書でその状況の写真が載せられています。何ゆえ典型症例とは逆に筋萎縮を必然とするのか、理解し難い面があります。

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ⅳ 長期間患者を診察した医師が関節拘縮とした判断は、普通に考えればほぼ全ての場合に正しいと考えられます。これに対して、判決は、医師が診断書にも記載している関節拘縮を信じることなく、「客観的な医学的根拠」(骨萎縮の画像所見など)を求める方向に向いました。既に存在する証拠を検討することなく、「より確実な証拠が必要である」との方向に向かう誤りは他の裁判例でもしばしば見られます。

もちろん、関節拘縮が重度であっても骨萎縮が生じない(もしくは軽度であること)は十分にありうる(裁判例の上では関節拘縮を生じた事案のほとんどがこれに当たります)ことなので、前提に誤りがあります。

また、症状の有無や程度はそれ自体に関連する資料から認定するべきであり、別の資料(骨萎縮、筋萎縮)に置き換えようとする加害者側の誘導に乗ってしまう発想それ自体に根本的な問題があります。

症状を認定するための方法としては、症状に関連する資料、即ち、①被害者本人の訴え、②それを医師が確認したこと、③検査結果、④治療内容、⑤治療期間、⑥就労や日常生活への影響、⑦診断(症状を確認した医師の評価)、⑧その他の事情を総合して検討する必要があります。

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ⅴ これらのうち、画像所見のみに証拠を限定することは民事訴訟法の根本原則(証拠方法を限定しない)に反します。ゆえに、この限定は民事訴訟法に反する重大な誤りというほかありません。この点は前回も述べました。

一般の人々が本件の事情を見た場合には、被害者が長期間の入通院をして苦痛を伴う治療をも受け続けてきたこと、被害者が就労不可能となり車椅子生活となって食事介助や排泄介助を受けていること、実際に診察してきた多くの医師がその症状を認めていること、各種の検査で異常な状況にあると認められること、CRPSとの診断を繰り返し受けてきたことなどの事情から、この被害者の主張する後遺障害が存在することやその内容を優に認めると考えられます。

ところが、裁判例の中にはこの種の実質的な証拠(動かし難い事実。多くの背景事実に支えられている事実)に基づく判断を避けて、客観性の高い証拠を求めるもの(ないものねだり)が少なからずあります。

本件では「骨萎縮は画像で確認できるから客観的で価値が高い証拠だ」との考えから背景事実を持たない単発の観測事実を「動かし難い事実」と誤解したように見えます。

それ以前の問題として存在しない事実は「動かし難い事実」になる余地すらありません。目の前にある事実を捨てて、ないものねだりに向かってしまえば、判断は空洞化してしまいます。

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8 ビスホスホネート製剤について

 ⅰ 本件では治療の過程でドラックチャレンジテスト(薬物チャレンジテスト)が何回か行なわれています。これは簡単に言えば多くの投薬を試してみて、その患者に効果のあるものを探し出そうとする試みです。

   CRPSは患者ごとの病態の違いが大きく、効果のある治療法や投薬の種類も患者ごとに異なることから、大学病院等ではドラッグチャレンジテストが試みられることが多くあります。但し、CRPSは難治性であり、本件のようにほぼ全ての治療法、投薬に効果が見られない症例も多くあります。

   本件ではドラッグチャレンジテストのなかでビスホスホネート製剤も試みられています。この薬が問題になった裁判例は本件が初めてであると思います。

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ⅱ 本件では、上記の誤りのため骨萎縮の有無が争点になってしまったという文脈において、被害者側が「仮に骨萎縮が認められないとしてもそれはビスホスホネート製剤を用いていたからである」と主張したようです。

  ビスホスホネート製剤は、本来は骨粗鬆症の薬ですので、この被害者側の主張には一応の理由があります。しかし、CRPSでこの薬が用いられるのは骨萎縮(骨の変化)を改善するための薬としてではなく、主として疼痛を緩和する効果を期待してのことです。

  おおざっぱに言うと、疼痛により局部での阻血や栄養不足が生じて骨の変化が生じる中で痛みが生じるのであれば、骨の変化により生じる痛みが含まれている場合もあるとの推測が成り立ちます(骨粗鬆症は痛みを伴う症例も多い)。そこでCRPSの患者に骨粗鬆症の薬を試してみたところ、痛みが緩和する患者もいたということです。

  判決は、ビスホスホネート製剤を用いたからといって、骨萎縮が完全になくなるわけではないので、被害者側の主張は成り立たないとしますが、上記のとおり骨萎縮を必須とする前提に誤りがあります。

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ⅲ 裁判例の上では、被害者の治療の過程で骨萎縮が観察されていた事案は少なくないのですが、加害者側は医学意見書により骨萎縮はない(または軽微である)との主張を出すことが恒例です(ほぼ全ての裁判例でこの事実が確認できます)。こうなると水掛け論になり、判決で「明らかに骨萎縮があると認めることはできない」との結論になることがしばしば見られます。

  本件でも治療の過程で骨萎縮が観察されたので、普通に考えれば骨萎縮が存在すると考えられます。しかし、「明らか」という条件がどこかからやってくると厄介なことになります。

本件では加害者側が医学意見書で否定したことを根拠に、判決は骨萎縮を「直ちに」認めることはできないとします(12頁右列)。この種の根拠不明のハードルを事実認定で用いることは誤りというほかありませんが、「証明責任を果たしたといえるためのハードル」という趣旨で恣意的なハードルを各所に設定する裁判例は少なからず見られます。

証明責任は事実を認定するための道具ではなく、事実が認定できない状況(真偽不明の状況)において、結論(法規の適用)を決めるために必要最低限の範囲で用いることが正当化されるに過ぎません(自由心証の尽きたところで証明責任はその機能を開始する)。従って、事実認定に証明責任を取り込むことは誤りとなります。この誤りに陥ると、事実認定に証明責任を取り込んで真偽不明となった結果に対して再度証明責任を用いるという誤り(二重の不利益)にも陥ります。

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9 事実認定と法規の適用の峻別

ⅰ 自由心証(事実認定)と証明責任(法規の適用)が無関係であることは民事訴訟法の基本書などにも明記されています。例えるならば、「事実は火星で確定し、法規は地球で適用する」との関係に立ちます。証明責任は地球で用いる道具です。火星探査船のクルーが現地で観察した事実は火星で確定し、地球にいる上司はその結果をもとに次の段階の判断をするのみです。

法律的に自白が成立したことは、この比喩では「火星探検隊の活動範囲が北半球に限定された」といった意味になり、火星探検隊の観察した事実が火星で確定することに変更はありません。かえって分かりにくい比喩かもしれませんが、両者はきっちり分けて考えるべきです。

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ⅱ これに対して、事実認定のレベルでハードルを課す根拠として、証明度(証明ありとされる程度)を持ち出すことも考えられます。即ち、証明責任を負担する側が一定のレベルを超えた証明をしなければその事実が存在すると認めることができないので(この表現には問題があります)、「明らか」というレベルの証明が求められる、との理屈です。

証明度として最高裁判決は「高度の蓋然性」の証明を求めています。学説の多数はこれを8割程度の心証とします(例えば、和田277頁)。最高裁判決の事案(ルンバール事件)からも、「おそらく~であろう」というレベルが「高度の蓋然性」と考えられます。これに対して、アメリカ法と同様に証明度は証拠の優越(50%超)で足りるとする見解も有力です。

私も証拠の優越(50%超原則)が基本的に正しいと思います。当事者間の相対的な紛争の解決として「どっちの言い分が正しいか」で結論を決めるのはごく自然なことであって、それ以上を求めるのは「おおよそ国家機関である裁判所が事実を認定するためには相応の心証が必要である」とする権威主義に見えてしまいます。

以上に対して、裁判例の中には「明らか」(95%超)との証明度を求めているものが少なからずあります。これは上記の判例や学説を無視した次元の異なる考えです。この誤りに陥ると、間接反証や一応の証明などの民事訴訟法の概念が意味を失います。この誤りは自由心証に証明責任を取り込む誤りと一体になっていることが通常です。

証明責任は真偽不明という異常事態に陥ってもとにかく結論を出さなければならない立場にある裁判官に与えられた特別の道具で、あたかも問題の解けなかった受験生が振る五角形の鉛筆(愚者のサイコロ)のようなものです。この愚者のサイコロを多用すれば、事実から遠ざかります。証明度を高くしすぎると愚者のサイコロを使う機会が多くなります。

裁判官が国民の中から選ばれた優秀な知性を有する者であるとすれば、裁判官は証明責任に頼らずに獲得した心証をできるだけ判決に反映させた方が正しい事実認定が増えると思います。

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  ⅲ それ以前の問題として、証明度は自由心証により心証を確定した後の、次のレベル(法規の適用)で問題になる話です。証明度の問題を自由心証にくりさげることは、まさに自由心証に証明責任を取り込む誤りです。

この誤りの背景には、証明度を「証明責任を果たしたとみなされる立証の度合い」とする誤解があるのかもしれません。証明責任は結果責任であるので、「証明責任を果たした」との見方に問題があります。「証明責任を果たした」との表現は良く用いられるのですが、それはあくまでも結果責任としての見方です。

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ⅳ この種の誤解の原因には司法修習での民事裁判教育にもあると思います。私の修習当時の民事裁判の起案は、事件記録(白表紙)から要件事実を抜き出して、同時並行で事実認定をするというものでした。本来であれば、事実認定のみを行なう起案と、事実認定の結果を要約した1枚の書面から要件事実を抜き出す起案とを分けるべきであると思います。

その上で事実認定に比重を置いた講義をするべきです。現実の訴訟の95%以上は事実認定で結論が決まります。残りの5%以下の部分に過大な労力をかける事は合理的ではありません。要件事実論の技巧的な議論はほとんど役に立たないと思います。

また、事実認定の講義では、法律論を抜きにした事実認定のみの検討を一般人の有する知識をも総動員して行なうべきです。一般人の常識的な見方を抜きにして適正な事実認定はできないと思います。裁判例のなかには法律論(証明責任の所在、証拠の序列化、要件事実論での検討順序など)がバイアスとなって正しい事実認定から遠ざかっているように見えるものが少なくありません。要件事実論と事実認定を同時並行で行なうとこの弊害に陥りやすいと思います。

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ⅴ 法律論からの一切のバイアスを排除して獲得した「生じた可能性が最も高い事実」の心証は、判決でもそのままの表現で「事実認定」として記載し、その先で法律論(要件事実論など)を行なうべきです。この考えからは事実認定のレベルで証明責任を考慮して「~とは認められない」などの表現を用いることは誤りとなります。

つまり、事実認定では得ることのできた心証をありのままに記載し、それで完結させ、その結果に対して、法律論として証明度を満たしているかとの検討を行なうべきことになります。これが民事訴訟法に厳密な考えであると思います。

現実の裁判例ではここまで徹底したものは非常にまれですが、事実認定と法規の適用の峻別の度合いは裁判例によりかなりの差があります。両者を混同して証明責任を事実認定に取り込んでしまうと、「何が起きたのか不明であるが、とにかく基準を満たさない」が繰り返され、実質的な検討がなされずに判断が空洞化してしまいます。最近はこのような裁判例が増えてきたように見えます。

2014年10月19日 (日)

橈骨遠位端骨折とRSD(26.3.27)

1 名古屋地裁平成26年3月27日判決(自保ジャーナル192373頁)

  この事案の特徴は、①事故による橈骨遠位端骨折後にRSD様の症状が生じたこと、②明白にRSDの症状が生じているにも関わらず医師があえて診断をしていないこと、③判決の思考方法に種々の問題があること、などです。

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2 症状の経過

 被害者は症状固定時51歳男子会社員(大工)です。平成21年11月22乗用車で直進中に右折車と衝突し、左上肢等を負傷しました。

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 事故当日…B病院。左肩から指先までのしびれや左胸部の痛みを訴え、B病院に救急搬送される。頚部、左肩部、左手関節部の痛みを訴えるも、X線検査では骨傷はないとされる。

 

 12日後…D病院。自宅近くのD病院に通院先を変え、MRI検査を受け、骨棘の形成、椎間板の変性、右頚部皮膚・皮下に血腫の疑いありとされるも、特に問題はないとされ、C病院を紹介される。

 

 22日後…C病院。頚部痛、左上肢痛を訴え、左手関節部に腫脹、圧痛が確認され、X線検査の結果と併せて左橈骨遠位端骨折と判断され、ギプス固定された(以上、初診時)。1週間でギプスは外され、RSDも考えるとされてノイロトロピンを処方された。

70日後のX線検査では左手関節に骨萎縮ありとされ、82日後には左手の掌屈が30度、背屈が30度とされ、関節拘縮が認められるとされた。3か月後には3か月間拘縮が変わらないとされた(事故時からの症状との趣旨)。

 半年後…D病院で症状固定とされた。傷病名は左上肢挫傷、頚椎捻挫、左橈骨遠位端骨折、左手関節拘縮左手指拘縮とされ、自覚症状は左肘関節・前腕・手関節・手指の疼痛、可動域制限、手指巧緻運動障害(茶碗が持てず、パソコンも左手は使用できない)とされた。

 

1年半後…その後も症状は改善せず、左手の可動域は手関節が概ね3分の1、指関節は概ね2分の1に制限される。自賠責では14級とされる。

 以上の経過で、被害者は6級相当の後遺障害(手関節の可動域が2分の1以下で10級10号、指関節の可動域は概ね半分ほどで運動障害が大きく7級7号として併合)が残ったとして提訴しています。

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3 橈骨遠位端骨折とCRPS

ⅰ CRPSはきっかけとなった外傷からは想像できないほど重症化することが多いとされ、多くの医学書で外傷のうち橈骨遠位端骨折(手首の骨折)の場合にはCRPS(RSD)を発症する割合が特に高いとされています。

手首や足首の骨折の場合には近傍を通る神経が損傷を受けやすく、神経損傷に起因する症状が悪化してCRPSに至りやすいと言えます。

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ⅱ 本件では被害者は事故直後から左手の強い痛みを訴え、左手の可動域が大幅に制限されていたところ、救急搬送先のB病院や12日後から通院したD病院では手首の骨折とは診断されず、22日後から通院したC病院で橈骨遠位端骨折と診断され、D病院でその診断が引き継がれた後遺障害診断書が作成されています。

  この経過から、当初より痛みが強かったため早期に転院を繰り返していたことと、「橈骨遠位端骨折」はレントゲンの微妙な読み取りで判断したことが窺われます。手首の骨折のほか脊椎の圧迫骨折でも後日に骨折が判明する事例はしばしばあります。実際にはレントゲンからは骨折が読み取れない状況で、症状から骨折と判断したと考えられる事案も見られます。

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4 本件での医師の判断について

ⅰ 本件では本当に骨折があったのかについて、少し気になる点があります。事故の22日後から通院したC病院では、被害者の訴えが非常に強く、左手関節の可動域制限が強く、左手首が腫れていたことをX線検査の結果と併せて、初診時に橈骨遠位端骨折と判断したようです(79頁左列)。

  C病院は初診時に骨折と判断してギプスシャーレで固定しましたが、1週間でギプス固定を終了し、再度X線検査を行なって次回通院時から左手関節のリハビリを行なうことを決めたとされています。C病院はリハビリを始めて数日経過したころには「RSDも考える」とカルテに記載し、ノイロトロピンを処方しています。

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ⅱ つまり、C病院は被害者が通院した初日に①左手首の痛み、②大きな可動域制限、③腫れについて、骨折と判断したものの、1週間ほどで考えが変わり、①強い痛みは神経障害性疼痛であると考えてノイロトロピン(神経障害性疼痛に対する薬)を処方しています。

その数日後のカルテに「RSDも考える」とあることからは、②可動域制限や③腫れも神経障害性疼痛に伴うものと見ているようです。ギプス固定を早々に止めたのも、CRPSによる関節可動域制限はギプス固定で悪化するためであると思われます。

  C病院は事故から約70日後のX線検査では左手関節に④骨の萎縮が認められるとしているところ、この時点では骨折の有無よりも骨の萎縮の有無に視点が移っています。C病院は事故の3か月後には、D病院あてにRSDの可能性を指摘した診療情報提供書を作成しています。

  以上の経過からは、C病院の医師は初診時こそは手首の骨折を疑ったものの、1週間後にはRSDであろうとの判断に至り、その後にその考えを強くしていったと考えられます。

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5 なぜCRPS(RSD)と診断しなかったのか

 ⅰ 本件では、上で述べた①痛み(持続する強い自発痛)、②腫脹、③関節拘縮、④骨萎縮のほか、⑤左手の皮膚の変色、⑥左手の体毛の変化も存在するようです(77頁)。これらの症状からは優にCRPSと診断できます。

   本件ではCRPSとすることに疑義を挟んでより可能性の高い他の疾患を示すことは困難です。現に存在する症状をより合理的に説明する代替案(鑑別診断)が示されなければ、その症状を説明できている診断は適切とされるので、本件ではCRPSと診断することに何ら支障はありません。

   なお、裁判例では現にCRPSとの診断が下されている事案において、CRPSとの診断を正当化する根拠の有無や程度を検討しているものはほとんどですが、検討方法そのものに誤りがあります。

CRPSにより症状が説明できる事案では、「より合理的に症状が説明できる疾患があるか」(鑑別診断)との視点で検討する必要があります。この方法では診断の変更が生じても前提となる症状の変更は生じません。診断が否定されるのはより合理的に症状を説明できる疾患に変わる場合ですので、診断が否定された場合にこそ症状の存在はより確からしくなります(ここで「裏付けられる」とするのは不正確であると思います)。

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 ⅱ 本件ではC病院の医師は早期にRSDを疑い、その後に症状が明確になっていったにも関わらず最終的にはRSDと診断していません。なぜ、診断しなかったのでしょうか。

   同じことはD病院の医師にも言えます。C病院からRSDの可能性があるとの診療情報提供書を受け取り、1年弱の間に200回弱のリハビリを続けていたD病院も上記の症状を確認していたはずで、D病院の医師も被害者の症状がCRPS(RSD)であると強く疑っていたと考えられます。

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 ⅲ 裁判例の上ではCRPS(RSD)と診断できる症状を確認していても診断が遅れるパターンがいくつか確認できます。古い判例ではRSDを知らないために見落とされたと思われるものが少なからず見られます。

   医師にCRPS(RSD)の知識があると思われるものであっても、例えば胸郭出口症候群と診断された後に関節拘縮が進行した事案では、重症化するまではCRPSとされない(胸郭出口症候群の症状の範囲内とされる)傾向があります。

   また、手首や足首などの末梢部位のCRPSも診断が遅れる傾向があります。上肢全体の拘縮を生じる重症例に比べて末梢の場合には診断に躊躇するのかもしれません。骨折後に痛みが続いて可動域制限が悪化していった場合も、骨折後の痛みに付随する症状とされ、重症化しないとCRPSと診断されない傾向があります。

但し、本件は遅くとも1か月半後までにはCRPSを疑っていた上に、その後に症状が重症化した事案であるので、1年半後に症状固定となった時点でCRPSと診断しなかったことを説明しにくい事情があります。

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 ⅳ 平成15年に自賠責でRSDの3要件規準が制定された以降は、交通事故後にCRPS(RSD、カウザルギー)と診断された事案では、自賠責ではほぼ全てが極端に低い後遺障害等級とされ、裁判でも低い損害賠償額とされることがほとんどです。

この事情を知る医療関係者は少なくないと思います。このためか、医師があえてCRPSと診断しなかったと推測できる事案をしばしば目にします。但し、診断を回避した目論見がうまくいった事案は見当たりません。CRPSと診断されていても、診断されていなくとも、ほぼ全ての事案で自賠責では極端に低い後遺障害等級が認定されています。

本件ではD病院作成の後遺障害診断書では、RSD(CRPS)との診断はなされず、「左手関節拘縮、左手指拘縮」などの症状それ自体を端的に示す傷病名が用いられています。しかし、自賠責でも訴訟でも後遺障害等級は14級とされています。

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6 診断と症状を取り違える誤り

 ⅰ 本件では事故直後から左上肢や左手首に強い痛みがあり、その頃から左手関節の可動域制限があり、治療期間を通じて医師が症状を確認して治療を行い、最終的には医師が左手関節や左手指の可動域制限を確認しています。従って、被害者の主張する症状が存在することや、それが本件事故により生じたことは症状の経過から容易に認定することができます。

逆に言えば、症状を認定するための事情は上記の内容(現に存在する事情)を骨格としたもの以外にはありえません。しかし、加害者側は現実に存在しないものを求める「ないものねだり」で上記の結論を否定する主張をすることが通常です。

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ⅱ 繰り返し述べてきましたが、症状を認定するに際してCRPSとの診断がなされている必要はありません。診断は症状が存在することを前提に、症状に対する評価として下されるものであって、診断があろうがなかろうが症状は同じです。ところが、裁判例では診断の適否により症状を判断する誤りが多く見られます。診断を主要事実と勘違いして証明責任を適用しているものさえも少なからずあります。

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ⅲ もちろん診断が正しいかどうかは概念の適否の問題であって事実ですらありません。裁判例でも「診断が正しいとは認められないので症状は存在しない。」とストレートに間違えている判決は見当たりません。

実際には、「疾患Rに罹患した状態」を要証事実と誤解している裁判例が多く見られます。本件の判決も「原告がRSDに罹患したことを認めるに足りる証拠はない」(81頁左列1行目)と述べています。しかし、「疾患Rに罹患した状態」と言えるかどうかは疾患Rとの診断が正しいかどうかに左右されるので、結局は概念の適否に帰着します。

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 ⅳ 上記の誤りの背景には、「罹患した状態」が症状を引き起こすとの誤解も存在します。即ち、「CRPSに罹患した」との状況が先にあってそれにより各種の症状が「引き起こされた」と理解しています。

   もちろんこの考えでは「卵が先かニワトリが先か」という矛盾が生じます。症状をもとに診断して、その結果「罹患した状態」になったので症状が生じるとする循環に陥ります。現実には患者に生じた各種の症状が一定のレベルに達したときにCRPSと診断されます。この「結果としてCRPSと評価された状況」を指して、「CRPSに罹患した」と述べるに過ぎません。 

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7 症状は全ての事情を総合して認定するほかない

 ⅰ 症状をいかにして認定するべきかについては前回も述べました。私は症状を認定するためには①症状に関連する、②全ての事情を、③総合して考慮するべきであると考えています。また、④症状により近い事情を重視するべきであると考えています。

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 ⅱ 症状に関連する事情

   症状を認定するために症状に関連する証拠を検討することは当たり前のことです。これに対して、症状との関連性の薄い事情、例えば診断の適否を重視することは誤りです。

診断は症状の存在を前提として下されるものです。一定の症状が存在する前提で診断が下されるため、診断が正しかろうが誤っていようが診断の基礎とされた症状は変わりません。患者の症状を基に診断を下したのに、その診断により患者の症状が裏付けられるとすると循環論法になります。

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 ⅲ 全ての事情

   症状に関連する多くの事情のうち一部を無視することは誤りです。民事訴訟法は原則として証拠方法(証拠となりうるもの)に制限を設けていません。

   症状と関連する事情は、症状から近い事情から順に①被害者本人の訴え、②医師が確認した症状、③検査結果、④治療内容、⑤治療期間、⑥就労や日常生活への影響、⑦診断(症状を確認した医師の評価)、⑧その他の事情があり、これらを総合して認定する必要があります。

   これに対して、上記のうち一部の検討をしないことは、民事訴訟法が証拠能力を認めた意義を否定することになります。また、裁判官は裁判に現れた全ての事情をもとに自由心証により判断するとの原則(民事訴訟法247条)にも反します。常識的に考えてみても、視野を狭くするよりも広くした方が正しい結論に近づくと思います。

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 ⅳ 症状から近い事情

   解明しようとする対象により近い事情を重視することは当然のことです。症状に最も近い事情は被害者本人の訴えです。症状を最もよく知る人は被害者本人であることは疑う余地がありません。従って、最も重視するべきは被害者本人が訴える内容です。

   これに対して、被害者が嘘の症状を主張しているかも知れないとして、無視したり軽視したりすることは誤りというほかありません。この誤りはあたかも産湯と一緒に赤子を流すような誤りです。

   画像所見で裏付けることのできる症状は、現実に生じている症状のうちのほんのわずかな部分に過ぎません。症状の多く(事案によってはほとんど)は被害者の訴えによってのみ知りうるものです。被害者の訴えを軽視すれば症状について最大・最善の情報を捨て去ることになります。

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 ⅴ 総合的判断

   症状を判断するための近道はありません。上記の全ての事情を総合的に考慮するほかありません。

   但し、個別の症状については、それを端的に裏付ける事情から認定できる場合もあります。医師が確認した腫れや皮膚温、皮膚色などは端的にその存在を肯定できます。関節可動域検査で上肢の重度の可動域制限を偽装すること(制限の終末感を偽装すること)が不可能と言えることからは、その検査結果を端的に信用することができます。

   それ以外の直接的な証拠を持たない症状(事案によってはほとんどの症状が直接的な証拠を持ちません)については、総合的に検討するほかありません。それ以外の方法はありません。

   例えば、線維筋痛症などの判断しにくい症状や認知機能の障害などは、「それまで10年以上真面目に働いて、家族を養ってきた被害者が事故をきっかけに嘘の症状を訴える人柄に豹変して、長期間の入通院をして医師や弁護士を騙して、粘り強く症状の偽装を続けてきたのであろうか」との想像をしてみれば、「そんな人はいない」との結論に至ると思います。

この種の常識的な判断を可能にするためには、症状に関連する全ての事情を等しく検討する必要があります。何が常識であるのかの基準はありませんが、世間一般の人が「それは常識から外れている」と判断する事情は確かに存在します。

事実認定のほとんどはこの常識感覚から導き出されるものであって、マニュアルから導ける認定はわずかな例外に過ぎません。常識感覚が要求される認定では、裁判官はときには全人格を賭してでも判断するほかありません。「確実な証拠はないけれども、普通に考えればこうなる。」との実質的心証で間接事実を1つ1つ積み上げて行くことなしに事実認定はできないと思います。それは特別なことではなく、たんに「自分はこう考える」と述べるだけとも言えます。

民事訴訟では事案全体の事情から総合的に判断することは通常のことです。交通事故訴訟で突如として症状を認定するための証拠を極端に制限する思考になることの方が異常であると思います。

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8 可動域制限のメカニズムについて

 ⅰ 本件では被害者の手関節の可動域は他動でも自動でも2分の1以下で、これをそのまま採用すると、後遺障害等級10級10号の「1上肢の3大関節中の1関節の機能に著しい障害を残すもの」に相当します。

   これに対して、判決はいくつかの理由を述べて、この数値を認めませんでした。以下ではこれらを検討します。

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 ⅱ 判決は、「原告の左手関節の可動域制限の原因について明確な客観的所見は乏しい」(80頁右列)と述べます。判決は、加害者側の主張する「ないものねだり」への誘導に乗せられ、「明確な客観的所見」が必要と考えるに至ったようです。

しかし、医師が確認した可動域制限を無視することが出発点になっている点で論外というほかありません。関節の可動域制限はレントゲンやMRIでは裏付けられないので、実際に可動域を測定する方法でしか計測できません。それ以外の方法がないのです。実際にその部分の可動域を測定した数値こそが最善の証拠であり、合理的な理由もなくそれ以上の証拠を要求することは誤りというほかありません。

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 ⅲ 私は事実認定では「何が起きたのか」(生じた可能性が最も高いのは何か)との視点で全ての事情を総合して事案の骨格を組み立てていくべきであると考えます。

しかし、裁判例の中には「~とする確実な証拠はあるか」との形のハードル型認定(私が勝手に命名しました)をしているものは少なからず見られます。この方法は自由心証に証明責任を取り込む誤りが生じている点で問題があります。

   ハードル型認定では実質的な心証を形成しないまま、「とにかく基準を満たさない」という理屈で否定の結論になることが多く、求める証明度が高くなりすぎる傾向があります。証拠を序列化する傾向や「ないものねだり」の証拠を求める傾向も見られます。間接事実にまで証明責任を適用する誤りも見られます。本件の判決にはこれらの誤りが見られます。

この傾向は本件の判決に限ったことではなく、証明責任の所在を考慮して「~と認めるに足りる証拠があるのか」との視点で検討している裁判例は、特に最近では多く見かけるようになりました。この方法は真偽不明になった場合に結果としての証明責任を負う側に、最初から不利益を課して検討している点で問題があります。ハードルを設定した検討で「~であるとは認められない」として真偽不明になった結果、証明責任を適用すると、証明責任を負う側に2重の不利益を課す誤りとなります。そもそも証明責任は事実を認定するための道具ではなく、事実が認定できなかった場合に結論(法規の適用)を決めるためものです。法規の適用に必要な最低限の範囲でのみ証明責任は機能します。

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 ⅳ 判決は、事故直後には可動域制限は生じていなかったので、事故によって可動域を制限する器質的損傷が生じなかった(80頁右列)と述べます。これも「何が起きたのか」の視点ではなく、「事故直後の可動域制限」というハードルを課す思考です。

   しかし、神経損傷後の可動域制限は関節周囲の筋や軟部組織が伸縮性を失うことや癒着を起こすことによって生じるのであって、「骨がつっかえて動かせない」などの原因で生じるものではありません。

   怪我をするとその部位の組織が収縮して出血や細菌の流入を止めますが、神経を傷つけた場合などは痛みが治まらずに続くことがあり、その結果、組織の収縮も続き、その部位の血流低下、組織の劣化(伸び縮みしなくなる)、組織の癒着が生じます。これが関節周囲で起きると関節可動域制限となります。当初は痛みで動かせないと見られていた部位が、時間の経過で組織が劣化して他動でも動かせない状況(拘縮)になります。

   このように痛みによる可動域制限の固定化はある程度の時間を要するので、「事故直後に生じていなかったのはおかしい」というこの判決の考え方は誤りです。

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 ⅴ 判決は、「関節可動域の制限が医学的に合理的な説明によって裏付けられているとは言えず、その発生の機序が原告の主張立証によって明らかにされているとは言えない。」(81頁左列)と述べます。この部分もメカニズムの解明というハードルを課す思考です。

   可動域制限の基本的なメカニズムは上記のとおりで、この説明は取り立てて複雑とは思えないのですが、仮にこの説明が出なかったからといって現に計測された可動域制限を認めないのはおかしいと思います。

   メカニズムが不明なので結果(症状)を認めないという考えは、死因が不明なので死亡したとは認めないという理屈と構造は同じです。どうしてこの理屈に至ったのか理解し難い面があります。

