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2018年1月

2018年1月12日 (金)

東大病院ルンバール事件の謎に迫る

(無断転載禁止)

 

 

今回は東大病院ルンバール事件(ルンバール事件)の事実認定を中心に述べていきます。

 

 

1 因果関係判断の準則

 

  ルンバール事件最高裁判決(昭和50年10月24日)はその後の最高裁判決でも繰り返し引用されてきた最重要判例です。判決の骨子は2つあり、1つは因果関係の判断方法です。その後の最高裁判決とも合わせると、現時点では以下の準則が最高裁で確立していると言えます。

 

  即ち、①生じた結果を確定した上で、②具体的なメカニズムが不明であっても、訴訟に現れた全ての事情を総合すると原因Aにより結果Bが生じたと推定でき(高度の蓋然性、80%ほどの証明度)、③Bを生じさせた原因としてA以外の相当程度の可能性がある具体的な他原因が見当たらない状況で(他原因考慮)、因果関係を認めます。

 

ルンバール事件をはじめとして、保育園保母事件(最高裁平成91128日判決、労働判例72714頁)、バレーボール事件(最高裁平成1833日判決、判例時報1928149頁、判例タイムズ1207137頁)、B型肝炎事件(最高裁平成18616日判決、判例時報194128頁、私法判例リマークス3558頁)、などで繰り返しこの理屈が述べられ、最高裁判決の準則となっています。

 

上記③の他原因について、ルンバール事件判決は「これ(化膿性髄膜炎)が再燃するような特別の事情も認められなかった」とし、保育園保母事件判決は「他に明らかにその原因となった要因が認められない」とし、バレーボール事件判決では原審が他原因の有無を審理しなかったことを「判決に影響を及ぼす明らかな法令の違反」とし、B型肝炎事件判決は「本件集団予防接種のほかには感染の原因となる可能性の高い具体的な事実の存在はうかがわれず、他の原因による感染の可能性は、一般的、抽象的なものにすぎない」としました。

 

以上のほかに、一般的・抽象的な他原因の存在可能性のみでは、上記①の推定は覆らないとした最高裁判決(平成11323日)があります。

 

  ルンバール事件最高裁判決は「通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるもの」であることを要求していますが、この「疑い」は相当程度に可能性のある具体的な他原因の存在が疑われることであって、一般的・抽象的な他原因ではありません。

 

 

2 証明度としての「高度の蓋然性」

 

  ルンバール事件最高裁判決の骨子の2つ目は、訴訟上の証明について、「高度の蓋然性」が必要であり、かつ、それで足りるとしたことです。この部分もその後の最高裁判決で繰り返し引用されてきました。

 

最高裁判決が述べる「高度の蓋然性」は80%ほどの証明度とする説(高度の蓋然性説)が多数説でしたが、最近では優越的蓋然性説(60%の証明度でよい)が多数説です。その中には、最高裁判決の述べる「高度の蓋然性」は優越的蓋然性を意味すると主張するものもあります。

 

これは一連の最高裁判決が他原因考慮を具体化してきた流れに沿います。他原因考慮を取り入れて具体的な他原因(代替案)を相手側が提示しなければならないとすると、必然的に双方が主張する具体的な事実を比較して「どちらの主張が正しいかのか」との視点に向かいます。これは優越的蓋然性説と類似した判断です。

 

但し、事実Aの証明度は60%であったが、相手方が具体的な代替案を出さないことにより事実Aの真実性が高まって証明度が80%に達した状況を想定すると、高度の蓋然性説を維持しているとも言えます。

 

また、原因Aの可能性が80%であっても、具体的な他原因Bの可能性が確実に20%存在している状況においては、裁判所が具体的な他原因Bを指摘して原因Aを認定できない場合もありえます(例えば200名の入場券発行に対して1000人が入場した事案で、入場者全員への料金の請求を認めると200名が確実に誤った認定となる)。

 

このように他原因考慮を取り入れた最高裁判決は従来の学説の枠組みでは捉えにくい面があります。

 

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3 事案の特殊性(6回の鑑定の結論と異なる事実認定)

 

  ルンバールとは「腰椎穿刺による髄液採取とペニシリンの髄腔内注入」を意味します(最高裁での定義)。

 

ルンバール事件とは要約すると、化膿性髄膜炎にり患して東大病院に入院していた3歳の男児(以下、被害者と呼びます)にルンバールを施術したところ、その15分から20分後に嘔吐し、2時間後にけいれんを起こし、容態が悪化し続けて右半身麻痺や知能障害(当時の知能レベルから発達せず)などの重大な後遺障害が残り、被害者が東大病院を運営する国に医療過誤による損害賠償を求めた事件です。事件発生から裁判で決着がつくまでに24年を要しました。

 

 主たる争点は2つです。1つは、ルンバールにより後遺障害が生じたといえるかです。被害者側は不適切なルンバールにより脳出血が生じ後遺症につながった主張し、国側(医師側)はルンバールとは無関係に化膿性髄膜炎が再発したと主張しました。その判断過程で被害者に脳出血が生じたかも争点となりました。事件後に医師は被害者の保護者や他の医療機関に脳出血が後遺障害の原因と説明し続けていたので被害者側はこれを前提にルンバールが脳出血の原因と主張したのですが、裁判では国側は一転して脳出血は発生せずに化膿性髄膜炎が再燃したと主張しました。

 

  2つ目は、ルンバールと後遺障害との因果関係を認めるとした場合に、医師に過失はあるのかです。1審判決は因果関係を認めたものの、医師の過失は否定しました。2審(高裁)は因果関係を否定しましたが、最高裁は因果関係を認めました。これにより差戻しされた高裁では因果関係も医師の過失も認めました。

 

  この事案の特殊性は、最高裁判決までに4件もの鑑定が行なわれ、4件とも医師の処置と後遺障害の因果関係を否定する趣旨(微妙なニュアンスの鑑定もありますが)であったにも関わらず、最高裁判決がルンバールと後遺障害との因果関係を認めたことです。最高裁で破棄されて差戻しの高裁で行なわれた2件の鑑定も医師の責任を否定する趣旨のものでしたが、差戻しの高裁判決は医師の責任を認めました。

 

  この事件では公正な判断をしようという最高裁判所の強い熱意を感じます。それが有名な判例法理を生み出したと言えます。現在の最高裁に4件の鑑定に基づいた高裁の事実認定をひっくり返す判断ができるかと考えると、疑問に感じます。

 

  このように多数の鑑定を無視した経過にも関わらず、民法学者、民事訴訟法学者の多数はこの事実認定を支持してきました。一方で、医師や一部の学者、弁護士からの根強い批判が存在します。最近でも新見育文教授が、詳細な批判を述べています(下記)。

 

