無料ブログはココログ

低脊髄圧症候群/脳脊髄液減少症

2014年8月 2日 (土)

CRPSと脳脊髄液減少症(25.10.30)

1 東京高裁平成25年10月30日判決(自保ジャーナル19071頁)

 (1審:新潟地裁長岡支部平成24年12月19日判決)

  この事案の特徴は、①事故後早期に左上肢のCRPS(RSD)と診断されていること、②その後に脳脊髄液減少症と診断されたこと、③胸郭出口症候群との診断も受けていること、などです。

 

2 症状の経過

ⅰ 被害者は45歳女子会社員です。平成13年7月15日に乗用車を運転停止中に追突事故(第1事故)に遭い、3年半後の平成17年1月25日に別の事故(第2事故、後退してきた車両に衝突された)に遭います。

平成18年に第1事故の、平成20年に第2事故の裁判が始まり、両者が併合されて判決が下されています。症状のほとんどは第2事故よりも前に出ているので、以下では第1事故を「事故」と呼び、第1事故を中心に述べます。「判決」とのみ書いたものは地裁判決です。

 

 ⅱ 被害者は事故後早期にCRPS(RSD)と診断され、その治療を受けて症状が少し改善し、1年2か月後からブラッドパッチを受けるなどして、後に低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)と診断され、訴訟では後者を中心に主張し、判決も後者を中心に検討しています。

   判決は加害者側の提出した医学意見に従ったために問題のある部分が多く存在します。この種の訴訟に提出される医学意見書のほとんどは問題のあるものであることや、その対処法は既に述べてきたとおりです。

 

3 CRPS(RSD)について

ⅰ 被害者は事故翌日には左上肢のだるさと痛み、頭痛(左側)、左肩、左肩甲部の痛みを訴え、2か月後には反射性交感神経性ジストロフィー(RSD)の疑いとされ、3か月後に左上半身のRSDと診断されています(21頁)。

  半年後の症状は、①左肩・肩甲骨から背部・上肢の痛み、②左背部の軽度腫脹、③めまい、ふらつき、④左背部・肩から上肢の感覚過敏、⑤左前腕尺側に軽度の筋萎縮、⑥左肩関節前方挙上、左肘関節屈曲・伸展に軽度の関節可動域制限あり、⑦左側の背部、肩から上腕の皮膚温低下などがみられる(22頁)とされています。 

 

ⅱ 上記のうち、①、②、④、⑤、⑥、⑦はCRPS患者に見られる症状であり、これらの症状を説明するほかの疾患が考えられないことや、日本版判定指標を満たすことから、この時点でCRPS(RSD)と診断したことは優に支持できます。

医学的には、この場合にCRPSではないと主張する場合には、その主張をする側においてこれらの症状をより合理的に説明できるほかの疾患をあげる(鑑別診断をあげる)必要があります。

 

ⅲ ところが、CRPSに限らず、訴訟では加害者側は鑑別診断(代替案)をあげることなく、診断基準を操作して「疾患Rであるとは言えない」と主張することが恒例です。

例えば、「CRPS(RSD)であれば症状P、Q、Rが絶対に生じる。被害者にはそれが生じていない。よって被害者はCRPSではない。」と主張します。この主張には、「よって、被害者の症状は根拠がないので否定するべきだ。」との逆転した主張が付随します。

  繰り返し述べてきましたが、CRPSに必須の症状が1つも存在しないことは世界中の全ての医師が認める定説で、全ての判定指標がこれを前提に作成されています。日本版判定指標も5項目のうち「いずれか2つ」を満たせば陽性とされます。なお、必須の症状が存在しないことは疾患として特別なことではなく、ほとんどの疾患で当てはまります。

 

ⅳ 地裁判決は、①被害者が灼熱痛を医師に訴えていなかった、②被害者を治療した医師が外傷性頚部症候群でも説明できるとか、頚椎部以外に左肩甲骨周辺から肩関節にかけての障害も疑われるとの意見を示したことがある、③星状節神経ブロックを施術しても症状は一進一退であった、④自賠責で非該当であった、などの理由で⑤RSDを発症したとするには「疑問の余地があり、直ちに認めることはできない」(36頁)とします。

  上記①はCRPSには必須の症状は1つもないので論外です。しかし、このレベルで誤っている裁判例は多く見かけます。

  上記②は、外傷性頚部症候群は具体的な疾患を意味するものではないので鑑別診断の対象とはなりません。そもそもこの意見はRSDと診断した医師が外傷性頚部症候群のみでは説明できない部分があるとの趣旨で述べた内容です(21頁)。

 

  上記③はCRPS患者であっても、神経ブロック療法の著効例は7%で、一時的な有効例を含めて30%程度に過ぎません(『ペインクリニック』30巻別冊春号247頁、『複合性局所疼痛症候群CRPS』15頁)。CRPS患者の中には神経ブロックで症状が悪化する方(ABC症候群)もいます。しかし、一部であっても著明な効果が生じる患者がいるため、ほとんどの患者にこの治療が試みられます。また、一時的であれ疼痛緩和には意義がある(痛みの持続が症状の悪化をまねく)ため、通常は神経ブロックなどの疼痛緩和の治療が繰り返されます。

  本件の被害者は神経ブロックによる症状の改善が見られたため、1日に2回もの星状神経節ブロックの施術を受けており、非常に強い痛みが生じていたことが優に認められます。このことはRSD(CRPS)との診断を肯定する根拠となります。

  上記④は自賠責ではRSD(CRPS)であるかどうかを判断しないという基本構造を理解できていません(判断すれば医師法違反となります)。また、「自賠責はこう言っている。」としてその根拠を検討しないことは、裁判所が判断を放棄しているようにも見えます。

  上記⑤は訴訟で診断を検討することの法律的な意味を理解できていないため、「疑問の余地があるので直ちに診断が正しいとは認められない」との論理になったように見えます。この点は他の裁判例でも多く見られる深刻な誤りですので、項目を分けて述べます。 

 

4 診断は症状の存在を前提とした評価である

 

 ⅰ 症状と診断との間に「診断が正しいので症状が存在する」という関係や「診断が誤りなので症状は存在しない」との関係はありません。症状の存在は常に大前提であって、診断の適否に関わらず症状の存在は認められます。荒っぽいたとえですが、死亡診断書の傷病名が間違いだからと言って、死亡していないことにはならないのと同じです。