   この事件の被害者は事故直後から左手の痛みを訴え、早期から可動域制限も訴えてきた(それ故に1か月半後までにCRPSの疑いを持たれていた)ので、最終的に可動域制限が存在し、それが事故によるものであることは明らかです。

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 ⅵ 判決は、その下の部分で左上肢の可動域制限について「その発生の機序が明らかにされていない以上、本件事故との因果関係を認めることはできない」と述べます。

   しかし、事故直後の時期から一貫して訴えてきた症状について「医学的メカニズムが不明であるから、事故との因果関係を認めない」とすることは、やはり一般人の常識から著しくかけ離れていると思います。

   メカニズムが不明の事案において「他の原因が考えられない」という常識的な思考から因果関係を認めた一連の最高裁判決(ルンバール事件、B型肝炎事件、概括的認定の多くの裁判例など)も存在します。メカニズムにこだわることの誤りはこれまで何回か述べてきました。この誤りもハードル型認定で多く見られます。

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9 「明確な客観的所見」に証拠を制限する誤り

 ⅰ 上記のとおり判決は、医師が確認した可動域制限を認めるためには「明確な客観的所見」が必要であると述べて、可動域制限を認めませんでした。この部分もハードルを課す視点での検討です。

本件で被害者の症状を認定するに際して、活用できる全ての証拠を総合した場合、被害者の主張するとおりの症状が存在すると考えられます。ところが、判決は現に存在するものとは別次元の問題として「明確な客観的所見」が必要であり、それがない限りその症状は認めないとしています。これではほとんどの症状が認められなくなります。この部分は、それ以上に根の深い問題があります。

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 ⅱ 判決があえて「他覚的所見」や「明確な他覚的所見」との言葉を用いなかったことには理由があります。繰り返し述べてきましたが「他覚的所見」は医師が看取することのできた全ての症状を意味します。これは医学的にも争いはなく、労災や自賠責でも当然の前提とされている初歩的な知識です。「他覚的」という言葉のとおり、他者が五感の作用で看取できれば足ります。臨床では医師が五感の作用で得ることのできる全ての情報が治療のために総動員されます。

   これに対して、訴訟では加害者側は「他覚的所見」が画像所見などに限定されるとの誤解に誘導します。かなり大胆な誘導ですが、このレベルの初歩的な知識を欠いたまま判決が書かれることが少なくないため、ほとんど全ての事件でこの誘導は行なわれます。もちろん裁判官が「他覚的所見」の正しい意味を知っている場合も少なくないので、加害者側は「明確な他覚的所見が必要である」とのあいまいな表現を用いることが通常です。

   医師が目視、徒手、触診などで確認した症状は全て「明確な他覚的所見」ですので、「他覚的所見」と意味はほとんど同じです。即ち、「明確な他覚的所見」という言葉は、「他覚的所見」の意味をきちんと理解していない人を誤りに誘導するために用いられます。

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 ⅲ 「他覚的所見」の有無では後遺障害を判断できないので(被害者の主張する症状のほぼ全ては他覚的所見であるので)、労災や自賠責では「他覚的所見」を総合的に判断することが求められ、労災では労務に影響する度合いが12級と14級の区分基準とされています。

一方、対象が労働者であることが前提とならない自賠責では症状が医学的に「説明できるもの」か「証明できるものか」で区分されます(但し、この区分論は青い本のみで、赤い本にはこの記載はありません)。訴訟では裁判所が「存在する」と判断した症状を認定するだけのことで、とくに制限はありません。

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 ⅳ 本件の判決は症状を認定する証拠を画像所見などに限定することを述べるために、あえて「明確な客観的所見」との言葉を用いたと考えられますが、これでは「他覚的所見」の定義を正しく理解した意味がなくなります。

   「他覚的所見」の定義を正しく理解した場合には、患者から看取することができた全ての症状を余すところなく総合的に検討することが重要であるとの帰結に至ります。これに対して、「明確な客観的所見」のみを基に後遺障害の度合いを判断するべきであるとすることは、本末転倒の致命的な誤りというほかありません。

   画像所見などに証拠を限定する誤りは無条件で天から降ってきたものではなく、「他覚的所見」の意味を誤解したことによってのみ導かれるはずです。他覚的所見の意味を正しく理解していれば、証拠の限定を正当化する根拠は存在しなくなります。ところが、この判決は無条件で「明確な客観的所見」に証拠を限定する誤りに至っています。判決はその他の部分でも無条件でハードルを課している検討が目立ちます。しかも、そのハードルが「ないものねだり」になっています。現に存在する証拠をそのまま検討する視点がなく、心証が高度に空洞化しているように見えます。

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 ⅴ より根本的には、ある事柄を判断する上で、判断の基礎とする証拠を制限することは適切ではないという問題があります。民事訴訟では原則として証拠方法(証拠となりうるもの)に制限を設けられていません。民事訴訟法が証拠方法に制限を設けなかったのは視野を広くした方が正しい結論に至りやすいからです。

   ところが、裁判例の中にはマニュアル化した方法に従うことで正しい結論が出せるとの錯覚から、証拠を序列化して検討対象を狭くする流れがあることも事実です。検討対象が狭くなれば、その狭い対象のなかから正解を導いたとの実感は強くなります。100個の選択肢から1つ選び出した場合よりも2個の選択肢から1つ選び出した方が、正しさへの確信は強くなります。選択肢を1つに絞れば主観的な確信は最大になります。

   選択肢を狭めると確信の度合いは強くなるため、正しい判断が求められる立場の人には何らかの理由を持ち出しては視野を狭めようとする傾向が生じます。この傾向から、事実認定の基礎となる「動かし難い事実」を「明確な客観的証拠」に取り違える誤りが生じやすいと言えます。

   「何が起きたのか」との視点で実質的な心証を取らない人は、他に選択肢がなくなったことにより自動的に結論を決めて、その結果として心証を形成する傾向があります。

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 ⅵ 伝統的な事実認定論では裁判官が事実を認定するにあたって「動かし難い事実」を軸にするべきであるとされてきました。「動かし難い事実」とは価値の高い直接的な証拠のことではありません。

本件では①被害者が一定の症状を訴えていた事実、②被害者が一定期間通院した事実、③医師が一定の症状を確認した事実、④医師が可動域測定をして一定の結論を出した事実、⑤医師がそれを基にある診断をした事実は、その性質上その事実自体が否定されることは、まずありません。固定性の強い事実です。

これらの事実から導き出される結論は、「おそらく被害者の主張する症状(医師の確認した症状)は存在するであろう」ということで、これが動かし難い事実です。一般人が常識的な見方をすればほぼ全員が同じ実感を強く持つと思います。この種の強い実感は「結論の妥当性」と言われるものでもあります。この種の強い実感は「動かし難い事実」の中でも最も重要なものであると思います。この実感を拒絶して証拠の確実性を求めていけば、視野が狭くなると思います。

2014年8月 2日 (土)

CRPSと脳脊髄液減少症(25.10.30)

1 東京高裁平成25年10月30日判決(自保ジャーナル19071頁)

 (1審:新潟地裁長岡支部平成24年12月19日判決)

  この事案の特徴は、①事故後早期に左上肢のCRPS(RSD)と診断されていること、②その後に脳脊髄液減少症と診断されたこと、③胸郭出口症候群との診断も受けていること、などです。

 

2 症状の経過

ⅰ 被害者は45歳女子会社員です。平成13年7月15日に乗用車を運転停止中に追突事故(第1事故)に遭い、3年半後の平成17年1月25日に別の事故(第2事故、後退してきた車両に衝突された)に遭います。

平成18年に第1事故の、平成20年に第2事故の裁判が始まり、両者が併合されて判決が下されています。症状のほとんどは第2事故よりも前に出ているので、以下では第1事故を「事故」と呼び、第1事故を中心に述べます。「判決」とのみ書いたものは地裁判決です。

 

 ⅱ 被害者は事故後早期にCRPS(RSD)と診断され、その治療を受けて症状が少し改善し、1年2か月後からブラッドパッチを受けるなどして、後に低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)と診断され、訴訟では後者を中心に主張し、判決も後者を中心に検討しています。

   判決は加害者側の提出した医学意見に従ったために問題のある部分が多く存在します。この種の訴訟に提出される医学意見書のほとんどは問題のあるものであることや、その対処法は既に述べてきたとおりです。

 

3 CRPS(RSD)について

ⅰ 被害者は事故翌日には左上肢のだるさと痛み、頭痛(左側)、左肩、左肩甲部の痛みを訴え、2か月後には反射性交感神経性ジストロフィー(RSD)の疑いとされ、3か月後に左上半身のRSDと診断されています(21頁)。

  半年後の症状は、①左肩・肩甲骨から背部・上肢の痛み、②左背部の軽度腫脹、③めまい、ふらつき、④左背部・肩から上肢の感覚過敏、⑤左前腕尺側に軽度の筋萎縮、⑥左肩関節前方挙上、左肘関節屈曲・伸展に軽度の関節可動域制限あり、⑦左側の背部、肩から上腕の皮膚温低下などがみられる(22頁)とされています。 

 

ⅱ 上記のうち、①、②、④、⑤、⑥、⑦はCRPS患者に見られる症状であり、これらの症状を説明するほかの疾患が考えられないことや、日本版判定指標を満たすことから、この時点でCRPS(RSD)と診断したことは優に支持できます。

医学的には、この場合にCRPSではないと主張する場合には、その主張をする側においてこれらの症状をより合理的に説明できるほかの疾患をあげる(鑑別診断をあげる)必要があります。

 

ⅲ ところが、CRPSに限らず、訴訟では加害者側は鑑別診断(代替案)をあげることなく、診断基準を操作して「疾患Rであるとは言えない」と主張することが恒例です。

例えば、「CRPS(RSD)であれば症状P、Q、Rが絶対に生じる。被害者にはそれが生じていない。よって被害者はCRPSではない。」と主張します。この主張には、「よって、被害者の症状は根拠がないので否定するべきだ。」との逆転した主張が付随します。

  繰り返し述べてきましたが、CRPSに必須の症状が1つも存在しないことは世界中の全ての医師が認める定説で、全ての判定指標がこれを前提に作成されています。日本版判定指標も5項目のうち「いずれか2つ」を満たせば陽性とされます。なお、必須の症状が存在しないことは疾患として特別なことではなく、ほとんどの疾患で当てはまります。

 

ⅳ 地裁判決は、①被害者が灼熱痛を医師に訴えていなかった、②被害者を治療した医師が外傷性頚部症候群でも説明できるとか、頚椎部以外に左肩甲骨周辺から肩関節にかけての障害も疑われるとの意見を示したことがある、③星状節神経ブロックを施術しても症状は一進一退であった、④自賠責で非該当であった、などの理由で⑤RSDを発症したとするには「疑問の余地があり、直ちに認めることはできない」(36頁)とします。

  上記①はCRPSには必須の症状は1つもないので論外です。しかし、このレベルで誤っている裁判例は多く見かけます。

  上記②は、外傷性頚部症候群は具体的な疾患を意味するものではないので鑑別診断の対象とはなりません。そもそもこの意見はRSDと診断した医師が外傷性頚部症候群のみでは説明できない部分があるとの趣旨で述べた内容です(21頁)。

 

  上記③はCRPS患者であっても、神経ブロック療法の著効例は7%で、一時的な有効例を含めて30%程度に過ぎません(『ペインクリニック』30巻別冊春号247頁、『複合性局所疼痛症候群CRPS』15頁)。CRPS患者の中には神経ブロックで症状が悪化する方(ABC症候群)もいます。しかし、一部であっても著明な効果が生じる患者がいるため、ほとんどの患者にこの治療が試みられます。また、一時的であれ疼痛緩和には意義がある(痛みの持続が症状の悪化をまねく)ため、通常は神経ブロックなどの疼痛緩和の治療が繰り返されます。

  本件の被害者は神経ブロックによる症状の改善が見られたため、1日に2回もの星状神経節ブロックの施術を受けており、非常に強い痛みが生じていたことが優に認められます。このことはRSD(CRPS)との診断を肯定する根拠となります。

  上記④は自賠責ではRSD(CRPS)であるかどうかを判断しないという基本構造を理解できていません(判断すれば医師法違反となります)。また、「自賠責はこう言っている。」としてその根拠を検討しないことは、裁判所が判断を放棄しているようにも見えます。

  上記⑤は訴訟で診断を検討することの法律的な意味を理解できていないため、「疑問の余地があるので直ちに診断が正しいとは認められない」との論理になったように見えます。この点は他の裁判例でも多く見られる深刻な誤りですので、項目を分けて述べます。 

 

4 診断は症状の存在を前提とした評価である

 

 ⅰ 症状と診断との間に「診断が正しいので症状が存在する」という関係や「診断が誤りなので症状は存在しない」との関係はありません。症状の存在は常に大前提であって、診断の適否に関わらず症状の存在は認められます。荒っぽいたとえですが、死亡診断書の傷病名が間違いだからと言って、死亡していないことにはならないのと同じです。

では、なぜ訴訟で診断の適否を検討するのでしょうか。この点の問題意識がないまま漫然と診断が「正しいといえるか」を検討している裁判例をしばしば目にします。

 

 ⅱ 訴訟で診断を検討するのは、通常は「治療の過程である医師がある診断を下した」との事実が存在するからです。例外的に、訴訟になってから鑑定などで「本当は疾患Rではなかろうか」として診断が検討されることもあります。

 

   「患者の症状と検査結果から医師がある診断を下した」との事実は、その症状を説明する理屈として医師がその病名を用いたという間接事実です。診断した病名だけではなく、その根拠となった症状(主要事実)が分かっていれば、この間接事実にはあまり意味はありません、診断は治療の過程で行なわれる医学的行為であって、訴訟で事実を認定するための行為ではありません。

 

 ⅲ ところが、診断を否定すれば被害者の主張する症状は認められなくなるとの誤解から、診断の適否を検討しているように見える判決は少なからず見かけます。

   この考えの根底には、①被害者の症状や検査結果から疾患Rであると判断できる場合には、②被害者の症状は「疾患Rによって引き起こされた症状」(由来する症状)となり、③疾患Rにより被害者の症状が合理的に説明できるようになり、④症状の存在が裏付けられる、との論理が存在するように見えます。

   しかし、被害者の症状を前提に疾患Rと診断し、その結果、「疾患Rに由来する症状」として被害者の症状が裏付けられるとするのは、たんなる循環論法です。

 

 ⅳ 循環論法であることはおくとして、「疾患Rに罹患したから疾患Rによる症状が引き起こされた」との関係性はほとんどの疾患で成り立ちません。現実には一定の症状と検査結果から、診断が下されます。

 

   CRPS患者の症状も様々な態様があります。日本版判定指標は5項目のうちいずれか2つを満たす場合(仮に5項目をA~Eとすると、AB、AC、AD、AE、BC、BD、BE、CD、CE、DEの10通りのパターンがあります)に陽性(感度約80%)となります。つまり、CRPS患者の8割は10通りもの症状の出方をしていて、残りの2割はそれとは異なる症状の出方をしています。

   この前提においてCRPS患者の症状をCRPSに罹患したことにより引き起こされた症状と見ることは現実に合いません。実際には様々な要因から一定の症状が一定の重症度になることにより、CRPSと評価されています。

 

5 診断が否定された場合の方が症状を合理的に説明できる

 

 ⅰ 現実の問題として、被害者の症状を生じさせている傷病名が分からなければその症状がどの程度であるのかがよく分からないという実感は存在すると思います。そこで傷病名に注目することは自然な感覚です。この考えを突き詰めると、症状そのものよりも症状を生じさせた傷病名の方が大切であるという感覚に行き着きます。

   この感覚から、「被害者はCRPSであるとは言い切れない。よって、被害者の症状が重い症状とは言い切れない。」との理屈が生み出されるようです。つまり、傷病名の方が大切なので傷病名の方が主要事実になって、症状がそこから導き出されるという理屈です。しかし、これは単なる循環論法で、しかも診断の実態に合わないことは既に述べたとおりです。

 

 ⅱ 正しい方法(鑑別診断)で診断の適否を検討した場合は、診断が否定された場合にこそ症状の存在がより合理的に説明できるようになります。

 

   例えば、患者の症状(A~E)を確認した医師が線維筋痛症と診断したとして、鑑別診断によりCRPSと修正された場合を想定すると、その鑑別診断が正しいとされたのはより合理的に患者の症状を説明できるからです。

   この場合には新たな病名によって「より合理的に症状が裏付けられた」という見方もできそうですが、検討対象の症状は同じです。

 

   鑑別診断の考えはポパーの反証主義に通じるものがあります。即ち、全ての理論はそれを絶対的に正しいとする根拠を得ることはできず(経験主義)、たんに現時点で反証を免れているに過ぎない。より多くの反証を克服することにより理論はより高い信頼性を得ることができる。反証が認められた場合でもその反証が絶対に正しいわけではないが、理論はより真理に近づいたといえる。この過程を確保するために理論は反証可能性を有していなければならない。

   つまり、ある診断が下されたとしてもそれが正しいと断定する根拠はなく、反証(鑑別診断)により診断が変わる可能性は常に存在します。より多くの鑑別診断を受けた診断は信頼性が高まります。 

 

 ⅲ 以上に対しては、例えば食あたりだと思われていた患者が実は胃ガンであったという場合には、患者が訴える腹痛への評価は異なるはずであり、腹痛という同一の対象であっても、他人による評価という間主観的な尺度で見れば症状の強さに格段の違いがあるという反論が考えられます。

   しかし、これは例示内容に問題があります。一定期間続いた腹痛その他の症状を生じる疾患として合理的な範囲内での比較検討であれば、診断の適否により症状の見方が変わることはありません。重度の胃潰瘍の症状と胃がんの症状とでは前者の方が重くても特に問題はないと思います。

 

 ⅳ まとめ

「医師Aが患者PをCRPSと診断した」という事実は、その診断が誤診であるかもしれないとしても、その医師がその診断を下すほどの症状を患者に確認した事実を意味します。従って、この限度において診断は(漠然とした)症状の存在を裏付ける間接事実です。但し、診断の基礎となった具体的な症状が判明している場合には「診断により症状が裏付けられる」との関係は認められません。

また、医学的に正しい方法(鑑別診断)でその診断が否定された場合には、患者の症状は「より合理的に説明できる」という意味において裏付けられています。但し、対象となる症状そのものは変わりません。 

 

6 間接事実に証明責任を適用する誤り

 ⅰ 傷病名が主要事実であると誤解して、「疾患Rであると認めるに足りる証拠はない」などの形で認定している裁判例はしばしば見られます。本件では、RSDとの診断について、「疑問の余地があり、直ちに認めることはできない」との理由で否定の結論を導います。

 

   この部分には4点の誤りがあります。①傷病名は主要事実ではなく間接事実です。②かりに証明責任が適用される事柄であったとしても、求める証明度が高すぎます。③「証明責任は自由心証が尽きたところでその機能を開始する」(定説)とされているように、証明責任は事実認定の道具ではなく、自由心証で事実が認定できなかったという異常事態において結論(法規の適用)を決める道具です。④自由心証に証明責任を取り込むことは誤りです。

 

 ⅱ 最高裁判決が述べる「高度の蓋然性」は80%ほどの心証(証明度)であるとされています。従って、「おそらく~であろう」との心証であれば足ります。アメリカでは証拠の優越(50%超原則)とされていて、この見地から80%ほどの心証では高すぎるとの批判があります。

以上に対して、「確実」ないし「ほぼ確実」(95~99%)とのレベルの証明度を求めることは誤りです。この誤りに陥ると、表見証明、一応の証明、間接反証などの民事訴訟法概念が機能する余地を失います。 

 

ⅲ この判決は間接事実についても全般的に「~であると認めることはできるか」との視点で検討していて、「何が起きたのか」の視点で実質的な心証を形成していないことが気にかかります。

間接事実についてはそこから得た心証をそのまま述べる必要があります。これにより初めて主要事実の存否を推論する基礎とすることができます。ありのままの心証を基礎としなければ、正しい推論はできません。

 

例えば、数学の問題を解く過程では無理数などはそのままの形で保存(記号化)してその先に進む基礎とします。これに対して「π(3.14…)」という記号を用いずに「3以下であるとは認められない」と結論付けると先に進めません。

 

事実認定も同じで、ある事実について「おそらく~であろう」、「~であるとするのは躊躇する」、「この事実からは~とは考えにくい」、「~の事実と整合する」などの形で各事実に即したありのままの推論を示すことによって、その先の推論の基礎となります。そもそも間接事実については「~であるとは認められない」との結論を出す必要もありません。

しかし、間接事実についてありのままの心証を述べることをことさらに避けている裁判例は少なくありません。「誤った判断を述べてはいけない」という考えからできるだけ心証を開示せず、「確実に~と認めるに足りる証拠はない」という言い方に逃げているように見える裁判例は少なからず見られます。

 

もちろん、主要事実においてさえも「確実」との心証を求めることは正しくありません。求める心証を必要以上に高くすることは事実に即した認定から遠ざかります。事実に最も近くなるためには「生じた可能性が最も高い事実は何か(何が生じたのか)」の視点で検討する必要があります。

その検討を総合した結果、「高度の蓋然性」をもって主要事実の存否を判断できない場合に、初めて証明責任を持ち出して結論(法規の適用)を決めることとなります。

従って、主要事実を認定する場合においても、いきなり「~であると認めることができるか」という視点を持ち出すのはまずく、「何が起きたのか」との視点でその事案を解明できた度合いをそのまま記述し、解明できていない部分について、その度合いが主要事実に求められる証明度に達していないことを示した上で、やむを得ない最終手段として証明責任に結論をゆだねることになるはずです。

 

7 背理法無視の誤謬(他事情考慮の欠落)

 ⅰ 本件で被害者がRSDと診断されたことは、「被害者の症状や検査結果等について医師がRSDと評価できるとして、その診断を下した」との意味を有する事実です。

   もちろん、のちに行なわれた別の精密検査により、別の診断が下された場合においてもこの事実自体は不変です。「その状況をより合理的に説明できる対案が提示され、その対案の方が優れていたから対案を支持する」との状況が生じたとしても、最初に下された診断の元になった症状が否定されるわけではありません。むしろ逆に症状がより合理的に説明できるようになるはずです。

 

 ⅱ 判決の最大の問題は、事故の半年後に確認された症状がCRPS(RSD)ではないとした場合に、その症状をより合理的に説明する傷病名が存在しないことです。これは背理法無視という基本的かつ致命的な誤りです。この場合の背理法は、①「A」または「A以外」である(排中律)、②「A以外」ではない、③よって「A」である、との単純な論理です。

論理の基本原則である背理法を無視した思考に基づき「とにかく『確実にRSDである』とは言えない。よって、RSDであるとは認められない。RSDではないとした場合の候補は見当たらないが、実際に何であるかは関知しない。」との論理は、それ自体が誤りであるというほかありません。これに対して、被害者側は「ではRSDではないとしたら、一体この症状をどうやって説明できるのか」と憤ることでしょう。

   裁判例においては「他の妥当な説明が見当たらない」、「他に考えられる事情はない」、「他の原因は考えられない」との論理を用いる事実認定は多く見られます。

 

 ⅲ 最高裁判例には、因果関係判断については他原因考慮(それでないとした場合に他に原因がありうるか)との点から、相当の可能性がある具体的な他原因をあげなければ、一応の証明ができている原因を否定できないとする準則を述べる一連の判決があり、この準則を前提とする概括的認定に関する一連の判決もあります。

   最高裁判例からは、一定のレベルで証明ができている事柄について、代替案も示さずに「『確実にAである』とは言えない」との理由のみで否定することは誤りとされます。これは論理の基本原則ないし一般的な常識からも当然というべきでしょう。

   従って、医師が症状を列挙してこれに基づいてある診断を下した場合には、その診断を否定するためには代替案(鑑別診断)をあげなければならないことは、医学的な常識であるとともに最高裁判例の事実認定の準則にも合致します。

 

 

8 胸郭出口症候群について

 ⅰ 被害者については、2年4か月後のカルテに胸郭出口症候群との記載があり、2年8月後と3年1か月後に作成された後遺障害診断書に胸郭出口症候群と記載されています(36頁)。その根拠として血管造影検査の結果。左右の鎖骨下動脈の径に差があるとされているようです。この診断は被害者についてRSDと診断した医師ではなく、外傷性低髄液圧症候群とした医師により行なわれています。

低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)が問題となる事案では、これに併せて胸郭出口症候群の診断も下されている事案は少なからず見られます。このタイプの事案では低髄液圧症候群が中心的に議論されていて、胸郭出口症候群の診断根拠がはっきりしないものが多く見られます。本件もこれに属します。

 

 ⅱ 本件では事故後の被害者の症状の経過からは、胸郭出口症候群による神経損傷を基盤にしてCRPS(RSD)を発症したように見えます。

   即ち、事故翌日に被害者が訴えた、左上肢のだるさと痛み、頭痛(左側)、左肩、左肩甲部の痛みは胸郭出口症候群の典型症状です。

 

   上記のとおり半年後の症状は、①左肩・肩甲骨から背部・上肢の痛み、②左背部の軽度腫脹、③めまい、ふらつき、④左背部・肩から上肢の感覚過敏、⑤左前腕尺側に軽度の筋萎縮、⑥左肩関節前方挙上、左肘関節屈曲・伸展に軽度の関節可動域制限あり、⑦左側の背部、肩から上腕の皮膚温低下などがみられる(22頁)とされています。

   このうち、①、④は胸郭出口症候群でよく見られるもので、③のめまいなどの愁訴も胸郭出口症候群でしばしばみられる症状とされています。また、⑤は胸郭出口症候群による神経損傷により生じたものとして説明できます。筋組織は神経の支配が失われると萎縮を生じます。

   一方で、②の腫脹、⑥の肘関節の可動域制限、⑦の皮膚温低下は胸郭出口症候群のみでは説明しにくく、これを基盤としてCRPS(RSD)の段階に至ったと見るべき症状と言えます。

   なお、可動域制限(⑥)については、胸郭出口症候群で肩関節の可動域制限が生じている事案はしばしばみられますが、その可動域制限が肘関節や手関節に及んでいる場合や、可動域制限が重くなった場合にはCRPSの段階に至ったと見るべき要因となります。

 

 ⅲ 胸郭出口症候群が基盤となってCRPS(RSD)を発症したと思われる事案は裁判例では少なからず見られます。

最初に胸郭出口症候群との診断を受けた場合には、その後に症状が悪化し続けて「ここまで重症化したらCRPS(RSD)と診断するべきではないか」と思われる状況となっても、胸郭出口症候群の診断を維持していることはしばしば見られます。

   逆に最初にCRPS(RSD)との診断を受けた場合には、そこに至る過程で胸郭出口症候群を生じているように見えても、その検査を受けていないことが多く見られます。 

 

9 脳脊髄液減少症を検討する意味について

 ⅰ 本件では、脳脊髄液減少症について、①モクリ基準、②国際頭痛分類基準、③神経学会基準、④研究会ガイドライン、⑤厚労省報告書基準などに言及して検討しています(26頁以下)。

   どうしてこれらの基準を列挙して検討しているのかというと、やはり、「正しい基準」がどれであるのかを判断したいからでしょう。判決は、①被害者が脳脊髄液減少症に罹患していれば、②被害者の症状は『脳脊髄液減少症に由来する症状』となり、③傷病名の裏付けのある症状となる、との考えでこの検討をしていると考えられます。

   その前提として、脳脊髄液減少症という疾患についての医学的に正しい診断基準を当てはめることによって、被害者が脳脊髄液減少症に罹患しているかどうかを正確に判断できるとの考えから、上記の各診断基準の比較検討をしていると考えられます。

 

 ⅱ けれども、やはりこの考え方は構造自体に問題があると思います。仮に、脳脊髄液減少症の診断が正しいとされたとして、そこから導かれる患者の症状というものは存在するでしょうか。

   これが循環論法であることはひとまず措くとして、患者の訴える症状と検査結果をもとに脳脊髄液減少症と診断し、その結果患者の訴える症状が「診断が正しいというお墨付き」のある症状となり、その症状の存在を認めることができるという関係性は認められません。

   脳脊髄液減少症の患者にも色々な症状があり、診断が正しいからと言って具体的な症状が導かれるわけではありません。診断は症状の存在を大前提として、これに対する評価として下されるものであって、診断の適否により症状の有無や程度が左右される関係は存在しません。

上記の脳脊髄液減少症についての各種の診断基準は、それぞれが対象とする病態が必ずしも一致していません。このためそのまま診断基準の優劣を検討することができないという問題もあります。

仮に対象とする病態が一致していたとしても、診断基準の優劣の検討は「より多くの患者を適切に選別できるかどうか」との視点で行なわれるので、診断基準が正しいかどうかという意味での検討は次元が異なります。

 

 ⅲ 診断を否定しても症状の存在は否定されないため、ある診断を否定するためには、その診断に取って代わって症状を説明することのできる別の病名をあげる(鑑別診断をあげる)必要があります。

   診断基準とされるもののほぼ全部は、その基準のみで全ての患者を選別できるものではなく、通常はその疾患に罹患していても診断基準を満たさない患者が1~2割ほど存在します。この場合には鑑別診断により、他の疾患の可能性を否定した上でその疾患の診断が下されます。

これに対して、判決では全ての脳脊髄液減少症患者を1人残らず選別できる「正しい診断基準」という架空の存在を想定して、それが何であるかを検討しているように見えます。このため診断基準を列挙して検討するという手法を取っています。

 

 ⅳ 本件で現実に存在する事実は、「その被害者の症状や検査結果から、A医師が脳脊髄液減少症と診断した」との事実です。即ち、①被害者にある一定の症状と検査結果が存在していて、②それらはA医師が脳脊髄液減少症と評価できるものである、との事実です。

上記②の「A医師が脳脊髄液減少症と評価したこと」は事実であるので、事実自体は否定できません。そこで、「本当は脳脊髄液減少症ではない」という次元の異なる主張をすることとなりますが、この主張ではA医師が確認した症状を否定できるはずがありません。被害者の症状の存否や程度に関しては、診断の適否を検討することにあまり意味はありません。

このことは医学的に正しい手順に従い、被害者の症状を説明できる別の疾患をあげて、その疾患により被害者の症状が説明された場合を想定すれば明らかでしょう。

 

 ⅴ 脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)が問題となる事案においては、胸郭出口症候群やCRPSだけではなく、高次脳機能障害や軽度外傷性脳損傷などの別の疾患の診断も受けていることがしばしばあります。