  この事実認定の問題について色々な文献を収集したところ、注目すべき見解も発見することができました。以下では、この注目すべき見解を軸に最高裁判決の事実認定を検討してみたいと思います。

 

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 (おもな参考文献)

 

  ①民集2991417頁、②被害者側代理人の萩澤清彦弁護士の「医療過誤訴訟の一事例」『科学裁判と鑑定』61頁(1988年)、③松倉豊治医師(浜松医科大学学長)の「鑑定と事実認定」『医事裁判と医療の実際』96頁(1985年)、④溜箭将之教授の「因果関係‐『ルンバール事件』からの問題提起」ジュリスト133075頁(2007年)、⑤谷口郁雄医師(東京医科歯科大学名誉教授)の『医療事故と裁判』49頁(2012年)、⑥新美育文教授の「法における因果関係‐不確実な事象に関する因果関係の認定」法律論叢861111頁(2013年)

 

(注)文中で引用している医学文献のほとんどはネットでの検索によるものです。

 

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4 化膿性髄膜炎の発症と入院

 

  事件は半世紀以上も前の昭和30年(1955年)のことです。この時代にはMRIもCTも存在しません。それゆえ被害者の脳出血の有無をこれらの機器で確認できないことが前提になります。

 

 昭和30年9月6日、被害者である3歳の男児が重度の症状で東京大学医学部附属病院の小児科に入院し、化膿性髄膜炎と診断されました。

 

  化膿性髄膜炎は細菌性髄膜炎とも呼ばれ、くも膜、軟膜、くも膜下腔の炎症であり、頭痛、発熱、意識障害などの症状を引き起こします。要するに細菌感染が髄液などくも膜の内部で生じて、それを抑制しようとする生理的な反応により炎症が生じて症状を引き起こすものです。炎症が脳実質に及ぶと髄膜脳炎になります。

 

 化膿性髄膜炎にり患すると髄液内の細胞の数が増加し、色が濁るなどの変化が生じるため、腰椎穿刺により髄液を採取して、髄液の状態を調べます。この点は現在も異なりません。この事件では翌9月7日の腰椎穿刺により髄液が採取され、色や細胞の多さから確定診断となりました。

 

  当時は髄液内の細菌を減らすために抗生物質として髄腔内にペニシリンを投与することが一般的であったため、以後は腰椎穿刺後に髄液採取とペニシリンの投与が行なわれました。その甲斐あってか9月9日には髄液が透明となり、9月11日には被害者の意識が完全に鮮明となりました。

 

  しかし、髄液所見(細胞数が正常より多い)が残存していたため、腰椎穿刺によるペニシリンの投与は続けられ、並行して筋肉注射によるペニシリンの投与も続けられました。事件が起きた9月17日までに腰椎穿刺によるペニシリンの投与は10回行なわれました(民集1458頁)。

 

 被害者は9月17日の腰椎穿刺による細胞採取とペニシリン投与の15分から20分後に嘔吐などの異常が生じ、2時間後にけいれんを起こし、最終的には右半身麻痺や知能障害などの重大な後遺障害が残りました。

 

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5 ペニシリン・ショックとの見解(谷口医師)

 

近時、注目すべき見解が出ています。ルンバール事件の当事者の主張や6件の鑑定では触れられていませんが、谷口郁雄医師は被害者の症状はペニシリン・ショックであると断定しています(谷口59頁)。

 

谷口医師は事件が起きるまでに腰椎穿刺によるペニシリン投与を10回も受けたことにより、患者にペニシリンに対する抗体が蓄積し、その量が発作時にはアナフィラキシーが起こる臨界点にまで達していたと考えられるとして、注入後15分から20分後に発作が起きたことや、発作時に呼吸器や循環器の機能低下があったことも理由にあげます(谷口61頁)。

 

但し、谷口医師はペニシリンによってショックが起こるという医学的知見は事件のあった昭和30年当時には普及していなかったため、医師には予見可能性はなく、結果回避義務もないので、医師には責任はないと主張します(谷口62頁)。

 

医師によるこの見解は軽視できません。むしろ、事件直前に投与された薬に着目することは最も基本的で自然であるにも関わらず、その検討が一切なされてこなかったことは奇異にも見えます。谷口医師の見解は簡潔な要約ですが、以下ではこの見解を掘り下げて精査します。

 

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6 ペニシリンとペニシリン・ショック

 

ペニシリンという強力な抗生物質は1928年にフレミング博士が発見しました。ペニシリンには細菌の繁殖を強力に抑制する効果があり、この功績で彼はノーベル賞を受賞しました。しかし、精製や保存が困難であったため、米国の臨床で普及し始めたのは1942年以降です。日本では戦前に研究が始まったものの、臨床で普及し始めたのは戦後の占領期にアメリカからペニシリンが輸入されてからのことです。

 

抗生物質療法による副作用としてのペニシリン・ショックは、米国では1945年以来その報告が数多くなされ、日本でも1950年(昭和25年)に最初の報告がなされ、その後に多数の報告がなされました(日本外科宝函281308頁、1958年)。これらの報告では重篤な副作用が生じることや死亡例が報告されてきました。ルンバール事件の起きた昭和30年までには厚生省には40件もの症例が報告されていましたが医療現場の安全対策には生かされていませんでした(医薬品医療機器レギュラトリーサイエンス472142頁、2016年)。このように、ペニシリンン・ショックについては日本で社会問題化する以前に警告が行なわれていました。

 

社会問題としてのペニシリン・ショックは次の事件を発端とします。即ち昭和31年(1956年)5月に東大法学部教授が抜歯後の化膿止めとしてペニシリンの注射を受け、その直後に胸の苦しさを訴え意識不明となり死亡した事件がマスコミに大々的に報道され、「ペニシリン・ショック」は有名になりました。その後の調査では、昭和31年末までに報告されたペニシリン・ショック数は1316名で、昭和31年4月までに少なくとも115名が死亡しているとされました(医療123256頁、19583月)。

 

これにより臨床でのペニシリンの消費量が激減し、早くも1960年代にはペニシリン系抗生物質に代わり、セファロスポリン系抗生物質(セファム系抗生物質)やニューキロノンが多用されるようになりました。現在でもペニシリンは臨床で用いられていますが、昭和30年当時は純度が75%以下で不純物が多く含まれていたのに対して、現在は純度99%以上でショック症状のリスクは大幅に低下しています。

 

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7 ルンバール事件当時にペニシリン・ショックの知見は普及していたか

 

  以上のことからは、ルンバール事件のあった昭和30年(1955年)9月時点で、被害者の担当医はペニシリン・ショックについての医学的知見を有していることを求められると言えるでしょうか。

 

昭和31年5月に東大教授が死亡した事件が大々的に報道された後の調査で多数の事案が報告された経過からは、それ以前は臨床の医師の多くがペニシリン・ショックを知らなかった(もしくは重視していなかった)と言えそうです。このため判例解説で谷口医師は医師に過失はないと述べます。

