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転換性障害、身体表現性障害

2011年7月 3日 (日)

自転車から転倒して発症した左上肢RSD(H22.12.7)

1 神戸地裁平成22年12月7日判決

 (自保ジャーナル1848号98頁、交民集43巻6号1587頁)

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  この事件では、左上肢RSD(CRPS)が問題となっています。この事案の特徴は、①被害者が典型的な左上肢RSDを発症し、早期からCRPSとの確定診断が繰り返されている事案であること、②それにも関わらず被告はRSDを否定して転換性障害、身体表現性疼痛障害などの主張をなしていること、③可動域制限について誤った見解が用いられていること、④日本版CRPS判定指標が用いられたこと、⑤被害者の後遺障害が10級と低く認定されたことなどです。

2 症状の経過

 ⅰ 被害者は事故時26歳の有職主婦です。被害者は平成17年4月7日に自転車で横断歩道を渡っていたところ、横断歩道の手前で停止していた車両に加害者の車両が追突したことから、停止していた車両と衝突して怪我を負います。

   判決では被害者の各通院先での症状やその変化の状況は詳しくは書かれていないのですが、おおむね以下のとおりです。

  事故当日・・・4月7日にC病院で頚部捻挫、左肩・左手打撲、腰部打撲、肋骨骨折(疑)、左側胸部打撲の診断を受ける。その後に左肩と手指に関節拘縮が生じて、複合性局所疼痛症候群(CRPS)との診断を受け、3か月間治療を受ける。

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    このように事故直後から症状が出はじめて3か月以内にCRPSとの診断を受けていることからは、症状の進行がかなり早く、急激に重症化したものと思われます。CRPS(RSD)では早期に確定診断が下されることは判例の上では少数で1年以上経過してから確定診断にいたる例が多く見られるのに対して、本件では早期にCRPSとの確定診断が下されています。

  1か月半後・・・5月24日からD病院の心療内科を受診し、反射性交感神経性ジストロフィー(RSD)との診断を受ける。星状神経節ブロック、腕神経叢ブロックがなされるも効果は乏しい。

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心療内科でも早期にRSD(CRPS)との診断が出ていることからは、早期からかなりはっきりとした症状が出ていたことが窺えます。CRPSでは神経ブロックが必ずしも有効ではなく、むしろ症状の悪化を引き起こす症例(ABC症候群)も存在します。この被害者はABC症候群ではないと思われますが、神経ブロックがほとんど効果のない症例のようです。

  7か月半後・・・D病院の指示でE病院でのリハビリを始め、以後1年9か月ほどの間に292回の通院をする。

  

  2年5か月後・・・E病院のR医師が平成19年8月31日に症状固定と判断し、後遺障害の診断をする。

症状名:①頚椎捻挫、②反射性交感神経性ジストロフィー、③左肩手指関節拘縮。

自覚症状:①頚部~左上肢痛(特に雨天時)、②左手のしびれ感、③左肩・手指関節拘縮こわばり(有痛時)、④左手発汗過多、皮膚温低下、浮腫(腫脹)、⑤夜間不眠、⑥左上肢筋力低下、巧緻運動障害

他覚症状および検査結果:①左肩・手指関節拘縮、②左上肢筋力低下、③左上肢の知覚障害(アロディニア)、④腱反射は左右差なく正常、病的反射なし、⑤頚椎の運動制限

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    R医師がRSDと診断した根拠はギボンズRSDスコアのようであり、①痛覚異常、②灼熱痛、③浮腫、④皮膚色や毛の異常、⑤発汗異常、⑥皮膚温の異常、⑦XP上の骨萎縮、⑧血管運動障害(レイノー現象・冷感・紅潮)につき各1点、⑨神経ブロックの効果を0.5点として8.5点としています。これは非常に高い点数ですので、これによりRSDとの確定診断がなされたと思われます。

    但し、ギボンズのスコアについては世界的にはほとんど用いられず、感度や特異度の統計さえも存在しないとされているので、この基準が厳密であるかのように誤解されているのは、日本の特殊事情によるものかもしれません。

    本件は非常にはっきりとした症状が出ているので、現在の日本のRSD判別指標によっても国際疼痛学会やアメリカの基準によっても容易にRSD(CRPS)との診断が下される事例であると思います。

 ⅱ 以上のように本件は事故後の早期からはっきりとしたRSDの症状が出ている典型的な左上肢RSDの事案と言えます。頚部の可動域がかなり制限されているほか、肩関節と手関節の可動域は自動・他動とも2分の1以下で、肘関節の可動域は4分の3以下という重い後遺障害が残っています。

   被害者は平成19年9月のE病院での診断ののちにも、平成20年2月と5月のD病院でのP医師による診断、平成22年5月のH病院での診断においてもCRPSとの診断を受けているので、本件はCRPSと容易に断定できる事案であると言えます。

3 自賠責保険の認定

 ⅰ 被害者は自賠責保険ではRSDの3要件基準を満たさないとして12級13号の「局部に頑固な神経症状を残すもの」との認定を受けます。3要件基準はRSDであるかどうかの判別基準ではなく、3要件基準を満たさないRSDは12級以下とするという手続上の指標です。

   3要件基準は後遺障害の重症度と相関しないことから、この基準は誤りというほかありません。本件のような典型的な重症化事案で3要件基準を満たさないとして12級と認定することは、3要件基準それ自体が誤っていることの1例と言えます。本件のように典型的に重症化したRSDであっても自賠責保険で「3要件基準を満たすRSD」として12級よりも重い等級を認定される被害者はむしろ少数ではないかと思われます。

   自賠責保険では12級を超えるRSDとされるためには3要件(①関節拘縮、②骨萎縮、③皮膚の変化)が必須であるとされ、それが健側に比べて明らかであることが求められているため、国内外でRSD(CRPS)と診断される患者の一部しかしかこの要件を満たさないことのほか、この基準を弾力的に被害者に不利に運用しているようにも見えます。