この場合には、脳脊髄液減少症の病名が対象とする症状はどの範囲のものであるのかはっきりしない裁判例がほとんどです。脳脊髄減少症と他の疾患があいまって症状を生じさせているとの趣旨で、かなり広い範囲の症状を脳脊髄減少症で説明しようとしているように見えます。

 

10 症状をいかにして認定するべきか

 ⅰ 「診断が正しいから症状が存在する」との考えや、「診断が正しくないので症状の存在は認められない」との考えが誤りであることは明らかです。また、診断が正しいとされたことにより、「正しい診断というお墨付きのある症状」になるとの考えも同様に誤りです。

   診断は症状を前提として、その評価として下されるものであるとの基本的な考えからは、診断の適否をいくら検討しても症状の有無や程度は見えてこないはずです。症状の有無や程度を判断するためには、症状そのものにより近い証拠を吟味するべきです。

 

 ⅱ 被害者の症状の存否や程度に関しては、①被害者本人の訴え、②それを医師が確認したこと、③検査結果、④治療内容、⑤治療期間、⑥就労や日常生活への影響、⑦診断(症状を確認した医師の評価)、⑦その他の事情を総合して認定する必要があります。

 

   事故後の通院状況や治療内容から「本当に痛くて治療を続けているのであろう」と考えられる場合はしばしば存在します。扶養家族がいるのに就労できずに治療を続けている事情などから被害者の症状の重さを推し量ることもできます。事故前に10年以上まじめに就労していたのに就労ができなくなったとの事情も症状を裏付けます。この種の判断は一般人の常識感覚からは当然のことであり、「弁論の全趣旨」から心証を形成する訴訟でも同様です。

   ところが、上記のうちの診断のみに着目して、しかも、診断の適否にのみ着目し、さらに代替案(鑑別診断)をあげずに診断の適否を検討し、症状の存否を判断することは、やはり感覚としても非常にずれていると思います。一般人からは「裁判官は頭が固いなあ。どうして症状に関連する他の多くの事情に目を向けないのだろう。」と見られると思います。

 ⅲ もちろん、裁判例のなかには通院や治療の状況などから心証を形成して、傷病名に拘らないものも多く見られます。

   最近のものでは横浜地裁平成24年7月31日判決(判例時報2163号79頁)は、被害者について「脳脊髄液減少症の疑いが相当程度ある」との認定で、事故後の症状や治療経過から後遺障害を認定(9級)しています。

   京都地裁平成23年11月11日(自保ジャーナル1871号29頁)は、CRPSの事案で「病名としては不確定であるが、症状として難治性疼痛がある事実は認められ、発現時期等から、本件事故に起因するものである蓋然性が認められる」としています。

   東京高裁平成22年9月9日判決(自保ジャーナル1832号1頁)は「WHOの定めた軽度外傷性脳損傷に関する平成16年の定義に該当するか否かについては本件訴訟においてそれを確定することが必要であるわけではない。本件訴訟において重要なことは本件事故によって(被害者)が頭部に衝撃を受け脳幹部に損傷を来してこれを原因として後遺障害を残存させたかどうかである」としています。

1 存在を認めなかった症状について

 ⅰ 判決は、被害者に対するCRPS、胸郭出口症候群、低髄液圧症候群との診断を「正しいとは言えない」という形で証明責任によって否定する形になっています。その結果、診断の基礎となった症状を裏づけのない症状であるとして被害者の症状を否定する方向に向かっています。

   この部分の構造的なまずさは上記のとおりですが、その結果として被害者の症状の一部を詐病であるとしてその疑いを述べています。即ち、①視力低下、②光過敏、③音過敏、④歩行不能、⑤立位保持困難、⑥座位維持困難、⑦思考力の低下、⑧記憶力の低下、⑨集中力の低下、⑩気力の低下などを列挙して、「そもそも原告にかかる症状が生じているか疑問がある」(37頁)と述べています。

   その理由として、①視力低下については事故から半年後にその訴えがあると述べ、①から⑩について事故直後に受診した病院ではそれを裏付ける明確な他覚所見がないとします。 

 

 ⅱ しかし、交通事故後にしばらくして視力の低下を訴える事案はしばしば見られます。①から⑩はその性質上、「明確な他覚的所見」(この表現には問題があります)を得られにくいものです。そのこと故に詐病を疑うというのも疑問です。

   不定愁訴(医学的に説明できない症状)を訴える患者は、総合診療の現場の1033%を占めると言われています(『不定愁訴の診断と治療』3頁)。その症状が存在しないと考える医師はまずいません。

 ⅲ 判決は「他覚的所見」を画像所見などに限定する意味に誤解しています。「他覚的所見」は医師が五感の作用により確認できた全ての症状を意味します。患者の協力を得て看取した症状も当然に「他覚的所見」とされます。このことはこれまでにも繰り返し述べてきたとおりです。

   他覚的所見の意味を誤解している判決では、「他覚的所見のないものは14級で、あるものは12級」との誤りと抱き合わせで誤解していることが通常で、この判決もこの誤りを取り込んでいます。

   「他覚的所見」は医師が看取した全ての所見であるため他覚的所見の有無では区別できないので、『青い本』では12級と14級は証明と説明の違いとしています。訴訟では、全ての証拠を総合的に吟味して心証が取れれば「証明あり」と単純に考えれば足りる話です。

画像があるから認めるという証拠の制限は、弁論の全趣旨から自由に認定でることを骨格とする自由心証主義に反します。

 ⅳ また、①から③はバレリュー症状などとして裁判例ではしばしば目にします。判決がめまい、ふらつき、耳鳴りの存在を認めつつ、①から③を否定することは、一貫しません。

上記の⑦から⑩に関して、強い痛みが続くと痛みによる健忘症や集中力の低下は多く見られます。被害者が事故の2か月後という早期にRSDを疑われ、1日2回ものブロック注射を受けてきた事情からは、⑦から⑩が存在することは特に疑うべきことではないと思います。

   さらに、④から⑥については、被害者が長期間訴えてきた症状であり、後遺障害診断書にもその記載があることや、被害者の受けてきた治療内容からは、現実にもその症状が存在していると考える方が穏健であると思います。 

 

 ⅴ 判決はCRPS、胸郭出口症候群、低髄液圧症候群を発症したことを認めなかったことが症状を否定することに直結するとの誤った思考から、症状の一部のみ(頭痛、頚部痛、めまい、ふらつき、耳鳴り、左肩・左肩甲部・左上肢の痛みやしびれ)を認め、それ以外を否定しています(37頁)。

   そのすぐ下の部分で、認めなかった症状についてその存在が疑わしいとして後付けの根拠を述べているのですが、証明責任で結論を決めた後で泥縄式にこの結論に従った事実認定をしているように見えます。この部分も構造的にまずいと思います。

   自由心証で実質的な心証を得られなかったために、証明責任に頼って結論を決めたはずであるのに、その後にその結論をもとに別の事実を認定することは、事実認定の構造としても難があります。

   判決は「~であると認めることはできるか」との形で証明責任を先取りした事実認定(自由心証に証明責任を取り込む誤り)をしており、この誤りのために証明責任を適用した結論を元に自由心証で事実認定を行なう誤りが無意識に生じているように見えます。

2014年6月 5日 (木)

典型的上肢CRPSを否定(25.10.31)

1 東京高裁平成25年10月31日判決(自保ジャーナル191338頁)

 (1審:水戸地裁麻生支部平成25年5月17日判決)

  この事案の特徴は、①典型的な上肢CRPSの症例であること、②自賠責の3要件を診断基準と誤解したこと、③上肢がむくんで腫れ上がった典型症例を逆に筋萎縮がないとして詐病と認定したこと、④左上肢機能の全廃(5級相当)を主張した被害者を14級相当としたこと、⑤由来する症状論を述べていることなどです。

 

2 症状の経過

ⅰ 被害者は症状固定時46歳の主婦です。平成20年8月16日に乗用車に同乗していて交差点で普通貨物自動車と出会い頭衝突する事故に遭います。被害者は事故直後からB病院に52日入院し、その後もB病院に通院して、約1年8か月後の平成22年6月23日に症状固定とされ、主治医は左上肢CRPSによる左上肢の拘縮とし、これに基づいて被害者は左上肢機能の全廃による5級相当の後遺障害が残存したと主張しています。

地裁判決は自保ジャーナル3頁分しかない非常に簡潔なもので、事故後の治療・症状の経過には触れていません。治療費が951万734円と高額であることからB病院以外にも通院していると思われますが、詳細は不明です。

高裁判決は事故直後の診断名は左肘打撲であった(44頁)としているので、この受傷や頚椎捻挫などがきっかけでCRPSの症状に至ったようです。高裁判決は症状固定時期を事故から約1年後の平成21年8月21に早めている(44頁)ことから、症状の進行の早い症例であったと思われます。

 

 ⅱ 地裁判決が非常に簡潔である理由として、①自賠責の3要件をCRPSの診断基準と誤解して直ちに結論を出したこと、②地裁支部の事件であること(大規模庁の交通事故専門部ではない)、③提訴した側も公設事務所の若い弁護士であること(公設事務所は種々雑多な仕事があり、専門的な訴訟をじっくりやることが困難な状況にあると推測できます)、④裁判官が加害者側の医学意見書を信じて簡単に結論が出せると考えたこと、⑤通院の状況や症状の経過などを後遺障害認定に際して重視する考えを持っていないことなどの事情が考えられます。

 

 ⅲ 自賠責では14級9号とされています。主治医の判断をそのまま採用した場合(5級)とは天と地ほどの違いがあります。なお、地裁判決にも高裁判決にも自賠責の認定理由は引用されていません。

   繰り返し述べてきましたが、CRPSに罹患していても自賠責の3要件基準を満たす人は1%以下と推測できます。平成15年に3要件基準が制定される以前は本件類似の症例は自賠責で重い後遺障害等級が認定されることも少なくなかったのですが、3要件基準が制定された以後の事故では自賠責ではほぼ全てが12級以下と認定されているようです(但し、労災では12級より重いと認定されることも少なくないようです)。

   自賠責では傷病名に関わらず後遺障害の度合いのみを判断することが原則です。3要件基準はこの原則の重大な例外として、重症事案を狙い撃ちして制定されています。その不合理はこれまで繰り返し述べてきたとおりです。

 

3 CRPSの典型症例であること

 ⅰ 主治医は被害者の左上肢の肩・肘・手・手指に著名な拘縮を認めるとしています(48頁)。また、上肢全体にむくみ(腫脹)が生じています。主治医の判断に従い、被害者は5級相当の後遺障害と主張しています。

   上肢全体に痛みが生じて腫れ上がった(むくんだ)状態となり、関節拘縮が生じる症例はCRPSの典型症例です。交通事故によるCRPSの裁判例においても、約半数は上肢全体に症状が生じている症例です。

 

 ⅱ 上肢の各関節の可動域を偽装することは非常に困難で、上肢の全ての関節の可動域を偽装することは不可能と容易に断言できます。例えば医師が患者の肩を固定して肩関節の屈曲、伸展をする(上肢を前後に動かす)場合に、患者が腕を突っ張って微妙な小さい角度での病的な抵抗を偽装することはまず不可能です。腕力の弱い女性が症状を偽装することはなおさら不可能です。肩関節だけではなく肘関節や手関節の症状をも偽装することはより一層不可能と言えます。

この典型症例においては、被害者の詐病や医師がそれを見落とすことはまず考えられないという特徴があります。従って、可動域測定の結果を否定することは、医師と患者の共謀を認定したことを意味します。

 

 ⅲ 裁判例によれば、この重症化した典型症例においても加害者側はほぼ全ての場合に被害者の後遺障害のほぼ全てを否定する主張を行い、その主張を裏付ける医学意見書や鑑定書を提出しています。この外形が理解できていれば加害者側が恒例として出してくる「問題のある医学的知見」(筋萎縮必須論や骨萎縮必須論など)を信じることもないと思います。

   医学的な争点が問題となる交通事故訴訟においては、加害者側はそれぞれの傷病に応じてパターン化した「問題のある医学的知見」のセットが書いてある医学意見書を出してくることが多くみられます。その内容は専門知識を駆使した巧妙なものであることが通常で、巧妙な法律論に誘導するものも多く見られます。

 

 ⅳ 残念ながら私の経験では本当に医師が書いたと私が信じることができた医学意見書はほとんど見たことがありません。その事件と同種の事件で恒例の「問題のある医学的知見」を列挙している医学意見書が出されることがほとんどです。

 そこで、私の事件では「本当に名義人の医師が書いたのであれば、『間違いなく自分が書いた。補助者もいない。』と一筆書いてくれないでしょうか。」と相手方に釈明を求めることが通例となっています。ほとんどの事件で相手方はその釈明に回答せずに逃げ回り、こちらは仕方なく5回、10回と求釈明を繰り返す状況となります。この具体的な方法については以下のエントリーで述べています。

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「損保側医学意見書への対応法」

http://s-hat.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-46d0.html

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   仮に万が一、名義人以外の人がその医学意見書の作成に関わっていたのに「自分ひとりで書き上げた」と嘘の回答し、その回答の内容が医学的にも重大な疑問のあると認定されれば、構造計算書の変造事件とは比較にならないほど重い罪に問われることでしょう。現実に重度の障害に苦しんでいる人に対して意図的な嘘として「詐病だ」と主張するわけですから。私の求釈明に答えられない名義人が少なからず存在するのは、もしかしたらそのような事情が影響しているのでしょうか。

 

4 3要件基準は診断基準ではない

 ⅰ 繰り返し述べてきたことですが、CRPS(RSD、カウザルギー)において必ず生じる症状は1つたりとも存在しません。これは世界中の医師が認める定説で、各種の判定指標もこれを前提に作られています。このことは日本版のCRPS判定指標を見れば即座に理解できると思います。

 

 ⅱ 労災や自賠責においてさえも3要件基準はRSDであるかどうかを診断する基準ではないこともこれまで繰り返し述べてきたとおりです。

労災や自賠責の認定係は、医師資格を有していることは必須ではありません。仮に自賠責で診断が行なわれれば医師法違反(犯罪)となります。医師の診断の適否を判断することも医師法違反となります。それゆえ自賠責では診断された病名に関係なく、医師が判断した後遺障害の程度を判断することが原則となっています。この基本的なことを知っていれば、自賠責の3要件基準を診断基準と誤解することはあり得ないと思います。

 

 ⅲ 労災や自賠責ではカウザルギーは医師の認めた診断と症状をもとに後遺障害の程度を判断し、RSDについては3要件を満たす場合にはカウザルギーと同様に扱われるとしています。つまり、3要件基準はRSDをカウザルギーと同様に扱うための要件であって、RSDであるかどうかを診断(認定)する要件ではありません。

   なお、3要件を満たせば医師の診断した症状が存在する前提で後遺障害の程度を判断することになるので、3要件基準が後遺障害の程度を判断する指標になることもありません。

   このように労災や自賠責において3要件基準が診断基準ではないことや、後遺障害の程度を判断する指標ではないことは、普通に基準を読めば簡単に理解できるはずです。しかし、なぜか誤解する人が多くいます。

 

 ⅳ 労災や自賠責の枠組みは、カウザルギー(神経損傷が確認されたもの)とRSD(神経損傷が確認されていないもの)という区分のもとで、RSDにおいては神経損傷が確認されていないことから、特に3要件を満たす場合にカウザルギーと同様に扱うとしたと理解できます。

   但し、臨床での大規模調査による統計上の事実として、3要件を満たすRSDが1%以下と推測できることからは、3要件基準には合理性がないことは既に判明しています。これらは繰り返し述べてきました。

 

 ⅴ ところが3要件基準が制定された以後の裁判例では、加害者側は3要件基準を診断基準であると主張することが恒例となり、この誤った主張を採用した裁判例が多く見られるようになりました。

   また、加害者側は3要件を満たす度合いが重症さの度合いであるとの誤った主張をすることが普通になり、特に骨萎縮がなければ重症ではないとする主張は恒例となりました。この誤った主張を採用した裁判例も多く見られるようになりました。

 

5 3要件基準の当てはめについて

 ⅰ 自賠責では本件のような重症化した典型症例であっても、3要件の各要件を1つたりとも満たさないとしているものを多く見かけます。本件では主治医は左肩・肘・手関節・手指に著明な拘縮を認めたと診断書に記載しています(48頁)が、このような場合でも、「関節拘縮」の要件に該当しないと判断されていることが通常です。

なお、自賠責の後遺障害認定の原則論からは、診断される病名のいかんに関わらず上肢全体に関節拘縮が存在すれば5級となるはずです。RSDという傷病名を狙い撃ちして例外を設定している点に3要件基準の特殊性があります。

 

 ⅱ 自賠責では、まず①可動域測定の結果は他覚的所見ではないとの誤った理屈を前提として述べるものが多くみられます。他覚的所見については前回も述べましたので省略します。可動域検査の結果は他覚的所見であり、典型症例ではその偽装は不可能です。

   また、②関節拘縮が生じているのであれば骨萎縮が生じているはずだとして関節拘縮を否定することもあります。主治医が骨萎縮を認めている場合には、「明らかではない(著明ではない)」とか「軽度である」として骨萎縮の要件を満たさないとすることも多く見られます。

さらに、③関節拘縮が生じているならば筋萎縮が生じているはずであるとして、関節拘縮を否定することもあります。関節拘縮に筋萎縮が必須ではないことは繰り返し述べてきました。

以上のほかに、④レントゲンやMRIで確認できないから関節拘縮を認めないとするものが多く見られます。なお関節拘縮は原理的にレントゲンやMRIで確認することはできません。

 

 ⅲ 骨萎縮については、裁判例の上では主治医が骨萎縮を確認していた事例は少なからず見られます。本件でも主治医はレントゲンで前腕から手指にかけての骨萎縮が見られるとしています(48頁)。

   このような場合でも自賠責においては、「明らかではない」とか「軽度である」として骨萎縮の要件を満たさないとすることが通常です。なお、自賠責の認定係はレントゲンを読み取る能力があることは保証されていません。

   本件では地裁判決は骨萎縮の証明がないとしてこの要件を満たさないと認定しています(48頁)。おそらく、骨萎縮が「明らかでない」などの主張が加害者側から提出され、主治医の判断以上のものが要求されたと思われます。

   高裁判決は「レントゲン上、左上肢には著明な骨萎縮は認められず」(43頁)と認定しています。これは求められる骨萎縮の程度を「著明」というレベルに引き上げることにより否定の結論を導く論法です。これでは加害者側から骨萎縮を否定する医学意見書が出されると、「否定する医師がいるので著明ではない」という理屈になりそうです。

 

 ⅳ そもそもCRPSに骨萎縮は必須ではない(そもそもCRPSには必須の症状は1つたりとも存在しません。なぜかこの初歩的なことさえ知らない人が多くいるようです)と言ってしまえばそれまでです。従って、骨萎縮を要求すること自体が誤りであると容易に断言できます。

   また、CRPSには必須の症状がないため、ごく軽微な骨萎縮であっても擬陽性(カルテには「±」と記載されます)として積極的に考慮する必要があります。これに対して、骨萎縮が「著明」でなければならないとする考えが誤りであることは自明です。

 

ⅴ 以上の点をおくとして、レントゲンの読み取りができない人(裁判官)を相手にレントゲンに骨萎縮が写っていることを理解してもらうことは原理的に困難です。主治医が骨萎縮を認めていても、これを否定する意見が出されれば水掛け論になります。

   主治医が骨萎縮を認めているのであれば普通に考えれば骨萎縮があります。これを否定する意見が出されたときに、それを打ち消すために別の医師の意見を出してその数や医師の経歴を競うのはばかげています。「間違いない」、「絶対に存在する」などの断言口調の強さを競い合うことは、なおさらばかげています。かといって、裁判官にレントゲンの読み取りができる能力を付与することも困難です。

   本件では、主治医は「前腕から手指にかけて」と部位を明確にして骨萎縮があると判断しています。これを信用しないのは医師と患者の共謀を認定することになります。このことが理解できていれば水掛け論で骨萎縮を否定することにはならないと思います。

裁判例の中には、「主治医の判断を特に疑うべき事情は加害者側から出されていない」との趣旨を述べて端的に主治医の判断を肯定したものもあります。私はこの判断が基本になると考えます。

 

 ⅵ 皮膚の変化については、本件では被害者の主治医がこれを認めていたのかどうか明確ではありません。被害者の上肢全体にはっきりとした腫脹(むくみ)が生じていたことからは、皮膚温の変化などの症状が存在したと思われますが、サーモグラフィー検査は受けていないようです。サーモグラフィー検査を受けて主治医が皮膚温の変化を認めていても、自賠責では「明らかではない」として否定されることが多いようです。

 

ⅶ 自賠責の認定では3要件基準を診断基準であると明記することはありません。しかし、3要件基準が診断基準であると読み手に誤解させるような書き方がされることは多く見られます。3要件基準を診断基準と誤解することが推奨されているような感じもします。

  なお、本件では被害者はCRPSと診断されているのですが、CRPSはRSD(CRPSタイプ1)とカウザルギー(CRPSタイプ2)の双方を含む概念です。このうち自賠責で3要件基準が適用されるのはRSDのみです。しかし、地裁判決も高裁判決もこの点を看過して単なる「CRPS」に3要件基準を適用しています。

 

6 疾患に対する見方そのものの問題

 ⅰ 地裁判決は自賠責の3要件基準をCRPSの診断基準と誤解して、①関節拘縮が存在することは否定せず、②骨萎縮と③皮膚の変化の証明がないとして、3要件を満たさないとして、「原告はCRPS罹患しているとはいえない」(48頁)としました。

   前回も述べましたが、CRPSとの診断が正しいかどうかは間接事実にすぎないので、この部分には間接事実に証明責任を適用する誤りがあります。また、関節拘縮(主要事実)が存在することを認めるのであれば、その程度において被害者の後遺障害を認めることになるはずです。

しかし、地裁判決はCRPSの罹患を認めなかったことにより、この関節拘縮は自動的に否定されると考えているようです。これは「診断が正しいと言えないので症状は認めない」との逆転した発想による誤りです。実は裁判例ではこの誤りは少なからず見られます。これは以下の考えが根底にあるようです。

 

 ⅱ 地裁判決は、CRPSに罹患するといくつかの定まった症状が必ず生じることになっており、それが自賠責でのRSDの3要件であると理解しています。なお、繰り返し述べてきましたが、CRPSにおいては必ず生じる症状は1つたりとも存在しません。

   地裁判決は、CRPSにおいては必ずRSDの3要件の症状が存在するとの関係を認めるばかりではなく、「CRPSに罹患したことによりこれらの症状が引き起こされる」との関係性を認めているようです。

   つまり、CRPSはあたかも特定の症状を必ず引き起こすウィルスのようなものであって、CRPSに罹患したことによりその症状が引き起こされるという見方です。この「疾患が症状を引き起こす」という誤解を基にしていると思われる裁判例は少なくありません。

   この考えを基にすると、「被害者はCRPSに罹患していない。よって、被害者にはCRPSが引き起こす症状が生じることはない」との独特の理屈が生み出されます。この理屈に囚われているからこそCRPSに罹患したかどうかを主要事実と誤解してしまうようです。

 

 ⅲ CRPSにおいて「疾患が症状を引き起こす」という見方は適切ではありません。そもそもCRPSは1つの原因により生じる疾患とは考えられていないので、疾患と症状の1対1関係は成り立ちません。

   現実には交通事故により神経が損傷を受けたことなどをきっかけに、痛み、しびれ、灼熱痛、アロディニア、むくみ(腫脹)、皮膚温変化、皮膚の萎縮、チアノーゼ、発汗過剰(過少)、骨萎縮、骨密度低下、筋萎縮などの様々な症状のうちのいくつかが生じて、それが一定レベルまで重症化することによりCRPSと診断されます。

   つまり、症状が先に存在し、それに対する評価としてCRPSとの診断が下されています。診断とは症状に対する評価です。これに対して、「CRPSに罹患したからこの症状が生じた」との見方は発想が逆です。

   CRPSは神経障害性疼痛とされる症状を生じる疾患の1つですが、神経障害性疼痛のメカニズムは多元的に説明されることが多数説で、1つの原因により特定の症状が引き起こされる関係にはありません。

   また、ほとんどの疾患において症状がある程度明確にならないとその診断を受けることができないとの事情は見られます。関節リウマチのように早期治療が効果的とされる疾患において早期治療のための「分類基準」が作られたものもあります。

   実際にもCRPSと診断される以前においては別の疾患で診断され、それが重症化してCRPSとされる事案は多く見られます。例えば、腕神経叢損傷が悪化してCRPS(を併発した)とされる場合などです。この場合には神経損傷による症状が一定のレベルを超えたことにより、CRPSと診断されたと言えます。

 

7 筋萎縮必須論は誤りである

 ⅰ 本件の被害者は上肢全体(肩・肘・手・指)に拘縮が及んでいて、上肢全体にむくみが生じているCRPSの典型症例です。患部のむくみ(腫脹)はほとんどの診断基準や判定指標で重視されてきた症状です。医学書で典型症例として写真が掲載されている患者の多くは患側の上肢が全体としてむくんだ状態にある方です。

   これに対して、高裁判決は上肢がむくんでいることはおかしい、筋萎縮が生じて細くなっていなければならないとして、被害者の詐病を疑う趣旨を述べます。さすがにいくらなんでもこれは酷すぎます。

 

 ⅱ 本件では加害者側は医学意見書を出して筋萎縮必須論を展開したようです。筋萎縮必須論の誤りはこれまで繰り返し述べてきました。CRPSにおいては患部のむくみ(腫脹)は典型症例です。筋萎縮が生じて患部がやせ細るのは全く逆の症状です。

   ところが、加害者側は被害者が詐病であると主張するために「上肢の可動域がこれほどまでに制限された状態が続いていたならば、重度の筋萎縮が生じているはずであって、それが生じていないことは私の長年の経験の中でも一度たりともなかったことである」などと力説する医学意見書が出されることがほとんど恒例となっています。

   高裁判決は「左上肢の関節拘縮があるのであれば、左上肢は運動を行なわず又は運動が制限されるために筋肉が萎縮し、その周径は減少していくものと考えられるところ」と述べ、「いずれも左上肢が右上肢よりも大きな値となっており、関節拘縮のために左上肢の筋肉の萎縮が生じていることとは矛盾した計測値が記録されている」として関節拘縮があるとは認められないとしました(43頁)。

 

 ⅲ CRPSでも筋萎縮が生じる場合はありますが、典型症例はむくみ(浮腫、腫脹)が生じる症例です。しかし、上記の理屈を信じきってしまった人を説得することは困難です。「上肢を動かさなければ筋の萎縮が生じるはずだ」という理屈はシンプルで力強さがあります。一度その理屈を信じきってしまえば、何を言っても無駄であるような感じさえします。

   かつて振り込め詐欺に遭ったおじいさんが銀行員を殴りとばしてATMにかじりついて振込みを果たそうとした事件がありましたが、何かを強く信じきった人を説得してその誤りを認めてもらうことは非常に大きな困難を伴います。

   なお、筋萎縮必須論を信じなかった裁判例においては「筋萎縮はCRPSで重視されない症状である」と簡単に述べて否定したものがいくつか見られます。このように筋萎縮必須論の理屈には反論をせずに、事実として否定することが正しいと思います。

 

8 「由来する症状論」は誤りである

 ⅰ 前回に述べた「由来する症状論」が本件の高裁判決でも述べられています。高裁判決は「控訴人の症状がCRPSに由来するものとは認めがたい」(43頁)とします。自保ジャーナルのタイトルにも「由来する症状ではないと否認して」との言葉が入っています。この理屈(由来する症状論)は一定の構造を有する判断過程を導くものとして加害者側から意図的に用いられています。

   「由来する症状論」では、①被害者が疾患Rにり患したと認めるに足る証拠はない。故に②被害者の症状は疾患Rに由来する症状とは認められない。として、「被害者が訴える症状Sは本件事故により被害者が疾患Rにり患したことに由来するものではない」などと述べます。

 

 ⅱ 被害者のある症状が特定の疾患(例えば疾患R)に由来するかどうかは必ずしも問題にするべき事柄ではありません。症状が存在すると認定できて、それが事故によって生じたと認定できれば、疾患Rに罹患したかどうかにこだわる必要はありません。症状の有無ではなく罹患の有無にこだわる「由来する症状論」は論点ずらしです。

「由来する症状論」は、症状から目をそらして診断というハードルに向かわせるというトリックが存在します。仮に、「診断が正しいとは認められないので、症状は認められない。」との表現ならば容易に誤りと気付くはずです。

しかし、「疾患Rに罹患したから症状が生じた」との表現に含まれる問題は気付き難いものです。ここから1歩進んで「疾患Rに罹患したとは認められないから、疾患Rに由来する症状とは認められない」との表現になると、問題意識がなければ騙されていることに気付くのはかなり困難です。

 

 ⅲ 「由来する症状論」は被害者の症状(主要事実)ではなく、診断の適否(間接事実)の方を重視するように仕向けます。医学的には診断が正しかろうが誤っていようが症状の有無には影響しません。診断は症状をもとに下される評価であって症状を変える力はありません。

   ところが、「由来する症状論」においては、まず、①疾患Rとの診断の適否を検討します。その上で②疾患Rと認められなければ何らかの症状があるとしてもそれは疾患Rに由来した症状ではないとされます。「罹患したから症状が生じる」という逆転した発想を滑り込ませることは「由来する症状論」の前提となっています。

 

 ⅳ この法律構成は加害者側の視点から作り出されています。即ち、①各種の検査結果などから被害者に症状が存在することを正面から否定することはやりにくい。②しかし、「疾患Rに罹患したことは確実だ」という命題なら否定できそうだ。③そこで症状の有無を検討対象から外して、「疾患Rに罹患したことは確実とはいえない。よって、症状は疾患Rに由来する症状とは認められない。」とする理屈が生み出されます。

   本件では主治医は被害者に骨萎縮があると判断しました。しかし、「CRPSに由来する骨萎縮は著明なものでなければならない」という理屈で高裁判決は骨萎縮そのものが認められないとしています(43頁右列下部)。

   主治医は被害者に重度の関節拘縮があるとしました。しかし、「CRPSに由来する関節拘縮を認めるためには著明な骨萎縮と筋萎縮が必要である」との理屈で地裁判決も高裁判決も関節拘縮を否定しました。

   このアクロバティックな判断を可能としたのは、「CRPSに罹患した」とするための要件を格段に厳しくする自賠責の3要件基準です。この3要件基準や筋萎縮必須論に向かわせるための舞台装置が「由来する症状論」です。

 