では、なぜ訴訟で診断の適否を検討するのでしょうか。この点の問題意識がないまま漫然と診断が「正しいといえるか」を検討している裁判例をしばしば目にします。

 

 ⅱ 訴訟で診断を検討するのは、通常は「治療の過程である医師がある診断を下した」との事実が存在するからです。例外的に、訴訟になってから鑑定などで「本当は疾患Rではなかろうか」として診断が検討されることもあります。

 

   「患者の症状と検査結果から医師がある診断を下した」との事実は、その症状を説明する理屈として医師がその病名を用いたという間接事実です。診断した病名だけではなく、その根拠となった症状(主要事実)が分かっていれば、この間接事実にはあまり意味はありません、診断は治療の過程で行なわれる医学的行為であって、訴訟で事実を認定するための行為ではありません。

 

 ⅲ ところが、診断を否定すれば被害者の主張する症状は認められなくなるとの誤解から、診断の適否を検討しているように見える判決は少なからず見かけます。

   この考えの根底には、①被害者の症状や検査結果から疾患Rであると判断できる場合には、②被害者の症状は「疾患Rによって引き起こされた症状」(由来する症状)となり、③疾患Rにより被害者の症状が合理的に説明できるようになり、④症状の存在が裏付けられる、との論理が存在するように見えます。

   しかし、被害者の症状を前提に疾患Rと診断し、その結果、「疾患Rに由来する症状」として被害者の症状が裏付けられるとするのは、たんなる循環論法です。

 

 ⅳ 循環論法であることはおくとして、「疾患Rに罹患したから疾患Rによる症状が引き起こされた」との関係性はほとんどの疾患で成り立ちません。現実には一定の症状と検査結果から、診断が下されます。

 

   CRPS患者の症状も様々な態様があります。日本版判定指標は5項目のうちいずれか2つを満たす場合(仮に5項目をA~Eとすると、AB、AC、AD、AE、BC、BD、BE、CD、CE、DEの10通りのパターンがあります)に陽性(感度約80%)となります。つまり、CRPS患者の8割は10通りもの症状の出方をしていて、残りの2割はそれとは異なる症状の出方をしています。

   この前提においてCRPS患者の症状をCRPSに罹患したことにより引き起こされた症状と見ることは現実に合いません。実際には様々な要因から一定の症状が一定の重症度になることにより、CRPSと評価されています。

 

5 診断が否定された場合の方が症状を合理的に説明できる

 

 ⅰ 現実の問題として、被害者の症状を生じさせている傷病名が分からなければその症状がどの程度であるのかがよく分からないという実感は存在すると思います。そこで傷病名に注目することは自然な感覚です。この考えを突き詰めると、症状そのものよりも症状を生じさせた傷病名の方が大切であるという感覚に行き着きます。

   この感覚から、「被害者はCRPSであるとは言い切れない。よって、被害者の症状が重い症状とは言い切れない。」との理屈が生み出されるようです。つまり、傷病名の方が大切なので傷病名の方が主要事実になって、症状がそこから導き出されるという理屈です。しかし、これは単なる循環論法で、しかも診断の実態に合わないことは既に述べたとおりです。

 

 ⅱ 正しい方法(鑑別診断)で診断の適否を検討した場合は、診断が否定された場合にこそ症状の存在がより合理的に説明できるようになります。

 

   例えば、患者の症状(A~E)を確認した医師が線維筋痛症と診断したとして、鑑別診断によりCRPSと修正された場合を想定すると、その鑑別診断が正しいとされたのはより合理的に患者の症状を説明できるからです。

   この場合には新たな病名によって「より合理的に症状が裏付けられた」という見方もできそうですが、検討対象の症状は同じです。

 

   鑑別診断の考えはポパーの反証主義に通じるものがあります。即ち、全ての理論はそれを絶対的に正しいとする根拠を得ることはできず(経験主義)、たんに現時点で反証を免れているに過ぎない。より多くの反証を克服することにより理論はより高い信頼性を得ることができる。反証が認められた場合でもその反証が絶対に正しいわけではないが、理論はより真理に近づいたといえる。この過程を確保するために理論は反証可能性を有していなければならない。

   つまり、ある診断が下されたとしてもそれが正しいと断定する根拠はなく、反証(鑑別診断)により診断が変わる可能性は常に存在します。より多くの鑑別診断を受けた診断は信頼性が高まります。 

 

 ⅲ 以上に対しては、例えば食あたりだと思われていた患者が実は胃ガンであったという場合には、患者が訴える腹痛への評価は異なるはずであり、腹痛という同一の対象であっても、他人による評価という間主観的な尺度で見れば症状の強さに格段の違いがあるという反論が考えられます。

   しかし、これは例示内容に問題があります。一定期間続いた腹痛その他の症状を生じる疾患として合理的な範囲内での比較検討であれば、診断の適否により症状の見方が変わることはありません。重度の胃潰瘍の症状と胃がんの症状とでは前者の方が重くても特に問題はないと思います。

 

 ⅳ まとめ

「医師Aが患者PをCRPSと診断した」という事実は、その診断が誤診であるかもしれないとしても、その医師がその診断を下すほどの症状を患者に確認した事実を意味します。従って、この限度において診断は(漠然とした)症状の存在を裏付ける間接事実です。但し、診断の基礎となった具体的な症状が判明している場合には「診断により症状が裏付けられる」との関係は認められません。

また、医学的に正しい方法(鑑別診断)でその診断が否定された場合には、患者の症状は「より合理的に説明できる」という意味において裏付けられています。但し、対象となる症状そのものは変わりません。 

 

6 間接事実に証明責任を適用する誤り

 ⅰ 傷病名が主要事実であると誤解して、「疾患Rであると認めるに足りる証拠はない」などの形で認定している裁判例はしばしば見られます。本件では、RSDとの診断について、「疑問の余地があり、直ちに認めることはできない」との理由で否定の結論を導います。

 

   この部分には4点の誤りがあります。①傷病名は主要事実ではなく間接事実です。②かりに証明責任が適用される事柄であったとしても、求める証明度が高すぎます。③「証明責任は自由心証が尽きたところでその機能を開始する」(定説)とされているように、証明責任は事実認定の道具ではなく、自由心証で事実が認定できなかったという異常事態において結論(法規の適用)を決める道具です。④自由心証に証明責任を取り込むことは誤りです。

 