   

 ⅱ 国内外の学会においてCRPSに必須の症状が存在しないことは意見の一致を見ているので、必須の症状を要求し、しかも3個も要求する自賠責保険の基準は、医学的な診断基準を無視した異常に厳しい基準であると言えます。

   しかも、それが「明らか」であるという曖昧な基準を被害者に不利に用いることが少なくないようですので、複数の医師が確認して診断書に記載した症状でさえも、この「明らか」との基準を満たさないこともしばしばあるようです。

   本件では骨萎縮について、医師がレントゲンで確認しているにも関わらず、自賠責保険の手続きでは明らかではないとして否定しています。この種の水掛け論に持ち込めば全ての場合に要件を満たさないとされかねません。もとより全てのRSD患者に骨萎縮が生じるわけでもなく、有名な大規模調査では30%ほどにすぎません。ましてや重度の骨萎縮が生じる患者はわずかですので、この要件を必須とすることは誤りです。

   次に、診察した全ての医師が認めている皮膚の変化についても、自賠責保険の手続では「提出の写真では確認できません。」との理屈で否定しています。診断書に繰り返し記載されてきたことがこれほど簡単に否定されるというのもおかしなことであると思います。

 ⅲ さらに本件では、新たな要件として「症状の確実な根拠」を要求して、全ての医師が確認している左上肢の可動域制限でさえも「他覚的に証明する画像等の医証提出がない」として否定しています。

関節拘縮はレントゲンやMRIなどの画像で確認することが原理上不可能です。関節拘縮とは関節周囲の軟部組織が伸縮性を失うことにより関節を動かせなくなることを言いますが、この軟部組織の変化はもちろんレントゲンやMRIでは確認できません。従って、関節拘縮の証拠となる画像を要求することは途方もなく無茶苦茶なことです。この理屈を持ち出せば全ての事案でRSDではないとの判断が導かれます。

   

 ⅳ 以上のとおり、本件のように典型的に重症化した左上肢RSDで、はっきりとした症状が出ている場合においてさえも、自賠責保険の手続では3要件基準を満たさないRSDとして12級以下と認定されることが少なくないばかりか、判例で確認できる事案の上では3要件基準を満たさないとされることの方が多いようです。

   しかも、訴訟においては、重症度の判断指標である3要件基準を、加害者側がRSDの判定基準であるとして誤った主張をなして、判決においてもRSDの判定基準として用いているものが散見されます。

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4 医学意見書

 ⅰ 本件のように重症化した典型的なRSDの事案であっても、加害者側の提出した医学意見書ではこれを否定する豊富な主張を積極的に展開することが常であり、本件でも加害者側の医学意見書ではRSDを否定する多くの根拠が述べられています。

   RSD(CRPS)のような難病について4,5人の医師が確定診断を下した状況においては、通常はその診断とおりの症状が存在すると考えられます。誤診の確率は1万分の1以下でしょう。しかし、訴訟においてはこれを否定する医学意見書が提出されることが通常となっています。

 ⅱ 加害者側の医学意見書では、RSDを否定する根拠が多く記載されることが通常です。医師が確定診断を下した事案でこれを否定する多くの主張を出せば、その主張のうち明らかに誤りであると判断できるものも含むことになります。

   しかし、医学的知識の乏しい被害者側が、医学意見書の全ての主張について的確に反論しつくすことは至難の業であり、「損害の証明責任は被害者側にある」との前提では、多数の主張のうちの1個でも裁判官に認めてもらえれば、RSDを否定する判決が出る可能性があることから、多くの主張が出されるようです。

   実際にも、重症化したRSDの事案でさえも、これを否定する判決がしばしば見られることはこれまで検討してきたとおりです。従って、加害者側はRSDが重症化した典型的な事案であっても、これを否定する多くの主張を含む医学意見書を提出することが多いようです。

   RSD事案においては、加害者側の医学意見は判例で確認できるものに限ればパターン化しています。意見書の執筆者が別人であれば誤った複数の主張が一致することは奇妙なことであると思います。

 ⅲ 重度の筋萎縮、骨萎縮

   CRPSにおいては必須(不可欠)の症状が存在しないことは国内外の学会で意見の一致を見ています。従って、これを要求する主張はそれ自体が誤りです。現在の国内外のCRPSの判定指標において筋萎縮は当然のこととして骨萎縮も考慮すべき要素の1つにさえも含まれていません。

   そこで一般的な基準のなかで筋萎縮、骨萎縮を主張するのではなく、「これほど腕が動かせないならば筋萎縮が重度に生じているはずだ。骨萎縮も重度に生じているはずだ。」という形での主張がなされます。これは特別な状況であることを主張して一般基準では認められない要件を滑り込ませようとする理屈(特別基準論)です。

   もちろん一般の診断基準で十分に足りるので、特別な基準を用いる必要はありません。一般基準でRSDと認められた患者に対して、それを否定するためだけの特別基準で再度審査して否定することは、それ自体が矛盾を生じさせます。

   判決では、「客観的な医証により認定することが可能な筋萎縮、骨萎縮などを重視すべきであって」との一般論(もちろんこれは誤りです)を展開し、長期間腕が動かせないならば骨萎縮が生じるはずである(もちろんこれも誤りです)とのニュアンスさえも述べ、被害者の症状に疑念を述べています。

   筋萎縮、骨萎縮の重視という医学意見は加害者側の定番で、これを認めて筋萎縮や骨萎縮がない(または軽度である)として主治医の診断したRSDを否定した判決もいくつか見られます。この主張は裁判官が客観的な証拠としての筋萎縮や骨萎縮を重視しようとする心理に訴える面があるようです。

   

