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医学意見書

2015年7月12日 (日)

むち打ち損傷の16日後に容態急変(43.11.15)

1 名古屋地裁昭和43年11月15日判決

  名古屋高裁昭和48年11月30日判決(交民6巻6号1742頁)

 

  かなり古い裁判例です。要約すると、むち打ち損傷の2日後から入院して16日後に容態が急変して22日後に死亡した事案について、高裁での3件の鑑定を経て因果関係が否定された事案です。

  この事案の特徴は、①2年後のルンバール事件最高裁判決(昭和50年10月24日)に通じる因果関係判断の枠組みが述べられていること、②むち打ち損傷についての昔の考えと今の考えの違いが出ていることなどです。

2 事故状況

ⅰ 被害者は事故時28歳の男子。大手建設会社に入社して9年を経た中堅技術者で、事故前の健康状態には全く問題がありません。昭和42年9月21日午前11時30分頃に小型乗用自動車を運転して左折のために先行車に続いて停止していたところを、小型貨物自動車に時速40キロほどの速度で追突され、先行車にも衝突するという事故に遭います。

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 ⅱ 時速40キロでの追突はかなり強い衝撃が生じます。現在の考えでは、脳や脊髄に損傷を与えるなどして人を死亡させる可能性を有することに争いはないと思います。事故のあった昭和42年の時点ではヘッドレストは旧式でより大きな被害が出やすい状況です。

   ところが、高裁判決は、時速40キロを前提に「脳ないし脊髄に浮腫を発生させるほど強力なものであったかどうかについては証拠上必ずしも明らかではなく」(1752頁)と述べて、追突による衝撃を重く見ていません。高裁判決はこの考えが背景にあります。

ⅲ 上記の「脳ないし脊髄に浮腫を発生させるほどの衝撃と言えるか」という視点にはそれ自体に問題があります。これは現在の裁判例にもしばしば見られる誤りです。

事故態様としては、現に生じた傷害が生じる「可能性」があれば足ります。その結果を生じさせる「可能性」がある事故態様で、現にその結果が生じたのであれば、原因としてそれ以上のものを求めることは誤りです。

たとえば同種事故(本件で言えば時速40kmでの追突事故)が1000件起きたと想定した場合に、1~2件で同種の結果が生じると考えることができればそれで十分です。まさにその事案こそが裁判で争われる事件であると言えます。膨大な数の交通事故のうち重大な結果に至ったものだけが訴訟に至ります。この「裁判に至る過程で事故が選別されている」という視点はごく基本的なものです。

3 症状の経過

  ポイントは事故16日後に症状が急激に悪化して22日後に死亡したことについて、事故との因果関係が認められるかどうかです。以下では、この点を考慮して症状の経過を述べます。

事故当日…E病院。通院。頭部挫傷、頚部鞭打損傷とされる。

事故翌日…食物等を飲み込む際にのどの痛みを覚え、医師の指示により2日後から入院することとなる。

2日後…E病院。入院。カラーによる頚部固定を行なう。入院中は食欲もあり、体温も平常であった。

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(評)嚥下障害は脳血管障害を疑うことができる有力な事情です。その他の訴えは不明ですが、むち打ち損傷では事故の翌日以降に頚部・頭部の痛みが強くなる事案が多く見られるので、頭部・頚部の痛みが事故直後より強くなったことが入院の事情として推測できます。

 5~6日後…風邪気味の症状を呈する。

 11~12日後…風邪気味の症状を呈する。

 12日後…医師の許可を得て入浴した際に脳貧血で倒れたため、退院を見合わせる。

  (評)12日後の入浴が入院後の最初のものであるのかは不明です。症状が安定してきたことから医師の許可を得て事故後初めて入浴をしたようにも読めます。

 16日後…悪寒、発熱(39.4度)、関節痛、頭痛、全身発疹が生じるも解熱剤により回復した。

 17日後…発熱、関節痛、嘔気、食欲不振、全身倦怠感の症状が現れ、抗生物質が投与された。

 18日後…胸内苦悶、呼吸困難の訴えがある。

 19日後…意識不明となる。

 20日後…意識回復するが、午後に起き上がろうとしてけいれん発作を起こし、全身じんましんとなり、呼吸停止が頻繁になり、けいれん発作、呼吸停止を繰り返した。

      造影剤によるレントゲン検査では脳の左半分には血腫はみられなかったが、右半分は造影剤が入らず(脳圧が高くなっている可能性が考えられた)、検査はできなかった。

 21日後…四肢冷感、チアノーゼを呈した。

 22日後…死亡した。

4 解剖所見

  脳軟膜に充血と浮腫、脳実質に充血と浮腫、頚髄下部にある程度の充血と浮腫、脳軟膜に軽い炎症性の細胞侵潤のほか各所に小出血が認められ、頚髄の出血・癒着は認められなかった。脳の浮腫は脳幹だけではなく、脳全体に軽度のものが認められた。

  一方で、頭蓋内出血や脳内出血は見られず、くも膜下出血や硬膜下出血は否定される状況であったようです。なお、MRIが普及する以前の事件ですので、MRI検査は行なわれていません。

5 3件の鑑定

 ⅰ 地裁では鑑定が行なわれず、高裁で3件の鑑定が行なわれ、地裁判決の約5年後に高裁判決が出ています。まず事故と死亡の因果関係を認めるA鑑定が提出され、これを否定するB鑑定が提出されるも内容に難があったため、C鑑定が提出されたようです。

   3件の鑑定は全く異なる内容です。専門家が誠実に鑑定を行なえば大筋で似通った意見になり、細部での意見の不一致に集約されることが通常であると思います。しかし、交通事故訴訟では、医学意見が相互に天と地ほどの異なることが多く見られます。本件でもこれが確認できます。

 ⅱ A鑑定

   A鑑定は事故による脳や脊髄の損傷に起因して被害者が死亡したとします。事故が原因とすることは、事実の経過や解剖所見からは最も素直な考えであると思います。

   16日後に急激な症状の悪化が生じたことについては、事故により直接脳や脊髄に浮腫が生じたのではなく、まず事故により浮腫ができやすい状態が生じて、二次的に浮腫ができたとします。容態急変後の呼吸困難、高熱は脳幹部に浮腫が生じた結果として説明できるとします。頭蓋内出血や脳内出血が見られないことから晩発性の脳卒中ではないとしつつも、晩発性の脊髄損傷の可能性は考えられるとします。

脳が損傷を受けるなどしてその部分が壊死すると液化して浮腫が生じます。A鑑定はこの経緯により二次的に浮腫が生じ、脳圧が上昇するなどして死亡したとの意見です。但し、事故により脳が直接損傷を受けたのではなく、脳周辺の器官や脊髄が損傷を受け、それにより脳への血液供給が減少するなどして脳全体や脊髄に浮腫ができたとするようです。

   A鑑定の難点は、事故により脳にどのような損傷が生じて、いかなるメカニズムで脳に浮腫が生じたのかが不明であることです。

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 ⅲ B鑑定

   B鑑定は事故とは全く無関係の何らかの呼吸器系統の感染性胸部疾患により死亡したとします。容態急変前の風邪気味の症状や容態急変後の発熱、関節痛、頭痛、全身発疹、吐き気、全身倦怠感等は感染性疾患で説明できるとします。

   解剖所見は、呼吸停止が長く続いたことにより、脳に酸素欠乏が起こったために二次的に生じたものと推測できるとし、脳の浮腫が全体に及んでいることは、この考えを裏付けるとします。

   B鑑定の難点は、①具体的な疾患名(原因)が不明であること、②咳(せき)、鼻水、鼻炎などの症状は確認できないこと、③28歳の男性が事故とは全く無関係にこのような急激な症状を呈する疾患に感染したとは考えにくいこと、④入院中の病院内で被害者のみがその疾患に感染したとすることには疑問があること、⑤脳の右半分に造影剤が入らなかったことから右側に損傷部位が存在したと推測できること、⑥脳幹部の損傷(障害)から呼吸困難が生じたとすることが自然であること、⑦胸部感染疾患では脳全体の浮腫を説明することが困難であることなどが挙げられます。この難点ゆえにC鑑定が作成されたようです。

 ⅳ ウイルス性急性脳症について

   感染性胸部疾患とするB鑑定とは異なり、ウイルス性急性脳症と考えると、事故後の風邪気味の症状、容態急変後の感染症類似の症状および脳全体の浮腫などの解剖所見をA鑑定よりもすっきりと説明できます。B鑑定では浮腫が脳全体に及んだことの説明が困難です。B鑑定がこの疾患に言及しなかったことは少し奇異な感じもします。

   ウイルス性急性脳症ではウイルスに感染した人のごく一部にしか発症しないので、被害者のみが発症したことも説明できます。通常、髄液からはウイルスは検出されないので、この点も矛盾とはなりません。

なお、ここで「非常にまれな症例であるとしても死に至れば訴訟で争われることは必然である。従って、裁判所にそのような症例が集まることは必然である。」との理屈を持ち出すことには難点があります。本件では死亡に至るルートが絞られておらず、ウイルス性急性脳症は死亡に至る多数の説明の1つに過ぎません。

   本件ではウイルス性急性脳症とする決め手はありません。また、まれな疾患を想定すればほぼ全ての症状経過を説明できますが、それは場当たり的な説明に過ぎないとも言えます。事故直後に感染したとすることは場当たり的な説明の最たるものです。

   そこで事故という現実に生じた事実を基点に据えて、本件事故によりウイルスが血液脳関門を通過しやすい状況が生じ、事故により軽度の損傷を受けた脳や脊髄のダメージを大きくし、それがウイルス性急性脳症の発症につながったとする説明も考えられます。これで訴訟に現れた事情を過不足なく説明できます。なお、この場合には事故が原因であるとの結論になります。

   但し、この説明も場当たり的な要素が残ります。まず、ウイルス性急性脳症に感染しやすい状況とは何かが不明です。事故により脳や脊髄に何らかの損傷が生じたのであれば、ウイルス性急性脳症というまれな疾患を介することなく、その損傷の拡大として考える方が説明としてすっきりします。結局のところ事故を原因とした死亡であり、その経過のなかにウイルスが作用している可能性を指摘したに過ぎません。この意味でもA鑑定の方が適切であると思います。

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 ⅴ C鑑定

   C鑑定は、事故と無関係な何らかの原因により脳に血液不足が生じて、浮腫が発生し、脳機能障害により意識障害や中枢性呼吸障害を招来し、脳死に近い状態が生じて死亡したとします。

   一方で、受傷から16日後の急激な症状悪化を理由に事故との因果関係を否定します。即ち、①浮腫は通常24時間ないし48時間で最高となり、その後は徐々に消退するものであるから、受傷急性期に何らの症状も認められないような軽い浮腫が長期にわたって持続し、あるいは次第に助長されて16日後の時点で突然にしかも重篤症状を持って顕在化することは考えにくいとします。

   また、②脳および脊髄に挫傷や受傷時に生じたと思われる出血等が認められないから、浮腫の発生につき外力の影響は軽微であったとします。また、③外力自体も極めて軽微であったとします。さらに、④容態急変後の諸症状を脳幹部の局所障害として説明することは困難であるとします。

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 ⅵ C鑑定の難点

   C鑑定の最大の難点は、死亡の具体的な原因が全く不明であること(とにかく事故とは無関係と述べているにすぎないこと)にあります。本件では入院中に新たに怪我をしたとは考えられず事故以外の原因は見当たりません。

   また、上記③の事故の外力が極めて軽微とすることは無理があります。そもそも医師が言及するべき内容でもありません。

   上記①のように事故後症状が出るまでの期間を限定する理屈は、現在では加害者側から述べられる医学意見の定番です。しかし、頭部外傷の事案では受傷の2日後以降に症状が出現することが少なくないことは、一般常識に属することであると思います。受傷から1~2か月経過して症状が出ることもあるため事実に反します。

C鑑定のその他の理屈についても、脳の損傷は必ずしも出血を伴うものではないこと、初期症状として事故翌日に嚥下障害が出ていたこと、浮腫の生じる原因によっては晩発性の症状もありうること、脳や脊髄の出血が少なかったことはむしろ長期間経過後に症状が顕在化したことを説明する事情となること等の難点があります。

6 高度の蓋然性

 ⅰ 高裁判決は、「こんにちにおける医学の進歩にもかかわらず医学的に解明し尽くされていない現象があり得る以上、相当因果関係があるというためにすべての場合に医学的に原因が明らかにされなければならないというものではないが、原因と結果との間には単なる可能性に止まらず高度の蓋然性が必要である」とします。この部分はのちのルンバール事件最高裁判決(昭和50年)の「高度の蓋然性」と同趣旨です。

 ⅱ 「高度の蓋然性」とは、簡単に言えば「高い可能性」です。世の中の出来事のメカニズムを解析し尽くすことは不可能ですので、全体的な観察から原因と目される事情が結果を生じさせた可能性の度合いを検討する必要性があります。その可能性が高いと言える場合には「高度の蓋然性」があると言えます。

   ルンバール事件では、ルンバールの投与が被害児の症状の悪化に影響したかどうかの医学的なメカニズムは不明でしたが、投与の直後に容態が急変したことや、それまで症状が安定していたことなどを理由に、メカニズムは不明でも全体的に見て「ルンバールの投与が症状の悪化に影響した可能性が高い」との趣旨で「高度の蓋然性」という言葉を用いています。

   ただし、この説明では不十分で、最高裁判決は次の「他原因考慮」を含めて「高度の蓋然性」の有無を検討しています。

7 他原因考慮

 ⅰ 高裁判決はA鑑定を正しいと見る余地がないではないが、「B鑑定あるいはC鑑定の指摘する他の原因があった可能性もいまだ捨てきれないものであるから」として、事故と被害者の死亡との因果関係を「肯認するべき高度の蓋然性があることについては証明がなかったことに帰する」と述べます。即ち、高裁判決は他の原因の考慮として、「他の原因があった可能性も捨てきれない」とのレベルでA鑑定を否定しました。

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 ⅱ ルンバール事件最高裁判決は、①全体的にみて原因と目される行為が結果を生じさせたことを推測させる事情がある、②他に原因として考えられるものが見当たらない(他原因考慮)の2つの要件を合わせて、因果関係を肯定できる「高度の蓋然性」に達すると判断しています。

B型肝炎事件の最高裁判決(平成18年6月16日)など、その後の最高裁判決もこの枠組みを用いています。

   即ち、因果関係について一応の推定が成り立つ程度の証明が被害者側によってなされ、これに対して加害者側が相当程度に可能性のある「他原因」を挙げることができなければ、因果関係を肯定するべきであるとするのが最高裁判例の準則であるといえます。

ⅲ 本件の高裁判決も基本的な枠組みは同じです。しかし、②の他原因考慮の部分で一般的・抽象的な「他原因」の存在可能性を理由に因果関係を否定したことは、現在の判例理論とは合いません。

   最高裁平成11年3月23日判決(判時1677号54頁)は、一般的抽象的な「他原因」の存在可能性で因果関係を否定することは誤りであるとの趣旨を述べます。

   平成18年のB型肝炎事件最高裁判決は、「本件集団予防接種等のほかには感染の原因となる可能性の高い具体的な事実の存在はうかがわれず、他の原因による感染の可能性は、一般的、抽象的なものに過ぎないこと等を総合すると」と述べて因果関係を認めました。

 

 ⅳ 本件では事実経過から事故と死亡との間に因果関係の一応の推定が成り立ち、B鑑定とC鑑定は具体的な他原因を挙げていないため、因果関係は肯定できます。この結論は一般人の多数の見方にも沿うものである思います。

   私も事故後の経緯からは事故により軽度の脳損傷が生じて、時間の経過により損傷部位が壊死して浮腫となり、これに何らかの要素が加わり、脳圧を徐々に上昇させ、16日後の容態の急変につながったとすることが最も合理的であると思います。他に相当程度の可能性が肯定できる具体的な原因は見当たりません。

8 結論の妥当性

 ⅰ 以上から私は現在の判例理論ではA鑑定が採用されると考えます。A鑑定の利点は、①交通事故によるむち打ち損傷という具体的な原因が存在すること、②入院中に死亡の結果を招くような他原因が介在した可能性はかなり低いこと、③解剖所見と矛盾しないことにあります。

   一般人のものの見方からすれば、むち打ち損傷の2、3週間後になって急に症状が出ること(手や足のしびれ、脳の障害など)は、しばしば起きることです。また、原因として他のものが見当たらないので、交通事故が最も可能性の高い原因と考えられます。

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 ⅱ A鑑定の難点は事故から16日後になって急激に症状が悪化したメカニズムについて具体的に説明できない点にあります。従って、この期間に他の原因が介在した「可能性」を否定し尽すことは原理的に不可能です。

   この視点からB鑑定を見ると、高熱、呼吸困難、発疹、全員倦怠感などの症状は感染症であると考える一応の理由があるので、B鑑定が正しいの「可能性」は捨て切れません。同様にC鑑定を見ると、本件事故から16日後の容体悪化までの間に何らかの事情(受傷)が介在した「可能性」も捨て切れません。この種の可能性を否定することはおおよそ不可能です。それゆえにこの種の可能性を過大に見ることは誤りとなります。

   従って、結論の妥当性から見てもA鑑定が正しいとすることに問題はないと思います。

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9 最初が最大論(悪化否定論)

 ⅰ 以上に対して、「事故による症状であるならば、事故直後の時期に最大の症状が出るはずであって、事故から2~3週間経過した後に症状が悪化することはありえない。」との考えに基づいた裁判例がしばしば見られます。この考えは、加害者側から出される恒例の主張に影響されたものです。

   この考えを信じている方は、「事故後に症状が送れて現れるとしても2~3日後までが限度であり、それ以上後に症状が出てきた場合には因果関係は認められない」との思考に陥ります。むち打ち損傷の著書には1週間後に症状が出ることに言及しているものがいくつかあり、この考えは事実に反します。

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 ⅱ 事故から一定期間経過した後に新たな症状が出たり、症状が重くなったりした場合において、加害者側は以下の主張をすることがよく見られます。「事故による症状は事故直後に最大の症状が出てその後は治療により改善することが普通であり、事故後に一定期間経過してから新たな症状が出たり、症状が重くなったりすることはあり得ない。」との主張です。これは「最初が最大論」ないし「悪化否定論」というべき恒例の主張です。

 ⅲ これは事故後に新たな症状が出たり、症状が悪化したりした事案のほぼ全てで加害者側が医学意見書などで主張してくる特殊な主張です。もちろん、誤りです。

   これまで解説した裁判例の中にも事故から2週間以上経過してから新たな症状が出てきた事案は少なくありません。むち打ち症に関する書籍の多くは事故後に症状が出てくる事案があることに言及しています。

   新聞などでも例えば柔道の授業で頭を打ったが、何も症状が出ていないのでそのまま続けるなどしたところ、数時間~数日後に急に倒れて重症になった(死亡した)との内容のニュースはたまに目にします。頭部の怪我の場合には事故から1~2か月してから症状が出てくる場合もあることは一般人の多くが知っていることでしょう。このような立場からは、本件で因果関係を肯定するのはごく当たり前のことです。事故後に入院していた本件では、事故以外の原因が作用した可能性はかなり低くなります。

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10 「高次脳機能障害」は疾患の名称ではない

 ⅰ ところが、自賠責では高次脳機能障害の要件として、事故直後からの意識障害を必須としているため、脳の障害の事例の場合には、事故直後に必ず症状が出るはずであるとの誤解に陥りやすい面があります。

   結論から言えば、高次脳機能障害で事故直後の意識障害を必須としたのは誤りというほかありません。この要件のために現実に症状の生じた方の9割以上が除外されていると思います。違うというのであれば、統計などのデータを見せて欲しいと思います。

RSDの3要件や高次脳機能障害の3要件については、現実に症状のある人のうちどれくらいの人がこの要件を満たすのかの統計があえて作られていないようにも見えます。公的な要件がその検証を受けることもなく、使用され続けることはあってはならないことです。CRPS(RSD)患者であっても自賠責でRSDの3要件を満たすとされる人は1%以下であろうということは、これまでも繰り返し述べてきました。

 ⅱ なお、高次脳機能障害という疾患が存在すると誤解している人が少なくないようですが、「高次脳機能障害」は疾患の名称ではなく、労災や自賠責での保護区分の名称です。障害者総合支援法や介護保険法では「高次脳機能障害」とは異なる保護区分が設定されています。

   行政施策ごとに設定される保護区分のうち、労災や自賠責では「高次脳機能障害」という名称の保護区分が設定され、保護されるための要件が「診断基準」の名称で作られました。

紛らわしいので、「保護区分D」、「保護区分Dに該当するための要件」との名称にした方が良いと思います。誤解を誘引するために紛らわしい名称を用いているようにも見えます。細かいことですが、労災と自賠責では保護区分に該当するための要件が異なります。自賠責の方が格段に厳しくなっています。

   従って、症状のある人のうちごく一部しかこの要件を満たさないことは制度それ自体が当然の前提としています。自賠責では要件が厳しすぎる点に大きな問題があります。私は、後遺障害等級を付されるべき症状の出ている人のうち1%以下しかこの要件を満たさないのではないかと危惧しています。

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 ⅲ 国際疾患分類には「高次脳機能障害」という名称の疾患は存在しないので、そのような疾患が存在しないことは争う余地がありません。しかし、上記の行政上の保護区分に影響されて、医学的な概念としての「高次脳機能障害」が生まれ、その概念が曖昧なまま運用されて、現実の症状やMRIの結果などを場当たり的に判断して、「高次脳機能障害」との診断が下されているため、混乱しやすい面があります。

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11 事実認定の空洞化

 ⅰ 本件の高裁判決は結論の妥当性の価値判断としても、A鑑定をそれ程重視していません。私は、現在においても本件の高裁判決と同様の価値判断に至る裁判官は少なくないと思います。

また、ルンバール事件等の最高裁判決の準則を前提として本件を検討した場合においても「高度の蓋然性」を認めない裁判官は少なくないと思います。この考えには法的に見ていくつかの誤りがあります。

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 ⅱ まず、「高度の蓋然性」を高く見すぎる誤りがあります。学説では「高度の蓋然性」は80%ほどの可能性と考えられています(例えば、和田『基礎から分かる民事訴訟法』276頁)。従って、「おそらく~であろう」との心証に至れば事実として認定することができます。これに対して、90%以上と誤解しているように見える裁判例をしばしば目にします。

   なお、学説の上では優越的蓋然性説が有力です。これは50%超説とも言われますが、実際には51%では足りず60%ほどとする趣旨と考えられています。須藤裁判官は60%対80%の対立図式で説明し、60%で良いとします(「民事裁判における原則的証明度としての相当程度の蓋然性」『民事手続の現代的使命』339頁)。私もこの考えに賛成です。

   いずれにしても、90%の可能性(蓋然性)を求めることは誤りで、80%を超える可能性があればその事実を認めることができることには争いがありません。

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 ⅲ 本件では、交通事故という現存する具体的な原因を挙げているA鑑定と、存在自体が確認されていない事情により結果が生じたとするB鑑定・C鑑定とでは、質的に大きく異なります。この状況において、交通事故が原因である可能性が80%を下回ることはないと思います。B鑑定やC鑑定は一般的・抽象的な他原因の存在可能性を述べたに過ぎません。

   本件の高裁判決が「B鑑定あるいはC鑑定の指摘する他の原因があったという可能性もいまだに捨てきれない」と述べていることからは、求める証明の度合いを高く設定しすぎる誤りに陥っていると考えられます。

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 ⅳ もう1つの誤りは、実質的な心証を形成しない誤りです。事実認定では、「何が起きたのか」との視点で、「生じた可能性が最も高い事実は何か」を探求する必要があります。即ち、事実認定のレベルでは獲得した心証をありのままに述べ、その後にその内容が事実として認定できるほどの証明の度合いを兼ね備えているかを検討する必要があります。

これに対して、自由心証に証明責任を取り込む誤りに陥り、実質的な心証を形成する以前の段階で証明責任を考慮に入れて、「~であるとの証明ができたといえるほどの証拠があるか」とのハードル型思考に陥っている判決をしばしば目にします。この誤りに陥ると実質的心証が形成されず、「とにかく証明責任を満たしたとは言えない」との判断がなされ、心証の空洞化が生じます。

本件の高裁判決が、「何が起きたのか」や「生じた可能性が最も高い事実は何か」の心証を述べることなく、「因果関係を肯認すべき高度の蓋然性があることについては証明がなかったことに帰する」と述べて心証が空洞化していることは、この誤りを示すものであると思います。

この2つの誤りはほとんどの場合セットになっています。この誤りは現在の裁判例にもしばしば見られるものであり、古くて新しい問題であると思います。

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12 むちうち損傷の概念

ⅰ 昭和40年代のこの時期の裁判例や文献では、「むち打ち損傷」の概念が今と異なります。頚部の過伸展や屈曲が生じる態様の交通事故は広く「むち打ち損傷」とされ、「むち打ち損傷」から生じる結果も軽度の症状から重症事案、死亡事案まで様々なものが含まれています。

  つまり、「むち打ち損傷→結果」との単純な図式で、「結果」には多種多様なものが含められています。本件も「むち打ち損傷による死亡」との図式で扱われています。

ⅱ 現在は「むち打ち損傷」に代わり「外傷性頸部症候群」との病名が定着し、対象とする症状もこの病名に合わせて限定されるようになりました。現在は事故の外形が「むち打ち損傷」でも、のちに軽度外傷性脳損傷、低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)、胸郭出口症候群、CRPSなどの診断が下されると、「むち打ち損傷」は軽視されます。

  私は「むち打ち損傷」を軽視することは良くないと思います。とくに因果関係判断においては、「むち打ち損傷→結果」との単純な図式の方が、本質を捉えていると思います。

即ち、事故の態様(原因)と症状(結果)に着目して、「その症状はむち打ち損傷から生じることがある類のものである」、「他の原因は見当たらない」との方式でシンプルに判断することが正しいと思います。