 ⅱ 最高裁判決が述べる「高度の蓋然性」は80%ほどの心証(証明度)であるとされています。従って、「おそらく~であろう」との心証であれば足ります。アメリカでは証拠の優越(50%超原則)とされていて、この見地から80%ほどの心証では高すぎるとの批判があります。

以上に対して、「確実」ないし「ほぼ確実」(95~99%)とのレベルの証明度を求めることは誤りです。この誤りに陥ると、表見証明、一応の証明、間接反証などの民事訴訟法概念が機能する余地を失います。 

 

ⅲ この判決は間接事実についても全般的に「~であると認めることはできるか」との視点で検討していて、「何が起きたのか」の視点で実質的な心証を形成していないことが気にかかります。

間接事実についてはそこから得た心証をそのまま述べる必要があります。これにより初めて主要事実の存否を推論する基礎とすることができます。ありのままの心証を基礎としなければ、正しい推論はできません。

 

例えば、数学の問題を解く過程では無理数などはそのままの形で保存(記号化)してその先に進む基礎とします。これに対して「π(3.14…)」という記号を用いずに「3以下であるとは認められない」と結論付けると先に進めません。

 

事実認定も同じで、ある事実について「おそらく~であろう」、「~であるとするのは躊躇する」、「この事実からは~とは考えにくい」、「~の事実と整合する」などの形で各事実に即したありのままの推論を示すことによって、その先の推論の基礎となります。そもそも間接事実については「~であるとは認められない」との結論を出す必要もありません。

しかし、間接事実についてありのままの心証を述べることをことさらに避けている裁判例は少なくありません。「誤った判断を述べてはいけない」という考えからできるだけ心証を開示せず、「確実に~と認めるに足りる証拠はない」という言い方に逃げているように見える裁判例は少なからず見られます。

 

もちろん、主要事実においてさえも「確実」との心証を求めることは正しくありません。求める心証を必要以上に高くすることは事実に即した認定から遠ざかります。事実に最も近くなるためには「生じた可能性が最も高い事実は何か(何が生じたのか)」の視点で検討する必要があります。

その検討を総合した結果、「高度の蓋然性」をもって主要事実の存否を判断できない場合に、初めて証明責任を持ち出して結論(法規の適用)を決めることとなります。

従って、主要事実を認定する場合においても、いきなり「~であると認めることができるか」という視点を持ち出すのはまずく、「何が起きたのか」との視点でその事案を解明できた度合いをそのまま記述し、解明できていない部分について、その度合いが主要事実に求められる証明度に達していないことを示した上で、やむを得ない最終手段として証明責任に結論をゆだねることになるはずです。

 

7 背理法無視の誤謬(他事情考慮の欠落)

 ⅰ 本件で被害者がRSDと診断されたことは、「被害者の症状や検査結果等について医師がRSDと評価できるとして、その診断を下した」との意味を有する事実です。

   もちろん、のちに行なわれた別の精密検査により、別の診断が下された場合においてもこの事実自体は不変です。「その状況をより合理的に説明できる対案が提示され、その対案の方が優れていたから対案を支持する」との状況が生じたとしても、最初に下された診断の元になった症状が否定されるわけではありません。むしろ逆に症状がより合理的に説明できるようになるはずです。

 

 ⅱ 判決の最大の問題は、事故の半年後に確認された症状がCRPS(RSD)ではないとした場合に、その症状をより合理的に説明する傷病名が存在しないことです。これは背理法無視という基本的かつ致命的な誤りです。この場合の背理法は、①「A」または「A以外」である(排中律)、②「A以外」ではない、③よって「A」である、との単純な論理です。

論理の基本原則である背理法を無視した思考に基づき「とにかく『確実にRSDである』とは言えない。よって、RSDであるとは認められない。RSDではないとした場合の候補は見当たらないが、実際に何であるかは関知しない。」との論理は、それ自体が誤りであるというほかありません。これに対して、被害者側は「ではRSDではないとしたら、一体この症状をどうやって説明できるのか」と憤ることでしょう。

   裁判例においては「他の妥当な説明が見当たらない」、「他に考えられる事情はない」、「他の原因は考えられない」との論理を用いる事実認定は多く見られます。

 

 ⅲ 最高裁判例には、因果関係判断については他原因考慮(それでないとした場合に他に原因がありうるか)との点から、相当の可能性がある具体的な他原因をあげなければ、一応の証明ができている原因を否定できないとする準則を述べる一連の判決があり、この準則を前提とする概括的認定に関する一連の判決もあります。

   最高裁判例からは、一定のレベルで証明ができている事柄について、代替案も示さずに「『確実にAである』とは言えない」との理由のみで否定することは誤りとされます。これは論理の基本原則ないし一般的な常識からも当然というべきでしょう。

   従って、医師が症状を列挙してこれに基づいてある診断を下した場合には、その診断を否定するためには代替案(鑑別診断)をあげなければならないことは、医学的な常識であるとともに最高裁判例の事実認定の準則にも合致します。

 

 

8 胸郭出口症候群について

 ⅰ 被害者については、2年4か月後のカルテに胸郭出口症候群との記載があり、2年8月後と3年1か月後に作成された後遺障害診断書に胸郭出口症候群と記載されています(36頁)。その根拠として血管造影検査の結果。左右の鎖骨下動脈の径に差があるとされているようです。この診断は被害者についてRSDと診断した医師ではなく、外傷性低髄液圧症候群とした医師により行なわれています。

低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)が問題となる事案では、これに併せて胸郭出口症候群の診断も下されている事案は少なからず見られます。このタイプの事案では低髄液圧症候群が中心的に議論されていて、胸郭出口症候群の診断根拠がはっきりしないものが多く見られます。本件もこれに属します。

 

 ⅱ 本件では事故後の被害者の症状の経過からは、胸郭出口症候群による神経損傷を基盤にしてCRPS(RSD)を発症したように見えます。

   即ち、事故翌日に被害者が訴えた、左上肢のだるさと痛み、頭痛(左側)、左肩、左肩甲部の痛みは胸郭出口症候群の典型症状です。

 

   上記のとおり半年後の症状は、①左肩・肩甲骨から背部・上肢の痛み、②左背部の軽度腫脹、③めまい、ふらつき、④左背部・肩から上肢の感覚過敏、⑤左前腕尺側に軽度の筋萎縮、⑥左肩関節前方挙上、左肘関節屈曲・伸展に軽度の関節可動域制限あり、⑦左側の背部、肩から上腕の皮膚温低下などがみられる(22頁)とされています。