 ⅴ 「由来する症状論」においては、「では一体被害者の症状に対していかなる診断が下されるべきか」という問題は無視されます。「とにかく疾患Rに由来する症状ではない」とだけ判断されます。

これは「疾患Rに罹患したこと」が主要事実と誤解されていることによります。もちろん主要事実であるとしても事実認定に証明責任を取り込むことや、背理法を無視した認定は誤りですが、「由来する症状論」は「被害者は疾患Rにり患したかもしれないが、それを認めるに足りる証拠はない」との判断の空洞化に誘導します。

 

 ⅵ 気付いてみると、一番重要な症状の有無や程度(主要事実)は正面から検討されていません。「疾患Rに由来すると言えるほどの症状か」という逆転した発想のなかで判断が空洞化しています。診断の適否も「確実ではない(認めるに足りる証拠はない)」とされて実質的な検討はされていません。このように判断を極限まで空洞化して否定の結論を導くところに「由来する症状論」の特徴があります。

 

 ⅶ 実質的な認定を行なえば、被害者の治療をしてきた主治医の判断や被害者がどのような治療を受けてきたかなどの事情が重視されますが、本件では判決に記載すらされていません。「筋萎縮」、「骨萎縮」などのキーワードの概念的な操作に誘導することにより、実質的な検討から遠ざけることが「由来する症状論」の特徴です。

本件の高裁判決は、実質的には被害者の詐病と医師の共謀を認定するものです。しかし、判決はキーワードの概念的な操作により結論を導いているため、被害者の詐病を実質的に認定しつつも、医師が共謀したとの認識はないように見受けられます。これも判断の空洞化を導く「由来する症状論」の効果であるといえます。

 

9 症状は主として背景事情(事案の全体)から認定していくほかない

 ⅰ この事件では地裁判決も高裁判決も、被害者の症状を認めるためには、確実な根拠を必要とするとして、骨萎縮や筋委縮などを重視します。高裁判決はこれらが認められないので、被害者の症状は「他覚的に認められるものではない」(44頁 )としています。

   つまり、「関節拘縮を認めるためには、骨萎縮という他覚的所見や筋委縮をいう他覚的所見が必要である」との前提に立っています。もちろん、この考えは他覚的所見の意味を誤って理解しています。他覚的所見とは医師が感知したすべての所見を意味します。この点については前回も述べました。

 

 ⅱ 高裁判決は、他覚的所見の意味を誤って理解したため、関節拘縮を認めた主治医の可動域測定の結果をそのまま信用するという穏当な判断ができなくなっています。

   医師が上肢全体に著明な関節拘縮を認めたとする本件で、その判断が誤りである可能性はゼロですので、関節拘縮を認めないことは医師と患者が共謀したと認定したことになります。判決は「患者が必死に偽装すれば医者を騙せる」と考えているかも知れませんが、ここまで騙される医師はまずいないと断言できます。判決は、実質的な心証を持たずに概念的な操作で認定しているように見えます。

   私はこの誤りの根底には、症状が何らかの別の症状や検査結果により裏付けられるとの誤解が存在すると思います。ある症状についてそれを確実に認定できる画像所見などを求めれば、ほぼ全ての症状の存在を肯定できなくなります。症状の存在を認定する根拠に画像所見を求めること自体が誤りです。

症状の存在は、基本的には被害者本人の訴えや、被害者を診察した医師の判断や、通院の期間や受けてきた治療の内容や、就労や日常生活などへの影響といった総合的な事情から認定するほかないものです。これらの背景的な事情の積み重ねこそが事実認定の本質であり、裁判官はときには全人格を賭けてその認定を行うことが求められます。この要請から逃避すれば事実認定は空洞化してしまいます。この認定をする度量がないまま画像所見などで裏付けられないとして切り捨てていけば事実認定の空洞化は避けられません。

 

 ⅲ 事実認定は主張に対応する「絶対証拠」の有無をチェックする作業ではないのですが、対応する証拠を個別にチェックしているように見受けられる裁判例をしばしば目にします。

   伝統的に支持されてきた事実認定論では「動かし難い事実」を軸にしてそこからの推論の積み重ねにより事案の全体像を作り上げて、個々の証拠の検討はこの事案の全体像に整合するかどうかという視点で行なわれます。全体の視点と個別の証拠を常につき合わせながら、相互のチェックを繰り返していくことが事実認定の基本であると思います。

   これと対極にあるのは、全体像を練り上げる以前の段階で、個別の部分で「絶対証拠」がないことだけで証明責任を適用して否定の結論を導くことです。全体像を持たずに個別の部分ごとに細分化した認定を繰り返すことは伝統的な事実認定論とは正反対のものです。

   本件では被害者の事故後の治療の経過や医師の診断からは被害者の主張する症状はほぼ全て存在すると考えられます。ところが、地裁判決も高裁判決もこの全体像を持つことなく、細分化された部分の判断で結論を出しています。その思考過程が「~であるとは認められない」との判断であるため、事実認定がさらに空洞化してしまったように見えます。

 

10 タクシー代について

 ⅰ 本件では被害者は通院などのほか養護学校に通う子供の送り迎えや買い物などの細かなことにもタクシーを利用していたことから、810万円ものタクシー代が損害として主張されています。

一般的には通院だけでなく買い物などの細かなことにもタクシーを利用するのは、事故による症状が重いからであるとされます。タクシー代を否定する場合には、「そんなに頻繁にタクシーを使うほど重い症状ではない」と述べることが通常です。

ところが高裁判決は「症状が重ければタクシーを使って色々なところに行けるはずがない」と逆の理屈を述べています。高裁判決は「本件事故によって左上肢全体に疼痛があり、左上肢の関節拘縮があるのであれば、買い物は困難であろうし、通院とは無関係の場所に頻繁に赴く必要もないであろう」(44頁 )とします。また、事故前から長男の送り迎えにタクシーを利用していたことも認定して、タクシー代は事故による損害ではないとしています(44頁)。

 

 ⅱ 上記のとおり被害者の症状の存否は、通院の状況、症状の経過、医師の判断、被害者の日常生活の変化などの事情を総合的に判断して行なわれるべきものであって、検査結果などに視野を限定して判断するべきものではありません。ところが、本件では地裁判決も高裁判決も通院の状況や症状の経過に触れず、筋萎縮・骨萎縮がないとして後遺障害(症状)を否定しています。

   被害者がタクシーを多用したことは、通常は症状が重かった根拠となる間接事実です。しかし、本件では症状の判断では検討されず、症状(後遺障害)を否定したあとに「症状が重ければタクシーを使って色々なところにいけたはずがない」として、前提にあわせた理屈を展開しています。この部分は判断の構造に問題があります。

   また、この部分は「障害者は家でおとなしくしているべきだ」という差別的な視点が強すぎます。世の中には被害者と同レベルの後遺障害があっても必死に頑張って障害者枠などでなんとか働いている人も多く存在します。少しでも活動範囲を広げようとスポーツをしている人もいます。この判決の見方によるとパラリンピックに出ている人はすべて詐病になりかねません。盲目の人がマラソンを完走したりすると、詐病を疑うことになりそうです。

 

 ⅲ 通常とは反対の理屈を用いる上記の認定は、事実からの実質的心証に導かれたものというよりも、トコロテン方式で押し出されるようにして出てきたものです。高裁判決は後遺障害を否定する事実認定を行ったあとで、それにつじつまを合わせるように上記の認定をしており、その構造自体に問題があります。

自由心証が尽きたところで証明責任は機能を開始するとされている(定説)ように、証明責任は事実を認定する道具ではなく、真偽不明となった状況において結果(法規の適用)を決めるための道具であって、合理的な推論を積み重ねた上で事実を認定した状況とは根本的に異なります。

証明責任は真偽不明の状況に陥っても結論を出さなければならない職責にある裁判官に特別に使用することが許された道具です。裁判官はきちんと心証を取って証明責任に頼らずに判断をすることが望ましいことは言うまでもありません。たとえるならば証明責任は試験問題が解けなかった受験生が振る五角形のサイコロ(愚者のサイコロ)のようなものであって、その使用は最大限避けられるべきものです。証明責任の使用は事実認定を空洞化させます。

ところが一部の裁判例ではありますが、定説とは逆に事実を認定するに際して最初から証明責任の所在を考慮して「証明責任を満たすほどの証拠があるか」との視点で事実を認定しているように見えるものもあります。これでは自由心証は最初から存在しません。さらには、事実を細分化してその1つ1つを順番に証明責任で認定しているように見えるもの(すごろく認定)もまれに目にします。

また、証明責任を使用して事実を認定したあとで、その結果につじつまを合わせて別の事実を認定しているように見える裁判例もあります。これはサイコロを振って「2」の目が出たあとで「今日は3月2日だから2の目が出たんだ」と後付で理屈を述べるようなもの(サイコロの出た目に合わせる認定)です。証明責任により導かれた結果をもとに別の事実を認定することは、民事訴訟法が予定していないことであると思います。

 

 ⅳ 本件の高裁判決は、関節拘縮の有無の認定で「由来する症状論」を用いて「~であるとは認められない」という形で証明責任に頼った事実認定として関節拘縮を否定しています。事案の全体像を視野に入れた総合的な判断は行なわれておらず、実質的心証の裏づけのない空洞化した認定がされています。

   その後に検討したタクシーの多用は、普通は症状が重かったことを裏付ける事実です。ところが高裁判決は先に認定した事実につじつまを合わせるために、「症状が重ければタクシーを使って色々なところに行けるはずがない」としています。

高裁判決は事実認定を部分ごとに細分化して、しかもその結論を証明責任にゆだねて、証明責任が導いた結果につじつまを合わせるべくその後の認定をしているように見えます。

 

2014年4月13日 (日)

7年5か月後に固定とされた左肩CRPS(25.7.11)

1 大阪地裁平成25年7月11日判決(自保ジャーナル191238頁)

  この事案の特徴は、①症状固定まで7年5か月を要したこと、②判決が診断の適否に拘らなかったこと、③症状の程度の判断で診断基準を取り込んでしまったこと、④骨萎縮、筋萎縮に拘ったこと、⑤自営業者の収入について適切に判断していることなどです。

 

2 症状の経過

  被害者は事故時51歳の解体自営業男子です。平成13年6月25日にバイクで直進中に路外に出ようとした乗用車に衝突される事故に遭います。以下の経過で症状固定までに7年5か月を要しています。自賠責では12級(痛みについて12級、関節可動域制限は非該当)とされ、被害者は5級相当と主張して提訴しています。

 

 事故当日…B病院。左鎖骨骨折に対して手術が行なわれ39日間入院。手術後に鎖骨痛、左肩疼痛・異常知覚・関節運動痛が確認される。退院後はB病院に通院した。

 1年1か月後…左鎖骨の骨癒合が生じたことから、抜釘術が行なわれた

 1年半後…C大学病院への通院を始める。左鎖骨骨折後左側肩関節周囲炎と診断される。「リハビリしていたが徐々に左肩関節部疼痛出現・増悪してきた。」、「左肩関節部痛は受傷後数日して出現、現在初発時より症状強く認める。自動での屈曲(腕を前から上に挙げる)と外転(腕を横から上に挙げる)が20度しかないとされる。

 

*手術後に骨の癒合が遅れて抜釘が1年1か月後となり(痛みが続くと骨の癒合は遅れる傾向があります)、肩の自動可動域が大幅に低下していることからは、この時点ですでにRSDを疑うことができる状況にあります。

 

(以後のC大学病院での経過)

1年7か月後…針治療により90度挙上できるようになる。

 1年8か月後…今のところRSDは考えていないとされる。

 1年11か月後…MRIにより腱の肥厚、関節溝の変形・滲出を認め、炎症による変化を疑われる。

 2年1か月後…まだアロディニアきつい。この頃に星状神経節ブロックが始まる。左肩部RSDとされる。

 2年2か月後…ペインコントロール不良。

 2年5か月後…左肩のモビライゼーションのために入院、手術を受けて、一定の改善が生じた。

 2年8か月後…左肩のモビライゼーションのために再度の入院・手術

3年8か月後…右足を打撲して、のちに右足もRSDと診断される。

 7年5か月後…症状固定とされる(C大学病院)。左肩の関節可動域は、屈曲(腕を前から上に挙げる)が18度、伸転(後から上に挙げる)が12度、外転(横から上に挙げる)が25度、外旋(肘を90度曲げた状態で外に開く)が38度、内旋(肘を90度曲げた状態で内に閉じる)が43度であった。

 

3 症状固定までの期間について

 ⅰ この事案の特徴は症状固定までに7年5か月もの期間を要した点にあります。これまで検討した事案でも症状固定までに4年や5年を要した事案がありましたが、7年5か月は最長です。

症状固定までに長期間を要した事案では症状の悪化がゆるやかで徐々に悪化して行ったという事情が多く見られます。本件では1年半後の時点でかなりの可動域制限が生じていますが、2年半後(平成16年)ころから関節拘縮に至ったとしているので、他動可動域の制限が遅れて生じたようです。7年5か月後の可動域に自動・他動の区別の記載がないのは、非常に強い痛みのため他動での検査ができなかったと考えられます(この事情はしばしばみられます)。

 

 ⅱ 関節拘縮は、関節周囲の組織の伸縮性が低下して生じます。骨やスジが引っかかって動かせない状況ではありません。伸縮性が低下した組織を無理やり動かすと組織が引き剥がされて損傷を受け、強い痛みとなります。その痛みがさらに組織の伸縮性を低下させます。従って、我慢して動かせば治るというものではありません。このため多くの患者が関節拘縮の状況にまで悪化します。

関節拘縮の状況に至っても、一定以上の力を加えて組織を引き剥がせばより広い可動域を得られますが、非常に強い痛みが生じます。この事情のため他動可動域を確認することは多くの場合に困難です。

 

4 労災のアフターケア制度

 ⅰ 労災ではRSDとカウザルギーはアフターケア制度により、症状固定後も3年間は国の費用負担で治療が受けられ、その後も更新できます。本件が労災適用であったならば、症状固定が早められてアフターケア制度による治療に切り替えられていた可能性が高いと言えます。

   加害者の損保が早期の症状固定を求めて治療を打ち切ることはしばしばあるので、CRPSが疑われる事案で労災が並行して使える場合には、早期から労災の手続も進めておいた方が良いといえます。但し、加害者の任意保険が対応している場合には、会社側はほぼ全ての場合に労災を使うことを嫌がる傾向があります。

 

 ⅱ CRPSがアフターケア制度の対象とされているのは、症状固定後も治療を続ける必要が特に高いからです。CRPSでは治療を止めてしまうと関節拘縮が悪化するおそれが強くあります。実際にもCRPSの裁判例では、被害者が症状固定後に症状が悪化したと主張している事案は多く見られます。労災でも早期に症状固定となり、その後に悪化すると同じ問題が生じます。

   この点をも考慮すると、判決が医師の判断に従い7年5か月後の症状固定を認めた点は穏当であると思います。但し、治療内容によっては症状固定を4、5年後にしてその後数年の治療費をアフターケア的な必要性から賠償対象に含める判断の方が良いのかもしれません。

 

5 各種の診断基準、判定指標の意味

 ⅰ CRPS(RSD、カウザルギー)には歴史的には多くの診断基準があります。本件ではギボンズの診断基準、国際疼痛学会(IASP)の2005年の判定指標、日本の2008年の判定指標に言及しています。

   いくつかの診断基準・判定指標に言及するときに多く見られる誤りは、診断基準が異なれば、CRPSとされる範囲が変わるという誤解です。本件の判決にもこれが見られます。

   例えば、ランクフォード(Lankford)の基準を用いた場合に、基準に当てはまらなかった患者はもとより基準に当てはまった患者についても、他の疾患でその患者の症状を説明できるか検討します(鑑別診断)。その結果、最終的に他の疾患(関節リウマチ、線維筋痛症など)とされることもあれば、CRPS(RSD)であったとされることもあります。診断基準を変えたところ、何の疾患か分からない病態(分類されない病態)が生じてしまうというのでは、おかしなことになります。

 どの診断基準を用いても、その先の鑑別診断を経て最終的な診断が下されるので、診断基準が異なっても最終的な診断はほぼ同じになるはずであり、同じになるべきであると言えます。

 

 ⅱ このことはIASP、アメリカ、日本の判定指標からはより明確に理解できます。これらの判定指標は感度(その疾患を有する人が陽性になる度合い)と特異度(その疾患を有しない人が陰性になる度合い)が公表されています。臨床用指標は感度が80%ほどになるように調整され、研究用指標は特異度が90%以上になるように調整されたものが作成・公表されています。

   例えば、99年のアメリカの判定指標は、臨床用は感度85%、特異度69%、研究用は感度70%、特異度94%です(『神経障害性疼痛、診断ガイドブック』147頁)。

IASPの05年の判定指標は、臨床用感度85特異度60研究用感度70特異度96です。

日本の08年の判定指標は、臨床用は感度82.6%、特異度78.8%、研究用は感度59%、特異度91.8%です。

   即ち、診断基準や判定指標は、その基準だけでCRPSを判断するものではなく、必ず鑑別診断が必要とされます。臨床用基準の感度が高いのはより多くのCRPS患者を対象に含めて患者の漏れをなくすためです。研究用指標の特異度が高いのは、他の疾患の患者が紛れ込まないようにするためです。

 もちろん、臨床用指標を用いても研究用指標を用いても、ある患者についての最終的な診断は同じになるはずであり、同じにならないとしたら問題です。判定指標とは別個独立した方法(鑑別診断など)で罹患の有無を判断できるからこそ判定指標が作れるのです。

 

 ⅲ 以上のとおり診断基準や判定指標を多く列挙してもほとんど意味がありません。診断のために重要とされるのは、これらにより一次的な選別を経た後の鑑別診断の方にあります。

判定指標は、鑑別診断を行なう前段階としてその患者がCRPSである可能性がどれくらいであるのかの目安を提供します。判定指標の有用性は患者を選別する能力、即ち感度・特異度により決まります。

   これまで「診断基準」として提唱された多くの学説も、その基準のみでRSD(CRPS)であるかどうかを決められるわけではなく、より多くの患者を正しく選別できる基準を目指すなかで提唱されてきたものです。

実は医学的に「診断基準」とされるもののほぼ全ては、その基準だけで全ての患者の診断をすることはできません。最終的に診断を確定させるためには鑑別診断が不可欠です。

 

 ⅳ これに対して、判決は、「CRPSについては多数の判断基準が作成されており、そのいずれを用いるかによって、CRSPであるか否かという結論に差異が生じてくることになる。」(50頁)と述べますが、かなり初歩的な誤りです。この誤りのため判決は診断の適否を検討してもたいして意味がないとの結論に向かいます。

判決は医学的な基礎知識が大幅に不足しているため、現場での医療レベルを見下しているようにも見受けられます。また、CRPSという難病に罹患したこと自体についての差別的な感覚(この人は普通ではないからCRPSに罹患した)は多くの裁判例で窺われます。

 

6 診断の適否は必ずしも判断する必要はない

 ⅰ 判決は「原告の症状がCRPSであるか否かということそれ自体を検討、判断することに積極的な意義はないというべきであり」(50頁)として、診断の適否には拘らないと述べています。ここに至る経緯での誤りは上記のとおりですが、私はこの部分だけを取り出せば、間違いではないと思います。

 

 ⅱ 交通事故訴訟で被害者が主要事実(法的な要件となる事実)として主張しているのは、最終的に被害者に残存することとなった症状(事実的損害)の存否と程度です。即ち、個別の被害者は具体的な症状そのものを主張し、その症状を金銭に評価して賠償額を定めて欲しいと主張しています。

   従って、症状の存否と程度が認定できれば、病名が認定されなくとも構いません。病名は被害者の症状を裏付ける間接事実の1つに過ぎないので、必ずしも認定する必要はありません。

   被害者の症状を認定するための資料(証拠)はそれ以外にも数多く裁判に提出されています。まず、被害者自身の供述です。次に、被害者を診察した医師が確認した症状です。診察した医師が複数となればその価値が高まります。さらに個別の症状についての検査結果なども重要な証拠です。本件では被害者の上肢の可動域制限を医師が繰り返し観察してカルテ等に記載してきたことは重要な意味を持ちます。

被害者の受けてきた治療の内容や治療を受けてきた期間なども、当然にその症状が存在すると考える判断材料となります。被害者が事故によりどの程度就労の制限を受けているのかという事実も、被害者の症状の程度を判断する重要な資料です。

これらの証拠から被害者の主張する症状の存否が判断できない事案は非常にまれであると思います。本件でも被害者の主張する後遺障害が存在することはこれらの事情から優に認定できます。従って、診断された病名が正しいかどうかにこだわる必要はありません。

 

 ⅲ 裁判例でも、被害者に対する診断の適否の判断にこだわらず、その判断を留保して被害者の症状を認定したものはしばしばみられます。

   比較的最近のものでは、東京高裁平成22年9月9日判決(自保ジャーナル1832号)は「控訴人がWHOの定めた軽度外傷性脳損傷に関する平成16年の定義に該当するか否かについては、本件訴訟においてはそれを確定することが必要なわけではない。本件訴訟において重要なことは、本件事故によって控訴人が頭部に衝撃を受け脳幹部に損傷を来してこれを原因として後遺障害を残存させたか否かであるところ、この事実は上記のとおりこれを認めることができるものである」(15頁)と述べて、軽度外傷性脳損傷と診断できるかどうかに関わらないものとして被害者の症状の存在を認めています。

 横浜地裁平成24年7月31日判決(判例時報2163号)は「原告は脳脊髄液減少症を発症した疑いが相当程度あるから、原告の上記症状は、脳脊髄液減少症による可能性が相当程度ある。また、仮にそうでないとしても、原告の現在の神経症状が上記のとおり重いものであることは明らかであり」(85頁)と述べて、被害者の症状の存在を認めています。

 

7 診断の適否は症状の有無に関係しない

 ⅰ 「診断が誤りなので症状は認められない」との誤り

 裁判例でしばしば見られる誤りに、「被害者に対する疾患Rとの診断は正しいとは認められないので、被害者の主張する症状は認められない。」という理屈があります。

たしかに診断によってその症状に対する見方が変わるという面はあります。例えば、強い腹痛で胃の辺りがキリキリ痛むのでネットで調べてみて胃がんだと確信した患者が病院に行ったとします。そこで医師から「胃がんじゃありませんよ。」と言われたとすると、その症状はかなり軽い症状のような気もします。けれども、強い腹痛で胃の辺りがキリキリ痛むという症状が存在することには変わりありません。もしかすると大腸がんかもしれません。十二指腸潰瘍かもしれません。

   本件においても、CRPSとの診断が誤りであって他の疾患であったとしても、被害者の症状は変わりません。症状は診断をする際の大前提であっていかなる診断が下されようとも、その症状は変わりません。

 

 ⅱ 「診断が正しいから症状が存在する」との誤り

逆に、「診断が正しいから症状が存在する」との考えも誤りです。症状は診断をする際の大前提であり、症状が存在することを根拠として診断を下したのに、その診断により症状の存在が裏付けられるとすると、循環論法になります。

以上のとおり、診断が正しかろうか誤っていようが、症状には何ら影響は与えません。荒っぽい例えですが死亡診断書に記載した死因が間違っていようが死亡した事実が変わらないのと同じです。診断は事実(症状・検査結果)を前提とした評価ですので、事実を変える力はありません。

   しかし、臨床では診断が必要とされます。上記の例で患者に「ではどんな病気ですか。」と尋ねられた医師が「とにかく胃がんじゃないから今日は帰りなさい」と答えて済ますわけにはいきません。やはり、病名を解明する必要があります。訴訟では治療のために病名を解明する必要がないので、診断の適否を留保することは可能です。

 

 ⅲ 診断した事実それ自体が証拠となる

   訴訟では診断の適否は必ずしも検討する必要がありませんが、医師がある患者に対して、一定の症状と検査結果からある病名の診断をしたことは、それ自体が証拠としての価値を有します。ある病名の診断がなされた事実は、その病名を診断するにふさわしい症状(ないし病態)をその医師がその患者に確認した事実を裏付けます。

   従って、本件のように大学病院で持続的にCRPSと診断されたことは、それ自体が重要な証拠価値を有します。この証拠価値は診断の適否とは別個に存在します。判決はこの点を軽視しているように見えます。

 

 ⅳ 「由来する症状論」は誤りである

   「診断が正しいとは認められないので、症状は認められない。」とすると端的に誤りと断定できます。そこで最近しばしば見かけるのが「由来する症状論」(私が勝手に命名しました)です。

これは、①被害者が疾患Rにり患したと認めるに足る証拠はない。故に②被害者の症状は疾患Rに由来する症状とは認められない。との理屈を述べるものです。その上で、「被害者が訴える症状Sは本件事故により被害者が疾患Rにり患したことに由来するものではない」などと述べます。

   「由来する症状論」では、①では症状ではなく診断に着目することにポイントがあります。症状(主要事実)の有無を検討対象にするべきであるのに、診断(間接事実の1つ)の適否に置き換えています。

加えて、「被害者は疾患Rにり患したかもしれないが、それを認めるに足りる証拠はない」として診断の適否の結論を回避します。これは間接事実に証明責任を適用する誤りです。

   加害者側の視点でみると、①各種の検査結果などから被害者に症状が存在することを正面から否定することはやりにくい。②しかし、「疾患Rを発症したことは確実だ」という命題なら否定できそうだ。③そこで「疾患Rを発症したことは確実とはいえない。よって、症状は疾患Rに由来する症状とは認められない。」として、否定の結論を導きます。

気付いてみると、一番重要な症状の有無や程度は正面から検討されていません。診断の適否も「確実ではない(認めるに足りる証拠はない)」とされて実質的な検討はされていません。このように判断を極限まで空洞化して否定の結論を導くところに「由来する症状論」の特徴があります。

これはこれまでに「抱き合わせ否定論」として何回か批判した理屈と構造は同じです。最近は判断を空洞化させる手法が色々と発達してきた感じもします。

 

8 3要件基準は診断基準でも重症度を認定する基準でもない

 ⅰ 労災の判断枠組み

労災では、CRPSをカウザルギーとRSDに分けて、カウザルギーについては診断の基礎となった症状が存在するとの前提でそのまま後遺障害等級を認定します。RSDについては3要件(関節拘縮、骨の萎縮、皮膚の変化)が認められれば、カウザルギーと同様に判断します。これが労災での基本的枠組みです。自賠責でも同じです。

 

 ⅱ 労災では診断の適否は判断しない

   労災ではカウザルギーやRSDの診断の適否は判断対象ではありません。医師ではない労災の担当官がこれを判断すると医師法違反になります。RSDの3要件は、RSDとの診断が正しいとの前提で「3要件を満たすRSD」をカウザルギーと同様に扱うとするものです。

   3要件がRSDであるかどうかを判断する指標ではない(診断基準ではない)ことは、厚生労働省の担当課が編集した『労災保険、改正障害等級認定基準』の45頁にも「3要件を満たさないものは、RSDに該当しないという趣旨ではありません」と明記されています。

 

 ⅲ 3要件は重症度の指標ですらない

RSDの3要件基準は「カウザルギーと同様に扱われるための要件」であって、いったんカウザルギーと同様に扱われることとなれば、その先で3要件を考慮することはありません。従って、労災や自賠責においてすら3要件は重症度を判断する際の指標ではありません。3要件を満たせば、あとは後遺障害診断書に記載の症状が存在する前提でその重症度を判断することになっています。

   CRPSのうち、カウザルギーは神経損傷が確認できる病態(タイプ2)でRSDは神経損傷が確認できない病態(タイプ1)です。そこで、労災では神経損傷が確認できないRSDについては、特に3要件を満たす場合にカウザルギーと同様に扱うとしたのです。

   しかし、3要件基準が厳しすぎて3要件を満たすRSDは1%以下と推測されることからは、この要件の設定はそれ自体が誤りというほかありません。以上のことは繰り返し述べてきました。

 

 ⅳ 本件では、加害者側からこの3要件基準を診断基準であるとする誤った主張がなされ(44頁)、判決もこれを診断基準であるかのように扱っています(49頁)。しかも、判決は、3要件を満たす度合いが高いほど重度のRSDであるとの二重の誤解もしています。

 

9 症状の重症度は全ての事情を考慮して判断するべきである

 ⅰ 上記のとおり、判決は各種の診断基準や判定指標を、「その基準だけでCRPS(RSD)であるかどうかを診断するもの」と誤解したために、基準ごとに結論が異なることになっておかしいから診断の適否は検討する必要はないとしました。結果的にみれば、症状を判断するに際して診断の適否にこだわる必要がないとした部分は正しいと思います。

 

 ⅱ 判決は、「診断の適否により症状についての医学的証明が与えられるわけではない」との趣旨も述べています。この部分も正しいと思います。しかし、ちょっと引っかかるところがあります。

   判決は、診断の適否にこだわらず「原告の症状についてどの程度他覚的所見に基づく医学的な説明が可能であるか、または永続する蓋然性がどの程度あるのかを検討」(50頁)するべきであるとします。ここも誤りとはいえませんが、ちょっと引っかかるところがあります。結論から言えば、判決は「他覚的所見」の意味をかなりまずい方向に誤解しています。この誤解は他の裁判例でもしばしば見られます。

 

 ⅲ 臨床では触診の結果なども含めて医師が感知した全ての所見が「他覚的所見」とされます。労災や自賠責でも「他覚的所見」をこの意味で用いています。このことは後遺障害診断書の「他覚症状」欄を見れば一目瞭然でしょう。医師が患者の協力を得て計測した可動域検査の結果はもとより、医師が触診などにより感知した患者のしびれや痛みも「他覚症状」の欄に記載されます。

   また、各種のCRPSの判定指標からも一目瞭然です。例えば日本版の指標(08年)で「他覚所見」とされているのは、以下のとおりです。

       A:皮膚・爪・毛の変化(目視で確認)

B:関節可動域制限(徒手検査で確認)

C:アロディニア(触診、ピンクリップテストで確認)

D:発汗の亢進ないし低下(触診や目視で確認)

E:浮腫(目視、触診で確認)

 

即ち、目視や触診や徒手検査で確認したものも当然に他覚所見となります。このように他覚的所見を正しく理解した場合、他覚的所見があるかどうかの区分は後遺障害の程度を判断する際の指標にはなりません。なにしろほぼ全ての症状について他覚的所見が存在します。

   そこで労災では後遺障害が就労に影響する程度をもって症状の程度を識別することとなっています。労災がこの基準を採用したことは被害者が就労していることが制度上の前提だからでしょう。