 ⅳ 転換性障害、身体表現性疼痛障害

   この数年のうちに加害者側の主張でしばしば見られるようになったもので、RSD事案においてもこの診断名を認めてRSDを否定したものが登場したことから、この主張が医学意見書で列挙される主張に含められることが定型化しつつあるようです。

   RSDにおいてはこの診断についての精神医学的な要件を満たすことが普通はあり得ないと思われますが、「催眠術をかけて腕をやけどしたと思い込ませると腕にやけどの傷跡ができる」というような理屈でこの診断名を信じてしまう人がいるようです。

   しかし、多くの医師が確認した皮膚の変化や関節拘縮などの具体的な症状がこの種の精神疾患により生じると言うのは、その発想自体がちょっとおかしいと思います。なお、患者が意図的に症状を作り出していないことがこの疾患の診断要件ですので、詐病の隠喩でこの傷病名を用いているとすれば論外です。

 ⅴ 神経ブロックの効果

   神経ブロックに常に効果があって、これでRSDが治るのであればRSDが難病とされるはずもありません。従って、星状神経節ブロックや腕神経叢ブロックの効果が小さかったからと言って、それがRSDではないという根拠になるはずもありません。神経ブロックにより症状が悪化するタイプのRSD(ABC症候群)も存在します。

   アメリカでのRSD患者の大規模調査では神経ブロックの有効例は7%にすぎず、一時的な有効例も含めて30%程度であり、無効・症状の悪化が66%とされています(『ペインクリニック』30巻別冊Ⅰ・246頁)。このように過半数の患者には効果がありませんが、神経ブロックのみで大幅に症状が改善する患者がいることから、ほぼ全ての患者について神経ブロックが試みられています。

   訴訟ではこの神経ブロックの効果がなかったのはRSDではないからであるとの主張が加害者側の医学意見として出されることが通例となっています。本件では判決で、神経ブロックの効果が不明瞭であるのは通常のCRPSとは異なる所見であるとの記載がなされており、この主張の効果が判決に現れていますが、もちろんこれは誤りです。

 ⅵ 腱反射

   腱反射が正常であることが、患部に異常がないことを意味するわけではないことは当たり前すぎることです。「腱反射が正常であり、患部に神経、精神の異常は見られない。」などの記載があったとすれば、通常は失笑を買うだけですが、医学的知識がない者に対しては何らかの効果があるのかもしれません。腱反射にからめた加害者側の医学意見は、頚椎の不全麻痺では定番となっています。

   頚部神経根障害などにおける腱反射の感度は10%程度で、現実にり患している患者の10%程度しかこの検査では捕捉しません。この検査は感度が低いことが特徴ですので、腱反射が正常であることをことさらに強調することは誤りです。

 ⅶ 関節拘縮

   本件では関節拘縮についての加害者側の医学意見に新規性が見られます。本件では、被害者の肩、肘、手の関節は他動でも大きな制限が確認されているところ、指関節は他動では制限が確認できなかったにも関わらず、自動では制限が非常に大きかったようです。

   RSD(CRPS)における関節拘縮は、患部周辺の軟部組織が伸縮性を失い関節が曲がらなくなることにより生じますが、現実には自動可動域は他動可動域よりもかなり制限されます。医師が患者の痛みを無視して力を加えて測定した他動可動域と患者が自分で動かせる範囲とでは当然に差が出ます。

   加えてRSD(CRPS)患者においては患肢との意思連絡が上手くいかなくなる症状が出ます。重症化したRSD患者にはり患した上肢を動かそうとしてもすぐに動かすことはできず、意識を集中して動かそうとしてやっと指や手が少しだけ(他動可動域のなかの一部だけ)動かせるという症状が出ます。これはネグレクトと言われるものです(『複合性局所疼痛症候群・CRPS』34頁)。この知識がない人からは、患者がもったいぶって症状を作っているようにも見えるかもしれません。

   以上のとおり、痛みによる自動可動域の制限のほか、ネグレクトというRSDの典型的な症状についての知識があれば、RSDにおいては他動可動域と自動可動域の差が存在することが当然で、その差が大きいこともしばしば見られるとの理解は当然に備わっているはずです。

   これに対して、加害者側の医学意見では、他動では可動域制限のない指が自動で動かせないのはおかしいと強く主張しているようで、加害者側はこれを取っ掛かりにして、さらに肩、肘、手などの他動で可動域制限が確認された部分についても自賠責保険での理屈なども加えて確実な根拠がないとして否定する主張を展開したようです。

   判決では、肩、肘、手の関節については、医師が他動可動域を確認していることを引用して可動域制限が「うかがわれる」という形で認めましたが、指については疑問を感じているようです。さらに他の関節についても他動と自動との差があるのは通常ではないとの理屈まで述べています。

      自身の行った可動域測定を「うかがわれる」という形で否定された主治医としては患者との通謀を疑われているとして不本意に感じるかもしれません。関節可動域をごまかして専門医を騙すことは不可能であるという感覚の医師ならばなおさらその感覚が強いかもしれません。

 ⅷ 素因

   加害者側は「素因減額の割合については80%から90%ほど存在すると判断することもできるが、少なくとも50%の素因減額をすることが相当である。」との主張をしていることから、医学意見書においても素因の主張がなされたものと考えられます。

私の経験した事件においても典型的な重症化RSDの事案で、「身体的素因が8割、心因的素因は7割」という主張をRSDを専門とする非常に高名な医師の鑑定書(裁判所選任)で書かれたことがあります。

   しかし、国内外の学会では身体的素因も精神的素因も否定されています。即ち、RSDを発症させやすい特定の体質の存在やRSDを発症させやすい特定の精神疾患の存在は否定されています。しかし、判例では「被害者の何らかの精神状況がRSDの発症や悪化に影響したように思われる。」との偏見レベルで素因を認めるものが多く、そのため原因となる体質や精神疾患を特定しない素因の主張がなされることも、加害者側の医学意見書では定番となっているようです。

