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2017年2月

2017年2月 9日 (木)

診断の検討への誘導…だましの構造

1 結論

 「なぜ診断を検討するのですか?」では、交通事故訴訟ではほぼ全ての事案で診断の適否の検討は不要であることを述べました。

 即ち、被害者の症状について、実際に診断された傷病名とは異なる傷病名でより合理的に説明でき、その場合には被害者の症状がその交通事故により生じたとは言えないときにのみ、加害者側は具体的な代替案(傷病名)を主張・立証することに意味があります。

 これに対して、診断が適切である(~に罹患したと認められる)ことにより症状が裏付けられる関係は存在しません。また、診断が適切であることにより。事故と被害者の症状(後遺障害)との因果関係が認められるとの関係も存在しません。

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2 診断を検討することの意義

 ⅰ 裁判例でも診断の適否(罹患したかどうか)の検討が不要であると明言したものは少なからず存在します。これらの裁判例は、診断を検討することの意義を論理的に検討した結果、診断を検討する必要はないとの結論に至ったものと言えます。

   また、臨床での診断を否定する積極的根拠に乏しいことを付言して、臨床での診断をそのまま認定する裁判例も存在します。診断を否定する側が積極的に代替案を主張しなければ、この点を検討する意義に乏しいからです。

 

 ⅱ 以上に対して、診断を検討している裁判例は、「なぜ診断を検討するのですか?」との問いに対する回答を述べていません。即ち、「なんとなく結論(後遺障害の存否、事故との因果関係)に影響しそう」との感覚で書いていて、論理的ではありません。

診断を検討している裁判例で「診断を検討する必要性」を論理的に検討しているものは見当たりません。ほぼ全ての裁判例はこの点が論点であるとの認識すら持っていません。実際は極めて重要な論点です。 

 

 ⅱ 軸となる2つの誤解

   診断の検討が必要であるとの誤解に陥った裁判例には軸となる2つの理屈を背景にしています。「背景にしている」と表現するのは、感覚的な根拠に過ぎないからです。

1つ目は、「診断の適否により症状の有無や程度が決まる」との考えです。2つ目は「診断が正しいといえなければ、症状と事故との因果関係が認められない」との考えです

   逆にいえば、診断を検討することに意義を見出すためにはこの2つの理屈のうちのいずれかを採用する必要があります。実際にはいずれも誤りであるため、いかにしてこれらの理屈に騙されるのかを述べていきます。

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3 診断と症状を混同させる理屈

  加害者側の医学意見書や鑑定書において、診断の検討に誘導する部分は、医学的争点に関する全てのウソ医学やウソ理屈の根幹を支える中核部分です。そのためこの部分の表現は特に巧妙に練り上げられたものが多いです。以下では傷病名の例としてCRPS(RSD,カウザルギー)を用います。

  多く見られるのは、「被害者が本件事故によりRSDを発症して、RSDに由来する症状として後遺障害を生じたと言えるのかどうかが問題となります」との誘導です。この表現にはいくつものポイントがあります。

 

 ア 第1のポイントは、「問題となります」という書き方です。

なぜ診断の検討が必要であるのかの理由を飛ばして、「問題となります」と断定して中身の検討になだれ込みます。「診断が正しいならば症状が存在すると言えるため」と理由を書くと論理的でないことがばれます。 

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 イ 第2のポイントは、「発症した(罹患した)」との表現です。

「診断が適切であるか」ではなく「発症したといえるか(罹患したといえるか)」との表現を用います。これにより「RSDを発症したからこそ、RSDの症状が生じた」との感覚に誘導します。もちろん、この理屈は誤りです。症状をもとに診断を下し、その診断を根拠に症状を認めることは循環論です。

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 ウ 第3のポイントは、「RSDに由来する症状」との表現です。

