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素因

2016年2月 6日 (土)

頭部外傷後の統合失調症(53.7.4)

1 東京高裁昭和53年7月4日判決(交民集114956頁)

  かなり古い裁判例です。この裁判例は、「原因競合」の事例として、交通事故判例百選(別冊ジュリスト94号・1987年、42頁)に掲載されています。判例時報90954頁、判例タイムズ378136頁にも掲載されており、当時は注目されていた裁判例です。

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   この裁判例の特徴は、①遺伝的素因と事故との原因競合により統合失調症を生じたと考えたこと、②判決の統合失調症に対する理解に誤りがあること、③素因減額論に一定の影響を与えた裁判例であることなどです。

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2 事故状況

 被害者は事故当時19歳前後(弟が17歳より推測)の男子会社員です。 昭和45年9月20日に被害者が弟を乗せてオートバイを運転していたところ、対向車線の加害車両が追い越しに失敗してセンターラインを越えて停止しており、これに気付いて急ブレーキをかけるも路面が水にぬれていたこともあって転倒し、加害車両に接触し、左肘挫創、頭部外傷などの怪我をしました。

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3 過失割合

ⅰ 別冊判例タイムズの過失相殺の認定基準(284頁)では、センターラインを越えた側の過失は原則100%です。センターラインオーバーは運転として異常であり、危険性も高いので、これは当然です。

但し、右折や右側にある駐車場に入るためなどの事情でセンターラインを越えた場合の過失は原則90%です(282頁)。右折時に停止することと、右折車両を予測できる状況が存在することにより加害者側の過失割合が10%減らされたと考えられます。

本件では加害車両はセンターラインを越えた(100%)ものの、停止していたこと(-10%)、右折する車両が予想できる場所ではないこと(+5%)から、過失割合は原則95%と考えられます。

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 ⅱ 判決は、対向車線の加害車両が追い越しに失敗してはみ出して停止していたのを、被害者は実際に気付いた位置よりもかなり前の位置から確認できたはずであるとして、被害者に25%の過失があるとしました。

しかし、判例タイムズの基準では気付くのが遅れただけでは被害者の過失割合を増やす事情にはなりません。センターラインオーバーという異常事態を予測するべき注意義務はなく、発見が遅れることは原則の割合に折り込まれています。

   判決は湖畔沿いの見とおしの良い道路であることにも触れています。見とおしが良い道路なので、より早くセンターラインオーバーの加害車両を発見できたとの趣旨です。この点は逆にも考えられます。信号機がなく車両の流れが良い場所で対向車線にはみ出して停止することは異常性を高める事情(想定外の事情は対応が遅れやすい)になります。

被害者はオートバイに二人乗りしていたものの、ヘルメットをしていたことなどから、この事情を過失とみることはできません。オートバイに二人乗りしているときには、回避行動が円滑に行かないので、このことをもって被害者の過失を増やす事情とすることも妥当ではありません。私は被害者の過失は原則とおり5%でよかったと思います。仮に、被害者側の過失を重く見るとしても10%が限度であると思います。

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 ⅲ 素因減額が問題となる事案では、過失割合が被害者側に不利に判断されている事案は少なくありません。本件は特に被害者側に不利な判断がなされています。仮に被害者の怪我が鎖骨骨折などの分かりやすいものであったならば、被害者の過失は格段に低く(10%以下と)判断されたと思います。本件では被害者の症状が重く、統合失調症という特殊なものであったため、過失相殺で帳尻を合わせた感じがします。

その背後には、「この事故でここまでの怪我をする人は少ないはずだ。被害者には特殊な素因があるから特殊な症状が生じたのだ。その特殊性ゆえに賠償額を増やすのはよくない。」といった実感があるように感じます。

私はこの考えは良くないと思います。素因減額がからんだ事案では、差別感覚がにじみ出ている判決は少なくありません。

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4 症状の経過

  以下で統合失調症とあるのは、判決では全て精神分裂病(統合失調症の古い名称)と表記されています。被害者は事故直後から頭痛、首の痛みを訴え、その治療を受けている中に不眠が続き、3か月ほどの間に近親者に対する反抗、独語、空笑等の症状がみられるようになります。

  その後、頭部打撲後後遺症、統合失調症様症状の病名で治療を続けるも、頭痛を頻繁に訴え性格障害の症状や急性錯乱状態で家具を壊したり、暴れたりするようになりました。

  長期の入通院を経て、事故の4年3か月後には意識障害の疑いで入院した病院で脳波に異常があるとされ、その後の治療で脳波の改善が確認され、退院時には錯乱状態はおさまりました。しかし、その後の入通院の長期化からは、何回か症状が再発したと考えられます。

  被害者は事故の4年6か月後ころに初めて統合失調症との診断を受け、診断した医師は、「破瓜型(解体型)と緊張型の中間位の精神分裂病」であるとします。事故から約8年後の高裁判決の時点でもその症状が続き、就労に復帰できていない状況が続いていたようです。

5 現在の視点でも統合失調症となるか

 ⅰ 被害者は頭部外傷後の症状が悪化して統合失調症に至ったとされ、主治医は破瓜型と緊張型の中間くらいの統合失調症としました。

破瓜型とは今でいう解体型です。破瓜型という名称の頃は思春期頃に発症して、退行した子供のような傾向が生じること(自分の世界に閉じこもる。独り言をいう。1人でニヤニヤ笑ったり、奇妙なしぐさをしたりする)が重視されていました。名称が解体型とされたのは、外界を認識するまとまりの悪さ(常識的な世界を認識していない。脈絡のない話をする)が重視されたからです。

緊張型は、激しい興奮が出現する一方で、全く逆の無反応な状態が出現するタイプです。本件では急性錯乱がこれにあたるとされたようです。

 

 ⅱ しかし、現在であれば自賠責で高次脳機能障害(頭部外傷後の後遺症)として扱われる可能性が高い事案であると思います。上で述べた「性格障害」については、頭部外傷後に感情の抑制が効かなくなり、粗暴な言動をすることは、高次脳機能障害では少なからず見られます。また、感情の抑制が効かず、突発的に錯乱のような症状になることも考えられます。さらに急性錯乱については、せん妄の可能性もあります。

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6 せん妄ではなかろうか?

ⅰ 被害者は頭部外傷後に酷い頭痛に悩まされ、そのために不眠が続いて、その結果、意識低下ないし意識混濁の状況で急性の錯乱状態になったようです。脳波検査では意識障害の疑いありとされています。この部分を読んで率直に思ったことは、統合失調症ではなく、せん妄ではなかろうかということです。頭部外傷、不眠、意識低下、急性錯乱などせん妄の特徴を多く有しています。

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 ⅱ せん妄とは身体疾患が原因となって急性の脳障害が惹起される意識混濁とされ、意識が不鮮明な状態での言動や、錯覚、幻覚、妄想、興奮などが特徴的とされます。

本件でも上で挙げた独り言、空笑い、意識障害など全ての症状がせん妄でも生じるものです。現在においても、認知症と間違われるなどしてせん妄が見落とされることが少なくないとされています(『せん妄診療はじめの一歩』15頁)。

   判決には症状の詳細は記載されていませんが、症状の発現の仕方(急激であるかどうか)、症状の日内変動(夜間に多いか)、症状の持続期間、注意障害の有無、見当識障害の有無、記憶障害の有無、思考態様などを検討して、せん妄との区別をする必要があります。

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7 統合失調症もありうる

 ⅰ 本件では経過観察を経て事故から4年半後頃に正式に統合失調症と診断されています。その後に長期化した入通院の過程でもこの診断は維持されています。従って、初期の症状がせん妄であったとしても、症状の慢性化により、統合失調症を併発した可能性も考えられます(これを併発と言えるかは問題がありそうですが)。本件では当初からせん妄が疑われずに統合失調症が疑われている点に疑問がありますが、統合失調症の可能性も考えられます。

   外傷後に統合失調症になることは症例としてありうることや、交通事故の裁判例でも事故後の統合失調症の発症が散見されるので、この事案も統合失調症との診断が正しいものとして以下の検討をします。

統合失調症は最新の精神疾患の分類(DSM-5)の中では「統合失調症スペクトラム障害および他の精神病性障害」とされ、せん妄はこれとは別の「神経認知障害群」のなかに位置づけられています。

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 ⅱ この判決に限らず、患者の症状の詳細を記載せずに、それを代替させる感覚で病名を記載している裁判例はしばしば見かけます。

しかし、ほとんどの疾患は必須の症状は1つもありません。同じ病名でも個別の患者の症状にはかなりの幅があるので、症状の詳細を述べなければ個々の患者の症状は分かりません。訴訟での金銭評価の対象は個々の被害者の具体的症状です。判決では被害者の具体的症状を認定して、それを金銭評価して賠償額を算定する手順を踏む必要があります。 

   本件では、判決では統合失調症で見られる典型症状が被害者に生じているとの前提で、症状の詳細を記載しなかったようにも見受けられます。しかし、判決に記載された症状のみをみれば、頭部外傷によるせん妄様の症状を呈する認知機能の障害として、高次脳機能障害の範疇におさまるものしか書かれていません。

   裁判例からは、細かな症状を判決で認定することに躊躇する裁判官は少なくないように見受けられます。個々の細かな症状の1つ1つを確実に裏付ける証拠は存在しないからです。確実な証拠がないと事実を認定しない傾向の強い裁判官は少なからずいます。これは「確実症候群」ともいうべき誤りです。証明度を高くしすぎる誤りです。

証明度を高くする説においても「おそらく~であろう」との心証(80%の心証。高度の蓋然性)で事実を認定できるとされています。学説では60%の心証で足りるとする説が多数を占めています。しかし、確実症候群に陥ると確実な証拠がない場合にはすぐに証明責任や代替概念(病名)に飛び付く傾向があります。これは事実認定に証明責任を取り込む誤りです。

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8 統合失調症の遺伝的要因

 ⅰ 判決で最も気になったのは統合失調症について述べた部分です。

判決は「一般に、精神分裂病は医学上遺伝性精神病とされ、遺伝性素因のない者は後天的な原因により発病することはありえないものとされ、法制度上も例えば優生保護法別表第一のようにこれを遺伝性精神病としている」と述べます。

上記のうち、「遺伝的素因のない者は後天的な原因により発病することはありえない」とする部分は、判決の書かれた昭和53年当時でも異端説であると思います。統合失調症の家族・親族内発症は古くから研究されてきたところ、家族・親族に患者がいない方でも発症することは古くから認められてきました。何ゆえここまでの異端説を判決が信じてしまったのか疑問です。優生保護法とセットで述べるこの部分は、判決の背後にある偏見の強さが出ています。

 優生保護法は、昭和15年(1940年)の国民優生法(断種法)を沿革として昭和23年に制定された法律で、優生思想のもとに中絶を強制するものです。第1条で「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」と明言した法律は、さすがに差別的な色彩が強すぎると思います。

改正されたのはそれほど古いことではなく、平成8年(1996年)の改正で母体保護法と法律名が変えられ、強制断種の条項が削除されました。

   旧法の別表の第1号では、遺伝性精神病として精神分裂病だけでなく、そううつ病やてんかんも列挙されています。これらの疾患の患者の全員を遺伝性とする理解は、法律制定の当時でも通用しなかったと思います。おそらくは症状が重く、近親者の状況から遺伝性が強いと推測できる事案が対象とされたのではないかと思います。上記以外にも多くの疾患が列挙されています。4号では20ほど列挙した中に血友病も含まれています。血友病は患者によって症状に大きな差があります。

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 ⅱ 遺伝的要因のある(強い)統合失調症が存在することは事実ですが、遺伝的要因がない人(低い人)も発症します。「統合失調症の発病危険率が一般人口のおおよそ1%であるのに対し、患者の第1度親族(両親、きょうだい、子供)の発病危険率はおおよそ10%と高く、両親がともに統合失調症であると危険率は50%に高まる。」(『知っておきたい精神医学の基礎知識、第2版』122頁)との理解が一般的であると思います。

   遺伝的要因といっても、統合失調症を発症させる遺伝子を特定して、ゲノム解析により遺伝子の有無を調べたわけではありません。近い親族に統合失調症を発症した人がいる場合に、その人が発症するリスクが高いという疫学的な事実をもって遺伝的要因としています。

   親族に統合失調症を発症した人がいなくとも発症する危険率が1%であることからは、全ての人が統合失調症を発症するリスクを有していると言えます。

遺伝子が全て同一である一卵性双生児であっても、1人が発症しても残りの1人が発症する確率は30%に過ぎないことからは、統合失調症の発症には社会的要因(環境)が関与しているとされます(『統合失調症がよくわかる本』83頁)。なお、一卵性双生児の場合は50%とする著書もあります(PHP新書『統合失調症-その新たなる真実』岡田尊司156頁)。 

   細かい話ですが、全く同一の遺伝子であっても、出生後に発現するかどうかがランダムに決まるものがあり(そのような遺伝性疾患もあります)、統合失調症に関連する遺伝子にこの性質があれば、一卵性双生児でも発症する人としない人に分かれます。

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 ⅲ 以上のとおり、判決が統合失調症は「遺伝性素因のない者は後天的な原因により発病することはありえない」と断言したことは誤りとなります。この誤りは判決の書かれた昭和53年当時でも十分に認識できたはずであり、不可解な感じもします。

なお、昭和62年の交通事故判例百選の解説では「遺伝的要因は、全統計としては有意に認められるが、規則性はない」とする医学大事典(南山堂)の記述を引用して、判決の考えを実質的に否定しています。

   判決が引用する主治医の意見には「精神分裂病は原因不明の疾患であるが遺伝的体質的素質の上に身体的心理的影響が加わって発病すると一般に考えられています」とあります。これを拡大解釈すると判決の理屈が導き出されますが、主治医は判決のような極端な考えを述べているわけではありません。

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 ⅳ なお、判決は被害者には統合失調症などの精神疾患の既往症はなく、被害者の近親者にもそのような病人はいないとも書いています。そうであれば、この被害者は遺伝的要因がない(低い)状況で統合失調症を発症したことになるはずです。

しかし、判決は、統合失調症は遺伝的素因がない人に発症することはあり得ないとする前提から、発症した人については、漏れなく遺伝的要因を考慮するべきであるとの方向に向かいました。

判決には、「統合失調症はごく一部(2~3%)の特殊な人達だけが発症する疾患で、社会の大多数の人々には無関係な疾患である」との差別感覚が強く出ています。現実には、人類のなかに統合失調症を発症しないと保証できる人は存在しません。

なお、統合失調症は不治の病ではありません。治療により治癒(寛解といいます)する人も多く存在します。判決からは、統合失調症はいったん発症したら治らない特殊な疾患であるとの偏見もにじみ出ています。

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ⅴ うつ病や統合失調症にり患すると、「もともとそのような病気を発症する人だった」との後知恵バイアスにさらされやすい面があります。

   うつ病に関しては、職場でのいじめやパワハラなどのほか、脳腫瘍、脳梗塞、パーキンソン病、甲状腺機能低下、アルコール依存、インターフェロンの投与など、遺伝とは関係しない多くの原因によっても発症します(加藤忠史『うつ病治療の基礎知識』15頁以下)。

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9 遺伝的要因と事故との競合

 ⅰ 判決は、統合失調症について「遺伝性素因のない者は後天的な原因により発病することはありえない」としたことから、発症した統合失調症は全て遺伝によるものということになりました。しかも、優生保護法を引用して、その遺伝的素因を有しているのは人口の中のごくわずかな人達だけであるとのニュアンスで述べています。

   一方で、判決は事故による頭部外傷が統合失調症を発症した間接的誘引にとなることまでも全く否定されているわけではないとして、頭部外傷と統合失調症との間に因果関係が肯定できるとしました。

   その上で、事故後の症状経過や主治医の意見を参照して、被害者の統合失調症の発症について、事故が間接的な誘引をなし、それがかなりの影響力を有していたとして、事故の起因力を3分の1としました。つまり、統合失調症を生じた原因の3分の2が遺伝性素因にあるとしました。

   この判決が注目されたのはこの部分です。この判決は「起因力」という表現で原因を分割して、事故が3分の1の原因であるとした点において、新奇性があるとされました。

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 ⅱ しかし、被害者が統合失調症を発症した原因の3分の1が事故にあるとして、残りの3分の2が被害者の遺伝子にあるとしたのは、大いに疑問です。要するに、被害者に対して「君が統合失調症を発症したのは君の遺伝子が悪いからだ」と正面切って宣言したことになります。かなり酷いことを言っています。

   上記のとおり、被害者は近親者に統合失調症の患者がいないので、遺伝的要因が低い部類に属します。また、人類の中には統合失調症を発症しないと保障できる人は存在しません。従って、判決が統合失調症を発症した原因の3分の2が遺伝的要因にあるとしたことは、事実認定として誤っています。発症リスクの観点からは遺伝的要因の作用した寄与度は一般人と同じ1%ほどになるはずです。

本件では、頭部外傷後に頭痛や不眠などからせん妄様の症状を呈して、その後に統合失調症を発症した経過も考慮すると、事故に遭わなければこの被害者は一生統合失調症を発症しなかったであろうと考えられます。よって、仮に「原因競合」の判断枠組を認めるとしても、この事件に関しては被害者の統合失調症の原因は事故のみにあると考えられます。

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10 結果からリスクを導き出す誤り

 ⅰ 以上の考えに対しては、「この人は現に統合失調症を発症したのであり、それはもともと統合失調症を発症するリスクが一般人よりも高かったからである」との反論が考えられます。確かに、基準時点での発症リスクが1%(一般人と同様)であるとしても、その後に判明した事情を考慮して、発症リスクを変化させることは、理屈としては間違っていません。ベイズ理論はこのような考えが基本となっています。

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 ⅱ しかし、統合失調症の発症リスクの検討において、統合失調症を発症したこと自体を考慮することには問題があります。発症リスク1%の人が統合失調症を発症したのか、発症リスク10%の人が統合失調症を発症したのかを判断する文脈で、「現に発症したから発症リスク10%の人だった」とすることは誤りです。