 ⅲ これに対して、加害者側は証明妨害のために色々な立証命題を被害者側に押し付けてくることが通常です。

例えば、CRPSの事案では、①「事故はCRPSを発症させるほどのものであるか」、②「事故後早期にCRPSを発症したといえるか」、③「被害者の症状はCRPSに由来するものと言えるか」との立証命題を次々と被害者側に押し付けてきます。

   これらを取り入れてしまうと「(A)CRPSを発症させるほどの事故→(B)事故直後のCRPSの発症→(C)CRPSに由来する症状」を検討する誤りに向かいます。

上記(A)と上記(B)の誤りは上で述べたとおりです。上記(C)が誤りであることはこれまでも繰り返し述べてきました。しかし、この誤りに誘導されてしまった裁判例はしばしば目にします。症状に着目すれば、事故直後から症状が連続していることが明白であるにも関わらず、CRPSとの診断が正しいかどうかにより因果関係が決まるというのは奇妙なことです。

   なお、診断は症状を大前提としてその評価として下されるものであり、診断が正しくとも、誤っていたとしても、変更されたとしても、その元となる症状は変わりません。従って、「病名→症状」の流れはその部分だけで誤りと断定できます。

ⅳ この理屈による弊害が最も強く出ているのは、脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)の事案です。交通事故後にこの病名が診断された膨大な数の事例(裁判例)が存在することは、交通事故(とくにむち打ち損傷)により、この病名に対応する一定範囲内の症状が生じることを裏付けます。

   ところが、裁判例では診断が正しいかどうかの無益な議論に終始して、その議論の帰結により症状の有無や程度を決める誤りに陥っているものが多く見られます。

2014年2月15日 (土)

地裁と高裁で評価の分かれた右腕神経叢損傷(24.7.26)

1 仙台高裁平成24年7月26日判決(自保ジャーナル188124頁)

 (1審:福島地裁いわき支部平成23年11月24日判決)

  この事案の特徴は、①腕神経叢損傷の事案であること、②両側に症状が出ていて片側のみが診断されたと思われること、③筋萎縮必須論が出されていること、④筋電図検査を否定する意見が出されていること、⑤問題のある医学的知見が多く出されていること、⑥胸郭出口症候群の検討がされていないことなどです。

 

2 症状の経過

  被害者は事故時19歳の契約社員(郵便局に採用されてまもなく事故に遭った)です。平成18年5月15日に後退してきた自動車が被害者の乗っていた原付に衝突するという事故に遭います。

 

 事故当日…F病院。救急搬送され頚部痛及び右手のしびれを訴えたため、中心性脊髄損傷が疑われ、11日間入院。事故当日の握力は右が13kgで左が16kgであった。MRIでは右肩に明らかな腱板損傷は認められなかった。

 12日後…B病院。中心性脊髄損傷は否定され、右腕神経叢損傷とされる。後頸部痛、右肩、上肢しびれ、脱力の主訴。頸椎運動制限及び運動時頸部痛、右上肢橈骨側・遠位側優位の知覚障害・運動麻痺が認められる。9か月ほどの通院の間、左右の握力の低下が認められる。

 8か月後…症状固定とされる。これに基づき14級9号との認定を受けた。被害者はその後も通院を続ける。

 

 11か月後…C診療所。右肩痛、右上肢挙上制限を訴える。レントゲン、MRIでは異常なし。頚椎椎間板損傷、右腕神経叢まひ右肩関節周囲炎とされる。

 11か月後…D病院。右肩痛を訴える。握力右5.1kg、左20.6kg。医師は上腕、前腕の周径に左右差がなく、右腕神経叢損傷と合致しないとC病院への書面に記載した。右肩関節唇損傷、右腕神経叢損傷と診断した。

 1年8か月後…C診療所。右腕神経叢まひ右肩腱板疎部損傷とされ、再度症状固定とされる。

 2年7か月後…F病院。筋電図検査で遠位筋ほど多相性の神経原性電位を認めるとして、腕神経叢損傷(全型節後損傷)と診断される。

 2年10か月後…再度後遺障害診断書が作成される。これに基づき12級13号との認定を受けた。

 

3 片側だけ(一部だけ)の診断について

 ⅰ 被害者は事故当日から両手の握力が低下し、その状況が少なくとも1年以上続いています。判決からは両上肢に同じような症状(痛み、しびれ、脱力等)が出ていて、左側よりも右側の症状が強いように見えます。しかし、通院先の診断は終始一貫して右側のみに限定されています。

   私の経験でも被害者が事故直後から両側の症状を訴えていたにもかかわらず、片側だけが診断されていた事案が数件あります。もちろん両側に症状が出ていると診断された事例の方が多いのですが、症状の重い側だけを取り出して診断する医師も少なくないようです。

   片側だけを診断をした医師は、「事故により神経に損傷が生じたとすれば、両方同時ではなく一方のみのはずだ。従って、症状の弱い側は反射的な症状が出ているだけである。」との見方により、片側の症状だけを取り出して診断したとも考えられます。

   これと似たような話で、上肢に強い痛みを訴えている場合に、相対的に弱い痛みや違和感を訴えている腰や下肢の症状が無視されていた事案も数件経験したことがあります。

事故に遭われた方の多くは事故直後には頚部や腰部だけではなく全身に痛みが出ていたと言われますが、多くの場合カルテには一番強く訴えた症状だけが記載され、その後のカルテはその症状を重視した記載になる傾向があります。

 

ⅱ 胸郭出口症候群や手根管症候群のように事故の場合にも両側に症状が出ることが多い疾患もあるので、両側に症状が出た場合には両側について診断した方が良いと思います。その方が事実に即しています。

   症状固定のときに突如として両側の診断となると、追加された症状がいつ出てきたのかが問題になります。このような場合では、なぜかカルテの記載が非常に少ないことが多く、問題が複雑になります。

 

ⅲ 本件と類似の事案で、左側にも同様の症状が生じていた場合でも、左側の症状の裏づけが少ない場合には、訴訟戦略の上で左側の症状を主張しないとの判断もありえます。

  即ち、「左側の症状を裏付ける証拠はわずかで、主治医も診断していないのだから裁判所も認めるはずがなく、主張しても逆に不利に働くだけである。」という考えです。事情によっては、この考えに至るのもやむを得ないと思います。

本件ではそのような事情から右側のみが主張されているように見えます。  被害者側は主治医の診断した右腕神経叢傷害により自賠責の認定した12級相当の後遺障害が残存すると主張しています。実際には両上肢に痛み、しびれ、脱力等の症状が出ていて、9級相当の後遺障害が残っているとも思えます。

 

4 被害者の最終的な症状の程度について

 ⅰ 全体的な見方

事案をおおまかに眺めてみると、①被害者は事故により救急搬送され、①中心性脊髄損傷が疑われて11日間入院し、③右上肢の痛み、しびれ、脱力について早期に右腕神経叢損傷と診断をされ、④8か月後にいったん症状固定とされるも症状が改善せず通院を続け、⑤2年7か月後は筋電図検査で腕神経叢損傷が裏付けられたとの経過が存在します。

つまり、事故直後から一貫した症状の訴えがあり、それに対応した治療を受け、症状が続くため通院が長期に及び、精密検査でその診断が裏付けられています。従って、最終的に右上肢に痛み、しびれ、脱力(及び握力の低下)が残っていて、その程度は決して軽くはないことが十分に推測できます。この見方は一般人の常識的な考えにも合うと思います。

このような「全体的な見方」は物事を考える上で軸となるべきものです。細部での問題は随時この思考の軸(全体像)にフィードバックさせて整合性を検討する必要があります。

 

 ⅱ 頭でっかちな見方

訴訟ではこの全体的な見方を軽視して、部分ごとに切り離して検討した結果、全く異なる結論に至ることが多く見られます。これまで検討してきた裁判例のほぼ全部は「全体的な見方」からすれば被害者の主張する症状が最終的に残っていると判断できる事案ですが、細分化した検討の結果、その結論に至っていないものがほとんどです。

毎回のように部分での検討で全体像が否定されてしまうのでは、世間一般からは「裁判官は頭でっかちだ(細かい理屈ばっかりで結果が伴わない)」と言われるかも知れません。要件事実論に証明責任を取り込んで事実認定をしてしまうと、この傾向に陥りやすくなります。

 

 ⅲ 部分での検討で行なうべき判断

   被害者の症状を否定した裁判例では、部分ごとに切り離した検討で部分ごとに越えるべき「証明のハードル」が設置され、そのハードルを越えていないとして全体像が否定される形のものが多く見られます。

   細部での検討を厳密に行なうと正しい結論が導かれるようにも思えますが、実際には部分ごとの検討で「何が起きたのか」を検討せずに「証明責任をみたすほどの証拠があるのか」を検討している判決が少なくありません。細部にまで確実な証拠を求めると、事案を細分化すればするほど被害者に不利になります。

もちろん、証明責任の対象は主要事実のみですので、間接事実に証明責任を適用することは誤りですが(私は主要事実であっても事実認定に証明責任を取り込むことは誤りと考えますが)、この誤りに陥っているように見える裁判例を多く見かけます。

部分(間接事実)の検討においては「何が起きたのか」を検討して「~と推測できる」との結論を導くべきですが、「~であると認めるに足りる証拠はない」という法的に誤った書き方をしている判決を少なからず見かけます。「Aであると認めるに足りる証拠はない」との判断は、Aではないことを意味するわけではなく、推論の度合いが示されないため判断が空洞化しています。

部分での検討は最終的に認定する主要事実を導く際の推論の元になるものであるので、獲得した心証をそのまま記載するべきであると思います。証明責任に頼ると判断の空洞化(実質的心証の裏づけのない認定)を導きますが、この点への意識が低い判決を少なからず見かけます。

 

 ⅳ 新様式判決の功罪

   判決には旧様式判決と新様式判決があり、おおざっぱに言えば旧様式判決は当事者の主張を法的に細かく区分して記載したのちに、法的な序列に従って事実を認定していくものです。新様式判決は、当事者の主張の序列化は大まかな把握に留めて、争点の抽出とその判断に力点を置く書き方をするものです。

   旧様式判決では当事者の主張を整理する段階で、事件記録を一通り検討する必要があるため、この段階で事案の概略をつかみ、争点に集中しすぎない全体のバランスの取れた判断になるとも言えます。

   これに対して、新様式判決では事案の概略を述べた後にいきなり争点の検討を始めるため、上記の「全体的な見方」を意識することがないまま細部での判断が全体を決する流れに向かいやすくなります。

   新様式判決で争点に対する検討が厚くなった点は良いと思うのですが、その検討の中身が「証明責任を満たすほどの証拠はあるか」という形で空洞化し、間接事実を証明責任で判断する誤りに陥っていると思われるものが少なくありません。このため、全体像の欠落が目立つものも少なからずあります。

   全体像の欠落というのは、細部での検討で導かれる結論について「仮にAではないとすると、何が考えられるか」を事案の全体像に戻って検討する作業の欠落です。Aではないとした場合の代替案が存在しないにも関わらず、「Aであるとする確実な証拠はない」との思考で、細部の検討のみで結論を確定させることは誤りであると思います。

 

5 裁判に至る過程での選別

 ⅰ この事案では地裁判決は12級と認定し、高裁判決は14級と認定しています。判断が分かれたのは、「この事故によって被害者の主張する後遺障害が生じるであろうか」という点の考え方に大きな影響を受けています(後述の点も影響していますが)。

   事故は停止後に後退した車が被害者の乗っていた原付に衝突して、被害者の乗った原付が転んだというもので、おおまかな外形からは被害者が腕神経叢を損傷するほどの事故であるとは考えにくい状況があります。

 

 ⅱ 地裁判決

地裁判決は「確かに、前示のとおり、本件事故によって生じた原告車両及び被告車両の損傷の程度は軽微であり、本件事故による衝撃の程度がそれほど大きなものではなかったことがうかがわれるものの」(41頁)として、事故の衝撃は大きなものではないとします。

しかし、「事故により傷害が生じるか否かは、衝撃を受ける者の個体差や衝突時の身体的条件、車両及び道路条件等によっても違いが生じ得るものであることからすると、上記各証拠をもって直ちに本件事故により原告に右腕神経叢損傷が発症したことを否定することはできない」とします。

即ち、地裁判決は被害者に腕神経叢損傷が生じる可能性があれば足りるとしています。私もこの考え方を支持します。

 

 ⅲ 高裁判決

高裁判決は、①原付が転倒して被害者がしりもちをついたとの事故状況、②被害者の体に強い衝撃を与えるような衝突ではなかったこと、③被害者の右腕神経叢に牽引力が働く状況ではないことから、被害者の主張する腕神経叢損傷が生じるような事故ではなかったとします(30頁)。

   私も同様の事故に遭った方が100人いた場合に原告と同様の怪我(障害)を生じる方は1人ほどであると思います。しかし、裁判に訴え出るのはまさにその1人です。後遺障害がない人は裁判に至る過程の選別で除外されます。

   なお、地裁判決は上記のほかに、被害者が転倒した際に頭部が傍らのフェンスに衝突したことを認定しています(40頁)が、私はこの事情が不可欠とは考えません。

 

 ⅳ 裁判に至る過程での選別

むち打ち損傷を検討した有名な工学実験では時速10キロ以下の衝突によっても一部の人には頚部痛が生じることが確認されています(『検証むち打ち損傷』)。有志で実験に参加された方で衝撃が来ることが抽象的には予見で来ていた方であってもこの結果なのです。時速10キロで追突された衝撃でも頚部は最大可動域まで屈曲・伸展しますが、衝撃を感知して頚部の筋の収縮が始まるのはその後のことであるので、この結果はある意味当然と言えます。

   例えば、時速15キロで追突された人が100人いるとして、そのうち40人は何らかの首の痛みを訴え、うち10人は首の痛みが持続し、うち2人は頑固な首の痛みになると仮定します。後遺障害があるとして訴訟に訴え出るのは最後の2人です。この「裁判に至る過程での選別」という思考は、およそ裁判官であるならば備えていなければいけません。

   これに対して、訴訟の場において、「その事故で頑固な首の痛みが残る可能性は2%であるから、その被害者の主張する障害が生じた可能性は小さい。」と考えることは誤りです。後遺障害がないのに訴訟に訴え出るという特殊な想定で、原則となる思考を否定することは正しくありません。

 

 ⅴ 他の原因が考えられないこと

   地裁判決が述べるように、事故態様は被害者がその怪我をする可能性が認められれば足り、「被害者の主張するような障害が生じるほどの事故」である必要はありません。

   それ以前の問題として、高裁判決はこれが因果関係の問題であるという認識をほとんど持っていないようにも見受けられます。高裁判決は、「被害者の主張するような障害が生じるほどの事故」ではなかったとして、この部分だけで結論を決めているように見えます。

   しかし、事故の程度としてはその傷病を生じさせる可能性が認められれば足ります。その可能性すら否定できるのはよほど特殊な事情が必要であると思います。

従って、因果関係を検討する場合には、現実に被害者に生じている後遺障害の有無・程度を確定して、事故以外の原因によりその結果が生じたと考えられるかとの検討が必要です。事故による衝撃が不明であっても現にその怪我をしていることが明らかであって、事故以外の原因が考えられなければ事故との因果関係が認められます。ルンバール事件最高裁判決はこの趣旨を述べています。

 

6 胸郭出口症候群の検討

 ⅰ 交通事故のあとに上肢の痛み、しびれ、脱力(及び握力の低下)を訴える事案は多く、この症状は頚椎の損傷に由来することもあれば、上肢の神経の損傷に由来することもあります。

   上肢の神経の損傷は、例えば衝突時にハンドルを握っていた手が牽引されたことによる一次的な損傷もあれば、頚部から肩部にかけての筋や軟部組織の損傷に由来する二次的なものであることもあります。

   衝突の衝撃が伝わると頚部は最大可動域まで一気に振られますが、人体が衝撃を感知して筋を緊張させ始めるのはこれより遅れます。頚部が急に大きく動かされると、多くの場合に頭部を支える各種の筋や軟部組織に炎症や断裂が生じます。むち打ち損傷と呼ばれるものです。痛みや張りは頚部から肩甲部・肩部にまで広く及びます。頚部の動きに関連する筋や軟部組織は広範囲に及ぶからです。

   このときに損傷を受けた筋や軟部組織が神経を圧迫することがあり、それが胸郭出口部などの狭い部位で持続的に生じると神経損傷に至ります。これが事故による胸郭出口症候群(二次性TOS)の発生原因です。アメリカでは胸郭出口症候群の大半が事故による二次性TOSであると報告されています。

   胸郭出口症候群はさまざまな要因から生じる症状の寄せ集め(症候群)ですが、基本的には上肢の痛み、しびれ、脱力が主たる症状です。医学的には胸郭出口症候群は両側に症状が出る事案が多いとされ、私の経験でもほとんどの方が両側に症状を訴えていました。

 

 ⅱ 本件では、事故後に被害者が主張していた症状は、胸郭出口症候群の主たる症状そのものですので、胸郭出口症候群との鑑別診断が必要となります。胸郭出口症候群の診断のためには、徒手テストのほか、血管造影、神経造影などの検査が行なわれることが多いのですが、本件では筋電図検査のみしか行なわれていません。

胸郭出口症候群であるとすれば、治療内容も変わってきます。第一肋骨切除術などの手術(あまり治療成績は良くないようですが)も検討対象になります。

 

7 「問題のある医学的知見」について

 ⅰ ほぼ全ての傷病について、加害者側が被害者の症状や医師の診断を根底から否定する医学意見書を出すことは多く見られます。しかし、主治医の診断ミス(医療過誤)や被害者の詐病は少数に過ぎないと考えられます。

また、訴訟では対立する鑑定や医学意見が根本から異なる内容を述べていることは少なくありません。双方が誠実に意見を述べたのであれば、ほとんどの事案で似通った意見になるはずです。この場合、一方の医学意見は意図的に誤った内容を述べていると考えるのが自然であると思います。訴訟においては、「問題のある医学的知見」が多く見られます。

 

 ⅱ 「問題のある医学的知見」に対しては合理的な疑問を述べることができますが、その多くは絶対に誤りであると断定することは困難です。

医学は自然科学の一部であって基本的に経験主義により記述され、医学書には経験により確認できる事実が記載されています。経験により確認できた事実からは、経験により確認できないことが誤りであると断言することはできません。

「問題のある医学的知見」の大半は何らかの前提からの強引な推論であり、その推論には医学的に明確な根拠はありません。しかし、それが誤りであると断定することは困難です。いまだ確認されていない推論の当否を断言することはできないからです。

   「問題のある医学的知見」の特徴は、過度の断定にあります。それは全称命題(全てのPはQである)によることが通常です。しかし、医学では全称命題が述べられることはまずありません。経験により確認できないことの断言になるからです。

 

8 筋萎縮必須論

 ⅰ 高裁判決と地裁判決

   高裁判決は、被害者の主張する症状が生じていたのであれば、「右腕に筋萎縮が発生するはずであるのに、いずれの医療機関においても筋萎縮の診断がされた形跡は見当たらない。」(31頁)と述べます。

   地裁判決は「腕神経叢損傷により運動まひが出現した場合、筋肉が顕著に萎縮するため、腕の周径が減少するはずであるが、原告の前腕及び上腕は平成19年4月頃において、健側と患側で周径差が認められない。」(35頁)との加害者側の主張を引用します。

なお、地裁判決は以下に述べる「問題のある医学的知見」も全て引用してそれを退けています。この地裁判決は非常に優れていると思います。   

 

 ⅱ 過剰な断定(全称命題)

   筋萎縮必須論とは、「Aの場合は必ず筋萎縮が発生する」との全称命題です。本件ではAに腕神経叢損傷が代入されています。事案によりCRPS、頚髄損傷、頚部神経根障害などの病名(被害者が診断された病名)が代入されます。

筋萎縮必須論は「問題のある医学的知見」の定番中の定番で、医学意見でこれが述べられると、多くの裁判官が入れ食い状態で信じています。ことに権威のある方の名義の医学意見書や鑑定書で筋萎縮必須論が述べられると、より信じやすくなるようです。

   しかし、腕神経叢損傷に筋萎縮は必須ではありません。一部に筋萎縮が生じる場合があるに過ぎません。それ以前にこの種の過剰な断定は疑って検討した方が良いと思います。

 

 ⅲ 筋電図検査のしくみ

   筋電図検査のしくみからは、筋萎縮必須論が疑わしいことは容易に言えます。ある神経が傷害されて筋組織への支配を失うと、近傍の神経が手分けしてこれを補います(側芽形成)。この結果、近傍の神経は支配下に置く筋組織が増えるので、運動単位電位のサイズが大きくなり、これが振幅に反映されます(サイズの原理)。このため筋電図検査では運動単位電位が測定の対象となります。

   運動単位電位の振幅が通常より20%以上大きい場合には、異常値として神経損傷が疑われます。私の担当した事件では50%以上増加していた方も何名か居られました。しかし、三角筋の一部に筋萎縮が確認された方がいたのみで、上肢全体に筋萎縮を生じていた方はいませんでした。

相当程度に神経が障害されても、近傍の神経がそれを補っている場合には筋に対する神経の支配は続くので筋萎縮は生じません。もちろん神経損傷の状況(怪我の仕方)によっては筋萎縮が生じることもあります。

 

 ⅳ 主治医の疑問

   本件では、主治医の1人が、被害者に筋萎縮がないことは腕神経叢損傷の所見と整合しないとの意見を書面(診療情報提供書)に記載した(29頁)と指摘して、高裁判決はこれを重視します。但し、この医師も「右腕神経叢損傷」と診断しているので、医師の言い回しは高裁判決の解釈とは微妙な差があるかもしれません。

この種の記載は他の裁判例でもしばしば見られます。診療情報提供書には自分ではうまく行かなかった患者への恨み節が記載される傾向があり、患者を責める内容が記載されることが少なくないようです。

患者の詐病を疑っていない場合でも、何らかの別原因を疑うなどして、「この部分は少し疑問だ」との意見を付することもしばしば見られます。

また、被害者の症状について損保の担当者から問い質されたことが書かれることもあるようです。被害者の通院が長期化するなどして損保の担当者が医師に事情を聞きに行くことはよくあります。そのときに損保の担当者から「これだけの症状を訴えているならば、筋萎縮が出ているはずだ。腕の周囲の測定はしたのか。早々に症状固定としないのはなぜか。」との言い方をされると、主治医はそれに対応した行動を取ることとなりやすいと言えます。

 

 ⅴ 筋萎縮必須論の二重構造

腕神経叢損傷の患者さんの一部に筋萎縮が生じるとしても、全ての患者に生じる必要はありません。この種の全称命題はそれ自体が怪しいといえます。ところが、裁判例の中にはこのことを理解したうえで、なおも筋萎縮必須論を信じてしまったものも少なくありません。それは筋萎縮必須論が次のような多重性のあるロジックで述べられることに因ります。

即ち、「仮に腕神経叢損傷の全てに筋萎縮が必須ではないとしても、この患者の訴える症状は相当程度に重く、そうであればこの患者に関しては必ず筋萎縮が見られなければならない。」との二重構造です。

要するに「一般的には必須ではないが、この場合には必須である。」との二重基準の導入で、どうにも都合がよすぎると思います。しかし、この理屈が怪しいとは言えても即座に否定することはできません。

地裁判決は筋萎縮必須論を「腕神経叢損傷により運動まひが出現した場合、筋肉が顕著に萎縮するため、腕の周径が減少するはずである。」と引用し、高裁判決は被害者の症状を引用した筋萎縮必須論を述べます(31頁)。

筋萎縮必須論は、「Aの場合は必ず筋萎縮が発生する」との全称命題が用いられますが、実はAに代入されるのは、「~であるほどの疾患R」という形でできるだけその被害者の症状に近い状況をAに代入します。そこが巧妙なところです。

例えば、CRPSにおいては、「常時右上肢に強い痛みが生じていて、大幅な可動域制限が生じているほど状況がCRPSにより続いていたならば、必ず顕著な筋萎縮が生じているはずだ」という形で、被害者の症状そのものを詳細に引用してAに代入します。

このように言われると、その気がしてきます。権威のある医師の名義の意見書や鑑定書でこの言い方をされると、信じない方がおかしいともいえそうです。

本件類似の事案で、「被害者の主張するように右腕神経叢損傷が生じていて、右上肢に痛み、しびれ、脱力が生じ、右手の握力が大幅に低下し、右上肢の動きにまひが見られる状況が本件事故時から長期間続いていたのであれば、顕著な筋萎縮が必ず見られるはずである。被害者に筋萎縮が生じていないことは医学的には説明困難な出来事であって、私の長年の経験でもこのような患者に遭遇したことはない。」などと権威のある医師の名義の意見書に記載されていたとしたら、ほとんどの裁判官が信じてしまうと思います。むしろ、本件の地裁判決はよく筋萎縮必須論に対して持ちこたえられたなあと思います。

 

 ⅵ 隠された二重構造

二重構造の筋萎縮必須論はもはや法則的な言明ではなく、「この患者はこうあるべきだ」という個人的感想に過ぎません。単なる個人的感想を強く断言してしまうと、その意見の信用性は低くなります。

そこで筋萎縮必須論では傷病名を強調しつつ、一方ではその傷病名とセットのものとして症状を強調するという形で二重構造が分かりにくくなるようにあいまいに述べられます。

即ち、あたかも疾患Rにおいては症状E~G(被害者の訴える症状)が必ず随伴するかのように述べて、「疾患Rにより症状E,症状F、症状Gを発症しているのであれば、必ず筋萎縮が生じるはずである」との言い回しをします。

このため、高裁判決は、筋萎縮必須論の二重構造が読み取れる言い回しをしている部分(31頁左列上)がある一方で、「上腕及び前腕に周径差がないという所見にも関わらず右腕神経叢損傷と診断できるような内容を見出し難い」(31頁左列下)として、腕神経叢損傷であれば常に筋萎縮が生じるかのような言い方もしています。高裁判決は筋萎縮必須論の二重構造に気がついていないようです。

 

