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手根管症候群/CTS

2010年9月29日 (水)

CRPS、低髄液圧症候群否定事案(21.12.16)

1 名古屋地裁平成21年12月16日判決(自保ジャーナル1826号)

  この事件では、CRPS(RSD)や低髄液圧症候群などが問題となっています。

 ⅰ CRPS(複合性局所疼痛症候群)

   本件では、原告は事故の約4か月後に医学部付属のE病院でRSD(患部は右母指とその近辺部と思われます)との診断を受け、事故の約4年後に同じE病院で右母指末梢神経障害CRPSとの診断を受けています。

   本件の原告の症状は、典型的なRSD(患部に疼痛が生じ、皮膚の変化や関節拘縮が生じる)からは少しずれるように思われます。原告は、右母指の疼痛がかなり強く、感覚の低下があり、手の使用によりしびれや疼痛が強くなると訴えています。この疼痛は手首や、手の甲、右腕にも拡大しているとも主張しています。

   E病院では当初はRSDと診断し、約3年半後にCRPSと診断していますが、RSD(反射性交感神経性ジストロフィー)はCRPSのタイプ1に分類されるので、同じ診断を下したものといえます。

   国際疼痛学会がCRPSという病名を提唱した後にも、RSDとの診断名は使われていますが、非典型的なRSDについてはCRPSと診断される傾向があるようです。

 ⅱ 低髄液圧症候群

   本件では、低髄液圧症候群の診断も下されておりますが、これは事故から4年ほど経過したのちのことです。この病名を認める判決が少なくなってきた最近の裁判の傾向も考え合わせると、この症状の存在することと、それが事故から生じたことを裁判所に認めてもらうのは、かなり厳しいと言えます。

   本件では、小脳下垂や髄液漏出の所見は認められない、ブラッドパッチ効果も曖昧であるとして、症状の存在自体を否定しています。

判例からは、事故などでCRPSを発症した被害者が脳に何らかのダメージを受けたとして訴える事例は少なくないようです。しかし、脳という領域で行われる医療行為について裁判で求められる証明のレベルが高すぎるため、現実に試行錯誤しながら高度の治療を受けている患者の大半は救済されないというのが実情です。

素直に考えれば、このような治療を受けている患者の全員に治療の対象となる症状が存在すると思います。しかし、その症状が存在することを証明することは多くの場合、不可能ないし極めて困難です。このような場合に厳密な証明を求めることは、被害者の救済に反するものとなり、合理的とは思えません。

 ⅲ その他

原告は下肢の短縮も主張していますが、事故からどのような因果経路でそれが生じたのか説明は困難であるようです。判決も事故からの因果経路が不明であることを根拠として認めていません。

   このほかに、原告は、両腕、両膝、首、左肩、右後頭部、胸などの痛みを訴えていますが、判決は他覚所見がないとして後遺障害としては認めていません。

   原告は、頭痛、全身倦怠感、首の違和感、めまい感、ふらつき、メニエル氏病、記銘力障害を主張していますが、判決は低髄液圧症候群を否定したこととあいまって、これらを否定しています。

   原告の主張するこれらの症状は、証明することが困難という性質のため認められにくいものです。これらの症状を主張する患者が100人いた場合、ほぼ全員に実際にもその症状が生じていることでしょう。しかし、画像と同レベルの証拠を求めると、その症状を訴訟の場で証明できる人は1人いるかどうかというレベルではないかと思います。このような事情は事実認定に反映されるべきであると思います。

2 CRPSの診断基準-鑑別診断について

ⅰ 本件でまず気に係るのが鑑別診断の問題です。CRPSはこれを積極的に診断する決め手がなく、他の疾患により積極的に症状が説明できないという鑑別診断による消去法的なアプローチを必要とします。国際疼痛学会(IASP)の94年のCRPSの診断基準にも、他の疾患を除外できることを要するとの要件が明記されています。もちろん鑑別診断はどの疾患でも当然に必要ですが、CRPSではあえて要件として書かれています。