統合失調症の発症リスクの検討では、統合失調症を発症する前の事情(厳密に言うと、発症したこと以外)を検討する必要があります。本件では事故前に統合失調症の発症につながる徴候は確認されていないので、発症リスクは1%のままです。

判決は被害者の近親者には統合失調症の患者はいないとしながらも、「現に発症したのは、もともと発症しやすかったからである」との感覚で発症リスク66%(3分の2)とする前提で原因競合を述べていますが、この理屈は誤りというほかありません。また、差別的な感覚が強くにじみ出ています。

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 ⅲ なお、統合失調症を発症こと自体ではなく、発症した人の遺伝子を解析するという前提では、別の理屈が成り立ちます。

親族に統合失調症の患者がいない状況で統合失調症を発症した集団であっても、ゲノム解析で遺伝子を調べた場合には、発症しなかった集団に比べて、何らかの特徴を有している人が多く含まれていると思います。

   健康な人であっても、ほぼ全ての人は何らかの遺伝性疾患の潜在的遺伝子を有しており、配偶者がたまたま同じ遺伝性疾患の潜在的遺伝子を有していれば子供にその遺伝子が発現する可能性があります。

潜在的遺伝子を有しない場合でも、遺伝子の突然変異により遺伝性疾患を発症しやすい遺伝子が生じる可能性もあります。例えば妊娠時に病気にかかったことにより、遺伝子変異が生じる可能性もあります。

   このような事情から、親族に統合失調症の患者がいない状況で統合失調症を発症した集団においても、統合失調症患者に多く見られる遺伝子を有している人の割合が高くなっていると思います。

   これは発症したこと自体により、発症リスクが高くなったという話ではなく、DNAを解析したならば遺伝的要因が発見される人の割合が高いであろうという話です。統合失調症を発症した人の中には遺伝的要因のない(低い)人もいるので、発症したことを理由にその人の遺伝的要因が強いとは言えません。

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 ⅳ 統合失調症の遺伝子については、20084月までの1921論文で690の候補遺伝子が報告されましたが、再現性のある結果はほとんど得られませんでした。一方で2008年から始まった大規模ゲノム解析プロジェクトでは統合失調症に関連する可能性がある一塩基多型(SNP)が3800万個も同定されました(以上、『こころの科学』18088頁。20153月)。これだけ多いと、どの遺伝子が作用しているのか全く不明です。

   但し、数キロ塩基以上に及ぶコピー数変異(CNV)のうち10数個が統合失調症と関連することが判明しています(上掲89頁)。『統合失調症-その新たなる真実』(岡田尊司)159頁で言及されているディスク1と呼ばれている遺伝子変異(1番染色体と11番染色体の転座)もこれにあたると思います。

   もちろん、これらの遺伝子変異があっても統合失調症を発症しない人もおり、発症しない人が大半であるものもあります。統合失調症にり患しても寛解する(完治する)人も少なくないことから、環境的な要因も一定の割合で影響していると思います。

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11 素因減額論の差別的性質

 ⅰ 本件とは異なり、仮に被害者の近親者に統合失調症の患者がいて、事故時点での発症リスクが10%であるとして、それを考慮して10%の原因競合を認めることは妥当でしょうか。この場合に、「君が統合失調症を発症したのは君の遺伝子にも原因があるんだ」とすることは、遺伝子レベルで差別することになります。素因減額を認める考えには、この差別的な性質が不可避的に生じます。

   素因が明確に特定された場合には、その素因を理由に無条件で被害者が受け取るべき賠償額が減らされるため、被害者に落ち度がなくとも素因を保有していることそれ自体が差別扱いの根拠になります。

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 ⅱ 例えば、血友病の患者が事故による出血が止まりにくいため重い後遺障害を残したとして、血友病を素因として大幅な減額をすることは、差別的な性格が強いと考えられます。事故に遭わなければその後遺障害を残すことなく一生を終えたであろうという人に対して、血友病を理由に素因減額することは差別というほかありません。

   本件においては、被害者は事故に遭わなければ統合失調症を発症することがなく一生を終えたであろうと考えられます。事故前には何も症状が出ていないにも関わらず、遺伝的要因を理由に減額したことは、差別的な傾向が強く出ています。

頚椎後縦靭帯骨化症が素因とされた裁判例は多く、事故時に頚椎後縦靭帯骨化症が存在し、そのために怪我が重くなったこと(四肢麻痺などの重症化が生じたこと)が素因減額の対象とされています。しかし、この事案においても、その人は事故に遭わなければそのような重大な後遺障害を残すことなく一生を終えたと考えられます。

   以上のように見てくると、被害者が重い後遺障害を残すことになったのは、加害者の不注意のせいであって、被害者の素因のせいではないと言わざるを得ません。何の落ち度もない被害者の素因に責任を負わせる考えは、差別的な本質が不可避的に生じます。

本件のように事故時に何一つ症状が生じていないにも関わらず、「悪い遺伝子を持っていたはずだ」として差別扱いすることは、かなり悪質な差別であると思います。

2012年1月27日 (金)

左胸部CRPSの肯定(18.1.24)

1 札幌地裁平成18年1月24日判決(自保ジャーナル1665号11頁)

  判決は抜粋ですので、症状の経過などの詳細は不明です。

  この事案の特徴は、①左胸部のCRPSであること、②神経因性疼痛のメカニズムについて詳細な言及があること、③症状固定時期の認定が詳細であること、④就労と家事労働の逸失利益を区分したこと、⑤心因的素因をきっちり否定したことなどです。

2 症状の経過

ⅰ 被害者は事故時46歳の美容業兼主婦です。被害者は平成8年7月7日にセンターラインオーバーの対向車との衝突により、多発肋骨骨折等でCRPSを発症します。判決が抜粋のため事故後の症状の経過は不明です。

   被害者は、事故により左第6、7、8、肋骨骨折、両膝・両大腿・左肘挫傷、右膝挫創、頚椎捻挫、腰椎捻挫、頭部・右手関節打撲、右手捻挫、右膝蓋靭帯損傷(外傷性関節症)、左肋間神経痛、右膝内部痛(正座不可)、右膝内側知覚異常の傷害を負ったとあり、かなりの重症を負っています。

   被害者は左肋骨の多発骨折により早期から左胸部にCRPSの特徴的な症状を生じていたようです。

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 ⅱ 胸部のCRPS(RSD)は判例では少数です。加害者はCRPS(RSD)ではないと争いますが、判決はCRPSの特徴的な症状を多く列記(灼熱痛、痛覚過敏、知覚障害、強い持続痛、アロディニア、皮膚蒼白・冷感・温度差、浮腫、皮膚血流の変化、発汗異常)しており、CRPSであることには問題はありません。左肋骨の多発骨折により同部位にCRPSが生じていることから、因果関係にも問題はありません。

3 神経因性疼痛のメカニズム

ⅰ 判決は神経因性疼痛の状態、発生機序について、詳細な医学理論を展開しています。この部分は他の判決には見られない特徴的なものです。以下に一部を引用します(丸数字は引用者)。

  証拠(略)によれば、①原告には、疼痛障害が強く見られ、神経因性疼痛の要素が強く関与していること、②この神経因性疼痛は、発作的な痛みや刺すような痛み、燃えるような痛みであり、交感神経系の影響を密接に受けるC繊維の自発発火が持続的な灼熱痛を起こし、更に脊髄後角細胞を感化しやすくすること、③知覚神経(Aδ~Aβ)は、末梢の神経受容器から鋭敏な痛みをAδ線維を通して、触覚、振動覚の刺激をAβ線維を通して脊髄後角細胞に伝えるが、このとき損傷部の末梢の侵害受容器が炎症物質などで障害、感作されていくと、侵害刺激を調整することができず、どんどん刺激を脊髄後角細胞に伝えることになり、そこで感作が生じることになるという発生機序であること、すなわち、④正常時には、脊髄後角細胞では交感神経刺激(C線維)と知覚神経(Aδ~Aβ)、そして脳からの下行性抑制系によって、痛みをはじめ、侵害刺激を調整して、それを中枢に伝える機序が働いているが、脊髄後角細胞での調整作用が侵害されると、軽度の刺激に対しても痛覚過敏になったり、Aβ線維を伝わった触覚、振動覚を痛みとして感じるアロディニアが生ずることが認められる。

  このように、原告の疼痛障害は、発生機序が医学的に証明しうるものであり、後記認定のとおり、強度で長期間にわたり持続的に発生している疼痛であって、時には労働に差し支えるものであるから、「局部に頑固な神経症状を残すもの」(後遺障害等級12級12号)に該当するというべきである。

ⅱ どうでしょう。これを一読してその意味が理解できる人は、医療関係者以外ではまずいないと思います。何回か読み返すと感覚的なニュアンスとしてスジが見えてくるという程度であると思います。興味のない人にはチンプンカンプンではないかと思います。

  この判決の説明は、1986年にロバーツ(Roberts)が交感神経依存性疼痛(SMP)という概念と仮説を導入して、アロディニアを説明したときの理論に基づいていますが、現在ではこの考えは正しくないとされているようです。

 RSDについての93年のベルドマン(Veldman)の826症例による大規模研究では、交感神経ブロックの有効例は7%に過ぎず、一時的な有効例も含めて30%程度であり、無効・症状の悪化が66%にも上ったとされ、このことが94年に国際疼痛学会がRSDをCRPSと変更することにつながります(『ペインクリニック』30巻別冊Ⅰ・246頁以下)。

  これは神経因性疼痛(今は神経障害性疼痛と呼ぶ方が多いようです)が上記の説明ではおさまらないことを意味します。「CRPSに見られる神経障害性疼痛には、持続性の自発痛のみならず、発作性のもの、誘発性のアロディニアがあり、性質も灼熱様、切り傷様、締め付け様、電撃性と多岐にわたり、一元的な機序で説明することは不可能である」(『ペインクリニック』30巻別冊Ⅱ333頁)とされているようです。

  細かい説明は省略しますが、神経障害性疼痛については現在では『神経障害性疼痛診療ガイドブック』13頁以下のように多元性を認める説明が一般的のようです。

  なお、上記のようにCRPSにおいては神経ブロックの効果は限定的ですので、「神経ブロックに効果がなかったのでCRPS(RSD)ではない」という加害者側の定番の主張は誤りとなります。

ⅲ この判決が医学的な理論を詳細に引用した部分は積極的な認定として評価できるのですが、私が気になったのは、判決が「これで神経因性疼痛のメカニズムが証明されたから、局部の頑固な疼痛がある」との理屈を述べる部分です。ここまでの説明をしないと12級レベルの痛みがあることを認定できないというのは感覚としてちょっとずれている感じがします。

この判決は、次に述べる「メカニズムを因果関係と取り違える誤謬」に陥っているようにも見えます。

ⅳ メカニズムを因果関係と取り違える誤謬

  因果関係を細かく探究していくと、その結果を生み出すメカニズムが解明されていくことは事実です。メカニズムが解明されたことにより、事実をより深く理解したとの実感が生じて因果性についての心証も強くなるという面も否定できません。

しかし、メカニズムが解明されないと因果関係が証明されたことにならないとすると、ちょっと問題です。

  例えば、「壁のスイッチを押して電灯をつけた」という説明に対して、「君はその建物の配電図をみて確認したのかね。していないだろ。なぜその因果関係を認めるのだね。」などと詰問されても困ります。内部のメカニズムの解明と因果関係の有無とは別の問題です。メカニズムの解明にはきりがありません。配電図とおりに配線が組まれていることや、電気信号が電灯の切替えになる仕組みなども解明して理解しないと因果性が認められないとするわけにもいきません。

  因果関係の証明は、内部のメカニズムの説明とは異なります。因果関係は事実Aと事実Bに因果性が認められればそれで足ります。内部メカニズムの解明は突き詰めるときりがありません。

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上記のメカニズムを重視する判決の論理に対しては、その理論(SMP仮説)がこの事件に当てはまることの証明があるのかという問題がまず生じます。さらに他のメカニズムを主張する学説による反論も考えられます(本題とは関係ないところで無用な論争が生じます)。

このほかに分子生物学に還元したメカニズムの説明までするべきであるとの反論(実際にも、現在では分子生物学的手法によるより難解な説明がされています)も考えられます(より詳細なメカニズムを解明すべきという形で因果論から後退していきます。)

さらに全ての科学法則は経験的に知られているだけで経験からは未来が必然的に導かれることはないという根源的な反論(ヒュームの亡霊。ただしヒュームは恒常的連接ないし規則性で因果関係を肯定すると思いますが)や、ある宇宙の物理定数はその宇宙の偶然でしかないという更なる根源からの反論(因果論を無意味にします)もありうるところです。

  本件では、CRPSは激しい疼痛を生じる場合があるとされることに言及すれば、十分ではないかと思います。

ⅴ 判決は、CRPSにり患しているとしながらも、被害者の後遺障害等級を12級と低く見積もりました。判決は被害者の就労の労働能力喪失率を50%とみているので、これは奇妙に見えます。9級ないし7級の認定をするべきであったと思います。

  判決は、後遺障害等級を認定するためにはメカニズムが解明されていなければならないとの誤謬に陥ったため、後遺障害の認定に用いるハードルが高くなっているように見えます。

   判決の認定額は1441万円ですが、さすがに認定額が低すぎると思います。この判決は素因を否定したものの「CRPSという特殊な傷病により生じた損害の全部を加害者に負わせるのは良くない。」というある種の差別的な見方で後遺障害等級を低めに認定して帳尻あわせをしたような印象も受けます。

3 症状固定時期

 ⅰ 被害者は、平成8年7月の事故の後、長期間通院を続けて平成14年に症状固定となったと主張して、平成15年に訴訟を起こしているようです。

これに対して、加害者は平成9年1月(事故半年後)に症状固定となったと主張しています。現実にも被害者は平成9年1月にはいったん症状が軽減したようですが、その後は悪化と改善を繰り返し、平成10年12月には内視鏡的胸部交感神経節焼灼術の手術を受けています。

   CRPSの症状には進行性があり、その進行の度合いは個人差が大きく、症状は一進一退を繰り返し、症状が固定したかどうかをその時点で判断する医学的な指標もないことから、症状が固定したかどうかは事後的に判断するほかないと思います。

 ⅱ 判決では平成11年1月に医師により転地療養を勧められたことや、手術により痛みの性質が明らかに変わったとして、平成11年1月20日が症状固定日とされています。この判決は、症状が一進一退を繰り返すことから、ある時点で改善していてもすぐに症状固定であるとしなかった点は正しいと思います。

   判決は、その後の症状の経過について触れていませんが、症状の悪化が止まったかどうかは事後的に判断するほかないことからは、症状が固定したとする平成11年1月20日以降の症状の経過を述べなければ上記の判断が正しかったのかどうかは分かりません。この部分は少し問題があると思います。

 ⅲ 判決が抜粋のため被害者の主治医が判断した症状固定の時期は不明ですが、おそらく平成11年1月20日よりも後の時期だったのではないかと思います。慢性化した疼痛に対する手術の1か月後に、早々に症状が固定したと医師が判断したとは思えません。

   症状が一時的に良くなってもある程度の期間の経過観察を続ける必要があることから、症状固定日は上記の手術後の経過も引用した上で、もう少しあとの時期にした方が良かったのではないかと思います。

4 就労と家事労働の逸失利益について

 ⅰ 判決は、被害者の逸失利益の算定において、少し技巧的な方法を用いています。まず基礎となる収入を、賃金センサスにおける女子労働者の全年齢平均(約335万円)としています。この点は妥当であると思います。算定する期間を短くする場合には被害者と同年齢の平均年収を用いるべきですが、期間が長くなるときは全年齢平均を用いるべきです。

   判決は、これを前提として約335万円のうち約116万円は美容師としての就労による所得であるとし、残りが家事労働のよる所得であるとみなし、就労分は50%の労働能力喪失があるとし、家事労働分は14%の労働能力喪失があるとして、両者を区分して労働能力喪失率も異なるとして計算しました。

 ⅱ この判決の考え方(外での就労と家事労働の区分)は、有職主婦の逸失利益の算定において、1つのありうる方式であると思います。

ただし、両者を分けずに算定するやり方が通常ではないかと思います。判決の考え方に対しては、家事労働も同じ労働であるのに家事労働を低く見ているのではないかという批判もありそうです。

   一般的には外での労働の方が厳しい環境で行われ、自宅での家事労働よりも制約が大きく、後遺障害による影響が生じ易いようにも思われるので、判決の考えはそれが被害者の実態に即したものであれば、特に問題ではないと思います。

   

5 心因的素因について

 ⅰ この判決は、被害者の心因的素因を否定しました。被害者の治療期間が長くなると素因が認められ易い傾向があり、この事例では、さらに被害者に不利な事情があることを判決も引用しています。

   判決は①平成8年12月25日(事故から4か月半後)付けの病院の報告書のなかに、被害者には心因的要素もありそうであるとの記載があり、②平成10年3月4日のカルテには自賠責の打ち切りについての記載があり、③同年7月15日の病院の書簡には、被害者が症状を訴えながら涙を流すなどの精神的な面の影響の強さを示唆する事情が書かれており、④同月22日の病院の診療情報提供書には「抑うつ状態疑い」「やや神経症傾向はあるものの、心身症タイプで抑うつもあることから、やはり、末梢性の」神経性の痛みが抑うつ気分で「強められているということかも知れません。」との記載があることを引用しています。

 ⅱ しかし、判決は、「これらの記載が指摘する原告の心因的要素は、本件事故により発生した原告の疼痛等の症状が長期間慢性化し、そのための入通院治療を繰り返しているにもかかわらず、痛みが消失しないこと等についての原告の心理的不安感、焦り、いらだち、絶望感等によるものであると認めるのが相当であり」としています。