この前提がない自賠責では症状について医学的に説明できる場合が14級とされ、医学的に証明できる場合が12級とされています。但し、この「説明と証明の区分論」は『青い本』の解説にのみ書かれているものであり、自賠法やその規則や通達などの公的裏づけはありません。

 

 ⅳ 以上のとおり、症状の重症度を判断するにあたって、労災は就労に影響する度合いを重視し、自賠責は「説明と証明」の区分論を用いていますが、「他覚的所見」が必要とはどこにも書かれていません。というよりも、後遺障害として症状が記載されている以上、その症状には他覚的所見があることが前提となります。

   そこで原則に戻って、症状の重症度を判断するためには、被害者自身の訴えを重視しつつ、被害者を診察した医師の判断や検査結果、通院の期間や治療内容、被害者の生活や就労の上での実態などの症状を裏付ける全ての要素を考慮する必要があります。この観点から見れば、本件で被害者の主張する症状が存在することは容易に認められます。

 

 ⅴ これに対して、訴訟では加害者側は「他覚的所見」の意味を画像所見などに限定することを前提に、確実なもので症状が裏付けられる場合が12級で、その裏づけがなく症状を説明できるに過ぎない場合は14級であるとの誤った基準を主張します。本件の判決は「他覚的所見」の意味を誤って理解したことを前提に述べている部分がいくつか見られます。

 

10 症状の根拠に症状を求める誤り

 ⅰ 被害者の主張する上肢の関節拘縮はCRPSの典型症例です。医師が測定した可動域制限をそのまま評価すると肩関節の用廃として8級相当の後遺障害となります。これに筋力低下や痛みを総合して左上肢全体が機能していないと判断すれば5級相当となります。そこで被害者側は5級相当の後遺障害があると主張しています。

 

 ⅱ これに対して、判決は被害者に関節拘縮があると認めているものの、それが「器質的な廃用性変化」と認められなければならないとしています。関節拘縮は組織の伸縮性の低下や組織の癒着によるもので、それ自体が器質的な変化ですので、この部分は意味不明です。

ところが、判決は「器質的な廃用性変化」として骨萎縮や筋萎縮が必要であるとします(52頁)。ある症状が存在すると認められるために、別の症状が必要であるとする主張は加害者側からは頻繁に出されます。なかでも骨萎縮必須論や筋萎縮必須論は定番中の定番です。もちろん関節拘縮には骨萎縮も筋萎縮も必須ではありません。

関節拘縮は関節可動域検査により確認したことにより、端的に認定されるべきものです。症状の根拠に症状を求めること自体がおかしな話で、それをやりだすと無限後退に陥ります。

   判決は、「他覚的所見」の意味を誤解したことから、可動域検査の結果をそのまま信じるという穏当な結論に行けなくなり、確実な根拠として筋萎縮や骨萎縮を求めてしまい、それを正当化するために、筋萎縮や骨萎縮がある場合が本当の関節拘縮であるとの考えに至っています。前提の誤りを正当化するための泥縄式の流れです。

 

 ⅱ 筋萎縮必須論は成り立たない

繰り返し述べてきましたが、医学的にはCRPSには筋萎縮は必須ではありません。関節拘縮にも筋萎縮は必須ではありません。しかし、高名な医師の医学意見書で「これほど長期間にわたって関節が動かせない状況が続いていたならば、著明な筋萎縮が当然に生じるはずであり、それが生じないことは誠に不思議なことであり、私の長年の経験の中でもなかったことである」などと説得的に述べられると、信じてしまう人は少なくないようです。

裁判例の上ではこれを信じてしまった裁判官は半数くらいいます。しかし、CRPSの典型例として医学書に掲載されている患者のほぼ全員は上肢がぶくぶくと膨れ上がった方です。特に末梢にいくほど浮腫が強く生じていて、手は軍手を3重にはめたように膨れ上がっていることもあります。これは筋萎縮が著明に生じて、腕がガリガリに痩せ細った状況とは正反対です。臨床の実態からはどうして筋萎縮が必須と主張されるのか理解し難いと言えます。

私の知る限り、これまで提唱された数多くの診断基準や判定指標のなかで筋萎縮を判断要素の1つに含めたものは存在しません。むしろ逆に浮腫(腫脹)を判定要素に含めることが通常です。

   ところが、関節拘縮には筋萎縮が必須と強く信じてしまった方は、医学書の症例写真であっても「この患者は特殊であって参考にならない」とか、「この患者は関節拘縮が生じていないから腕が細くなっていないのだ」などの論理を生み出してしまうようです。この状況に至ってしまった方を説得するのはほとんど不可能に近いと言えます。理屈はどうあれ現に関節拘縮に筋萎縮は必須ではないというのが臨床の実態です。

 

 ⅲ 骨萎縮必須論も成り立たない

これも繰り返し述べてきましたが、骨萎縮も関節拘縮に必須ではありません。関節拘縮は組織の伸縮性の低下により生じるのであって、骨萎縮により生じるわけではありません。IASP(国際疼痛学会)、アメリカ、日本の判定指標では骨萎縮はCRPSの判断要素の1つにも組み込まれていません。従って、元々これを重視する理由もありません。

ところが、ギボンズの基準は骨萎縮を重視し、労災の3要件基準でも骨萎縮は必須とされています。そこで、3要件基準が診断基準であり、重症度を判断する指標でもあるとした2重の誤解から、骨萎縮を重視した判決は多く出ています。

裁判例の上では、重度の関節拘縮が生じていた被害者であっても重度の骨萎縮が生じていた方は非常に少数です。圧倒的大多数は骨萎縮が軽度であるか存在しないとされています。このため、骨萎縮必須論は詐病を主張する加害者側の定番中の定番です。

たしかに、「関節拘縮が生じて長期間関節が動かせない状況が続いたのであれば、必ず関節部で骨の萎縮が生じるはずである。私の長年の経験からは…」などの意見を説得的に述べられると、信じてしまうのはやむを得ない気もします。裁判例の上でも骨萎縮必須論を信じてしまった裁判官は半数を超えていると思います。逆に言えば信じなかった方も相当数います。

骨萎縮必須論を信じると、被害者が詐病であり、診断した医師たちはとんでもない低レベルのヤブ医者か被害者とグルであるという帰結が導かれることを考えると、何とか常識を働かせてこの理屈を拒絶するべきであると思います。

本件の判決は、「骨萎縮などの物理的な廃用性を伴っておらず、器質的な症状を前提とする上位等級の各障害と比較した場合、制限の程度や永続の蓋然性というところで、どうしても一定の差があるものと考えざるを得ないところである」(52頁)としています。この背景には「他覚的所見」の意味についての誤解も存在します。

 

 ⅳ 二重基準(特別基準)の誤り

   筋萎縮必須論や骨萎縮必須論は、ほとんど必然的に二重基準を導入します。一般的な診断基準でCRPSとされた患者について、「筋萎縮がないのでCRPSではない」とすると診断についての二重基準になります。

   厳密には「CRPSにより関節拘縮が生じたならば、必ず筋萎縮が生じるはずだ。筋萎縮がないので関節拘縮ではない。関節拘縮が否定されるのでCRPSではない。」という理屈で診断を否定します。この二重基準が生まれることからも、筋萎縮や骨萎縮の必須論は誤りと言えます。

 

 ⅴ 二重基準の導入

判決は、被害者について「類型的にCRPSとされる患者が有する症状の一部を欠いており、医学的に大多数の医師がCRPSと判断するかは必ずしも明らかではないところである」(52頁)と述べます。

しかし、本件で被害者がCRPSであることに異論をさしはさむ医師はまずいないでしょう。異論を述べるためには他の疾患でより適切に説明できることを示す(鑑別診断をあげる)必要がありますが、他の疾患の可能性が考えられません。判決には鑑別診断を知らないという初歩的な誤りが見られます。

   判決は診断の適否に必ずしもこだわる必要はないとの正しい判断を経由しているのですが、それは大学病院で多数の医師がCRPSと診断してその治療や手術をしてきたことから、その診断を否定できないために判断を回避したに過ぎないようです。

判決は診断基準や判定指標で考慮される色々な症状を列挙して、被害者に現れていない症状があることを理由に被害者の症状が重度ではないとのニュアンスを述べます(52頁)。その結果、実質的には「CRPSと言えるほどの症状があるとするためには、これらの症状がほとんど備わっていなければならない」との理屈になっていて、数十倍以上に要件を厳しくした別個の診断基準を作り出したのと同じ状況に至っています。

しかし、日本版指標の5項目のうちのどれか2つだけを満たす人(10通りの組合せのうちのいずれか1つを満たす人)という緩い基準でさえも、これを満たすCRPS患者は8割に過ぎません。判定指標の5項目のうちのいずれか1個しか満たさないCRPS患者は2割もいます。

判決の列挙する症状を全部満たす人はCRPS患者のうち1%もいないと思います。これでは診断の適否を留保したことの意味がなく、むしろより劣化した判断を導くための前ふりになっています。

 

 ⅵ 「由来する症状論」の誤り

なお判決のこの部分は実質的には「診断が正しくないので症状は認められない」との理屈と同じ内容になっています。

即ち、「類型的にCRPSとされる患者が有する症状の一部を欠いており、医学的に大多数の医師がCRPSと判断するかは必ずしも明らかではないところである」(52頁)との部分は、「類型的なCRPS」という架空の概念を作り出して、それに該当すれば個々の症状についても「CRPSによって生じた症状」であるとされて、それゆえに重い症状であるとされるという理屈になっています。これは「由来する症状論」を実質的に導入したとの同じで判断の空洞化を招きます。

 

11 認定した結論の先にあるものを具体的に想定するべきである

 ⅰ 本件では全ての事情を考慮すれば被害者の主張する症状が存在することは優に認められます。仮にこの事件を陪審員が判断したのであれば私と同じ判断に至ると思います。事実認定では健全な常識と論理法則に従ってそのままの事実を認めればそれで良いと思います。

   陪審員による判断であれば、被害者が症状固定までの7年5か月の間に疼痛緩和のために様々な治療を受けてきたことや、関節拘縮を和らげるために2回の入院・手術を受けたとの事実から、端的に関節拘縮を認めると思います。

   これに対して、本当は関節拘縮が進行していないのに、詐病を主張して長期間にわたって治療を受け、2回も手術を受けたと考えることは無理があります。また、これに騙される医師がいるはずもありません。それゆえに可動域測定の結果はそのまま採用することが穏当であると言えます。この常識的な見地からは、事故から12年ほど経過した判決時において、骨萎縮や筋萎縮がないから関節拘縮は器質的なものではなく、永続性がないという理屈を持ち出すこともないと思います。

   ところが、関節拘縮があるとするために「特別な何か」が必要であると固く信じてしまう方向性から筋萎縮必須論や骨萎縮必須論を信じてしまった裁判例は多く見られます。

 

ⅱ 事実認定のために一般人の大半が信用するレベルでの証拠では足りず「特別な何か」を求める傾向は、裁判官であるが故に生じる傾向であるとも言えそうです。

   即ち、「いやしくも裁判官が事実として認定するからには、おおよそ一般人の大半がその事実が存在すると信じるに足りる事情が存在するのみでは足りず、法的にその事実の存在を肯定することを認めるに足りる特別な事情が必要というべきである。」との感覚です。

   これは「裁判官は国民から裁判権を委託された重要な地位にあることから、その裁判権を行使するには相応の根拠が必要であり、単に国民目線で判断すれば良いというものではない。」との考えとも言えます。この考えは、「確実な証拠もなしに訴訟を起こした方が悪いんだ」との価値観にも通じるものがあります。

   私はこういった権力的な発想は国民主権のもとの裁判権としてはふさわしくないと思います。国民目線で判断して構わないと思います。普通の国民の常識に合致した結論を導くべきです。

 

 ⅲ 判決が関節拘縮を認めるために筋萎縮や骨萎縮などを必要とする論理に至ったのは、長期間の通院や医師による治療や2回の手術といった「形のないもの」を軽視したためであるとも言えます。判決が筋萎縮必須論や骨萎縮必須論を信じてしまったのは、「形のあるもの」にこだわったためであると言えます。

   しかし、症状の存否や程度の判断は、それに関連する全ての事情を考慮するべきであって、証明手段を限定することは自由心証主義にも反すると言えます。民事訴訟では証拠方法に制限はない(弁論の全趣旨が証拠となる)のが原則です。従って、証明のための手段を限定することはこの原則に対する重大な例外となります。証拠方法を制限せずに自由で柔軟な判断を確保することは、裁判官が自己の良心に従って判断する上で何があっても譲ってはいけない部分(聖域)であると思います。

 

 ⅳ 被害者が長期間通院して疼痛緩和の治療を繰り返してきたことや医師がその症状を確認した上で2度の手術を行なったことは、普通に考えれば非常に強い疼痛やこれによる可動域制限(関節拘縮)が存在することを裏付ける端的な事実です。この思考こそが原則とされるべきです。

   これに対して、「詐病の被害者が無理に長期通院していたかもしれない。」などの懐疑論を持ち出されると、その懐疑論にはほとんど反論不可能です。なぜなら懐疑論は次々と別の懐疑論を生み出すことで反論から逃げ続けるからです。2度の手術も「医師もグルである可能性は否定できない」との懐疑論を持ち出せばキリがありません。

   このように懐疑論を持ち出せば、おおよそいかなる一般論・原則論も無意味になります。原則となる思考を放棄してしまえば判断は場当たり的なものとなります。

   原則論を否定する特殊な事情が存在することは、その特殊な事情を主張する者が証明するべきことは議論の一般原則として広く認められています。この観点からは、原則論で認定するために特別な証拠を求めたことは論理的にも正しくないと思います。

 

 ⅴ 実際問題として、この判決の判断を医師や一般人の視点から見ると非常に根深い問題を起こすことになります。長期間診察して2度も手術をした患者の症状を医師が見誤ることはありえないため、患者の関節拘縮を否定したことは「医師もグルである」と断定したと言えます。この受け取り方は一般人の目から見ても常識的な理解であると思います。判決は実質的には、被害者は10年以上も詐病を訴え続けてきて、医師もこれに加担したと認定していますが、さすがにこれはまずいと思います。

 

 ⅵ ところが、この判決は被害者が詐病かどうかをほとんど考慮していないように見えます。判決は「他覚的所見」の意味を誤解して、関節拘縮を認めるためには筋萎縮や骨萎縮が必要であると考えてしまい、しかも、訴訟でもその基準を用いるべきだという誤り(証拠方法の制限)にも陥ってしまったために、機械的な操作で関節拘縮を否定したように見えます。この過程では被害者の実態は考慮に入ってきません。

   また、CRPSと診断された被害者の症状についても、判決は上記のとおりCRPSであるかどうかの判断を留保し、一方で多数の症状のうち一部が欠けていることを指摘して、被害者の症状全体が「類型的にCRPSとされる症状」ではないとして、そこから被害者の個々の症状も軽いはずだとの論理(由来する症状論)を述べています。

   このように実質的な判断を高度に空洞化させているため、判決は被害者の詐病や医師の加担を実質的に認定したという意識もほとんど持っていないようにも見受けられます。

しかし、被害者の主張する後遺障害(医師が診断した症状)をそのまま認めれば5級となるところを、判決で12級としたことは特別な説明(詐病と医師の加担)を要する異常な事態です。12級という結論の先にあるもの(詐病と医師の加担)を直視するべきであって、そのことから結論の妥当性に疑問を持って然るべきであると思います。

 

2013年12月15日 (日)

症状固定後とされた両上下肢CRPS(25.1.28)

1 東京高裁平成25年4月11日判決(自保ジャーナル190169頁)

 (1審:前橋地裁大田支部平成24年10月26日判決)

  この事案の特徴は、①両上下肢のCRPSであること、②最終的な症状の程度を判断せずに因果関係を否定したこと、③ブラッドパッチによる悪化の可能性を述べたこと、④病期説を診断基準と誤解していること、⑤診断を検討するための論理を用いていないこと、⑥鑑定意見に疑問があること、⑦投薬の検討に疑問のあることなどです。

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2 症状の経過

 被害者は症状固定時(平成17年5月)52歳の有職主婦です。平成16年11月27日に、横断歩道を歩行中に左折乗用車に衝突される事故に遭います。以下では、「判決」は地裁判決を指します。高裁判決は「高裁判決」と書きます。

 

 事故当日…E病院。救急搬送され右前腕疼痛・圧痛、下部背部痛を訴える。

      以後、左前腕打撲、腰部打撲、頚部捻挫、背部挫傷の診断を受け、半年間、一貫して四肢の痛みとしびれを訴える。

治療経過は判決の別紙一覧表に掲載とありますが、自保ジには載っていないので詳細は不明です。判決には、「21機関の治療費」(83頁)との記載があり、多くの病院に入通院しています。

 

2週間後…B病院。5か月後にRSDの可能性を検討される。

半年後……C病院。外傷性低髄液圧症候群と診断され、ブラッドパッチを受ける。

時期不明…D病院。詳細は不明。

2年半後…F大病院。RSDと診断される。サーモグラフィーで体温の低下みられる。甲医師は、CRPSによる慢性難治性疼痛として、日常生活動作は困難であり、就労も困難とする。

     乙医師は、CRPSタイプ1とし、痛覚過敏、皮膚血流の異常、全身痛、下肢のしびれ、振動による知覚過敏、下肢を中心とした皮膚の貧血所見があるとし、自立歩行はできず、座位保持でさえ、疼痛や、しびれを悪化させるとして、後遺障害等級3級3号の「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、終身労務に服することができないもの」に該当するとした。

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3 CRPSの発症部位について

 ⅰ 本件は被害者が両上下肢にCRPSを発症した事案ですが、その詳しい部位(中枢部と末梢部のいずれが痛みの中心かなど)は不明です。

事故直後に右前腕に痛みを訴え、その後に左前腕の打撲と診断され、下肢は神経伝導速度検査で脛骨神経(損傷を受けると足首以下に症状が出る)に異常が見られた(80頁)ことからは、末梢部が痛みの中心であるようにも見えます。判決ではそれ以上の詳細は不明です。

 

 ⅱ 両上下肢の末梢部に痛みを生じてその後にCRPSと診断された事例は「事故2週間後に両手両足に症状発症」の項目で紹介した大阪地裁平成22年11月25日判決があります。

http://s-hat.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-1c85.html

この事案は事故で自転車から転落して後頭部を打ったものの、両手両足には怪我をしていなかったのが、事故2週間後ころから両手両足の痛みが増してきて、両足について後にCRPSと診断されています。本件で痛みの部位が末梢部であるとするとこの事案と似た症状と言えます。

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4 事実の経過と争点について

 ⅰ 被害者は事故直後から両上下肢の痛みを訴え、半年後から通院したC病院で外傷性低髄液圧症候群と診断されてブラッドパッチを受け、それでも症状が治まらずにF大学病院に通院しCRPSとの診断を受け、2年4か月後頃(平成19年3月頃)に症状固定となったようです。合計21もの医療機関に入通院したことからは、非常に重い症状が出ていて治療に難儀したと想像できます。

   通院先の大学病院の2名の医師が意見書を出し、被害者はCRPSであり3級3号という非常に重い後遺症が残ったとしています。普通に考えれば、この主治医の意見のとおりの症状が存在します。

 ⅱ これに対して、加害者側は、事故の半年後(平成17年5月)には被害者の症状は固定していて、仮にその後の被害者の症状がCRPS的な症状であるとしても、症状固定の後に受けたブラッドパッチにより発症したものであると主張し、その旨の意見書を出しています。 

   但し、通院していたときは平成19年3月頃に症状固定となり、そこまでの治療費等も支払われていたと考えられるので、加害者側が事故後半年で症状固定となったと言い出したのは訴訟になってからのようです。

   その後に鑑定が行われ、鑑定人は加害者側の主張を支持する意見を述べています。この鑑定意見に疑問のあることは後記のとおりです。

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 ⅲ 以下はあくまでもこの事件のことではなく、一般論として述べるものです。これまで検討した事件にも裁判所の選任した鑑定人が非常に大きな疑問のある意見を述べていたものが多くありました。

ことに複数の鑑定が行なわれた場合には、鑑定人ごとに見解が天と地ほどの違いが出てくることがほとんどであり、このことから非常に問題のある鑑定をしている方が多数いることは明らかです。

   ところが、被害者側は裁判所から鑑定人のリストを見せられても、どの鑑定人がまともな意見を述べてくれるのか全く分かりません。これに対して、加害者側(損保側)は被害者側とは桁違いに大きな情報を蓄積しています。従って、被害者側からすると鑑定人選びはあたかも「カードが透けて見える相手とのババ抜き」のような状況になります。これまで検討した裁判例でも鑑定意見は被害者側に極端に不利になるもの(主治医の診断を全否定するもの)が7~8割ほどとなっています。

   CRSPの事案では、加害者側は後遺障害を否定してそれを支持する医学意見書を出すことが恒例ですが、主治医が毎回誤診という根本レベルの医療過誤をしているとは思えません。しかし、鑑定人と比べても遜色のない立派な経歴の方がその意見書を書いていることが多いようです。

   しかし、この実情を理解している裁判官はほとんどいないようです。むしろ、「裁判所はほぼ無条件で鑑定人の意見に従うべきだ。」との考えの方が多いようです。即ち、双方が意見を出し合って鑑定人を選んだのだから、鑑定人はあたかも当事者が選んだ仲裁人のような立場にあるので、その鑑定人の意見に従うのは当然であるとの考えです。

疑問のある意見を述べた鑑定人が有名大学の医学部の教授やCRPSを専門にしている方であることも少なくないようで、この鑑定手続と医師の権威という舞台装置のなかで劇場効果が生じたように見える裁判例は少なくありません。以上はあくまでも一般論です。

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 結果を認定せずに因果関係を判断する誤り

 ⅰ 被害者は21の医療機関に入通院して3級3号という非常に重い後遺障害等級を主張し、通院先の大学病院の2名の医師がこれを支持する意見を述べています。本件では、加害者側がその後遺障害をそのまま全否定することは難しい状況にあります。

そこで、加害者側は、被害者の症状の否定のみではなく、被害者は実際の症状固定よりも2年近く前(事故半年後)に症状固定となっているので、最終的な症状を判断せずに因果関係を切るべきだと主張をしています。

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 ⅱ これは加害者側に非常に都合の良い理屈ですが、判決はこの理屈を取り入れています。判決は被害者の最終的な後遺障害を認定していません。

判決は、「被害者は平成17年5月(事故半年後)に症状固定となったので、仮にそれ以後にRSD(CRPS)により悪化したとしても因果関係はない。よって、最終的な症状には関知しない。」との理屈になっています。

   判決は、「事故によって『RSD的な』症状が生じたとするためには、事故半年後までにRSDと確定診断できる状況にある必要がある。」との理屈で検討しています。

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 ⅲ 加害者側が最終的な症状を否定する主張を強く主張した結果、判決もそれを認定せずに因果関係だけを検討することはしばしば見られます。この場合は常に因果関係を否定する結論になります。

事実認定では確実なものだけを認定するべきだという方向性の強い方はこの誤りに陥りやすいようです。この方法では、「最終的な症状は確実ではないから認定しない」、「因果関係も確実ではないから認めない」という形で事実認定が空洞化していきます。これでは「何が起きたのか」は分かりません。

事実認定は「何が起きたのか」の視点で「動かし難い証拠」から認定できるものを積み上げていくべきです。これに対して、「証明責任を満たしているか」の視点で「満たさない」を積み上げていくやり方をしている判決もしばしば見かけますが、この方法は良くないと思います。

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 ⅳ 因果判断の対象である結果を不確定にしたまま因果関係を判断できるとする理屈には無理があます。「どのような症状であるのかははっきりしないが、とにかくそれと因果関係はない」という理屈はおかしいと思います。

本件では、結果を認定すれば事故からの一貫した症状であると即断できるのにも関わらず、結果をあいまいにして因果関係だけを判断しようとすることは誤りというほかありません。

   因果関係の判断は、結果を認定したのちに「この結果を生み出した原因としてはそれ以外には考えられない」との判断によっても行なわれる(ルンバール事件最高裁判決など)ので、このルートを削除することは誤りとなります。この点は何回か述べてきました。

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6 「~と診断できないので症状が存在しない」の誤り

 ⅰ 判決は、CRPSの診断基準について述べ、「まず、C病院を受診する平成17年5月まで原告の症状を、上記RSD及びCRPSの診断基準に当てはめて検討する。」(80頁)と述べて、その結果、この時点ではCRPSとは認められないとします。その上でこの時点で症状が固定していたので、因果関係が切れるとします。 

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 ⅱ 判決は、①被害者が事故によりCRPSを発症していたならば、事故半年後までにCRPSと診断できる症状が絶対に存在したはずである、との前提に立っています。

その上で、②事故半年後にCRPSと判断(診断)できるかを検討し、③CRPSと判断できなければ、その時点では「CRPSによる症状」ではない、④この場合には、その後にCRPSの症状が出たとしても連続しない。⑤よって、最終的な症状がCRPSであるかどうかを判断せずに、因果関係を否定できる。という理屈を述べています。

   出発点の①からしてそのような前提が成り立たないことは明白であると思います。②以下も奇妙な理屈です。診断は症状や検査結果を元にして下されます。従って、「CRPSと診断できないのでその症状は存在しない」という理屈は成り立ちません。症状の存在は常に大前提であって、診断の有無に左右されません。この点は前回も述べました。

 

 ⅲ 最終的な症状は両上下肢の強い痛みですので、事故直後から訴えてきた両上下肢の痛みとは連続することは明白です。症状のレベルで考えればこれは自明です。しかし、判決は「CRPSと診断できるほどの症状」という特殊なしばりでこの連続性を否定する理屈を述べています。

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7 1つの疾患のみを検討する誤り

 ⅰ 診断とは現に存在する症状に対して複数の候補から正しい傷病名を選び出す作業であって、最初から候補を1つに絞って「ある特定の傷病の診断基準に当てはめた結果、その傷病ではなかった」との検討をすることは、誤りです。その疾患の典型的な症状が出ていなくとも、他の疾患である可能性が除外できれば、その疾患と診断できます。1つの疾患のみを候補として検討することは誤りとなります。

 ⅱ 判決は同じ疾患(CRPS)の診断基準をいくつも並べて検討することで判断の精度が向上するとの錯覚に陥っています。具体的な代替案との比較の視点がないため無意味な検討となっています。この点はこれまでに何回も述べました。

  この判決は、Lankfordの病期説を診断基準と勘違いしています。病期説は疾患のイメージをつかむプロトタイプとしては意味があるという類のもので診断基準ではありません。しかし、病期説に従う症状経過の人は皆無に近い(そもそもCRPSには必須の症状が存在しない)ので今日では全く意味がないとも評されています。

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8 症状の悪化を考慮しない誤り

ⅰ CRPSの症状の進行速度は人によって大きな違いがあります。これまで検討したCRPSの裁判例では、事故後半年ほどで急激に症状が悪化して症状固定になった事案もあれば、徐々に症状が悪化して3年以上経過してから症状固定となった事案もあります。

症状の進行がゆるやかな場合には、当初はCRPSによる症状がはっきりとは出ていないことが多いようです。CRPSの診断基準や判定指標はある程度症状が進行して重症化しないとCRPSと診断されにくいという問題があります。

重症化しないと診断できないという問題は他の多くの疾患でも生じる問題です。この問題に対して、例えば関節リウマチ(RA)では早期治療という視点から、2010年に診断基準が改定され、新たな分類基準が作成されました。CRPSには早期治療のための診断基準は存在しません。

もちろん、CRPSでも早期に治療を開始することは重要です。CRPSを疑った場合には早期から積極的に色々な治療を試してみるべきであるとされています。

   判決は、発症後の早い時期の症状を見分けるという視点で検討しているわけではありません。むしろ、発症直後にCRPSの症状が明確に出ているはずだという前提に立っています。これは致命的な誤りです。

 

 ⅱ 本件では、その後に被害者がCRPSと診断されたという結論が出ています。従って、当初の症状がその後に悪化して、CRPSとしての症状が明確になっていったと考えることが最も自然で合理的です。

   ところが、判決は初期症状の検討において、症状の悪化という視点さえも取り入れていません。逆に、判決は事故の半年後に症状が固定していて、その後の症状の悪化とは無関係であるとしています。

 

 ⅲ CRPSの裁判例では症状固定後に悪化したと被害者が主張している事案がしばしば見られます。CRPSには症状の悪化が止まったと判断できる指標はありません。ある一時期の症状が安定していたとしても、その時点での症状固定の判断が正しかったのかどうかは結果から判断するほかありません。

   CRPSでは疼痛緩和の治療などを止めてしまえば症状の悪化が進行するために、労災においてはアフターケア制度により症状固定後も3年間(その後も継続可能)は治療が続けられるようになっています。CRPSにおいては治療の継続により症状が安定した時期があっても、そこで症状が固定したとは言えません。

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 ⅳ 裁判例では事故後半年以内にCRPSと診断されるのは2割程度で、当初から大学病院などに入通院していた場合などに限定されます。

ほとんどの場合に初期の通院先ではCRPSと診断されません。この場合にはその病院の診断書やカルテにはCRPSを疑うべき症状はほとんど記載されません。このため、CRPSを知っている病院に転院した直後にCRPSを疑う症状がいきなり複数出てくるという事情は多くの裁判例で見られます。

   判決のようにCRPSと診断しなかった初期の通院先のカルテ等で確認できる症状だけを取り出して、「この時点ではCRPSではなかった。」と断言できるはずもありません。しかも、その検討によって半年で早々に症状固定に至っていたとすることは誤りというほかありません。

 v なお、判決は平成17年5月以降に受けたブラッドパッチによりCRPSを発症した可能性がある(判決は結果を認定していないので、仮にRSDを発症したとしたらそれはブラッドパッチの影響だろうという理屈で述べています)。しかし、ブラッドパッチでCRPSを発症したとする理屈は奇異であり、事故直後からの症状の連続性を否定できる理屈でもありません。

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9 鑑定意見について

 ⅰ 本件では被害者の症状などへの医師の意見として、①被害者の主張する内容を述べる通院先の大学病院の2名の医師の意見書、②加害者側から出された意見書、③鑑定人の鑑定書が出されています。

   被害者の後遺障害について、①は3級3号と非常に重いものとし、②と③は平成17年5月時点で症状固定となり14級9号(一番低い等級)であるとします。主治医の意見と鑑定意見では天と地ほどの隔たりがあります。

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ⅱ 判決は鑑定意見に沿った内容となっていますが、判決の引用(80頁)する鑑定意見は疑問があります。