 ⅵ 神経損傷の程度と症状の程度の相関性について

本件の筋萎縮必須論は、「神経損傷が重度になればなるほど患者の症状は重くなる」という理屈を前提としますが、その理屈は成り立ちません。神経損傷の度合いと症状の度合いに強い相関はありません。実際にも、例えばCRPSはきっかけとなる出来事(傷害)と不釣合いな症状が生じる点に特徴があるとされています。

また、神経障害性疼痛を発生させるエファプスや異所性発火は脱髄変性により生じます。脱髄変性(神経のチューブをとりまく殻の部分の損傷)は軸索変性(神経のチューブの損傷)よりも神経損傷の度合いは低いものです。従って、症状が強いほど神経損傷の度合いが大きいという理屈は成り立ちません。

なお、異所性発火とは神経のチューブをとりまく殻の部分が損傷を受け(脱髄変性)、むき出しになった神経が興奮しやすくなって生じる現象で、エファプスとはむき出しになった神経から漏れ出た電流が近傍の神経を興奮させることにより生じる現象です。

 

9 握力不変論

 ⅰ 高裁判決は、通院先で計測された被害者の握力の数値を多く引用し(27頁、29頁など)、「上下変動の経過が不自然である上、平成18年7月20日には、痛めていたはずの右が18kgに対して左が10kgとなっているなど、握力検査の結果の信用性には大いに疑問が感じられる。」(31頁)と述べます。これは被害者の詐病ないし症状の誇張を認定したものと言えます。

   これに対して、地裁判決は同趣旨の加害者側の主張を引用する(35頁)ものの、医師がその結果を踏まえて腕神経叢損傷と診断している(41頁)として退けます。正しい判断です。引用された数値の変動は担当医が当然に目にしていますが、その医師が何ら疑問を感じていないことをことさらに疑いの目で取り上げる方がおかしいと言えます。

 

 ⅱ 握力不変論と言うべきこの主張は、「問題のある医学的知見」としてよく見られるものです。

実際にはほぼ全ての患者で握力の大幅な変動が見られるようであり、変動があることをもって詐病や症状の誇張を疑う医師はいないようです。一方で、加害者側は「本当に傷病が存在したならば、その変動はあり得ない」との主張をしてくることが通常です。

 

10 筋電図検査否定論

 ⅰ 被害者の受けた筋電図検査について、高裁判決は、遠位筋ほど多相性の神経原性電位を認めるとして、右腕神経叢損傷(全型節後損傷)と診断された(31頁)と述べますが、それ以上の詳細は不明です。

   上記の「神経原性電位」は「運動単位電位」(筋電図検査での測定対象の一般的な名称)を意味すると考えられます。従って、運動単位電位の多相性の増加から、全型の(C6からTh1までの全ての神経に及ぶ)損傷が節後で(中枢側でなく末梢側で)生じているとの趣旨と理解できます。これは障害を裏付ける顕著な結果です。

 

 ⅱ 高裁判決は、「筋電図検査は検者によって解釈が分かれることがあるとされ、上記検査結果については、神経原性電位が明らかなのは橈側手根屈筋のみで、腕神経叢損傷と診断するには十分ではないというA医師及びB医師の意見も出されており」(31頁)として検査結果を否定します。

   しかし、「筋電図検査は検者によって解釈が分かれることがある」との一般論で顕著な検査結果を否定することは穏当ではありません。

   例えば、「レントゲン検査では検者によって骨折の有無の判断が分かれることがある」との一般論で顕著な検査結果(例えば粉砕骨折)を否定することはできないと思います。

なお、上記のとおり「神経原性電位」は「運動単位電位」を意味すると思われるのですが、そうだとすると医学意見の述べる「神経原性電位が明らかではない」との状況は意味不明です(多相性が明らかでないと言うならば別ですが)。高裁判決はこの言葉を「神経の損傷に関連する電位が明らかでない」との意味に誤解しているように見えます。つまり、神経そのものから電位が発生するとの誤解しているように見えます。もしかすると医学意見書も同様の誤解から述べているのでしょうか。

 

ⅲ 「問題のある医学的知見」においては、電気生理学検査(筋電図検査、神経伝導速度検査)の価値そのものを否定する主張や読み取り方を誤っているとの主張をすることは多く見られます。末梢神経の損傷はレントゲンやMRIで識別することは困難であるため、それを検知できる電気生理学検査は加害者側からの攻撃の対象とされます。

  筋電図検査は医学的に確立した検査手法ですので、その基本部分で「検者によって解釈が分かれることがある」とすることは、穏当ではないと思います。検査対象である運動単位電位は人の意思で左右できないので、被検者がこれをごまかすことは不可能です。

  また、普段からこの検査結果を治療や診断に用いている医師が、その読み取り方を根本的な部分で誤っているという主張は、非常に特異です。全型の腕神経損傷との現場の診断を、ごく一部の神経損傷とすることは、現場の医師が意図的でなければありえないほどの根本的な読み取りミスをしたことを意味します。このような穏当ではない主張を認めるためには、「その主張をしている医学意見書が複数出ている」と述べるのみでは足りないと思います。

 

11 最初が最大論

 ⅰ 地裁判決は「腕神経叢を損傷すると、末梢神経内の神経の伝導機能が低下し、受傷と同時ないしは受傷後48時間内には症状が出現する」(35頁)との加害者側の医学意見を引用します。

   受傷直後に最大の症状が出てその後は症状が改善するのみであり、事故後に悪化することはあり得ないとの主張(最初が最大論)は、「問題のある医学的知見」の定番中の定番で、ほぼ全ての傷病で登場します。

   しかし、この主張は一般人の常識に反します。事故後に一定期間(2週間から1か月)をおいてから症状が出たり、1か月以上経過してから症状が悪化して新たな症状がさらに出現したり、その後も悪化し続けたなどの事案は少なくありません。症状の一進一退もよく見られます。これまで検討した裁判例はほぼ全てがそのいずれかに該当します。従って、「最初が最大論」そのものが成り立たないと言えます。

 

 ⅱ そこで、「最初が最大論」はこれを緩和する条件とセットで主張されることが多く見られます(むしろ、こちらが通常かも知れません)。例えば、事故から2週間後までに全ての症状が出るとか、1か月後や2か月後や半年後までに全て出るなどの主張とセットになります。要するに被害者の症状の悪化が始まる前に最大の症状が出るはずであると主張します。

   本件では被害者は事故当日から重い症状が出ていてそのまま入院しています。一方で被害者は事故直後には加害者と会話をして携帯電話で事故の連絡をしたという事情があったようです。

   そこで本件での「最初が最大論」は事故直後に全ての症状が完全に生じることを強調して、事故直後の会話や携帯電話の使用はおかしいと述べ、セット期間として遅くとも48時間以内に全ての症状が出るとの主張になったようです。

 

 ⅲ なお、本件では事故により神経を損傷したとの前提ですので、セットの期間が短くなることに合理性が生まれる余地もありそうです。しかし、事故により神経損傷を生じる事案であっても、多くの場合、神経損傷は事故直後に生じるわけではありません。

また、神経損傷は直ちに最大の症状を生じさせるわけではありません。実際にも、これまで検討した裁判例では受傷直後に最大の症状を発症したものはありません。

このことは神経損傷に至るしくみからも裏付けられます。即ち、むち打ち損傷などで頚部から肩部の筋や軟部組織に炎症や断裂が生じて、それが神経を圧迫している場合、当初は張りや重みなどの症状として出現し、その神経圧迫が続いた結果神経に損傷が生じた結果、痛みやしびれとなります。このため2週間後や1か月後に症状が出始めたり、症状が重くなったりします。これが末梢神経の絞扼障害で多く見られる経過です。

   さらに、圧迫の持続により神経の損傷が拡大することもあり、加えて神経の損傷に起因する神経障害性疼痛の発症は痛みの増幅という面もあるため、すぐに全ての症状が出るわけでもありません。神経損傷からCRPSに移行する場合には症状の悪化は2、3年後にも続くことがあります。

   また、疼痛緩和の治療を止めてしまうと症状が悪化する場合もあり、このために労災ではCRPSについて3年間のアフターケア制度があり、更新可能とされています。

   このように、「神経損傷の場合には事故直後に全ての症状が生じる」との主張は、色々な面で事実に反しています。

 

12 反射テスト絶対論

 ⅰ 地裁判決は、上記の最初が最大論に続けて「原告は、本件事故翌日の深部反射テストにおいて、いずれも亢進ないし正常という、腕神経叢損傷患者としてはあり得ない結果が出ている」(35頁)との加害者側の主張を引用します。即ち、腕神経叢損傷が生じていたのであれば、事故翌日の深部反射テストは絶対に減弱になるはずであると主張しているようです。

 

 ⅱ しかし、徒手テストや反射テストに絶対的な価値を求める主張は、とんでもなく異常なものです。ことに反射テストは徒手テストに比べても感度が非常に低いテストです。

例えば、頚椎神経根障害での各筋の反射が減弱となるのは8%から21%に過ぎません(『マクギーの身体診断学・原著第2版』528頁)。即ち、その疾患に罹患している人の10%ほどしか病的反射を示しません。反射テストは検査としての価値が非常に低いことに特徴があります。この反射テストの結果をもって、「絶対にあり得ない」などの断言をすることは明らかな誤りであり、滑稽であるとさえ言えます。

   しかし、「問題のある医学的知見」においては、反射テストの結果に言及して「あり得ない結果である」と述べることは定番中の定番で、頚髄の不全損傷の事案ではほぼ全ての事案でこの主張が見られます。疾患を有していても病的反射を示さない患者がほとんどであるため、毎回のようにこの主張がなされています。

しかし、この主張を取り入れてしまった裁判例は多く見かけます。反射の生じる原理から詳細に説き起こして「私の経験ではこのようなことは絶対にあり得ない。」などの強い意見が述べられると、裁判所は入れ食い状態で信じているというのが現状です。

 

 ⅲ それ以前の問題として、そもそも本件で反射テストが行なわれたのは、中心性脊髄損傷が疑われたからであり、腕神経叢損傷の検査として行なわれたのではありません。反射テストは脊髄(頚髄)の損傷や神経根障害などが疑われる場合に行なわれます。

   従って、仮に反射テスト絶対論を述べるにしても、「反射テストの結果から中心性脊髄損傷は絶対にあり得ない。」との理屈が述べられるべきところです。ところが、本件では反射に言及して腕神経損傷は絶対にあり得ないと述べています。これでは反射テスト絶対論にすらなっていません。

 

13 「問題のある医学的知見」のセットについて

 ⅰ 訴訟では「問題のある医学的知見」は単独で用いられることは少なく、ほとんどの場合、複数の主張がセットで登場します。「問題のある医学的知見」がセットで用いられると、主張に厚みが出てきて信じられやすくなるという面があります。

   また、「問題のある医学的知見」のセットの中の個々の主張は、ほぼ全てが別の訴訟で裁判官がそれを信用したという実績のあるものであるため、判例集で探せば同じ主張を認めたものを見つけることができます。この場合には、その主張は信じられやすくなります(但し、ほぼ全ての主張はそれを認めなかった裁判例も探すことができます)。

   さらに、「問題のある医学的知見」のセットは医師名義の医学意見書や裁判所選任の鑑定人の鑑定書で述べられるため、一部に怪しい内容があると思われても、劇場効果により全体として信用されやすい基盤があります。

 

 ⅱ 一方で、「問題のある医学的知見」がセットで出てくると、いずれか1つが誤りであるとの反論はしやすくなります。

医学意見書については、たとえ一部であれ、明らかに誤った主張や過度の断定を含むものは、その全体を疑うべきであると思います。例えば、「我妻栄は刑法学者である」などの誤りを含む法律意見書は、法曹からはその全体が疑いの目で見られるでしょう。ところが、不案内な専門分野の意見書では、その一部であっても自信を持って「明らかな誤り」と断定することは困難です。

この場合でも「過度の断定をしている」との判断は可能です。医学では経験により確認できたことしか断定できないので、全称命題として強く肯定することや強く否定することは、経験により確認できないことを断言することになりやすく、それ自体が疑わしい主張と言えます。従って、一部であっても「過度の断定をしている」と判断できる医学意見書はその全体を疑うべきです。

   これに対して、損害の立証責任は被害者にあるとの感覚で、被害者側において「問題のある医学的知見」のセットの全てを論破するべきであると考えることは誤りです。主張と主張(論理と論理)が対立した場合には、「全体としてどちらが正しいのか」との視点で判断するべきであって、主張(論理)の当否にまで証明責任を持ち込むことは適切ではありません。

 

 

2013年12月15日 (日)

症状固定後とされた両上下肢CRPS(25.1.28)

1 東京高裁平成25年4月11日判決(自保ジャーナル190169頁)

 (1審:前橋地裁大田支部平成24年10月26日判決)

  この事案の特徴は、①両上下肢のCRPSであること、②最終的な症状の程度を判断せずに因果関係を否定したこと、③ブラッドパッチによる悪化の可能性を述べたこと、④病期説を診断基準と誤解していること、⑤診断を検討するための論理を用いていないこと、⑥鑑定意見に疑問があること、⑦投薬の検討に疑問のあることなどです。

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2 症状の経過

 被害者は症状固定時(平成17年5月)52歳の有職主婦です。平成16年11月27日に、横断歩道を歩行中に左折乗用車に衝突される事故に遭います。以下では、「判決」は地裁判決を指します。高裁判決は「高裁判決」と書きます。

 

 事故当日…E病院。救急搬送され右前腕疼痛・圧痛、下部背部痛を訴える。

      以後、左前腕打撲、腰部打撲、頚部捻挫、背部挫傷の診断を受け、半年間、一貫して四肢の痛みとしびれを訴える。

治療経過は判決の別紙一覧表に掲載とありますが、自保ジには載っていないので詳細は不明です。判決には、「21機関の治療費」(83頁)との記載があり、多くの病院に入通院しています。

 

2週間後…B病院。5か月後にRSDの可能性を検討される。

半年後……C病院。外傷性低髄液圧症候群と診断され、ブラッドパッチを受ける。

時期不明…D病院。詳細は不明。

2年半後…F大病院。RSDと診断される。サーモグラフィーで体温の低下みられる。甲医師は、CRPSによる慢性難治性疼痛として、日常生活動作は困難であり、就労も困難とする。

     乙医師は、CRPSタイプ1とし、痛覚過敏、皮膚血流の異常、全身痛、下肢のしびれ、振動による知覚過敏、下肢を中心とした皮膚の貧血所見があるとし、自立歩行はできず、座位保持でさえ、疼痛や、しびれを悪化させるとして、後遺障害等級3級3号の「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、終身労務に服することができないもの」に該当するとした。

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3 CRPSの発症部位について

 ⅰ 本件は被害者が両上下肢にCRPSを発症した事案ですが、その詳しい部位(中枢部と末梢部のいずれが痛みの中心かなど)は不明です。

事故直後に右前腕に痛みを訴え、その後に左前腕の打撲と診断され、下肢は神経伝導速度検査で脛骨神経(損傷を受けると足首以下に症状が出る)に異常が見られた(80頁)ことからは、末梢部が痛みの中心であるようにも見えます。判決ではそれ以上の詳細は不明です。

 

 ⅱ 両上下肢の末梢部に痛みを生じてその後にCRPSと診断された事例は「事故2週間後に両手両足に症状発症」の項目で紹介した大阪地裁平成22年11月25日判決があります。

http://s-hat.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-1c85.html

この事案は事故で自転車から転落して後頭部を打ったものの、両手両足には怪我をしていなかったのが、事故2週間後ころから両手両足の痛みが増してきて、両足について後にCRPSと診断されています。本件で痛みの部位が末梢部であるとするとこの事案と似た症状と言えます。

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4 事実の経過と争点について

 ⅰ 被害者は事故直後から両上下肢の痛みを訴え、半年後から通院したC病院で外傷性低髄液圧症候群と診断されてブラッドパッチを受け、それでも症状が治まらずにF大学病院に通院しCRPSとの診断を受け、2年4か月後頃(平成19年3月頃)に症状固定となったようです。合計21もの医療機関に入通院したことからは、非常に重い症状が出ていて治療に難儀したと想像できます。

   通院先の大学病院の2名の医師が意見書を出し、被害者はCRPSであり3級3号という非常に重い後遺症が残ったとしています。普通に考えれば、この主治医の意見のとおりの症状が存在します。

 ⅱ これに対して、加害者側は、事故の半年後(平成17年5月)には被害者の症状は固定していて、仮にその後の被害者の症状がCRPS的な症状であるとしても、症状固定の後に受けたブラッドパッチにより発症したものであると主張し、その旨の意見書を出しています。 

   但し、通院していたときは平成19年3月頃に症状固定となり、そこまでの治療費等も支払われていたと考えられるので、加害者側が事故後半年で症状固定となったと言い出したのは訴訟になってからのようです。

   その後に鑑定が行われ、鑑定人は加害者側の主張を支持する意見を述べています。この鑑定意見に疑問のあることは後記のとおりです。

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 ⅲ 以下はあくまでもこの事件のことではなく、一般論として述べるものです。これまで検討した事件にも裁判所の選任した鑑定人が非常に大きな疑問のある意見を述べていたものが多くありました。

ことに複数の鑑定が行なわれた場合には、鑑定人ごとに見解が天と地ほどの違いが出てくることがほとんどであり、このことから非常に問題のある鑑定をしている方が多数いることは明らかです。

   ところが、被害者側は裁判所から鑑定人のリストを見せられても、どの鑑定人がまともな意見を述べてくれるのか全く分かりません。これに対して、加害者側(損保側)は被害者側とは桁違いに大きな情報を蓄積しています。従って、被害者側からすると鑑定人選びはあたかも「カードが透けて見える相手とのババ抜き」のような状況になります。これまで検討した裁判例でも鑑定意見は被害者側に極端に不利になるもの(主治医の診断を全否定するもの)が7~8割ほどとなっています。

   CRSPの事案では、加害者側は後遺障害を否定してそれを支持する医学意見書を出すことが恒例ですが、主治医が毎回誤診という根本レベルの医療過誤をしているとは思えません。しかし、鑑定人と比べても遜色のない立派な経歴の方がその意見書を書いていることが多いようです。

   しかし、この実情を理解している裁判官はほとんどいないようです。むしろ、「裁判所はほぼ無条件で鑑定人の意見に従うべきだ。」との考えの方が多いようです。即ち、双方が意見を出し合って鑑定人を選んだのだから、鑑定人はあたかも当事者が選んだ仲裁人のような立場にあるので、その鑑定人の意見に従うのは当然であるとの考えです。

疑問のある意見を述べた鑑定人が有名大学の医学部の教授やCRPSを専門にしている方であることも少なくないようで、この鑑定手続と医師の権威という舞台装置のなかで劇場効果が生じたように見える裁判例は少なくありません。以上はあくまでも一般論です。

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 結果を認定せずに因果関係を判断する誤り

 ⅰ 被害者は21の医療機関に入通院して3級3号という非常に重い後遺障害等級を主張し、通院先の大学病院の2名の医師がこれを支持する意見を述べています。本件では、加害者側がその後遺障害をそのまま全否定することは難しい状況にあります。

そこで、加害者側は、被害者の症状の否定のみではなく、被害者は実際の症状固定よりも2年近く前(事故半年後)に症状固定となっているので、最終的な症状を判断せずに因果関係を切るべきだと主張をしています。

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 ⅱ これは加害者側に非常に都合の良い理屈ですが、判決はこの理屈を取り入れています。判決は被害者の最終的な後遺障害を認定していません。

判決は、「被害者は平成17年5月(事故半年後)に症状固定となったので、仮にそれ以後にRSD(CRPS)により悪化したとしても因果関係はない。よって、最終的な症状には関知しない。」との理屈になっています。

   判決は、「事故によって『RSD的な』症状が生じたとするためには、事故半年後までにRSDと確定診断できる状況にある必要がある。」との理屈で検討しています。

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 ⅲ 加害者側が最終的な症状を否定する主張を強く主張した結果、判決もそれを認定せずに因果関係だけを検討することはしばしば見られます。この場合は常に因果関係を否定する結論になります。

事実認定では確実なものだけを認定するべきだという方向性の強い方はこの誤りに陥りやすいようです。この方法では、「最終的な症状は確実ではないから認定しない」、「因果関係も確実ではないから認めない」という形で事実認定が空洞化していきます。これでは「何が起きたのか」は分かりません。

事実認定は「何が起きたのか」の視点で「動かし難い証拠」から認定できるものを積み上げていくべきです。これに対して、「証明責任を満たしているか」の視点で「満たさない」を積み上げていくやり方をしている判決もしばしば見かけますが、この方法は良くないと思います。

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 ⅳ 因果判断の対象である結果を不確定にしたまま因果関係を判断できるとする理屈には無理があます。「どのような症状であるのかははっきりしないが、とにかくそれと因果関係はない」という理屈はおかしいと思います。

本件では、結果を認定すれば事故からの一貫した症状であると即断できるのにも関わらず、結果をあいまいにして因果関係だけを判断しようとすることは誤りというほかありません。

   因果関係の判断は、結果を認定したのちに「この結果を生み出した原因としてはそれ以外には考えられない」との判断によっても行なわれる(ルンバール事件最高裁判決など)ので、このルートを削除することは誤りとなります。この点は何回か述べてきました。

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6 「~と診断できないので症状が存在しない」の誤り

 ⅰ 判決は、CRPSの診断基準について述べ、「まず、C病院を受診する平成17年5月まで原告の症状を、上記RSD及びCRPSの診断基準に当てはめて検討する。」(80頁)と述べて、その結果、この時点ではCRPSとは認められないとします。その上でこの時点で症状が固定していたので、因果関係が切れるとします。 

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 ⅱ 判決は、①被害者が事故によりCRPSを発症していたならば、事故半年後までにCRPSと診断できる症状が絶対に存在したはずである、との前提に立っています。

その上で、②事故半年後にCRPSと判断(診断)できるかを検討し、③CRPSと判断できなければ、その時点では「CRPSによる症状」ではない、④この場合には、その後にCRPSの症状が出たとしても連続しない。⑤よって、最終的な症状がCRPSであるかどうかを判断せずに、因果関係を否定できる。という理屈を述べています。

   出発点の①からしてそのような前提が成り立たないことは明白であると思います。②以下も奇妙な理屈です。診断は症状や検査結果を元にして下されます。従って、「CRPSと診断できないのでその症状は存在しない」という理屈は成り立ちません。症状の存在は常に大前提であって、診断の有無に左右されません。この点は前回も述べました。

 

 ⅲ 最終的な症状は両上下肢の強い痛みですので、事故直後から訴えてきた両上下肢の痛みとは連続することは明白です。症状のレベルで考えればこれは自明です。しかし、判決は「CRPSと診断できるほどの症状」という特殊なしばりでこの連続性を否定する理屈を述べています。

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7 1つの疾患のみを検討する誤り

 ⅰ 診断とは現に存在する症状に対して複数の候補から正しい傷病名を選び出す作業であって、最初から候補を1つに絞って「ある特定の傷病の診断基準に当てはめた結果、その傷病ではなかった」との検討をすることは、誤りです。その疾患の典型的な症状が出ていなくとも、他の疾患である可能性が除外できれば、その疾患と診断できます。1つの疾患のみを候補として検討することは誤りとなります。

 ⅱ 判決は同じ疾患(CRPS)の診断基準をいくつも並べて検討することで判断の精度が向上するとの錯覚に陥っています。具体的な代替案との比較の視点がないため無意味な検討となっています。この点はこれまでに何回も述べました。

  この判決は、Lankfordの病期説を診断基準と勘違いしています。病期説は疾患のイメージをつかむプロトタイプとしては意味があるという類のもので診断基準ではありません。しかし、病期説に従う症状経過の人は皆無に近い(そもそもCRPSには必須の症状が存在しない)ので今日では全く意味がないとも評されています。

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8 症状の悪化を考慮しない誤り

ⅰ CRPSの症状の進行速度は人によって大きな違いがあります。これまで検討したCRPSの裁判例では、事故後半年ほどで急激に症状が悪化して症状固定になった事案もあれば、徐々に症状が悪化して3年以上経過してから症状固定となった事案もあります。

症状の進行がゆるやかな場合には、当初はCRPSによる症状がはっきりとは出ていないことが多いようです。CRPSの診断基準や判定指標はある程度症状が進行して重症化しないとCRPSと診断されにくいという問題があります。

重症化しないと診断できないという問題は他の多くの疾患でも生じる問題です。この問題に対して、例えば関節リウマチ(RA)では早期治療という視点から、2010年に診断基準が改定され、新たな分類基準が作成されました。CRPSには早期治療のための診断基準は存在しません。

もちろん、CRPSでも早期に治療を開始することは重要です。CRPSを疑った場合には早期から積極的に色々な治療を試してみるべきであるとされています。

   判決は、発症後の早い時期の症状を見分けるという視点で検討しているわけではありません。むしろ、発症直後にCRPSの症状が明確に出ているはずだという前提に立っています。これは致命的な誤りです。

 

 ⅱ 本件では、その後に被害者がCRPSと診断されたという結論が出ています。従って、当初の症状がその後に悪化して、CRPSとしての症状が明確になっていったと考えることが最も自然で合理的です。

   ところが、判決は初期症状の検討において、症状の悪化という視点さえも取り入れていません。逆に、判決は事故の半年後に症状が固定していて、その後の症状の悪化とは無関係であるとしています。

 

 ⅲ CRPSの裁判例では症状固定後に悪化したと被害者が主張している事案がしばしば見られます。CRPSには症状の悪化が止まったと判断できる指標はありません。ある一時期の症状が安定していたとしても、その時点での症状固定の判断が正しかったのかどうかは結果から判断するほかありません。

   CRPSでは疼痛緩和の治療などを止めてしまえば症状の悪化が進行するために、労災においてはアフターケア制度により症状固定後も3年間(その後も継続可能)は治療が続けられるようになっています。CRPSにおいては治療の継続により症状が安定した時期があっても、そこで症状が固定したとは言えません。