   判決は、「前記記載をもってしても、事故により障害を負った患者が陥る通常の心理状態の域を超えて、素因による減額をすべきであるような原告の特異な性格や精神的要因の存在を認めるには足りない」として、素因減額を否定しています。正しい判断であると思います。

2011年9月 5日 (月)

頚部捻挫から発症した右肘RSDを肯定(22.1.28)

1 大阪地裁平成22年1月28日判決(自保ジャーナル1842号99頁)

  この事件では、右肘のRSD(CRPS)が問題となっています。この事案の特徴は、①肘中心のRSD(CRPS)であること、②事故による外傷は軽微としながらもRSDとの因果関係を認めたこと、③加害者が自賠基準をRSDの診断基準として主張したこと、④素因について加害者側に具体的な主張・立証を求めたこと、⑤弁護士費用を損害額の1割であるとして端数まで細かく計算したことなどです。

2 症状の経過

 ⅰ 被害者は事故時38歳の女性です。被害者は平成15年3月6日に高速道路で渋滞のため停車していたところを追突され、怪我を負います。

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  事故当日・・・B病院に通院。(1回のみ)

  事故翌日・・・C病院に通院。(3月末まで25日間ほど)

約8日後・・・A病院に通院。(その後主治医となる)

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判決の記載は簡潔でいずれの病院も病名等の詳細は不明ですが、これは簡潔にすぎます。被害者は事故直後に事故現場から近いと思われるB病院に通院し、翌日からC病院に移っています。判決の概要からは当初は頚椎捻挫のようであり、重い後遺症を残すような診断ではなかったようです。

         

約1か月後・・・4月4日から18日間A病院に入院する。

      

      被害者は痛みが強くなったことから入院したようです。判決は「4月ころには、原告の右腕の付け根辺りに発赤が認められるようになり、その後、青白く変化するなど色調の変化が認められ、筋肉がやせ細ったような状態となり、その後も同様の状況が継続している。」と認定しています。

  約4か月後・・・判決は、この頃から被害者の右肘にむくみが認められるようになったとし、右ひじの曲げ伸ばしが困難となったとします。

  9か月後・・・A病院の医師により平成15年12月29日にRSDとの診断が下される。平成16年2月2日、同年6月4日にもRSDであると診断される。

  1年2か月後・・・A病院の医師により後遺障害診断がなされる。自覚症状として右肘部にむくみ及び自発痛があり、物に軽く触れても痛みを伴う。

     

 被害者は、右肘には現在にいたるも激しい痛みが続き、物に触れただけでも患部に痛みを感じる状況で、毎日痛み止めの薬を服用しているようです。右腕は筋力が低下し、包丁を強く握れないなど、家事にも多大な支障が生じているようです。

  5年10か月後・・・A病院の医師により、レントゲンにより右肘部分に上腕骨骨頭内側萎縮壊死が認められると診断される。

     

     以上のとおり、現在の国内外の診断基準ではCRPSと診断されることに特に問題はない事案です。

3 自賠責保険の後遺障害認定手続について

  自賠責保険は14級10号に該当すると認定しています。本件の経過からはあまりにも低い認定ですが、RSD事案においては主治医がRSD(CRPS)と診断しても、判例で確認できるものの大多数は低い等級が認定されています。

この事件では自賠責保険の3要件基準を満たさないとして、14級10号とされたようですが、判決からはその詳細は不明です。自賠責保険の認定等級が被害者の実情を無視したものとなることは多く見られます。

4 RSD(CRPS)の診断基準

 ⅰ 自賠責保険の3要件基準

   加害者側は、自賠責保険の3要件基準を主張しています。これは医師による意見書によってなされているようです。自賠責保険の3要件基準は、①関節拘縮、②骨の萎縮、③皮膚の変化を必須とします。これは後遺障害の程度を判断する際の指標とされ、3要件基準を満たさないRSDは12級以下とするとされています。

   本件で加害者側は、この重症度の判定のための指標である3要件基準を、RSDであるかどうかの診断基準にすりかえた誤った主張をしています。この誤った主張は加害者側の定番です。

   3要件基準は医学的な診断基準ではありませんが、3要件に当てはまらないと自動的に12級以下とされるという点に最大の問題があります。3要件の有無は重症度と相関しません。

   12級以下とされるということは、実質的にRSDであることを否定する意味があり、この点で3要件基準が実質的には診断基準としての効果も生じていることは否定できません。

CRPS(RSD)に必須の症状がないことは古くからの定説で、これを否定する医師は存在しません。国際疼痛学会や日本、アメリカなど世界の医学会は4主徴のうち2個を満たせば良いとする判定指標を採用しています。従って、3個の症状を必須とするこの基準は論外です。

本件では、上の経過からは3要件基準を3個とも満たすと考えられますが、加害者側は③のみ満たすとの主張をしたようです。②については肘部の骨の壊死を無視し、①については関節拘縮は詐病との主張をなしたようです。この種の医学意見書は判例の上でも頻繁に見られます。

 ⅱ 判決はCRPSの判定基準について述べず、主治医が繰り返しRSDとの診断をしていることを述べて、端的にRSDであると認定しています。これまで検討した判決のほぼ全部でRSDの診断基準についての一般論を述べ、それを事件にあてはめていましたが、本件ではその論理構造となっていません。

   たしかに、医師が重病患者について誤診をする確率は非常に低く(私は概ね1万分の1以下と考えています)、重症を訴える患者について医師が再三にわたって下した診断はそれだけで正しいとの推測が非常に強く働くように思われるので確率論的にはこれでも良いかもしれません。確率論的には毎回のように詐病や誤診の主張をする加害者側の意見に耳を貸さないほうが、正しい結論に至る可能性は格段に高くなるとは思います。

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   これまで検討した判決には、厳しい基準を用いるほうが厳格な判断ができるとの誤解のもとに、RSDについて学会の基準を無視した非常に厳しい基準を導入する方向に向かうものが少なからずあります。従って、医学の素人である裁判官が医学基準を認定して事件にあてはめるよりも、端的に臨床医の診断に従うというのも1つの考えかもしれません。ただ、私は医学的な争点についても、できる限り踏み込んで認定をする努力を怠らないことは大切であると思います。

5 素因について

 ⅰ 加害者側は、被害者はRSDではなく治療の長期化には被害者の心因的素因が2割ほど影響しているとします。その根拠として被害者が神経症の薬であるデパスを服用していることを指摘します。また、RSDであるとすれば、心因的な素因が5割影響しているとの主張もなしています。これは医学意見書に基づくものと思われます。

 

 ⅱ これに対して、判決は「素因がどのように原告のRSDの発症に影響したのかについて主張ないし立証がない。」と簡単に述べて否定しています。事実認定について当然のことを述べたに過ぎないとも言えますが、私はこの部分は優れていると思います。

   素因を認定した判決のほぼ全部は、①どのような具体的素因が、②どのような具体的な影響を及ぼしたのかを認定していません。素因を認定した判決の大半は、被害者に何らかの精神的な問題があるとの事実を懲罰的ないし差別的観点から素因として、RSDの発症や悪化との具体的な因果関係を明らかにしないまま素因減額を行っています。

   本来であれば、心因的素因であれば素因となる具体的な精神的状況を具体的な精神疾患の名称により特定し、その特定された精神疾患がCRPSの発症の原因となることを統計などにより示さなければならないはずです。医学的には素因によりCRPSが発症するとの考えは否定することが世界的にも圧倒的な通説です。

   これに対して、何らかの精神的な問題がCRPSの発症や悪化に影響を及ぼしたはずであるという感覚的な根拠により素因を認めるものが判決ではほぼ全部です。そのなかには、「RSDという特殊な疾患を発症する者は特殊な身体的・精神的素因があるはずである。」との差別的な見方をうかがわせるものも少なくありません。

6 弁護士費用について

 ⅰ 判決は、被害者の損害残額の1割を弁護士費用として、1円単位まで細かく認定しています。弁護士費用については、通常は1割ほどとされているところ、損害額が大きい事件や簡明な事件においてはこれよりも低い割合とされることもあります。他の事件の判決では10万円以下や100万円以下の端数をなくした金額とすることが多く見られます。したがって、この判決のように弁護士費用を1円単位まで認定することは珍しいと思います。

 ⅱ これに対しては明確で良いという感じもしますが、1円単位まで細かく弁護士費用を認定する判決はまれであるため、違和感もあります。

   事件の難易度や認容金額の違いを考慮せずに全て一律にこの1割基準を用いることには抵抗がありますが、一方で裁判官が事件の難易度などを考慮してその場ごとに判断したからといって必ずしも妥当な金額になるとも言い切れないとも言えそうです。1割基準で決めてよい場合には1円単位まで計算するというのも1つの考え方かもしれません。

7 その他

  この判決はかなり簡潔で事案の詳細について不明な部分が多々あります。被害者の症状の経過の詳細、被害者の後遺障害の詳細、CRPSの診断基準とそのあてはめなど記載が大幅に省略されています。

   また、被害者の主張する後遺障害も等級(9級)しか記載していないため、関節可動域制限などの機能障害であるのか、痛みなどによる精神・神経の障害であるのか不明です。判決では「服する労務が相当な程度に制限されており、9級10号に相当する」と認定していることから、被害者の主張も9級10号であろうか、という程度でしか知りえません。

   この判決は控訴されずに確定しており、私も判決の結論は妥当であると思いますが、それはこの判決が結論を導くために都合の良い部分だけをつまみ食い的に判決に引用しているために、そのように見えるだけかも知れません。

簡潔な判決で敗訴を言渡された側は、「こっちが最重要として主張していた部分がごっそり省略されている。」と不満を持つことが多いのではないかと思います。従って、判決では事件の骨格となる部分(本件では症状の経過、後遺障害の詳細、後遺障害等級の主張とそのあてはめなど)についてはもう少し詳しく書いた方が良いと思います。

2011年2月27日 (日)

左上肢・左下肢RSDを併合5級と認定(16.7.28)

1 名古屋地裁平成16年7月28日判決(交民集37巻4号1020頁)

  この事件では、左上肢と左下肢のRSDが問題となっています。

この事案の特徴は、①左上肢RSDとして症状固定となった後に、左下肢RSDを発症したこと、②自賠責保険のRSD認定基準(3要件基準)が制定される前の事案であること、③左上肢・左下肢RSDとして併合5級2号としたこと、④心因的素因の主張を否定した部分の判決の判断が優れていること、⑤事故時27歳アルバイトの女性に女子労働者平均賃金を基準とした逸失利益を認めたことなどです。

2 症状の経過

 ⅰ 被害者は症状固定時27歳の女性(アルバイト、内職、家事従事)です。被害者は平成11年12月28日に自動車を運転していて交差点で左折のため停止中に追突される事故に遭います。

追突した車両は時速50キロで走行していて直前で気付いて急ブレーキをかけたが間に合わず追突し、被害者の車は1.5m押し出されたとされています。

   被害者は警察で事情聴取を受けて、車を修理に出したのち4時間後に病院に行きます。この間に背や首の左側の痛みや左腕、左手にしびれが出たと認定されています。担当医師は頚部挫傷、左上肢外傷性末梢神経障害と診断します。

 ⅱ 事故10日後・・・左上肢の痛み、しびれ、浮腫(むくみ)を訴える。左上肢全体の筋力低下、知覚麻痺が認められ、外傷性末梢神経障害と診断される。しかし、その後の治療も効果がなく、症状は悪化し続ける。

4か月半後・・・左肩に痛みが出るとともに、左手の指にかけてつっぱり感が出る。その後、麻酔科を受診して星状神経節ブロックを受けるも、効果は30分程度に限られ持続しなかった。

5か月後・・・同じ病院の手の専門医に診断してもらったところ、RSDに特徴的な屈曲拘縮、皮膚萎縮、多発汗が認められ、「RSD様」との診断を受ける。

6か月後・・・左上肢の痛み、しびれ、浮腫が悪化し、痛みで夜に目が覚めることもあった。

7か月後・・・浮腫が認められ、第2指から第4指にかけて少しずつ可動域に制限が見られ、3指には腱癒着が認められた。洗顔、洗髪には右手のみを使用していると医師に述べ、左肩はどの方向に動かしても痛みがあり、しびれは手指末梢部にあり、中枢部は鈍痛となり、特に前腕内側部は重度鈍痛であるとされる。

9か月後・・・重度障害者を専門とする別の病院を紹介され筋電図検査などを受け、その後RSDであると診断される。

11か月後・・・入院して、疼痛緩和のためのケタミン点滴を受けるが効果は一時的で持続しなかった。その後も入院治療を受けるも改善せず。

 

    以上のとおり、被害者は、事故の5か月後に「RSD様」との診断を受け、10か月後にRSDと診断されます。

 ⅲ 被害者はその後も症状は改善せず、事故から約1年半後の平成13年6月14日に症状が固定したと診断されます。

   傷病名は、頚部挫傷、左上肢外傷性末梢神経障害とされ、自覚症状は、「左上肢しびれ・痛み、筋力・知覚低下著明、著しい左上肢機能障害、廃用手」とされ、他覚症状および検査結果は、「左上肢筋力・知覚低下、左手指拘縮著明」等とされます。この時点でRSDを発症していたことは、現在の判定指標においては問題なく認められます。

   しかし、後遺障害診断書では、傷病名が左上肢RSDとはなっていないようです。RSDとの診断は後遺障害診断をした病院とは別の重度傷病者の専門病院でなされています。

この状況に至ってもRSDとの診断に躊躇することは、適切ではないと思いますが、RSDとの判断に慎重になりすぎることは判例の事案の上でも良く見られます。

3 後遺障害認定

 ⅰ 平成14年2月18日に自動車保険料率算定会は、事故によりRSDを発症したとし、「神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」として、7級4号に該当すると認定しました。

   主治医は、「左上肢は、日常生活においてほとんど機能不可能な状態をきたしている。」との診断をしています。この時点では、現在の後遺障害認定基準が定められていなかったことから、自賠責の後遺障害手続では被害者の症状を実質的に認定して、7級4号と認定しています。

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 ⅱ 3要件基準

現在の認定基準(3要件基準)は、厚生労働基準局長による平成15年8月8日付の基本通達「神経系統の機能又は精神の障害に関する障害等認定基準について」(基発第0808002号)によります。自賠責保険の①関節拘縮、②骨の萎縮、③皮膚の変化(皮膚温の変化、皮膚の萎縮)という3要件はこの通達により定められました。

この基準はRSDの後遺障害等級を判断する際の指標であり、RSDであるかどうかを判定するための基準ではありません。3要件基準をみたさないものは12級以下の等級とするという指標ですが、訴訟では加害者側よりRSDの診断基準であるかのように主張されることが恒例化しているようです。

3要件を満たすかどうかとRSDの重症度とは相関しないので、この基準は誤りというほかありません。個別の部分についてそれまでの基準で審査すれば等級の判断は可能であるため、このような被害者にのみ不利に働く基準が制定されたこと自体が不可思議です。

この基準が後遺障害認定で用いられるようになるのは、平成16年頃からですので、この事件では用いられず、訴訟でもこの基準による主張はなされていないようです。

   本件で自賠責保険の3要件基準を適用すると、骨萎縮の要件を欠くとして12級以下とされる可能性があります。7級4号という判断とは大きな隔たりがありますが、3要件基準が重症度とは無関係に等級を大幅に格下げする機能を有することの1例です。

 ⅲ 現在の3要件基準については、RSDにおいては必須の症状(必ず生じる症状)が存在しないことが国内外の医学学会で完全に異論のない状況で何ゆえ3つもの要件を必須としたのか、しかも「明らか」な症状が必要であるとしたのか極めて疑問ですが、この事件の当時にはこの問題は生じていません。

   自賠責の3要件基準が制定された以後の事案は、それ以前の事案に比べるとRSDの該当性判断の部分で明らかな劣化が見られます。それ以前の判決では、実質的な判断により被害者の救済がなされているものもありますが、3要件基準以後の判決には3要件を無批判で受け入れた形式論理により、実質論を否定する劣化が生じる裁判例が多く見られます。

4 左下肢に症状が生じる。

 ⅰ 被害者は、事故から約1年半後の平成13年6月14日に左上肢RSDが症状固定となりますが、その2か月後の8月21日に左頚部に星状神経節ブロックを施術した翌日から、左下肢に症状が出現します。

   1か月後の9月26日には、左下肢RSDとの診断を受け、その後も左下肢の症状は悪化し続け、歩行困難(数百メートルまでは松葉杖での歩行ができる)となり、車椅子を使用するようになります。

 ⅱ このようにRSDでは、患部とは別の四肢に症状が生じることがあるとされ(ミラーペイン)、すでに検討した判例の上でも症状が他の四肢に拡大した事案がいくつかあります。

5 事故とRSDとの因果関係

 ⅰ 裁判では、後れて発症した左下肢RSDと事故との因果関係が問題となりました。判決を読む限り、左上肢RSDについては、加害者(被告)も争っていないようです。

   加害者は、左下肢の症状がRSDであるところまでは争っていないので、因果関係のみが争点となっています。現在では自賠責保険の3要件基準の厳格適用を加害者側が主張することが通常で、加害者側は重度の骨萎縮やさらには筋萎縮を必要であるとする医学意見書を提出して争うことが多いようですが、この事件ではRSDの存否そのものは争われていません。

 ⅱ 判決では、①RSDは交感神経の異常として発症し、外傷を受けた場所とは別の場所に出現する可能性があること、②外傷等の程度に比して驚くほど重篤な後遺症を残すことがあること、③治療経過中に症状が発症したという推移、④本件事故による外傷とその後の治療行為以外にはRSDを発症する事情は窺えないことを述べて、左下肢のRSDも事故をきっかけに生じたものとして因果関係を認めています。

   要点を押さえた非常に優れた認定ですが、判決の理由のうち、①については交感神経の異常による説明を普遍化しない現在のCRPSという概念においては、CRPS患者には疫学上ミラーペイン(症状の転移)が見られるという説明になります。