   このうち、①、④は胸郭出口症候群でよく見られるもので、③のめまいなどの愁訴も胸郭出口症候群でしばしばみられる症状とされています。また、⑤は胸郭出口症候群による神経損傷により生じたものとして説明できます。筋組織は神経の支配が失われると萎縮を生じます。

   一方で、②の腫脹、⑥の肘関節の可動域制限、⑦の皮膚温低下は胸郭出口症候群のみでは説明しにくく、これを基盤としてCRPS(RSD)の段階に至ったと見るべき症状と言えます。

   なお、可動域制限(⑥)については、胸郭出口症候群で肩関節の可動域制限が生じている事案はしばしばみられますが、その可動域制限が肘関節や手関節に及んでいる場合や、可動域制限が重くなった場合にはCRPSの段階に至ったと見るべき要因となります。

 

 ⅲ 胸郭出口症候群が基盤となってCRPS(RSD)を発症したと思われる事案は裁判例では少なからず見られます。

最初に胸郭出口症候群との診断を受けた場合には、その後に症状が悪化し続けて「ここまで重症化したらCRPS(RSD)と診断するべきではないか」と思われる状況となっても、胸郭出口症候群の診断を維持していることはしばしば見られます。

   逆に最初にCRPS(RSD)との診断を受けた場合には、そこに至る過程で胸郭出口症候群を生じているように見えても、その検査を受けていないことが多く見られます。 

 

9 脳脊髄液減少症を検討する意味について

 ⅰ 本件では、脳脊髄液減少症について、①モクリ基準、②国際頭痛分類基準、③神経学会基準、④研究会ガイドライン、⑤厚労省報告書基準などに言及して検討しています(26頁以下)。

   どうしてこれらの基準を列挙して検討しているのかというと、やはり、「正しい基準」がどれであるのかを判断したいからでしょう。判決は、①被害者が脳脊髄液減少症に罹患していれば、②被害者の症状は『脳脊髄液減少症に由来する症状』となり、③傷病名の裏付けのある症状となる、との考えでこの検討をしていると考えられます。

   その前提として、脳脊髄液減少症という疾患についての医学的に正しい診断基準を当てはめることによって、被害者が脳脊髄液減少症に罹患しているかどうかを正確に判断できるとの考えから、上記の各診断基準の比較検討をしていると考えられます。

 

 ⅱ けれども、やはりこの考え方は構造自体に問題があると思います。仮に、脳脊髄液減少症の診断が正しいとされたとして、そこから導かれる患者の症状というものは存在するでしょうか。

   これが循環論法であることはひとまず措くとして、患者の訴える症状と検査結果をもとに脳脊髄液減少症と診断し、その結果患者の訴える症状が「診断が正しいというお墨付き」のある症状となり、その症状の存在を認めることができるという関係性は認められません。

   脳脊髄液減少症の患者にも色々な症状があり、診断が正しいからと言って具体的な症状が導かれるわけではありません。診断は症状の存在を大前提として、これに対する評価として下されるものであって、診断の適否により症状の有無や程度が左右される関係は存在しません。

上記の脳脊髄液減少症についての各種の診断基準は、それぞれが対象とする病態が必ずしも一致していません。このためそのまま診断基準の優劣を検討することができないという問題もあります。

仮に対象とする病態が一致していたとしても、診断基準の優劣の検討は「より多くの患者を適切に選別できるかどうか」との視点で行なわれるので、診断基準が正しいかどうかという意味での検討は次元が異なります。

 

 ⅲ 診断を否定しても症状の存在は否定されないため、ある診断を否定するためには、その診断に取って代わって症状を説明することのできる別の病名をあげる(鑑別診断をあげる)必要があります。

   診断基準とされるもののほぼ全部は、その基準のみで全ての患者を選別できるものではなく、通常はその疾患に罹患していても診断基準を満たさない患者が1~2割ほど存在します。この場合には鑑別診断により、他の疾患の可能性を否定した上でその疾患の診断が下されます。

これに対して、判決では全ての脳脊髄液減少症患者を1人残らず選別できる「正しい診断基準」という架空の存在を想定して、それが何であるかを検討しているように見えます。このため診断基準を列挙して検討するという手法を取っています。

 

 ⅳ 本件で現実に存在する事実は、「その被害者の症状や検査結果から、A医師が脳脊髄液減少症と診断した」との事実です。即ち、①被害者にある一定の症状と検査結果が存在していて、②それらはA医師が脳脊髄液減少症と評価できるものである、との事実です。

上記②の「A医師が脳脊髄液減少症と評価したこと」は事実であるので、事実自体は否定できません。そこで、「本当は脳脊髄液減少症ではない」という次元の異なる主張をすることとなりますが、この主張ではA医師が確認した症状を否定できるはずがありません。被害者の症状の存否や程度に関しては、診断の適否を検討することにあまり意味はありません。

このことは医学的に正しい手順に従い、被害者の症状を説明できる別の疾患をあげて、その疾患により被害者の症状が説明された場合を想定すれば明らかでしょう。

 

 ⅴ 脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)が問題となる事案においては、胸郭出口症候群やCRPSだけではなく、高次脳機能障害や軽度外傷性脳損傷などの別の疾患の診断も受けていることがしばしばあります。

この場合には、脳脊髄液減少症の病名が対象とする症状はどの範囲のものであるのかはっきりしない裁判例がほとんどです。脳脊髄減少症と他の疾患があいまって症状を生じさせているとの趣旨で、かなり広い範囲の症状を脳脊髄減少症で説明しようとしているように見えます。

 

10 症状をいかにして認定するべきか

 ⅰ 「診断が正しいから症状が存在する」との考えや、「診断が正しくないので症状の存在は認められない」との考えが誤りであることは明らかです。また、診断が正しいとされたことにより、「正しい診断というお墨付きのある症状」になるとの考えも同様に誤りです。

   診断は症状を前提として、その評価として下されるものであるとの基本的な考えからは、診断の適否をいくら検討しても症状の有無や程度は見えてこないはずです。症状の有無や程度を判断するためには、症状そのものにより近い証拠を吟味するべきです。

 

 ⅱ 被害者の症状の存否や程度に関しては、①被害者本人の訴え、②それを医師が確認したこと、③検査結果、④治療内容、⑤治療期間、⑥就労や日常生活への影響、⑦診断(症状を確認した医師の評価)、⑦その他の事情を総合して認定する必要があります。