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 ⅳ 裁判例では事故後半年以内にCRPSと診断されるのは2割程度で、当初から大学病院などに入通院していた場合などに限定されます。

ほとんどの場合に初期の通院先ではCRPSと診断されません。この場合にはその病院の診断書やカルテにはCRPSを疑うべき症状はほとんど記載されません。このため、CRPSを知っている病院に転院した直後にCRPSを疑う症状がいきなり複数出てくるという事情は多くの裁判例で見られます。

   判決のようにCRPSと診断しなかった初期の通院先のカルテ等で確認できる症状だけを取り出して、「この時点ではCRPSではなかった。」と断言できるはずもありません。しかも、その検討によって半年で早々に症状固定に至っていたとすることは誤りというほかありません。

 v なお、判決は平成17年5月以降に受けたブラッドパッチによりCRPSを発症した可能性がある(判決は結果を認定していないので、仮にRSDを発症したとしたらそれはブラッドパッチの影響だろうという理屈で述べています)。しかし、ブラッドパッチでCRPSを発症したとする理屈は奇異であり、事故直後からの症状の連続性を否定できる理屈でもありません。

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9 鑑定意見について

 ⅰ 本件では被害者の症状などへの医師の意見として、①被害者の主張する内容を述べる通院先の大学病院の2名の医師の意見書、②加害者側から出された意見書、③鑑定人の鑑定書が出されています。

   被害者の後遺障害について、①は3級3号と非常に重いものとし、②と③は平成17年5月時点で症状固定となり14級9号(一番低い等級)であるとします。主治医の意見と鑑定意見では天と地ほどの隔たりがあります。

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ⅱ 判決は鑑定意見に沿った内容となっていますが、判決の引用(80頁)する鑑定意見は疑問があります。

   まず、被害者の各種の筋反射の異常所見は頚髄症で説明できるとする部分は、被害者が頚髄症の診断を受けていないので前提に難があります。この反射を根拠に頚髄症とする趣旨であれば誤りです。事故による頚椎損傷の病態が頚髄症に類似するもので、それを基盤にCRPSを発症したという考えであれば、なるほどと思う面もあります。しかし、鑑定は既往症としての頚髄症の症状が事故と無関係に出ているとの趣旨のようで、これでは事故後の症状経過の説明はできません。

また、神経伝導速度検査で検知された脛骨神経の障害を変形性腰椎症で説明するのも疑問です。普通は逆です。現に末梢神経に損傷が確認されたのですから、腰椎由来ではなく末梢神経の損傷による症状と考えます。

下肢の体温低下については腰椎症に伴う自律神経症状としますが、痛みを訴えている部位に体温の低下があれば、普通は痛みとの関係を認めます。痛みの場所とは異なる腰椎にその原因を求めて、さらに中枢の自律神経を通して、さらに例外的に局所にのみ出現した部分的な自律神経障害の症状とするのは、合理的な思考ではありません。

   事故から平成17年5月までの腰部・背部痛、手足のしびれについて、事故前からの変形性頚椎症による症状が一時的に強まった状態で心理的ストレスが加わり回復を遅らせたものというのも、まれな症例の連続による無理のある説明です。主治医の診断のとおりにCRPSによる症状と考えればすっきりと説明できます。

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 ⅲ 鑑定書は被害者の最終的な症状について、RSD又は骨髄障害に罹患している可能性は否定できないとします。しかし、何をもって「骨髄障害」の症状としたのか意味不明です。

   鑑定書は、被害者の症状の悪化はブラッドパッチの影響であるとして、「少なくとも下肢の症状については、ブラッドパッチがRSD的な血管運動異常を含めた自律神経症状の契機となった可能性がある。」としています。しかし、ブラッドパッチで「RSD的な」というあいまいな症状を説明する理屈には無理があります。この部分で述べるメカニズムそれ自体が一般的ではなく奇異です。

   鑑定は被害者がCRPS(RSD)であることを否定的ですが、この部分では「RSD的な」という形でこれを認めるという矛盾が存在します。要するに、「CRPSを認めるとすればブラッドパッチにより発症したという形で認める。」と述べています。

   結局、鑑定書は被害者の最終的な症状の内容や、それがRSDであるかどうかはあいまいにしつつ、とにかく事故との因果関係はない、心因的なものであると主張しているようです。判決はこれを取り入れています。

ⅳ 判決が引用した鑑定意見の抜粋はすべてが疑問のある内容です。判決が引用した部分だけをみると、あくまで個人的な感想ですが「これはちょっとふざけすぎ。悪乗りしすぎ。」という感じもします。

  これまで検討した裁判例においても、このレベルのものは多く見られました。このレベルのものでも、裁判所の選任した鑑定人という舞台設定で述べられると劇場効果で信じてしまう人が少なくないようです。裁判所は舐められています。判決は鑑定書のこの部分を「詳細で信用性のある意見」として引用したように見えます。

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10 抗不安薬の投与について

 ⅰ 高裁判決は事情を少し付け加えてこの地裁判決を支持しています。高裁判決も「平成17年5月の時点でCRPSを発症したと認められなければ(確実に発症したとする強い証拠がなければ)、その後にCRPSを発症したのかどうかに関わらず、そこで因果関係が切れる」との理屈を用いています。

   ところが、平成17年4月23日のB病院のカルテに「RSDか。神経科へコンサルタント」との記載があり、これはこの時点でRSDを疑う症状が存在した証拠となります。

   しかし、高裁判決は地裁判決同様にこの半年後の時点で確定的にCRPSであったと認められなければ、その後の症状悪化とのつながりは切れるという前提で検討しています。その上で判決は、「この時点において控訴人がRSDを発症していたと認めることはできない」(72頁)としています。私は前提が論外であると思います。

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 ⅱ 判決はその理由として、抗不安薬のセルシンを処方されたことに着目し、RSDの可能性を検討したけれども、むしろ心因反応の可能性を重視してセルシンを投与したとします。つまり、高裁判決はセルシンという精神疾患への適応とされる薬を処方されたのは、痛みの種類が心因性疼痛であるからだという理解に至ったようです。これも医学意見書か鑑定書に基づくものでしょうか。

   しかし、これではRSDを疑ったと記載しつつ、RSDではない心因性疼痛として治療したことになり矛盾します。

そもそも神経障害性疼痛に対して精神疾患への適応とされている薬を処方することはごく普通のことで、むしろ国際疼痛学会などで第1選択薬とされているのは抗うつ薬や抗てんかん薬などです(『ペインクリニック』30巻別冊春号216頁)。

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 ⅲ 例えば、抗うつ薬では三環系、四環系、SSRI、SNRIなどほとんどの薬が神経障害性疼痛の治療に鎮痛薬として用いられています(『神経障害性疼痛診療ガイドブック』57頁)。

抗うつ薬だけではなく、抗てんかん薬にも古くから鎮痛効果が認められ、ガバベンチンはCRPSで多く用いられています。その効果を改良したプレガバリン(リリカ)は鎮痛剤として広く使われています。神経障害性疼痛に対してオピオイドのような副作用の強い薬をいきなり処方することはありません。

   事故による痛みを訴える患者に対してはNSAIDs(エヌセイド。非ステロイド性抗炎症薬)を投与する事案が良く見られますが、NSAIDsは炎症を生じるような侵害性疼痛が本来の対象であるので、神経障害性疼痛に対しては推奨されていないようです。実際には投与されている例をしばしば見ますが、神経損傷による炎症防止でしょうか。

   そこで、抗炎症作用のないアセトアミノフェンも選択肢に入りそうですが、単品では推奨されていないようであり、トラマドール塩酸塩(オピオイド)と合体させたトラムセットが推奨されています。ただし、オピオイドは最初に投与される薬ではありません。対象となる症状に対して、選択すべき薬が段階的に決められています。

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 ⅳ 本件でも、被害者は最初のうちは交通事故による痛みということで、ロキソニンなどのNSAIDsが処方されていたと思われます。しかし、その痛みがRSDによる神経障害性疼痛の疑いがでたことから、次の薬として何を選択するのかという問題が生じます。

   神経障害性疼痛に関しては、国際疼痛学会や欧州・カナダでは抗うつ薬では第1世代の三環系を推奨しています(『ペインクリニック』30巻別冊春号215頁)。三環系は副作用の強い古い薬という面もあるので、本件では最初に選択する薬としては避けられたのかもしれません。

   抗てんかん薬のガバベンチンはGABAを増強する作用を期待されて作られたのですが、「驚くべきことにGABA受容体に作用しているのではない」(『ラング・デール薬理学』567頁)と判明し、Caチャネルα2δリガンドであるとされています。これを改良したのがプレガバリンです。これらは副作用が心配であるとして、最初は別の薬を試してみることもあるかと思います。

そこでまずセルシン(ベンゾジアゼピン系。ジアゼパム。GABAの作用を増強する)を最初に試してみたというのは選択手順として合理的に説明できます。

セルシンの適応を見てみると「神経症、うつ病、心身症(更年期障害、消化器疾患、循環器疾患、自律神経疾患、腰痛症、頸肩腕症候群)の不安・緊張・抗うつ」(『今日の治療薬2013』848頁)とされています。神経性の痛みの鎮痛効果と痛みによる不安増加を抑える目的で投与されたと理解できます。実際にも効果があったことが高裁判決に書かれているので、選択として結果的にも正しかったと思われます。

ただし、併用した薬などを見てみないとこの点ははっきりしません。当初から強い痛みの訴えがあり、早い時期から各種の鎮痛薬が試みられ、セルシンはその鎮痛薬の補助薬として処方された可能性もあります。いずれにしても、被害者が心因性の痛みを訴えていると考えてセルシンを投与したという話ではありません。

 以上に対して、高裁判決ではそれまでに投与された薬や併用された薬の有無にも触れずに、セルシンは抗不安薬なので被害者の痛みは心因性であって、その効果が出たのでやはり心因性であったとの趣旨が述べられていますが、検討のレベルがあまりにも低すぎて話になりません。

2012年3月31日 (土)

3回鑑定が行われた右上肢・左下肢RSD(23.1.26)

1 さいたま地裁平成23年1月26日判決(自保ジャーナル1863号1頁)

東京高裁23年10月26日判決も同時に掲載されていますが、以下では地裁判決について述べます。

  

  この事案の特徴は、①被害者が20を超える病院に入通院したこと、②3回の鑑定が行われていること、③疑問のある鑑定意見を判決が重視していること、④RSDとの診断が多数回繰り返されてきた右上肢を判決がRSDではないとしたこと、⑤心因的素因により2割の減額をしたことなどです。

2 症状の経過

ⅰ 被害者は事故時29歳の女子会社員です。被害者は平成11年5月25日に自転車を運転していて交差点内で乗用車との衝突事故で受傷します。

  当初は、ごくありふれたむち打ち事案のような治療を受けていますが、1か月半後に右上肢のRSDとの診断を受け、その後に左下肢のRSDも診断され、多数の病院に入通院して治療を受けます。

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ⅱ 複雑な治療経過をどのように判決文にまとめるべきか?

  判決では一般的には「事案の概要」では争いのない部分をまとめ、「争点に対する判断」では裁判所の判断を記載します。この判決は治療の経過が「事案の概要」と「争点に対する判断」の2か所に分散していて散漫な印象を受けます。少なくとも入通院した病院とその時期や治療内容は「事案の概要」で網羅した方が良かったと思います。

本件ではその時期ごとの症状に争いがあったため「争点に対する判断」で分けて書いたとも考えられますが、この場合でも通院した事実や治療内容などは「事案の概要」に記載した方が良いと思います。入通院経過について争いがある場合においても、「被告は~と主張しているが、~の理由で(後記のとおり)採用しない」と付記して「事案の概要」で最低限の骨格は網羅した方が良かったと思います。

ⅲ 以下では、判決が分散して記述した治療経過等をまとめて検討します。

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事故当日…平成11年5月25日。B病院に救急搬送される。全身打撲、頭部外傷、左下腿皮下血腫、頚椎捻挫と診断され、翌日まで入院。B病院には1か月通院。

   判決の認定によると、事故直後は被害者が首や左下腿などの痛みを訴えるも、レントゲン、CTでは異常はなく、事故4日後には全治約10日間の安静加療を要する見込みとの診断を受けています。当初は後の症状をうかがわせるような診断は受けていません。しかし、のちの経過からは事故後早期からRSDの症状が出ていたと思います。このように初期の病院でRSD(CRPS)の症状が見落とされることは、多くの事案において見られます。

18日後…6月12日より。C大学附属D病院。頚椎捻挫、左下腿挫傷と診断され、1か月に6回通院。

    被害者が早期に大学病院に転院したことから、事故直後の時期からかなり強い痛みを訴えていたと推測できますが、判決では詳細は不明です。被害者は、首と左下腿の痛みを訴え通院し、レントゲン、MRIで異常はないものの、首の痛みや可動域制限が改善しなかったため、E病院への転院となります。

1か月半後…7月13日より。E病院。外傷性頸部神経根症、反射性交感神経性ジストロフィー(RSD)と診断され、約4か月入院。退院時には、頸部捻挫、RSD(右上肢)との診断を受ける。

被害者はE病院の通院初日に右上肢についてRSDとの診断を受け、そのまま入院します。右上肢はとくに手関節から先の浮腫(むくみ)が顕著で、可動域制限も確認されています。被害者は腕の痛みのため、歩行時には右腕を振らず、体への振動を押さえるために歩行はかかとのみで接地しています。その後のリハビリの中で右手の握力は2.5kgにまで低下しています。

判例の上ではRSD(CRPS)の患者はRSDとの診断を受けるまでに3年やそれ以上を要したものもあり、その過程で症状の原因が分からずに精神科に回される事案も多く、遅れて診断される傾向が明らかにあります。この傾向は診断基準が確立する以前の古い事案ほどよく当てはまります。この事故があった平成11年前後の事故の裁判例では事故の1か月半後という短期間でRSDとの診断を受けた事案はわずかです。

以上から本件ではE病院への通院開始の時点ではっきりしたRSDの症状が右上肢に出ていたことが推測できます。被害者がそのまま4か月(126日)入院したことも、これを裏付けます。

持続性の痛みと知覚過敏、浮腫(むくみ)により、日本版のCRPSの判定指標を満たすことや、右上肢の運動障害なども考え合わせるとこの時点でCRPSを発症していたことに問題はないと思います(判決ではCRPSの発症を否定していますが、誤りです)。

被害者は、4か月に及んだ入院中に浮腫以外はほとんど症状が改善しなかったことから、退院と同時に自宅近くのF大学病院に通院を始めます。

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 半年後…11月22日より。F大学病院。2年ほど通院した模様。

      F大学病院でもRSDとの診断を受け、平成12年5月12日(事故の約1年後)を症状固定日とする後遺障害診断書が作成される。

   被害者は、通院当初に右肩から手までの右上肢全体と左下腿は触っただけでも痛みを感じるアロディニアの症状が確認されています。この症状はこれより以前から生じていたはずです。

左下腿の痛みをかばって足を引きずって歩行していた状況はここでも確認されています。左下腿の痛みは事故直後から続いており、それが悪化して行ったようです。この時点では左下腿にもRSDを発症していたと思います。

  

11か月後…平成12年4月11日より。Sクリニックへ通院。

    被害者は、右手は握りこんだ状態で指と指の間にカビが生えてきたためSクリニックに通院します。このことから指をグーの状態で握りこむジストニアのタイプのRSDが生じていたことが分かります。

F大学病院での星状神経節ブロックや仙骨硬膜外ブロックで腫脹が改善するなどの効果はあったものの、症状全体としては基本的には改善していません。そのため心因の要素もあるとして、精神科を紹介されます。

1年9か月後…平成13年2月21日より。h大学病院精神科へ通院。心理テスト結果には問題はないとされるも、抑うつと診断される。主治医は心因性疼痛の要素もあるとする。

2年2か月後…平成13年7月12日より。U病院ペインクリニック科へ通院。右上肢、左下肢にアロディニアを伴う疼痛があり、右肩関節、肘関節、左膝関節には疼痛のためか可動域制限があること、右手指には関節拘縮がないこと、右上肢の発汗が減少していること、右手指に腫脹があることが確認されるも、RSDとはっきり診断できないとされる。

現在の判定指標では優にCRPSと判定できる症状が出ているので、この時点でも右上肢、左下肢にRSDの症状が続いていたことが確認できます。この段階までにRSDとの確定診断が繰り返され、症状も悪化しているのですが、U病院は「RSDとはっきり診断できない」としています。平成13年時点では確立した診断基準がなかったため、診断に躊躇する事案がしばしばみられます。

私が気になったのは、U病院で右手指に関節拘縮がないとされていることです。上では右手を握りこむタイプの症状のため指にカビが生えてきてSクリニックに通院したとあるところ、この時点では症状が改善していたのでしょうか。

右手指には腫脹(むくみ)が依然としてあり、アロディニアの症状も出ていたことから、おそらくは自分では(痛みもあって)指をほとんど開くことができない状況ではあるものの、他人が少しの力で指を開くことができるため、関節拘縮とは判断されない状況にあったようです。

    患者さんによっては、指が強く握りこまれた状態で拘縮して、力を入れても容易には開かない方もいるようですが、この時点ではそこまでの症状ではなかったようです。

2年3か月後…平成13年7月16日。F大学病院。右上肢、左下肢について傷病名を反射性交感神経性ジストロフィー(RSD)として平成12年5月12日を症状固定とする後遺障害診断書が作成される。右手左足に骨萎縮が確認される。

    通常は後遺障害診断書を作成した日かその直近の診察日が症状固定日としますが、1年2か月も遡って症状固定日を決めていることから、平成12年5月以降は症状の改善はほとんど見られなかったようです。

しかし、ここまで極端に症状固定日を遡ることには疑問があります。症状が改善しなくとも、平成12年5月12日以降の治療で症状の悪化が防がれた可能性もあることは否定できず、RSDという難病であることに鑑みれば、症状の安定が始まった時期に症状が固定したとすることには疑問があり、腫脹(むくみ)が改善したという程度においては治療の効果もあったと言えます。

2年9か月後…平成14年2月28日より。Gセンター整形外科。RSDを原因とする右手、肘(右上肢機能障害)、左下肢機能障害との身体障害者診断書・意見書を作成。その後も神経ブロックなどが効果を有せず、RSDとの診断が下される。

    原告は、事故の2年9か月後(平成14年2月28日)にGセンターの医師が身体障害者の等級認定の診断をした日が症状固定日であると主張しています。このことからこの時点までには被害者の主張する症状は全て出ていたようです。

2年9か月後…平成14年3月2日より。H内科への通院を始める。

       RSDと診断され、運動療法のリハビリなどを受け、足の動きに改善が見られる。

2年9か月後…3月4日より。Jクリニックに通院する。3回の通院のみ。

2年11か月後…4月15日。Kセンターを受診。右半身麻痺、左下肢麻痺、右拇指屈曲麻痺、右手関節屈曲変形、正中神経麻痺、右肩関節拘縮、右肘関節拘縮、右膝関節拘縮との診断を受ける。

2年11か月後…4月24日より。L病院への通院を開始するも、M大学病院神経内科を紹介される。

3年10か月後…平成15年4月2日。N病院を受診。右上肢・左下肢麻痺、右肩・肘・手・指関節拘縮、左股・膝・足関節拘縮、右顔面神経麻痺、右上肢・左下肢知覚異常との診断を受ける。

   上記のとおり、事故の1か月半という早期にRSDという診断を受け、事故1年後に症状固定との診断を受けたことからは、早期から強い症状が出ていて、かなり早く症状が進行して重症化した典型的なRSDの症状であると考えられます。

   KセンターやN病院での診断などによれば、右上肢は肩、肘、手の関節に強い拘縮が出ているほか、手関節が屈曲した状態となるジストニア様の症状が出るタイプのRSDとして重症化していることが分かります。左下肢についても股、膝、足の関節に拘縮が出ていたことが分かります。

4年後…平成15年5月12日。O大学病院を受診。顔面神経右不全麻痺。右上肢不全麻痺、左下肢不全麻痺と診断される。

5年3か月後…平成16年8月9日。P病院を受診。傷病名をRSDとする年金診断書を作成される。翌年にも同様の診断をされる。

3 後遺障害認定

 ⅰ 被害者は事故日(平成11年5月25日)の約1年後(平成12年5月12日)に症状固定とされ、平成14年2月18日に以下の後遺障害認定を受けます。

   被害者の右前腕の痛み及び筋力不全等の症状については、本件事故による頚椎捻挫に起因して生じたRSDに起因する症状であり、「局部に頑固な神経症状を残すもの」として12級12号とされました。左下肢痛及び痺れ等の症状については、RSDに起因する症状と捉えることは困難であるとして14級10号に該当するとされ、右上肢と併合して12級とされました。

   自賠責の後遺障害認定は以上のとおりですが、右上肢については肩・肘、手関節の可動域制限や疼痛が考慮されておらず、左下肢についても同様です。可動域制限が各関節の後遺障害の等級に該当するかの判断もなされていないようです。また痛みによる日常生活全般への影響も無視されています。

ⅱ 上記の症状の経過の中で医師が診断した内容をそのまま受け取ると右上肢は5級6号の「1上肢の用を全廃したもの」に準じたものとなり、少なくとも7級4号の「神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができない」に該当することは明らかです。

下肢の症状も考慮すれば、後遺障害の認定は異常なほどに低いと思います。RSDの事案ではこのような不可解な後遺障害認定がなされる事案が非常に多く見られます。

4 3件の鑑定

 ⅰ 本件では、3件の鑑定がなされています。鑑定書を書いたとされる医師が被害者を診察した順にA鑑定(平成20年12月12日)、B鑑定(平成21年2月25日)、C鑑定(平成21年8月31日)とします。

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   A鑑定(加害者側に非常に好ましい結果)は9級7の2「通常の労務に服することはできるが、疼痛により時には労働に従事することができなくなるため、就労可能な職種が相当な程度に制限されるもの」に相当するとしつつも、被害者の後遺障害には事故による影響は少ないとし、被害者への詐病の疑いを繰り返し述べる内容となっているようです。このため被害者側が再度の鑑定を申立てた結果、B鑑定がなされたようです。

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  B鑑定(被害者に好ましい結果)は、右上肢、左下肢とも7級の4「神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」に相当し、両者の併合で5級の2「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの」に相当するとします。この鑑定は、上記の入通院先の各病院での診断をそのまま鑑定書に反映させたものですが、これに対して加害者側が再度の鑑定を申立てC鑑定がなされたようです。

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   C鑑定(加害者側に非常に好ましい結果)は、右上肢はRSDないしその可能性が高く、左下肢はRSDであるとして、12級の12に該当するとします。さすがにこれは低すぎると思いますが、判決では軽視されその概要のみしか分かりません。

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ⅱ 判決はA鑑定を非常に重視します。A鑑定の鑑定人は医療センター長の肩書を持つベテランの医師で年間15ないし25件程度のRSD臨床例を経験し、RSD患者の症例を熟知しているとして高く評価します。

その上で、「鑑定人が、経験上、賠償が絡むと詐病を訴える患者がいるため、常にRSD患者を診る時には目を引いて客観的に見るようにしている旨を述べている点は十分首肯できる」としてかなりの信頼を寄せ、鑑定書の記載や鑑定人質問での回答も肯定的に評価し、「鑑定人の示した理学所見や診断は十分信用に足るものであって」とさらに持ち上げて、この鑑定人にほれ込んだ心情が窺われます。

私はこれまでに華々しい経歴の医師によるとされる医学意見書や鑑定書を安易に信用しないように繰り返し述べてきましたが、この判決では経歴のある人がそれらしい言葉を述べたこと自体を非常に高く評価している点が気に掛かります。

結論から言えば、この判決はA鑑定を重視したと思われる不可解な医学的見解を多数述べることとなっています。

 ⅲ 以下はあくまでもこの事件のことではなく一般論ですが、これまで検討してきたCRPSの事案のほぼ全てにおいて加害者側から医学意見書が提出されています。私の経験や裁判例などから知りえた知識からは、その意見書の名義人は華々しい経歴の医師であることが少なくないようで、なかには大学医学部の部長レベルの医師やCRPS(RSD)患者を多数経験してきた高名な医師も含まれています。

これら加害者側の提出する意見書は被害者がRSD(CRPS)であることを否定ないし疑い、被害者の詐病を繰り返し強く示唆する内容となっています。被害者の主張を否定するために出されるものなので当然といえば当然ですが、このような医学意見のなかでCRPS(RSD)に必須の症状は1つも存在しないという基礎知識を述べたものは見当たりません。それどころか、必須の症状を多数存在するとするものや、さらには判定要素ですらない骨萎縮や筋萎縮が必要であるのみならず、それが重度でなければならないとの誤った見解を述べる意見が多く見られます。

これと同じ意見が裁判所の選任した鑑定人によって述べられると、裁判所はそれをより強く信じてしまう傾向があるようです。しかし、上記のとおり世の中には被害者に格別に不利となる問題のある意見を述べる医師が少なからずいるようにも見えます。ところが裁判所の提示した鑑定人リストを見ても、被害者側の弁護士はこの中の誰が「ハズレ」なのか分からないため、鑑定人を決める作業はあたかも「カードが透けて見える人とのババ抜き」をさせられるような状況となるようにも思われます。実際にもこれまで検討してきた裁判例の上では鑑定書であっても被害者に格別に不利なものは少なくないようにも見えます。

 ⅳ アメリカやオランダとの比較では、日本でCRPSを発症する人は年間に1万人~2万人ほどであり、そのうち半数前後が交通事故によるものであると私は推定していますが、専門病院の医師がCRPSとの診断を下した患者については、私は詐病の可能性は高めに見ても1000分の1ほどであると考えています。

5 判決の述べる医学的見解について

 ⅰ 反射

   判決は、「右上肢について深部反射はいずれも正常であり、病的反射も認められない」としてこの点を重視します。反射を重視することは、それ自体がちょっと奇異な感じがしますが、「異常な反射がない」、「病的反射がない」と述べて、被害者の詐病を強く示唆する医学意見は加害者側の定番です。判決によればA鑑定にはこの旨の記載があるようです。