6 素因について

 ⅰ RSDにおいては、加害者側からの素因の主張は定番といえます。本件では加害者側は、遺伝的な素因として心因的素因の存在を主張しています。RSD患者は依存的な性格であり、訴えが多く、恐怖や疑惑に満ちており、情緒不安定であることが多く、これらの患者は痛みに対する感受性が高く、通常では我慢できるような痛みも耐えることができないと訴えるほどであるとして、全てのRSD患者には遺伝的な素因としての心因的素因があるとの主張をします。

 ⅱ この事件では、主治医の中に被害者の心因的問題を重視した医師がいたという加害者側に有利な特別な事情があります。加害者は、被害者の担当医の1人が「MRIの結果、頭部、頚部とも問題ないと考える。ヒステリーの可能性が高い。神経・精神科を受診するように」と診断していたことを引用します。この医師は、「心因的要因が加わって症状が悪化している。」と判断して、被害者に神経・精神科の受診をすすめます。

 被害者は、神経・精神科で「心身症の疑い」、「神経症、不眠症、うつ状態」と診断され、さらに「左下肢および左上肢の症状は、PTSDに伴うヒステリーが疑われ、ICD-10及びDSM-Ⅳの基準に該当する」とも診断されています。

   激しい痛みが続き、大きな後遺障害の残るRSDの事案においては、精神状態が悪化する患者が少なくないため、精神科において何らかの精神的問題を診断される患者は少なくないと思われます。RSDをよく知らない医師から見れば、患者に精神的な問題があると感じることの方が自然であるのかも知れません。

 

 ⅲ 判決は、まず①「RSDになりやすい遺伝的な素因の存在の証明は必ずしも容易ではなく、また常に存在するものではない」との医学書の記載を引用します。たしかに医学的にはRSD(CRPS)を発症する遺伝的な素因の存在は確認されておらず、これを否定する考えが医学的には圧倒的な通説です。

判決は次に、②被害者の診断をしたほかの医師が、被害者を明るい性格で、不定愁訴がなく、痛みの存在をあまり見せないという性格であると感じ、被害者のような性格の人間はRSDにはり患しにくく、被害者にはRSD発症の精神的な素因は見られないと判断していることを述べます。

この部分は①を前提とすると論理の上では蛇足ですが、①を否定する見解に対する反論に位置づけられます。

   判決は、さらに③加害者の指摘する被害者の言動や被害者への診断は、被害者の症状が悪化するなかでの言動を捉えたものであるとします。激しい痛みと重い後遺障害の生じるRSDにおいては、当然の判断とも言えますが、他の判例と比べるとやはり優れた認定であると思います。

   判決は、④交通事故の被害者は、治療が長期化し、その補償交渉が進展しない場合には、精神的に不安定な状態に至ることはよく知られていると述べます。この部分は、むしろ賠償交渉に左右されるのは、賠償性の神経症状であるとして、被害者の素因認定に用いる考えもありうるところですが、一般的に生じうる範囲の精神的な状況に関しては、この判決の考えは正しいと思います。

   判決は、⑤RSDに対し有効な治療法がないことを、④と併せて考えれば、⑥通常人が被害者と同じ立場に置かれた場合には、被害者と同程度の精神的に不安定な状態になることは容易に推認され、被害者のこの時期の言動を捉えて、被害者のRSDの発症が被害者の精神的素因に起因すると認めることはできない、とします。正しい判断です。

 ⅳ この判決は、素因を否定したこの部分が特に優れているとして、いくつかの文献でも引用されています。もとより医学的にはRSDについて素因の存在を否定する考えが圧倒的な通説です。

しかし、RSD事案では、精神科医の診断さえない状況で3割以上もの大幅な素因減額を認めたものが散見されます。特定の精神疾患の診断もない状況で被害者の言動に懲罰を与えるような形で素因を認定することには、非常に問題があるといえます。

素因として「特定の精神疾患」を同定し、その「特定の精神疾患」がRSDを引き起こす可能性が高いという医学的統計を示さなければ、素因によりRSDが生じたとは言えないはずです。

しかし、素因を認めたほぼ全ての判決は、そのような論理構造を有せず、被害者の何らかの言動(特定の精神疾患ですらないもの)に懲罰を与えるような形のあいまいな対応関係しか存在しません。しかし、その被害者の精神状況は事故による激痛と重い後遺障害が引き起こしたものであることからは、この考えを支持することはとてもできません。

本件のように、主治医が精神的な問題に原因があると判断して、精神・神経科の受診を勧め、精神・神経科において精神的な問題を診断されている事案においても、その特定の精神疾患が事故前から存在していたことが確実に認定でき、かつその特定の精神疾患がRSDを引き起こす可能性を高めるという医学的統計が示されない限り素因を認めることはできないはずですので、この判決が素因を否定したことは当然であると言えます。

7 後遺障害等級について

 ⅰ 判決は、被害者が本件事故によりRSDを発症したと認定し、左上肢と左下肢の双方について、軽易な労務以外の労務に服することができない後遺障害があるとして後遺障害等級を7級4号とし、これらの併合として後遺障害等級5級2号を認めました。この部分も優れていると思います。この判決は、この時期の判決としては突出して優れた事実認定をしていると思います。

 ⅱ なお、軽易な労務以外の労務に服することができない後遺障害が左上肢と左下肢に存在することだけでは直ちに5級2号とはなりません。

判決ではこれらの加重の結果、その労働能力は労務遂行の巧緻性や持続力において平均人より著しく劣り、一般平均人の4分の1程度しか残されていないと考えられると述べています。

2011年1月19日 (水)

4年9か月後に症状固定の右下肢RSD(17.2.15)

1 東京地裁平成17年2月15日判決(交民集38巻1号219頁)

  この事件では、右下肢RSDが問題となっています。

この事案の特徴は、①被害者の症状の詳細が判決で述べられていないこと、②症状固定まで4年9か月を要したこと、③被害者側の鑑定書が出されていること、④判決が後遺障害の存続期間を制限し、かつ症状が将来軽減すると認定していること、⑤判決が疑問のある理由で2割の素因減額を認めていることなどです。

2 症状の経過

 ⅰ 被害者は症状固定時34歳の女性(看護婦)です。被害者は平成10年3月17日に恋愛感情のもつれから加害車両のドアノブをつかんで転倒して、加害車両に右下肢を轢かれる事故に遭います。

  判決では、事故後の被害者の症状の経過は全く何も述べられておらず、どこの病院にどれだけ入通院したのかだけが述べられています。被害者の主張する後遺障害の詳細も不明です。被害者側の主張の欠落に依るものであるかも知れませんが、さすがにここまで症状の詳細が欠落している判決は良くないと思います。

ⅱ 被害者は、事故後8か月は通院していますが、その後1か月入院し、9か月通院したのち1か月入院して、以後症状固定までかなり長期間の通院を続けています。しかし、上記のとおり、被害者の症状の経過は完全に不明です。判決では一切触れられていません。

ⅲ 被害者は入通院のなかで反射性交感神経性ジストロフィー(RSD)と診断されていますが、どの時点でどの医療機関にどのような症状に対してこの診断が下されたのか、判決には記載されていません。

  判決によると、右下肢の感覚障害(知覚異常)、疼痛、皮膚温の低下などが生じていたようです。

ⅳ 被害者は、事故後は症状固定となる平成14年12月25日まで4年9か月も仕事に復帰できず休業していたことから、かなり重い症状が長期間続いたことが窺えるのですが、判決にその詳細の記載はありません。

  当初の8か月が通院でその後に1か月の入院が2回あることからは、RSDの症状が徐々に悪化して明確になっていき、その結果症状固定が4年9か月後になったものと考えられます。

3 被害者の主張する後遺障害の程度

 ⅰ 被害者は、RSDによる後遺障害を12級12号の「局部に頑固な神経症状を残すもの」に該当すると主張しています。休業が4年9か月にも及んだ(おそらくその後も長期間就労に復帰できなかったと思います)ことからは、被害者の主張する12級という後遺障害等級は低すぎるように見えます。

   被害者の主張する後遺障害は、右下肢の感覚障害や疼痛が主体のようであり、自賠責の後遺障害認定手続では、関節拘縮、骨萎縮、皮膚の変化が明らかではないことが指摘された(加害者側の主張)ようですので、後遺障害は疼痛や感覚障害(知覚異常)を主体とする症状であったようです。

   そこで明確な機能の障害(関節拘縮など)がないことから、被害者は該当する後遺障害を12級12号に絞って主張したものと思われます。

 ⅱ しかし、被害者が、事故後職場に復帰できず、退職扱いとなったことや症状固定まで長期を要したことからは、12級という主張はやはり低すぎると思います。

就労への影響については、この裁判時の基準においても「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」(9級10号)または「神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」(7級4号)と主張することも可能です。

  被害者が休業期間満期で退職扱いとなっていることからは、労務への影響に関するより重い後遺障害を主張しなかったことは、ちょっと奇異な感じもします。

  症状固定後に被害者が就労に復帰したという事情があるのかもしれませんが、判決は何も述べていないのでこの点は不明です。就労に復帰していれば、判決で言及されるはずですので、おそらく就労に復帰できていないと思います。そうなると、被害者が12級という後遺障害等級を主張していることは低すぎるようにも思えます。

4 被害者側の鑑定書

 ⅰ この事件では被害者側から、被害者がRSDであるとの鑑定意見書が提出されています。しかし、その詳細は判決では言及されていません。これは被害者が12級という低い等級を主張していたことから、判決では鑑定書の存在に言及すれば、そのレベルの後遺障害を認定するために症状の詳細を述べる必要が低くなっていたという事情が影響しているようにも見えます。

   これまで見てきたRSD(CRPS)事案で被害者側から医学意見書が提出されたものはありません。加害者側が損保という巨大組織を背景にして毎回のように被害者はRSD(CRPS)ではないと主張する医学意見書を提出していることに対比すると、被害者側の持つ武器は貧弱です。被害者側はほとんどの場合相談する医師さえいないのが実情で、主治医さえ訴訟には協力的でないことが普通ではないかと思います。このような状況のため被害者側から医学意見書が提出されることは、まれです。

 ⅱ 本件では、RSDのために4年以上も職場に復帰できずに退職扱いとなったという事情があるので、この鑑定書を武器に7級や9級の後遺障害を主張しても良かったのではないかとも思えます。

   ただ、痛みを主体とする後遺障害の場合には、「他人の痛みは知りえない」という根本的なドグマがあるために、訴訟で痛みそのものを後遺障害として7級や9級を主張しても、認められにくいという問題があります。

   本件のように痛みと知覚障害を主とする後遺障害の場合には、痛みのため就労できないという事情を理解してもらうのは、かなりの困難を伴うものとなります。

   

5 後遺障害等級

 ⅰ 判決は、「被害者の右膝痛、右膝の異常知覚等の症状については、反射性交感神経性ジストロフィー(RSD)であると認められること、平成14年12月25日の症状固定時においてRSDの後遺障害が明確に残存しているかという点については判断が分かれるところであるが、少なくとも後遺障害として『局部に頑固な神経症状を残すもの』(自賠等級12級12号)に該当するものと認めることができる。」としています。

 ⅱ つまり、判決は訴訟になって被害者が鑑定を受けた時点ではRSDであると認めるけれども、その鑑定から2年ほど前と思われる症状固定時(事故から4年9か月後)に、その症状が存在したかどうかははっきりしないとしています。

   この点は、鑑定した時点でRSDが確認できるのであれば、症状固定時にも同様にRSDにり患していたと考えるのが素直ではないかと思います。被害者が症状固定まで4年9か月も要したことからは、症状固定時にRSDにり患していたことを否定する特別の事情がない限り、症状固定時にもRSDにり患していたとすべきであると思います。

 ⅲ 判決からは、「事故から4年9か月も入通院を続けて症状固定になり、RSDであるとする鑑定(国立病院東京医療センターの整形外科医による)も存在し、仕事にも復帰できていないことから、少なくとも12級程度の症状が存在することは間違いないであろう」という実質論を前面に出して判断したというニュアンスが読み取れます。

 

6 後遺障害の存続期間

 ⅰ この被害者は症状固定時に34歳ですので、本来であれば逸失利益の存続期間は33年(67歳まで)になるはずですが、判決はこれを20年に短縮し、このうち後半の10年の症状は軽くなるとしています。

   判決は、「原告の前記後遺障害は、長期化することが予想されるので、10年間は14%、その後の10年間は10%として算定するのが相当である。」とします。

 ⅱ 判決は、このように期間短縮と症状改善を認定した理由は何も述べていません。おそらくは、12級の後遺障害は存続期間を短くすべきであるというある種の通念のようなものを前提にしていると思われます。

   即ち、判例の上では12級の後遺障害の存続期間を5年や10年に制限するものが多く見られます。これは「痛みはそのうち治まるはずだ。痛みに慣れるはずだ。」という感覚的なものを背景にしています。感覚的なものであるため、ある特定の疾患が5年や10年で必ず治癒することが統計上証明されているなどの具体的な根拠を述べる実証的な判決は1つも存在しません。

   交通事故の賠償手続のなかで後遺障害等級を認定してもらうことは、かなりの苦労を要することであり、私は12級の後遺障害等級が認定された方の症状が総じて5年や10年で自然に治癒するなどとは決して言えないと思います。

しかし、損保側の長年の主張の甲斐もあって、この20年ほどの間に具体的な根拠もなく12級や14級の後遺障害の存続期間をかなり短期間に制限することが実務に定着したというのが実情です。本件の判決もこの実務上の慣行を当然の前提としているため、何も理由を述べることなく、後遺障害の存続期間を制限しています。従って、判決のこの部分に実務の慣行であるということ以外の根拠はありません。

   このような証拠に基づかない認定は、証拠に基づく裁判の否定となるのではないかと思います。仮に認めるとしても、症状が緩和されるとする具体的な根拠をいくつか示し、それに応じた期間の制限のみを認めるべきであると思います。「痛みはそのうち消える」という理由であれば、それを根拠に書くべきです。書いたとたんに根拠薄弱が露呈しますが。

 ⅲ 難治性とされるRSDにおいては、通常は10年後に自然に症状が改善したり、20年後に自然に治癒したりすることはなく、むしろ症状が悪化する可能性も十分にあります。症状固定後も長期間の通院が続くことが通常であることからは、本件も原則とおり33年間の逸失利益を認めるべきであったと思います。

7 素因減額

 ⅰ CRPS(RSD)事案においては、加害者側から恒例行事のように素因減額の主張が提出されます。この判決は、「心因的素因による減額」という項目において素因減額を認めていますが、その内容は以下のとおり疑問のあるものです。

   判決は、①被害者の当初の診断が「右膝挫傷」であったこと、②その後に治療が長期化して4年9か月後の症状固定まで仕事もほとんどできない状態となり、③RSDと診断されたこと、④当初の症状からするとこのような長期化及び後遺障害の残存が通常予想し難いというべきであること、⑤本件では恋愛関係のトラブルが背景にあり、そのことが被害者の治療を長期化させ、症状を重症化させたと考えるのが相当である、などと述べて2割の素因減額を認めています。

 ⅱ 判決が列挙する内容はどれ1つとっても納得できるものではないでしょう。①の当初の診断がRSDではないことは、RSDと診断された事例の全てに当てはまります。受傷直後にRSDと診断された事案など見たことはありません。これまで見てきたとおり、事故から1~3年後にRSDと診断された事例は良く見られます。RSDという難病の認定は慎重になされるため、むしろ確定診断まで長期間を要することが通常とも言えます。

本件では、被害者がいったん軽快して仕事に復帰したという事情さえも存在しません。被害者が事故後4年9か月も仕事に復帰できなかったことは、当初からかなり重い症状が持続していたと思われます。

②や③についても、事故によりRSDを発症したために、入通院が長期化したのであって、このこと自体を被害者が責められる事情とするいわれはないように思います。

ところが、RSDに関する多くの判例では「RSDという特殊な疾患にり患するのは、特殊な人に違いない。」、「RSDを発症する人は精神的に問題がある人に違いない。」という差別的な感覚から、それに対応する差別的な待遇を被害者に課すための方便として素因を持ち出しています。

そのため根拠が不明確なまま素因が認定されています。素因認定の根拠の不十分さは、その判断の背景にある感覚、即ち差別意識を際立たせるものとなります。

④については、本件では当初から仕事に復帰できないほどの症状が生じていてそれが持続していたので、事実認識として誤っていると思います。CRPS(RSD)は当初の症状からは想定し難い症状の悪化をもたらすものなので、そのことを理由に被害者に素因があるというのは、理由のないことであると思います。

   ⑤については、事実認識として誤っているというほかありません。本件で入通院が長期化したのはRSDを発症したからであって、恋愛感情のおける不満が入通院を長期化させてRSDを発症させたという論理は成り立つ余地もないでしょう。RSDの発症原因として失恋を挙げる学説など見たこともありません。

 ⅲ 以上のように判決の列挙する素因認定の根拠は、いずれも誤りであると思いますが、一部の法曹の間ではこのような判断を肯定する見方も根強いのではないかと思います。

   それは「RSDを発症しない平均的な被害者」との比較の視点から、A「RSDを発症するのは特殊な被害者であって、特別な扱いが必要である」という見方に帰着します。もちろんこの視点は差別的ですので、判決では法律論の衣をかぶせて論じられます。この視点の問題点は、「RSDを発症しない平均的な被害者」のみを基本的な保護対象にするという出発点が差別的であるところにあります。

   Aの視点からB「特殊な傷病を発症することそれ自体が、素因の存在の証明である」という短絡的な結論があり得ます。これをそのまま判決に書くのはさすがに差別的に過ぎて支障があるので、通常は何らかの根拠を述べて、C「被害者に何らかの心因的素因がある」という別のもっともらしい理由が述べられます。