 

   事故後の通院状況や治療内容から「本当に痛くて治療を続けているのであろう」と考えられる場合はしばしば存在します。扶養家族がいるのに就労できずに治療を続けている事情などから被害者の症状の重さを推し量ることもできます。事故前に10年以上まじめに就労していたのに就労ができなくなったとの事情も症状を裏付けます。この種の判断は一般人の常識感覚からは当然のことであり、「弁論の全趣旨」から心証を形成する訴訟でも同様です。

   ところが、上記のうちの診断のみに着目して、しかも、診断の適否にのみ着目し、さらに代替案(鑑別診断)をあげずに診断の適否を検討し、症状の存否を判断することは、やはり感覚としても非常にずれていると思います。一般人からは「裁判官は頭が固いなあ。どうして症状に関連する他の多くの事情に目を向けないのだろう。」と見られると思います。

 ⅲ もちろん、裁判例のなかには通院や治療の状況などから心証を形成して、傷病名に拘らないものも多く見られます。

   最近のものでは横浜地裁平成24年7月31日判決(判例時報2163号79頁)は、被害者について「脳脊髄液減少症の疑いが相当程度ある」との認定で、事故後の症状や治療経過から後遺障害を認定(9級)しています。

   京都地裁平成23年11月11日(自保ジャーナル1871号29頁)は、CRPSの事案で「病名としては不確定であるが、症状として難治性疼痛がある事実は認められ、発現時期等から、本件事故に起因するものである蓋然性が認められる」としています。

   東京高裁平成22年9月9日判決(自保ジャーナル1832号1頁)は「WHOの定めた軽度外傷性脳損傷に関する平成16年の定義に該当するか否かについては本件訴訟においてそれを確定することが必要であるわけではない。本件訴訟において重要なことは本件事故によって(被害者)が頭部に衝撃を受け脳幹部に損傷を来してこれを原因として後遺障害を残存させたかどうかである」としています。

1 存在を認めなかった症状について

 ⅰ 判決は、被害者に対するCRPS、胸郭出口症候群、低髄液圧症候群との診断を「正しいとは言えない」という形で証明責任によって否定する形になっています。その結果、診断の基礎となった症状を裏づけのない症状であるとして被害者の症状を否定する方向に向かっています。

   この部分の構造的なまずさは上記のとおりですが、その結果として被害者の症状の一部を詐病であるとしてその疑いを述べています。即ち、①視力低下、②光過敏、③音過敏、④歩行不能、⑤立位保持困難、⑥座位維持困難、⑦思考力の低下、⑧記憶力の低下、⑨集中力の低下、⑩気力の低下などを列挙して、「そもそも原告にかかる症状が生じているか疑問がある」(37頁)と述べています。

   その理由として、①視力低下については事故から半年後にその訴えがあると述べ、①から⑩について事故直後に受診した病院ではそれを裏付ける明確な他覚所見がないとします。 

 

 ⅱ しかし、交通事故後にしばらくして視力の低下を訴える事案はしばしば見られます。①から⑩はその性質上、「明確な他覚的所見」(この表現には問題があります)を得られにくいものです。そのこと故に詐病を疑うというのも疑問です。

   不定愁訴(医学的に説明できない症状)を訴える患者は、総合診療の現場の1033%を占めると言われています(『不定愁訴の診断と治療』3頁)。その症状が存在しないと考える医師はまずいません。

 ⅲ 判決は「他覚的所見」を画像所見などに限定する意味に誤解しています。「他覚的所見」は医師が五感の作用により確認できた全ての症状を意味します。患者の協力を得て看取した症状も当然に「他覚的所見」とされます。このことはこれまでにも繰り返し述べてきたとおりです。

   他覚的所見の意味を誤解している判決では、「他覚的所見のないものは14級で、あるものは12級」との誤りと抱き合わせで誤解していることが通常で、この判決もこの誤りを取り込んでいます。

   「他覚的所見」は医師が看取した全ての所見であるため他覚的所見の有無では区別できないので、『青い本』では12級と14級は証明と説明の違いとしています。訴訟では、全ての証拠を総合的に吟味して心証が取れれば「証明あり」と単純に考えれば足りる話です。

画像があるから認めるという証拠の制限は、弁論の全趣旨から自由に認定でることを骨格とする自由心証主義に反します。

 ⅳ また、①から③はバレリュー症状などとして裁判例ではしばしば目にします。判決がめまい、ふらつき、耳鳴りの存在を認めつつ、①から③を否定することは、一貫しません。

上記の⑦から⑩に関して、強い痛みが続くと痛みによる健忘症や集中力の低下は多く見られます。被害者が事故の2か月後という早期にRSDを疑われ、1日2回ものブロック注射を受けてきた事情からは、⑦から⑩が存在することは特に疑うべきことではないと思います。

   さらに、④から⑥については、被害者が長期間訴えてきた症状であり、後遺障害診断書にもその記載があることや、被害者の受けてきた治療内容からは、現実にもその症状が存在していると考える方が穏健であると思います。 

 

 ⅴ 判決はCRPS、胸郭出口症候群、低髄液圧症候群を発症したことを認めなかったことが症状を否定することに直結するとの誤った思考から、症状の一部のみ(頭痛、頚部痛、めまい、ふらつき、耳鳴り、左肩・左肩甲部・左上肢の痛みやしびれ)を認め、それ以外を否定しています(37頁)。

   そのすぐ下の部分で、認めなかった症状についてその存在が疑わしいとして後付けの根拠を述べているのですが、証明責任で結論を決めた後で泥縄式にこの結論に従った事実認定をしているように見えます。この部分も構造的にまずいと思います。

   自由心証で実質的な心証を得られなかったために、証明責任に頼って結論を決めたはずであるのに、その後にその結論をもとに別の事実を認定することは、事実認定の構造としても難があります。

   判決は「~であると認めることはできるか」との形で証明責任を先取りした事実認定(自由心証に証明責任を取り込む誤り)をしており、この誤りのために証明責任を適用した結論を元に自由心証で事実認定を行なう誤りが無意識に生じているように見えます。

2010年9月29日 (水)

CRPS、低髄液圧症候群否定事案(21.12.16)

1 名古屋地裁平成21年12月16日判決(自保ジャーナル1826号)

  この事件では、CRPS(RSD)や低髄液圧症候群などが問題となっています。

 ⅰ CRPS(複合性局所疼痛症候群)