 

  一方で、ルンバール事件のあった昭和30年9月までには相当程度の症例報告もなされていて、生じる副作用が重大であることからは、「その知見が広まっていなかった」では済まされないとも言えそうです。日本の最高学府である東大の附属病院で指導教授の監督のもとに2名の医師が治療に当たっていたとの状況も存在します。

 

但し、被害者を担当していた2名の医師のうち、この事件のときに担当していた医師は医師資格を取得して5か月ほどの新人でしたので、そのような知見を要求するは酷であるとも言えそうですが、上司に当たる担当医や指導教授とチームを組んで治療していたので、この理屈は成り立ちません。

 

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8 ペニシリンの過剰投与

 

  以上の点をひとまず措くとしても、被害者に投与されたペニシリンの量が過剰ではなかったかという問題もあります。事件が起きるまでに腰椎穿刺によるペニシリンンの注入は10回も行なわれたほか、筋肉注射による大量のペニシリン投与も行われてきました。

 

  事件2日後の6月19日に事件後はじめて回診した指導教授のT氏は「ペニシリンの髄腔内注入での5万単位は多いです。始めの重篤な時はまあよいが、そんなに毎日続けることはなかったでしょうね。とにかく多いです。」と述べています(判時92431頁)。実際にもT教授の指導により事件日以降はペニシリンの投与は一切行なわれませんでした。

 

  この点について判例検討の座談会で美濃真医師(大阪医科大学小児科教授)は、「髄液中に5万単位のペニシリンを入れたというのはT先生もおっしゃっているように、少し多いように思います。私たちが入れたのはせいぜい1万単位までだったと思います。」(上掲③への医学側コメント115頁)と述べています。

 

  上記の5万単位というのは事件当日に注入された量です(民集1458頁、同1464頁)。事件日までにペニシリンの髄腔内注入は10回行なわれましたが、全てが5万単位です(判時92430頁)。そのほかにも150万単位の大量のペニシリンの筋肉注射やペニシリンG(10万単位)が事件日までに1日2回行なわれてきました(民集1463頁)

 

  被害者に投与されたペニシリンの量が通常の5倍以上の過剰であったことは副作用のリスクを高める事情となります。即ち、ペニシリン・ショックの知見の有無とは別に「過失により副作用のリスクを高め、副作用を生じさせた」との枠組みで過失が成立する可能性があります。

 

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9 アナフィラキシーショックについて

 

  ところで、事件日までに10回の髄腔内注入や1日2回の筋肉注射などで大量のペニシリンが投与されてきたのに、どうしてそれ以前の投与ではペニシリン・ショックが発生せず、事件日にペニシリン・ショックが生じたと言えるのか、と疑問に感じる方もおられると思います。

 

  それこそアナフィラキシーショックの特徴です。アレルギー反応は4つのタイプに分類されるところ、ペニシリン・ショックはこのうちのⅠ型(アナフィラキシー型)に分類されます。アナフィラキシーショックの多くは、最初の投与から期間をおいた時期の2回目の投与で生じます。例えば、あるハチに刺された3週間後に同じ種類のハチに刺されてショック症状が生じるような事例です。

 

最初に投与された物質(抗原)に対抗して体内で形成された物質(抗体)が、一定の期間をおいた2度目の投与のときに過激な反応を引き起こすのです。免疫が働くと有害な物質(抗原)に抗体がくっつき、抗体から抗原をやっつける物質が放出され、抗原は破壊されます。しかし、抗原をやっつける物質が過剰に放出されると、血管の拡張、血管透過性の亢進、平滑筋の収縮、粘液の分泌亢進などが一気に生じてショック症状を引き起こします。

 

  ショック症状の内容は毒物や患者ごとに異なります。循環器症状では血管の拡張により血圧が低下し組織が必要とする量の血流が行き渡らず、不整脈や心停止が生じ、血管透過性の亢進による血管性の浮腫なども生じます。

 

このほかにも皮膚・粘膜症状(紅潮、じんましん、浮腫など)、消化器症状(嘔吐、腹痛、下痢など)、呼吸器症状(呼吸不全、チアノーゼ、持続する強い咳、犬吠様咳など)、神経症状(ぐったり、失禁、意識消失など)もあります(一般社団法人日本アレルギー学会『アナフィラキシーガイドライン』11122016年などを参照)。

 

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10 ペニシリン・ショックによる説明

 

  ルンバール事件をペニシリン・ショックで説明すると以下のとおりとなります。即ち9月7日以降ペニシリンが連日投与されたところ、被害者の体内にこれに対抗する抗体が徐々に蓄積されてペニシリン投与後に体調不良が生じるようになり、被害者はペニシリンの注入を泣き叫んで暴れるほどに強く嫌がるようになったと説明できます。

 

  事件日(17日)にルンバールの施術が終わった直後にぐったりした状態となったのは上記の神経症状にあたります。即ち、ショック症状により全身の機能停滞が始まったと説明できます。

 

  ペニシリン注入の15分から20分後に急に激しく嘔吐したのは(民集1465頁)、上記の消化器症状にあたります。消化器の機能停滞による嘔吐と説明できます。

 

  その後顔色が赤くなったり青くなったり変色し始めたのは、上記の皮膚症状にあたります。交感神経活動の停滞や皮膚・粘膜症状で説明できます。

 

  ペニシリン注入の2時間後に顔面および四肢のれん縮(一部の筋肉がピクピクする、けいれん)が始まり、意識の軽度混濁が生じたのは、ショック症状として血管が拡張して血圧が低下し、全身や脳への血流が停滞し(循環器症状)、酸素不足に陥った組織のけいれんや意識混濁が生じたと説明できます。

 

  これに対して、医師がアンナカ(強心剤、鎮痛剤)やフェバノール(鎮静剤、緊張を取りけいれんを抑える)を注射しましたが症状は治まりませんでした(民集1459頁)。現在のガイドラインではショック状態に対する第一選択薬はアドレナリン(血管収縮、血圧上昇、心収縮力増大などの効果)です。ところが、アンナカはアドレナリンとは逆に血管を拡張させる効果があるため、症状が治まらなかったと説明できます。

 

  その後もほとんど意識混濁した状態で顔、全身のけいれんが続き、顔色が非常に悪くなり、唇の色も紫色になり、時々ウオーウオーと怒鳴り(呼吸器症状)、頭部、頚部が強直し、後弓反張様の症状となったとされるのは、いずれもショックによる症状として説明できます。特に犬吠様症状はショック症状とよく整合します。

 