5 日本版CRPS判定指標

 ⅰ 判決では、94年の国際疼痛学会の判定指標と、これを前提とした08年の日本版の判定指標に言及しています。本件は最新の医学知見をいち早く取り入れたものといえます。もしかするとこの判定指標が述べられた最初の判決かもしれません。

   但し、判決では日本版の指標への具体的な当てはめはしていません。当てはめをするまでもなくこの判定指標を満たすことは明らかですので、本件ではその必要もないとは言えますが。

 ⅱ 日本版CRPS判定指標は、その感度、特異度の数値とともに公表されていますが、判決ではこの点には触れていません。判定指標の感度や特異度の議論が分かっていれば、CRPSの要件を増やせば増やすほど、漏れ落ちるCRPS患者が多くなるという理屈が実感として理解でき、筋萎縮や骨萎縮を必須とする主張のいかがわしさも実感できると思います。

6 10級との認定について

 ⅰ 本件では、判決はRSDとの診断を肯定しながらも10級という低い後遺障害等級しか認めませんでした。判決は「10級に該当する程度の後遺障害を負ったものとして評価することが相当である」としますが、そこにいたる論理の詳細は述べられていません。

   CRPS(RSD)における等級の主張や認定は、非常に難しい面があります。関節拘縮による可動域制限という機能障害と、痛みなどによる神経系統の障害とが並存することから、これらをいかに統合して評価するかという問題があります。以下では可動域制限による機能障害から順次検討していきます。

 ⅱ 肩関節の可動域制限

   判決は、左肩関節の可動域が自動・他動とも2分の1以下に制限されていることが「うかがわれる」とします。この障害はそれだけで10級10号の「1上肢の3大関節中の1関節の機能に著しい障害を残すもの」に該当します。

 ⅲ 左肘関節の可動域制限

   判決は、左肘関節の可動域が自動で80度、他動で100度であるとして、4分の3以下に制限されていることが「うかがわれる」とします。この障害は12級6項の「1上肢の3大関節中の1関節の機能に障害を残すもの」に該当します。

 ⅳ 左手関節の機能障害

   判決は、左手関節の可動域が自動・他動とも2分の1以下に制限されていることが「うかがわれる」とします。この障害はそれだけで10級10号の「1上肢の3大関節中の1関節の機能に著しい障害を残すもの」に該当します。

 ⅴ 以上の3点のみでも併合すれば9級以上の後遺障害を認定すべきことになるはずですので、判決が10級としたのは「うかがわれる」と述べながらも、これらを認めなかったことを意味します。

   判決は、被害者が首から左上肢にかけての酷い痛みのため就労することもできず、家事も子供に助けてもらい1人ではできない状況にあることが「認められる」として、この部分をもって10級相当であると評価したと読める構成になっています。

   つまり、判決は被害者の可動域制限について、「腕をつっぱって動かさなければ偽装できる。」という疑いの目でこれを全く評価していないと言えます。現実には可動域検査において患者が腕をつっぱってごまかすことは不可能ですので、この点を疑うことはちょっと異常ですが、訴訟では「徒手検査は信用できない。」との主張を簡単に受け入れてしまう判決が散見されます。この場合、担当した医師は患者との通謀を疑われたように感じると思います。いずれにしても本件は上肢が拘縮して動かせなくなる典型的な重症化RSDの事案ですので、関節拘縮を全く認めないことは異常であるようにも見えます。

   しかし、判決は、加害者側の医学意見に従って、骨萎縮が重度ではないことに疑問を呈するニュアンスを述べていることから、「これだけ腕が動かせないと主張しているのに骨萎縮が重症でないのはおかしい。」(もちろんこの理屈は誤りです)との疑念を持っていることがうかがわれます。

   また、医学意見書に従って、RSDにおいては他動可動域と自動可動域が一致することが求められる(もちろんこれも誤りです。)との記載もあることから、この点でも被害者の詐病を疑っているようです。

   従って、判決は加害者側の医学意見についてRSDではないというレベルでは受け入れなかったものの、被害者の詐病の可能性が少しでもあるものは除外するというレベルでその理屈を受け入れてしまったものと言えます。医学意見として多くの事柄を記載した効果がここに現れています。

   ではこの判決を書いた裁判官は、被害者を詐病と考えているかと言えば、とてもそのようには見えません。判決は医学的専門的な部分で誤った見解に引きずられて色々と曲折を経て悩みながらも最終的には「原告には本件事故後から継続している前記症状による後遺障害が残存する状況にあり、既に治療しても改善が見込まれない状況にある」と本質を把握しています。

   判決からは被害者の関節可動域制限についても疑念を残しながらも「おそらくは被害者の主張するとおりの症状が存在し、その症状は改善しないであろう」との心証にあるように読めます。ではなぜ10級との評価をしたのかというと、次にのべる帳尻問題が関係しているようにも見えます。

 

7 帳尻問題

 ⅰ 判決が10級相当と認定した理由の1つとして、10級と認定することにより算出される賠償額に対して「ちょうど良い」との感覚を持っていることが考えられます。

   交通事故訴訟を含めたほとんどの訴訟においては、最終的には金額による結論が出されます。従って、結論である金額が妥当であれば、そこに至る筋道が少々間違っていたとしても結果的には帳尻が合うという見方もできます。

   これに対しては、正しい理屈を経た結論とそうでない結論とは全く異なるものであり、正しい理屈から出た結論はそれ自体で正しいことが保証されるので、結論が出た後で中間の部分を改変して調整すべきではない、という正論もありそうです。

   しかし、杓子定規に理屈を追いかけていったところ、思いがけず自分が描いていた事件の全体像に対して低い金額になったり、高い金額になったりすることもあると思います。この場合に帳尻あわせに対する誘惑が生じる可能性があり、それを簡単に否定することは人間に対する見方として合理的ではないと思います。