この表現を繰り返すことで症状を認定するためには、RSDと診断できる必要があるとの誤解に誘導します。

正しい方法では、浮腫、皮膚色の変化、関節拘縮などの具体的な症状(および検査結果)を確定し、それらを最も合理的に説明できる傷病名を探します。それが診断です。

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 エ 第4のポイントは、RSDとの用語を用いることです。

正しい用語はCRPS(複合性局所疼痛症候群)です。しかし、加害者側はCRPSという用語を避けます。しかも、カウザルギーに対してもRSDという用語を用いるのが通常です。これは自賠責のRSDの3要件に誘導するためです。

   カウザルギーはCRPSタイプ2(主要な神経の損傷が確認できるもの)に分類され、RSDはCRPSタイプ1(主要な神経の損傷が確認できないもの)に分類されます。

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 オ 第5のポイントは多重の抱き合わせ表現です。

「本件事故による発症」と「RSDの発症」、「RSDによる症状」などの騙しの理屈が込められた抱き合わせ表現を多重構造で用います。これにより、論理的な検討が困難になります。

即ち、「RSDによる症状」との表現は、上記の「RSDに由来する症状」で述べた騙しの理屈のほかに、「RSDによる症状」であるかどうかの確認が事実の有無の確認であるとの誤解に誘導します。正しい方法では、客観的な症状の存否の問題と症状を確定した後に行なわれる診断を、完全に切り離して別々に行なう必要があります。

同様に「RSDの発症」も「RSDを発症した状態」が被害者の症状を生み出すとの誤解に誘導する表現です。

抱き合わせ表現を多重構造で用いることは、加害者側の医学意見書の特徴です。

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 カ 第6のポイントは、抱き合わせ表現により、事故と病名との因果関係の検討に誘導することです。

問題設定で「本件事故による発症」を聞くことで、「事故によりRSDを発症したといえるか」との検討に誘導します。この誤りは「事故直後の時期にRSDと診断できる症状が出ているか」とのさらなる誤りにも誘導します。

   正しくは、結果(最終的症状)を確定してから、その症状を生じさせた原因として、事故以外のより可能性の高い具体的な候補(代替案)が存在するかを検討します(ルンバール事件、B型肝炎事件等の最高裁判決の準則)。正しい方法では、病名(診断の適否、罹患したか否か)は最初から最後まで検討対象にはなりません。

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 キ 第7のポイントは、抱き合わせ表現により、「RSDを発症するほどの事故であるか」との検討に誘導することです。

「本件事故による発症」との表現で、「RSDに発症するほどの事故でなければ、RSDの発症との因果関係は認められない」との誤解に誘導します。

正しくは、その事故によりその怪我(事故直後の症状)を生じる「可能性」があれば足ります。その後の悪化は連続性の問題です。論理的にも「その怪我をする可能性のある事故により、その怪我をした」で何ら問題はありません。

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 ク 第8のポイントは、現に存在する症状の検討をさせないように誘導することです。

   因果関係についての正しい検討では、最初に結果(最終的症状)を確定してから「その結果を引き起こした原因は何か」を検討します。これに対して、加害者側は、最後まで結果(後遺障害)の有無を正面から検討しないように誘導し続けます。

誘導先の1つは「現実の被害者の症状がどのようなものであるかは措くとして、とにかくRSDに罹患したとは言えないので、RSDによる症状は生じていない。」との理屈です。

もう1つは「現実の被害者の症状がどのようなものであるのかは措くとして、とにかくRSDを発症させるほどの事故であるとはいえない」との理屈です。

この誤りに誘導されると、被害者の症状を正面から検討することなく、「そのような症状が存在するはずがないので、検討するまでもなく認めない。」との理屈になります。この誤りに誘導された裁判例は多く存在します。

 

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 ケ まとめ

以上のように、加害者側の医学意見書や鑑定書では細部まで非常に巧妙に考え抜かれた表現が用いられています。中でも診断の検討に誘導する部分はそれに引き続くウソ医学やウソ理屈の根幹になるため、いわゆる「決め台詞」のように良く考えられた表現が用いられています。但し、騙しの理屈を網羅したものばかりではなく、そのうちの数個を用いるものも多くみられます。