CRPSに特有の反射はない(少なくとも知られていない)ため、何ゆえ反射に言及したのか、それ自体が理解し難いところです。ところが、筋反射や腱反射をあたかも「全ての疾患に対する万能な検査」であるかのごとく述べることは加害者側の医学意見の定番です。

   仮にCRPSではなく反射が言及される疾患であるとしても、反射を重視することは正しくありません。例えば、頸部神経根障害において筋伸張反射の感度は概ね3%~24%とされています。上腕二頭筋以外は10%以下です(『エビデンスに基づく整形外科徒手検査法』132頁)。つまり検査としての価値が非常に低いこと(価値がないこと)に反射の特徴があります。しかし、問題のある意見書においては、反射が生じる医学的な理由から詳細に説き起こして、反射の重要性を訴えて被害者の反射が不合理であると主張するものは少なくないようです(特に頚椎の不全麻痺の事例では)。

   従って、CRPSという特有の反射のない(もしくは知られていない)疾患において、仮に意見書で反射が正常であることをいぶかしむ様な記載があれば、この部分のみにおいて、その意見書の全ての価値を否定して構わないようにも思います。

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 ⅱ MRIに異常はないとの記載について

   判決は、右上肢について病的反射がないことに加えて、MRI検査で異常がないことにも言及して、MRI検査で異常が見当たらないのは、他覚所見に乏しいと述べます。

   しかし、CRPSにおいて特有のMRI画像はありません。従って、MRIで異常が認められないことは、MRIで検出されるほかの疾患(ヘルニアなど)による症状発生の可能性を否定して、消去法的にCRPSであることを裏付ける事情となります。つまり、MRIで異常が見当たらないことはCRPS(RSD)を肯定する事情です。

   ところが、MRI検査で検知できない疾患において、その疾患を否定しようとする医学意見書では、「MRIという高精度の精密検査で異常が見つからないのは、いかなる疾患も生じていないからだ。」とのニュアンスを述べることは定番です。判決はこの主張に惑わされた感じがします。

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 ⅲ 骨萎縮

   判決は、右上肢について事故の2年以上後まで骨萎縮を明確に認めた所見はなく、所見を認めた医師がいるものの、鑑定人(A鑑定)は明確に否定しているとして、これをRSDの要件として重視します。CRPS(RSD)において骨萎縮が必須であるとする主張は、RSDを否定すべく提出される医学意見書での鉄板ともいえる定番です。

   しかし、CRPSにおいては特有の症状が存在しないことは、世界中の医師が認める定説ですので、必須の症状を認定することは、それだけで重大な誤りです。

また、現在の国際疼痛学会やアメリカ、日本のCRPS判別指標においては、骨萎縮は判定要素の1つにさえ含まれていません。従って、骨萎縮がないことによりCRPS(RSD)であることを否定することは、より強い意味で誤りです。

重症のCRPSには重度の骨萎縮が必須であるとする加害者側の定番の主張(特別基準論)はもとより論外です。そのような相関性は医学的には認められていません。

   CRPSにおいてはいったん生じた症状が改善することもあります。このことは骨萎縮に限りません。このように症状が一過性の場合もあるため、日本のCRPSの判別指標においては、症状の経過のなかでの一過性の症状をも対象に含めて検討します。

   従って、仮に鑑定時点で骨萎縮が確認されなかったとしても、症状の経過の中で骨萎縮がなかったことを意味するわけではありませんが、判決はこの点についても誤解しています。仮にこれが判決の重視したA鑑定に基づくとすると、本当にこのレベルの医学意見が出たのであろうかと疑われる内容です。

   本件では、右上肢について通院中にも骨萎縮の存在は繰り返し確認されており(F大病院の整形外科・麻酔科、G病院など)、自賠責の認定でも確認され、A鑑定の2か月後に行われたB鑑定でも「明らかな骨萎縮」があるとされ、12級との非常に低い等級を述べたC鑑定でさえも、「軽度の骨萎縮」があるとしています。従って、A鑑定のみが正しく画像を読み取ったと考えるべき状況にはないように思います。

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   なお、高裁判決は、CRPSによる可動域制限が長期間続いていたならば顕著な骨萎縮が生じているはずだという理屈(特別基準論)を付け加えています。「この事件は特別の事情があるからこの要件が特別に必要である。」という特別基準を持ちかける論法です。これを認めたら一般の基準の意味がありませんので、この論理自体に問題があります。一般的な基準でCRPSとされるものを、これを否定するためだけの特別基準を当てはめてCRPSではないとすると矛盾が生じます。可動域制限が長時間続いたならば重度の骨萎縮が生じるという論理ももちろん誤りです(そのような相関はありません。)。しかし、この定番の主張に惑わされた判決は多く見かけます。

あろうことか高裁判決は筋萎縮も重度でなければならないという理屈も付け加えていますが、これも誤りです。筋萎縮を判定要素に含む診断基準は過去においても一度も提唱されたことがないはずです。国際指標や日本の指標では浮腫で腕がむくむこと(判定要素の1つ)を重視していますが、これとは逆に腕が痩せ細ることも同時に要求するのは矛盾となります。まさにその矛盾を高裁判決は述べており、しかも重度の浮腫と重度の筋萎縮が同時に必要であるとしています。

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 ⅳ 浮腫

   判決は、被害者が事故後早期に発症した右上肢の浮腫(むくみ)が、その後の神経ブロックなどの治療により改善したとする一方、「浮腫は時間の経過とともに憎悪、拡大するのが一般的である」として、被害者がRSDではないとする方向に向います。

   しかし、CRPS(RSD)においては特有の症状は存在しないことは、当然のごとく浮腫についても言えます。従って、この点のみにおいてすでに誤りがあります。

   それはおくとしても、判決の述べる「浮腫は時間の経過とともに憎悪、拡大するのが一般的である」という考えは誤りです。上記のとおりCRPSにおいてはいったん生じた症状が改善することもあるため、判定指標においては治療のなかで一時的に存在した症状も検討対象に含めます。従って、治療の経過のなかで浮腫(むくみ)が生じたことはそれ自体が、RSDを肯定する重要な要素となります。

   この点をもおくとしても、難病とされるCRPS(RSD)といえども、治療によって症状が改善する患者さんもいるので、浮腫が悪化せずに改善する場合があることは至極当然のことであると思います。現にこの事件では事故の1か月半後にRSDと診断された時点で、右上肢には特に右手関節から先に顕著な浮腫(むくみ)が確認されていたところ、その後の治療で改善したとされています。

仮に万が一、これも鑑定に基づくとすれば、本当にこのようなレベルの医学意見が訴訟で出されたのであろうかと疑いたくなるようなひどい誤りですが、訴訟ではこのレベルのものを頻繁に見かけます。このレベルの意見でも権威のある方の名義の鑑定書・意見書において深遠な口調で「私の長年の経験からは~である」などと自身満々で書かれていると信用してしまう裁判官も少なくないようです。

判決は、A鑑定では鑑定(診察)時には浮腫(むくみ)は一切認められなかったと明確に述べているとして、浮腫は存在しないとしていますが、これも疑問です。A鑑定以前の多数の入通院先やA鑑定の2か月後に診察したB鑑定では、浮腫を認めたとしています。偶然にもA鑑定のときだけ浮腫がなくなっていたとは考えにくい状況があります。

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 ⅴ 程度問題の錯誤

   以下はあくまでもこの事件のことではなく一般論ですが、私の経験では被害者の詐病を強く示唆したRSDを専門の1つとする華々しい経歴を有する非常に高名な鑑定人が、軍手を3重にはめたようにはれ上がっていた右手(とくに手の甲の部分は軍手5重位になっていました)を「ごく軽度の腫脹」としてほとんど無視したこともあります。

この種の訴訟の経験のない裁判官が鑑定人を信用しきってしまうと、軍手を7重にはめたような誰が見ても疑うことなく病的であると思えるような腫れ方になってはじめて「普通の腫脹」であると勘違いするかもしれません。そのような典型症例の写真が医学書に載っていることもこの勘違いを後押しするかもしれません。そうなれば、見て分かる程度のむくみが生じている場合であっても「浮腫なし」と断言されると、「医学で疾患として認められるレベルの浮腫(むくみ)はこの程度では足りないのだな。」と納得してしまうようです。

しかし、腫脹とはむくみのことであり、それ以上でもそれ以下でもありません。私のような素人が「少しむくんでいる」と気付く程度のむくみであっても、普通の医師は「腫脹あり」と明確に診断します。

普通の人が「むくんでいる」と気づくレベルであれば、当然に医学的にも「むくみあり(+)」とされます。ましてや軍手を2重にはめたほどであれば、「顕著な腫脹あり(++)」という表現が使われるレベルです。

こんなことは当たり前ではないかと思う方も多いかもしれません。しかし、医学の知識のない人が「かなりむくんでいる」と思うレベルの腫れ方であっても、自分が信用しきった高名な医師が同じ状況を「ごく軽度の腫脹である」とか「病的な浮腫はない」自身満々に明確に断言すると、「ほぅーそれが医学の基準なのか。なるほど、危うく勘違いするところであった。」と納得してしまうことも少なくないようです。

他の症状についてもこのような「程度問題の錯誤」は少なからず生じるようです。筋萎縮など数字が出るものについても、例えば右足大腿部と左足大腿部の周囲の差が1.5cmであるのを筋萎縮によるものと考えていたところ、高名な医師が自身満々に「わずか1.5cmだから誤差の範囲であり筋萎縮と断言できるレベルではない」との趣旨を明言すると、「ほぅこれが医学のスタンダードなのか。なるほど、危うく勘違いするところだった。」と納得する方も少なくないと思います。

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 ⅵ 主観基準のレトリック

   この「程度問題の錯誤論法」には前フリとして、「主観基準のレトリック」ともいうべき論法が導入されることもあります。

「骨萎縮があるといえるためにはどの程度の骨萎縮があれば良いのか分からない。」、「どこまでの皮膚色の変化があれば良いのか分からない。」と強調して、判断する医師の主観に委ねられる部分が大きいので基準を運用する際には、「誰もが認める一見して明らかな重大な症状のみを採用すべきだ」という結論に誘導します。この結論だけ見ればとんでもない暴論ですが、素人には知識のない専門分野で権威のある人が前フリから丁寧にこの理屈を述べると信じる人も少なくないようです。

   当たり前のことですが、骨萎縮があること自体が分かれば、それは「骨萎縮あり(+)」です。むくみがあることが分かれば「浮腫あり(+)」です。皮膚の温度差(1~2℃の差であっても)や皮膚色の違いなども同様に違いがあること自体が分かれば「あり(+)」です。基準は主観に流されるような曖昧なものではありません。

   わずかに症状が認められる場合であっても擬陽性(±)として積極的に考慮します(実際にもギボンズの基準では擬陽性をも考慮することが明記されています)。CRPSには必須の症状はないので、存在が確認できる症状についてはわずかなものも洩らすことなく考慮すべきことは当たり前のことです。

   以上に対して症状が存在すること自体に争いがないものに対して「存在するけれど軽度なので無視するべきである」とか「誰もが認める一見して明らかな重大な症状のみを考慮すべきだ」という論理がとんでもない暴論であることは明らかでしょう。

      こんなことは当然のことであると言われるかもしれませんが、C鑑定にこの趣旨の記載がなされていたようであり、高裁判決はこの論理を大幅に取り入れています。

   CRPS(RSD)の事案ではほとんどの場合に加害者側から被害者の傷病を否定べく医学意見書が出され、医学の素人であれば騙されてしまうような「一見するともっともらしい」主張や指摘が数多く用いられます。たとえ暴論であっても医学知識に乏しい被害者側がその全てを反駁しつくすことは至難の業なので、多数の主張を織り交ぜてきます。医学意見書の名義人が高名な医師であることも少なくないようで、そのような舞台設定による「劇場効果」もその意見を信じさせる要素になっているかもしれません。裁判所が選任した形になっている鑑定人となれば劇場効果はなおさら高くなるかもしれません。

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ⅷ 「軽微」という表現そのものについて

  以下はあくまでもこの事件のことではなく一般論ですが、目視や写真で見てすぐにそれと分かる腫脹(むくみ)について「軽微な」という形容詞をつけることは重大な誤りです。しかし、加害者側に有利な内容の意見書では「軽微な」、「ごく軽度の」、「わずかな」という形容詞を多用するものは頻繁に見られます。

医師であってもむくみであるかどうかの判別が困難なレベルのごく僅かな腫脹であれば、カルテには「わずかに腫脹が見られる(±)」と記載されると思います。「±」(擬陽性)は「わずかに見られる」、「軽微な」、「ごく軽度の」という意味で、「あり(+)」とは区別されます。

普通に見て腫脹(むくみ)や骨萎縮、筋萎縮、皮膚の変化などがあること自体に疑いがないものに対して、擬陽性(±)の意味となる「ごく僅かな」、「軽微な」、「ごく軽度の」という形容詞を用いることは重大な誤りです。医師がこのような初歩的な言葉使いの間違いをするとは思えないレベルの間違いです。

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以上に対して、「軽度」という言葉はどうでしょうか。「軽微な」、「ごく軽度の」、「わずかな」にくらべて症状が少し重い感じがします。「症状が存在するけれども軽度である」の意味ならば、擬陽性とは別の意味とも言えそうです。私も文脈によっては「軽度」という表現には問題がないと思います。

ただし、「軽度の骨萎縮」という表現は問題のある意見書に見られる独特の表現であるように思います。骨萎縮があると分かるものは「骨萎縮あり」と書くだけでよいのに、わざわざ「軽度の」という言葉を追加することには違和感があります。とくに症状を評価する段階ではなく、取り出す段階でこの表現を用いることはおかしいと感じます。

「軽度」という言葉は取りようによっては擬陽性とも取れる言葉です。普通であれば、骨萎縮の内容を説明する表現として、「~骨頭部に骨萎縮あり」という形でその部分を示して書くと思います。部分の限定もなしに「軽度の骨萎縮」という言葉が用いられると、「どこに骨萎縮があるかどうかは別としてとにかく軽度であることが言いたいのであろうか。なぜ場所や範囲を示さないのであろうか。」(この人は画像が読めているのだろうか)という違和感があります。

まして「ごく軽度の骨萎縮」という表現ともなると、それは骨萎縮の有無について擬陽性との見解を示すものとなり、他の複数の医師が「骨萎縮あり」(陽性)としたものについてこのような表現を用いると、そこには見解の相違があり、どちらかが誤りということになります。

問題のある意見書のなかには、「ごく軽度の」という言葉を「陽性(骨萎縮あり)であるけれどもごく軽度である」という意味で用いているものをしばしば見かけます。医師がこのような表現を臨床で用いるとは思えません。私はこのような形容詞の使用法それ自体に強い違和感があります。

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 ⅸ 不自然なレトリック

   以下はあくまでもこの事件のことではなく一般論ですが、問題のある医学意見書においては、端的に症状を記述すべき部分で「病的な浮腫はない」、「病的な筋萎縮はない」、「著明な浮腫はない」、「明らかな骨萎縮はない」、「下垂のためか腕がうっ血している」などの余分な形容詞を用いるものをよく目にします。

   例えば、浮腫があることが写真でさえも分かる状況において「病的な浮腫はない」という表現が用いられたりします。文字通りに受け止めると、「浮腫(むくみ)があるように見えるけれども、病的なほどのレベルには達していないから、医学的には浮腫はないとすべきものである」という意味に思えますが、これは不可解なことです。

   私はカルテの中でこのような形容詞を用いるものは見た記憶がありません。普通のカルテにはそれぞれの症状について、端的に「+」(陽性、症状あり)、「-」(陰性、症状なし)、「±」(擬陽性、症状がわずかに見られる)との外形的事実のみを記載しています。

症状に「病的な」などの形容詞をつけて記載することは、医師が臨床で用いている一般的な症状の表現法とは、根本的な部分で視点が異なります。個々の症状を取り出して記述する際に病的かどうかを述べることはおかしなことです。

臨床ではわずかな症状も洩らすまいとカルテに擬陽性まで記載している医師が、医学意見書では「著明な浮腫はない」として一見して明白で確実なもの以外を無視すべきであるとして、症状の見方を根本から変更した表現法に切り替わるというのも不自然であると思います。

また、症状の有無だけを端的に記載すべき部分で、「下垂のためかうっ血していた。」、「不使用のためか拘縮が生じていた」という余分な形容詞や、「この症状は~に整合しない。」という否定の理屈を付け加える癖のある意見書も、加害者側の意見書ではよく見かけます。臨床ではカルテには端的に症状の有無だけを列挙して、列挙を終えた後にいくつかの傷病の候補を当てはめて検討していくはずです。従って、臨床での検討方法とは根本的に異なる思考法を医学意見書で用いるというのもおかしなことであると思います。

以上のように問題のある医学意見書においては、「症状を端的に取り出す」という症状を検討する前提が成り立っていないものをしばしば見かけます。

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 ⅹ 不使用による症状

   判決は根拠とはしませんでしたが、A鑑定は被害者の右手指はRSDではなくて一次性局所ジストニアで、左下肢は軽度のRSDで、これらによる長期間にわたる右上肢および左上肢の不使用が被害者の症状の原因であるとしています。つまり、被害者の「不使用」が症状の最大の原因であるとしています。

   一次性(原発性)ジストニアとは、他に原因となる要素が見当たらないジストニアをいい、二次性ジストニアは薬剤や遺伝などにより生じたものを言います。つまり、A鑑定は右上肢の症状は手指のみ(腕にはない)であり、その手指については事故とは関係しないジストニアの発病であるとして、加害者の責任ではないとしていることになります。これによると、ジストニアは局所性のものであって、上肢全体の症状が重く見えるのは被害者の個人的事情であるということになりそうです。

   左下肢についても現実に症状が確認できるよりも軽度なRSDであって、症状が重く見えるのは、使えるのに使わなかった「不使用」という被害者の個人的な事情によるとしているようです。

   この部分を普通に読むと、この被害者はもともと軽度の傷病(しかも事故と無関係な一次性ジストニア)に過ぎないのに、とんでもない特異な性格のため、格段に重症に見せようとして右上肢・左下肢を数年という長期間にわたって全く使用しないことにより、無理やり重症化したRSDのような症状を作り出したということ述べているように読めます。

   さすがにA鑑定のこの部分は「いくらなんでもそんな人がいるわけがない」というのが普通の感覚ではないかと思います。人前でだけ症状を偽装するだけではなく、人の見ていない日常生活でも数年にわたり一度も関節を曲げないというレベルの努力をしていたことになりそうです(私はこれでもRSD類似の症状を作り出せる可能性はないと思います)が、普通であればこのような想定を要求する話は、その前提部分を信じないと思います。

   また右上肢については、事故後早期から多くの病院で繰り返しRSDとの診断がなされ、その治療が続けられてきた経緯からは、一次性局所ジストニアという加害者側に非常に都合の良い病名が正しいとすると、被害者は偶然にも事故直前頃に一次性ジストニアを発症し、事故の1か月半後にE病院でRSDと診断されるように人知を越えるレベルの偽装工作をした(私はこの偽装は不可能であると思います)と想定して、当初からの治療経過の全体をつじつま合わせしなければならないこととなりますが、さすがにこれは荒唐無稽なストーリーであると思います。

6 出来過ぎストーリー

 ⅰ 事故により重篤な後遺障害を負ったとして被害者が訴訟を起こしたところ、加害者側は以下のようなストーリーを主張してきました。

   それは「本当は軽微である事故をきっかけにそれまで真面目に仕事をしてきた被害者の人格が変わり、何かにとり憑かれたように虚偽の症状を訴えることに人生を賭けるという特異な性格に変質し、どのような偽装を用いたのか想像も付かない特殊な偽装方法を天才的なひらめきによりあみ出して、さらに驚異的な粘り強さでその偽装を根気良く続けて、長期間にわたってウソの病気の治療を受け続け、仕事も休み続け、知人や家族や主治医や弁護士を騙し続けて、重症化した症状の偽装を続けてきた。」というストーリーです。これは加害者側に非常に都合の良い出来過ぎたストーリーです。普通の人は「こんなことはあり得ない」と思うでしょう。

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 ⅱ しかし、このような帰結(世界像)を必然のように導いてしまう医学意見書はCRPSの訴訟においてはむしろ定番とも言えます。なにしろCRPSの訴訟では重症事案であっても症状を否定する医学意見書が出されることが恒例行事のようになっています。

被害者の主張する症状を否定する(詐病とする)ことになれば、長期間の通院や治療や仕事の休業なども最初から最後まで全部がウソに基づくことになります。

ところが詐病を認定する判決においては、その認定を全体として整合するようにつじつまを合わせた世界がどのようなものであるのかについて、考えていないようです。ただ泥縄式(行き当たりばったり)に事実を前から順に決めて行くだけで、その事実を決めてしまうことがどのような帰結(世界像)を導くのかをきちんと想定していないように見えます。「正しいはずの基準(方法論)が導いた結論だから、どんな結論であっても物理的に不可能でない限り、正しいはずである。」という考えで自分が認定した事実の先にある帰結(世界像)を直視していないように思います。

   認定した事実の先にある帰結(世界像)を想定してみれば、上記のような「とんでもない」というレベルのストーリー(しかも当事者の一方に非常に都合の良いストーリー)を作り上げる必要があることに気付き、はたと考え直すはずです。

上記の想定は、加害者側に都合のよい結論に至るために全ての事情を最初から完全に作り変える「出来過ぎストーリー」です。この種の「出来過ぎストーリー」を導くもとになる陰謀論(詐病による事実全体の再構成)をどうして信じてしまうのか、私には不思議で仕方ありません。

年間1~2万人ほどと推測されるCRPS患者の症状の経過としての外形を否定して、数千万人に1人いるかどうかという極めて特異な人間により周到に偽装された症状であると考えるには、相当に確実な根拠を必要とすると思います。

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7 すごろく認定

 ⅰ 上記のような「出来過ぎストーリー」に陥ってしまうのは、事実認定において結論の妥当性の検討が十分になされていないことに原因があるように思います。

結論の妥当性を検討することは、事実認定では不可欠の基本的思考です。認定しようとする事実がその先でどのような帰結(世界像)を導くのかをちくいち検討することは、初歩的かつ基本的なことであると思います。

しかし、事実認定に疑問のある判決の多くは、結論の妥当性の重要性を理解していないように見えます。それどころか、「正しい前提が導いたのであるから、その帰結も正しい。」というところで思考を終えてしまい、その先の検討をまったくしていないようにも見えます。

 ⅱ とくに要件事実論を過剰に重視しているように思われる判決においてはこの傾向が窺われます。もとより要件事実論は事実認定のための理論ではないと思われるのですが、事案全体のなかからまず要件事実とされる部分に着目してその部分のみの事実認定を先行しようとして、それが自由心証主義でできなければ深く検討せずに直ちに証明責任を適用して、まず要件事実とされる部分を確定させ、これにつじつまが合うようにそれ以外の部分を順次認定していくという、泥縄式(行き当たりばったり)に見える認定はまれに見かけます。この事実認定のやり方は要件事実論の枠組みをはみ出しているように思います。

私はこれを「すごろく認定」と呼んでいます。サイコロを振ってすごろくのように前に進んでいくだけの認定です。証明責任とは真偽不明に陥っても結論を決めなければならない立場にある裁判官に与えられた伝家の宝刀で、証明責任に頼ることは自由心証主義のもとでの理性による合理的な認定をあきらめて、証明責任という「サイコロ勝負」に結果を委ねることを意味します。このサイコロ勝負を局所的に繰り返して事実認定を泥縄式にしていくやり方は、まさに「すごろく認定」というべきものであると思います。

   事実認定がすごろく式にならないようにするために、認定しようとしている事実の一つ一つについて、事案の全体像と整合するかどうか、その認定がどのような帰結を導くのか(その帰結は不合理とはならないか)を逐一検討することは基本的なことであると思います。

 ⅲ 背理法について

   以上の検討は、背理法が関係します。背理法は例えば「√2が有理数ではない」を証明するために「√2が有理数である」と仮定して検討するときに用いられたりします。簡単な例では以下のようになります。

   <命題:クモは昆虫ではない、を証明せよ>

   ①「クモは昆虫である」か「クモは昆虫でない」のいずれかである。

   ②「クモは昆虫である」と仮定する。昆虫は足が6本である。よって、クモの足は6本である。

   ③ クモは足が8本あるので仮定②は誤りである。

④ ゆえに「クモは昆虫ではない」が正しい。

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   背理法は、以下の手順を踏みます。

   <命題:AならばBを証明せよ>

   ① 「A→B」か「A→B¬」のいずれかである(排中律)。

    * 「→」は「ならば」、「¬」は「ではない(否定)」です。

   ② 「A→B¬」と仮定して、矛盾を示す。

   ③ ②より「A→B¬」は誤りである。

   ④ ゆえに「A→B」である。

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これを本件のような事例にあてはめると、以下のとおりとなります。

<命題:患者Xは詐病ではない、を証明せよ>

① 「Xは詐病である」か「Xは詐病ではない」のいずれかである。

② 「Xは詐病である」と仮定する。すると、上記の出来過ぎストーリーが必然的に必要となる(必然的帰結)。しかし、これは正しいとは考えられない。

③ ②より、「Xは詐病である」は誤りである。

④ ゆえに「Xは詐病ではない」が正しい。

 ⅳ 背理法とすごろく認定

   背理法の話を出したのは、すごろく認定には背理法の視点が欠けているのではないかと考えたからです。つまり上記の②の部分で「Xは詐病である」との仮定が導く帰結の妥当性を検討することは、背理法による検討の過程に位置づけられます。

   ただし、よくよく考えてみると背理法という言葉をわざわざ用いるまでもないかも知れません。当事者双方の主張がどのような帰結を導くのかを逐一検討することは当然のことであり、背理法を持ち出すまでもないとも言えそうです。