しかし、ある特定の精神疾患がRSD(CRPS)を発症させるとする因果関係は医学の学説の上でも疫学の上でも認められていません。CRPS(RSD)を発症させやすい精神疾患として特定の精神疾患が検討されている状況にもありません。従って、医学の上ではCRPSを発症させる心因的素因の存在を否定する考えが圧倒的通説です。

 ⅳ ところが、心因的素因を肯定するほぼ全ての判決は、特定の精神疾患ですらない「何らかの精神的な問題がある」という抽象的な事実を心因的素因にして、「それゆえにRSDが発症または拡大した。」とする論理を用いています。

もとより特定の精神疾患として同定することもできない詳細不明の精神状況は、素因となりうる資格さえありません。これを素因とする考えは「なんとなく精神的な何かが影響しているように見える。」というレベルの心証をそのまま裁判に用いるものですので、法律論としても誤りと言うほかありません。

少数説ですが医学書の一部にはこのレベルの抽象的な議論で心因的素因の存在を肯定的に述べるものがあり、注意をする必要があります。特定の精神疾患と切り離された、患者の精神の抽象的な状況の善悪がCRPSの発症につながるという特殊な議論は、それ自体がすでに医学的とは言い難いものです。従って、これを医師が述べるのはかなり奇異なことであると私は思いますが、一部の医学書では現にそのような議論がなされています。

圧倒的通説はこれを否定しますが、裁判においては内容も因果も不明確な抽象的な心因的素因を肯定する見解をもっている裁判官にはこの考えは「渡りに船」となり、このような確証バイアス(自分の考えに都合の良い証拠を正しいとする見方)が抽象的な心因的素因の認定の裏付になっていると思います。

抽象的な心因的素因を認めると、被害者の些細な行動や、不道徳にも受け止められる行動に着目して懲罰的に心因的素因を認定する方向に向かいます。その根底にはAやBで述べた差別意識があります。

 ⅴ 素因論にはさらに、D「このような特殊な被害の発生は通常予見できない」という損害の予見可能性の面からの補強論もあります。たしかに事故でRSD(CRPS)を発症した被害者も自分がRSDを発症するなどと想像したこともないでしょう。しかし、「予見できなかったので素因がある」とは言えないでしょう。

世の中は様々な人々が存在することで成り立っていることを前提にすれば、事故によりRSDを発症する人がいることは当然のことですので、「予見できない」という考えも実は出発点からして誤っています。

CRPS(RSD)のり患率をアメリカとオランダの中間の数値と見ると、日本では年間1万5000人前後がCRPSにり患していることになります。おそらく年間1~2万人ほどがCRPS(RSD)にり患していると思われます。このなかに事故によりRSDを発症する人が一定数存在することは、判例集に掲載されるものだけでもRSDに関する判決が毎年数件に及ぶことからも裏付けられます。

 ⅵ 毎年世界中で多数の方にCRPSが発症しているにも関わらず、疫学的に特定の基礎疾患、精神疾患、遺伝子とCRPSの発症が有意な関係にあることは確認されていません。従って、CRPSが特定の素因に基づき発症するという考えを否定するのが現時点では圧倒的通説となっています。ゆえに医学的にはCRPSを発症させる素因の存在は否定すべきであるという結論がすでに出ています。

   しかし、これまで見てきたとおり訴訟では、加害者側からはRSD(CRPS)事案での恒例行事のように、素因の主張が医学意見書などを提出してなされます。華々しい経歴の医師により、その主張がなされることも少なくないようです。このため多くの判例が被害者の素因を認定し、その判例に「右に倣え」とばかりに従う新たな判決を生み出しています。

人は異質な存在に対しては差別的な感情が抑えがたくなるようです。人は自分の見方に沿う証拠に高い価値を与える傾向も否定できません。しかし、裁判においては理性的な判断をする必要があります。

 ⅶ なお、CRPS(RSD)を発症ではなく、維持ないし拡大させる素因を法律論として認めることは可能です。私も治療への意欲があまりにも欠けていると判断できる事案などについては、RSDの症状が拡大したことについての素因を認めるべきであると思います。

   また、すでにCRPS(RSD)を四肢の一部に発症している方は、事故により四肢のほかの部分にCRPSが新たに発症する(ミラーペイン)可能性が高くなっていると思います。しかし、これをCRPS発症の素因と考えることには抵抗があります。この場合には病者差別という視点が問題となります。「もともと病気があってそれが拡大しただけだ。」とすることは、病者に対する差別的な見方になると思います。

2010年12月30日 (木)

素因5割とされた左上肢RSD(18.9.29)

1 名古屋地裁平成18年9月29日判決(交民集39巻5号1378頁)

  この事件では、左上肢RSDが問題となっています。この事案の特徴は、①RSD(CRPS)との診断が事故1年半後と遅れたこと、②RSDを認めつつも12級という低い等級となったこと、③局部麻酔がRSDの発症可能性を高めるとする医学意見を判決が採用したこと、④判決が5割もの素因減額を認めたこと、⑤素因を認めるのもやむを得ないと思える事情があることなどです。

2 症状の経過

 ⅰ 被害者は有限会社の代表者の男性(年齢不詳・52歳位と思われる)です。被害者は平成12年11月19日に自動車運転中に出会い頭の衝突事故に遭います。被害者にはこの事故の前に色々な事情があります。

   事故前の平成10年3月に肝機能障害、けいれんにより1か月入院治療を受け、平成10年11月には頚肩腕症候群と胃潰瘍で治療を受け、その前後にも急性肝炎(アルコール性)で治療を受けています。

   平成11年1月から9月にかけて頚部の低周波や牽引、局部注射の治療を受けています。平成11年6月には、アルコール肝炎や肩腕症候群との診断を受けているようです。

   平成12年6月には頚椎第6.第7脊柱管がやや狭小化と診断され、両手のしびれ(ただし時々ゴルフをすることができる程度)もあったようです。被告(加害者)は事故直前の平成12年10月に誤って川のなかに突入する自損事故も起こしていたと主張しています(判決では認定されていません)。以上のように事故前の被害者側の事情はあまり良くありません。

 ⅱ 事故翌日・・・A病院で頭部打撲、頚椎捻挫と診断される。両手の握力低下、しびれが認められ、投薬や頚椎カラーを施行される。

   8日後・・・MRIで頚椎5/6番の椎間板ヘルニアが認められた。判決は外傷性ではないとするが、その理由は不明。

   10日後・・・両下肢の浮腫、手のしびれ、頭痛が認められ、横になっても楽にならない状態であった。

   2週間後・・・約2か月入院。頭部打撲、頚椎捻挫、胃潰瘍、アルコール性肝障害、慢性肝炎、頚椎椎間板ヘルニア、末梢神経炎、下肢浮腫等につき治療を受ける。脳外科で第3~5の頚椎症が認められた。

   約55日後・・・入院中にB大学付属病院を受診し、外傷性頚部症候群、頚髄損傷(疑)と診断される。両手第4~前腕正中部の痺れを訴える。症状は外傷性頚部症候群に典型的で、少しずつ改善すると思われるが、時間がかかるかもしれないとされる。

   約80日後・・・右3~5指、左3~5指がビリビリする感覚や頚部痛を訴えた。

   約5か月後・・・食物等を持つことができず、不眠症、肩部痛に加えて、両母指球の萎縮や右手3~5指全体およびその側の掌部分のしびれ、左手2~5指のしびれを訴えた。以後1年で約40回の硬膜外ブロックを受けた。

   約7か月後・・・飲酒のみで食事を取らず、意識障害等により搬送されて約1か月入院し、肝機能障害などの治療を受ける。

   約1年半後・・・C大学病院でRSD(反射性交感神経性ジストロフィー)との診断を受ける。

 ⅲ 以上のように症状が少しずつ悪化して、事故から1年半後にようやくRSDとの診断を受けます。平成14年6月4日の後遺障害診断書では、頚椎捻挫、反射性交感神経性ジストロフィー(RSD)と診断され、自覚症状は「特に左上肢に強い、四肢のしびれ」とされ、神経症状につき、「左手末梢の冷感、握力低下、知覚鈍磨」とされ、頚椎の運動障害が診断されています。

   翌月にD大学病院で神経伝導速度の測定をしていますが、判決には「神経は切れていない」としか記載がなく詳細は全く不明ですが、この検査後にCRPSタイプ1(主要な神経損傷のないもの)と診断されていることからは、筋電図では胸郭出口症候群や手根管症候群などの末梢神経障害は確認されていないはずです。

このときにRSDスコア(ギボンズ)が合計5点(3点以下はRSDではなく、3.5点以上4.5点以下はRSDの可能性があり、5点以上だとRSDの可能性が高い)とされています。アロディニア、痛覚過敏、灼熱痛、浮腫、皮膚色調・体毛も変化、温度の変化につき陽性とされています。現在の指標によってもRSDであることに問題はないと思います。

   その後、別の病院で、左交感神経ディスキネジー、胸部交感神経ジスキネジアと診断され、入院、手術を受けています。

 ⅳ RSDの判定指標

加害者側は、自賠責基準を持ち出してRSDではないと争いましたが、判決は「RSDの症状は多彩であって、これを画一的にとらえることは相当でなく、皮膚の萎縮、骨の萎縮がないことをもって直ちにRSDを否定することはできない。」としています。

   骨の萎縮が必須ではないことは、すでに何回か述べたとおりです。そもそもRSDで必ず生じる症状が1つも存在しないことはかなり以前から学会では全く異論がありません。従って、必須の症状を主張すること自体が誤りと言えます。

   本件ではCRPS(複合性局所疼痛症候群)のタイプ1とも診断されており、国際疼痛学会がRSDをCRPSのなかに位置づけた以降はCRPSの判定指標によるべきですが、この判決の時点では具体化されたCRPSの判定指標はほとんど知られていない(日本版は未作成)という事情があります。

   RSD(CRPS)の最大の特徴は、特有の症状(必須の症状)がないことです。このことは半世紀以上前から言われており、これまで多くの判定指標が前提としてきた基本的なことです。従って、医学意見ではこの点を最重要ポイントとして最初に述べるべきですが、加害者側の医学意見書でこの点を述べたものは一度も見たことがありません。不思議ですね。

3 後遺障害等級

 ⅰ 被害者は、このRSDにより「神経系統の機能または精神に著しい障害を残し、特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの」(5級)ないし「1上肢の用を全廃したもの」(5級)に該当する可能性もあるが、少なくとも、「1手の5の手指又はおや指及びひとさし指を含み4の手指の用を廃したもの」(7級)に該当すると主張します。

   労働能力喪失率56%(7級相当)で逸失利益を算定しているので、実質的には7級の主張をしているようです。

 ⅱ この判決のなかには左上肢の関節可動域制限についての記載がないので、この被害者には左上肢の各関節に関節可動域制限はないようです。とくに手指には強い症状が出ているようですが、機能そのものの障害としては重くないようです。従って、「上肢の用を全廃した」との主張には無理があると思います。また、判決からは「4の手指の用を廃した」と言えるほどの症状を医師が確認していないように見えます。

   従って、「神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」(7級)、または「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」(9級)を中心に主張すべきであったようにも思えます。

   本件では、被害者の主治医の診断からは、左上肢にはかなりの痛みが日常的に持続し、浮腫やしびれも強く、手指のしびれはさらに強いようですので、労務への影響は大きいと考えられるので、現実の就労状況なども考慮に入れながら7級か9級と判断すべきと思います。

 ⅲ これに対して、判決は、RSDであることを認めながらも、12級12号の「局部に頑固な神経症状を残すもの」であるとしました。さすがにこれは低すぎると思います。

   判決は痛みや痺れによる就労への影響を全く認めなかったのですが、これは「他人の痛みは原理的に知りえない」というドグマを背景にして、「仮に痛みやしびれがあるとして、具体的にどのように就労に影響するのか証明されていない。」という論理を用いたものと推測できます。後半部分の論理は誤りとは言えません。

   医師の認めた症状が存在するとした場合には、当然に就労に影響するとも思えるのですが、一般論としてこれを述べるだけでは足りず、個別の動作について「物をつかむと痛みが出るので、強くつかむことができない。」とか、「手指のしびれのため多くの文字を書くことができない。パソコン作業も痛みが強くなるので10分ほどが限界である。」などの具体的な主張をする必要があると思います。

4 素因-局部注射

 ⅰ 判決は、加害者側の証拠を引用して「パンカイン・リノサール、リドカイン・ネオビタカイン、キシロカイン・メチコバールといった薬剤の局部注射の多用がRSDを招来する可能性が高い」と認定しています。

   これは加害者側の医学意見をそのまま採用したものです。被害者が事故以前から頚肩腕症候群により局部注射を受けていて、特に事故後はRSDとの診断を受けるまでに神経ブロックを多数回受けていたことから、加害者側は「神経ブロックがRSDを発症させた」と主張したものですが、もちろんこの主張は誤りです。

 

ⅱ 事故後に神経ブロックを多数回受けていたのは、その時点でRSDの発症が始まっていたからであって、これに対する治療として神経ブロックを多数回施行するというのは、至極普通のことです。

   私の知る限り、(注射ミスで神経を損傷した場合を除いて)局部注射そのものがRSDを発症させる可能性を高めるという考えは学説としても存在しません。RSDに対する治療の代表的なものは神経ブロックですが、その事実を根本的に否定して、逆に神経ブロックによりRSDが発症するという正反対のことを述べるものですので、とんでもない暴論であることは明らかであると思います。

   訴訟戦略上の手法としてもよく恥ずかしげもなくこんな主張を出すものだなあ、ちょっと裁判所を舐め過ぎではないか、いったいこんな医学意見を言う医師が本当にいるのだろうか、という感じもしますが、訴訟ではこのレベルの主張は頻繁に見かけます。

このレベルの主張であれば裁判官は当然に排除すると思われるかもしれませんが、このような主張が有名な大学病院の主任教授並みの華々しい経歴の医師の名を冠した医学意見書で出され、「身体的素因が9割で心因的素因が8割である」などと強硬なことが書かれていると、重視してしまう裁判官も少なくないようです。本件ではどのような医師の医学意見であるのか不明ですが、この主張が判決で採用されてしまっています。

 ⅲ 判決は事故前から通算して4年間も局部注射を受けてきたことがRSDを発症させた原因の1つであるとして5割(つまり事故と同価値)の素因を認定しています。この理屈が誤りであることを措くとしても、交通事故の治療としてなされた神経ブロックについては、加害者の責任を減じる理由にはならないと思います。

   しかし、判決は加害者側の提出した調査報告書(医学意見書)に基づいて、「局部注射が多数回施行されたことについては医師の診療姿勢と原告の心因的なものが相当に影響を及ぼしていると認められる(同調査報告書の意見は入院看護記録を含む診療録に基づいてなされている。)ものであり、医師の診療姿勢の点は格別として、原告の心因的要因によるという点では、訴訟額を減額するのが相当である。」と述べています。

   判決には、「このように多数回のブロック注射を長期間続けるというのは異常かつ誤った治療であるに違いない。」という価値判断が出ています。この実感に加害者側の医学意見がうまく入り込んだようです。

しかし、RSDの事案では神経ブロックを繰り返すことは、ごく普通の治療です。RSDでは激しい痛みが持続することが多いので、神経ブロックを繰り返してその痛みを抑えることは当然であるともいえます。

5 素因-頚肩腕症候群

 ⅰ この事件では素因減額がやむを得ないとも思える別の事情があります。まず、被害者が事故前から頚肩腕症候群にり患していて、その治療を事故時まで受け続けてきたという事情です。

   この頚肩腕症候群の症状は頚部の痛みや両上肢のしびれとして生じていたので、事故後のRSDによる症状と一部重複しています。従って、この頚肩腕症候群の存在が、RSDを発症させた背景ではないかと疑うことにはそれなりの理由があるようにも思います。

 ⅱ 頚肩腕症候群の存在がRSDを発症させる可能性を高めるという医学的な統計などがあれば、素因と認めることができると思いますが、そのような統計は訴訟では出されていないようです。私もそのような学説も統計も知りません。従って、RSDの「発症」に頚肩腕症候群が寄与していることの医学的な証明があるとは言えないと思います。頚肩腕症候群の患者にはRSDを発症する患者が特に多いとは思えません。

   そこで、RSDの「悪化ないし拡大」の原因として頚肩腕症候群を持ち出すことはあり得ることですが、この点も医学的な証明があるかというと、ないと思います。

   従って、頚肩腕症候群については、12級または14級相当の既往疾患とするのが最も穏当な対応ではないかと思います。即ち、RSDによる後遺障害を7級または9級として、頚肩腕症候群による12級(または14級)相当の既往疾患の分を控除するという方法の方が良かったのではないかと思います。

6 素因-急性肝炎(アルコール性)、アルコール性肝炎、胃潰瘍

 ⅰ アルコール性肝炎や胃潰瘍がRSDを発症させる原因となるという理屈は、一見して奇異な感じがします。このため判決でもこれらの既往疾患も含めて、素因を認めたのかどうかはっきりしません。

   判決は末尾に被害者の既往疾患や本件事故後の診断の一覧を載せていますが、その分量は3頁にも及びます。この被害者はアルコール性肝炎や胃潰瘍の持病があり、事故後も飲酒をやめずにこれを悪化させていったようです。事故の2年2か月後には糖尿病の疑いという診断もなされています。糖尿病は末梢神経の疾患を悪化させる要因になるので、この点では過量の飲酒がRSDを悪化させる要因となると見ることに理由があるようにも思います。

 ⅱ 被害者は治療に専念して飲酒を控える状況にはなかったようであり、飲酒を続けたことは事故後の症状悪化の要因の1つになるとも言えそうです。従って被害者にも責められるべき点があると言えそうです。

このように見ていくと、心因的素因として1割程度であれば減額されてもやむを得ない事情があるようにも思います。しかし、判決のように5割もの減額(事故と同価値の事情)を認める素因があるとするのは行き過ぎであると思います。