  これに対して、強心剤、呼吸興奮剤等を投与したところ、左半身のけいれんは止まるも、右半身のけいれんは同じ強さ頻度で続いたため、ラボナール(強力な鎮静剤)を投与したところ、けいれんは止まるも呼吸停止におちいりました(呼吸器症状)。人工呼吸により間もなく呼吸は回復するも、顔面、右半身のけいれんも再び始まったため、人工呼吸のもと強力な鎮けい剤(けいれんを抑える薬)を投与したところ、けいれんは終息し、その後に自発呼吸が回復したため、呼吸補助器を取り外しました。

 

  この部分は投与された薬剤は不明ですが、上記のアンナカのような血管を拡張させる薬はもとより、けいれん止めとして投与された筋肉の緊張を緩和させる薬も血管の収縮とは逆方向の作用が生じると考えられます。

 

  以上をまとめると、ショック症状による脳への血流低下が改善されずに持続したため酸素不足などにより脳の損傷が始まり、最終的には脳に回復不可能な損傷が生じて、右半身麻痺の後遺障害や知能障害などが残存したものと説明できそうです。

 

  ペニシリン・ショックによる説明が優れている部分は他にもあります。脳出血が生じたとすると、脳のどの部分にどの程度の出血が生じたのか、どのように出血が止まったのか、出血が止まったとしてそれまでの出血はどうなったのか、出血がどのように脳に損傷を与えたのかなどの未解明の問題が残ります。それゆえ最高裁はメカニズムの解明ではなく、「高度の蓋然性」でよいとしたとも言えます。

 

  これに対して、ペニシリン・ショックによる説明では、出血ではなく虚血であり、血液の循環が滞ったことにより脳内への酸素供給が不足して脳が損傷を受けたとの説明になり、上記の一部を説明できます。

 

但しこの説明でもなぜそれが左脳で生じたのかの問題は残されます。また脳内の虚血の部分はショック症状による虚血が長時間持続したと考えるよりも、血栓による脳梗塞の方が説明しやすいようにも感じます。さらに髄液内にペニシリンを注入した状況でのショック症状では別のメカニズムが生じる可能性もあります。

 

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11 「ルンバール・ショック」という呼び名

 

  以上に対して、被害者側の主張する脳出血により上記の各症状は説明できるでしょうか。脳出血とは脳内の血管が何らかの原因で破れ、脳の中に出血した状態をいいます。脳出血の約7割は高血圧で起きています。出血などにより脳内の圧力が高まると脳ヘルニアが生じる可能性もあります。

 

初期症状は、めまい、ふらつき、嘔吐、激しい頭痛、ろれつが回らない、手足のしびれ・脱力、ものが見えにくい、意識低下(喪失)などです。

 

ルンバール事件では上記の各症状のうち、顔色の変化、四肢・顔面のけいれん、唇が紫色になる、犬吠様症状、頭部・頚部の強直などは脳出血のみでは説明困難です。脳出血のみではルンバール事件のような重篤な症状が生じることは考えにくいのです。

 

そこで、被害者側は脳出血のみでは説明しにくい症状は腰椎穿刺によるショック症状であるとしました(民集1450頁、1452頁)。このためこの事件は「(東大病院)ルンバール・ショック事件」とも言われてきました。古い判例解説ではショック症状であることを強調してきました。

 

但し、腰椎穿刺のやり方いかんによりショック症状を生じるとの主張は類例も乏しくかなり苦しいものです。そこで最高裁判決は色々な理由をつけてこれを認めたと言えます。

 

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12 鑑定人はなぜペニシリン・ショックに言及しなかったのか

 

  平成24年(2012年)の著書で谷口医師がペニシリン・ショックと指摘する以前には、医師側の文献も含めてルンバール事件においてペニシリン・ショックの可能性を指摘した文献は見当たりません。

 

特に裁判では6回も鑑定が行なわれたにも関わらず、その可能性の指摘すらなされていません。これは一見すると不可解です。上記のとおり事件翌年の昭和31年(1956年)5月に東大法学部の尾高朝雄(おだかともお)教授がペニシリン・ショックで亡くなった事件は大々的に報道されたので、医師であればペニシリンにも注目したはずです。

 

また、その後の大規模調査で昭和31年末までの数年間で1300件以上のペニシリン・ショックや115名以上の死亡が判明したことや、その後に臨床でペニシリンの使用量が激減したことは、医師である鑑定人が知らなかったはずがありません。

 

  なお、裁判官も東大法学部の重鎮であった教授がペニシリン・ショックで亡くなった事件を知っていた可能性が高く、とくに因果関係を認めた最高裁ではペニシリン・ショックを疑った可能性がより高いと言えます。しかし、裁判官が当事者の一方に肩入れすることは厳禁ですので、黙って見守るしかなかったのかも知れません。

 

  なお、文献③の130頁は重病の乳児(8か月)にペニシリンを注射したところ急に元気がなくなって死亡した事案に言及して、衰弱死する直前に注射したに過ぎないとの趣旨を述べています。137頁ではその事件を担当した弁護士が合成ペニシリンによる「注射ショック」との遺族側の言い分の誤りであったと述べています。

 

  しかし、合成ペニシリンは他のペニシリンに比べてペニシリン・ショックを生じさせる比率が格段に高いとの調査結果があります(医療12370頁、昭和33年)。結晶ペニシリンが約115000回の投与で1回のショックであるのに対して、複合水性ペニシリンは約2500回の投与で1回のショックです(上掲73頁)。この事件では合成ペニシリンを投与したすぐ後に亡くなったことも併せると、ペニシリン・ショックであった可能性が高いと思います。この点は措くとしても、その事件で原告側(遺族側)が主張した「注射ショック」とはまさにペニシリン・ショックそのものです。それに対して文献③ではあえてペニシリン・ショックという言葉を避けたようにも感じます。なお、ルンバール事件で髄腔内に注入されたのは結晶ペニシリンです(判時92430頁)。

 

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13 被害者側は「腰椎穿刺のやり方」が問題であると主張した

 

  この事件では医師になって5か月の新人医師が、被害者が嫌がって暴れていたにも関わらず、看護婦が馬乗りになって押さえつけた状況で腰椎穿刺をするも、うまく行かずに何回もやり直したとの事情と、その医師が学会に行く用事があったため被害者の昼食直後のタイミングで腰椎穿刺を行なったとの事情がありました。

 

  そこで原告(被害者)は、「当日原告が昼食直後であり、斯かる際は直ちに注入することは固く禁じられているのであるが、学会に行くからと急ぎ注射を強行したもので、これは同人が医師としての注意義務を懈怠したものである。」(萩澤68頁)と主張しました。原告代理人の萩澤氏は、「本件における原告の主張の重点は、ルンバールを『強行した』ということであった」(萩澤85頁)と明快に述べています。実際にも第5鑑定の鑑定事項はまさにこの点に重点をおいて聞いています(萩澤75頁)。

 