しかし、事実認定を基礎付け主義的に行う傾向のなかでは、「正しい基礎を積み上げて導かれた結論について妥当性を検討するのは良くない。」という思考に陥る可能性もないとは言えないと思います。背理法は思考の一般原則であり、証明責任に頼った認定をする前に自由心証主義のレベルで必ず検討すべきことがらであると思います。

2011年8月 2日 (火)

両下肢RSDの否定(高裁21.9.10)

両下肢RSDの否定(H21.4.9)の高裁判決です。

http://s-hat.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-3002.html

1 大阪高裁平成21年9月10日判決(自保ジャーナル1818号100頁)

  この判決は以前に検討した大阪地裁平成21年4月9日判決の控訴審判決です。この判決の特徴は、①被害者側が請求額を増額したこと、②これに対して加害者が時効の主張をしたこと、③医学基準を超越した特別に厳しいRSD認定基準(二重のしぼり)を採用した地裁判決を維持したこと、④他の病院への紹介状(報告書)の記載を重視して心因的な問題の根拠として特に高裁で付け加えたことなどです。

2 請求額の増額

  1審の時点での被害者側の請求額は1000万円と低額でしたが、これは加害者(損保)側が債務不存在確認訴訟を提起したのに対応して、被害者側が急きょ対応した結果のようです。

  即ち、被害者側は損害額全体をその時点で確定させることはできないとして、損害額のうちの1000万円を請求するという内金請求をしたため、1000万円という低額の請求となったようです。被害者は高裁で4000万円に請求を拡張しています。

3 時効の問題

 ⅰ 民法724条前段は、「不法行為による損害賠償の請求権は、被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から3年間行使しないときは、時効によって消滅する」と定めています。被害者側が「損害及び加害者」を知った時点が時効の起算点となるのは、この両者を知っていればその時点で加害者に請求できるからです。請求できるのに請求しなければ、そのときから時効が進行します。法律ではその期間が3年とされています。

 

ⅱ 簡略化すると交通事故の場合には原則として事故日が時効の起算点で、後遺障害が認められた場合には症状固定日が時効の起算点といえます。

  但し、時効の問題は例外を考えると複雑になります。例えば事故後に入通院して治療を続けている間は損害が確定していないので、損害を知っているとはいえないので、「治療終了時点」が起算点になるはずです。

  また、加害者の保険会社が治療費を支払っている場合には、その治療費の支払いは損害の全体に対する一部の補填ですので、損害全体に対する確認行為として時効を中断することになるはずです。

  このように細かく考えると、時効を中断する可能性のある事柄は色々とあるのですが、必ずしもこれらの事柄で確実に時効が中断するとは言い切れない面があります。従って、後遺障害が認められないときには、事故日から時効が進行すると考えて行動する方が良いと言えます。

ⅲ 後遺障害が認められた場合には症状固定日が起算点となるというのは比較的最近の最高裁判例です(最高裁平成16年12月24日判決、判例時報1887号52頁、私法判例リマークス32号64頁)。

   この最高裁判決の事案は、被害者が平成8年10月14日に交通事故に遭い、平成9年5月22日に症状固定となり、後遺障害等級には該当しないとの認定を受けたため、平成11年7月30日に異議申立をしたところ、その後12級12号の認定を受け(この認定日は判決では不明です)、平成13年5月2日に訴訟を提起したというものです。

   この事件では被害者が後遺障害に該当しないとする判断への異議申立をした時点で症状固定から2年10か月ほど経過しています。従って、後遺障害認定を受けた時点では、症状固定日から3年以上が経過していたと思われる事案です。

   そこで1審(地裁)、2審(高裁)は、時効の起算点は、異議申立により12級12号の認定を受けた時点であるとして被害者を救済しましたが、最高裁は症状固定日が時効の起算点になるとしました。

 ⅳ 後遺障害に該当しないとの判断を受けて異議申立をしたところ、かなり経過してから判断が出ることは私の経験でもしばしばあります。特にCRPS(RSD)のような難解な医学的問題を含む事例では、異議申立をしたあとにかなりの時間が経過してから判断が出ることが少なくないと思います。私の経験でも初回の後遺障害の認定まで1年以上を要していた事案が何件かあります。異議申立による再度の判断となると2年前後を要することはしばしば見られます。

   この場合に異議申立の手続に時間がかかっている間に時効になってしまったというのでは、被害者には酷であるように思います。この時点では被害者は弁護士に相談していないことも少なくないので、被害者が気付かない間に時効となる可能性があります。

   従って、最高裁判決のように症状固定日から時効が進行すると考えると、被害者が弁護士等に相談せずに後遺障害認定の手続を行っている間に時効が成立してしまうという酷な状況を回避できなくなります。

ⅴ これに対して最高裁判決の根拠は「後遺障害認定にこだわらずに訴訟を起こせば、時効にかからなかった。」ということに尽きます。この形式論理は被害者の主観(認識)を基準とする民法724条前段の解釈としては難があります。被害者は後遺障害認定を受けて初めて、例えば「自分は9級である。」などの認識を得ることができるので、この時点でやっと「損害を知った。」というのが実情でしょう。

後遺障害認定手続を経た後遺障害認定には権威があり、後遺障害認定手続で決められた等級は容易には変更されないと言えるので、この手続を経ることによりようやく自分の後遺障害の度合いを認識できる被害者は少なくないと思います。このように社会の現実のあり方を考慮に入れることは、民法166条1項が消滅時効の起算点とする「権利を行使することができる時」について、実質的な面も考慮している判例とも整合しやすいとも言えます。

   しかし、後遺障害認定に対して異議申立ができる期間は限定されていないことや、異議申立は何回でもできることから、後遺障害認定手続を基準とすると、被害者側はいつまでも時効にかからなくすることができるというのも事実です。最高裁判決はこの実質論も重視したと思われます。

   私は、「訴訟を提起できるほどの特定性をもって損害及び加害者を知ったといえるか。」という被害者の認識についての事実認定の問題は、事案ごとの合理的な判断をするべきで、一律に症状固定日を時効の起算日とする必然性はないと考えています。

   この考えは明確な基準が導き出せないと批判されるでしょう。これに対しては、私は被害者の主観を基軸とする民法724条前段は事実認定の問題であり、その事実認定の問題に画一的な基準を求めることが誤りであると反論します。従って、一応は症状固定日を前提としつつも、後遺障害認定手続の実態に応じた例外を柔軟に認めるべきであると思います。しかし、最高裁判例は多数説の支持もあり、容易には変更されないので、注意する必要があります。

 ⅵ 本件では、被害者側は両下肢RSDを前提として、平成17年12月28日を症状固定日と主張しているのですが、加害者側はRSDを否定して平成15年9月24日が症状固定日であると主張しています。

   このように症状固定日を基準とすると、RSDが認められればそれに合わせて症状固定日が遅くなり、RSDが認められなければ症状固定日が早まります。被害者にしてみれば複数の主治医がRSDとの診断を繰り返しているので、最高裁判決を前提としても、被害者が「損害を知った」(民法724条前段)のは、RSDとして症状固定をした日であるとするのが自然でしょう。

   民法724条前段によると被害者が損害を知ったという被害者の主観が時効の起算点の基準になるはずで。その認識と後遺障害としてRSDが認められるかどうかとは本来は別次元の話のはずです。

   しかし、最高裁判決は被害者の犠牲のもとで「症状固定日が時効の起算日である」という形式論理を採用した判決であることからは、具体的な事情を考慮しない形式論理が貫かれる可能性が高いと言えます。それはもはや「被害者が損害を知った」との事実認定とはいえないのですが。

   

 ⅶ 最高裁判決の形式論理を重視すると、本件の高裁判決はRSDを否定したので、被害者が高裁で追加した請求は時効にかかっていることになりますが、判決ではこの点は判断していません。判決は被害者が地裁で主張していた1000万円の範囲内で損害を認めたので、拡張部分の時効の判断をする必要がなかったからです。

   そうであれば、そもそも加害者側が時効の主張をしていることを判決文に記載する必要があったのかという疑問も感じます。

4 RSDの認定基準

 ⅰ この事件の原審である地裁判決は、RSDの認定基準について、「二重の絞り」という医学基準を超越した非常に厳しい認定基準を用いています。

すなわちRSDの4主徴(疼痛、腫脹、関節拘縮、皮膚変化)と、自賠責保険のRSDの3要件である①関節拘縮、②骨の萎縮、③皮膚の変化が明らかに認められることの双方が必要としています。

 ⅱ しかし、CRPS(RSD)の基本的かつ最大の特徴は、特有の症状がないこと、つまり必ず生じる症状が1つもないことであるので、必須の症状を非常に多数必要とするこの判決の基準はもとより論外です。CRPSにおいては、必ず生じる症状が1つも存在しないことはかなり古くから定説とされてきたことであり、今現在でもこのことを否定する学者は世界中に1人もいません。

   国際疼痛学会(IASP)やアメリカの学会や日本の学会は、4主徴(日本ではこれを5つに分類)のうち、2個を満たせば原則的にCRPSが肯定されるという判定指標を導入しています。

   ちなみに日本での判定指標は、4主徴を5項目に分けて、このうち2つが病期のいずれかの時期に自覚症状として該当し、診察時に2つが該当すれば判定指標を原則として満たします。もちろん、5項目のうち1個しか満たさなくとも、鑑別診断で他の疾患の可能性が否定されるなどの状況においてCRPSと診断することも可能です。これは5項目のうち2つを満たす患者はCRPS患者の8割ほどしかいないという統計に基づいています。

   このように5項目のうち2つを満たせばよいという緩い基準によっても、CRPS患者の8割ほどしか捕捉できない(感度82.6%)ことが統計上認められています。

 ⅲ これに対して、この事件の地裁判決は、4主徴の全部と自賠責保険の3要件全部が症状固定時において必須であるという、途方もなく厳しい基準を用いています。この種の訴訟に基本的な医学知識が提出されないまま判決が出されることが多いとは言っても、これはちょっと度が過ぎる感じがします。

   この基準では実際のCRPS(RSD)患者のうちの特に重症な1~2%くらいしか捕捉されないのではないかと思います。この基準は加害者側の医学意見に基づくものであると思われます。

   これまで紹介してきた判決のなかで、加害者側が提出した医学意見書のなかに、「RSDには特有の症状がない」という初歩的かつ基本的な知識を述べたものは見当たりません。それどころか、必須の症状を多く主張し、ときには「重度の骨萎縮」が必須であるなどという暴論を述べ、さらには筋萎縮も必須である(筋萎縮を判定要素の1つに含ませる医学基準はいままで一度も作られたことがないはずです)という医学意見を述べるものもしばしば見かけます。腹立たしいことに裁判所選任の鑑定人による医学鑑定書でさえこのような意見を述べるものが見られます。

 ⅳ このような医学意見書は加害者側に迎合したものであると言わざるを得ませんが、既に検討した判例のなかには、そのような医学意見書を書いた医師が有名大学医学部で高い地位にあり、さらには訴訟で証人として出廷して証言していた事案もあります。

   私の経験した事案においても、裁判所の選任した鑑定人(有名大学医学部で高い地位にあったRSDを専門とする極めて高名な医師)が、鑑定書において4主徴のほか重度の骨萎縮や筋萎縮の必要性を力説し、身体的素因が8割かつ心因的素因7割と述べ、監視カメラ付きの部屋に長期入院させるべきであるなどと被害者の詐病の可能性を非常に強く述べていたことがありました。

この事案ではこの鑑定書が原因となり地裁で敗訴した後、被害者に全身麻酔下での可動域検査を受けてもらい、患部がガチガチに固まっている状況を私自身も手術室に入ってビデオ撮影した結果、高裁では詐病ではなくRSDであるとの判断を受けています。

 ⅴ 裁判官が専門的な医学知識を有しない分野において、華々しい経歴の医師の名を冠した医学意見書が出されると、それを妄信してしまうことはやむを得ないのかも知れませんが、本件では被害者を診察した複数の医師がCRPSとの診断をしているという事実を重視すべきであったと思います。また、CRPSにおいて必須の症状が1つもないというレベルの基本的な知識は当然に持っていてしかるべきです。

   専門病院の主治医がCRPS(RSD)であるとの診断をした場合において、その診断が誤っている事前確率について私は1000分の1以下(おおよそ1万分の1ほど)であり、複数の医師が診断した場合には、さらにその確率が低くなると考えています。

   しかし、これまで見てきたとおり、被害者が医師によりCRPS(RSD)と診断された事案のほとんど全てにおいて、加害者側は条件反射のように「それはRSDではない。詐病である。」という主張をなし、これを裏付ける医学意見書を提出してきます。

   この構造においては事案の中身を検討する以前の段階で、加害者の主張が正しい可能性(事前確率)は、おおよそ1万分の1ほどではないかと思います。RSDという事案におけるこのような全体像が見えていれば、専門病院の主治医がRSDと診断した事案において、安易にその診断が誤診(医療過誤)であると認定することはないと思います。

   交通事故訴訟は医療過誤訴訟ではありません。難病患者に対して最終的な診断を下した大学病院や専門病院での主治医の診断が誤りである可能性は、概ね1万分の1以下であるという基本構造が見えていれば、問題はシンプルになると思います。

5 診療情報提供書

 ⅰ この事件の高裁判決では、主治医が転院先の他の医師にあてて書いた診療情報報告書を数件引用して、わざわざ地裁判決に付け加えてその判断の根拠としています。

   これによるとC病院のP医師が平成16年7月14日付でQ医師にあてて書いた報告書には、「病名:CRPS。いつもお世話になります。前回(平成16年1月19日の診察を指すと解される。高裁判決の注書き)と変わらず、自分の疾患(?)を作っておられます。お手上げ状態です。よろしくお願いします。」との記載があります。

 ⅱ 同じP医師がD病院の麻酔科Eクリニックから、Q医師にあてて平成16年9月9日に「お返事」と題する書面には、8月30日と9月8日に診察した結果の診断名が左下肢複合性局所疼痛症候群(CRPSタイプ1)であり、「交通事故による傷害部位からは予想もできない範囲まで痛み、しびれ、不快感が及んでいるCRPSと考えます。左下肢の血流低下もありそうで、交感神経ブロックなどが、有効かと考えています。しかし、ご本人は、かなり神経質で、思い込みも強く、治療には難渋しそうです。まずは薬物療法などを行いたいと思います。」との記載があります。

 ⅲ F病院のR医師がB病院あての診療情報提供書において、傷病名を左下腿RSDとした上で、「平成15年9月受傷でもあり、本人には後遺症として残とMT(ムンテラ=説明)しました。当院では、リハビリは施行しません。また、腰についても事故とは関係なく、保険では診ますが、事故としては当院にて扱いませんと患者に強く説明しました。貴院にて、事故後長期経過しているにもかかわらず面倒をみてくれているならそちらでリハビリを続けなさいと説明させていただきました。また、「心」の病だということ十分に説明させていただきましたが、…納得されていない様子でした。」との記載があります。

 ⅳ これらの引用ののちに、判決では「いずれの医師も控訴人の症状が心因的要素に基づくものであることを強く示唆している」としています。

私も経験があるのですが、診療情報提供書は診断書のような厳格性が要求されないことから、おおざっぱな記載がなされ、事実に反することや、安易な表現が用いられることが少なくないようです。診療情報提供書は自分ではうまく行かなかった患者を他の病院に紹介するときに作成することが多いので、患者への恨み節が記載される傾向もあります。

   このような不確実、不安定な証拠のうち判決の立場に都合の良い部分だけをつまみ食いするということはしばしば見られます。本件では、すべての診療情報提供書がCRPSであることを前提としているという基本部分を無視し、被害者の精神状況を非難する方向にのみ証拠を重視しています。

   現場の医師のなかには、CRPSという病態においては心因的な要因によって患者が必要以上に痛みを強く訴えているという感想を抱く方がいるとしても不思議ではなく、むしろ実感としてそのような感想を持つ医師がいる方が自然かもしれません。

CRPSという疾患に不慣れな医師のなかには、「本当は精神的な疾患ではないか」と疑う方は少なくないかも知れません。しかし、そのような感想を医師同士が伝え合う書面を証拠として重視することは、適切ではないと思います。ましてやその感想によって医師が公的にはCRPSと診断していることを否定することは本末転倒です。

 ⅴ また「患者が重度の後遺障害でナーバスになっていますよ。」ということを他の医師に伝えることが、患者の心因的要素を強調したものとなることは思えません。

   CRPSの患者には、激しい痛みが日常的に続いたことや、その結果として重い後遺障害が残ったことなどから、精神的な状況が悪化している方が少なくないというのは事実ではあると思いますが、このこと故に精神的な問題があってそれが原因でCRPSを発症したと言われる筋合いはないと思います。医学会での圧倒的通説は、心因的要因によりCRPSを発症するという論理を否定しています。

 ⅵ 以上の問題とは別に、判決が3つの報告書を、同列のものとしていることは、もとより誤りではないかと思います。これを同列のものとしたのは、これらを「あるバイアス」から見たことそのものを裏付けるものとなっています。

   判決は、「これらの医師は被害者が本当はCRPSではないのに、被害者からの何らかの圧力や、被害者に迎合したことにより、嫌々CRPSという診断をしたのであって、被害者の見ていない医師同士のやり取りのなかでは、被害者の詐病を伝え合っていた。」という解釈を示唆するものとして、これらを並列化して引用しているように見えます。

   これは確証バイアスの特徴的な出かたで、自分の考えに都合のよい証拠により高い価値を見つけ出すという人間の自然な認知活動が良くない方向に特徴的に出たものと言えます。その結果、自分の考えに不都合な証拠は誤った証拠(捏造された証拠、迎合して書かされた証拠など)として排除する方向に向います。

   被害者の(実質)詐病を認定する判決には、この方向に向うものがしばしばみられます。この場合の確証バイアスの特徴は、同調事例を列挙して自分の考えに沿う部分のみを重視する(もしくは、自分の考えに沿うように証拠を組み立てなおした上で同調事例として列挙する)という点にあります。この場合には不確かな証拠であっても必要以上に重視される傾向があります。

さらに都合の悪い証拠に対しては、それが捏造されたものであるとするための謀略史観が導入されます。詐病を認定する場合には、医師が患者の圧力に屈した(患者に迎合した)結果、本意ではない診断をしてしまったという事情を示唆する方向で認定する傾向があります。

判決が3つの報告書を引用しながら、その報告書の全てがCRPSとの診断を前提としていることを無視したのは、これらの報告書をCRPSとの診断を否定する証拠となると理解しているように見受けられます。それは「医師が患者に迎合して心ならずもCRPSとの診断を下した。」というニュアンスにおいてです。

確証バイアスというと、特殊な理論のように思われるかもしれませんが、家事事件では夫(妻)の浮気を疑う妻(夫)の心理状態として頻繁に見られます。何でもかんでも浮気を疑う方向に解釈してしまうというこの心理状態と、詐病を認める方向に多くの証拠を解釈し直す認知作用とは基本的な構造が同じです。

 ⅶ 確証バイアスは、ある証拠群から一定の証拠を選択して事実を認定するという訴訟の構造のなかにおいては、不可避に生じるものではないかと思います。「一定の視点から見た場合に整合する証拠」をピックアップすることは、それ自体には問題はありません。問題なのは整合する証拠の価値のみをことさらに高く見ようとすることにあります。

   都合のよい部分のみに注目すると、その視点に適した証拠を見つけることはそれほど困難を伴わないため、たいていの場合にその見方を支持する証拠(の部分)を見つけることができます。確証バイアスに囚われると、いくつもの見方が同時に成り立つ状況でたまたま1つの見方だけをして、他の見方を排除してそのまま結論に至る可能性があります。

   これを避けるためには、同調事例の列挙ではなく反証の否定を重視すること、証拠の読み替えをしないこと、不都合な証拠を捏造や迎合であるとして排除しないことなどが必要とされます。

   もとより個別の証拠に囚われずに事案全体の整合性を常に考慮に入れることや、ある証拠がどこまでの価値を有するのかを正しく見極めることなどの基本的なことが重要であることはいうまでもありません。

 ⅷ この点に関して注意すべきことは、要件事実論などによって証拠を序列化して考える傾向のなかでは、事案の全体像と整合しない思考に向うおそれがあることです。もとより要件事実論は証拠の序列化を導くものではないはずですが、その傾向は否定できません。証拠をパターン化して序列化していく考えに陥ると、ある証拠がその事案の全体像のなかで本来有する価値を見極めることの重要性が見落とされる面はあると思います。

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自由心証主義のもとでは要件事実論における要件の有無とは別次元のものとして一切の事実を考慮した上で事実の有無を判断します。例外的に事実の有無について心証を形成できなかった場合に初めて証明責任に頼った判断を行います。その判断のなかで要件事実の証明責任を考慮した枠組みが用いられるはずですが、自由心証主義レベルの判断と証明責任レベルの判断が混在している判決はしばしば見られます。

この類の判決のなかには、まず要件事実の判断を証明責任により行い、これを基点として自由心証主義による細部の辻褄あわせをするという構造のものさえもあります。自由心証主義で心証が得られない場合に証明責任を用いるべきで、最初に要件事実に証明責任を適用し、その結果を自由心証主義で補強することは誤りと言うほかありません。

このようにして証明責任により結論を導いた判決には、それがいかに不自然、不合理なものでも「証明責任による判断であるから正しい」と考える傾向が窺われます。しかし、証明責任を適用した結果導かれる事実が不合理であることは、その論理が背理法により誤っていることを意味します。もちろんこれは自由心証主義レベルで考察すべきことです。

   また、裁判では書面化された証拠を必要以上に重視する傾向にも陥りやすくなります。これは訴訟に特有の利用可能性ヒューリスティックと言えるものです。

 ⅸ 本件では医師同士の非公式な報告書の価値は、正規の診断書の価値に遠く及ばないという基本構造を、きちんと出発点で認識することが大切です。この構造を変更することが「証拠の読み替え」です。証拠を読み替えは、意識しないと自分が証拠を読み替えていることに気付けないので、注意が必要です。

   確証バイアスが強く作用すると、「公には言えない本音がここにある。」という方向に向かい、証拠を本来の意味とは逆の方向に解釈することとなります。たしかに堅苦しい公式見解より軽口の類の方が、本音が出ているという場合もあるのですが、場合によりけりでしょう。軽口はあくまでも軽口であるというのが基本です。軽口は無責任になされます。診療情報提供書は診断書ではないので、その記載について医師は責任を負いません。

2011年7月 3日 (日)

自転車から転倒して発症した左上肢RSD(H22.12.7)

1 神戸地裁平成22年12月7日判決

 (自保ジャーナル1848号98頁、交民集43巻6号1587頁)

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  この事件では、左上肢RSD(CRPS)が問題となっています。この事案の特徴は、①被害者が典型的な左上肢RSDを発症し、早期からCRPSとの確定診断が繰り返されている事案であること、②それにも関わらず被告はRSDを否定して転換性障害、身体表現性疼痛障害などの主張をなしていること、③可動域制限について誤った見解が用いられていること、④日本版CRPS判定指標が用いられたこと、⑤被害者の後遺障害が10級と低く認定されたことなどです。

2 症状の経過

 ⅰ 被害者は事故時26歳の有職主婦です。被害者は平成17年4月7日に自転車で横断歩道を渡っていたところ、横断歩道の手前で停止していた車両に加害者の車両が追突したことから、停止していた車両と衝突して怪我を負います。

   判決では被害者の各通院先での症状やその変化の状況は詳しくは書かれていないのですが、おおむね以下のとおりです。

  事故当日・・・4月7日にC病院で頚部捻挫、左肩・左手打撲、腰部打撲、肋骨骨折(疑)、左側胸部打撲の診断を受ける。その後に左肩と手指に関節拘縮が生じて、複合性局所疼痛症候群(CRPS)との診断を受け、3か月間治療を受ける。

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    このように事故直後から症状が出はじめて3か月以内にCRPSとの診断を受けていることからは、症状の進行がかなり早く、急激に重症化したものと思われます。CRPS(RSD)では早期に確定診断が下されることは判例の上では少数で1年以上経過してから確定診断にいたる例が多く見られるのに対して、本件では早期にCRPSとの確定診断が下されています。

  1か月半後・・・5月24日からD病院の心療内科を受診し、反射性交感神経性ジストロフィー(RSD)との診断を受ける。星状神経節ブロック、腕神経叢ブロックがなされるも効果は乏しい。

   ・ 

心療内科でも早期にRSD(CRPS)との診断が出ていることからは、早期からかなりはっきりとした症状が出ていたことが窺えます。CRPSでは神経ブロックが必ずしも有効ではなく、むしろ症状の悪化を引き起こす症例(ABC症候群)も存在します。この被害者はABC症候群ではないと思われますが、神経ブロックがほとんど効果のない症例のようです。

  7か月半後・・・D病院の指示でE病院でのリハビリを始め、以後1年9か月ほどの間に292回の通院をする。

  

  2年5か月後・・・E病院のR医師が平成19年8月31日に症状固定と判断し、後遺障害の診断をする。

症状名:①頚椎捻挫、②反射性交感神経性ジストロフィー、③左肩手指関節拘縮。

自覚症状:①頚部~左上肢痛(特に雨天時)、②左手のしびれ感、③左肩・手指関節拘縮こわばり(有痛時)、④左手発汗過多、皮膚温低下、浮腫(腫脹)、⑤夜間不眠、⑥左上肢筋力低下、巧緻運動障害

他覚症状および検査結果:①左肩・手指関節拘縮、②左上肢筋力低下、③左上肢の知覚障害(アロディニア)、④腱反射は左右差なく正常、病的反射なし、⑤頚椎の運動制限

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    R医師がRSDと診断した根拠はギボンズRSDスコアのようであり、①痛覚異常、②灼熱痛、③浮腫、④皮膚色や毛の異常、⑤発汗異常、⑥皮膚温の異常、⑦XP上の骨萎縮、⑧血管運動障害(レイノー現象・冷感・紅潮)につき各1点、⑨神経ブロックの効果を0.5点として8.5点としています。これは非常に高い点数ですので、これによりRSDとの確定診断がなされたと思われます。