   まず、被害者の各種の筋反射の異常所見は頚髄症で説明できるとする部分は、被害者が頚髄症の診断を受けていないので前提に難があります。この反射を根拠に頚髄症とする趣旨であれば誤りです。事故による頚椎損傷の病態が頚髄症に類似するもので、それを基盤にCRPSを発症したという考えであれば、なるほどと思う面もあります。しかし、鑑定は既往症としての頚髄症の症状が事故と無関係に出ているとの趣旨のようで、これでは事故後の症状経過の説明はできません。

また、神経伝導速度検査で検知された脛骨神経の障害を変形性腰椎症で説明するのも疑問です。普通は逆です。現に末梢神経に損傷が確認されたのですから、腰椎由来ではなく末梢神経の損傷による症状と考えます。

下肢の体温低下については腰椎症に伴う自律神経症状としますが、痛みを訴えている部位に体温の低下があれば、普通は痛みとの関係を認めます。痛みの場所とは異なる腰椎にその原因を求めて、さらに中枢の自律神経を通して、さらに例外的に局所にのみ出現した部分的な自律神経障害の症状とするのは、合理的な思考ではありません。

   事故から平成17年5月までの腰部・背部痛、手足のしびれについて、事故前からの変形性頚椎症による症状が一時的に強まった状態で心理的ストレスが加わり回復を遅らせたものというのも、まれな症例の連続による無理のある説明です。主治医の診断のとおりにCRPSによる症状と考えればすっきりと説明できます。

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 ⅲ 鑑定書は被害者の最終的な症状について、RSD又は骨髄障害に罹患している可能性は否定できないとします。しかし、何をもって「骨髄障害」の症状としたのか意味不明です。

   鑑定書は、被害者の症状の悪化はブラッドパッチの影響であるとして、「少なくとも下肢の症状については、ブラッドパッチがRSD的な血管運動異常を含めた自律神経症状の契機となった可能性がある。」としています。しかし、ブラッドパッチで「RSD的な」というあいまいな症状を説明する理屈には無理があります。この部分で述べるメカニズムそれ自体が一般的ではなく奇異です。

   鑑定は被害者がCRPS(RSD)であることを否定的ですが、この部分では「RSD的な」という形でこれを認めるという矛盾が存在します。要するに、「CRPSを認めるとすればブラッドパッチにより発症したという形で認める。」と述べています。

   結局、鑑定書は被害者の最終的な症状の内容や、それがRSDであるかどうかはあいまいにしつつ、とにかく事故との因果関係はない、心因的なものであると主張しているようです。判決はこれを取り入れています。

ⅳ 判決が引用した鑑定意見の抜粋はすべてが疑問のある内容です。判決が引用した部分だけをみると、あくまで個人的な感想ですが「これはちょっとふざけすぎ。悪乗りしすぎ。」という感じもします。

  これまで検討した裁判例においても、このレベルのものは多く見られました。このレベルのものでも、裁判所の選任した鑑定人という舞台設定で述べられると劇場効果で信じてしまう人が少なくないようです。裁判所は舐められています。判決は鑑定書のこの部分を「詳細で信用性のある意見」として引用したように見えます。

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10 抗不安薬の投与について

 ⅰ 高裁判決は事情を少し付け加えてこの地裁判決を支持しています。高裁判決も「平成17年5月の時点でCRPSを発症したと認められなければ(確実に発症したとする強い証拠がなければ)、その後にCRPSを発症したのかどうかに関わらず、そこで因果関係が切れる」との理屈を用いています。

   ところが、平成17年4月23日のB病院のカルテに「RSDか。神経科へコンサルタント」との記載があり、これはこの時点でRSDを疑う症状が存在した証拠となります。

   しかし、高裁判決は地裁判決同様にこの半年後の時点で確定的にCRPSであったと認められなければ、その後の症状悪化とのつながりは切れるという前提で検討しています。その上で判決は、「この時点において控訴人がRSDを発症していたと認めることはできない」(72頁)としています。私は前提が論外であると思います。

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 ⅱ 判決はその理由として、抗不安薬のセルシンを処方されたことに着目し、RSDの可能性を検討したけれども、むしろ心因反応の可能性を重視してセルシンを投与したとします。つまり、高裁判決はセルシンという精神疾患への適応とされる薬を処方されたのは、痛みの種類が心因性疼痛であるからだという理解に至ったようです。これも医学意見書か鑑定書に基づくものでしょうか。

   しかし、これではRSDを疑ったと記載しつつ、RSDではない心因性疼痛として治療したことになり矛盾します。

そもそも神経障害性疼痛に対して精神疾患への適応とされている薬を処方することはごく普通のことで、むしろ国際疼痛学会などで第1選択薬とされているのは抗うつ薬や抗てんかん薬などです(『ペインクリニック』30巻別冊春号216頁)。

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 ⅲ 例えば、抗うつ薬では三環系、四環系、SSRI、SNRIなどほとんどの薬が神経障害性疼痛の治療に鎮痛薬として用いられています(『神経障害性疼痛診療ガイドブック』57頁)。

抗うつ薬だけではなく、抗てんかん薬にも古くから鎮痛効果が認められ、ガバベンチンはCRPSで多く用いられています。その効果を改良したプレガバリン(リリカ)は鎮痛剤として広く使われています。神経障害性疼痛に対してオピオイドのような副作用の強い薬をいきなり処方することはありません。

   事故による痛みを訴える患者に対してはNSAIDs(エヌセイド。非ステロイド性抗炎症薬)を投与する事案が良く見られますが、NSAIDsは炎症を生じるような侵害性疼痛が本来の対象であるので、神経障害性疼痛に対しては推奨されていないようです。実際には投与されている例をしばしば見ますが、神経損傷による炎症防止でしょうか。

   そこで、抗炎症作用のないアセトアミノフェンも選択肢に入りそうですが、単品では推奨されていないようであり、トラマドール塩酸塩(オピオイド)と合体させたトラムセットが推奨されています。ただし、オピオイドは最初に投与される薬ではありません。対象となる症状に対して、選択すべき薬が段階的に決められています。

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 ⅳ 本件でも、被害者は最初のうちは交通事故による痛みということで、ロキソニンなどのNSAIDsが処方されていたと思われます。しかし、その痛みがRSDによる神経障害性疼痛の疑いがでたことから、次の薬として何を選択するのかという問題が生じます。

   神経障害性疼痛に関しては、国際疼痛学会や欧州・カナダでは抗うつ薬では第1世代の三環系を推奨しています(『ペインクリニック』30巻別冊春号215頁)。三環系は副作用の強い古い薬という面もあるので、本件では最初に選択する薬としては避けられたのかもしれません。

   抗てんかん薬のガバベンチンはGABAを増強する作用を期待されて作られたのですが、「驚くべきことにGABA受容体に作用しているのではない」(『ラング・デール薬理学』567頁)と判明し、Caチャネルα2δリガンドであるとされています。これを改良したのがプレガバリンです。これらは副作用が心配であるとして、最初は別の薬を試してみることもあるかと思います。

そこでまずセルシン(ベンゾジアゼピン系。ジアゼパム。GABAの作用を増強する)を最初に試してみたというのは選択手順として合理的に説明できます。

セルシンの適応を見てみると「神経症、うつ病、心身症(更年期障害、消化器疾患、循環器疾患、自律神経疾患、腰痛症、頸肩腕症候群)の不安・緊張・抗うつ」(『今日の治療薬2013』848頁)とされています。神経性の痛みの鎮痛効果と痛みによる不安増加を抑える目的で投与されたと理解できます。実際にも効果があったことが高裁判決に書かれているので、選択として結果的にも正しかったと思われます。

ただし、併用した薬などを見てみないとこの点ははっきりしません。当初から強い痛みの訴えがあり、早い時期から各種の鎮痛薬が試みられ、セルシンはその鎮痛薬の補助薬として処方された可能性もあります。いずれにしても、被害者が心因性の痛みを訴えていると考えてセルシンを投与したという話ではありません。

 以上に対して、高裁判決ではそれまでに投与された薬や併用された薬の有無にも触れずに、セルシンは抗不安薬なので被害者の痛みは心因性であって、その効果が出たのでやはり心因性であったとの趣旨が述べられていますが、検討のレベルがあまりにも低すぎて話になりません。

2013年10月16日 (水)

3要件基準で否定された腰背部CRPS(25.1.28)

1 神戸地裁平成25年1月28日判決(自保ジャーナル1895号86頁)

  この事案の特徴は、①腰背部のCRPSであること、②判決が自賠責の3要件基準を診断基準と誤解していること、③病期説を診断基準と誤解していること、④診断を検討するための論理を用いていないこと、⑤因果関係と抱合わせで結果を否定する論理を用いていること、などです。①以外の論点が前回と同じです。

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2 症状の経過

 被害者は事故時32歳の男子公務員(警察官)です。平成20年1月28日に、横断歩道を歩行中に右折乗用車に衝突される事故に遭います。

(*以下では日付は断りのない場合は事故日を基準としたものです)

 事故当日…H病院。救急搬送され立位、歩行が困難であり入院(56日間)となる。翌日、第11胸椎圧迫骨折、後頭部打撲と診断される。

      入院中は体幹ギプスや硬性コルセットで固定され、退院時は独歩可能な状態まで回復。

70日後…C病院。1年間通院。背部痛を訴え、鎮痛剤を処方される。

1年3か月後…G病院。背部痛が改善しないためセカンドオピニオンとして受診。元の病院で治療を続けるように指示される。

1年4か月後…D病院整形外科。背部痛が改善しないためセカンドオピニオンとして受診。体幹筋の萎縮、胸~腰椎部の圧迫痛からRSDと診断し、B病院を紹介した。診断書には「圧迫骨折後の反射性交感神経性ジストロフィー疑い」とされる。

1年4か月後…B病院。第11胸椎骨折、慢性複雑難治性疼痛と診断される。投薬内容の見直しやリハビリを行うため44日入院。

1年7か月後…C病院。症状固定とされ、後遺障害診断書が作成される。傷病名は第11胸椎圧迫骨折、自覚症状は背部痛、運動時痛、可動域制限、他覚症状は第11胸椎の変形と胸腰部の運動障害で前屈30度、後屈15度、右屈30度、左屈30度、右回旋30度、左回旋30度。常時コルセットの必要ありとされ、症状改善の見込みについて「不変と考える」とされる。

2年1か月後…C病院。RSDと診断される。自賠責で11級7号とされる。

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3 CRPS(RSD/カウザルギー)の発症部位について

 ⅰ 本件では腰背部(背部)のCRPSと診断されています。事故による第11胸椎の圧迫骨折に起因して、腰背部痛み、可動域制限などが生じたものと考えられます。

   交通事故の裁判例の上ではCRPSを発症する部位には偏りがあり、上肢全体に生じるものが約6割、手関節以下に生じるものが約1割、下肢が約2割ですが、胸部のCRPS、肘のCRPS、坐骨神経のCRPS、膝のCRPSなどの事案もあります。

   CRPSを発症する部位について特に制限はありません。CRPSの症状が生じていて、ほかの傷病では説明できないときには(鑑別診断)、CRPSと診断されます。

 

 ⅱ 主治医によれば、①強い腰背部痛、②中程度の腫脹、③皮膚温上昇(サーモグラフィーは行っていない。発赤、蒼白、チアノーゼはない)、④発汗異常(発汗テストは行っていない)、⑤軽度の骨萎縮、⑥腰部の筋力低下、⑧胸腰部の可動域制限からCRPSと判断したようです。

   医学的には上記の症状を説明できるほかの傷病がなければ、この診断が正しいものとされます。本件では他に考えられる傷病名がないため、腰背部のCRPSとすることに特に問題はないと思います。

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4 診断への検討の仕方

 ⅰ この判決の問題点は、前回検討した東京地裁平成25年1月22日判決とほぼ同じです。診断への検討の仕方は最も基本的なことですが、この点ですでに誤っている判決が非常に多くみられます。これは診断とは何かを知らないことに原因があります。

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 ⅱ 診断の手順

診断の標準的な手順は、主訴からの仮説設定と鑑別診断です。

即ち、①現に存在する症状(および検査結果)を列挙して、②これを最も良く説明できる仮説を設定します(初期の診断)。③その仮説が誤っていたとした場合に次に可能性が高い傷病を鑑別診断としてあげて、④症状・検査結果から両者を比較検討します。⑤その結論により全体が整合性をもって説明できるか確認します。その結果、問題がある場合は③以降を繰り返します。

要するに、その時点ごとに候補となる疾患から最も正しいと思われるものを選び出すのが診断です。それでうまく行かない場合には次の候補を検討します。検査の感度や特異度を考慮して検査結果を尤度比などで検討するEBM(科学的根拠に基づく医学)の方法も上記の枠組みで行われます。この枠組みは事実認定の方法にも通じるものがあります。

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 ⅲ 誤りの典型例

 典型性の度合いの検討

ある特定の疾患のみを検討対象にして、その疾患から生じるとされる症状の多さや重傷度、その疾患でみられるとする検査結果の多さから、その疾患としての典型性の度合いを検討すること、これが診断に対する誤った検討の典型例です。

 絶対的基準の設定

ある特定の疾患のみを検討対象にして、例えば疾患RにはA~Cの3つの症状が必須であるとして、その症状が明確に生じているかどうかを検討すること、これも診断に対する誤った検討の典型例です。

ほとんどの疾患には必須の症状や検査結果はありません。症候群との名称の疾患はその傾向がより強くなります。従って、「ある疾患とされるための絶対的指標」は通常は存在しません。存在しない絶対的指標が存在するとの仮定の上に検討をすることは誤りです。

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 ⅳ 「診断基準絶対論」の誤り

これらの典型的な誤りに陥っている判決を少なからず見かけます。その発想の根底には、「ある疾患であるかどうかは、その疾患の診断基準を当てはめるだけで判断できる」との誤解(診断基準絶対論)があります。実際には、ほぼ全ての疾患は診断基準へのあてはめのみでは診断することはできません。

ある診断が下されたときにそれを否定することができるのは、「この症状・検査結果を説明できるより適切な傷病がある」との検討(鑑別診断)のみです。訴訟では現に主治医が下した診断がすでに存在します。この場合には鑑別対象となる代替案を出さなければ、その診断を否定することはできません。

CRPSに関しては「診断基準」はなく、「判定指標」が存在するのみです。これは鑑別診断で用いるものさし(指標・目安)です。実は診断基準とされているもののほぼ全部は、その診断基準のみで確定的に正しい結論が導かれるわけではありません。診断基準を当てはめて診断を下しても、どうしても一部の患者はそれでうまくいかず、鑑別診断により新たに診断をする必要が出てきます。

   上記の2つの誤りの致命的な問題点は、「疾患Rではない」と判断したときに代替案が存在しないことです。さんざん診察や検査をして、何らの結論も出せない方法は臨床では使えません。

 

 ⅴ 本件でのあてはめ

   本件では上で列挙した症状を説明できるのはCRPSであり、鑑別診断の対象となる傷病も思いつかないので、CRPS(RSD)との診断に特に問題はありません。

   主治医が下した診断に対して、代替案も出さずにこれを否定することはそれ自体が誤りであるので、「RSDではない」とのみ主張することは診断を否定できる理屈ではありません。従って、加害者側の主張は最初から検討する必要がありません。

   なお、判決は被害者の背部痛が「RSDに由来する症状であるか」との視点で検討し、RSDに否定的な見解を述べるものの、RSDであるかどうかの結論を明言していません。つまり、判決は「被害者がRSDであるかどうかは別として、少なくとも被害者の背部痛はRSDに由来する症状であると認めることはできない」という特殊な理屈を述べています。

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5 CRPS(RSD)に必須の症状はない

  この点は医学的な常識であり、繰り返し述べてきたので詳しくは書きません。日本のCRPSの判定指標からもこの点は一目瞭然です。

判定指標の5項目をA~Eとすると、AB、AC、AD、AE、BC、BD、BE、CD、CE、DEの10通りの組合せのいずれもが陽性(感度約80%)となります。症状がADであってもCEであってもCRPSの可能性があります。ゆえに、必須の症状がないことは自明です。

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6 3要件基準は診断基準ではない

 ⅰ この点も上記から自明です。自賠責の手続内の基準が診断基準ではないことも自明です。自賠責の認定係が診断基準を適用してRSDであるかどうかを判断すれば、医師法違反になります。

   3要件基準は診断基準と誤解されやすいように作られ、運用されている面がありますが、CRPS患者のうちこの基準を満たすのは高く見積もってもせいぜい1~2%です。

 

ⅱ 3要件基準は①上記の10通り(10通り全部でも患者の80%しか捕捉できない)のうちABの1通りのみに絞込み、②A(皮膚・爪・毛のいずれかの萎縮性変化)のうち皮膚の変化のみに限定し、さらに皮膚温の変化も必要とし、③B(関節可動域制限)をより重度な関節拘縮に限定し、④A~Eに含まれない要件(骨萎縮)を加え、⑤それら3要件が「明らか」であることを要求し(医学的には症状が確認できれば足ります)、⑥これを画像などの資料により確認する(関節拘縮は画像では確認できません)という非常に厳しいしばりを多重に設定しています。

  すでにして①のみで捕捉できるCRPS患者は全体の8%となり、②と③で各3分の1以下になるので、これだけで捕捉できるCRPS患者は1~2%となる計算です。

   これに加え④~⑥のしばりもあるので、3要件基準をそのまま運用するとCRPS(RSD)にり患している患者でも、10万人のうちの1~2名程度しか捕捉できないはずです。実際にもCRPS(RSD)と診断されて、自賠責で3要件基準を満たすとされた事案は見た記憶がありません。

 

 ⅲ 但し、労災の後遺障害認定では3要件基準への当てはめをせずに9級とした事案は少なくないようです。労災では3要件基準を用いずに主治医がCRPS(RSD)と診断した場合にはそのまま認める傾向もあるようです。

   ところが、判決は「客観的な証拠に基づいて認定することが可能な①ないし③の症状を重視して判断することとする」(95頁)として自賠責の3要件基準を診断基準と誤解して重視しています。RSDと診断した3つの病院の診断はこれを満たしていないとしています。この点が判決の最大の誤りです。

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7 抱合わせ否定論について

 ⅰ 判決は「では、症状固定時に原告に残存する背部痛は、RSDに由来するといえるか」(95頁)とのタイトルで具体的な検討に入っています。即ち、①被害者がRSDにり患しているかの検討と、②被害者の背部痛がRSDによるものか(因果関係)の検討を一体としています。

   この種の検討の仕方そのものに問題があることは繰り返し指摘してきたとおりです。

 ⅱ 普通に考えれば、背部痛は事故以来一貫して訴えてきたものであるので、これが事故による後遺障害ではあることは明白です。また、被害者は長期間疼痛緩和の治療を受け、相当の可動域制限が生じていることから、その疼痛はかなり強いものと認められます。症状の存在や強さについては、治療の実態や医師の判断を尊重して検討するほかありません。

   しかし、加害者側はここで特殊な理屈を持ち出してきます。即ち、①被害者は事故によりRSDを発症したと主張し、②そのRSDによる背部痛が存在すると主張をしているのであるから、③「RSDに由来する背部痛」であるとされなければ、強い背部痛ではないという主張です。

   この思考の枠組みで、被害者がRSDであれば強い背部痛であり、RSDでなければ強い背部痛ではないという理屈で、判決は「では、症状固定時に原告に残存する背部痛は、RSDに由来するといえるか」との検討を最初に行なっているのです。

   この理屈はどこかおかしいと感じなければダメだと思います。ところが、この種の理屈を取り込んでしまった判決をしばしば見かけるようになりました。この理屈は以下に述べる多くの問題を含んでいます。

8 懐疑論への反駁を求める誤り

 まず、前提事実が未確定の状態で因果関係を判断する点に問題があります。本件では背部痛が存在することは、事故以来多くの病院でそれを訴えて長期間にわたり治療を受けてきたことから明らかです。この治療経過や可動域制限からは被害者の背部痛はかなり強いものであることを認定できます。これは痛みの症状を認定する常識的な方法です。痛みそのものを裏付ける確実な証拠を別のもの求めることはそれ自体が誤りです。

 被害者の痛みの強さやこれによる日常生活や就労への影響の度合いは、被害者がRSDであるかどうかに依存するものではありません。

 しかし、痛みそのものは他者が直接確認できないことから、「絶対にその痛みは存在するのか。確実な証拠はあるのか」という発想に流れやすく、そこで痛みとは別のもの(例えば、RSDであるかどうか)に判断を委ねようとするようです。

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9 証明度を高くしすぎる誤り

この発想の根底には、民事訴訟の証明度として「確実に~である」との証明が必要とする誤解があります。しかし、証明度として確実であることは必要ではありません。

 例えばアメリカでは証拠の優越の程度で良いとする考え(50%超原則)が採用されていて、どちらの言い分が正しいのかという視点で判断します。これに対して、日本での証明度が確実であること(95%超)とするとあまりにも差が大きくなり、しかも、証明責任を負担する側に酷な結果となります。

私は基本的には最高裁の述べる「高度の蓋然性」は80%程度の証明度であり、「おそらく~であろう」との心証で足り、判断対象によっては証拠の優越の程度(50%超過原則)とする例外を許容していると考えます。最高裁判決は「確実性」という言葉を用いずに「蓋然性」(可能性)という言葉を用いています。

 実質的に考えても「何が起きたのか」を認定せずに、「何が起きたのか分からないが、とにかく確実な証拠がないのでその主張は認めない」だけで裁判を終えることは、非常にまずいと思います。

もちろん証明度を高くする場合でも事実認定では「何が起きたのか」を認定するべきであって、獲得した心証をそのまま「事実認定の結果」として判決に書くべきです。即ち、生じた可能性が最も高い事実を推論した結果が事実認定であり、要証事実の証明度(法規適用の問題)は分けて書くべきです。法規適用の局面において「その心証が高度の蓋然性のレベルに達しているか」を検討するべきです。

証明度を高くして事実認定に取り込んでしまうと「おそらくAであると推測できるが、確実にAあるとは言えないので、Aであるとは認められない」との考察に向かいます。これでは、「Aであるとの心証なのに、なぜそれを認定しないのか」と突っ込まれてしまいます。証明度を高くするとこのような「心証のグレーゾーン」が大きくなります。

そこで事実認定に証明責任を取り込み、かつ必要とする証明度を高くして「確実にAではない」とのみ述べる方向に流れ易くなります。心証を空洞化させることによるグレーゾーンの消去です。

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10 事実認定に証明責任を取り込む誤り

証明度を高くする誤りの背景には、事実認定に証明責任を取り込む誤りが存在すると考えられます。「~とする(確実な、相当の)証拠はあるか」という見方は事実認定に証明責任を取り込んでいます。

 もちろん事実認定は自由心証の領域で行うべきことであり、自由心証が尽きたところで証明責任は機能を開始します(定説)。証明責任は事実を認定するための道具ではなく、事実が認定できなかった場合(真偽不明の場合)に結論(法規の適用)を決める道具です。

  しかし、一部の裁判例は、事実を認定するにあたって証明責任はどちらにあるのかを考慮して、その上でその事柄について「~であるとする(確実な)証拠はあるか」との検討をしているように見えます。

  証明責任はあたかも問題の解けなかった受験生が振る5角形の鉛筆のようなもの(愚者のサイコロ)であり、とにかく答えは出しますが正答率は保証しません。私は鉛筆の出した答えより自分で考えて出した答えの方が正答率は高いと思います。法曹は自分で考えた答えの方が正答率の高い人であるべきです。従って、できるだけ証明責任に丸投げせずに事実を認定することが望ましいと思います。その意味でも求める証明度を必要以上に高くすることは良くないと思います。

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11 間接事実に証明責任を適用する誤り

事実認定に証明責任を取り込んでしまうと、間接事実にも証明責任を適用する誤りに陥り易くなります。

間接事実については、その確実性を求めるのではなく、個々の間接事実から推論できることを積み重ねていく必要があります。従って、確実でないことのみでその間接事実を捨て去ることは誤りとなります。この誤りは個々の間接事実の証拠力と要証事実の証明度を混同する誤りでもあります。

 例えば、診断が正しいかどうかは間接事実であって、他の病名でも同じ後遺障害(要証事実)を説明できればその後遺障害は肯定できます。また、

病名が不明であっても長期の入通院や検査結果など(別の間接事実)から後遺障害(要証事実)を認定しても構いません。

 従って、①被害者がRSDと主張しているのだから、裁判所はRSDであるかどうかのみを検討すればよいという考えや、②裁判所は被害者の後遺障害がRSDによって生じたものかどうかだけを検討するべきであるとの考えはこの点で誤っています。

 また、診断のもとになる個別の症状も間接事実であって、個別の症状の一つ一つについて「確実に存在するか」を検討することも誤りです。間接事実については得られた心証をそのまま述べる必要があります(そうしないと、推論の基礎になりません)。判決にはこれらの誤りが見られます。

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12 因果関係とメカニズムと取り違える誤り

ⅰ 判決は被害者に強い背部痛が存在するかを検討するために、「RSDにより生じた背部痛であるか」を検討しています。即ち、「RSDにより生じた」とのメカニズムが解明できる場合にのみ、強い背部痛であると認められるとする論理です。

  しかし、最高裁のルンバール事件判決は、結果が存在し、その結果と原因と目される行為(ルンバールの投与)との間のメカニズムが不明である(4回の鑑定の結果)との前提で、ルンバールの投与以外の原因は考えられないという理由で因果関係を肯定しています。

   即ち、詳細なメカニズムが解明できなくとも、「それ以外の原因は考えられない」との心証に至れば因果関係を認めることができます。現実の世の中の事象のほぼ全部は詳細なメカニズムは不明であって、背景事情から絞り込んで「それ以外の原因は考えられない」との理由で因果関係を認めているのが実情です。

  非常に厳密に言えば、全ての物理法則、科学法則は経験的に確認された事実に過ぎないので(科学哲学の定説)、メカニズムにより因果関係が肯定できる事案は世の中には存在しません。全ての科学法則は究極的には「それ以外の説明は考えられない」という点に行き着きます。

 

 ⅱ 判決は、「RSDに由来する」というメカニズムが肯定できないので、被害者の背部痛は強い背部痛ではなく、脊柱の変形とは独自に評価するレベルには至っていないとします。

   一方で判決は被害者がRSDにり患しているかどうかについては、否定的なニュアンスを述べるもののはっきりと結論は述べません。これは複数の医師がRSDとの診断を繰り返しているため、断言できなかったものと考えられます。従って、判決は「被害者がRSDにり患しているかどうかは別にして、被害者の背部痛はRSDに由来するものであることが明らかではないので、強い背部痛ではない。」との特殊な理屈を述べていることになります。

ⅲ 被害者の治療経過や可動域制限などからは被害者の背部痛が強いものであることは容易に認定できるはずです。しかし、判決は「強い背部痛があるとするためには強い背部痛が生じたメカニズムが解明されていなければならない」とする理屈でこれを否定しています。

これは構造的には「Aが死亡したという重大な結果を認めるためにはAの死因が明らかにならなければならない」との理屈と同じです。抱合わせ否定論はこの種の誤りに誘導するものです。

   この誤りに陥る原因はメカニズムを因果関係と取り違えることにあります。この誤りに陥っている人は、因果関係が存在する場合の大半はそのメカニズムが明らかになるはずであるとの実感があるようです。しかし、実際はその逆であると思います。

  例えば、交通事故のあとに大腿骨骨折が判明した場合において、どうしてそれが交通事故により生じたと判断するのでしょうか。普通は、事故前に大腿骨骨折が生じていてがまんしていたはずがないとか、事故以外の原因は考えられないという理由で即座に因果関係を認めます。

   これに対して、自動車が衝突した角度、骨の強度、車体の剛性、被害者の姿勢などの全ての事情を明らかにして、大腿骨骨折が生じるべくして生じたと実感できるメカニズムを明らかにすることは不可能です。因果関係が一目瞭然の場合であっても、ほとんどの場合にその具体的なメカニズムは不明です。

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13 循環論法

 ⅰ 判決は「では、症状固定時に原告に残存する背部痛は、RSDに由来するといえるか」との表題で単純化すると以下の理屈を述べます。即ち、①被害者はRSDではなかろう、②ゆえに被害者の主張する背部痛はRSDによる背部痛ではない、との理屈です。

   私は理屈が循環していると思います。即ち、①の判断のなかで被害者の背部痛をRSDの症状としての背部痛であるのかの検討が必要であり、②でも同じことを述べているに過ぎません。

 

 ⅱ 判決は、被害者の訴える強い痛みについて、「遅くともD病院を受診した平成21年5月18日の時点で、灼けたもので内臓をえぐられるような痛みを感じていたというのであるから、原告の主張は採用できない」(96頁)と述べています。

   これは21年5月に被害者が強い痛みを訴えていたのに、それを知る医師が平成22年2月になってようやく「RSD様病態を呈している」と診断書に記載したのは遅すぎるので、その主治医の診断は採用できないという流れで述べたものです。判決はその結果として上記の症状の存在も否定しています。

   しかし、診断の要素として検討した症状を、診断により確認できる症状として再度述べる構造では循環論法になってしまいます。そもそも「診断により確認できる症状」という概念自体に誤りがあります。

ⅲ 循環論法に陥るのは、診断が正しいならば症状の存在が認められるという逆転した発想に原因があります。実は、この誤りはCRPSを否定した多くの裁判例にも見られます。

この発想に陥ってしまうのは、診断に対する検討の仕方に問題があります。正しくは、上記のとおり現実に存在する症状や検査結果に仮説設定や鑑別診断の手順で候補となる傷病名を当てはめ、最もうまく説明できるものを選択するという医学的な手順による必要があります。

ところが、「被害者の主張する症状は虚偽だ。医師の確認した症状や検査結果も被害者の偽装工作にだまされたものだ。」との定番の主張が加害者側から出されると、前提となるはずの症状や検査結果が、そのままでは使えないとの錯覚に陥ることがあるようです。このため「まず、診断が正しいかどうかを検討して、診断が正しいならばその症状が認められる」という方向(循環論法)に向かってしまうのです。

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14 背景事情からの認定を避ける誤り

 ⅰ 症状や検査結果の存否は、原則としてそれ自体を直接に認定するほかない事柄です。これは長期間の入通院や医師の診断のほかに、被害者の属性などのすべての事情を総合的に検討して、ときには裁判官が全人格を賭けてでも判断するほかない事柄です。