 ⅱ 交通事故訴訟においては、帳尻を合わせるための要素が色々とあります。過失相殺の割合、後遺障害の等級、逸失利益の存続年数、素因減額の有無などです。

   私の経験では、ほとんど全ての裁判官は「結論の妥当性」に当然に注意を払っています。結論の妥当性を無視して杓子定規に理屈をこね回して変な場所にたどり着いてしまわないかと、常に自分を外側から客観視することは重要なことであると私も思います。

従って、交通事故訴訟においても裁判官は結論の妥当性を当然に考慮に入れて判断していると思います。そこで結論の妥当性という部分から逆算して、帳尻あわせの要素を検討することが意識的・無意識的になされている可能性は否定できません。

 ⅲ 私は、結論の妥当性を考慮することは、訴訟においては必要不可欠であると考えていますが、金額に対してその考えを推し進めて「相場感覚」をもって個別の論点を検討することは良くないと思います。それは結局のところ訴訟の当事者を直接的に値踏みすることと同じだからです。他人に対する値踏みはほとんどの場合に過小評価となります。本件では被害者が母子家庭の有職主婦であることが値踏みされたのであろうか、という気持ちにもなります。

   本件では、9級との認定をすると賠償額が3000万円近くになり、2078万円からは大幅に増えます。利息を含めると3000万円を超えると思われます。3000万円というのは1つの大台であるとの感覚でながめてみると、それを下回るように帳尻を合わせたようにも見えます。もちろん以上の考察は私の下世話な推測に過ぎません。

しかし、医師が認めた可動域制限をそのまま認めれば、それだけで9級となるところをなぜ10級としたのかという点は、この判決のなかで最も疑問に感じるところであり、その理由は気になるところです。そこでその理由を探すと、3000万円という金額を考慮に入れた帳尻あわせにも見える面があると思います。帳尻あわせを考えると「結論で調整すれば良い。」との感覚から争点での考察が不十分になる可能性があります。

2010年11月12日 (金)

全身に波及したRSDの否定(21.9.18)

1 東京地裁平成21年9月18日判決(交民集42巻5号1205頁)

 この事件では、RSD(反射性交感神経性ジストロフィー)が問題となっています。事案はかなり複雑で論点が多く、平成15年に提訴された事件ですが平成21年に判決が出ています。

  この事案の特徴は、①右上肢に生じたRSDが、提訴後に左上肢に波及し、両足にも症状が及んだこと(ミラーペイン)、②右上肢の症状が提訴後に改善したこと、③RSDの病期をRSD判断基準として考慮したこと、④自賠基準により重度の骨萎縮を必要としてRSDを否定したこと、⑤被害者が訴訟中に死亡したこと、⑥身体表現性障害という心因による症状であるという損保側医師の意見を裁判所が採用したことなどです。

2 RSDの病期

 ⅰ 病期の意義

この判決ではRSDの病期説に注目しています。RSDは急性期(最初の3か月)、亜急性期(3~9か月)、慢性期(9か月~2年)という疾患特有の進行時期(病期)があり、時期ごとの症状が現れるとの説を判決は引用して、RSDの有無の判断において考慮しています。

   この説を引用する医学書は少なくありません。とくに比較的古い医学書で多く、『末梢神経の臨床』(07年)など最近の医学書でも引用しているものは少なくありません。

   RSDの病期は臨床の上ではRSDの進行状況に対応した治療をするという視点からある程度重視されてきたようですが、当然のことながら昔も今も病期をRSDの判定指標に用いる医師や学説は存在しません。

 ⅱ 病期の否定

   臨床からの報告では「病期」は確認できなかったとされています。例えば、『複合性局所疼痛症候群CRPS』74頁ではCRPS患者800名以上の大規模研究でこの病期との相関は認められなかったとしています。『整形・災害外科』45巻13号(02年12月)でも同じことが述べられています。『臨床雑誌、整形外科』54巻7号(03年7月)748頁では、臨床との根本的な不一致を指摘して、病期分類は「今日ではまったく意味がないと断言することができる」とします。

  このように病期説は印象的な少数の症例が過って普遍化されてしまった古い医学の負の遺産の象徴のようなもので、RSDをCRPSタイプ1として位置づける最近の医学では過去の学説とも言えそうです。

  ただ、一部の典型的な症例において治療の参考にする程度であれば問題がないかもしれません。『複合性局所疼痛症候群CRPS』20頁では病期説を「完全に否定することはできない。」というレベルでは肯定しています。

ⅲ もとよりRSD判定指標ではないこと

上記のように過去の遺物ともいえる問題のある学説がつい最近の判決で引用されて考慮されていること、それが交通専門部のある東京地裁の訴訟であること、あろうことかRSDの判断基準として考慮されていることにはかなりの違和感があり、驚きました。

被害者には灼熱痛が生じており、これは普通はRSDを肯定する重要な症状となりますが、判決では急性期(当初の3か月)に生じるはずの灼熱痛が半年以上経過した後に生じているとして疑問を呈しています。この疑問に同意する医師は1人もいないと思います。訴訟ではこのレベルの医学意見書は頻繁に見かけるので、これは被告側の医学意見書に沿う判断でしょうか。

当然のことながら存在しない病期がRSD患者には生じるはずだとして判定指標として検討されると、患者側には格段に不利になります。

3 自賠基準(とくに骨萎縮)の重視

 ⅰ ほかのところでも何回か述べましたが、RSD(CRPS)で骨萎縮を必須の症状とすることは誤りです。国内外においてRSD(CRPS)において必ず生じる特有の症状や検査所見はないことに異論はないので、必須の要件を設定すること自体が根本的に誤っていると言わざるを得ません。それを3つも設定することはかなり異常です。