    但し、ギボンズのスコアについては世界的にはほとんど用いられず、感度や特異度の統計さえも存在しないとされているので、この基準が厳密であるかのように誤解されているのは、日本の特殊事情によるものかもしれません。

    本件は非常にはっきりとした症状が出ているので、現在の日本のRSD判別指標によっても国際疼痛学会やアメリカの基準によっても容易にRSD(CRPS)との診断が下される事例であると思います。

 ⅱ 以上のように本件は事故後の早期からはっきりとしたRSDの症状が出ている典型的な左上肢RSDの事案と言えます。頚部の可動域がかなり制限されているほか、肩関節と手関節の可動域は自動・他動とも2分の1以下で、肘関節の可動域は4分の3以下という重い後遺障害が残っています。

   被害者は平成19年9月のE病院での診断ののちにも、平成20年2月と5月のD病院でのP医師による診断、平成22年5月のH病院での診断においてもCRPSとの診断を受けているので、本件はCRPSと容易に断定できる事案であると言えます。

3 自賠責保険の認定

 ⅰ 被害者は自賠責保険ではRSDの3要件基準を満たさないとして12級13号の「局部に頑固な神経症状を残すもの」との認定を受けます。3要件基準はRSDであるかどうかの判別基準ではなく、3要件基準を満たさないRSDは12級以下とするという手続上の指標です。

   3要件基準は後遺障害の重症度と相関しないことから、この基準は誤りというほかありません。本件のような典型的な重症化事案で3要件基準を満たさないとして12級と認定することは、3要件基準それ自体が誤っていることの1例と言えます。本件のように典型的に重症化したRSDであっても自賠責保険で「3要件基準を満たすRSD」として12級よりも重い等級を認定される被害者はむしろ少数ではないかと思われます。

   自賠責保険では12級を超えるRSDとされるためには3要件(①関節拘縮、②骨萎縮、③皮膚の変化)が必須であるとされ、それが健側に比べて明らかであることが求められているため、国内外でRSD(CRPS)と診断される患者の一部しかしかこの要件を満たさないことのほか、この基準を弾力的に被害者に不利に運用しているようにも見えます。

   

 ⅱ 国内外の学会においてCRPSに必須の症状が存在しないことは意見の一致を見ているので、必須の症状を要求し、しかも3個も要求する自賠責保険の基準は、医学的な診断基準を無視した異常に厳しい基準であると言えます。

   しかも、それが「明らか」であるという曖昧な基準を被害者に不利に用いることが少なくないようですので、複数の医師が確認して診断書に記載した症状でさえも、この「明らか」との基準を満たさないこともしばしばあるようです。

   本件では骨萎縮について、医師がレントゲンで確認しているにも関わらず、自賠責保険の手続きでは明らかではないとして否定しています。この種の水掛け論に持ち込めば全ての場合に要件を満たさないとされかねません。もとより全てのRSD患者に骨萎縮が生じるわけでもなく、有名な大規模調査では30%ほどにすぎません。ましてや重度の骨萎縮が生じる患者はわずかですので、この要件を必須とすることは誤りです。

   次に、診察した全ての医師が認めている皮膚の変化についても、自賠責保険の手続では「提出の写真では確認できません。」との理屈で否定しています。診断書に繰り返し記載されてきたことがこれほど簡単に否定されるというのもおかしなことであると思います。

 ⅲ さらに本件では、新たな要件として「症状の確実な根拠」を要求して、全ての医師が確認している左上肢の可動域制限でさえも「他覚的に証明する画像等の医証提出がない」として否定しています。

関節拘縮はレントゲンやMRIなどの画像で確認することが原理上不可能です。関節拘縮とは関節周囲の軟部組織が伸縮性を失うことにより関節を動かせなくなることを言いますが、この軟部組織の変化はもちろんレントゲンやMRIでは確認できません。従って、関節拘縮の証拠となる画像を要求することは途方もなく無茶苦茶なことです。この理屈を持ち出せば全ての事案でRSDではないとの判断が導かれます。

   

 ⅳ 以上のとおり、本件のように典型的に重症化した左上肢RSDで、はっきりとした症状が出ている場合においてさえも、自賠責保険の手続では3要件基準を満たさないRSDとして12級以下と認定されることが少なくないばかりか、判例で確認できる事案の上では3要件基準を満たさないとされることの方が多いようです。

   しかも、訴訟においては、重症度の判断指標である3要件基準を、加害者側がRSDの判定基準であるとして誤った主張をなして、判決においてもRSDの判定基準として用いているものが散見されます。

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4 医学意見書

 ⅰ 本件のように重症化した典型的なRSDの事案であっても、加害者側の提出した医学意見書ではこれを否定する豊富な主張を積極的に展開することが常であり、本件でも加害者側の医学意見書ではRSDを否定する多くの根拠が述べられています。

   RSD(CRPS)のような難病について4,5人の医師が確定診断を下した状況においては、通常はその診断とおりの症状が存在すると考えられます。誤診の確率は1万分の1以下でしょう。しかし、訴訟においてはこれを否定する医学意見書が提出されることが通常となっています。

 ⅱ 加害者側の医学意見書では、RSDを否定する根拠が多く記載されることが通常です。医師が確定診断を下した事案でこれを否定する多くの主張を出せば、その主張のうち明らかに誤りであると判断できるものも含むことになります。

   しかし、医学的知識の乏しい被害者側が、医学意見書の全ての主張について的確に反論しつくすことは至難の業であり、「損害の証明責任は被害者側にある」との前提では、多数の主張のうちの1個でも裁判官に認めてもらえれば、RSDを否定する判決が出る可能性があることから、多くの主張が出されるようです。

   実際にも、重症化したRSDの事案でさえも、これを否定する判決がしばしば見られることはこれまで検討してきたとおりです。従って、加害者側はRSDが重症化した典型的な事案であっても、これを否定する多くの主張を含む医学意見書を提出することが多いようです。

   RSD事案においては、加害者側の医学意見は判例で確認できるものに限ればパターン化しています。意見書の執筆者が別人であれば誤った複数の主張が一致することは奇妙なことであると思います。

 ⅲ 重度の筋萎縮、骨萎縮

   CRPSにおいては必須(不可欠)の症状が存在しないことは国内外の学会で意見の一致を見ています。従って、これを要求する主張はそれ自体が誤りです。現在の国内外のCRPSの判定指標において筋萎縮は当然のこととして骨萎縮も考慮すべき要素の1つにさえも含まれていません。

   そこで一般的な基準のなかで筋萎縮、骨萎縮を主張するのではなく、「これほど腕が動かせないならば筋萎縮が重度に生じているはずだ。骨萎縮も重度に生じているはずだ。」という形での主張がなされます。これは特別な状況であることを主張して一般基準では認められない要件を滑り込ませようとする理屈(特別基準論)です。

   もちろん一般の診断基準で十分に足りるので、特別な基準を用いる必要はありません。一般基準でRSDと認められた患者に対して、それを否定するためだけの特別基準で再度審査して否定することは、それ自体が矛盾を生じさせます。

   判決では、「客観的な医証により認定することが可能な筋萎縮、骨萎縮などを重視すべきであって」との一般論(もちろんこれは誤りです)を展開し、長期間腕が動かせないならば骨萎縮が生じるはずである(もちろんこれも誤りです)とのニュアンスさえも述べ、被害者の症状に疑念を述べています。

   筋萎縮、骨萎縮の重視という医学意見は加害者側の定番で、これを認めて筋萎縮や骨萎縮がない(または軽度である)として主治医の診断したRSDを否定した判決もいくつか見られます。この主張は裁判官が客観的な証拠としての筋萎縮や骨萎縮を重視しようとする心理に訴える面があるようです。

   

 ⅳ 転換性障害、身体表現性疼痛障害

   この数年のうちに加害者側の主張でしばしば見られるようになったもので、RSD事案においてもこの診断名を認めてRSDを否定したものが登場したことから、この主張が医学意見書で列挙される主張に含められることが定型化しつつあるようです。

   RSDにおいてはこの診断についての精神医学的な要件を満たすことが普通はあり得ないと思われますが、「催眠術をかけて腕をやけどしたと思い込ませると腕にやけどの傷跡ができる」というような理屈でこの診断名を信じてしまう人がいるようです。

   しかし、多くの医師が確認した皮膚の変化や関節拘縮などの具体的な症状がこの種の精神疾患により生じると言うのは、その発想自体がちょっとおかしいと思います。なお、患者が意図的に症状を作り出していないことがこの疾患の診断要件ですので、詐病の隠喩でこの傷病名を用いているとすれば論外です。

 ⅴ 神経ブロックの効果

   神経ブロックに常に効果があって、これでRSDが治るのであればRSDが難病とされるはずもありません。従って、星状神経節ブロックや腕神経叢ブロックの効果が小さかったからと言って、それがRSDではないという根拠になるはずもありません。神経ブロックにより症状が悪化するタイプのRSD(ABC症候群)も存在します。

   アメリカでのRSD患者の大規模調査では神経ブロックの有効例は7%にすぎず、一時的な有効例も含めて30%程度であり、無効・症状の悪化が66%とされています(『ペインクリニック』30巻別冊Ⅰ・246頁)。このように過半数の患者には効果がありませんが、神経ブロックのみで大幅に症状が改善する患者がいることから、ほぼ全ての患者について神経ブロックが試みられています。

   訴訟ではこの神経ブロックの効果がなかったのはRSDではないからであるとの主張が加害者側の医学意見として出されることが通例となっています。本件では判決で、神経ブロックの効果が不明瞭であるのは通常のCRPSとは異なる所見であるとの記載がなされており、この主張の効果が判決に現れていますが、もちろんこれは誤りです。

 ⅵ 腱反射

   腱反射が正常であることが、患部に異常がないことを意味するわけではないことは当たり前すぎることです。「腱反射が正常であり、患部に神経、精神の異常は見られない。」などの記載があったとすれば、通常は失笑を買うだけですが、医学的知識がない者に対しては何らかの効果があるのかもしれません。腱反射にからめた加害者側の医学意見は、頚椎の不全麻痺では定番となっています。

   頚部神経根障害などにおける腱反射の感度は10%程度で、現実にり患している患者の10%程度しかこの検査では捕捉しません。この検査は感度が低いことが特徴ですので、腱反射が正常であることをことさらに強調することは誤りです。

 ⅶ 関節拘縮

   本件では関節拘縮についての加害者側の医学意見に新規性が見られます。本件では、被害者の肩、肘、手の関節は他動でも大きな制限が確認されているところ、指関節は他動では制限が確認できなかったにも関わらず、自動では制限が非常に大きかったようです。

   RSD(CRPS)における関節拘縮は、患部周辺の軟部組織が伸縮性を失い関節が曲がらなくなることにより生じますが、現実には自動可動域は他動可動域よりもかなり制限されます。医師が患者の痛みを無視して力を加えて測定した他動可動域と患者が自分で動かせる範囲とでは当然に差が出ます。

   加えてRSD(CRPS)患者においては患肢との意思連絡が上手くいかなくなる症状が出ます。重症化したRSD患者にはり患した上肢を動かそうとしてもすぐに動かすことはできず、意識を集中して動かそうとしてやっと指や手が少しだけ(他動可動域のなかの一部だけ)動かせるという症状が出ます。これはネグレクトと言われるものです(『複合性局所疼痛症候群・CRPS』34頁)。この知識がない人からは、患者がもったいぶって症状を作っているようにも見えるかもしれません。

   以上のとおり、痛みによる自動可動域の制限のほか、ネグレクトというRSDの典型的な症状についての知識があれば、RSDにおいては他動可動域と自動可動域の差が存在することが当然で、その差が大きいこともしばしば見られるとの理解は当然に備わっているはずです。

   これに対して、加害者側の医学意見では、他動では可動域制限のない指が自動で動かせないのはおかしいと強く主張しているようで、加害者側はこれを取っ掛かりにして、さらに肩、肘、手などの他動で可動域制限が確認された部分についても自賠責保険での理屈なども加えて確実な根拠がないとして否定する主張を展開したようです。

   判決では、肩、肘、手の関節については、医師が他動可動域を確認していることを引用して可動域制限が「うかがわれる」という形で認めましたが、指については疑問を感じているようです。さらに他の関節についても他動と自動との差があるのは通常ではないとの理屈まで述べています。

      自身の行った可動域測定を「うかがわれる」という形で否定された主治医としては患者との通謀を疑われているとして不本意に感じるかもしれません。関節可動域をごまかして専門医を騙すことは不可能であるという感覚の医師ならばなおさらその感覚が強いかもしれません。

 ⅷ 素因

   加害者側は「素因減額の割合については80%から90%ほど存在すると判断することもできるが、少なくとも50%の素因減額をすることが相当である。」との主張をしていることから、医学意見書においても素因の主張がなされたものと考えられます。

私の経験した事件においても典型的な重症化RSDの事案で、「身体的素因が8割、心因的素因は7割」という主張をRSDを専門とする非常に高名な医師の鑑定書(裁判所選任)で書かれたことがあります。

   しかし、国内外の学会では身体的素因も精神的素因も否定されています。即ち、RSDを発症させやすい特定の体質の存在やRSDを発症させやすい特定の精神疾患の存在は否定されています。しかし、判例では「被害者の何らかの精神状況がRSDの発症や悪化に影響したように思われる。」との偏見レベルで素因を認めるものが多く、そのため原因となる体質や精神疾患を特定しない素因の主張がなされることも、加害者側の医学意見書では定番となっているようです。

5 日本版CRPS判定指標

 ⅰ 判決では、94年の国際疼痛学会の判定指標と、これを前提とした08年の日本版の判定指標に言及しています。本件は最新の医学知見をいち早く取り入れたものといえます。もしかするとこの判定指標が述べられた最初の判決かもしれません。

   但し、判決では日本版の指標への具体的な当てはめはしていません。当てはめをするまでもなくこの判定指標を満たすことは明らかですので、本件ではその必要もないとは言えますが。

 ⅱ 日本版CRPS判定指標は、その感度、特異度の数値とともに公表されていますが、判決ではこの点には触れていません。判定指標の感度や特異度の議論が分かっていれば、CRPSの要件を増やせば増やすほど、漏れ落ちるCRPS患者が多くなるという理屈が実感として理解でき、筋萎縮や骨萎縮を必須とする主張のいかがわしさも実感できると思います。

6 10級との認定について

 ⅰ 本件では、判決はRSDとの診断を肯定しながらも10級という低い後遺障害等級しか認めませんでした。判決は「10級に該当する程度の後遺障害を負ったものとして評価することが相当である」としますが、そこにいたる論理の詳細は述べられていません。

   CRPS(RSD)における等級の主張や認定は、非常に難しい面があります。関節拘縮による可動域制限という機能障害と、痛みなどによる神経系統の障害とが並存することから、これらをいかに統合して評価するかという問題があります。以下では可動域制限による機能障害から順次検討していきます。

 ⅱ 肩関節の可動域制限

   判決は、左肩関節の可動域が自動・他動とも2分の1以下に制限されていることが「うかがわれる」とします。この障害はそれだけで10級10号の「1上肢の3大関節中の1関節の機能に著しい障害を残すもの」に該当します。

 ⅲ 左肘関節の可動域制限

   判決は、左肘関節の可動域が自動で80度、他動で100度であるとして、4分の3以下に制限されていることが「うかがわれる」とします。この障害は12級6項の「1上肢の3大関節中の1関節の機能に障害を残すもの」に該当します。

 ⅳ 左手関節の機能障害

   判決は、左手関節の可動域が自動・他動とも2分の1以下に制限されていることが「うかがわれる」とします。この障害はそれだけで10級10号の「1上肢の3大関節中の1関節の機能に著しい障害を残すもの」に該当します。

 ⅴ 以上の3点のみでも併合すれば9級以上の後遺障害を認定すべきことになるはずですので、判決が10級としたのは「うかがわれる」と述べながらも、これらを認めなかったことを意味します。

   判決は、被害者が首から左上肢にかけての酷い痛みのため就労することもできず、家事も子供に助けてもらい1人ではできない状況にあることが「認められる」として、この部分をもって10級相当であると評価したと読める構成になっています。

   つまり、判決は被害者の可動域制限について、「腕をつっぱって動かさなければ偽装できる。」という疑いの目でこれを全く評価していないと言えます。現実には可動域検査において患者が腕をつっぱってごまかすことは不可能ですので、この点を疑うことはちょっと異常ですが、訴訟では「徒手検査は信用できない。」との主張を簡単に受け入れてしまう判決が散見されます。この場合、担当した医師は患者との通謀を疑われたように感じると思います。いずれにしても本件は上肢が拘縮して動かせなくなる典型的な重症化RSDの事案ですので、関節拘縮を全く認めないことは異常であるようにも見えます。

   しかし、判決は、加害者側の医学意見に従って、骨萎縮が重度ではないことに疑問を呈するニュアンスを述べていることから、「これだけ腕が動かせないと主張しているのに骨萎縮が重症でないのはおかしい。」(もちろんこの理屈は誤りです)との疑念を持っていることがうかがわれます。

   また、医学意見書に従って、RSDにおいては他動可動域と自動可動域が一致することが求められる(もちろんこれも誤りです。)との記載もあることから、この点でも被害者の詐病を疑っているようです。

   従って、判決は加害者側の医学意見についてRSDではないというレベルでは受け入れなかったものの、被害者の詐病の可能性が少しでもあるものは除外するというレベルでその理屈を受け入れてしまったものと言えます。医学意見として多くの事柄を記載した効果がここに現れています。

   ではこの判決を書いた裁判官は、被害者を詐病と考えているかと言えば、とてもそのようには見えません。判決は医学的専門的な部分で誤った見解に引きずられて色々と曲折を経て悩みながらも最終的には「原告には本件事故後から継続している前記症状による後遺障害が残存する状況にあり、既に治療しても改善が見込まれない状況にある」と本質を把握しています。

   判決からは被害者の関節可動域制限についても疑念を残しながらも「おそらくは被害者の主張するとおりの症状が存在し、その症状は改善しないであろう」との心証にあるように読めます。ではなぜ10級との評価をしたのかというと、次にのべる帳尻問題が関係しているようにも見えます。

 

7 帳尻問題

 ⅰ 判決が10級相当と認定した理由の1つとして、10級と認定することにより算出される賠償額に対して「ちょうど良い」との感覚を持っていることが考えられます。

   交通事故訴訟を含めたほとんどの訴訟においては、最終的には金額による結論が出されます。従って、結論である金額が妥当であれば、そこに至る筋道が少々間違っていたとしても結果的には帳尻が合うという見方もできます。

   これに対しては、正しい理屈を経た結論とそうでない結論とは全く異なるものであり、正しい理屈から出た結論はそれ自体で正しいことが保証されるので、結論が出た後で中間の部分を改変して調整すべきではない、という正論もありそうです。

   しかし、杓子定規に理屈を追いかけていったところ、思いがけず自分が描いていた事件の全体像に対して低い金額になったり、高い金額になったりすることもあると思います。この場合に帳尻あわせに対する誘惑が生じる可能性があり、それを簡単に否定することは人間に対する見方として合理的ではないと思います。

 ⅱ 交通事故訴訟においては、帳尻を合わせるための要素が色々とあります。過失相殺の割合、後遺障害の等級、逸失利益の存続年数、素因減額の有無などです。

   私の経験では、ほとんど全ての裁判官は「結論の妥当性」に当然に注意を払っています。結論の妥当性を無視して杓子定規に理屈をこね回して変な場所にたどり着いてしまわないかと、常に自分を外側から客観視することは重要なことであると私も思います。

従って、交通事故訴訟においても裁判官は結論の妥当性を当然に考慮に入れて判断していると思います。そこで結論の妥当性という部分から逆算して、帳尻あわせの要素を検討することが意識的・無意識的になされている可能性は否定できません。

 ⅲ 私は、結論の妥当性を考慮することは、訴訟においては必要不可欠であると考えていますが、金額に対してその考えを推し進めて「相場感覚」をもって個別の論点を検討することは良くないと思います。それは結局のところ訴訟の当事者を直接的に値踏みすることと同じだからです。他人に対する値踏みはほとんどの場合に過小評価となります。本件では被害者が母子家庭の有職主婦であることが値踏みされたのであろうか、という気持ちにもなります。

   本件では、9級との認定をすると賠償額が3000万円近くになり、2078万円からは大幅に増えます。利息を含めると3000万円を超えると思われます。3000万円というのは1つの大台であるとの感覚でながめてみると、それを下回るように帳尻を合わせたようにも見えます。もちろん以上の考察は私の下世話な推測に過ぎません。

しかし、医師が認めた可動域制限をそのまま認めれば、それだけで9級となるところをなぜ10級としたのかという点は、この判決のなかで最も疑問に感じるところであり、その理由は気になるところです。そこでその理由を探すと、3000万円という金額を考慮に入れた帳尻あわせにも見える面があると思います。帳尻あわせを考えると「結論で調整すれば良い。」との感覚から争点での考察が不十分になる可能性があります。

2011年6月 7日 (火)

損保側医学意見書への対応法

1 医学意見書について

  交通事故訴訟で医学的な事柄が問題となる事案においては、加害者側(その実質は加害者が契約している損害保険会社です)から被害者の訴える症状を否定するための医学意見書が提出されることが通常です。

  私の経験や判例での事案からは、医学意見書の名義人は、その分野で高名な医師で華々しい経歴を持つ方が少なくありません。以前は損保出資と思われる医療機関に勤める医師の意見書が出されたこともありましたが、最近はその分野で高名な医師、一線を退かれた高齢の医師(その経歴は華々しいものであることが多いです)、地元の中堅の医師など多様で、医学誌に研究論文を寄稿している医師であることも少なくありません。医学意見書の末尾にその医師の略歴が掲載されることが通例ですが、裁判官でさえ仰ぎ見るような華々しい経歴の方も少なくありません。

  

2 医学意見書の立場

  私の経験や多くの判例では、加害者(損保)側から提出される医学意見書の内容は、常に被害者の症状や事故との因果関係を否定するものとなっています。加害者側から提出されるのですから、これは当然のことです。わざわざ被害者の症状などを認める医学意見書を出すことはあり得ません。

  では交通事故により重度の後遺障害が残ったと診断された被害者が1000人いるとして、ウソの被害を訴えている人は何人いるでしょうか。私は1人以下であると思います。重度の後遺障害が生じたと家族や医師にウソをつき通すことは並大抵のことではないでしょう。事故により大怪我をした人は、早く良くなりたいと思うのが通常で、怪我を治すことより大怪我に見せることに執心する人などまずいないでしょう。

  では裁判で重度の後遺障害を主張する被害者が1000人いるとして、ウソの主張をしている人は何人いるでしょうか。私は1人以下ではないかと思います。これに対して、裁判に訴えるような人は、単なる重症患者と同列に扱えないという考えもありそうです。即ち裁判は賠償金をもらうために起こすものなので、ウソをついている自称被害者が多く紛れ込んでいるという見方です。

  しかし、交通事故の被害者に対して損保が提示する示談案は重症事案であるほど裁判での標準額との隔たりが大きいため、重症の方は訴訟をした方が有利であるため訴訟を起こしているに過ぎません。従って、交通事故で重症を負った方が訴訟を起こしたとたんに詐病患者と疑われるというのは、おかしなことでしょう。

  このような前提状況を認めるとしたら(普通の人は認めると思いますが)、医学的な事柄が争点となる事案のほとんどの事案で、損保側から医学意見書が出され、そのほぼ全部が被害者への診断や事故との因果関係を否定するものとなっていることは、かなり異常なことではないかと思います。

実際にも、無理をしてでも必ず被害者の症状を否定しなければならない立場から、本当に無理をし過ぎたという意見書も見かけます。これは高名な医師の名義で書かれている意見書でも同様です。

3 裁判例

  では裁判では上に述べたような考察が反映されているかといえば、そうでもありません。重症患者への主治医の診断を覆す判決は少なからず見かけます。

  重度の四肢麻痺やいわゆる植物人間の状況になった被害者の事件でこれを否定した判決は見たことがありませんが、それ以下の症状の重症患者において、主治医の判断が覆される事案は、少なくありません。ことに医学的にある程度高度な知識が必要とされるCRPS(RSD、カウザルギー)、高次脳機能障害、脊髄の不全損傷などの事件では、主治医の診断が否定されて、症状の全部または一部が実質詐病と判断される判決は決して少なくありません。

  このように患者の症状を否定する判決では加害者側の医学意見が採用されます。医学的裏づけがなければ、裁判官は主治医の判断を否定できないので、これは当然でしょう。

  しかし、すでに検討したように、問題があると思われる医学意見に依拠した判決は少なくありません。もとより上で述べた統計的な見方からは、加害者側の医学意見書の99%以上はその内容が誤っていることとなるはずですので、これは当然のことですが。

4 損保側医学意見書への対応法

  そこで訴訟での損保側医学意見書への初歩的な対応法を述べたいと思います。方法は至ってシンプルです。医学意見書が出されたら、以下の書面を即座に出します。

<以下は、例文です>

  1 求釈明

    被告は、以下の釈明に速やかに応じられたい。

    乙第8号証(医学意見書)は、原告(被害者)に対する主治医の診断を否定するものであり、主治医の診断と医学意見書作成医師の見解が相反するものとなっているため、その作成名義人である甲野太郎医師の意見書作成の事実については、慎重に吟味する必要がある。

    意見書によれば主治医は意図的に虚偽の診断をなしたとも受け取られるが、主治医が虚偽の診断をすることは犯罪となることから、主治医が虚偽の診断を下して、これに基づいて治療をすることは到底想定できないことである。また、主治医の誤診の可能性を高く見積もることはできず、通常は0.1%以下であろう(0.1%の誤診率とすると、例えば1日平均3000人を診察する名古屋大学付属病院では1日3人に誤診がなされ、名古屋市全体では1日100人ほどが誤診を受けることとなるため、主治医の誤診の確率が0.1%というのは高すぎるというべきかもしれない)。