 ⅱ 本件で原告の主張している右母指やその近辺の症状のほとんどは、手根管症候群(CTS)によっても説明できるため、手根管症候群の診断に最も有効とされる筋電図検査を受けることが適切と考えられます。

本件で手根管症候群との鑑別診断がなされていない場合、この点で手根管症候群の可能性を排除できないとして、CRPSの診断要件(鑑別診断)を欠くという主張を受ける可能性があります。

交通事故の被害者で手根管症候群を発症される方は少なくないようで、私も10件近く経験したことがあります。医学的には頚部のダメージに起因する重複神経障害(ダブルクラッシュ症候群)として、手根管症候群が発症するという経路が認められています。従って、事故で腕をぶつけたりしなくとも、むち打ちを生じるような事故であれば、頚部の損傷に起因する二次性の傷害として手根管症候群が発生する可能性があります。手根管症候群は重症化すると「手を切り落として欲しい」と願うほどの痛みが生じますので、疼痛を特徴とするCRPSとの鑑別診断は重要です。

   筋電図検査で手根管症候群と診断された場合には、これにより説明のできる症状はCRPSの症状ではないとされます。これが鑑別診断です。他の疾患でより積極的に症状が説明できるのですから、これは当然ともいえます。

 ⅲ ただし、筋電図検査で手根管症候群と診断された場合であっても、症状が手根管症候群のみでは説明できないときには、手根管部での神経の損傷に起因したCRPSの発症という説明が考えられます。

主要な神経の損傷を要件とするカウザルギーだけでなく、これを要件としないRSDの発症についてもその基盤に神経の損傷があることが多く、神経損傷による疼痛の増幅が原因とされていた時期もありました。現在も典型的な症例においてはこのような見解が最有力ではないかと思います。

ただし、非典型的なRSDが多く発見され、神経損傷のみにとどまらない多様な要因が複雑に絡み合っているとして、これらをCRPSと総称しています。

   この訴訟では鑑別診断の主張はされていないようです。被告側としてもこの主張をしたところ、原告が筋電図検査を受けて神経の損傷が確認された場合には、手根管症候群で12級(以上)の認定が出る(しかも、後記のような期間限定や心因素因も認定されにくくなります。手根管症候群を基盤としたCRPSという認定を受ける可能性もあります。)ということで、やぶへびと考えたのかもしれません。

3 CRPSの診断根拠

 ⅰ 判決では、CRPSと診断した根拠が原告から主張されていないとして、CRPSの存在を認めず、この部位に頑固な神経症状があるとして12級に該当するとしています。たしかに、判決からは、原告が診断の根拠(診断基準へのあてはめ)を述べていないように見えます。

   CRPSの後遺障害診断書を作成してもらうときに、症状を列挙して診断要件への当てはめをしてもらえると良いのですが、普通はなかなかそこまではしてもらえないようです。

ただし、判決前に原告側にCRPSとの診断の根拠を述べるように釈明していないとすると、原告側としては不意打ちを受けたと感じるでしょう。この点に関しては、原告が当然なすべき主張をしていないから釈明も必要がない、という考えもありうるところですので微妙です。私は、十分な釈明をしないまま証明責任に頼った事実認定をすることには反対です。

 

 ⅱ CRPSやRSDには多くの診断基準があるので、どれを採用すればよいかという問題はあります。

   判決では、ギボンズのRSDスコアに言及しています。ギボンズのこの基準は列挙された約10のポイントについて、その重症度をスコア化して合計するもので、上肢が拘縮するような典型的なRSDにはある程度有効であると思いますが、非典型例には逆にもともと生じない症状を要求することになり、有効ではありません。

   本件では原告の訴える症状は典型的なRSDとも言えないので、94年のIASPの基準を用いた方が良いと思います。これは、シンプルな4要件で非典型例向けであると思います。

   なお、『複合性局所疼痛症候群CRPS』68頁に日本でのCRPSの判定指標が掲載されています。厚生労働省の研究班が本邦の症例をもとにした統計学的に信頼度の高いものという公的な権威付けがあるので、訴訟ではこの基準と94年のIASPの基準と併用して主張するのが良いと思います。