  しかし、「腰椎穿刺そのもの」について答えるならば、鑑定人が述べたように幼児が嫌がっていても押さえつけて実施する必要がある場合は少なくなかったと思います。腰椎穿刺を何回もやり直したからといって、それが被害者の脳出血につながる可能性は低いとも考えられます。食事直後に施術した点についても、嘔吐のリスクが高まるものの脳出血のリスクが高まるとは言い難いと思います。ましてやショック症状につながるリスクはさらに低いと言えます。

 

  但し、被害者が嫌がって暴れている状況でそれを看護婦が押さえつけて、痛みを伴う施術を行なったことは、飛躍的な脳圧の上昇を招くので、その限りでは脳出血の可能性を高めたと言えます。しかし、腰椎穿刺の実施のみが症状劇変の原因であるとして、その後の重大な後遺障害に至る症状経過を説明することに難点があることは否定できません。

 

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14 鑑定事項の問題

 

  鑑定人がペニシリン・ショックに言及しなかったのは、鑑定事項の設定にも原因があります。双方の弁護士が協議した結果、第1鑑定の質問の1つは「昭和30年9月17日の腰椎穿刺後間もなく発生した急激な病勢の変化は脳出血によるとみるか。それとも化膿性髄膜炎の再燃によるとみるか。」との二者択一です(萩澤74頁)。これでは鑑定人がペニシリン・ショックに言及することは困難です。事案解明のためには、「発作の原因として、最も可能性の高いものは何か。次に可能性の高いものは何か。」と聞くべきでした。

 

  別の質問は、「昭和30年9月17日の腰椎穿刺後間もなく発生した急激な病勢の変化は同腰椎穿刺と関係があるか。」です。ここでもペニシリン投与との関係は聞かれていません。鑑定人は腰椎穿刺のみに対しては「関係ない」と答える可能性が高くなります。

 

  なお、最初の質問は、「患者(原告)殿が昭和30年9月6日以降同月19日に到る頃までに示されたる病状の経過並びに臨床所見から観て腰椎穿刺を行なうことは診断並びに治療の上から適当であるか。」です。ここでもペニシリン投与との関係は聞かれていません。鑑定人としては腰椎穿刺をすること自体は「適切である(髄液を採取して細胞量や色などを見るために必須であるので)」と答えるほかありません。結局、全ての質問でペニシリンの投与は検討対象に含まれていません。

 

この点、被害者側は国側の主張する化膿性髄膜炎の再発が認められることはありえないとの考えから「ルンバール・ショック」との二者択一を望んだものと考えられます。一方で、国側も腰椎穿刺のやり方だけを追及する被害者側の主張は認められないと考えて、鑑定人がペニシリン・ショックに言及しないようにするため二者択一の構造を望んだと考えられます。

 

新美教授は脳出血と化膿性髄膜炎の二者択一に終始したのは訴訟代理人の訴訟戦術によるものであろうが、裁判所は事案解明の観点から釈明権を行使して第3、第4の原因を探求するべきであったとします(新美173頁注44)。正しい指摘です

 

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15 化膿性髄膜炎の再燃について

 

 主治医は被害者の発作後に一貫して脳出血による症状であるとして、治療を続けてきました。他の医師への紹介状にも脳出血が原因であると書いていました。これは右半身麻痺の原因として脳機能の喪失を考え、その原因を脳内での何らかの出血に求めたものと考えられます。

 

  これに対して、主治医側(正確には国側)は訴訟では一転して化膿性髄膜炎の再燃による症状であり、脳出血は原因ではない(よって、ルンバールとは関係ない)と主張しています。原告側の弁護士は「脳出血そのものを争うことは夢想もしていなかった」(萩澤70頁)と述べています。発作が化膿性髄膜炎によるものであれば発作後にその治療が行なわれるはずですが、発作後には1度も化膿性髄膜炎の治療が行なわれていません。化膿性髄膜炎が再発して、自然に治癒したというのは無理があります。

 

化膿性髄膜炎の再発との主張は証拠からも苦しいと言えます。髄液内の細胞数は9月6日以降着実に減り続けていました(順に5776118011005544632801207267。分母の3は省略した。民集1468頁)。髄液内の細胞数の減少は通常は化膿性髄膜炎の治癒傾向を示します。そこで主治医らは治療当時には化膿性髄膜炎の再発を否定して、脳出血により発作が起きたと考えたものと推定できます。また、上記の検査の過程で髄液の濁りが解消されたことも確認されています、事件時に採取した髄液についても医師が「濁りがない」と発言しています。

 

以上に対して、第4鑑定(市橋鑑定人)は、(劇変後の)「髄液所見だけからみればそれ以前のものより悪化しているとは思えない。髄液所見は容態急変後も殆んど変化がないので、再発又は再燃は或いはあったかも知れないが断定できない。何故かというと髄液に変化がなくとも臨床症状の悪化することもあり、又脳内出血のあった時、髄液内に出血のみられることもあるが、これらの変化のみられないことも多いのである。即ち髄液所見からはこれ以上結論めいたことは云えない。」(上記④の溜箭85頁の注41)と述べています。

 

しかし、上記の検査結果に対して「普通は髄膜炎が軽快していったことを意味する所見である」との意見さえも述べないのでは鑑定人の公平さが疑われます。この鑑定意見は腰椎穿刺により髄液を採取することの意義を根底から否定しかねないものです。

 

また、第1鑑定(糸賀鑑定人)は「脳出血よりはむしろ化膿性髄膜炎の再燃に基づくものと理解するのが可能性の高い判断と思われる」と答えています(萩澤77頁)。この部分は髄液の状況ではなく、脳波所見によるものですが、糸賀鑑定人は脳波の専門家ではない上に、髄液の所見からはかなり苦しい主張です。

 

最高裁判決は、事件2日後の「髄液中の細胞数が本件ルンバール施術前よりも減少して好転をしめしていた」(民集1420頁)ことや、「化膿性髄膜炎の再燃する蓋然性は通常低いものとされており、当時これが再燃するような特別の事情も認められなかった」(民集1421頁)と述べています。

 

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16 「ルンバール」という用語の定義

 

  上記のとおり事件直前の施術である①腰椎穿刺、②髄液採取、③ペニシリン注入のうち、被害者側は①の腰椎穿刺のみを主張し、加害者側もそれに合わせた結果、鑑定人には腰椎穿刺のやり方のみを質問し、それのみが争点になりました。

 

  これに対して、最高裁判決は「ルンバール(腰椎穿刺による髄液採取とペニシリンの髄腔内注入)の施術」と上記の3点セットを含む用語の設定をしました。この点は注意が必要です。ルンバールは正しくは腰椎穿刺のみを意味する用語です。上記の3つをセットで行なっていた医療現場では「ルンバール」の用語で3点セットを意味していたとも考えられますが、用語の定義としては誤りです。最高裁はルンバールの定義にペニシリン投与を含めて、これを被害者の発作の原因に含めています。つまり、最高裁はペニシリン・ショックを疑った可能性があります。