   国際疼痛学会のCRPSの判定指標(臨床用、研究用)でも日本での判定指標(臨床用、研究用)でも、骨萎縮は要件の1つにさえ入っていません。このように今日では骨萎縮を要件とすることは国外、国内で否定されています。

 

 ⅱ しかし、なぜか自賠責保険の基準では「明らかな骨萎縮」という重度のものを不可欠の要件として要求しています。この基準が作られた当時の医学的知見を無視した基準がなぜ作られたのか不可解です。

   他の判決では骨萎縮に拘らないものも少なくないようですが、この判決では骨萎縮をことのほか重視して、本件では骨萎縮は軽度に過ぎないとして、複数の医師によるRSDの診断を覆しています。

   なお、骨萎縮などを要件の1つとする自賠責の3要件基準は、RSDであるかどうかの判定基準ではありません。自賠責保険の後遺障害認定手続において、3要件を満たさないものは12級以下とする手続上の指標に過ぎません。

   もちろん3要件を満たすかどうかは患者の重傷度とは関連しないので、3要件基準は自賠責の手続での指標としても誤りですが、判決が3要件基準を根拠にしてRSDであるかどうかの診断基準として骨萎縮を要求したことは二重の意味での誤りです。

   以上のようにこの判決では、RSDの病期の考慮や基準決定のレベルですでに問題があるため、現実のRSD(CRPSタイプ1)の患者の大多数(ほぼ全員)がこの基準を満たさないこととなります。このことがもともと複雑難解なこの事件の事案解明から遠ざかった(ように私には見えます)大きな要因となっています。

4 症状の経過

 ⅰ 被害者は、事故時50歳の女性で手作り餃子、ラーメン製造販売会社の代表取締役です。平成13年9月18日に自動車運転中に事故に遭いました。

 ⅱ 事故当日・・・A病院で、後頚部痛、背部痛、吐き気、右胸部痛

   翌日~3か月・・・B病院で右上肢の痛みを訴え、21回注射(神経ブロックと思われる)を打つ。外傷性頚部症候群、右上腕神経痛との診断を受ける。3か月後のカルテに反射性交感神経性萎縮症、カウザルギーと記載される。

   3か月後・・・C病院で頚椎捻挫、右上肢RSDとの診断を受け、入院治療(2か月)に入る。星状神経節ブロックを13回受けるなどした。右肩から腕にかけて痛み、触れるだけで痛い、右上肢の痺れ。

   5か月後・・・C病院を退院してD大学病院に移る予定が空きベッドがなく、C病院に戻って入院。疼痛はアロディニアと判断される。

   7か月後・・・D大学病院に移り2か月入院。右上肢の知覚不全(遠位優位)、右手指(第3~5指)の屈曲拘縮、手指の強い浮腫・灼熱痛。但し、骨密度は正常で筋萎縮はなく、皮膚温の左右差はない。

       脊髄硬膜外刺激電極挿入の手術、脊髄刺激電極の埋め込み手術を受け、右第4、5指の疼痛は緩和した。

   9か月後・・・C病院に入院(約43日)

   10か月後・・・C病院に通院。右上肢に疼痛、右手指の浮腫が確認される。

   1年1か月後・・・C病院に入院(約2か月)。頚部の痛み、右上肢の痛み、可動域制限及び機能低下。星状神経節ブロックを受ける。

   平成14年12月26日、症状固定とされる。平成15年5月13日に損害保険料率算出機構は後遺障害等級9級相当と判断する。同年6月16日には外傷、疾病による右上肢機能全廃として身体障害2級の認定を受ける。

 ⅲ 以上のように、現在のCRPSの判定指標ではCRPS(RSD)と診断されることには問題はない事案です。被害者は当初から星状神経節ブッロクなどの局所麻酔を多数回打っていることから、RSDに特有の非常に強い痛みが生じていたことが容易に窺えます。医師は触るだけで痛いという痛覚過敏やアロディニアというRSDに特徴的な痛みを確認しています。3か月後のカルテにRSDと記載されたことから、医師も当初からRSDを疑い、積極的に神経ブロックを施術しています。

   この被害者は、手指に強い症状が出るタイプのRSDで、しかも指が曲がった状態で拘縮する症状が出ていたようです。その後に手関節が約70度の角度で曲るジストニアも生じています。なお、指がグーの状態になるのはRSDの要件とされる関節拘縮とは別の原因によるもの(中枢神経または脊髄に由来するもの)ではないかと思います。関節拘縮であれば関節近辺の軟部組織の収縮性がなくなり組織の癒着が生じるので、関節が曲がることを必然としません。ジストニアと考え合わせると中枢神経または脊髄に由来する症状であるように思います。

   RSD(CRPS)は局部にのみ症状が出現することが多いので、患部のみに障害が生じていると思いがちですが、現実には中枢神経(脳)や脊髄に由来する部分は少なくないようで、神経学的に関連する部位にRSDの症状が波及する事例もあることからは、中枢神経での障害も考慮に入れる必要があります。

   本件で被害者が、脊髄硬膜外刺激電極挿入の手術、脊髄刺激電極の埋め込み手術を受けたのは、中枢神経または脊髄に由来する症状として手指の屈曲が捉えられていたからであると思います。手術の結果、右4、5指の痛みは緩和したようですが、肩関節や手関節に大きな可動域制限が残っています。

   平成14年12月の症状固定時点では右上肢RSDにより肩関節と手関節に大きな可動域制限が生じていることが診断され、後遺障害等級9級相当と判断されています。原告は9級では低すぎると納得できず、平成15年に訴訟を起こしています。

5 RSDの判断

 ⅰ この時点で医師の診断した症状が生じていたことは、問題なく認めてよいと思います。詐病でこのような多数回の神経ブロックを受ける患者は1000人に1人もいないと思います。さらに脊髄硬膜外刺激電極挿入の手術や脊髄刺激電極の埋め込み手術などの侵襲の大きな治療を詐病で受ける患者は10万人に1人もいないと思います。