 ⅲ 仮に、筋電図検査でも異常が発見されないような神経損傷を前提としない非典型のCRPSであった場合、立証はかなり困難となります。もともとCRPSは疼痛を特徴とする疾患であるところ、疼痛そのものは原理的に他人が知ることはできないので、疼痛の基盤となる神経損傷が確認されない場合には、患者を信用するほかないという面が強くなります。

3 後遺障害の存続期間

  判決は、後遺障害の存続期間を10年のみに限定していますが、原告の事故後の経過からはかなり酷であるように思えます。原告は、事故当時45歳の公務員であったのが自転車を運転中に赤信号無視の車にはねられたこの事故の後遺症により退職を余儀なくされたようですので、12級しか認定しない上に、それを10年に限定するというのは、事件のスジから見てもバランスを欠くように見えます。

  原告の年齢が高齢であることや、事故から7年半ほど経過した時点での判決であること、12級という低い後遺障害のみを認めたことなどを総合すれば、その持続期間を制限する理由はないと思えます。症状固定を早期に認定するこの判決では、判決から4年4か月ほどで症状固定日から10年で、原告は症状が全て消失して全快することと認定されていますが、そのような見通しが成り立つようにも思えません。

4 心因的素因

 ⅰ 判決は、さらに心的素因として3割を減額するとしています。判決は、心的要因がどのような因果経路で特定部位の疼痛につながったのかは述べていません。原告の右母指の疼痛は心的要因も影響しているとの結論を一言だけ述べています。

心因的素因を認めるということは、事故前から存在した原告の精神的な要因が、後遺障害の発生、拡大、持続のどこかに関与しているとの事実認定をしたことになります。しかし、判決は何も述べていません。この点について全く何も述べないというのはちょっと不可解です。

 ⅱ 判決では事故前から原告が痛がり過ぎる性格であったことや、過去に通院歴が多かったなどの事情は全く述べられていないので、本件では心因的な素因が事前に存在したという認定をすること自体が、困難ではないかと思います。

事故後の原告の行動の問題点なども全く指摘していないので、右手の症状の蔓延化につながるような何らかの性格が存在するとの認定もしていないようです。

後遺障害に原告の心的要因が何らかの形で影響したとの結論を述べているので、その根拠がどこかにあるはずですが、具体的なものを判決のなかから探すことはできません。そもそも判決は一言も根拠を述べていません。

  

ⅲ 原告の主張のほとんどを「証明がない」として、切り落としてきた一方で、何の証明もない直接認定で3割もの減額をされたのでは、原告としては到底納得できないでしょう。

   疼痛を主体とする疾患の場合には長期間にわたり引き続く疼痛でうつなどの症状が引き起こされることが多いことからは、RSDやCRPSが問題となっている事案では心因的素因の適用は原則として否定されるべきです。少なくとも事故前に心療内科等への入通院歴と問題行動が確認できる場合に限定すべきでしょう。事故により余儀なくされた性格の変化に対して心因的素因による減額がなされることは、二重の事故に遭うようなものといえます。

   また、脳への損傷により性格が変わることがあることは、広く知られたことでもあり、脳へのダメージを主張している事件においても、心因的素因の適用は原則として否定されるべきでしょう。

 ⅳ いずれにしても、本件のように何らの理由も述べないまま、結論だけ述べて心因的素因を認定することは、証拠に基づく裁判という原則にも反していると思います。ことに結論だけ述べて3割も認定するという判決の対応には大いに疑問があります。

  本件では、後遺障害の大半を否定して12級しか認めなかったことや、後遺障害の存続期間を10年に限定していることとのバランスの上からも心因的素因まで持ち出す必要があるのかという疑問もあります。

   判決には何らかの心証の裏付があるとは思われますが、本件ではその理由を知ることはできません。おそらく、原告の「痛がり」の性格が後遺障害の発生、拡大、持続に関与しているとの心証ではないか(理論上それ以外にありえないので)と思われますが、いずれもそれが証明できたというレベルには程遠いことは明らかでしょう。心因的素因で減額をするに際して何らの証明をも必要としないという考えは、支持できません。