   本件では、原告は事故の約4か月後に医学部付属のE病院でRSD(患部は右母指とその近辺部と思われます)との診断を受け、事故の約4年後に同じE病院で右母指末梢神経障害CRPSとの診断を受けています。

   本件の原告の症状は、典型的なRSD(患部に疼痛が生じ、皮膚の変化や関節拘縮が生じる)からは少しずれるように思われます。原告は、右母指の疼痛がかなり強く、感覚の低下があり、手の使用によりしびれや疼痛が強くなると訴えています。この疼痛は手首や、手の甲、右腕にも拡大しているとも主張しています。

   E病院では当初はRSDと診断し、約3年半後にCRPSと診断していますが、RSD(反射性交感神経性ジストロフィー)はCRPSのタイプ1に分類されるので、同じ診断を下したものといえます。

   国際疼痛学会がCRPSという病名を提唱した後にも、RSDとの診断名は使われていますが、非典型的なRSDについてはCRPSと診断される傾向があるようです。

 ⅱ 低髄液圧症候群

   本件では、低髄液圧症候群の診断も下されておりますが、これは事故から4年ほど経過したのちのことです。この病名を認める判決が少なくなってきた最近の裁判の傾向も考え合わせると、この症状の存在することと、それが事故から生じたことを裁判所に認めてもらうのは、かなり厳しいと言えます。

   本件では、小脳下垂や髄液漏出の所見は認められない、ブラッドパッチ効果も曖昧であるとして、症状の存在自体を否定しています。

判例からは、事故などでCRPSを発症した被害者が脳に何らかのダメージを受けたとして訴える事例は少なくないようです。しかし、脳という領域で行われる医療行為について裁判で求められる証明のレベルが高すぎるため、現実に試行錯誤しながら高度の治療を受けている患者の大半は救済されないというのが実情です。

素直に考えれば、このような治療を受けている患者の全員に治療の対象となる症状が存在すると思います。しかし、その症状が存在することを証明することは多くの場合、不可能ないし極めて困難です。このような場合に厳密な証明を求めることは、被害者の救済に反するものとなり、合理的とは思えません。

 ⅲ その他

原告は下肢の短縮も主張していますが、事故からどのような因果経路でそれが生じたのか説明は困難であるようです。判決も事故からの因果経路が不明であることを根拠として認めていません。

   このほかに、原告は、両腕、両膝、首、左肩、右後頭部、胸などの痛みを訴えていますが、判決は他覚所見がないとして後遺障害としては認めていません。

   原告は、頭痛、全身倦怠感、首の違和感、めまい感、ふらつき、メニエル氏病、記銘力障害を主張していますが、判決は低髄液圧症候群を否定したこととあいまって、これらを否定しています。

   原告の主張するこれらの症状は、証明することが困難という性質のため認められにくいものです。これらの症状を主張する患者が100人いた場合、ほぼ全員に実際にもその症状が生じていることでしょう。しかし、画像と同レベルの証拠を求めると、その症状を訴訟の場で証明できる人は1人いるかどうかというレベルではないかと思います。このような事情は事実認定に反映されるべきであると思います。

2 CRPSの診断基準-鑑別診断について

ⅰ 本件でまず気に係るのが鑑別診断の問題です。CRPSはこれを積極的に診断する決め手がなく、他の疾患により積極的に症状が説明できないという鑑別診断による消去法的なアプローチを必要とします。国際疼痛学会(IASP)の94年のCRPSの診断基準にも、他の疾患を除外できることを要するとの要件が明記されています。もちろん鑑別診断はどの疾患でも当然に必要ですが、CRPSではあえて要件として書かれています。

 ⅱ 本件で原告の主張している右母指やその近辺の症状のほとんどは、手根管症候群(CTS)によっても説明できるため、手根管症候群の診断に最も有効とされる筋電図検査を受けることが適切と考えられます。

本件で手根管症候群との鑑別診断がなされていない場合、この点で手根管症候群の可能性を排除できないとして、CRPSの診断要件(鑑別診断)を欠くという主張を受ける可能性があります。

交通事故の被害者で手根管症候群を発症される方は少なくないようで、私も10件近く経験したことがあります。医学的には頚部のダメージに起因する重複神経障害(ダブルクラッシュ症候群)として、手根管症候群が発症するという経路が認められています。従って、事故で腕をぶつけたりしなくとも、むち打ちを生じるような事故であれば、頚部の損傷に起因する二次性の傷害として手根管症候群が発生する可能性があります。手根管症候群は重症化すると「手を切り落として欲しい」と願うほどの痛みが生じますので、疼痛を特徴とするCRPSとの鑑別診断は重要です。

   筋電図検査で手根管症候群と診断された場合には、これにより説明のできる症状はCRPSの症状ではないとされます。これが鑑別診断です。他の疾患でより積極的に症状が説明できるのですから、これは当然ともいえます。

 ⅲ ただし、筋電図検査で手根管症候群と診断された場合であっても、症状が手根管症候群のみでは説明できないときには、手根管部での神経の損傷に起因したCRPSの発症という説明が考えられます。

主要な神経の損傷を要件とするカウザルギーだけでなく、これを要件としないRSDの発症についてもその基盤に神経の損傷があることが多く、神経損傷による疼痛の増幅が原因とされていた時期もありました。現在も典型的な症例においてはこのような見解が最有力ではないかと思います。

ただし、非典型的なRSDが多く発見され、神経損傷のみにとどまらない多様な要因が複雑に絡み合っているとして、これらをCRPSと総称しています。

   この訴訟では鑑別診断の主張はされていないようです。被告側としてもこの主張をしたところ、原告が筋電図検査を受けて神経の損傷が確認された場合には、手根管症候群で12級(以上)の認定が出る(しかも、後記のような期間限定や心因素因も認定されにくくなります。手根管症候群を基盤としたCRPSという認定を受ける可能性もあります。)ということで、やぶへびと考えたのかもしれません。

3 CRPSの診断根拠

 ⅰ 判決では、CRPSと診断した根拠が原告から主張されていないとして、CRPSの存在を認めず、この部位に頑固な神経症状があるとして12級に該当するとしています。たしかに、判決からは、原告が診断の根拠(診断基準へのあてはめ)を述べていないように見えます。