7 素因-頚椎椎間板ヘルニア

 ⅰ この被害者は、事故8日後に撮影したMRIで頚椎椎間板ヘルニアと診断されています。判決は、上記の局部麻酔がRSDの発症の要因であると述べる加害者側の調査報告書(医学意見書)を引用して、この頚椎椎間板ヘルニアは外傷性ではないと述べます。しかし、判決では外傷性ではないとする理由は述べられていません。

   事故後に判明した椎間板ヘルニアが外傷性かどうかを、事故後の画像だけで確実に判断する医学的な指標は存在しないはずですので、この点はちょっと奇異な感じがします。加害者側の意見だけでこれを認定するのは、難があると思います。

 ⅱ この被害者は、事故5か月前の時点で頚椎第6・7脊柱管がやや狭小化していると診断を受けている一方で、この時点では頚椎椎間板ヘルニアについて診断されていないので、この椎間板ヘルニアは事故によって生じた可能性の方が高いようにも見えます。いずれにせよRSDとは関係しない話です。

 ⅲ 判決はこれをRSDの素因としますが、この判決は既往疾患と素因とを混同しています。頚椎椎間板ヘルニアがRSDを発症・拡大させるという関連性がない以上、仮に事故前に頚椎椎間板ヘルニアが生じていたとしても、RSDの素因とすることは誤りというほかありません。

2010年12月 5日 (日)

遅れて診断された左上肢RSD(18.9.28)

1 大阪高裁平成18年9月28日判決(交民集39巻5号1227頁、裁判所HPにも掲載されています。「RSD」で検索できます。)

1審は大阪地裁堺支部平成15年12月1日判決です。

  この事件では、左上肢RSD(CRPSタイプ1)が問題となっています。この事案の特徴は、①いったん後遺障害診断を受けた後に左上肢RSDと診断されたこと、②複数の医師と鑑定人がRSDを肯定したこと、③加害者側が詐病を主張してビデオを提出したこと、④筋萎縮、骨萎縮を重視せずRSDを認めたこと、⑤判決で各種の判定指標に当てはめたこと、⑥判決が5割もの素因減額を認めたことなどです。

2 症状の経過

 ⅰ 被害者は症状固定時41歳のパート従業員兼主婦です。被害者は平成13年11月16日に本件の事故に遭います。事故は比較的軽微であったようです。

  事故当日・・・頚部痛、左背部痛、頭痛などがある。左上肢脱力と痺れ、左肩痛があり、左上肢は挙上困難、関節の可動域制限もあり、頚椎捻挫および左肩関節捻挫診断を受ける。X線では異常なし。

  翌日以降・・・翌日には左上肢は挙上不能となり、左手指に浮腫が生じ、手指の可動性も狭くなり、その後2週間後までに、背中の知覚過敏(なでるだけでも痛い)、頚椎の運動障害と痛み、左肩関節の運動痛及び圧痛、左上肢の脱力感及び痺れ、左前胸部及び左背部の痛みなどが出現し、体動が困難な状況となる。

   その後症状が改善せず、被害者は半年後の平成14年5月18日にいったん症状固定となります。圧痛著明、運動痛、知覚障害、知覚過敏、知覚鈍磨、左手指腫脹、左手指の屈曲不十分、左握力は0.1~1kg、左手のうっ血、冷感等があり、左肩関節可動域制限などで併合11級の後遺障害と判定されていることからは、この時点ですでにRSDは発症していたものと思われますが、まだその診断はされていません。

   被害者はその後も他の病院に通院して治療を続けますが、加害者側から平成15年の初め頃に債務不存在確認訴訟が提起され、平成15年12月1日に1審判決が下されます。この提訴直前頃から被害者にRSDの診断が下されてその治療が始まり、被害者は高裁で反訴を提起しています。

 ⅱ 被害者は、いったん症状固定とされた平成14年5月28日からAクリニックに通院しますが、RSDとの診断は受けませんでした。同年10月15日から通院したB記念病院でRSDとの診断を受け、同年12月24日から通院したC病院でもRSDとの診断を受けます。RSDとの診断を受けるまで1年ほどを要しています。このようにRSDを疑いつつも、慎重になりすぎて診断がかなり遅れる事案はしばしば見かけます。

平成14年10月の筋電図検査では異常がなかったので、神経損傷によらないRSD(CRPSタイプ1)であると考えられます。明らかな神経損傷のないCRPSタイプ1のときは、神経損傷のあるカウザルギーに比べると症状が急激に進行しない傾向があるような感じもします。被害者の症状はその後も悪化し続けていきます。

平成15年2月には労災の意見書でRSDとの所見が書かれて、同年10月の2度目の後遺障害診断書ではRSDとされています。2年後の平成17年10月30日に診察した鑑定人もRSDを認めています。この時点では、左上肢等の疼痛、左半身の冷感、左手掌の発汗、左肘関節以下の知覚障害、手関節以下に軽度のアロディニア、左手背・左手指の著名な皮膚萎縮(左手指根元の腫脹先端の先鋭化)、色調の変化、ロウソク表面のような光沢ある皮膚表面が存在し、皺が正常な右に比べてほとんど消失している。左上肢と頚部に大きな可動域制限があります。最初の症状固定のときに比べてかなり症状が進行して重症化しています。

以上のとおり、本件が典型的なCRPSタイプ1(RSD)であることは明らかで、被害者がRSDであることには問題がない事案といえます。但し、7級4号の後遺障害認定は低すぎると思いますが。

3 加害者側の主張

ⅰ このような典型的に重症化したRSDの事案においても、やはり加害者側は積極的にその診断を争い、強硬に詐病の主張をするという典型的な対応をしています。本件でも被害者の後遺障害を否定して医学意見書を提出してかなり積極的に症状を否定する主張をして、被害者の行動を隠し撮りしたと思われるビデオも提出しています。

  重症化事案でこれほどまでの主張をするのは、少なくとも道義的には間違っていると思います。しかし、これまで見てきたとおり現実には重症化事案においても加害者側の主張を認めてRSDの診断を否定し、さらには被害者が詐病であると判断した判決も少なくありません。そのため医学知識を必要とする事案においては、加害者側はほぼ全ての事件で積極的に被害者の症状を否定し、多くの場合詐病をも主張します。

あくまでも一般論として述べますが、意図的に虚偽の主張をしてその主張に沿う証拠を意図的に作り出し、裁判所を騙して賠償すべき金額の減額を図ろうとすることは犯罪となります。被害者が重症の場合には悪質な犯罪であると言わざるを得ません。

  私は重度のRSD事案で誤診や詐病の可能性は、概ね1万分の1以下と考えていますが、毎回のように誤診や詐病の主張が出てくることは、奇異な感じがします。裁判所は舐められているかもしれません。以下の加害者側の対応は典型例と言えます。

ⅱ 基準の厳格化

加害者側は、通常は全てのRSD患者を排除できるほどの厳格化された基準を主張します。本件ではまずRSDの4主徴の全てが必須であるとの主張をしています。この主張に従う判決は少なくないようです。

もとよりRSDに必須の症状や検査所見がないことは学会では異論がないので、必須の症状を主張するこの主張は誤りです。それが4主徴のすべてとなると論外です。なお、本件では被害者はこの厳格化された基準も満たしているようです。

ⅲ 交感神経ブロック

加害者側は交感神経遮断(神経ブロック)により、明らかな改善が見られることが必要であると主張します。仮に万が一加害者側の主張とおりであるとするとRSDは全て治癒しそうですが、実際には難治性疾患とされています。

CRPS(RSD)では神経ブロックの効果がない患者は少なくないようで、CRPS(RSD)の中には神経ブロックによりかえって症状が悪化するもの(ABC症候群)もあります。

ⅳ 筋萎縮

加害者側は重症化したRSDには重度の筋萎縮が必要と主張します。これも基準厳格化主張の典型です。困ったことにこのレベルの主張さえも認める判決が散見されます。しかし、私の知る限り筋萎縮をRSDの判定指標に含めるものはいまだかつて1つもありません。その筋萎縮が重度である必要性はなおさらありません。

ⅴ 骨萎縮

加害者側は、事故後早期に重度の骨萎縮が生じる必要があると主張します。本件ではある程度の骨萎縮があったことから、加害者側は要件をさらに厳しくして「事故後早期の重度の骨萎縮」という主張をしたようです。重度の骨萎縮の主張は自賠責保険の基準を引用して強調することが、加害者側の典型パターンですが、本件では単に重度を要求するだけでは足りないので自賠基準は引用されていないようです。

もとよりCRPS(RSD)に必須の症状や検査所見がないことは、医学的には異論なく認められています。しかも、骨萎縮は重視すべき要素でもありません。この骨萎縮が重度である必要はなおさらありません。

  判決は、証拠文献を引用して「骨萎縮については、RSDの場合に骨萎縮が出る場合と出ない場合があるのみならず、その出現する時期にも個体格差があることから、国際的な診断基準(国際疼痛学会の基準等)も骨萎縮を筋萎縮と並んで要件とはしていないところ、骨萎縮は、疼痛のために罹患肢を使用できなかったことから発生することもあり、骨萎縮や筋萎縮の存在しないことが、RSDの存在を否定する根拠となるものではない」としてこれを否定します。正しい論理です。

ⅵ 筋電図検査

加害者側は、医学意見書で末梢神経に障害がないことが電気生理学的検査で裏付けられると主張します。これに対して判決は、それはCRPSタイプ1(明らかな神経損傷のないもの)に分類されるとします。

  RSD事案では筋電図検査で神経の損傷が発見される場合もありますが、この場合には加害者側から「筋電図はあてにならない。」、「筋電図の読み取りが間違っている。」という主張が出てくることが通常であると思います。困ったことにこのような主張さえも認めた判決もありますが、電気生理学検査は被験者の意思に左右されるものではなく、普段の診断や手術にこの検査結果が用いられるので、その読み取りを誤ることはまずあり得ません。

ⅶ 病期説との不一致

加害者側はRSDの「病期」に従った症状が生じていないと主張します。困ったことにこの主張を認めた判決さえも散見されますが、すでに他のところで述べたとおり、臨床での大規模調査の結果、病期の存在そのものが今の学会ではほぼ完全に否定されています。もとより病期は治療の参考程度のものであり、RSDの診断基準ですらありません。

 

 ⅷ 医学意見書

   以上の加害者側の主張は全て医学意見書に記載されていると思われます。もとよりCRPSの診断を下すような高度医療機関での診断が誤診である可能性はそれ自体低いといえます。私は詐病の可能性を含めて、概ね1万分の1以下であると考えています。これ以上可能性を高くすると、大学病院で年に数名から十数名の患者が診断という基本レベルの重大な過誤を受けることになってしまうので、確率論的に支持できません。

   訴訟では医学的な問題が争われる事件のほぼ全部で医学意見書が提出されます。普通に考えればその99%以上が主治医の診断と同じ結論になるはずですが、現実にはほぼ全ての医学意見書で被害者への診断を否定する意見が断定的に切々と述べられるようです。華々しい経歴の医師による意見書も少なくないようです。上記の確率論に従うと、このような医学意見書が正しい可能性は1万分の1以下です。この可能性を考慮に入れるかどうかは、判断の重大な分岐点となります。

   多くの医学意見書は、その名義人が異なるにも関わらず、同じような主張をしてくる傾向があります。不思議ですね。

4 特別調査

ⅰ 加害者側は、被害者の行動を隠し撮りしたと思われるビデオを証拠として提出したようです。これも加害者側の対応でよく見られるものです。被害者は車を運転して、仕事の得意先周りをしていたようで、左肘を曲げてドアを閉めたところなどが撮影されたようです。そのことが被害者の主張する可動域制限に反するとして詐病であると主張したようです。

ⅱ 被害者の詐病を認定する判決では、この種のビデオの映像を詐病との認定の根拠にするものが散見されます。この種のビデオは障害者が障害のない部分を最大限使用して日常生活の上で動作を行うという当たり前のことを逆手に取って、被害者の動作を強調することにより、「これだけ動かせるのは、被害者の主張とは食い違う」という方向に持っていく傾向があるようです。

私の見た判決のなかには被害者の主張する可動域に明らかに反するビデオが提出されたものはありません。本来であれば被害者の主張する可動域制限と明確な矛盾がない限りこの種の証拠には意味はないはずですが、現実には「こんなにも活動的であるのはおかしい。」という情緒面に訴える証拠としての意味があり、このようなビデオが提出されることは少なくないように思います。

ⅲ 判決ではこの時期の被害者の左肘の可動域と矛盾しないことや、右手のみでハンドル操作可能な障害者用ハンドルグリップを設置していたことなどを指摘して、これを退けています。

5 RSDの診断基準

 ⅰ 判決は、細やかな事実認定をして積極的に被害者の症状を分類して認定し、これを4つの診断基準にそれぞれ当てはめていきます。判決は、まず国際疼痛学会(IASP)の94年版の指標にあてはめて、被害者がRSD(CRPSタイプ1)であると認定して、ほかの基準は裏づけとして用いるという論理構造をとっていますが、私もこの時点では最も正しい方法であると思います。私はこの判決の基準の当てはめの部分は他の判決に比べても特に優れていると思います。

 ⅱ なお現時点では、IASP94年版の指標に加えて、臨床における感度・特異度の裏づけのある日本版のCRPS判定指標(臨床用)が適用されるべきであると思います。

   判決は、ギボンズの基準の当てはめもしていますが、医学書によるとギボンズの基準は世界的にはほとんど用いられず、日本ではペインクリニックと裁判で多く用いられているようです。たしかに雑多な項目に重症度も混ぜてスコア化する荒っぽいもので、問題の多い基準であると思います。

6 被害者が後発の事故に遭ったこと

 ⅰ 被害者は、平成13年11月の本件の事故(第1事故)のあとに、平成16年10月に一時停止中に追突事故(第2事故)に遭い、平成17年8月にも追突事故(第3事故)に遭っています。判決によると、第1事故よりも第2、第3事故の方が重い事故だったようです。

 ⅱ 判決はこのことを減額要素として考慮していますが、かなり疑問です。被害者のRSDは、第2事故よりも前に重症化しているので、これを減額要素とする余地はないと思います。仮に万が一原因競合を認めるとしても、原因競合の場合に連帯責任を広く認める最高裁判例とも整合しにくいので、この部分はかなり不可解です。

   判決は、この後発事故と被害者の心因的素因を混ぜて減額要素としたため、どちらも十分な考察がなされていません。この判決はこの部分に至るまではほとんど完璧な流れであっただけに残念です。

7 心因的素因

 ⅰ この判決は、他の部分は優れているのですが、被害者の心因的素因を重視して、5割もの過失相殺を認めている部分は、さすがに同意できません。心因的素因を認めた裁判例は、「特定の心的状況が特定の身体状況を引き起こす蓋然性がある」という素因の結果に対する寄与を具体的に説明せず、その内容を不明確なまま認めたものがほぼ全部ですが、この判決のように不明確なまま5割も認めるのは尋常ではないと思います。

  判決は、被害者の心因的素因として、被害者が事故前に心療内科などに長く通院していたなどの特殊の精神状況を認定しているわけではありません。特定の精神状況が特定の疾患の発症につながるという医学的知見を引用して、被害者に当てはめているわけでもありません。従って、「ストレスで胃に穴が開いた」というレベルの関連性さえ判決には書かれていません。

この状況で心因的素因を認めることは証拠に基づく裁判を否定するものであり、尋常ではないと思いますが、心因的素因を認めた裁判例の圧倒的大多数がこのようなものです。判決では心象的なイメージとして心因的素因が用いられています。心因的素因はこのように中身の空洞化した虚像として用いられ、被害者のちょっとした言動に対する懲罰的な用いられ方も多く見られます。それにしても5割というのは、尋常ではありません。

ⅱ 判決が心因的素因の認定に際して最も重視したのは、本件事故が軽微であったことです。つまり心因的素因は減額のための方便あるので、空洞化は当然とも言えます。

現実の心因的素因の認定の多くは、このような「軽微の事故から重大な障害が生じた」という状況で、「このような軽微な事故から重大な障害を生じる人は特殊であるから、加害者に全額の賠償を負わせるのは適切ではない」という実感に合わせた結論に向けて帳尻あわせに用いられているため、中身が空洞化しています。

仮に事故が軽微ではなくとも、「このような特殊な疾患を発症するのは本人にそれを生じさせる特殊な素因があったからに違いない」という実感が背景にあり、そこから「加害者に損害の全部を賠償させるのは適切ではない」という実感に近づけるための帳尻あわせにも素因が用いられます。

この判決は、「現在の症状が本件事故のみに起因するとは考え難い」という鑑定人の意見を引用して重視します。たしかに軽微な事故から重大な後遺障害が生じた場合に加害者にその全部の賠償責任を負わせるのは酷であるというのは一つのありうる考えです。

 ⅲ しかし、原因となる事故からは想定しがたい重症化を生じるのがCRPS(RSD)の特徴でもあるので、この理屈ではCRPSを発症すれば自動的に心因的素因が認定されそうです。事実、CRPS事案では心因的素因を認定するものが少なくありません。

  例えば軽微な接触であるのに、転んだ場所にたまたま突起物があって頭を打って運悪く死亡した場合に、心因的素因を持ち出して賠償額を減額することが正しいでしょうか。

これが誤りであることは誰にでも理解できると思います。この判決はこの理屈と区別することが困難です。なぜなら、RSDの発症に関わる身体的素因も心因的素因も医学的には認められていないのですから。

  特定の心的状況が特定の疾患を引き起こすという医学的裏付けがなく、むしろ医学的にはこれが否定されている状況で、「軽微な事故から重大な後遺症が生じた」ことを、ほとんど直接的に心因的素因に結びつけることは、明らかな論理の飛躍があります。

  もとより、軽微な接触で予期せぬ損害(死亡など)が生じたことそれ自体をもって、加害者の責任を減じる理由とはなりません。被害者にしてみれば、事故に遭うまでは自分がRSDを発症するなどとは想像したこともないでしょう。