   しかし、判決は上記のRSD基準のため、RSDを発症していないとしています。判決の基準では現実のRSD患者の大半(ほぼ全員)がRSDと認定されないのでこれは基準設定レベルでの誤りです。基準をめぐる争いが生じた場合には、とかく基準を厳格化しすぎてしまう誤りが生じやすいと言えます。

   この患者をRSDと診断した複数の医師だけではなく、医療現場の医師にしてみれば、医学知見を無視したこの判断には納得できないでしょう。本件のようにRSDとの診断が複数の治療機関でなされ、その診断に基づく治療が継続的になされ、侵襲の大きな手術もなされ、現に効果が生じているにもかかわらず、裁判で上記の基準でRSDの診断が誤りだったと判断されたことは、医師としては驚天動地の出来事でしょう。一体裁判所では何が行われているのだろうか、このような裁判官が医療過誤も裁くのか、という裁判不信につながると思います。

 ⅱ 判決はRSDの発症を否定しながら、この時点では9級相当の症状が症状固定時までは存在し、二度目の症状固定時(平成16年10月13日)には、改善して12級となったとしています。RSDを否定しながら9級相当の症状があったとする理屈はちょっと苦しいと思います。

   二度目の症状固定が問題とされているように、この事件ではその後に非常に複雑な問題が生じています。

6 提訴後の症状の回復と患部の拡大

 ⅰ 平成15年12月・・・D大学病院で脊髄刺激のペースメーカーの入れ替え手術を受けた後に、それまで見られない左上肢の痛みや腫脹が生じ、手を開くのも難しい状態や、振戦を訴えるようになった。

   平成16年2月半ば以降・・・両上肢に脱力が見られるようになった。

   平成16年3月以降・・・バクロフェンの脊髄注入を始めたところ、両下肢に脱力感を訴え、その後しびれも訴える。

   平成16年10月・・・D大学病院で新たな後遺障害診断を受ける。RSD(全身型)、両上肢麻痺、右上肢振戦、歩行困難、四肢腫脹。但し、右上肢の可能息制限は前回に比べて大幅に改善された。

   平成17年9月・・・保険料率算定機構は9月10号と判断した。

 ⅱ このように右上肢だけではなく、左上肢にもRSDが発症して、さらには両下肢にも重い症状が出ていたようです。そこで、バクロフェンの脊髄注入という手法が用いられています。これも身体への侵襲の大きな治療ですので、詐病でこのような治療を受けることはあり得ません。

   バクロフェンの効果でしょうか、右上肢の可動域制限などの症状が大幅に改善されています。バクロフェンは中枢性筋弛緩作用があり、髄腔内投与により重度の痙縮に著名な効果が期待できるようですので、両手の拘縮などには効果が期待できます。この被害者は指がグーの状態になるタイプの拘縮が生じていたようであり、このことがバクロフェンの使用の理由になったようです。痙縮とは脳・脊髄に由来する筋の異常な収縮のことで、わずかな筋の刺激でも筋の極端な収縮が生じるとされています。

   しかし、バクロフェンには歩行困難などの副作用が生じることもあるとされており、本件でも投与後すぐに両下肢に症状が生じています。もともと中枢神経や脊髄との関連の強いRSDですので、下肢にも症状が出やすい基盤があったのかもしれません。

仮に投薬の副作用であるとすると、事故後の治療により生じた副作用まで事故から生じた障害と言えるのか、しかも事故からかなり経過した時点での症状の発生となると、かなり難しい問題となります。

7 懐疑論からの負の連鎖

 ⅰ 判決では、バクロフェン投与後の治療のなかにおける被害者の症状や行動に疑いの目が向けられています。この記載は全てカルテや入院看護記録に基づくはずですが、D大学病院はこの記載を全く問題視せずに全身型のRSDと診断しています。私もこの医師の判断が正しいと思います。

しかし、判決はこの部分の記載を被害者の詐病を認定する方向で実に大量に列挙しています。おそらくは被告側の医学意見書などにより主張された内容に沿うものでしょう。

この部分は、①懐疑論による事実の変換(疑いに合わせた事実の変更)の特徴的な出方で、疑いに都合のよい方向からの解釈を繰り返すというパターンに陥り、②その解釈に対して確証バイアス(自分に都合のよい事実は価値があるように見える)が生じて、疑いが自己増殖していきます。さらに、③反証なき同調事例の列挙(同種の同調事例はいくら列挙しても証明の度合いにはほとんど影響しないのですが)を繰り返すことによる心証の強化という、構造的な負の連鎖に陥っています。

ⅱ まず、振戦(ふるえ)が睡眠中に出ないとか、会話中に止まるとして、詐病との疑いを抱いています。もともと振戦は24時間常に続くものではなく、特段に疑う理由にはなりません。しかし、疑いの目で見ると、これは患者がウソの症状を訴えているからであるということになるようです。

拘縮しているはずの手を開いているというのも、バクロフェンの投与の効果と考えれば特に問題視するものでもありません。大学病院の主治医は、手が開くと言っても指でちょっと動く程度であったと述べています。これは指がグーの状態で強く握りこまれる拘縮(爪が皮膚に強く食い込むほどの症状が出る場合もあるようです)が緩くなったということを看護記録などに記したものであると推測できます。バクロフェンを投与した側からは、少し拘縮が緩めば「指が開いた」と看護記録などに記載するのは当然でしょう。

車椅子を使用しながら室内では歩行しているというのも、長距離歩行や立位の持続による疼痛の増強のために車椅子を使用している状況では問題にもなりません。判決では「車椅子は1歩も歩けない人が使う」との誤解から、この部分を疑ったようです。