   CRPSの後遺障害診断書を作成してもらうときに、症状を列挙して診断要件への当てはめをしてもらえると良いのですが、普通はなかなかそこまではしてもらえないようです。

ただし、判決前に原告側にCRPSとの診断の根拠を述べるように釈明していないとすると、原告側としては不意打ちを受けたと感じるでしょう。この点に関しては、原告が当然なすべき主張をしていないから釈明も必要がない、という考えもありうるところですので微妙です。私は、十分な釈明をしないまま証明責任に頼った事実認定をすることには反対です。

 

 ⅱ CRPSやRSDには多くの診断基準があるので、どれを採用すればよいかという問題はあります。

   判決では、ギボンズのRSDスコアに言及しています。ギボンズのこの基準は列挙された約10のポイントについて、その重症度をスコア化して合計するもので、上肢が拘縮するような典型的なRSDにはある程度有効であると思いますが、非典型例には逆にもともと生じない症状を要求することになり、有効ではありません。

   本件では原告の訴える症状は典型的なRSDとも言えないので、94年のIASPの基準を用いた方が良いと思います。これは、シンプルな4要件で非典型例向けであると思います。

   なお、『複合性局所疼痛症候群CRPS』68頁に日本でのCRPSの判定指標が掲載されています。厚生労働省の研究班が本邦の症例をもとにした統計学的に信頼度の高いものという公的な権威付けがあるので、訴訟ではこの基準と94年のIASPの基準と併用して主張するのが良いと思います。

 ⅲ 仮に、筋電図検査でも異常が発見されないような神経損傷を前提としない非典型のCRPSであった場合、立証はかなり困難となります。もともとCRPSは疼痛を特徴とする疾患であるところ、疼痛そのものは原理的に他人が知ることはできないので、疼痛の基盤となる神経損傷が確認されない場合には、患者を信用するほかないという面が強くなります。

3 後遺障害の存続期間

  判決は、後遺障害の存続期間を10年のみに限定していますが、原告の事故後の経過からはかなり酷であるように思えます。原告は、事故当時45歳の公務員であったのが自転車を運転中に赤信号無視の車にはねられたこの事故の後遺症により退職を余儀なくされたようですので、12級しか認定しない上に、それを10年に限定するというのは、事件のスジから見てもバランスを欠くように見えます。

  原告の年齢が高齢であることや、事故から7年半ほど経過した時点での判決であること、12級という低い後遺障害のみを認めたことなどを総合すれば、その持続期間を制限する理由はないと思えます。症状固定を早期に認定するこの判決では、判決から4年4か月ほどで症状固定日から10年で、原告は症状が全て消失して全快することと認定されていますが、そのような見通しが成り立つようにも思えません。

4 心因的素因

 ⅰ 判決は、さらに心的素因として3割を減額するとしています。判決は、心的要因がどのような因果経路で特定部位の疼痛につながったのかは述べていません。原告の右母指の疼痛は心的要因も影響しているとの結論を一言だけ述べています。

心因的素因を認めるということは、事故前から存在した原告の精神的な要因が、後遺障害の発生、拡大、持続のどこかに関与しているとの事実認定をしたことになります。しかし、判決は何も述べていません。この点について全く何も述べないというのはちょっと不可解です。

 ⅱ 判決では事故前から原告が痛がり過ぎる性格であったことや、過去に通院歴が多かったなどの事情は全く述べられていないので、本件では心因的な素因が事前に存在したという認定をすること自体が、困難ではないかと思います。

事故後の原告の行動の問題点なども全く指摘していないので、右手の症状の蔓延化につながるような何らかの性格が存在するとの認定もしていないようです。

後遺障害に原告の心的要因が何らかの形で影響したとの結論を述べているので、その根拠がどこかにあるはずですが、具体的なものを判決のなかから探すことはできません。そもそも判決は一言も根拠を述べていません。

  

ⅲ 原告の主張のほとんどを「証明がない」として、切り落としてきた一方で、何の証明もない直接認定で3割もの減額をされたのでは、原告としては到底納得できないでしょう。

   疼痛を主体とする疾患の場合には長期間にわたり引き続く疼痛でうつなどの症状が引き起こされることが多いことからは、RSDやCRPSが問題となっている事案では心因的素因の適用は原則として否定されるべきです。少なくとも事故前に心療内科等への入通院歴と問題行動が確認できる場合に限定すべきでしょう。事故により余儀なくされた性格の変化に対して心因的素因による減額がなされることは、二重の事故に遭うようなものといえます。

   また、脳への損傷により性格が変わることがあることは、広く知られたことでもあり、脳へのダメージを主張している事件においても、心因的素因の適用は原則として否定されるべきでしょう。

 ⅳ いずれにしても、本件のように何らの理由も述べないまま、結論だけ述べて心因的素因を認定することは、証拠に基づく裁判という原則にも反していると思います。ことに結論だけ述べて3割も認定するという判決の対応には大いに疑問があります。

  本件では、後遺障害の大半を否定して12級しか認めなかったことや、後遺障害の存続期間を10年に限定していることとのバランスの上からも心因的素因まで持ち出す必要があるのかという疑問もあります。

   判決には何らかの心証の裏付があるとは思われますが、本件ではその理由を知ることはできません。おそらく、原告の「痛がり」の性格が後遺障害の発生、拡大、持続に関与しているとの心証ではないか(理論上それ以外にありえないので)と思われますが、いずれもそれが証明できたというレベルには程遠いことは明らかでしょう。心因的素因で減額をするに際して何らの証明をも必要としないという考えは、支持できません。

2010年9月18日 (土)

新種症例を複数含む交通事故判決(22.3.18)

1 東京地裁平成22年3月18日判決(自保ジャーナル1827号)

  この事件では、新しい疾患が複数問題となっています。

 ⅰ TOS(胸郭出口症候群)

訴訟ではこの10年の間に少し見られるようになってきた症例です。判例で掲載されている事件のなかでも多くありません。私は数件受任したことがありますが、新しい傷病を認めてもらうのは大変です。

ⅱ CRPS(複雑局所疼痛症候群)

    以前はRSD(反射性交感神経性ジストロフィー)やカウザルギーと呼ばれ ていたもので、非典 型症例が多いことなどから国際疼痛学会がCRPSとして命名しなおしました。

ⅲ 軽度外傷性脳損傷(MTBI)