ⅳ CRPSについては、現在の医学では身体的素因も心因的素因も否定する考えが圧倒的通説です。それはそのような統計的な実態がないことと、怪我の仕方に相関する発症頻度の違いが認められていることによります。このことは全ての人について怪我の仕方が悪ければ「悪魔の当選くじ」を引く可能性があることを意味します。

  多くの判例に見られる「このような特殊な疾患は特殊な素因の持ち主にしか生じないはずである」とのニュアンスは、それ自体が差別的であることをひとまず措くとして、その実体的なものの見方にも違和感があります。

  例えば、宝くじで1億円を当てた人は、特殊な人でしょうか。霊感が強いとか、生まれつき運が強いとか、当選者に同じ趣味があるといった特殊性は全くありません。くじが売られて当選番号が決められれば、当選者がランダムに決定されるに過ぎません。

CRPSについても現在の医学では、被害者のほぼ全員が「悪魔の当選くじ」を引いたものとされます。このように考えていくと、くじで当選した人に特殊な素因がないように、CRPSにり患したことについて素因がないというのは、現在の医学的知見を前提とすれば当たり前の結論であると思います。

ⅴ なお、私は、かりに軽微な事故により重大な結果を引き起こす要因を有していたとしても、これをもって直ちに素因減額することには、より強く反対します。

例えば、血友病のために軽微な接触による出血が止まらず、重大な後遺障害が生じたとして、その責任を血友病のある被害者に負わせることは、病者に対する差別そのものだからです。その疾患が本人に責められないもの(血友病や頚椎後縦靭帯骨化症のように遺伝的なもの)であった場合には、それをもって減額することは単なる差別であることは、誰にでも理解できることであると思います。これに対して、飲酒や喫煙を原因とする疾患が事故による結果の拡大に影響したのであれば、それはその被害者にも責められる事情があるので、この場合には素因として考慮するべきであると思います。

世の中には色々な人がいることにより成り立っているので、責められるべき事情のない病者や障害者が「事故にあったときにはその病気・障害を理由に賠償額が自動的に少なくなる」という劣った地位に位置づけられることは正しくありません。従って、疾患の存在から直接的に身体的素因を認める平成8年の最高裁判決は間違っていると思います。

  この判決は、既往疾患の存在が明白である場合には、逆に差別そのものであるということに思い至っていないために、安易に心因的素因を方便として用いたと言えます。それにしても5割もの素因減額は差別に対しての感受性が低すぎると言えます。世の中には多様な人間がいて多様な損害が発生する可能性があることが損害賠償事件の当然の前提ですので、少数者の差別につながるような発想は避けるべきです。

2010年11月21日 (日)

左下肢RSDが両下肢に拡大(19.11.7)

1 東京地裁平成19年11月7日判決(交民集40巻6号1479頁、交民集40巻の解説索引号284頁も参照)

この事件では、RSD(反射性交感神経性ジストロフィー)が問題となっています。この事案の特徴は、①左下肢に「RSD様」の既往症があり、事故により悪化したこと、②事故後に右下肢にもRSDを発症したこと、③ギボンズの基準と自賠基準を併用したこと、④自賠基準によりあきらかな骨萎縮を必要として右下肢のRSDを否定したこと、⑤筋萎縮を重視すべきとしたこと、⑥素因減額を認めたことなどです。

2 症状の経過

 ⅰ 左下肢の既往症

被害者は症状固定時35歳の有職主婦です。被害者は平成9年2月末頃に自宅で階段を踏み外して転倒したことにより、左足の半月板を損傷したことなどがきっかけで、症状が悪化し、平成12年1月には左下肢に「RSD様」との診断を受け、治療の過程で身体障害者等級6級との認定も受けています。

平成12年12月時点では、自発痛はなく、左膝伸展時に運動痛があり、左膝内側関節裂隙に圧痛があるものの、腫れはなく、装具をつけて歩行可能であったとされています。被害者は、この約3か月後に本件事故に遭います。

 ⅱ 事故は平成13年3月で被害者は停止中の自動車に追突されて両下肢のRSDを発症しました。但し、判決では追突速度は時速10キロを大幅に超えないとされ、車の修理代も10万円弱です。

  事故当日・・・頚背部、右肩、腰部、両膝の痛みや吐き気を訴えたものの、レントゲンでは異常は発見されません。

 翌日以降・・・翌日より9日間入院。主訴は頭痛。右下肢痛、左下肢の脱力あるも、CTスキャンでは異常なし。退院時には杖歩行が可能なほどに回復。

 10日後・・・リハビリ通院(約1年11か月)。事故50日後は両足装具で杖歩行が可能。しかし、両膝に運動痛、皮膚温低下、発汗異常あり。

  半年後・・・右膝に自発痛、両膝に運動痛、中程度の腫れ、右下肢の皮膚に発赤、左下肢の皮膚に蒼白、チアノーゼあり。

  10か月後・・・両下肢RSD、既存障害として左下肢RSDとされる。

     自覚症状として、両下肢痛、歩行障害、両下肢発汗障害があり、他覚障害として、RSDによる両下肢痛が酷く、歩行障害があり、杖歩行の状態であり、RSD発症中にさらに外傷が加わり、両側難治性として、症状固定となった。事故後に両側の大腿が細くなり、左が特に細くなっている。

  1年3か月後・・・麻酔科への通院を始めるも、症状改善せず。

  2年8か月後・・・両下肢CRPS-Ⅰ、左下肢RSDは既存障害と診断される。レントゲンでは左側に著名な骨萎縮あるも、右にはない。

3 RSDの発生機序等

  判決は、「RSDの発生機序、病態、定義等については現在種々の説があり、未だ現在の医学界においてコンセンサスを得た見解が確立しているとは言いがたい。」と述べます。

この点は判決時も現在も概ねそのとおりですが、このように述べるのであればRSD(反射性交感神経性ジストロフィー)という用語ではなくCRPSという用語を用いるべきです。コンセンサスのない「交感神経」や「ジストロフィー」を名称に入れるのは適切ではないからです。

  また、「RSDに特有の症状がない(不可欠の症状は存在しない)」ことでは、約半世紀ほど前から世界の医学会で異論がないので、このレベルではコンセンサスがあるといえます。

4 ギボンズの基準

 ⅰ 判決は「RSDの診断について、臨床的診断基準としてギボンズらの診断基準が最近ではよく用いられていることが認められる。」と述べて、これを考慮するとしています。ギボンズの基準は項目が多く、スコアを数値化するので、厳密な感じがします。

ⅱ しかし、医学会ではそれとは逆の評価が一般的なようで、ギボンズの基準は国内外でほとんど用いられたことがないどころか、基準自体が検証も受けていないようです。日本ではペインクリニックの一部でこれが導入され、その後主としてペインクリニックと裁判所でのみ良く用いられているようです。

  ギボンズの基準は多くの項目を取り上げているように見えますが、他の基準(指標)では4ないし5に系統分けされた症状のなかに多くの項目を含むのでギボンズの基準は多くの要素のなかの少数のみに着目するものと言えます。ことにギボンズの基準はその要素に偏りがあり、特に発症率の高くない骨萎縮(それゆえ他の基準では軽視されている)をX線と骨シンチで重複して評価する点に問題があります。

  ギボンズの基準は、重傷度のスコアとランダムに取り上げられた症状のスコアをそのまま合計するという荒っぽい方法と言えそうです。このやり方は各症状の組合せによる感度・特異度の統計を重視する最近の医学の潮流のなかではかなり異質であると言えます。

   

5 自賠基準(とくに骨萎縮)の重視

 ⅰ ほかのところでも何回か述べましたが、RSD(CRPSタイプ1)で骨萎縮を必須の症状とすることは誤りです。

   国内外においてCRPS(RSD)において必ず生じる特有の症状や検査所見はないことに意見の一致をみているので、必須の要件を3つも設定すること自体が根本的に誤っていると言わざるを得ません。

 ⅱ また自賠基準(3要件基準)はRSDかどうかを判別する基準ではなく、3要件基準を満たさないRSDは12級以下の等級しか与えないという趣旨の手続指標です。

   しかし、訴訟では加害者側から、3要件基準がRSDかどうかを判別する基準であるかのように主張されることが恒例となっており、誤ってその旨を述べた判決も多く見られます。自賠責保険の手続は後遺障害の度合いを認定するための手続ですので、医学基準とはことなる傷病認定基準設定する訳がありません。

   しかし、自賠責保険の3要件はRSDの重症とは無関係であるのに、3要件を満たさないと自動的に12級以下とされる点は非常に問題があります。後遺障害の重さの度合いはあくまでも可動域制限の度合いなどの個別の症状を基にして判断されるべきであり、それとは無関係な指標を導入する必要がどこにあったのであろうかと不思議に思います。

 ⅲ 国際疼痛学会のCRPSタイプ1(RSD)の判定指標でも日本での判定指標でも、骨萎縮は要件の1つにさえ入っていません。このように今日では骨萎縮を要件とすることは国外、国内で否定されています。

   アメリカで800名超の患者を対象とした最も有名な大規模調査では、骨萎縮の発生頻度は36%とされています。重度となるとさらに少なくおそらくは10%以下でしょう。自賠責保険基準のように明らかな骨萎縮を必須の要件とするとそれだけで患者の9割ほどが切り捨てられそうです。

自賠基準は他の2要件も必須として、しかも「明らか」であることを求めるので、統計的に見れば自賠基準ではRSD患者の95%ほどは、この基準のみで12級以下とされるのではないかと思います。そこで実際の認定状況が気になるところです。認定機関は、医師がRSDと診断した患者が3要件基準を満たすとされた比率などを公表するべきです。

 ⅳ 以上のとおり、この判決がRSDに不可欠の症状を設定していること、骨萎縮を必須としていること、骨萎縮が「明らか」であることを要求していることは、誤りというほかありません。

6 筋萎縮

  この判決は筋萎縮を重視するべき症状に加えています。しかし、RSDの判定指標に筋萎縮を含めるなどという学説は、多々提案された基準のなかでも、いまだかつて存在しないはずです。この判決が何ゆえ筋萎縮を重視すべき症状に加えたのかちょっと理解できません。この被害者の左下肢に筋萎縮が生じていたからでしょうか。

7 厳格すぎる基準の適用

  以上のように判決は、基準の設定のレベルで極めて厳格にしたのですが、本件の被害者は、左下肢に骨萎縮と筋萎縮があるとして左下肢のRSDのみを認め、右下肢のRSDは否定しました。筋萎縮や骨萎縮を決め手とすることは、この判決の下された時点においても医学的には支持できない考えです。

  私は、被害者の症状からは、医師の診断に従い両下肢のRSDで良いと思います。RSDには、特有の症状や検査所見はないので、不可欠の症状を設定することはそれ自体合理的ではないのですが、この判決のように筋萎縮を要件に加えるというのは、いまだかってそのような医学上の学説もないだけにかなり疑問です。

基準をめぐる争いが生じると、基準を厳格にすれば正しい結論が導かれるような錯覚に陥りやすいようです。しかし、RSDは必須の症状を多くすればするほど、多くの患者が切り捨てられます。裁判の目的が「1割の確実な被害者の救済」であれば、これもやむを得ないかもしれませんが、裁判の目的は「全ての被害者の救済」のはずです。

8 ミラー現象と寄与度

 ⅰ CRPSには、患部とは別の四肢に症状が拡散するというミラー現象(ミラーペイン)がまれに生じることが報告されています。上肢のCRPSが下肢に拡散することもあるとされています。判例においても、四肢の一方にCRPSを発症している方がもう一方にも発症する例が見られます。

   従って、すでにCRPSを発症している方が他の四肢にCRPS様の症状を発症した場合には、それがCRPSである可能性は高まります。

 ⅱ 判決は、被害者の主治医が、「普通なら症状を出さない程度のものであるが、RSDの既往のある足の感受性が高く、症状を増悪させたと考える。」という意見を取り入れ、これを寄与度としています。

   寄与度を認めると、既往症のあった左下肢が事故後に悪化した最終的な症状の全部に対して、既往症が割合的に寄与していることを認めるので、既往症による減額を認める場合と異なる結論が生じます。

   これは難しい問題ですが、私は既往症が本人に責められるべき事情がないものである場合には既往症を超えて、寄与度を認めることは抵抗があります。既往症の存在そのものの評価を超えた責任を本人に課す一方で、加害者の負担を軽減することは病者に対する差別となるからです。例えば、血友病のため事故による出血が止まらず、重症となったことが被害者の寄与度になるでしょうか。私はこれを寄与度とすることは単なる病者差別に相違ないと考えます。

   本件においても、既往症(すでに生じている損害)として考慮できるレベルを超えて加害者の責任を軽減することには反対です。

9 心因的素因

 ⅰ 判決は、「RSDの発症に精神的素因が影響する場合があることが認められる」と述べますが、このような考えは判決時も現在においても、医学会の通説により、明確に否定されています。

   CRPSでは激しい疼痛が続くことや重度の障害が残ることから、発症後に被害者の精神状況が悪化することが少なくないので、これにより事故前からCRPSを発症させる精神状態であったとすることは誤りです。

 ⅱ 但し、この判決は、被害者の事故前からの精神的傾向を判決で述べているので、「事故前の精神状況が事故後の身体状況に影響した」という判断の基本的枠組みは維持している点は評価できます。

   判決は、被害者が完璧主義でストレスをためる性格であり、幼少時の虐待体験や自傷行為があったとして、本件事故後の事情や症状固定後の事情もこれに混ぜて被害者の性格として述べています。しかし、仮にその全てが事故前に存在したとしても、その心的状況がRSDという身体状況に具体的なつながりを有することの説明とはなりません。「ストレスで胃に穴があく」というレベルの関連さえ見えてきません。

   結局のところ、心因的素因の具体的な中身は存在せず(心因的素因の空洞化)、精神的な問題が指摘されている被害者に全額の賠償を与えるのは妥当ではないという懲罰的な観点で、心因的素因を認定したというニュアンスが強く出ています。この方向に進むと、病者に対する差別的な感情論と区別しがたいものになっていきます。

 ⅲ RSD事案における素因の認定は、実際には「このような特殊の疾患は特殊の人にしか生じないはずであり、発症した人には何らかの特殊な素因があるはずである。」という実感に裏付けられたものであると思います。

   しかし、今までのところ頚椎後縦靭帯骨化症や血友病のような遺伝的要因は発見されておらず、その他の身体的素因も見つかっていません(もっとも仮に何らかの遺伝的な素因が発見されたとすると、遺伝レベルの差別と言うほかないのですが)。

   そこで、「何らかの医学的には未解明の心因的素因があるはずである。」という実質論により、心因的素因を認定するのですが、ここに至ると証明に基づく裁判とは言い難いものとなります。現実の訴訟では「軽微な事故から重大な障害が生じた」という外形があるだけで、「初めに素因ありき」という視点で素因の探索が行われ、被害者の言動に対して懲罰的に素因が適用される例が散見されます。

2010年11月12日 (金)

全身に波及したRSDの否定(21.9.18)

1 東京地裁平成21年9月18日判決(交民集42巻5号1205頁)

 この事件では、RSD(反射性交感神経性ジストロフィー)が問題となっています。事案はかなり複雑で論点が多く、平成15年に提訴された事件ですが平成21年に判決が出ています。

  この事案の特徴は、①右上肢に生じたRSDが、提訴後に左上肢に波及し、両足にも症状が及んだこと(ミラーペイン)、②右上肢の症状が提訴後に改善したこと、③RSDの病期をRSD判断基準として考慮したこと、④自賠基準により重度の骨萎縮を必要としてRSDを否定したこと、⑤被害者が訴訟中に死亡したこと、⑥身体表現性障害という心因による症状であるという損保側医師の意見を裁判所が採用したことなどです。

2 RSDの病期

 ⅰ 病期の意義

この判決ではRSDの病期説に注目しています。RSDは急性期(最初の3か月)、亜急性期(3~9か月)、慢性期(9か月~2年)という疾患特有の進行時期(病期)があり、時期ごとの症状が現れるとの説を判決は引用して、RSDの有無の判断において考慮しています。

   この説を引用する医学書は少なくありません。とくに比較的古い医学書で多く、『末梢神経の臨床』(07年)など最近の医学書でも引用しているものは少なくありません。

   RSDの病期は臨床の上ではRSDの進行状況に対応した治療をするという視点からある程度重視されてきたようですが、当然のことながら昔も今も病期をRSDの判定指標に用いる医師や学説は存在しません。

 ⅱ 病期の否定

   臨床からの報告では「病期」は確認できなかったとされています。例えば、『複合性局所疼痛症候群CRPS』74頁ではCRPS患者800名以上の大規模研究でこの病期との相関は認められなかったとしています。『整形・災害外科』45巻13号(02年12月)でも同じことが述べられています。『臨床雑誌、整形外科』54巻7号(03年7月)748頁では、臨床との根本的な不一致を指摘して、病期分類は「今日ではまったく意味がないと断言することができる」とします。

  このように病期説は印象的な少数の症例が過って普遍化されてしまった古い医学の負の遺産の象徴のようなもので、RSDをCRPSタイプ1として位置づける最近の医学では過去の学説とも言えそうです。

  ただ、一部の典型的な症例において治療の参考にする程度であれば問題がないかもしれません。『複合性局所疼痛症候群CRPS』20頁では病期説を「完全に否定することはできない。」というレベルでは肯定しています。

ⅲ もとよりRSD判定指標ではないこと

上記のように過去の遺物ともいえる問題のある学説がつい最近の判決で引用されて考慮されていること、それが交通専門部のある東京地裁の訴訟であること、あろうことかRSDの判断基準として考慮されていることにはかなりの違和感があり、驚きました。

被害者には灼熱痛が生じており、これは普通はRSDを肯定する重要な症状となりますが、判決では急性期(当初の3か月)に生じるはずの灼熱痛が半年以上経過した後に生じているとして疑問を呈しています。この疑問に同意する医師は1人もいないと思います。訴訟ではこのレベルの医学意見書は頻繁に見かけるので、これは被告側の医学意見書に沿う判断でしょうか。