 

  以上に対して、1審判決は「請求原因」の部分では「腰椎穿刺(ルンバールプンクチオン、以下ルンバールと記す)」(民集1450頁)とし、「理由」の部分では「ペニシリンの髄腔内注入(ルンバール)」とします(民集1463頁)。さらにルンバールは上記3つのセットを意味する言葉としても多く用いています。1審判決の用語の使用はいい加減です。

 

1審判決の最大の問題は、判決文からは「ルンバール」がどの意味であるのか確定できない部分が少なからず存在することです。鑑定人が「腰椎穿刺」について述べた部分を1審判決が「ルンバール」の枠組みで述べている部分が少なからずあります。

 

なお、上記④の溜箭論文で引用されている第1鑑定ないし第4鑑定では、ルンバールという言葉は見当たらず、「腰椎穿刺」との言葉が用いられています(溜箭8081頁)。一方で、上記③の松倉論文(35頁の表)では鑑定結果の説明で「ルンバール」という言葉が多用されています。溜箭論文は5通の鑑定書を入手して書かれている(溜箭76頁)ことや、上記の質問の仕方からは、溜箭論文の方が正確であると考えられます。

 

いずれにしても、鑑定人が「腰椎穿刺のみでは脳出血には至らない」と述べた場合と、「ルンバール(腰椎穿刺、髄液採取、ペニシリンの注入)では脳出血には至らない」と述べた場合とでは、非常に大きな違いがあります。

 

最高裁判決はこの誤りを避けるために用語を設定し、あえて医学とは異なる定義を用いてペニシリンの髄腔内投与も原因に加えているため、ペニシリン・ショックを疑った可能性があります。

 

ちなみに差戻し後の高裁判決では、腰椎穿刺をルンバールと定義し、事件日に医師が行った処置(3点セット)を「本件ルンバール」と定義しています(判時92428頁)。

 

  なお、医事法百選(2014年)136頁の解説(水野謙教授)では、冒頭でルンバールを腰椎穿刺と定義していますが、これでは最高裁判決の解説として成り立ちません。民訴百選(1992年)242頁(鈴木俊充教授)も同様です。

 

  私のこの論考では特に指定しないときは「ルンバール」は3点セットを意味するものとして用いています。

 

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17 脳圧(脊髄圧)の亢進について

 

 上記のとおり、ルンバール事件では被害者側は腰椎穿刺のやり方に問題があると主張し、差戻しの高裁も「本件ルンバール」(上記の3点セット)のやり方に問題があるとして、医師に過失を認めました。これはルンバールにより被害者の脳圧が限界を超えて上昇してショック状態(ルンバールショック)に陥り、そのために脳出血に至り、右半身麻痺などの後遺障害が生じたとするものです。

 

  もともと腰椎穿刺は脳圧が高すぎるときには行うことができません。穿刺された穴から圧力が開放される結果、脳実質が下方に落ち込む危険があるからです。なお、脳神経外科医の松村教授は事件前に小脳扁桃ヘルニアが生じていた可能性に言及しています(上記③の133頁)。

 

  事件日にルンバールをする前から被害者が泣き叫んで暴れていたのを看護師が馬乗りになるなどして押さえつけてルンバールを行なったことを、被害者はルンバールの「強行」であると主張します。

 

  脳圧は40から150が正常値とされているところ(判時92430頁)、  幼児が泣き叫んで暴れているときには、一時的に脳圧が上昇します。市橋鑑定人は、脳障害のない患者で泣いている子供の脳圧は300から400位にまでなることはよく経験されることであるから、子供が泣いて暴れたりすれば200から300位は亢進すると述べています(判時92431頁)。

 

  看護師が馬乗りになって押さえつけていた状況では、さらに脳圧が上昇した可能性があります。食事直後にルンバールを行なうことは禁忌とされているところ、食事直後は一般的に血圧が上がるとされていることも考慮する必要があります。

 

  被害者の担当医(施術をした医師の上司)は「腰椎穿刺を施行した結果急激に泣き叫びその中に脳圧がこう進して脳出血を生じたものと考えられる」とカルテに記載しています(民集1431頁)。施術をした医師は「止血剤使用は、今回の急激発作が腰椎穿刺後2時間半以上の経過をおいて発現した処から、直接的でなくても矢張り間接的には腰椎穿刺による刺戟によって惹起した脳出血と考えたためである」と病歴説明書に記載しています(民集1431頁)。

 

  このように泣き叫んで暴れる被害者を押さえつけてルンバールを行なったことが脳圧を亢進させて脳出血を招いたとする考えは相応の根拠を有しています。但し、脳出血のみでは被害者の症状とは整合しないことは上記のとおりです。

 

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18 出血性傾向について

 

最高裁判決は、上記のルンバールを行なった状況に加えて、被害者の出血性傾向も指摘しています。これは市橋鑑定人が、脳圧の亢進のみでは説明できないとの趣旨を述べて、出血性傾向を示す何らかの要因が加わったかもしれないと述べている(文献④の溜箭81頁)からと考えられます。

 

出血性傾向とは事件後に4回行なわれたルンペルレーデ現象の検査結果(民集1469頁)をさします。最高裁判決この出血性傾向が上記のルンバールの態様とあいまって脳出血を生じさせた蓋然性が高いとします。

 

但し、医事法百選(2006年)156頁で米村滋人教授はこの検査について、現代医学の検知からは臨床的意義が疑わしい上に、重症感染症に伴う血小板現象・凝固能異常であれば本件発作の時点で改善していた可能性があり、脳出血の誘因があったとは即断しえないと述べます。この記載は事件後に検査が行なわれたことに整合しませんが、検査の価値に疑義を述べる点は留意する必要があります。

 

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19 「発作」はいつから

 

  最高裁判決がルンバールと被害者の容態の劇変(やその後の後遺障害)の因果関係を認めたのは、被害者の発作がルンバールの直後の時期に生じたことが最大の決め手であると思います。

 

  最高裁は、それまで一貫して症状が軽快していた段階において、ルンバールを行なった直後に症状が劇変したとの認識で、ルンバールのやり方において被害者の脳圧を上昇させるリスクがあることを指摘して、具体的なメカニズムは不明であっても「この状況では普通はルンバールが原因と考える」との常識を働かせたと言えます。

 

  しかし、最高裁がルンバール後の経過として「その15分ないし20分後突然に嘔吐、けいれんの発作を起こし」(民集1420頁)とする部分は問題があります。この書き方では15分から20分後に「発作」が起きたと理解できますが、嘔吐が起きたのは15分から20分後でその後は明らかな容態の変化がなく、けいれんが起きたのは施術の2時間後です。

 