もともと事実認定の本質はすべての事情を考慮した上での総合的判断という点にあり、個別の事情に対応する証拠の有無をチェックする作業は補助的なものに過ぎません。裁判に現れるほとんどの事情は直接的な証拠を持たないのですが、それゆえに無視したり、軽視したりしていて視野を狭めて行けば正しい判断ができなくなります。むしろ、直接的な証拠を持たない事情をいかにして評価して一貫した全体像を作っていくのかが事実認定の本質であると思います。「動かし難い事実」の積み重ねやこれに基づく推論のなかで、全ての事情を整合させる総合的判断をするというのが、伝統的な事実認定論です。

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 ⅱ 被害者の背部痛の程度について、加害者側の主張に騙されて「ほかの事情で証明するほかない」と安易に考えてしまった誤りの背景には、対応する証拠のチェックという低レベルなものを事実認定のなかで重視していることにあると思います。この誤りの亜種に「一見して重大で確実に存在が認められる症状のみを認める」との誤りがあります。

その根源には、自由心証に証明責任を取り込む誤りがあり、事実の認定にはすべからく確実な証拠が必要であるとの誤解があるようにも見えます。間接事実はもとより、主要事実にもそのようなしばりはありません。

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 ⅲ 判決は被害者に軽度の骨萎縮があるとした医師の診断を、「いかなる画像に基づき骨萎縮の有無及び程度を判断したのか明らかではない」とし、他の病院では骨萎縮への言及がないとして否定しています。

しかし、他の病院は骨萎縮の有無の判断を求められて回答したわけではないので、この部分は理屈になっていません。これは骨萎縮があるとした医師の判断を端的に信用するという普通の判断ができず、ほかの証拠で補強しようとする誤りにより生じています。

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15 事実認定の空洞化

  判決は、「何が起きたのか」という意味での事実認定をせずに「~であるとする確実な証拠はあるのか」という方向性で「RSDに由来する背部痛はあるのか」を検討しています。

そのため、結論として、「RSDに由来する背部痛ではない。よって、強い背部痛ではない。」として、被害者の背部痛の強さに否定的なニュアンスを述べます。その上で、被害者の背部痛は第11胸椎骨折に伴う疼痛であり、「脊柱の変形と派生関係にあり、11級の評価の中に含まれる」(97頁)と述べます。

  抱合わせ否定論のなかで、「~であるとする確実な証拠はない」との判断を繰り返すと、実質的な心証を形成することなく結論を導くことになります。「確実にAとはいえない」との認定はいかなる事実も確定しません。これでは事実認定が空洞化してしまいます。その原因は事実認定に証明責任を取り込む誤り(及び証明度を高くしすぎる誤り)にあると思います。

  判決はRSDであるとする要件のみをひたすら厳しくする誤り(診断への検討の仕方の誤り)をしているため、RSDではないとした結果として、「では何であるのか」が空白になっています。被害者について多くの医師が確認した症状・検査結果が説明されずに放置されて、「とにかくRSDではない。 その先は関知しない。」との結論になっています。

  事実認定は、「何が起きたのか」(生じた可能性が最も高い事実は何か)を認定するべきであり、この方法では事実認定の空洞化は生じません。事実認定の空洞化が生じてしまうと、空洞化した部分に架空のストーリーを滑り込まされやすくなります。

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16 劇場型の事実認定

 ⅰ 消費者事件には劇場型という分類があり、架空会社の社債を購入させる手口や振込め詐欺など多種多様な劇場型の事件があります。劇場型犯罪の特徴は、犯人の用意した架空の舞台設定に被害者をのめり込ませるという点にあります。これに対して、例えば被害者が「お前は本当に息子なのか」などの疑問を述べても、犯人はその場しのぎの言い訳を積み重ね、被害者の認識が架空の舞台設定の中にとどまるように誘導します。

架空の舞台設定ですので、落ち着いて検討すれば矛盾はすぐに見つかるようにも思えるのですが、いったん舞台設定に引きずり込まれてしまうと、その設定自体を疑う思考に向かわなくなります。

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ⅱ 確証バイアス(反証の軽視)

これは事実認定にも当てはまります。誤った前提を正しいものと信じてしまうと、「その前提から導き出される結論は何か」の検討に向かい、その前提を疑うことができなくなります。その結果、不合理な帰結が生じても最初に信じてしまった前提を疑うことが困難となります。

  判決は、3要件基準や病期説を診断基準であるとする誤った前提を強く信じてしまったために、不合理な帰結が生じても、その前提を疑うことができなくなっています。

しかし、冷静になって考えてみれば、被害者が事故以来長期間にわたって多数の病院で疼痛緩和の治療を受け、腰部に可動域制限があり腰の動きを制限するためにコルセットを着用してきたことや、複数の医療機関でCRPS(RSD)との診断を受けてきたことは、厳然たる事実です。

また、3要件基準が診断基準であれば、こんな簡単なことさえも知らずに、それに反する診断を複数の医師が繰り返すというのも非常に不合理であると疑うべきでしょう。

ところが、人間はいったん強い思い込みに陥ると、その思い込みに反する思考ができなくなります。その結果、「医者というのは本当にいい加減な人が多いのだなあ。」という安易な考えで診断を否定する方向に向かいます。この発想は、自分が正しいと信じた内容に矛盾する事実を打ち消すための認知的不協和とも言えます。

この発想に至ると、自分の信じた内容に都合の良い証拠の価値を高く見るという確証バイアスも強くなります。被害者の症状経過に対して加害者が少しでも疑義を述べるとそれに飛びついて、「この被害者は大げさに痛みを訴える人だなあ」という見方に流れやすくなります。

 

 

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 ⅲ 反証の軽視(不合理な帰結の放置)

この判決は被害者の詐病や医師の迎合について正面から述べていません。しかし、判決の結論はこれらの存在を不可欠とします。判決の問題点は導いた帰結の先に存在する不都合に対する無関心です。この無関心も、最初に自分の信じた内容を正しいものとするための認知的不協和であると言えます。

   誤った内容を強く信じてしまうと、それに矛盾する事実を安易に否定する発想に流れ易くなり、自分が信じた内容が導く不合理な結果に対しても無関心となります。これは劇場型の事実認定に特徴的です。

仮に、正面から「症状の経過を被害者の詐病として説明できるか」と考えた場合、詐病で長期間の治療経過を説明することは非常に困難であり、客観的な検査結果を作り出すことは不可能であることが即座に帰結できます。また、医師が迎合して骨の萎縮があるとか、発汗が増えているという虚偽内容の報告をする可能性も極めて低いと言えます。

おそらく判決を書いた裁判官も被害者の詐病や医師の迎合については、「その種のこともありうるだろう」、「何か自分には分からない特殊な事情があるのであろう。」という程度のあいまいな認識であると思います。これは劇場型の事実認定に特徴的な認知的不協和ないし保守性バイアスであると言えます。

これまで検討した事案でも被害者が重篤な症状を訴え、長期間の治療を受け、医師がCRPSとの診断をなしている事案で、その診断を否定した判決が少なからずあります。しかし、それらの判決の大半は、被害者の詐病や医師の迎合について正面から検討していません。この思考過程には劇場型の事実認定が存在するように思います。

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 ⅳ 事実認定の空洞化の影響

劇場型の事実認定が生じるのは、事実認定が空洞化してしまったことから、その舞台設定の誤りを見つける手がかりがなくなってしまったことにも原因があると思います。

   伝統的な事実認定論に従い、まず動かし難い事実を認定し、次にそこから合理的に推測できる事実を認定していき、これらの作業を積み重ねていき全体の整合性を取れるように事件の骨格を作り上げて行くという手法を用いていけば、基本的な部分で誤った認定に至ることはないと思います。

ここでは論理法則も重要です。本件では、「RSDではないとすれば、どんな疾患であろうか」という点から「RSD以外の候補は見当たらない」という結論に至れば、大筋で正しい認定に至ったと思います。被害者が長期の通院で疼痛緩和の治療を受け続け、RSDとの診断を受けている事実を代替案がないまま否定することも、実は論理法則違反です。

「AもしくはA以外である」(排中律)、「A以外の候補は見当たらない」、「よってAである」は、基本的な論理思考です。これに対して、「Aとする確実な証拠はあるか」という視点で「とにかくAであるとする確実な証拠はないので、Aであると認めることはできない。A以外の候補はないが何が起きたのかは不明である。」とすることは誤りです(事実認定に証明責任を取り込む誤りでもあります)。上の「A以外の候補はない」とは、本件では「CRPS以外の候補はない」を意味します。

1つの事柄のみを検討の対象にして、その対象が「~であるとする証拠はあるか」を検討する仕方では、事実認定が空洞化してしまいます。このやり方では多面的な検討はできず、とくに「ほかの説明は考えられるであろうか」との基本思考(代替案の有無の検討)を欠落させることになります。

2013年8月16日 (金)

症状経過で否定されたCRPS(25.1.22)

1 東京地裁平成25年1月22日判決(自保ジャーナル1895号101頁)

  この事件では左上肢のCRPSが問題となっています。

この事案の特徴は、①判決がCRPSについての初歩的な知見に反することを多々述べていること、②診断を検討するための論理を用いていないこと、③自賠責の3要件基準を診断基準と誤解していること、④病期説を診断基準と誤解していること、⑤因果関係と抱合わせで結果を否定する論理を多用していること、などです。

 

2 症状の経過

 被害者は事故時55歳位の女子飲食店勤務兼家事従事者です。平成17年8月8日に、自転車を運転していて、停止中の自動車の開いた運転席のドアに衝突して転倒する事故に遭います。(*以下では日付は断りのない場合は事故日を基準としたものです) 

 

(B病院)事故当日から2年4ヶ月間通院

 事故当日…B病院。後頭部の痛み、手の痛み、手に力が入りにくいなどの症状を訴える。

 52日後…手に力が入りにくいとの症状を訴える。

 3ヶ月半後…左手の冷感を訴える。

 9ヶ月半後…左腕が挙がらないこと、左手のむくみを訴える。

 それ以後…左手の痛み、脱力感、むくみ、しびれ、触角過敏、左腋下の脱毛、左足の痛み及び運動障害を訴えるも、その訴えは一定しない。

      頭痛、項部痛、目眩、右第4指の運動障害、右手の痛み・しびれ・むくみ・関節痛・運動痛を訴えることもあった。

 1年8ヶ月後…症状固定となる。後遺障害診断書で、頚部痛、両上肢の筋力低下、異常感覚の後遺障害が存するとされる。関節可動域検査で左側の肩・肘・股関節のほとんどの運動が右側より制限されていた。

 2年3ヶ月後…2度目の後遺障害診断書で、RSDの症状が継続しているとされる。

 

 

   *上記のとおり片側の上肢が徐々に拘縮していくという典型的なCRPSの症状経過で、その過程で種々の症状が出ています。

   *このような典型症例でも、加害者側は(特定の時期に)特定の症状が出ていることが必要であると主張をすることが恒例です。しかし、CRPSには必ず生じる症状が1つもないことは医学では定説で、このことは国際疼痛学会やアメリカや日本の判定指標から一目瞭然です。

  *ところが、この判決は加害者側のこの主張を鵜呑みにして、「~の時期に~の症状は認められない」との指摘を多く書いています。

このレベルの裁判例が非常に多いためか、加害者側の提出する医学意見書は、「これはふざけすぎだ」というレベルの初歩的な誤りを多く含むものがよく見られます。初歩的な誤りであっても被害者側がその全部について反論し尽くすことは困難であり、裁判官がどれか1つでも信じてしまえばCRPSではないとの判断に至りやすいからです。 

 

(Cクリニック。B病院の主治医と同じ)2年4ヶ月後から通院

 2年4ヶ月後…Cクリニック。頭痛、頚部痛、右第4指の運動障害を訴え、トリガーポイント注射や消炎鎮痛剤などの処方を受ける。

 2年10ヶ月後…14級9号の後遺障害認定を受ける。

 

 

   *被害者の症状は主として左上肢に生じていますが、右上肢や左下肢にも波及しています。CRPSではこのようなミラーペインと呼ばれる症状の波及がしばしば見られます。

   *両側の上肢にしびれが生じる原因としては、胸郭出口症候群や手根管症候群が考えられますが、この事件では被害者は絞扼神経障害を判別できる検査は受けていないようです。これが認められると、絞扼神経障害に起因するCRPS(タイプⅡ)になります。

   *ところがこの判決は、「加害者側の症状が左上肢以外にも及んでいて一定していないのは、不定愁訴であって、実際にはその症状は存在しない」との方向で理解しています。 

 

(D病院・整形外科)2年11か月後から1か月半ほど通院

 2年11ヶ月後…D病院・整形外科。左手尺側の感覚麻痺、左下肢の感覚麻痺およびしびれ、右下肢外側の麻痺およびしびれ、同内側の感覚麻痺を訴える。

肩・肘・手関節及び股関節の自動・他動可動域は、右側よりも左側が制限されていた。聴取書では、初診時から左手の掌は腫れて固くなっており、皮膚温の変化に伴う発汗も見られたとする。

 

    * この時点で左上肢の拘縮が相当程度進行していたことが確認できます。 

 

 3年後…被害者は転倒して、左橈骨遠位端骨折の傷害を負い、3週間ほど左手関節がギプスで固定される。このときのレントゲンで左手の橈骨から手根骨にかけて、骨萎縮を疑わせる所見(輝度の変化)が確認される。

3年後…左上肢尺側のしびれ、両下腿~足底部のしびれ、感覚障害の後遺障害が存し、RSDと脊髄圧迫所見が合併していると思われる、と診断される。

 

   *橈骨遠位端骨折は、CRPSの原因となりやすい外傷であると多くの医学書で指摘されています。本件では被害者が3年後に左橈骨遠位端骨折をするまでに、CRPSの症状がかなり進行しています。

   *ところが、判決は、この怪我の後に確認された症状を引用して、「この怪我によりCRPSを発症した可能性もある」とのニュアンスを述べています。判決は一方では、「この被害者はCRPSを発症したとは認められない」とのニュアンスを述べています。もちろん、これは矛盾します。

そこで判決は、泥縄式に被害者の症状は「CRPSであるかどうかは別にして、本件事故により発症したCRPSであると認めることはできない」との理屈を述べています。これは抱合わせ否定論というべき論理で加害者側が用いる錯誤論法です。最近はこの理屈を取り込んでしまった裁判例をしばしば見かけます。

 

(Cクリニックで確認された症状)

 3年2ヶ月後…被害者の左手に関節拘縮があるとされる。

 3年3ヶ月後…左手について「剣山で刺されているみたいに痛む」との訴えがある。

 3年半後…「左腕が冷たい水に入っている感じがする」との訴えがある。

 3年7か月後…「どこを触られても痛む。今日は熱い感じがする」との訴えがある。医師が左手に腫れを確認する。

 3年9ヶ月後…左手の骨密度の低下が確認される。

 

(D病院・麻酔科ペインクリニック)3年9か月後から通院  

 3年9ヶ月後…D病院の麻酔科ペインクリニック。左手上腕の外転障害、肘から先の痛み、左下肢の痛みと冷感を訴え、星状神経節ブロック注射などを受け、2日間は指の動きが良くなる。

皮膚温の測定により、左右の差が確認される。関節可動域検査では、左側の上肢・下肢の可動域の制限が確認される。

 3年10ヶ月後…RSDの可能性が高いとの診断を受ける。ギボンズのRSDスコアによる。灼熱痛、浮腫、X線画像の異常、RSDに一致した骨シンチグラフィー所見、交感神経ブロックの有効性の5項目が該当するとした。

 4年1ヶ月後…障害内容の増悪・緩解の見通しについて、以前の診療録からCRPSタイプ1であったと考えられ、リハビリ、神経ブロックにより徐々に回復しつつあるが、今後急激に回復することは考え難いとされる。

 4年5ヶ月後…後遺障害認定に対する異議申立で再び14級9号とされる。

 4年10ヶ月後…異議申立に対して、再び14級9号とされる。

 

    *最終的には、典型的なCRPSの重症化例となっています。しかし、裁判例等で確認できる事案では、典型症例であっても、自賠責ではほぼ全部が3要件を満たさないとされています。統計的に見ても、3要件を満たすCRPS患者は1%未満(高く見積もってもせいぜい1~2%)と推測されます。これは基準に誤りがあるというほかありません。

 

3 CRPS(RSD)に必須の症状がないこと

 ⅰ 本件では最終的な症状がCRPSであることに問題はありません。しかし、判決はCRPS(RSD)とするための要件をひたすら厳しくする理屈を述べてこれを否定します。

   本件では被害者には多くの症状が存在するので、普通に考えれば容易にCRPS(RSD)との診断を肯定できます。そこで、加害者側は必須の症状を多くして、加えて、ある特定の時期に、特定の形でその症状が発症しなければならないとし、判決はこれをそのまま取り入れています。

判決は、①灼熱痛が初発症状として生じる、②浮腫は時間の経過とともに固い腫脹となる、③皮膚変化は初期に発赤となり、皮膚温の上昇を伴い、時間の経過とともに蒼白化し、皮膚温の低下を伴う、などの要件の加重を述べています。

 

ⅱ これはCRPSについての病期説に従うものです。CRPSについては、時期ごとの症状の変遷を経て重症化が進行することを、病期ごとの変遷として、表にまとめた医学書はしばしば見かけます。この病期説による説明は、CRPSの症状の経過のプロトタイプ(典型例)の説明として用いられるものです。

しかし、臨床での大規模調査では、実際にはほぼ全ての患者がその病期説による経過をたどらなかったこともあり、無用であるとする見解が支配的です。これを有用とする考えもありますが、それはCRPSの症状の進行のプロトタイプとして考慮することの有用性を述べるに過ぎません。

いずれにせよ、病期説は診断基準ではありません。そもそもCRPSに必須の症状が1つたりとも存在しないことは世界中の医師が認める定説であり、ましてや特定の時期にそれが生じる必要はありません。

 

4 診断に対する検討の仕方そのものについて

 ⅰ それ以前の問題として判決は診断を検討できる論理を用いていないという初歩的な問題もあります。この点は前回も述べています。

診断とは仮説設定や鑑別診断により、現に存在する症状について多くの候補の中から正しい傷病名を探し出す作業です。これに対して、誤った検討の典型例は、代替案との比較(鑑別診断)をしないことです。加害者側はこの方向に誘導します。

ある疾患について、その症状を列挙して症状の多さや各症状の重症度から、その疾患としての典型性の度合いを検討する。これは誤った検討の典型例です。判決は、この方向に誘導されています。

 

 ⅱ この誤った方法に誘導されてしまうのは、疾患への見方に根本的な問題があるためです。

例えば、ある疾患Pで生じる症状としてA~Gがあるとした場合、症状A~Gは全ての患者に必須ではありません。A~Cが主症状とされていても、それが全ての患者に生じるわけではありません。従って、A~Cのどれか1つが生じていなくとも、疾患Pと診断できます。

   これに対して、「疾患Pではなく疾患Rでその患者をより合理的に説明できる」として疑義を述べることもできます。これが鑑別診断です。

   以上に対して、「疾患PにはA~Gの全部が必須である」との主張が的外れであることは明らかでしょう。加害者側はこの主張を毎回のようにします。この主張では「では、この被害者の病名は何であるのか」は明らかにならないので、臨床でこんな考えをする医師はいません。

 

   話がそれますが、NHKで放送している『ドクターG』という番組では患者の症状が少しずつ説明され、3名の研修医がその時点で考えられる病名を答えます。ある時点での診断(初期仮説)がその後の情報(症状、検査)で変更を余儀なくされます。初期仮説としての診断が否定できるのは具体的な代替候補があるからです。

   このように多くの候補の中から、具体的な傷病名の比較検討を通して正しい病名を選び出す作業が診断の手順です。

   これに対して、1つの傷病名のみを検討して、その要件に当てはまるかという典型性の度合いを検討することは、誤った検討の典型例です。

 

5 抱合わせ否定論について

 ⅰ 事実と因果関係を同時に判断して否定する方法

   判決は、被害者の症状を検討するに際して、その症状の有無を端的に述べていません。通常であれば、被害者の症状を端的に認定して、「これらの症状について考えられる疾患は何か」を具体的な傷病名を挙げて、比較検討します。

   ところが、判決は全く逆の方向から検討しています。判決は、「RSDを原因とする疼痛の有無について」、とのタイトルを項目に付して「RSDを原因として生じた症状として、その症状が存在するか」を検討しています。

   端的に、その症状があるかどうかをまず確定させて、その後にその原因を検討するべきところを、否定の結論に導くための抱き合わせの検討をしています。

   判決は、別のところでは「RSDを原因とする腫脹の有無について」とのタイトルを項目に付して、同様に抱き合わせ否定論を展開しています。この方法は否定の結論を導くための論理トリックであり、正当な検討方法ではありません。加害者側はこの抱合わせ否定論をよく用います。

   判決は、症状が存在するかどうかを確定せずに、「とにかく本件事故により生じた症状ではない」、「とにかくRSDによる症状ではない」、「とにかく局所的な交感神経の反射作用等により生じた症状ではない」との趣旨を幾度も述べています。

 

 ⅱ 本件では最終的な症状として、左上肢下肢の関節可動域制限、左手の浮腫、左手のX線画像の異常、骨シンチグラフィー所見(骨密度の低下)、灼熱痛、交感神経ブロックの有効性、皮膚温の変化などの症状が確認できます。これらの症状を説明できるのはCRPSのみであることは、容易に認められます。

 

   ①そこで加害者側は代替案を出さずに、CRPS(RSD)であるとするための要件をひたすら厳しくする方向に誘導します。この点は上で述べました。

   ②これと並行して、症状の存在そのものを否定するための特殊な理屈を述べます。まず、「症状が一見して明白なほどに重症ではない」として重度の症状以外は無視することを主張します。「CRPSというのは重い難病であるから、単に症状があることのみでは足りず、重度の症状が持続的に出ていなければダメだ」という趣旨の主張をします。もちろん、これは暴論です。

   ③上記によっても症状の存在を否定することが困難な場合には、関連性(因果関係)の同時立証を求める論理を述べて、「その症状が存在するかどうかは別として、とにかくCRPSを原因とする症状ではない」などの主張をします。これが抱合わせ否定論です。

 

 ⅲ 判決は、「RSDを原因とする疼痛の有無」とのタイトルで「RSDの症状として見られる疼痛は、患者が罹患部への接触を拒むほどの著しいものであり、多くは初発症状としてみられ、持続性を有するものである」と述べます。もちろん、これは誤りです。

   また、「RSDを原因とする腫脹の有無について」とのタイトルで「RSDの症状として見られる腫脹は、罹患部位を中心として浮腫を伴って生じ、多くの例では時間の経過とともに固い腫脹となる。」と述べます。これも誤りです。

   また、皮膚変化については、「RSDの症状としてみられる皮膚変化は、初期においては発赤と健側と比較した場合の皮膚温の上昇を伴い、時間の経過とともに蒼白化と健側と比較した場合の皮膚温の低下を伴う。またRSD発症の初期段階では、罹患部位の発汗が過多となる」と述べます。これも誤りです。

 

 ⅳ 上記のような症状経過をたどる患者がごく一部にいるとしても、それが必須の因果経路ではありません。

そもそもCRPSには必須の症状は1つたりともありません。例えば、腫脹(腫れ、むくみ)が生じないCRPS患者もいるため、わずかな腫脹(むくみ)であっても、擬陽性として積極的に考慮します。このことからは、普通に目で見て分かるむくみがあれば、「腫脹」の要件を優に満たすことは容易に理解できるはずです。上記のような特殊な限定が不要であることは、当たり前すぎることです。

同様に、疼痛も灼熱痛に限られません。皮膚温の変化もその変化があることが分かれば、その要件を満たします。皮膚色の変化も目で見て分かるほどのものであれば、優にその要件を満たします。

これはごく初歩的な知識ですが、訴訟ではこれに反する内容の医学意見書が出されることは頻繁に見られます。ところが、その名義人が高名な医師であったり、裁判所選任の鑑定人であったりすると、裁判官が入れ食い状態で信じてしまっているのが、現状です。

 

6 事実認定の空洞化

 ⅰ 代替候補を挙げずに診断を否定すると、その被害者の症状を説明できる代替案が残りません。抱合わせ否定論で「症状の有無は別として、とにかくRSDによる症状ではない」と認定すると、その被害者の症状を説明できる理屈は残りません。

   従って、この検討方法はそれ自体が根本的な問題を含んでいることは明らかです。むしろ、どうしてこの理屈を取り入れてしまったのかということに疑問を感じます。

 

 ⅱ 判決は、被害者の主張する症状が存在することは概ね否定することなく、(特に判断することなく)「本件事故による受傷を契機としてこれらの症状が生じたことを認めることはできないから、いずれの診断基準に依拠したとしても、原告に本件事故を原因としてRSDが発症した事実を認めることはできない」と述べます。つまり、「とにかくこの事故によって生じたものではない。」とだけ認定しています。

 

 ⅲ この認定はそれ自体に問題があります。この点は前回も述べました。

もとより事実認定は「何が起きたのか」を認定するものであり、「~であると認めるに足りる証拠はあるか」との視点で見ることは誤りです(自由心証に証明責任を取り込む誤り)。

   この判決の認定は、自由心証で結論が出ずに証明責任を適用したようにも見えますが、症状の有無や診断の適否は間接事実であるため、そもそも証明責任を適用するべき領域ではありません。判決は、症状の存否、診断の適否などの個々の間接事実の証明力を、主張事実の証明度と同様に扱い、その上で証明責任を適用しているように見えます。

   そもそも証明責任は事実を認定するための道具ではなく、事実が認定できなかったときに結論(法規の適用)を決めるための道具です。「~であると認めるに足りる証拠はあるか」との視点で事実を認定すること自体にも問題があります。

間接事実については、形成された程度において心証を開示する必要があります。その心証を積み重ねて、主要事実についての最終的な心証が形成することができなければ、真偽不明として証明責任に結論を委ねることもできます。しかし、それ以前の段階で証明責任を先行させてしまうと、間接事実のレベルで心証が空洞化してしまいます。その結果、事実認定も空洞化してしまいます。

   この判決は、証明責任を事実認定に取り込む誤りに陥り、それを間接事実にまで拡大し、「とにかく~ではない」との結論を多用するため、「何が起きたのか」は認定されず、事実認定が空洞化しています。この点は、審理不尽と言わざるを得ません。

 

7 メカニズムを因果関係と取り違える誤り

 ⅰ 判決は、因果関係の検討においては、ある特定のメカニズムに従った因果経路であることが確認できなければ、因果関係を認めることはできないとの考えに立脚しています。これは明確な誤りです。

判決は、結果の有無を認定した後に、その結果を生じる可能性のある原因を探求するという方法を排除しています。現実には、因果関係はこの方法で認定されることがほぼ全部であると思います。この方法は、ルンバール事件の最高裁判決でも用いられています。

 

 ⅱ これに対して、原因となる事象から結論に至るメカニズムを設定して、そのメカニズムのとおりに事実が生じたことを認定できなければ因果関係を認められないとすることは、因果関係を検討する際の最も重要なルートを削除することになります。

   ルンバール事件の最高裁判例では、結果を認定したのちに、「その事象以外に原因は考えられるか」との視点で検討しています。他に原因となりうる事象が見当たらなければ、時間的近接性(連続性)などからその事象が原因であると認定することができます。

   本件では、事故からの症状の連続性からは、被害者の症状が事故から生じたことは明らかであり、その詳細なメカニズムが解明されなければ因果関係を認めないとすることは、最高裁判例に反することとなります。

   抱合わせ否定論は、このメカニズムを因果関係と取り違える誤りに誘導して、因果関係を認定する主要ルートを塞ぎ、一方で間接事実に証明責任を適用する誤りにも誘導し、否定の結論を導くためのトリックとなります。

2013年6月11日 (火)

労災9級の右上肢CRPS(24.11.27)

 

1 東京地裁平成24年11月27日判決(自保ジャーナル1891号40頁)

 

  この事件では右上肢のCRPSが問題となっています。

 

この事案の特徴は、①判決がCRPSについての初歩的な知見に反することを多々述べていること、②初期に胸郭出口症候群(TOS)と類似する症状が生じていること、③右手指に著しい巧緻運動障害が生じていること、④サーモグラフィー検査の検討に問題があること、⑤判決が自賠責の3要件基準を診断基準と誤解していること、などです。

 

2 症状の経過

 

 被害者は64歳男子タクシー乗務員で、平成19年1月31日に追突事故に遭います。車両の修理費用は26万円ほどとされていることからは、追突事故としては中程度のものと思われます。 

 

 (*以下では日付は断りのない場合は事故日を基準としたものです) 

 事故当日…勤務先に戻り、病院に行くことなく帰宅する。

*被害者は、ドアを開けて外に出ようとしたときに追突されて意識を失い、意識を回復して嘔吐したと主張しています。このように少し変わった事情に対しては「本当か?その証拠は?」との視点で検討されるため、疑いのバイアスを持たれやすくなります。

 

  被害者側は、「その傷病が発生する可能性のある事故」であることを証明できれば良く、「その傷病を発生するのにちょうど良い事故」であることを証明する必要はないので、事故状況を必要以上に詳しく主張することは得策ではないと思います。

 

 2日後…B病院。後頭部痛、右頚部痛、嘔気あるも四肢のしびれなし、徒手筋力検査では4~5とされる。

 

 

*事故当日に通院しなかったとの事情は仕事中に事故にあった事例や、末梢神経絞扼障害を後に発症する事例で多く見られます。末梢神経絞扼障害(胸郭出口症候群、手根管症候群、梨状筋症候群など)では、事故による組織の脹れや炎症により徐々に神経が圧迫されて、事故後に症状が悪化するという経過が多く見られます。

 

*最初の通院で徒手筋力検査が行われていることから、この時点で右上肢の脱力ないし違和感の症状を訴えていたはずです。

 

*判決はCRPSを否定する根拠として、事故直後の症状が比較的軽微であったこと、一定の筋力が保持されていたことを指摘します。しかし、CRPSの特徴は当初の外傷の結果からは想像できないほどに症状が悪化することであるので、これらは初歩的な誤りです。

 

 5日後…B病院。後頭部痛、右頚部痛の継続と右上下肢の筋力低下を訴える。

 

6日後…B病院。右上下肢の脱力と右上肢のしびれを訴え、以後9日間入院する(頚椎捻挫の病名)。7日後に頚椎MRIで異常なしとされる。

 

 

 

   *事故から1週間から2か月ほどの期間をおいて、上肢にしびれと脱力が生じる経過は胸郭出口症候群(TOS)で多く見られます。被害者が6日後から9日間入院していることからは、この時点で相当の症状が出ていたものと考えられます。    

 