   上記のⅰ、ⅱが学界で認められた疾患であるのに対して、軽度外傷性脳損傷 は、一部の学者が新たに提唱している疾患です。即ち、交通事故などによる脳損傷のうち、高次脳機能障害はその一部にしか過ぎず、高次脳機能障害に分類されないレベルの脳損傷の方が数的にも多いはずで、これによる障害も生じるというものです。

   93年に初めてアメリカで定義化された新しい疾患であるため、訴訟のなかで認めてもらうのは困難です。

 

ⅳ 高次脳機能障害

  高次脳機能障害は認められる要件が厳しいため、交通事故訴訟においては患者(被害者)の一部しか救済されません。そこで軽度外傷性能損傷や低脊髄圧症候群などの主張がなされるという側面があります。

ⅴ 低脊髄圧症候群(脳脊髄液減少症)

  この傷病の存在そのものから否定する保険会社(加害者)側の主張が認められる判決が多く、最近ではこの病名の事件は、患者側(被害者側)敗訴が圧倒的大多数になりました。

2 この事件では以上のように、新種の疾患が目白押しで、被害者側にはかなり不利な条件が重なっています。従って、被害者側敗訴というのはやむを得ないともいえます。しかし、気になったことをいくつか書き記しておきます。

  私が被害者側として主張をするのであれば、医学的に傷病の存在が認められたTOS(胸郭出口症候群)やCRPSの主張を中心にすると思います。

3 TOS(胸郭出口症候群)について

  そこで、まず胸郭出口症候群(TOS)について見ていきます。判決はTOSの存在を否定していますが、これは疑問です。判決によると腕神経叢造影が行われ、造影剤が入っていかない部分が確認され、斜角筋による絞扼があるということが書かれています。通常はそれ以外に徒手検査も経た上で、確定診断されているはずなので、この確定診断を覆すにはそれなりの客観的証拠を必要とします。

  しかし、判決では「確定診断することが可能な画像所見等の客観的所見に乏しい」としてTOSを否定していますが、これではこの病名の確定診断をした医師としては承服できないでしょう。確定診断の条件を満たした上で確定診断をしているのですから。

4 次に、CRPS(複雑局所疼痛症候群)についてですが、症状の経過からは、事故による胸郭出口症候群の発症がまず起きて、これによる胸郭部での神経損傷が解消されないまま持続したことによる疼痛の増幅がCRPSの発症基盤となったように思えます(これはあくまでも判決だけから私が考えたことです)。

  左上肢の可動域制限はCRPSによるものであると考えられます。

5 可動域制限

  ところで、判決はこの可動域制限をほとんど無視しておりますが、かなり疑問です。可動域の検査は自動と他動があり、他動とは医師がその部位を動かすものです。

もちろん力いっぱい動かすのではなく、医師としての経験と技量に基づいて適度な力で動かすものです。私の担当した事件では、患者(被害者)さんから、患者が痛がっても、構わずに一定の力を入れ続けて検査をしたと聞いています。

このように患者が痛がっている場所だから触れないと言うのでは医療行為はできなくなるので、患者がある程度痛がっていても構わずに可動域の測定がなされると考えられます。判決では自動と他動で測定値が異なっておりますが、このような場合には患者は痛みを感じているはずです。

関節の拘縮は、医学的な定義では、その部分の軟部組織が癒着して伸縮しない状態になっていることを指します。この状態で無理やり動かすと、癒着した組織が引き剥がされ、痛みが生じます。

  可動域検査や関節拘縮の意味が理解できていれば、患者が可動域を偽装することは不可能であることが理解できるかと思います。ただ、頚部可動域だけは、「首が全く動かせない。」として偽装することがありえます。

これに対して、肩、肘、手の関節での可動域の偽装はまず不可能です。動かさないように力を入れても、医師がてこの原理で力を入れればこれに対抗することはできません。この判決の事件のように女性であればなおさらです。力を入れればその部分の筋肉が硬くなりますが、医師がそれを見落とすことも普通はありえません。

とくに、患者が中途半端な位置でそれ以上は曲がらないように偽装するなどというのは、至難の業でしょう。

  このように可動域制限の測定値は、非常に信頼性が高いものです。判決がこの可動域制限の測定値を無視したのは、測定した医師と患者の共謀を疑ったからでしょうか。私は、違うと思います。判決を書いた裁判官は、徒手検査は患者がいくらでも偽装できるのではないかと疑ったのではないかと思います。

  しかし、上記のとおり、偽装は不可能です。偽装するのであれば、事故直後から偽装するでしょうし、偽装のしやすい頚部だけに限定したでしょう。

  交通事故事件では、患者の詐病を疑ったために、上肢の可動域検査などの基本的な徒手検査までも疑うという例がたまに見られます。謀略的な見方に囚われると、画像所見のようなものだけを証拠としたいという欲求に駆られるようです。

6 以上のように、私は、TOS(胸郭出口症候群)や左上肢の可動域制限や疼痛は現実に症状として存在していると考えます。

  もちろん判決を読んだだけの立場ですが、上記のとおり、判決のなかで書かれている事情からは、医師と患者が共謀していない限り、これらの症状が存在していると考えられます。

7 私が被害者側の弁護士であれば、上記の部分を中心に主張したと思います。

  それ以外の傷病は現在の訴訟のなかでは認められにくいからです。

まず、高次脳機能障害については、要件を満たさないことや、高次脳機能障害の一般的な経過とは異なることから、その存否に関わらず、訴訟で認められる可能性はもともと低かったと言えます。

  軽度外傷性能損傷についても、医学界で認めない考えの方が多数であるという現状では苦しいでしょう。低脊髄圧症候群についても同様です。

  この事件では事故の衝撃で被害者の頚部が揺さぶられ、それが外傷性のTOS(胸郭出口症候群)を生じさせたと考えられますが、頚部の損傷に起因した二次性TOSは、医学的に認められている因果経路です。

  TOSによる胸郭部での神経損傷が放置されれば、CRPSに至るというのも、神経損傷という要件や、疼痛という要件などを満たし、CRPSとして認められやすいと言えます。

  二次性TOSを生じさせた頚部の損傷が、軽度外傷性脳損傷ないし低脊髄圧症候群と呼ばれる症状の原因になった可能性は否定できません。アメリカでは上肢のCRPSであっても、脳内の特定場所の血流低下が原因であるとする考えがあり、その考えに基づいた投薬治療が一定の効果を上げているようであり、日本でもその治療が行われています。従って、脳内での何らかの損傷が存在する可能性は十分に存在するといえるでしょう。