上記の各ポイントについて前提知識なく医学意見書を読むと、ほとんどの裁判官は誤った理屈に誘導されると思います。もちろん、「このような騙しの理屈に特化した巧妙な表現を多用する医学意見書を本物の医師が書いたのであろうか。」との疑問は当然に生じます。

ちなみに私は加害者側が提出した医学意見書で本当に医師が記載したと信じることができたものに遭遇したことは1度もありません(これはあくまでも私の主観的な感想であり、実際には本当に医師が記載したものが存在したかもしれません。)。私はこの種の訴訟を多数経験してきましたが、毎回のように巧妙な表現や色々なウソ医学、ウソ理屈が練りこまれたものが出てくるのでうんざりしています。

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4 診断の検討に積極的に誘導する表現

  上で述べたのは、被害者側の弁護士や裁判官を「知らない間に診断の検討に誘導されていた状態」と「具体的な症状の存否・程度を検討せずに、それを否定する結論に誘導されていた状態」にするための表現です。これに対して、積極的に診断の適否の検討に誘導する表現もしばしば用いられます。例えば、次のようなものです。

 「被害者の症状の発生や存在について、医学的に説明することができると言えるためには、医学界で一般に認められている診断基準をみたすことが必要不可欠です。」

この表現にもいくつものポイントがあります。

 

 ア 第1のポイントは「医学的に説明」という言葉です。

これは『青い本』の「後遺障害認定実務の問題点」が述べるいわゆる「証明と説明の区分論」を意識したものです。症状の存在を認めるためには(後遺障害等級14級以上にするためには)、その症状について医学的に説明できなければならないとし、医学的説明として診断を求めるものです。

これに対する反論は「なぜ診断を検討するのですか?」のなかで述べたとおりです。

そもそも、①労災や自賠責では診断が正しいかどうかを判断しません。この判断をすると医師法17条の「医業」を行なったものとして犯罪になります。仮に認定担当者が医師であったとしても患者を直接診察せずに診断をすると医師法20条の犯罪になります。従って、自賠責の後遺障害認定を説明する理屈(証明と説明の区分論。この理屈それ自体も誤りですが。)を根拠にして、「説明のためには診断の検討が必要である」との理屈を導くことはできません。

理論的にも、②症状をもとに診断をするのに、その診断により症状が(整合的に)説明できるから、症状が認められるとするのはたんなる循環論です。

また、③症状が存在することと、その症状を医学的に説明できることとは次元の異なる別の問題です。もとより、④必ずしも診断により症状が説明できるわけではありません。ある症例に対して病名を与えることと、個別の症状がどうして生じるのかというメカニズムの解明は別の問題です。因果関係の判断とメカニズムの解明は別問題です。

さらに、⑤被害者がCRPSと診断された事案においては、「その診断が正しいか」ではなく、「より適切に被害者の症状を説明できる病名があるか。その別の病名によれば事故との因果関係を否定できるか。」を検討するべきです。代替案なき検討は意味がありません。

 

 イ 第2のポイントは「医学界で一般に認められている診断基準をみたすこと」という表現です。

この部分には、「たしかに一般的な基準をみたさなければ『RSDによる症状』とは言えないなあ」と信じてしまいそうな巧妙さがあります。

   しかし、診断を検討する必要性を論証するために、「RSDによる症状」であることが必要と述べることは、結論先取りの誤りとなります。 

 

 ウ 第3のポイントは「医学界」、「一般的に認められている診断基準」などのそれらしい言葉を用いることにより、何となくその気にさせることです。

それらしい表現としてはこの他にも、「RSDという診断により被害者の症状を整合的に説明できるかどうかが問題となります」とか、「RSDという診断により被害者の症状について医学的な整合性が保証されるかどうかが問題となります」などの表現が考えられます。