    以上のとおり、通常は患者のほぼ全員が主治医の診断とおりの症状を有すると考えられる。通常は医療機関で診断がなされた患者の99%以上がそのとおりの傷病にり患しているであろう。

    一方で、本件のような医学的知見を必要とする訴訟においては、加害者側からは提出される医学意見書のほぼ全てが、被害者の症状や事故との因果関係を否定する内容であることは、裁判所においても顕著な事実であろう。

    従って、通常は99%以上が正しいはずの主治医の診断に対して、訴訟の場ではこれを否定する医学意見が毎回のように対立当事者から提出されることは奇妙なことであると言わざるを得ない。

    この前提事実の下では、訴訟において加害者側から提出される医学意見書については、加害者側に迎合したものである可能性を否定することはできないため、その証拠そのものの価値については慎重に吟味される必要がある。

    本件では、医学意見書の作成が本当に甲野太郎医師の手によってなされたこと、甲野太郎医師の意見書作成を補助した者がいないことを確認することは絶対に不可欠であり、これがなされない限り、乙第8号証は作成名義の真正は否定され、その証拠価値を否定せざるを得ない。

よって被告は、別紙の書面を参考として、作成名義の真正について回答されたい。仮に意見書の作成を補助した者がいる場合には、その者の氏名、所属する医療機関の名称、住所を回答されたい。

   (別紙)

                  回答書

   名古屋地方裁判所の平成22年第○○○○号事件で私の名義で提出されている意見書は、資料の読み込みからワープロでの打ち込みまで私が単独で行い、これを補助した者はおりません。全て私が単独で作成したものです。

   以上につき証明します。

 

     住所

        ○○病院○○科所属

         氏名                  印

5 民事訴訟法228条1項

これは要するに、「間違いなく自分が単独で作成した。補助者はいない。」と医学意見書の名義人本人に回答させるものですが、とくに高名な医師や高齢の医師の場合には相手側はその回答をしてこないかもしれません。そうなるとその意見書は訴訟での価値を失います。

  民事訴訟法228条1項は、「文書は、その成立が真正であることを証明しなければならない。」と定めています。従って、上記への回答がなされない医学意見書は、証拠としての価値を否定されます。

  意見書だけではなく、裁判所の選任した鑑定書の執筆者に対して、同じ回答を求めることも有効であると思います。私の経験からは、問題を感じる医学意見書や鑑定書は、医師の署名の部分がワープロの印字で、印章は三文判というものが少なくないと思われます。

6 その後の対応

 ⅰ 加害者側はこのような求釈明に対して、それに直接答える回答をせずにやり過ごそうという対応をするかもしれません。まず、求釈明を無視するという方法が考えられますが、この場合は書証の成立を否認して、なおかつ求釈明を繰り返します。私は訴訟の結審まで何回でも(10回でも)繰り返します。そうなれば意見書を書証として採用する裁判官はまずいません。「再度の求釈明」、「再々度の求釈明」、「求釈明(8回目)」・・・と求釈明を繰り返すことは、非常に効果的です。

  

ⅱ このほかに被告側が民事訴訟法228条4号(2段の証明)に従って、その作成名義人の印鑑証明と実印を押した医学意見書を出しなおすという対応もありえます。

  この応答の目的は、「補助者が医学意見書を作成して、自分は監修だけを行った。」との弁解の余地を残すためであると言わざるを得ません。より直接的に「補助者はいない。全部自分が記載した。」との回答をすることに支障がないはずの状況で、このような応答をすることはかなり不自然です。

民事訴訟法228条4項はあくまでも推定規定ですので、端的に回答することを求められ、それが可能であるのにこのような不自然な対応をする場合にまで推定が働くとの見解は成り立ちようがありません。

 ⅲ 以上の方法により、加害者側の医学意見書の多くはその証拠能力を否定できるかもしれませんが、相手方が求釈明に応じてきた場合には、その先の方法は個別の事件ごとに考えてください。

求釈明に応じた事案を経験することは、応じなかった事件で「あの事件では応じた。」という例を出せるというプラス面があります。ただし、これまで検討した判例のなかには、疑問のある医学意見書(鑑定書)を提出した医師が訴訟で証人として出頭していた事案もあるので、上記の対抗策には限界があります。

医学意見書を提出した医師が尋問に出てきたときには、「この医学意見書は間違いなくあなたが資料の読み込みからワープロでの打ち込みまで1人でやられたのですね。」、「この意見書の作成は病院でなされましたか、ご自宅でなされましたか。」、「この意見書のデータはパソコンのハードディスクに記憶されていますか、それとも外部記憶媒体に入れて保管していますか。」、「使われた文書ソフトはワードですか、一太郎ですか。」、「この意見書のデータを他の人が持っていることはありえないわけですね。」などの質問は前提として必須です。

裁判所が選任した鑑定人による意見書においても同じ問題が起こる可能性がありますので、上記の求釈明の内容を予め鑑定人に対する質問事項に入れておくことと、鑑定人が証人として出頭することを事前に確約させることは不可欠です。

   

7 あくまでも一般論ですが

  あくまでも一般論ですが、仮に万が一、医学意見書の作成者が、その作成名義人とは別の方である場合には、文書偽造罪が成立します。交通事故により重度の後遺障害を残すことになった被害者の症状を否定する文書を偽造したとなれば、重大な犯罪と言わざるを得ないでしょう。

  重症事案で被害者の症状が否定されたときには、被害者は数千万円、ときには1億円以上の損害賠償請求権を失うことになりますが、意図的にウソの医学意見を述べて被害者が得るべき損害賠償請求権を失わせることは、極めて悪質な犯罪行為というほかありません。

  仮に万が一、そのような偽造文書を日常的に多数作成していたとなれば、耐震構造計算書変造事件とは比べ物にならないほどの重大犯罪と言わざるを得ないでしょう。現に重度の後遺障害に苦しんでいる方の症状を否定するニセ意見書を多数作成したということになるのですから、悪質極まりない言語道断の鬼畜のごとき犯罪であると言われても仕方のないことでしょう。もちろん、これはあくまでも一般論です。

8 裁判所への対応

  「本当に単独で作成したのか、補助者はいないのか。」という求釈明を執拗に繰り返すと、相手方だけではなく、裁判所からも「しつこいなあ、この弁護士は。」という見方をされるおそれもあります。私はその経験があります。求釈明の繰り返しを不快に受け止めた裁判官(とくに医学意見書を正しいと信じてしまった方)が求釈明を無視した判決をする可能性もあります。従って、求釈明をすることの意義はその都度きちんと説明した方が良いと思います。

  民事訴訟規則145条は、「文書の成立を否認するときは、その理由を明らかにしなければならない。」と規定しています。従って、医学意見書の成立を否認して、上記の求釈明をするときには、理由を丁寧に述べることは不可欠です。

相手方が度重なる求釈明に応じなかったからと言って、腹を立てて上記の第7項の一般論をその特定の事件のこととして記載するのは止めた方が良いと思います。これはあくまでも一般論ですから、個別の事件に決め付けて適用すると名誉毀損となるおそれがあります。

2010年12月 5日 (日)

遅れて診断された左上肢RSD(18.9.28)

1 大阪高裁平成18年9月28日判決(交民集39巻5号1227頁、裁判所HPにも掲載されています。「RSD」で検索できます。)

1審は大阪地裁堺支部平成15年12月1日判決です。

  この事件では、左上肢RSD(CRPSタイプ1)が問題となっています。この事案の特徴は、①いったん後遺障害診断を受けた後に左上肢RSDと診断されたこと、②複数の医師と鑑定人がRSDを肯定したこと、③加害者側が詐病を主張してビデオを提出したこと、④筋萎縮、骨萎縮を重視せずRSDを認めたこと、⑤判決で各種の判定指標に当てはめたこと、⑥判決が5割もの素因減額を認めたことなどです。

2 症状の経過

 ⅰ 被害者は症状固定時41歳のパート従業員兼主婦です。被害者は平成13年11月16日に本件の事故に遭います。事故は比較的軽微であったようです。

  事故当日・・・頚部痛、左背部痛、頭痛などがある。左上肢脱力と痺れ、左肩痛があり、左上肢は挙上困難、関節の可動域制限もあり、頚椎捻挫および左肩関節捻挫診断を受ける。X線では異常なし。

  翌日以降・・・翌日には左上肢は挙上不能となり、左手指に浮腫が生じ、手指の可動性も狭くなり、その後2週間後までに、背中の知覚過敏(なでるだけでも痛い)、頚椎の運動障害と痛み、左肩関節の運動痛及び圧痛、左上肢の脱力感及び痺れ、左前胸部及び左背部の痛みなどが出現し、体動が困難な状況となる。

   その後症状が改善せず、被害者は半年後の平成14年5月18日にいったん症状固定となります。圧痛著明、運動痛、知覚障害、知覚過敏、知覚鈍磨、左手指腫脹、左手指の屈曲不十分、左握力は0.1~1kg、左手のうっ血、冷感等があり、左肩関節可動域制限などで併合11級の後遺障害と判定されていることからは、この時点ですでにRSDは発症していたものと思われますが、まだその診断はされていません。

   被害者はその後も他の病院に通院して治療を続けますが、加害者側から平成15年の初め頃に債務不存在確認訴訟が提起され、平成15年12月1日に1審判決が下されます。この提訴直前頃から被害者にRSDの診断が下されてその治療が始まり、被害者は高裁で反訴を提起しています。

 ⅱ 被害者は、いったん症状固定とされた平成14年5月28日からAクリニックに通院しますが、RSDとの診断は受けませんでした。同年10月15日から通院したB記念病院でRSDとの診断を受け、同年12月24日から通院したC病院でもRSDとの診断を受けます。RSDとの診断を受けるまで1年ほどを要しています。このようにRSDを疑いつつも、慎重になりすぎて診断がかなり遅れる事案はしばしば見かけます。

平成14年10月の筋電図検査では異常がなかったので、神経損傷によらないRSD(CRPSタイプ1)であると考えられます。明らかな神経損傷のないCRPSタイプ1のときは、神経損傷のあるカウザルギーに比べると症状が急激に進行しない傾向があるような感じもします。被害者の症状はその後も悪化し続けていきます。

平成15年2月には労災の意見書でRSDとの所見が書かれて、同年10月の2度目の後遺障害診断書ではRSDとされています。2年後の平成17年10月30日に診察した鑑定人もRSDを認めています。この時点では、左上肢等の疼痛、左半身の冷感、左手掌の発汗、左肘関節以下の知覚障害、手関節以下に軽度のアロディニア、左手背・左手指の著名な皮膚萎縮(左手指根元の腫脹先端の先鋭化)、色調の変化、ロウソク表面のような光沢ある皮膚表面が存在し、皺が正常な右に比べてほとんど消失している。左上肢と頚部に大きな可動域制限があります。最初の症状固定のときに比べてかなり症状が進行して重症化しています。

以上のとおり、本件が典型的なCRPSタイプ1(RSD)であることは明らかで、被害者がRSDであることには問題がない事案といえます。但し、7級4号の後遺障害認定は低すぎると思いますが。

3 加害者側の主張

ⅰ このような典型的に重症化したRSDの事案においても、やはり加害者側は積極的にその診断を争い、強硬に詐病の主張をするという典型的な対応をしています。本件でも被害者の後遺障害を否定して医学意見書を提出してかなり積極的に症状を否定する主張をして、被害者の行動を隠し撮りしたと思われるビデオも提出しています。

  重症化事案でこれほどまでの主張をするのは、少なくとも道義的には間違っていると思います。しかし、これまで見てきたとおり現実には重症化事案においても加害者側の主張を認めてRSDの診断を否定し、さらには被害者が詐病であると判断した判決も少なくありません。そのため医学知識を必要とする事案においては、加害者側はほぼ全ての事件で積極的に被害者の症状を否定し、多くの場合詐病をも主張します。

あくまでも一般論として述べますが、意図的に虚偽の主張をしてその主張に沿う証拠を意図的に作り出し、裁判所を騙して賠償すべき金額の減額を図ろうとすることは犯罪となります。被害者が重症の場合には悪質な犯罪であると言わざるを得ません。

  私は重度のRSD事案で誤診や詐病の可能性は、概ね1万分の1以下と考えていますが、毎回のように誤診や詐病の主張が出てくることは、奇異な感じがします。裁判所は舐められているかもしれません。以下の加害者側の対応は典型例と言えます。

ⅱ 基準の厳格化

加害者側は、通常は全てのRSD患者を排除できるほどの厳格化された基準を主張します。本件ではまずRSDの4主徴の全てが必須であるとの主張をしています。この主張に従う判決は少なくないようです。

もとよりRSDに必須の症状や検査所見がないことは学会では異論がないので、必須の症状を主張するこの主張は誤りです。それが4主徴のすべてとなると論外です。なお、本件では被害者はこの厳格化された基準も満たしているようです。

ⅲ 交感神経ブロック

加害者側は交感神経遮断(神経ブロック)により、明らかな改善が見られることが必要であると主張します。仮に万が一加害者側の主張とおりであるとするとRSDは全て治癒しそうですが、実際には難治性疾患とされています。

CRPS(RSD)では神経ブロックの効果がない患者は少なくないようで、CRPS(RSD)の中には神経ブロックによりかえって症状が悪化するもの(ABC症候群)もあります。

ⅳ 筋萎縮

加害者側は重症化したRSDには重度の筋萎縮が必要と主張します。これも基準厳格化主張の典型です。困ったことにこのレベルの主張さえも認める判決が散見されます。しかし、私の知る限り筋萎縮をRSDの判定指標に含めるものはいまだかつて1つもありません。その筋萎縮が重度である必要性はなおさらありません。

ⅴ 骨萎縮

加害者側は、事故後早期に重度の骨萎縮が生じる必要があると主張します。本件ではある程度の骨萎縮があったことから、加害者側は要件をさらに厳しくして「事故後早期の重度の骨萎縮」という主張をしたようです。重度の骨萎縮の主張は自賠責保険の基準を引用して強調することが、加害者側の典型パターンですが、本件では単に重度を要求するだけでは足りないので自賠基準は引用されていないようです。

もとよりCRPS(RSD)に必須の症状や検査所見がないことは、医学的には異論なく認められています。しかも、骨萎縮は重視すべき要素でもありません。この骨萎縮が重度である必要はなおさらありません。

  判決は、証拠文献を引用して「骨萎縮については、RSDの場合に骨萎縮が出る場合と出ない場合があるのみならず、その出現する時期にも個体格差があることから、国際的な診断基準(国際疼痛学会の基準等)も骨萎縮を筋萎縮と並んで要件とはしていないところ、骨萎縮は、疼痛のために罹患肢を使用できなかったことから発生することもあり、骨萎縮や筋萎縮の存在しないことが、RSDの存在を否定する根拠となるものではない」としてこれを否定します。正しい論理です。

ⅵ 筋電図検査

加害者側は、医学意見書で末梢神経に障害がないことが電気生理学的検査で裏付けられると主張します。これに対して判決は、それはCRPSタイプ1(明らかな神経損傷のないもの)に分類されるとします。

  RSD事案では筋電図検査で神経の損傷が発見される場合もありますが、この場合には加害者側から「筋電図はあてにならない。」、「筋電図の読み取りが間違っている。」という主張が出てくることが通常であると思います。困ったことにこのような主張さえも認めた判決もありますが、電気生理学検査は被験者の意思に左右されるものではなく、普段の診断や手術にこの検査結果が用いられるので、その読み取りを誤ることはまずあり得ません。

ⅶ 病期説との不一致

加害者側はRSDの「病期」に従った症状が生じていないと主張します。困ったことにこの主張を認めた判決さえも散見されますが、すでに他のところで述べたとおり、臨床での大規模調査の結果、病期の存在そのものが今の学会ではほぼ完全に否定されています。もとより病期は治療の参考程度のものであり、RSDの診断基準ですらありません。

 

 ⅷ 医学意見書

   以上の加害者側の主張は全て医学意見書に記載されていると思われます。もとよりCRPSの診断を下すような高度医療機関での診断が誤診である可能性はそれ自体低いといえます。私は詐病の可能性を含めて、概ね1万分の1以下であると考えています。これ以上可能性を高くすると、大学病院で年に数名から十数名の患者が診断という基本レベルの重大な過誤を受けることになってしまうので、確率論的に支持できません。

   訴訟では医学的な問題が争われる事件のほぼ全部で医学意見書が提出されます。普通に考えればその99%以上が主治医の診断と同じ結論になるはずですが、現実にはほぼ全ての医学意見書で被害者への診断を否定する意見が断定的に切々と述べられるようです。華々しい経歴の医師による意見書も少なくないようです。上記の確率論に従うと、このような医学意見書が正しい可能性は1万分の1以下です。この可能性を考慮に入れるかどうかは、判断の重大な分岐点となります。

   多くの医学意見書は、その名義人が異なるにも関わらず、同じような主張をしてくる傾向があります。不思議ですね。

4 特別調査

ⅰ 加害者側は、被害者の行動を隠し撮りしたと思われるビデオを証拠として提出したようです。これも加害者側の対応でよく見られるものです。被害者は車を運転して、仕事の得意先周りをしていたようで、左肘を曲げてドアを閉めたところなどが撮影されたようです。そのことが被害者の主張する可動域制限に反するとして詐病であると主張したようです。

ⅱ 被害者の詐病を認定する判決では、この種のビデオの映像を詐病との認定の根拠にするものが散見されます。この種のビデオは障害者が障害のない部分を最大限使用して日常生活の上で動作を行うという当たり前のことを逆手に取って、被害者の動作を強調することにより、「これだけ動かせるのは、被害者の主張とは食い違う」という方向に持っていく傾向があるようです。

私の見た判決のなかには被害者の主張する可動域に明らかに反するビデオが提出されたものはありません。本来であれば被害者の主張する可動域制限と明確な矛盾がない限りこの種の証拠には意味はないはずですが、現実には「こんなにも活動的であるのはおかしい。」という情緒面に訴える証拠としての意味があり、このようなビデオが提出されることは少なくないように思います。

ⅲ 判決ではこの時期の被害者の左肘の可動域と矛盾しないことや、右手のみでハンドル操作可能な障害者用ハンドルグリップを設置していたことなどを指摘して、これを退けています。

5 RSDの診断基準

 ⅰ 判決は、細やかな事実認定をして積極的に被害者の症状を分類して認定し、これを4つの診断基準にそれぞれ当てはめていきます。判決は、まず国際疼痛学会(IASP)の94年版の指標にあてはめて、被害者がRSD(CRPSタイプ1)であると認定して、ほかの基準は裏づけとして用いるという論理構造をとっていますが、私もこの時点では最も正しい方法であると思います。私はこの判決の基準の当てはめの部分は他の判決に比べても特に優れていると思います。

 ⅱ なお現時点では、IASP94年版の指標に加えて、臨床における感度・特異度の裏づけのある日本版のCRPS判定指標(臨床用)が適用されるべきであると思います。

   判決は、ギボンズの基準の当てはめもしていますが、医学書によるとギボンズの基準は世界的にはほとんど用いられず、日本ではペインクリニックと裁判で多く用いられているようです。たしかに雑多な項目に重症度も混ぜてスコア化する荒っぽいもので、問題の多い基準であると思います。

6 被害者が後発の事故に遭ったこと

 ⅰ 被害者は、平成13年11月の本件の事故(第1事故)のあとに、平成16年10月に一時停止中に追突事故(第2事故)に遭い、平成17年8月にも追突事故(第3事故)に遭っています。判決によると、第1事故よりも第2、第3事故の方が重い事故だったようです。

 ⅱ 判決はこのことを減額要素として考慮していますが、かなり疑問です。被害者のRSDは、第2事故よりも前に重症化しているので、これを減額要素とする余地はないと思います。仮に万が一原因競合を認めるとしても、原因競合の場合に連帯責任を広く認める最高裁判例とも整合しにくいので、この部分はかなり不可解です。

   判決は、この後発事故と被害者の心因的素因を混ぜて減額要素としたため、どちらも十分な考察がなされていません。この判決はこの部分に至るまではほとんど完璧な流れであっただけに残念です。

7 心因的素因

 ⅰ この判決は、他の部分は優れているのですが、被害者の心因的素因を重視して、5割もの過失相殺を認めている部分は、さすがに同意できません。心因的素因を認めた裁判例は、「特定の心的状況が特定の身体状況を引き起こす蓋然性がある」という素因の結果に対する寄与を具体的に説明せず、その内容を不明確なまま認めたものがほぼ全部ですが、この判決のように不明確なまま5割も認めるのは尋常ではないと思います。

  判決は、被害者の心因的素因として、被害者が事故前に心療内科などに長く通院していたなどの特殊の精神状況を認定しているわけではありません。特定の精神状況が特定の疾患の発症につながるという医学的知見を引用して、被害者に当てはめているわけでもありません。従って、「ストレスで胃に穴が開いた」というレベルの関連性さえ判決には書かれていません。

この状況で心因的素因を認めることは証拠に基づく裁判を否定するものであり、尋常ではないと思いますが、心因的素因を認めた裁判例の圧倒的大多数がこのようなものです。判決では心象的なイメージとして心因的素因が用いられています。心因的素因はこのように中身の空洞化した虚像として用いられ、被害者のちょっとした言動に対する懲罰的な用いられ方も多く見られます。それにしても5割というのは、尋常ではありません。

ⅱ 判決が心因的素因の認定に際して最も重視したのは、本件事故が軽微であったことです。つまり心因的素因は減額のための方便あるので、空洞化は当然とも言えます。

現実の心因的素因の認定の多くは、このような「軽微の事故から重大な障害が生じた」という状況で、「このような軽微な事故から重大な障害を生じる人は特殊であるから、加害者に全額の賠償を負わせるのは適切ではない」という実感に合わせた結論に向けて帳尻あわせに用いられているため、中身が空洞化しています。

仮に事故が軽微ではなくとも、「このような特殊な疾患を発症するのは本人にそれを生じさせる特殊な素因があったからに違いない」という実感が背景にあり、そこから「加害者に損害の全部を賠償させるのは適切ではない」という実感に近づけるための帳尻あわせにも素因が用いられます。

この判決は、「現在の症状が本件事故のみに起因するとは考え難い」という鑑定人の意見を引用して重視します。たしかに軽微な事故から重大な後遺障害が生じた場合に加害者にその全部の賠償責任を負わせるのは酷であるというのは一つのありうる考えです。

 ⅲ しかし、原因となる事故からは想定しがたい重症化を生じるのがCRPS(RSD)の特徴でもあるので、この理屈ではCRPSを発症すれば自動的に心因的素因が認定されそうです。事実、CRPS事案では心因的素因を認定するものが少なくありません。

  例えば軽微な接触であるのに、転んだ場所にたまたま突起物があって頭を打って運悪く死亡した場合に、心因的素因を持ち出して賠償額を減額することが正しいでしょうか。

これが誤りであることは誰にでも理解できると思います。この判決はこの理屈と区別することが困難です。なぜなら、RSDの発症に関わる身体的素因も心因的素因も医学的には認められていないのですから。

  特定の心的状況が特定の疾患を引き起こすという医学的裏付けがなく、むしろ医学的にはこれが否定されている状況で、「軽微な事故から重大な後遺症が生じた」ことを、ほとんど直接的に心因的素因に結びつけることは、明らかな論理の飛躍があります。

  もとより、軽微な接触で予期せぬ損害(死亡など)が生じたことそれ自体をもって、加害者の責任を減じる理由とはなりません。被害者にしてみれば、事故に遭うまでは自分がRSDを発症するなどとは想像したこともないでしょう。

ⅳ CRPSについては、現在の医学では身体的素因も心因的素因も否定する考えが圧倒的通説です。それはそのような統計的な実態がないことと、怪我の仕方に相関する発症頻度の違いが認められていることによります。このことは全ての人について怪我の仕方が悪ければ「悪魔の当選くじ」を引く可能性があることを意味します。

  多くの判例に見られる「このような特殊な疾患は特殊な素因の持ち主にしか生じないはずである」とのニュアンスは、それ自体が差別的であることをひとまず措くとして、その実体的なものの見方にも違和感があります。

  例えば、宝くじで1億円を当てた人は、特殊な人でしょうか。霊感が強いとか、生まれつき運が強いとか、当選者に同じ趣味があるといった特殊性は全くありません。くじが売られて当選番号が決められれば、当選者がランダムに決定されるに過ぎません。

CRPSについても現在の医学では、被害者のほぼ全員が「悪魔の当選くじ」を引いたものとされます。このように考えていくと、くじで当選した人に特殊な素因がないように、CRPSにり患したことについて素因がないというのは、現在の医学的知見を前提とすれば当たり前の結論であると思います。

ⅴ なお、私は、かりに軽微な事故により重大な結果を引き起こす要因を有していたとしても、これをもって直ちに素因減額することには、より強く反対します。

例えば、血友病のために軽微な接触による出血が止まらず、重大な後遺障害が生じたとして、その責任を血友病のある被害者に負わせることは、病者に対する差別そのものだからです。その疾患が本人に責められないもの(血友病や頚椎後縦靭帯骨化症のように遺伝的なもの)であった場合には、それをもって減額することは単なる差別であることは、誰にでも理解できることであると思います。これに対して、飲酒や喫煙を原因とする疾患が事故による結果の拡大に影響したのであれば、それはその被害者にも責められる事情があるので、この場合には素因として考慮するべきであると思います。

世の中には色々な人がいることにより成り立っているので、責められるべき事情のない病者や障害者が「事故にあったときにはその病気・障害を理由に賠償額が自動的に少なくなる」という劣った地位に位置づけられることは正しくありません。従って、疾患の存在から直接的に身体的素因を認める平成8年の最高裁判決は間違っていると思います。

  この判決は、既往疾患の存在が明白である場合には、逆に差別そのものであるということに思い至っていないために、安易に心因的素因を方便として用いたと言えます。それにしても5割もの素因減額は差別に対しての感受性が低すぎると言えます。世の中には多様な人間がいて多様な損害が発生する可能性があることが損害賠償事件の当然の前提ですので、少数者の差別につながるような発想は避けるべきです。