  ルンバールにより嘔吐が生じることがあるのはよくあることとされており、事件の日以外には嘔吐がなかったとはいえ、それは事件の日以外は食事直後に行なわれなかったからであるとも考えられます。従って、嘔吐を「発作」に含めることには問題が残ります。この点は石田穣教授が指摘しています(法学協会雑誌931293頁)。

 

  この点は、ペニシリン・ショックと考えると、嘔吐はショックにより引き起こされる症状に含まれることや、この時点で循環不全が始まり脳内での虚血が進行した結果、2時間後にけいれんが生じたとの説明が可能となります。これに対して、脳出血が嘔吐のころに始まったと考えると、かなりの時間にわたって出血が続いていたことになり、その血液はどこに行ったのであろうかとの問題が残ります。

 

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20 他原因考慮

 

  以上にみてきたとおり、事件日に不適切なルンバールを行なったことが被害者の脳圧を亢進させて脳出血につながり、それが被害者の後遺障害につながったとする最高裁判決の判断に対して、谷口医師が主張するペニシリン・ショックをもとにおこなった上記の考察とは、骨格となる部分で大きな違いがあります。前者は脳圧の上昇による脳出血であるのに対して後者は血圧低下による脳の虚血です。

 

  しかし、「ルンバールにより発作が生じた」とする因果関係判断の最重要の部分(原因と結果のつながり)は一致しています。また、他原因である化膿性髄膜炎の再燃ではないとする部分においても一致しています。

 

なお、ペニシリン・ショックであるとすると、ルンバールと被害者の発作や後遺症との因果関係は認められるため、ペニシリン・ショックは「他原因」とはなりません(過失の検討対象は異なりますが)。

 

  ルンバール事件判決を基点としてその後の一連の最高裁判決が述べてきた因果関係判断の準則は「詳しいメカニズムが不明であっても、AがBを生じさせたと推測できる状況において、他に相当程度の可能性のある具体的な他原因がないならば、Aが原因であるとして良い。」というものです。これは正しいものの見方であると考えます。

 

  常識的に考えても、Aが原因であるとの推定が働く状況において、「とにかく証拠が足りないのでAが原因とは認められない」との判断がなされたのであれば、「ではいったい他に原因があるのか。少なくとも相当程度の可能性がある具体的な代替案を述べなさい。結局何が起きたのかについて何も語らないのは不誠実ではないか。」と考えるからです。この状況においても、なおも「何が原因かは分らないがとにかくAであるとする証拠が不十分である。」と裁判所が判断することは妥当性を欠きます。

 

  ルンバール事件の最高裁判決で最も重要であるのは、この他原因考慮の部分です。その後に蓄積された最高裁判決により他原因考慮が具体化されています。

 

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21 ペニシリン・ショックと脳出血の比較

 

  上記のとおり、ペニシリン・ショックによる説明は、腰椎穿刺による脳出血よりも優れている部分が多く存在します。即ち、①副作用をもたらした薬物が事件直前に投与されたこと、②同時期に類似の症例(ペニシリン・ショック)が非常に多く発生していること、③被害者に投与されたペニシリンが著しく過剰であること、④発作後の多彩な症状のほぼ全てを説明できること、⑤発作後の治療に効果がなかったことも説明できること、⑥脳出血とすると出血量や場所、止血に至った経過などが不明であるのに対して、脳内の虚血であるとするとこの点が問題にならないことなどです。

 

さらに、⑦不適切な腰椎穿刺によるショック症状はペニシリン・ショックに比べて極めてまれであると考えられること、⑧そのショック症状が脳圧を亢進させて脳出血を生じさせたとする説明に難があること(ショック症状であれば通常は血圧低下が生じるから)からは、両者の比較ではペニシリン・ショックの方がかなり優勢であると考えられます。

 

以上に対して、国側(医師側)の主張する化膿性髄膜炎の再燃は髄液内の細胞数の減少傾向などからは、かなり苦しいと言えます。

 

  訴訟では被害者側はペニシリン・ショックによる後遺障害と腰椎穿刺による後遺障害の両方を主張することもできます。いずれにせよルンバール(3点セット)と被害者の後遺障害の因果関係が認められるからです(但し、過失の対象はそれぞれで異なります)。因果関係の判断においてメカニズムの解明は必ずしも必要ではないとする最高裁判決はこの点でも優れています。

 

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22 化膿性髄膜炎に併発した脳梗塞

 

  以上からペニシリン・ショックによる説明が優勢であるように思えます。これに対して、国側が主張した「化膿性髄膜炎の再燃」はかなり苦しいと言えます。どうして国側(医師側)は訴訟前の脳出血との見解を翻して、この主張に転じたのでしょうか。

 

注目するべきことは、訴訟では国側は化膿性髄膜炎が再燃して脳栓塞(のうせんそく)が生じた(民集1457頁)と主張していることです。脳栓塞とは血栓が脳の血管内で詰まって脳の虚血が生じる病態です。

 

化膿性髄膜炎では脳梗塞(のうこうそく)が生じる症例があることは認められています。脳梗塞は血栓以外の原因も含めて広く脳の虚血が生じる病態を意味します。日本神経治療学会の「細菌性髄膜炎の診療ガイドライン」(2009年)19頁では、「血栓や血管炎などの脳血管障害」も小児の細菌性髄膜炎により生じるとしています。2014年のガイドライン(38頁)では成人の症状として炎症性サイトカインなどの働きにより血栓の原因となる物質が作られ、脳虚血や梗塞に陥るとされています。また、「抗菌薬により髄腔が無菌化されたあとも神経の損傷は進行しうる」とも述べています。

 

つまり、ルンバール事件のように抗生物質で髄腔内の細胞が減少して無菌化がある程度進んでいても、その後に脳梗塞が生じる可能性があるということです。

 

ウィキペディアでは化膿性髄膜炎(細菌性髄膜炎)の合併症として脳梗塞をあげ、「髄膜炎を発症してから数日が経過し、治療が順調であれば熱も下がり意識障害などの症状がなくなった頃に起こる合併症。極まれな合併症であるが、致命的になったり麻痺などの後遺症を残す危険がある。血栓性の動脈炎や、血管の攣縮(血管平滑筋が痙攣的に収縮し、血管の内腔が著しく狭くなる)が原因になると考えられる。」と述べています。

 

つまり、ルンバール事件のように化膿性髄膜炎の初期の重度の症状を脱して、患者の症状が軽快してきた時期に脳梗塞が生じるとしています。但し、この記載の根拠は不明です。従って、この点はさらに調べる必要があります。 

 

なお、これは化膿性髄膜炎が再燃したことによる脳梗塞ではなく、化膿性髄膜炎を原因としつつも、必ずしも化膿性髄膜炎の悪化を前提とせずに発生する脳梗塞という位置づけになります。

 

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23 化膿性髄膜炎による症状が軽快した時期の脳梗塞の発症

 