   「整合的に説明できるかどうか」などと言われると、「整合的に説明できた方が良いですね」という気にもなります。けれども、ある症状についてある診断ができるかを問題にしているに過ぎません。「何となくその気にさせる表現」をちりばめることはウソ医学、ウソ理屈を隠すための常套手段で、よく練り上げられた表現が多用されます。

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5 診断が正しいことによる納得感

 ⅰ 被害者の症状に対するCRPSとの診断が正しいと言える場合には、被害者の症状に対する納得感のようなものが生じます。

これはある意味当然のことです。診断の過程では、患者の症状をもとに、それに当てはまる病名を探し、患者の症状を最も合理的に説明できる病名が診断されるからです。病名をもとに症状を眺めたときに、その症状に対する納得感が生じるからこそ、その病名が診断されたと言えます。しかし、この納得感により症状の存在が裏付けられるわけではありません。

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 ⅱ これに対して、「症状をもとに診断を下し、その診断をもとに症状を認めることは循環論になりますが、この過程を全体としてみれば、診断が正しいことにより症状の存在は『より確からしくなる』と言えます。」という理屈はどうでしょうか。

   この理屈は、「全体としてみれば」という部分で論理性を失っている点に難点があります。この言葉は「説明する」の修飾語に過ぎません。

   現実にも、例えば「熱が39度あるので病院に行ったらインフルエンザと診断された。」との事案で、診断により熱が39度あることが「より確からしくなった」と言えるかと問われたならば、否定します。体温計の数値は前提として確定しています。

つまり、上の「より確からしくなる」というのは、症状が不確かであることが前提になります。これに対して、診断の前提となる症状や検査結果は存在が確定しているものです。症状の存否は診断の前提として、診断とは無関係に存否を判断する必要があります。

従って、存在を認定した症状が「より確からしくなった」というのは、納得感が増したという意味に過ぎず、診断により症状が「裏付けられる」という関係は存在しません。

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 ⅲ では、「症状ABCが存在するXさんがCRPSと診断されたことにより、その症状ABCが『CRPSによる症状』として整合的に説明できるようになった。これにより症状ABCの存在が『より確からしくなった』」という理屈はどうでしょうか。

   上記の「全体としてみれば」の部分を「整合性」という言葉に言い換えたに過ぎませんが、なんとなく正しそうな気がするかもしれません。しかし、「説明する」の修飾語に過ぎません。

   この場合も症状ABCは診断の前提として確定しているはずであるので、「整合性」により症状が裏付けられるという理屈には成り立ちません。

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6 診断と因果関係を混同させる表現

 ⅰ 上記のとおり、「診断が正しいといえなければ、症状と事故との因果関係が認められない」とする理屈が成り立たなければ、診断の適否を事故との因果関係に関連させることはできません。

但し、加害者側の医学意見書や鑑定書ではこの理屈をはっきりと述べません。これを正面から書いてしまっては、ネタバレになって裁判官を騙せません。

   そこで、上で述べた「被害者は本件事故によりRSDを発症して、RSDに由来する症状として関節拘縮を生じたと言えるのかどうかが問題となります」といった抱き合わせ表現で論理的な検討を困難にして、感覚的に診断の適否の検討が因果関係の判断に必要であると誤解するように誘導します。

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 ⅱ 実質的に考えてみても、事故直後から左上肢の痛みを訴えてきたのに、その痛みがCRPSであることが判明した(診断が下された)のが事故から1年後であるとして事故との因果関係はないと主張しても、この理屈に騙される裁判官はほとんどいません。

   事故直後からの症状の連続性ないし一貫性からは因果関係は当然に認められます。「診断ができるようになった時期」の問題だけで因果関係を否定することはあまりにも不合理だからです。

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7 論点であることを気付かせることから始まります

  以上のとおり、診断の適否を検討して、その結果により症状の存否や事故との因果関係が決まるとの誤りを排除するためには、それが論点であることを気付かせることが重要です。その上で、「それでも診断を検討するというなら、その意義を明確に述べて欲しい。」と主張することが重要です。

 

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