 15日後…B病院(以後4か月通院)。右頚部痛、右上肢痛、右上肢のしびれを訴える。20日後には握力が右18kg、左34kgとなり、以後も右手の握力低下が続く。

*この時点の症状(上肢のしびれ、脱力、握力の低下)はTOSで典型的に見られるものですが、最後までTOSは疑われず、その鑑別診断のための検査も受けていないようです。

 

*判決はCRPSを否定する根拠として、この時点で灼熱痛等の激しい痛みや右上肢の機能障害を訴えた形跡がないこと、関節拘縮や骨萎縮が出ていないことなどを指摘しています。

 

しかし、CRPSには必須の症状は1つたりともありません(定説)。特定の症状が事故直後の時期に生じる必要はなおさらありません。何ゆえここまでひどい誤りを書いているのか不可解です。

 

*判決はCRPSを否定する根拠として、B病院の診断名は頚椎捻挫(頚髄損傷の疑い)であることを指摘しています。

 

しかし、CRPSはその診断が遅れることに特徴があり、実際にも全ての事案で当初は別の病名が診断されています。CRPSの診断が事故の3年後以降になった事例も少なくありません。提訴後の鑑定で初めてCRPS(またはRSD)と判断された事案も何件かあります。CRPSの典型症状が出ていても、診断がなく、その検討もされないまま訴訟が終わっている事案も何件かあります。

 

 

 

 4か月半後…C整形外科(以後9か月ほど通院)。被害者は右肩関節痛、頚部痛を訴え、星状神経節ブロックなどの治療を受ける。右手握力の低下が続く。7か月後ころから箸やペンなどの巧緻運動の障害の記載がカルテに現れる。10か月後頃に痛みによる指関節可動域制限が現れる。

 

C病院は、当初は外傷性頚椎症性神経根症、右肩腱板損傷と診断するも、半年後に反射性交感神経萎縮症(右上肢)、外傷性肩関節周囲炎の診断名を追加し、1年後に複合性局所疼痛症候群(CRPSタイプⅠ)と診断する。

 

   *半年後にRSDとの診断が下されています。裁判例の上では早期に診断された事案に属します。判決はRSDの診断の根拠が不明であるとしますが、持続する疼痛と関節可動域制限で現時点のCRPSの判定指標を満たし、あとは鑑別診断が問題となるのみです。

 

 *判決はCRPSを否定する根拠として、1年後になるまでCRPSとの診断がされていないと述べます。しかし、半年後に診断された「RSD」と1年後に診断された「CRPSタイプⅠ」は同じ意味です。いくらなんでもさすがにこの間違いはひどすぎます。また、「診断が遅れたのでCRPSではない」という理屈にも無理があります。

 

*この判決は理解し難い非常に不可解な誤りが多く見られます。そのほぼ全部がほかの事件で加害者側の主張として見たことがあるものです。ここまで特殊なことを独自で多数考え出したとも思えないので、これらは加害者側の主張や医学意見書によるものでしょう。

 

加害者側が提出する医学意見書は、全ての事件で被害者の主張を否定する結論にするためか、「さすがにこれはふざけすぎだ」というレベルのものが多く見られ、本件のような典型症例になると「ダメでもともと」といった感じのやっつけ仕事のひどいものが出てきます。そのレベルのものでも華々しい経歴の高名な医師の名義がついていると信用してしまう裁判官は少なくないようです。

 

裁判所はこの種の訴訟で明らかに舐められています。仮にこの判決の記載が医学意見書を元にしているとすれば、その執筆者はこの判決の入れ食い状態には笑いが止まらないでしょう。

 

 

 

 5か月後…D病院(以後1年8か月ほど通院)。頭痛、めまい、右上肢のしびれなどを訴える。

 

 1年後…被害者が原付に乗っていて猫をよけて転倒して、頭、額、膝を打撲してレントゲンを撮ったことがD病院のカルテに記載される。

 

   *この記述からは被害者はこの時点では原付を運転できる状態にあったようです。被害者は足で蹴っていただけと主張したようですが、この点は信じ難いです。この時点では右手は巧緻運動障害が出ていたものの、原付のハンドルを握ることやアクセルを回すことができる状態にあったようです。

 

     この時点での被害者の主張する症状と矛盾しませんが、怪我人や障害者が活発に動くことに対して良くない評価をする人もいます。

 

 

 1年1か月後…C整形外科が平成20年2月29日を症状固定日として、後遺障害診断書を作成する。傷病名は「頚椎捻挫、外傷性頚椎神経根症、右肩腱板炎、複合性局所疼痛症候群(CRPS)」とされ、自覚症状は「右上肢脱力、頭痛、頚部・右肩・肩甲背部痛、右上肢しびれ・疼痛、巧緻運動障害」とされ、他覚所見等は徒手筋力が4~5とされ、握力が右28kg・左36kg、右上肢部分にしびれ・疼痛、手指完全屈曲困難があり、右肩部分に疼痛があるなどとされる。

 

労災では9級と認定されますが、自賠責では後遺障害に該当しないとされ、異議申立後に14級とされます。

 

 

  *この時点では右上肢の疼痛・しびれは続いていたものの、右手の握力はかなり回復しています。右上肢の筋力もある程度保持しています。肩・肘・手関節の可動域制限の有無は不明です。痛みのため検査ができない人も少なくないので、検査数値が書かれていないときでも可動域制限がないと決め付けることはできません。

 

   *判決はCRPSを否定する根拠として、右手握力の変動が大きすぎると指摘しています。この種の指摘は加害者側の医学意見書には頻出です。しかし、症状が一進一退を繰り返したことから、症状そのものが全てなかったことにはなるわけがありません。計測値の変動が大きいことは、症状が一進一退を繰り返したことや、日によって症状の変動があって症状が固定していなかったことを意味します。これに対して、詐病であれば握力の計測値に大きな変動を生じさせないように偽装できます。

 

   *握力に限りませんが、計測値のぶれ(ゆらぎ)の大きさを指摘して、「これは私の経験ではありえない。非常に不可解な出来事だ。ここまで変動することはあり得ない。医学的に説明することは極めて困難である。真に症状が存在するならば絶対にあり得ないことだ!」などと強く主張をするのが加害者側の医学意見書の常套手段ですが、これを信じてしまった判決も少なからず見られます。これでは裁判所が舐められてしまうのもやむを得ないのかもしれません。

 

   *巧緻運動障害は7か月後までには生じています。本件では巧緻運動障害の原因として、CRPSと外傷性頚椎神経根症が考えられます。判決からは、頚椎神経根症と診断された根拠は不明です。仮に骨棘による神経根圧迫などの状況が確認されていないのであれば、巧緻運動障害や左上肢の疼痛、しびれの原因として診断された可能性があります。

 

 

 2年2か月後…E病院(以後判決時まで通院)。被害者は、巧緻性が低下し、肩関節が硬直していると訴える。外傷性頚椎症性神経根症、CRPSと診断を受ける。右上肢知覚異常、筋力低下のために日常生活動作にも支障を来たしており、右上肢には労働能力がないとされる。

 

 

   *症状固定後に症状がかなり悪化し、肩関節の硬直も進行しています。その可動域が記載されていないのは、痛みのため検査ができないとの事情があるようです。

 

*CRPSには症状の悪化が停止したと判断できる医学的な根拠はないので、症状固定の診断(認定)は症状がこれ以上悪化しないことを意味しません。実際にもCRPS(RSD)の裁判例では症状固定後に症状の悪化が生じた(と被害者が主張している)事案がかなりの割合で含まれています。

 

   *労災では、RSD(CRPS)に関しては症状固定後も国費で治療を継続できるアフターケア制度があります。症状固定後も通院で症状の悪化を抑制し続けないと、上肢の硬直などが進行するからです。このように症状固定後に症状の悪化が進行することは国の制度の上でも前提とされています。

 

 

 

 2年5か月後…B病院。身体障害者認定のための診断書が書かれる。外傷性頚椎症性神経根症、CRPS(RSD)を原因とする右上肢の高度の機能障害(右肩、肘、手関節、手指の高度の機能障害)があるため、右上肢での日常生活動作は不可能であるとされる。その約2週間後に3級と認定される(上肢機能障害・右上肢機能の著しい障害)。

 

 

   *右上肢全体に高度の機能障害があるとされていることから、可動域制限も右上肢全体に及んでいると考えられます。典型的な上肢のCRPS(RSD)の状態に至っています。

 

   *判決には上記の各時点の肩、肘、手関節の可動域が書かれていません。被害者の主張には「右上肢の上げ下ろしを満足にすることができず」とあるので、可動域の制限自体はないようにも見えます。しかし、これは「右上肢の高度の機能障害」という認定には合いません。

 

     おそらくこの被害者は痛みのために可動域検査ができない状況が続いていて、特に症状固定後の悪化で肩・肘・手関節に強い可動域制限が生じていたのではないかと思います。被害者の主張する「右上肢の上げ下ろしを満足にすることができず」というのは症状固定時の状況であって、その後の悪化には対応していないように見えます。

 

 

 5年半後…B病院でサーモグラフィー検査を受ける。測定点28対(56か所)のうち、患側(右側)の皮膚温が低かった測定点が21対で、うち2対が1.3度差で、残り19対が0.9度以下の差とされる。

 

 

   *この結果は、患側に皮膚温低下が存在することを明確に示していますが、判決は有意な差とは言えないとします。

 

*皮膚温に限らず程度を問題とする場面では、加害者側は、「一見して明らかな差がある場合に限定するべきだ。そうでないと区別があいまいになる。」と主張します。もちろん、これは暴論です。普通に見て差異があることが分かれば差異ありで、それが微妙であれば擬陽性となります。本件の場合は当然に「差がある」(陽性)となります。

 

 

3 胸郭出口症候群(TOS)について

 

ⅰ 本件で最初に気になったのは、当初の症状が胸郭出口症候群(TOS)の典型症状であることです。TOSはむち打ち損傷により発症する症例が多いことが知られています。しかし、交通事故によりTOSを発症しても、裁判例の上では1年以上経過してからその診断を受けたものが過半数で、TOSには診断が遅れる傾向がはっきり出ています。この事案でもTOSの診断がないことからTOSの発症を否定することはできません。

 

 

ⅱ 上肢のCRPS(RSD)に関する裁判例ではTOSが悪化してCRPSを発症したとみられる事案が多くみられます。仮にTOSが基盤となってCRPSを発症したとしても、CRPSを発症してからTOSの診断のための検査をすることはほとんどないので、CRPSを発症させた原因となる傷病は分かりにくくなります。

 

 

 ⅲ 本件は、事故後に遅れて症状が出ることが多いというTOSの特徴に合致し、上肢の痛み・しびれ・脱力や握力の低下はTOSの典型症例です。また、TOSによる神経損傷を想定すると、これを基にしたCRPSの発症も理解しやすくなります。従って、この事案は「TOSが基盤となって上肢のCRPSを発症したと思われる事案」と言えますが、それ以上の解析はできません。

 

ただし、CRPSを発症させたメカニズムを解明しなければ、最終的な症状がCRPSと言えないわけではありません。本件では最終的な症状が上肢のCRPSであることは明らかです。

 

 

 ⅳ 仮にTOSが基盤にあるとすると、CRPSタイプⅠ(RSD、神経損傷ないもの)ではなくタイプⅡ(カウザルギー、神経損傷のあるもの)になります。これにより自賠責ではRSDではなくカウザルギーの主張ができ、自賠責の3要件基準の対象外となります。

 

   また、TOSの検査として血管造影、神経造影、電気生理学検査を受けて所見が得られた場合には、その所見により自賠責の認定が取りやすくなります。

 

 

4 CRPSについて

 

  本件では最終的な症状がCRPSであることに問題はありません。判決はCRPSを否定していますが、誤りです。判決は自賠責の3要件をRSDの診断基準と勘違いしていますが、3要件基準は自賠責においてもRSDであるかどうかを認定する基準ではありません。そもそもCRPSには必須の症状は1つもありません(定説)。この点は何回も述べてきたのでこれ以上は書きません。

 

普通に考えれば、本件のようにCRPS(RSD)との診断が繰り返された事案の全ては実際にもCRPSであると考えられます。しかし、訴訟では全ての事件で加害者側はその診断を否定し、ほとんどの場合にそれを裏付ける医学意見書を出してきます。この前提状況が分かっていれば、本件のような典型症例で労災の認定(9級)も出ている事案でCRPSを否定する結論になることはあり得ないと思います。

 

  これは思考のスキームの問題です。例えば、20年前であれば突然の電話で「おじいちゃん(泣)…事故にあって人に大怪我させちゃった(泣)…今すぐ示談のためにお金を(大泣)…」という電話を孫から受ければ、それを信用する祖父が大半であったと思いますが、今では高齢者でも信じる人は少ないでしょう。思考のスキームの中に、これが「振込め詐欺」の典型例として組み込まれているからです。

 

 

5 診断に対する検討の仕方そのものについて

 

 ⅰ 判決はCRPSを否定する根拠として色々と述べているのですが、そのどれもが初歩的な誤りであることは、上に述べたとおりです。それ以前の問題として最も気になったのは、診断を検討するための理屈になっていないことです。

 

仮にCRPSを否定することが正しいとした場合に「では一体、この症状をどんな傷病名で説明するのか?」(鑑別診断)という問題です。本件では典型的な上肢のCRPSの症状が生じています。ほかの候補は見当たりません。

 

 

 ⅱ 診断とは仮説設定や鑑別診断により、現に存在する症状について多くの候補から正しい傷病名を探し出す作業です。ある診断が誤りであるとしたことにより、現に存在する症状が消えるわけではありません。本件ではCRPSとの診断を否定する場合には、被害者の症状をより合理的に説明できる代替案を挙げる(鑑別診断を行う)必要があります。

 

   しかし、訴訟では加害者側はその傷病とされるためのハードルをひたすら高くするだけで代替案となる傷病名を出さないことが普通です。この方法は出発点に誤りがあるので、検討する価値のない反論です。

 

   この判決も、CRPSと診断するためのハードルを高くする論理のみを述べていますが、「では現に存在する症状をどう説明するのか。この患者の正しい傷病名は何か。」という肝心の部分を置き去りにしています。これは法律的にも誤りで、審理不尽と言わざるを得ません。

 

 

 ⅲ ところが、裁判所は「被害者が主張するのはCRPS(RSD)という傷病名のみである。だからCRPSかどうかのみを検討すればよい。その先は関知しない。」という誤った考え方に誘導されると、その方向に向かいやすいようです。この種の思考は法曹特有のバイアスのようです。

 

 もとより証明責任を事実認定に取り込むことには問題があります。証明責任は真偽不明になったときに結論(法規の適用)を決めるものなのに、それ以前の段階で証明責任を用いて事実を認定するというのは誤りであると思います。

 

 

 ⅳ また被害者が主張する傷病名は要証事実(主要事実)であるのか、という問題もあります。被害者はあくまでも現に存在する具体的な症状や後遺障害を主張しているのであって、その根拠の1つとして傷病名を持ち出しているに過ぎません。ほかの傷病名で後遺障害が裏付けられるのであれば、それでも構いません。傷病名が不明でも検査結果や日常生活の状況などから後遺障害を認定してもらっても構いません。この考えのもとでは傷病名は間接事実であって、証明責任が生じる対象ではありません。

 

 

 ⅴ 損害賠償請求訴訟では「損害に関する被害者の主張には証明責任が課せられる」という素朴な発想のまま、被害者の主張について必要以上に広く証明責任を課す方向に流れやすい面があります。

 

   しかし、例えば被害者側が、加害者の車は時速60キロであったと主張し、加害者側が時速10キロであったと主張した事案において、裁判所が時速30キロであったと認定することもできます。この場合の速度は主要事実ではありません。

 

仮に主要事実とすると、「時速60キロとの主張が認められない場合に不適用となる法規」があるはずですが、それはありません。時速30キロでも同じ損害(主要事実)が生じることがありえます。また、時速30キロでもわき見などの注意義務違反(主要事実)がありえます。この場合の速度は間接事実であって、過失や損害などの主要事実を基礎付ける背景事情と言えます。

 

問題は損害賠償請求訴訟で被害者が主張している内容のうち、どこまでが主要事実であるのか、ということですが、それは注意義務違反や損害に直結する事柄として、ケースバイケースで考えるほかないと思います。

 

 

 ⅵ 本件で被害者が主張するCRPSとの傷病名については、被害者が主張する具体的症状や後遺障害(事実的損害)を合理化する事情ではあっても、弁論主義の対象となる主要事実ではありません。

 

ほかの傷病名で同じ事実的損害が説明できる場合もあり、検査結果などから事実的損害を説明できる場合もあるので、傷病名にまで主要事実を広げる必要はありません。主要事実を広げすぎると、判断が硬直化するという問題が生じます。

 

   従って、加害者側が「とにかくその傷病ではない。その先は知らない。」として診断された傷病名を否定する主張をしても、その主張は医学的にも法的にも、被害者が受けた診断を否定できる構造を有しません。傷病名を否定するためには、加害者側は「本当は、疾患Sである」などの代替候補を主張する(鑑別診断の手順を踏む)必要があります。

 

   要証事実を広くして間接事実についてまで「~であると認めるに足りる証拠はない」との趣旨を述べている判決をしばしば見かけますが、間接事実については「~であろう」などの推論結果を示して、その推論を総合して主要事実の心証につなげるべきです。

 

 

 抱き合わせ否定論について

 

 ⅰ 判決で気になったのは、判決は最終的な症状として、被害者がCRPSを発症しているのかどうかについて若干あいまいな認定をしていることです。

 

   本件では、被害者側は、①被害者が主張する後遺障害が存在すること、②それが事故により引き起こされたこと、の2点を主張しています。判決は、①を否定する趣旨を述べていますが、同時に「仮に後遺障害が存在する(CRPSを発症した)としても本件事故との因果関係はない」というニュアンスも述べています。

 

つまり、①と②を別個に検討せずに、抱き合わせで否定する論法を用いています。この抱き合わせ否定論は、加害者側が頻出で用いる特殊の論法です。これは否定するためにのみ効果を発揮する錯誤論法ですが、しばしばこの論法を取り入れてしまった判決を目にします。

 

 

 ⅱ 判決は、CRPSとの診断が繰り返され、労災の認定も出ていることから①についてあいまいな部分を残したまま、仮にCRPSを発症していたとしても、事故は比較的軽微である、事故直後の症状は軽度である、事故後すぐにCRPSと診断されなかった等の多数の理由を述べて、被害者が本件事故によりCRPSを受傷したと直ちに認めることはできないとの論理を述べています。

 

   しかし、「確実に①であるとは認められない」では実質的な認定は何もなされません。これに付け加えて「仮に①であるとしても、②(=事故との因果関係」を満たす①ではない。」としても、実質的な認定はなされないままです。この点は以前に述べましたが、非常にまずいと思います。

 

 ⅲ ルンバール事件の最高裁判決では、「ほかに原因は考えられない」との論理で因果関係を肯定しています。メカニズムを解明して正面から因果関係を肯定することができない場合でも、「ほかに原因は考えられない」という理由で因果関係を肯定できます。これは論理としてごく当たり前のこと(背理法)を述べたに過ぎません。

 

   この「ほかに原因は考えられない」という論理の応用形として、概括的認定を認めた最高裁判例も少なからずあります。概括的認定とは、「原因はAかBに絞られる(ほかに原因は考えられない)。AまたはBが結果を生じたメカニズムは不明である。AかBのいずれでも加害者の過失が認められる。ゆえにA、Bのいずれであるかを確定せずに過失と結果との因果関係を認める。」という論理です。

 

ルンバール事件判決は「原因としてAが疑われる。Aであるとするメカニズムは不明である。しかし、Aのほかに原因は考えられない。ゆえに原因はAである。」という論理です。これは「AまたはA以外のいずれかである(排中律)。A以外のものが考えられない。ゆえにAである。」という単純な論理です。

 

   最高裁判例は、「因果関係を認定するためにはメカニズムを解明しなければならない。」とするドグマを否定しています。従って、原因の側から論理法則による因果の糸を結果に届かせることは必須ではありません。

 

 

 ⅳ 本件では、最終段階の症状からは容易に①(被害者の主張する症状の存在)を認めることができます。事故以外に原因が考えられなければ、因果関係は認められます。事故後に症状が悪化し続けた経過は明らかですので、②の因果関係も当然に認められます。

 

   これに対して、判決は事故が軽微である、事故直後の症状が重症ではない、早期にCRPSと診断されなかった、などと事故の側からしっかりとした因果の糸が伸びていなければならないという形でメカニズム論を取り込んでいます。その結果、「CRPSを生じるような事故であったか」という立証不可能な命題を取り込んでいます。メカニズム論に陥ると、原因の側から論理法則的に因果の糸が伸ばせなければダメであるという発想に陥りがちです。

 

 

7 証明度について

 

 ⅰ 「自由心証が尽きたところで証明責任の機能が始まる」(定説)ことから、私は、「証明責任は真偽不明となった後に結論(法規の適用)を決めるための道具であって、事実を認定する道具ではない」と考えています。これは原理主義であって誤りでしょうか。

 

   私の考えからは、この判決の背後にある考え方は理解し難いのですが、これまで検討してきた判決のなかには、「~であると認めるに足りるだけの証拠はあるか」という視点で、証明責任を有する側に自由心証のレベルで高いハードルを課し、その結果、実質的な心証を形成せずに、否定の事実を認定する判決がいくつかありました。

 

   この論理では自由心証のレベルで証明責任が機能を開始していることになり、しかも、自由心証で証明責任による「認定のためのハードル」を課し、その結果として真偽不明となると再度証明責任を適用するという二重の不利益が生じます。

 

 

 

 ⅱ しかし、上記の考えを採用しているように見える判決が少なくないように見えます。これは証明度を考慮した結果でしょうか。

 

証明度を考慮して、「要証事実が高度の蓋然性をもって成り立つこと」を、証明責任を負担する側においてを証明できなければ、その事実は認定できないとして、「~であると認めるに足りるだけの証拠はあるか」を検討するという理屈です。

 

   つまり、要証事実について証明度として「高度の蓋然性」が必要であるとすることは、自由心証において裁判官が得るべき確信の度合いを規定し、自由心証においても証明度を満たしているかどうかという視点で(証明責任を取り込んで)判断できるという論理です。

 

 

 ⅲ この考えに対しては、証明度は自由心証で得た結果としての心証の度合いであり、あらかじめ証明責任を負担する側に厳しい目で判断をするべきであることを意味するものではないと反論できます。

 

   むしろ、裁判官は自由心証ではニュートラルな立場で心証を獲得するべく努めるべきであり、そのために口頭弁論、争点整理、釈明、証拠調べなどの手続が存在すると言えます。

 

   また、「高度の蓋然性」と言っても、一方の主張のみを取り出してそれ自体として確実かどうかを検討するのではなく、相手方の主張との兼ね合いから「こっちの方が正しい」との心証でも構いません。

 

   例えば「原告の主張が正しいと思われるが、確実な根拠はない」という場合であっても、「仮に被告の主張のとおりとすると、~の不都合が生じるから、被告の主張は認められない」という事情から心証を取ることもできます。「高度の蓋然性」を述べたルンバール事件判決でも、「ほかの原因が考えられない」という形で結論を導いています。

 

   また、「原告の主張それ自体では確信が得られない」という場合であっても、「被告の主張との比較では、原告の方が信用できることは間違いない」という場合もあります。この場合も最終的な心証としての「高度の蓋然性」を満たしていると思います。この判断方法を用いるかどうかで結論が異なる事案は少なくないと思います。

 

 

ⅳ 以上から、仮に「~であると認めるに足りる証拠はあるか」という形で検討するとしても、一方の主張のみを検討するのではなく、対案との兼ね合いも考慮して心証を獲得し、最終的な心証として、要証事実の存在(不存在)について「高度の蓋然性」があるとの認識に至っているかを検討する必要があります。

 

   例えば、CRPSの事件で、被害者がCRPSの判定指標5個のうち1個しか満たさない事例であっても、臨床では「ほかの疾患が考えられない」という理由から医師が確信を持ってCRPSとの診断を下す場合もあり得ます。臨床の統計では、CRPS患者の約2割は5個の判定指標のうち1個しか満たしません。

 

   この場合には、訴訟において「CRPSではない」と主張する側は相応の根拠のある反対仮説を挙げる(鑑別診断を行う)必要があります。例えば、加害者が反論として「CRPSではなく線維筋痛症である」と主張した場合には、線維筋痛症の症状との整合性と、CRPSの症状との整合性で優劣を判断して、心証を得ることになります。

 

   以上に対して、判定指標のうち1個しか満たさないことにより、「直ちにCRPSであるとは認められない」として早々に結論を決める論理が間違っていることは明らかでしょう。心証度は全ての検討を終えた時点で獲得した心証についての問題です。なお、上記のCRPSの例は、それ以前の問題として、それが要証事実に関するものかという問題があります。

 

 

 ⅴ このように考えていくと、「~であると認めるに足りる証拠はあるか」という視点での検討は、言葉の意味それ自体から、部分的な検討のみで結論を出してしまう誤りに流れやすいように思います。

 

私は判決文にこのような表現を用いることは避けたほうが良いと考えています。特に間接事実に用いることは誤りであり、主要事実についても心証が獲得できたならば端的に「~と認められる」という形で肯定否定を述べるべきであると思います。

 

「何が起きたのか」について心証が獲得できなかった場合でも、心証が得られた限度において「~であろうと思われる」という形で書いて、その上で証明責任により決めたことが分かるように書いた方が良いと思います。その場合には、「~との心証は得られたものの、それ以上の心証を得ることができなかった。」との表現を用いるべきであり、「~であると認めるに足りる証拠はない」などの表現は論理的にも法的にも適切ではないと思います。この表現では「何が起きたのか」についての心証形成の作業をせずに、直接「~であると認めるに足りる証拠はあるか」を検討したように見えます。

 

   なお、私は民事事件では心証度として「高度の蓋然性」(80%超の心証ともされる)を求めることは適切ではなく「優越的蓋然性」(50%超原則)で良いと考えています。その方が事実に即した認定が増えるからです。裁判所は端的に正しいと考えた事実を認定して判決を書くべきであると考えています。

 

証明度については、「民事訴訟における証明度論再考」(田村陽子、立命館法学327、328号)が双方の主張を詳しく検討していて参考になります。

 

 

 ⅵ なお、「現実には、裁判官は、主観的確信がない限り、証明があったと判断することはないであろう」(『民事訴訟における事実認定』12頁)という観点からは、高度の蓋然性でも優越的蓋然性でもいずれでも結論はほとんど同じになるようにも思えます。

 

どちらの主張が正しいのかを検討した結果、「こっちの方が正しい」という結論を出した場合には、たいていの場合は高度の蓋然性の基準を満たすほどの主観的確信を得ていると思います。対案の提起する問題点を克服できていない状態では「こっちの方が正しい」という心証とはならず、どちらが正しいのか分からないという心証になると思います。主観的な「正しさ」の判断は対案よりも十分に優越しているとの内実を含みます。

 

   ところが、「高度の蓋然性」という縛りを満たすために、「確実な証拠の有無を判決文に書かなければならない」というバイアスが導入されると、柔軟な判断ができなくなり、「~であるとする確実な証拠はあるか」を検討してしまう誤りに向かいやすくなると思います。

 

   本来であれば、裁判官は全ての事件についてきちんと心証を取って判決を下すべきであり、証明責任に結論を丸投げするのは100件に1件以下であるべきです。その前提の上で、全ての事件について「優越的蓋然性」を超えた「高度の蓋然性」の心証を得られるように審理を充実させるべく、訴訟制度を整備してきたというのが、理想論から見た民事訴訟制度の発展史でしょう。

 

   しかし、現実には「高度の蓋然性」という縛りのためか、「~であるとする確実な証拠はあるか」というピンポイントの部分のみを簡単に検討して、事件全体に対する実質的心証(何が起きたのかという心証)を取らずに証明責任に結論を丸投げしているように見える判決が増えている感じもします。これは「確実な証拠もなく提訴した方が悪い」との訴訟観とも言えそうです。

 

   全ての検討を終えた時点での証明度を問題にすると、優越的蓋然性が認められるけれども高度の蓋然性が認められないために、正しいと考える結論を認定できない「心証のグレーゾーン」というべき隙間が生じます。

 

これに対して、最初から「~であるとする確実な証拠はあるか」という視点で検討を始めれば、心証のグレーゾーンは生じません。このため証明責任を自由心証に取り込んで心証のグレーゾーンを消してしまおうとの流れが生じている感じもします。このような弊害が出るのであれば「高度の蓋然性」という目標を取り下げたほうが良いと思います。

 

伊藤眞教授は、証明度に関する4つの神話の第1として証明度を上げれば上げるほど事実認定は真実に近づくというのは神話であると主張しています(判タ1086号14頁、判タ1098号10頁)。私もそう思います。

 

 

 

 ⅶ 以上の前提として、証明度の指標としての「高度の蓋然性」という概念と「優越的蓋然性」という概念は同じ土俵にある概念であるのか、という問題もありそうです。

 

   即ち、「~であるとする確実な証拠はあるか」という形で検討する場合には、証明度としての高度の蓋然性は証拠の有する客観的な証明力の度合いについての評価であるようにも見えます。これに対して優越的蓋然性は、裁判官が「どちらの言い分を正しいと考えるか」という主観的な面が強調されます。

 

   証明度は、要証事実の存否についての最終判断としての心証の度合いのはずなので、そこから主観面を取り除いて証拠による証明の度合いとすることは不自然です。ところが、実際には「これはちょっと証拠が弱いなあ」という感覚を持つことはあります。この場合には「誰だってこの証拠では弱いと受け止めるはずだ」という間主観的な形で証拠それ自体の証明力が客観化されています。

 

しかし、それはやはり個々の証拠の証明力(証拠価値)の問題であって、個々の証拠からの推論を総合して判断した結果としての証明度は評価する人の主観にあると思います。従って、証明度は結局のところは評価する人の主観的な判断であると思います。

 

むしろ、この証明度を客観化する方向に向うと、対案との検討をしないまま個々の証拠の証明力を最終判断としての証明度と誤解してしまう誤りに向かいやすいと思います。個々の証拠の証明力は、多くの場合間接事実に関するものであるため、間接事実についても証明責任に判断を委ねるという二重に誤りにも陥りやすくなると思います。この二重の誤りに陥ると、動かしがたい事実を軸にした推論の積み重ねにより心証を形成し、それが「高度の蓋然性」に達しているかを検討するという手順を踏まずに、間接事実についても「~であるとする確実な証拠はあるか」を検討してしまい、「何が起きたのか」という検討をしなくなります。