上記のウィキペディアの記載は以下の文献と整合しません。「肺炎球菌性髄膜炎の重症化に関連する虚血性変化の合併および血液凝固異常の検討」(臨床神経学5512889頁、2015年)では脳梗塞が合併した10症例について述べています。

 

なお、肺炎球菌は「肺炎球菌は細菌性髄膜炎の起炎菌で最も頻度が多い菌」(上掲889頁)とされています。ルンバール事件では起炎菌の調査(グラム染色等)は行なわれていないようです(文献③の132頁にも細菌の種類が不明との記載があります)。従って、起炎菌の種類にこだわらずに上記文献を検討します。

 

  上記文献では10症例のうち、7症例で1週間後のGCS(グラスゴー・コーマ・スケール、意識・知覚レベルの指標)は改善しています。一方で3例は1週間後にGCSが悪化しています(890頁)。また、GOS(グラスゴー・アウトカム・スケール、予後の指標)では、1週間後のGCSが悪い患者ほど重度の後遺症を残している傾向があります。1週間後のGCSが15点(満点。意識や知覚が充分に回復した)患者は全て予後良好で重度の後遺症は残していません。

 

つまり、細菌性髄膜炎の症状が改善した時期に脳梗塞が併発する症例があるものの、脳梗塞が併発する前の症状の改善が大きな症例では脳梗塞により重度の後遺症には至っていません。従って、ルンバール事件のように細菌性髄膜炎を発症するも数日でかなりの改善が見られてそれが続いていた症例では、のちに脳梗塞が併発したとしても重度の後遺症に至ることは通常ではなく、かなりまれと推測できそうです。

 

なお、この論文は簡単にまとめると、炎症により生成された血液凝固因子により血栓が形成されて脳梗塞(脳の虚血性変化)が生じたのではないかとしています(894895頁)。

 

以上に関して注目するべきことは、文献③の116頁で美濃医師が症状経過からは髄膜炎の再燃ではないとしつつ、「比較的大きな血管の梗塞、Thrombi(血栓)がつまって起こってくるような虚血性の病態であったかも分りません。」(括弧内は筆者)と述べていることです。美濃医師は「虚血性の脳血栓を起こす可能性も、もし最初にDIC(播種性血管内凝固症候群)があって血小板凝集塊が脳血管に付着しているような病態があれば、あるいはあり得る可能性も残されていると思います。」(括弧内は筆者)と述べています。

 

この説明は髄膜炎の初期の症状による血栓の形成が原因で回復期に脳栓塞が生じるとするもので、上記の説明に類似します。被害者の重度の症状を説明するためにDICを用いて、それを脳梗塞の説明にも用いている点で技巧的な説明と言えます。

 

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24 ペニシリン・ショックと脳梗塞の比較

 

  以上のとおり、化膿性髄膜炎に併発した脳梗塞としてルンバール事件を説明することには難点があります。化膿性髄膜炎による症状が相当程度に軽快し、それが持続していた時期に脳梗塞が併発した場合には重度の後遺症を残す可能性はかなり小さいと考えられるからです。

 

  しかも、発作後に生じたのは化膿性髄膜炎の症状ではなく脳梗塞の症状であるとすると、ルンバール事件で発作後に起きた症状(全身性のけいれんなど)を説明することには極めて困難です。

 

このことから国側は「可能性髄膜炎の再発」を前提にした脳栓塞を主張したと言えます。発作後の被害者の症状は化膿性髄膜炎の再発で説明でき、被害者の後遺障害は脳栓塞で説明できます。しかし、化膿性髄膜炎の再発を認めることは非常に困難であることは上記のとおりです。

 

これに対して、ペニシリン・ショックでは実際の症状を整合的に説明できることは上記のとおりです。加えて、ルンバールの直後に発作が起きたこと、同時期にペニシリン・ショックが多発していたこと、ペニシリンが過剰に投与されていたことなどからはペニシリン・ショックによる説明の方が明らかに優位であると言えます。

 

  原因究明の観点からは、仮に事件直後に主治医がペニシリン・ショックを疑っていたのであれば、皮内テストやプリックテストなどを行なっておくべきであったと言えますが、今となってはどうしようもありません。

 

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25 医師の過失は認められるか?

 

  上記のとおり、ルンバール事件は谷口医師の述べるペニシリン・ショックであった可能性がかなり高いと考えられます。それ以外の「他原因」にこれに対抗しうるほどの相当程度の可能性を認めることは困難です。では、医師の過失を認めることはできるのでしょうか。

 

  谷口医師の主張するように昭和30年の時点ではその知見は広まっていなかったことや、指導担当のT教授が事件の2日前からペニシリン投与の頻度を減らすように指示して一定の配慮をしていたことや、当時は化膿性髄膜炎の治療にペニシリンが不可欠であったことなどからは、過失を否定すべき相応の根拠があります。

 

  一方で、相当程度の症例報告がなされていてペニシリン・ショックの知見を知りえたと考えられること、生じる副作用が重大なものについてはより重い注意義務が課せられること、投与されたペニシリンが通常の5倍以上と過剰であったこと、ショック後の治療が遅れたことや治療内容などからは、過失が認められる余地も充分にあると思います。

 

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26 まとめ

 

  私はこの事件で国側(医師側、東大病院側)が敗訴した原因は、事件後にペニシリンに対するアレルギー・テストなどの原因究明をしなかったことにあると思います。原因究明を尽くすことは患者や社会に対する責務でもあります。事件前や事件後の指導教授の対応(事件前にペニシリンの投与を減らすよう指示し、事件後には一切ペニシリンを投与させなかった)からは指導教授はペニシリン・ショックを疑っていたと考えられます。

 

しかし、ペニシリン・ショックとすると因果関係が認められて上記の不利な点が問題となるため事件後は脳出血との説明を維持し、訴訟では因果関係さえも否定するべく一転して化膿性髄膜炎の再燃による脳栓塞であると主張したとも考えられます。

 

  この事件では最高裁は、医師側が発作後に一貫して維持してきた脳出血との説明を訴訟で翻したことへの不信感や、代替案である化膿性髄膜炎の再燃の可能性がかなり低いにも関わらず、これに反する疑問のある鑑定書が複数提出されたなどから、感情的な面も作用してルンバール・ショックによる発作であるとして因果関係を認めた可能性は否定できません。医師側が原因究明を尽くしていれば、これらの点は問題となりませんでした。

 

  また、上記のとおり最高裁はこの事件がペニシリン・ショックの事案であると疑っていた可能性もあります。ところが、当事者の双方がペニシリン・ショックの可能性に言及せず、全ての鑑定人も言及していないのは訴訟進行に落ち度があったと言えます。この点についてより責任が重いとされるのは、専門的知識や財政的資源・人的資源を有し、原因究明についての義務が課される国側(医師側)であると考えられます。

 

 

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