トイレで手すりにつかまりながら、おろしたズボンを自分で引き上げるというもの、握力が残っている限り、取り立てて疑問視することでもありません。判決はこのほかにもADL(日常生活動作)の改善など実に多くの事情を列挙していますが、私は取り立てて問題に感じません。

   しかし、交通事故訴訟では被告側の医学意見書などで、このような事柄への疑問が強く述べられるということは、少なくないと思います。華々しい経歴の医師の意見書でこのような疑問が述べられると、信じてしまうのもやむを得ないような気もします。

 ⅲ 判決が列挙した多数の事実は、全てカルテや看護記録に書いてあるはずで、当然に大学病院の医師や看護師も当然に見ていますが、医師はこのことを問題視せずにRSDと診断しました。

判決は医師が問題視していないこのような事実を、取り立てて疑いの目で見ることを積み重ねて、疑問を増殖させていったようです。その結果、被害者の行動を詐病という観点から組み立て直す方向に向かいました。

 本来問題視すべきではない事柄も、疑いの目で見れば怪しいという見方が可能となります。これは疑いに合わせた解釈を持ち出した結果であって、疑えばどのようなものも疑えるということにすぎません。懐疑論の罠の中からは、疑いに合わせた解釈と普通の事実の認識とが判別しがたくなります。ここに懐疑論の落とし穴があります。

しかし、いったん詐病という観点が出来上がると、その見方を支持する事実に高い価値があるように見えるという確証バイアスが生じます。確証バイアスは人間の認知活動そのものともいえるもので、いかなる人間にも不可避的に生じるものです。

判決は疑い例を多数列挙することにより、その疑いを強化させていきます。反証(医師の判断など)や批判の検討を無視した同調事例の積み重ねをいくら繰り返してもその判断を補強することには繋がらないのですが、同調事例を多く列挙することにより証拠が固められるという錯覚に陥っていきます。自分の推論に有利な証拠を積み重ねようとすることは、確証バイアスに特徴的な認知行動です。正しい推論過程では反証の否定に力点が置かれるのですが、確証バイアスが強くなると同調事例の列挙に向かいます。

 ⅳ このような負の連鎖に陥る判例は、被害者の詐病を認定する判決ではしばしば見受けられます。ある種のパターンのようなものです。

   その原因は色々と考えられます。正しい医学知識が前提とされていないこと、患者の症状を否定する損保側医師の意見に盲従してしまうこと、事案の概要からは患者がウソを述べている確率が極めて低いこと(事前確率の問題)を無視したこと、懐疑論的な論理構造に存在する罠に無頓着であること、確証バイアスについての知識がないこと、現場の複数の医師が患者に騙されたとして自分だけが正しくウソを見抜いたと考えてしまう独善性などが考えられます。この点は詳しくは別に述べます。

 

8 身体表現性障害

 ⅰ 判決は、被害者の詐病を疑う視点から、損保側の証人となった医師が右上肢以外(左上肢、両下肢)は身体表現性障害(強い暗示によって無意識的に機能障害を呈すること)であると推測したことを重視します。判決は、この医師が精神科を専門としているわけではないとしながらも、精神科医と長年にわたって一緒に仕事をして、心因性の有無を判断して治療方針を検討しているとその医師が述べたとして、重視します。

   しかし、普通の医師は、専門外について診断しません。また、診断と受け取られる発言もしないと思います。そもそも、この医師は実際の患者に身体表現性障害と診断したことは一度もないはずです。精神科医ではありませんから。

   なお、この疾患は患者が意図的に症状を作り出していないこと、つまり詐病ではないことが診断要件ですので、詐病の隠喩としてこの傷病名を用いているとすれば論外です。

 ⅱ 判決によればこの被害者にはとくに既往症はないようです。身体表現性障害であれば、普通は50歳になるまでにこれによる既往症が生じているはずです。50歳まで既往症がない人にここまで重篤な身体表現性障害が生じるというのは、身体表現性障害のなかでも異例のことではないかと思います。

   身体表現性障害として、左上肢の疼痛や手指の拘縮が生じるということ自体も、かなりまれな事例ではないかと思います。身体的侵襲の非常に大きな治療を継続的に受け続けるというもの、身体表現性障害とすることへの大きな障害になると思います。

   判決のように右上肢の症状が医学的に裏付けられるとする立場で、残りの部分に生じた類似の症状について、身体表現性障害を認めることはかなり困難ではないかと思います。本当の症状にウソの症状を付け加えれば、治療が困難となり、その不利益が自分に戻ってきます。このように本件では身体表現性障害を否定する決定的とも言える事情が目白押しです。

 ⅳ 被告(損保)は、この種の医学的知見を必要とする訴訟においては、被害者の症状を否定し、その内容に沿う医学意見書を提出してくるのが常であることは裁判所においては公知の事実ではないかと思います。

   普通に考えれば複数の医療機関でRSDとの診断を受け、RSDとの診断に基づいて治療を長期間続けてきた患者のほぼ全員がRSDにり患していると思います。本件では治療は極めて身体的侵襲の大きなものですが、詐病でこのような治療を受ける人はまずいません。

   しかし、被告側は、このような事案においても、当然のようにRSDを否定してそれに沿う医学意見を出してきます。この状況でその医学意見を重視する感覚は一般の人には理解し難いものでしょう。しかし、裁判ではこのような医学意見書が華々しい経歴の医師の名義で提出されることが少なくないようであり、そのような医師の権威に裁判官が盲従してしまうことも少なくないようです。

   身体表現性障害という被告側に極めて都合の良い特殊な疾患を、その適用条件を十分に検討もせず、否定事情が目白押しの状況で安易に認めるというのも医師には理解し難いかも知れません。ことに本件では専門医(精神科医)の診断さえもありません。しかし、被害者の詐病を疑うという視点が強く出てしまうと、それに沿う証拠の価値が高く見えてくるという確証バイアスが避け難くなり、このような判断に至ってしまうようです。