当然のことながら存在しない病期がRSD患者には生じるはずだとして判定指標として検討されると、患者側には格段に不利になります。

3 自賠基準(とくに骨萎縮)の重視

 ⅰ ほかのところでも何回か述べましたが、RSD(CRPS)で骨萎縮を必須の症状とすることは誤りです。国内外においてRSD(CRPS)において必ず生じる特有の症状や検査所見はないことに異論はないので、必須の要件を設定すること自体が根本的に誤っていると言わざるを得ません。それを3つも設定することはかなり異常です。

   国際疼痛学会のCRPSの判定指標(臨床用、研究用)でも日本での判定指標(臨床用、研究用)でも、骨萎縮は要件の1つにさえ入っていません。このように今日では骨萎縮を要件とすることは国外、国内で否定されています。

 

 ⅱ しかし、なぜか自賠責保険の基準では「明らかな骨萎縮」という重度のものを不可欠の要件として要求しています。この基準が作られた当時の医学的知見を無視した基準がなぜ作られたのか不可解です。

   他の判決では骨萎縮に拘らないものも少なくないようですが、この判決では骨萎縮をことのほか重視して、本件では骨萎縮は軽度に過ぎないとして、複数の医師によるRSDの診断を覆しています。

   なお、骨萎縮などを要件の1つとする自賠責の3要件基準は、RSDであるかどうかの判定基準ではありません。自賠責保険の後遺障害認定手続において、3要件を満たさないものは12級以下とする手続上の指標に過ぎません。

   もちろん3要件を満たすかどうかは患者の重傷度とは関連しないので、3要件基準は自賠責の手続での指標としても誤りですが、判決が3要件基準を根拠にしてRSDであるかどうかの診断基準として骨萎縮を要求したことは二重の意味での誤りです。

   以上のようにこの判決では、RSDの病期の考慮や基準決定のレベルですでに問題があるため、現実のRSD(CRPSタイプ1)の患者の大多数(ほぼ全員)がこの基準を満たさないこととなります。このことがもともと複雑難解なこの事件の事案解明から遠ざかった(ように私には見えます)大きな要因となっています。

4 症状の経過

 ⅰ 被害者は、事故時50歳の女性で手作り餃子、ラーメン製造販売会社の代表取締役です。平成13年9月18日に自動車運転中に事故に遭いました。

 ⅱ 事故当日・・・A病院で、後頚部痛、背部痛、吐き気、右胸部痛

   翌日~3か月・・・B病院で右上肢の痛みを訴え、21回注射(神経ブロックと思われる)を打つ。外傷性頚部症候群、右上腕神経痛との診断を受ける。3か月後のカルテに反射性交感神経性萎縮症、カウザルギーと記載される。

   3か月後・・・C病院で頚椎捻挫、右上肢RSDとの診断を受け、入院治療(2か月)に入る。星状神経節ブロックを13回受けるなどした。右肩から腕にかけて痛み、触れるだけで痛い、右上肢の痺れ。

   5か月後・・・C病院を退院してD大学病院に移る予定が空きベッドがなく、C病院に戻って入院。疼痛はアロディニアと判断される。

   7か月後・・・D大学病院に移り2か月入院。右上肢の知覚不全(遠位優位)、右手指(第3~5指)の屈曲拘縮、手指の強い浮腫・灼熱痛。但し、骨密度は正常で筋萎縮はなく、皮膚温の左右差はない。

       脊髄硬膜外刺激電極挿入の手術、脊髄刺激電極の埋め込み手術を受け、右第4、5指の疼痛は緩和した。

   9か月後・・・C病院に入院(約43日)

   10か月後・・・C病院に通院。右上肢に疼痛、右手指の浮腫が確認される。

   1年1か月後・・・C病院に入院(約2か月)。頚部の痛み、右上肢の痛み、可動域制限及び機能低下。星状神経節ブロックを受ける。

   平成14年12月26日、症状固定とされる。平成15年5月13日に損害保険料率算出機構は後遺障害等級9級相当と判断する。同年6月16日には外傷、疾病による右上肢機能全廃として身体障害2級の認定を受ける。

 ⅲ 以上のように、現在のCRPSの判定指標ではCRPS(RSD)と診断されることには問題はない事案です。被害者は当初から星状神経節ブッロクなどの局所麻酔を多数回打っていることから、RSDに特有の非常に強い痛みが生じていたことが容易に窺えます。医師は触るだけで痛いという痛覚過敏やアロディニアというRSDに特徴的な痛みを確認しています。3か月後のカルテにRSDと記載されたことから、医師も当初からRSDを疑い、積極的に神経ブロックを施術しています。

   この被害者は、手指に強い症状が出るタイプのRSDで、しかも指が曲がった状態で拘縮する症状が出ていたようです。その後に手関節が約70度の角度で曲るジストニアも生じています。なお、指がグーの状態になるのはRSDの要件とされる関節拘縮とは別の原因によるもの(中枢神経または脊髄に由来するもの)ではないかと思います。関節拘縮であれば関節近辺の軟部組織の収縮性がなくなり組織の癒着が生じるので、関節が曲がることを必然としません。ジストニアと考え合わせると中枢神経または脊髄に由来する症状であるように思います。

   RSD(CRPS)は局部にのみ症状が出現することが多いので、患部のみに障害が生じていると思いがちですが、現実には中枢神経(脳)や脊髄に由来する部分は少なくないようで、神経学的に関連する部位にRSDの症状が波及する事例もあることからは、中枢神経での障害も考慮に入れる必要があります。

   本件で被害者が、脊髄硬膜外刺激電極挿入の手術、脊髄刺激電極の埋め込み手術を受けたのは、中枢神経または脊髄に由来する症状として手指の屈曲が捉えられていたからであると思います。手術の結果、右4、5指の痛みは緩和したようですが、肩関節や手関節に大きな可動域制限が残っています。

   平成14年12月の症状固定時点では右上肢RSDにより肩関節と手関節に大きな可動域制限が生じていることが診断され、後遺障害等級9級相当と判断されています。原告は9級では低すぎると納得できず、平成15年に訴訟を起こしています。

5 RSDの判断

 ⅰ この時点で医師の診断した症状が生じていたことは、問題なく認めてよいと思います。詐病でこのような多数回の神経ブロックを受ける患者は1000人に1人もいないと思います。さらに脊髄硬膜外刺激電極挿入の手術や脊髄刺激電極の埋め込み手術などの侵襲の大きな治療を詐病で受ける患者は10万人に1人もいないと思います。

   しかし、判決は上記のRSD基準のため、RSDを発症していないとしています。判決の基準では現実のRSD患者の大半(ほぼ全員)がRSDと認定されないのでこれは基準設定レベルでの誤りです。基準をめぐる争いが生じた場合には、とかく基準を厳格化しすぎてしまう誤りが生じやすいと言えます。

   この患者をRSDと診断した複数の医師だけではなく、医療現場の医師にしてみれば、医学知見を無視したこの判断には納得できないでしょう。本件のようにRSDとの診断が複数の治療機関でなされ、その診断に基づく治療が継続的になされ、侵襲の大きな手術もなされ、現に効果が生じているにもかかわらず、裁判で上記の基準でRSDの診断が誤りだったと判断されたことは、医師としては驚天動地の出来事でしょう。一体裁判所では何が行われているのだろうか、このような裁判官が医療過誤も裁くのか、という裁判不信につながると思います。

 ⅱ 判決はRSDの発症を否定しながら、この時点では9級相当の症状が症状固定時までは存在し、二度目の症状固定時(平成16年10月13日)には、改善して12級となったとしています。RSDを否定しながら9級相当の症状があったとする理屈はちょっと苦しいと思います。

   二度目の症状固定が問題とされているように、この事件ではその後に非常に複雑な問題が生じています。

6 提訴後の症状の回復と患部の拡大

 ⅰ 平成15年12月・・・D大学病院で脊髄刺激のペースメーカーの入れ替え手術を受けた後に、それまで見られない左上肢の痛みや腫脹が生じ、手を開くのも難しい状態や、振戦を訴えるようになった。

   平成16年2月半ば以降・・・両上肢に脱力が見られるようになった。

   平成16年3月以降・・・バクロフェンの脊髄注入を始めたところ、両下肢に脱力感を訴え、その後しびれも訴える。

   平成16年10月・・・D大学病院で新たな後遺障害診断を受ける。RSD(全身型)、両上肢麻痺、右上肢振戦、歩行困難、四肢腫脹。但し、右上肢の可能息制限は前回に比べて大幅に改善された。

   平成17年9月・・・保険料率算定機構は9月10号と判断した。

 ⅱ このように右上肢だけではなく、左上肢にもRSDが発症して、さらには両下肢にも重い症状が出ていたようです。そこで、バクロフェンの脊髄注入という手法が用いられています。これも身体への侵襲の大きな治療ですので、詐病でこのような治療を受けることはあり得ません。

   バクロフェンの効果でしょうか、右上肢の可動域制限などの症状が大幅に改善されています。バクロフェンは中枢性筋弛緩作用があり、髄腔内投与により重度の痙縮に著名な効果が期待できるようですので、両手の拘縮などには効果が期待できます。この被害者は指がグーの状態になるタイプの拘縮が生じていたようであり、このことがバクロフェンの使用の理由になったようです。痙縮とは脳・脊髄に由来する筋の異常な収縮のことで、わずかな筋の刺激でも筋の極端な収縮が生じるとされています。

   しかし、バクロフェンには歩行困難などの副作用が生じることもあるとされており、本件でも投与後すぐに両下肢に症状が生じています。もともと中枢神経や脊髄との関連の強いRSDですので、下肢にも症状が出やすい基盤があったのかもしれません。

仮に投薬の副作用であるとすると、事故後の治療により生じた副作用まで事故から生じた障害と言えるのか、しかも事故からかなり経過した時点での症状の発生となると、かなり難しい問題となります。

7 懐疑論からの負の連鎖

 ⅰ 判決では、バクロフェン投与後の治療のなかにおける被害者の症状や行動に疑いの目が向けられています。この記載は全てカルテや入院看護記録に基づくはずですが、D大学病院はこの記載を全く問題視せずに全身型のRSDと診断しています。私もこの医師の判断が正しいと思います。

しかし、判決はこの部分の記載を被害者の詐病を認定する方向で実に大量に列挙しています。おそらくは被告側の医学意見書などにより主張された内容に沿うものでしょう。

この部分は、①懐疑論による事実の変換(疑いに合わせた事実の変更)の特徴的な出方で、疑いに都合のよい方向からの解釈を繰り返すというパターンに陥り、②その解釈に対して確証バイアス(自分に都合のよい事実は価値があるように見える)が生じて、疑いが自己増殖していきます。さらに、③反証なき同調事例の列挙(同種の同調事例はいくら列挙しても証明の度合いにはほとんど影響しないのですが)を繰り返すことによる心証の強化という、構造的な負の連鎖に陥っています。

ⅱ まず、振戦(ふるえ)が睡眠中に出ないとか、会話中に止まるとして、詐病との疑いを抱いています。もともと振戦は24時間常に続くものではなく、特段に疑う理由にはなりません。しかし、疑いの目で見ると、これは患者がウソの症状を訴えているからであるということになるようです。

拘縮しているはずの手を開いているというのも、バクロフェンの投与の効果と考えれば特に問題視するものでもありません。大学病院の主治医は、手が開くと言っても指でちょっと動く程度であったと述べています。これは指がグーの状態で強く握りこまれる拘縮(爪が皮膚に強く食い込むほどの症状が出る場合もあるようです)が緩くなったということを看護記録などに記したものであると推測できます。バクロフェンを投与した側からは、少し拘縮が緩めば「指が開いた」と看護記録などに記載するのは当然でしょう。

車椅子を使用しながら室内では歩行しているというのも、長距離歩行や立位の持続による疼痛の増強のために車椅子を使用している状況では問題にもなりません。判決では「車椅子は1歩も歩けない人が使う」との誤解から、この部分を疑ったようです。

トイレで手すりにつかまりながら、おろしたズボンを自分で引き上げるというもの、握力が残っている限り、取り立てて疑問視することでもありません。判決はこのほかにもADL(日常生活動作)の改善など実に多くの事情を列挙していますが、私は取り立てて問題に感じません。

   しかし、交通事故訴訟では被告側の医学意見書などで、このような事柄への疑問が強く述べられるということは、少なくないと思います。華々しい経歴の医師の意見書でこのような疑問が述べられると、信じてしまうのもやむを得ないような気もします。

 ⅲ 判決が列挙した多数の事実は、全てカルテや看護記録に書いてあるはずで、当然に大学病院の医師や看護師も当然に見ていますが、医師はこのことを問題視せずにRSDと診断しました。

判決は医師が問題視していないこのような事実を、取り立てて疑いの目で見ることを積み重ねて、疑問を増殖させていったようです。その結果、被害者の行動を詐病という観点から組み立て直す方向に向かいました。

 本来問題視すべきではない事柄も、疑いの目で見れば怪しいという見方が可能となります。これは疑いに合わせた解釈を持ち出した結果であって、疑えばどのようなものも疑えるということにすぎません。懐疑論の罠の中からは、疑いに合わせた解釈と普通の事実の認識とが判別しがたくなります。ここに懐疑論の落とし穴があります。

しかし、いったん詐病という観点が出来上がると、その見方を支持する事実に高い価値があるように見えるという確証バイアスが生じます。確証バイアスは人間の認知活動そのものともいえるもので、いかなる人間にも不可避的に生じるものです。

判決は疑い例を多数列挙することにより、その疑いを強化させていきます。反証(医師の判断など)や批判の検討を無視した同調事例の積み重ねをいくら繰り返してもその判断を補強することには繋がらないのですが、同調事例を多く列挙することにより証拠が固められるという錯覚に陥っていきます。自分の推論に有利な証拠を積み重ねようとすることは、確証バイアスに特徴的な認知行動です。正しい推論過程では反証の否定に力点が置かれるのですが、確証バイアスが強くなると同調事例の列挙に向かいます。

 ⅳ このような負の連鎖に陥る判例は、被害者の詐病を認定する判決ではしばしば見受けられます。ある種のパターンのようなものです。

   その原因は色々と考えられます。正しい医学知識が前提とされていないこと、患者の症状を否定する損保側医師の意見に盲従してしまうこと、事案の概要からは患者がウソを述べている確率が極めて低いこと(事前確率の問題)を無視したこと、懐疑論的な論理構造に存在する罠に無頓着であること、確証バイアスについての知識がないこと、現場の複数の医師が患者に騙されたとして自分だけが正しくウソを見抜いたと考えてしまう独善性などが考えられます。この点は詳しくは別に述べます。

 

8 身体表現性障害

 ⅰ 判決は、被害者の詐病を疑う視点から、損保側の証人となった医師が右上肢以外(左上肢、両下肢)は身体表現性障害(強い暗示によって無意識的に機能障害を呈すること)であると推測したことを重視します。判決は、この医師が精神科を専門としているわけではないとしながらも、精神科医と長年にわたって一緒に仕事をして、心因性の有無を判断して治療方針を検討しているとその医師が述べたとして、重視します。

   しかし、普通の医師は、専門外について診断しません。また、診断と受け取られる発言もしないと思います。そもそも、この医師は実際の患者に身体表現性障害と診断したことは一度もないはずです。精神科医ではありませんから。

   なお、この疾患は患者が意図的に症状を作り出していないこと、つまり詐病ではないことが診断要件ですので、詐病の隠喩としてこの傷病名を用いているとすれば論外です。

 ⅱ 判決によればこの被害者にはとくに既往症はないようです。身体表現性障害であれば、普通は50歳になるまでにこれによる既往症が生じているはずです。50歳まで既往症がない人にここまで重篤な身体表現性障害が生じるというのは、身体表現性障害のなかでも異例のことではないかと思います。

   身体表現性障害として、左上肢の疼痛や手指の拘縮が生じるということ自体も、かなりまれな事例ではないかと思います。身体的侵襲の非常に大きな治療を継続的に受け続けるというもの、身体表現性障害とすることへの大きな障害になると思います。

   判決のように右上肢の症状が医学的に裏付けられるとする立場で、残りの部分に生じた類似の症状について、身体表現性障害を認めることはかなり困難ではないかと思います。本当の症状にウソの症状を付け加えれば、治療が困難となり、その不利益が自分に戻ってきます。このように本件では身体表現性障害を否定する決定的とも言える事情が目白押しです。

 ⅳ 被告(損保)は、この種の医学的知見を必要とする訴訟においては、被害者の症状を否定し、その内容に沿う医学意見書を提出してくるのが常であることは裁判所においては公知の事実ではないかと思います。

   普通に考えれば複数の医療機関でRSDとの診断を受け、RSDとの診断に基づいて治療を長期間続けてきた患者のほぼ全員がRSDにり患していると思います。本件では治療は極めて身体的侵襲の大きなものですが、詐病でこのような治療を受ける人はまずいません。

   しかし、被告側は、このような事案においても、当然のようにRSDを否定してそれに沿う医学意見を出してきます。この状況でその医学意見を重視する感覚は一般の人には理解し難いものでしょう。しかし、裁判ではこのような医学意見書が華々しい経歴の医師の名義で提出されることが少なくないようであり、そのような医師の権威に裁判官が盲従してしまうことも少なくないようです。

   身体表現性障害という被告側に極めて都合の良い特殊な疾患を、その適用条件を十分に検討もせず、否定事情が目白押しの状況で安易に認めるというのも医師には理解し難いかも知れません。ことに本件では専門医(精神科医)の診断さえもありません。しかし、被害者の詐病を疑うという視点が強く出てしまうと、それに沿う証拠の価値が高く見えてくるという確証バイアスが避け難くなり、このような判断に至ってしまうようです。