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2016年2月

2016年2月 6日 (土)

頭部外傷後の統合失調症(53.7.4)

1 東京高裁昭和53年7月4日判決(交民集114956頁)

  かなり古い裁判例です。この裁判例は、「原因競合」の事例として、交通事故判例百選(別冊ジュリスト94号・1987年、42頁)に掲載されています。判例時報90954頁、判例タイムズ378136頁にも掲載されており、当時は注目されていた裁判例です。

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   この裁判例の特徴は、①遺伝的素因と事故との原因競合により統合失調症を生じたと考えたこと、②判決の統合失調症に対する理解に誤りがあること、③素因減額論に一定の影響を与えた裁判例であることなどです。

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2 事故状況

 被害者は事故当時19歳前後(弟が17歳より推測)の男子会社員です。 昭和45年9月20日に被害者が弟を乗せてオートバイを運転していたところ、対向車線の加害車両が追い越しに失敗してセンターラインを越えて停止しており、これに気付いて急ブレーキをかけるも路面が水にぬれていたこともあって転倒し、加害車両に接触し、左肘挫創、頭部外傷などの怪我をしました。

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3 過失割合

ⅰ 別冊判例タイムズの過失相殺の認定基準(284頁)では、センターラインを越えた側の過失は原則100%です。センターラインオーバーは運転として異常であり、危険性も高いので、これは当然です。

但し、右折や右側にある駐車場に入るためなどの事情でセンターラインを越えた場合の過失は原則90%です(282頁)。右折時に停止することと、右折車両を予測できる状況が存在することにより加害者側の過失割合が10%減らされたと考えられます。

本件では加害車両はセンターラインを越えた(100%)ものの、停止していたこと(-10%)、右折する車両が予想できる場所ではないこと(+5%)から、過失割合は原則95%と考えられます。

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 ⅱ 判決は、対向車線の加害車両が追い越しに失敗してはみ出して停止していたのを、被害者は実際に気付いた位置よりもかなり前の位置から確認できたはずであるとして、被害者に25%の過失があるとしました。

しかし、判例タイムズの基準では気付くのが遅れただけでは被害者の過失割合を増やす事情にはなりません。センターラインオーバーという異常事態を予測するべき注意義務はなく、発見が遅れることは原則の割合に折り込まれています。

   判決は湖畔沿いの見とおしの良い道路であることにも触れています。見とおしが良い道路なので、より早くセンターラインオーバーの加害車両を発見できたとの趣旨です。この点は逆にも考えられます。信号機がなく車両の流れが良い場所で対向車線にはみ出して停止することは異常性を高める事情(想定外の事情は対応が遅れやすい)になります。

被害者はオートバイに二人乗りしていたものの、ヘルメットをしていたことなどから、この事情を過失とみることはできません。オートバイに二人乗りしているときには、回避行動が円滑に行かないので、このことをもって被害者の過失を増やす事情とすることも妥当ではありません。私は被害者の過失は原則とおり5%でよかったと思います。仮に、被害者側の過失を重く見るとしても10%が限度であると思います。

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 ⅲ 素因減額が問題となる事案では、過失割合が被害者側に不利に判断されている事案は少なくありません。本件は特に被害者側に不利な判断がなされています。仮に被害者の怪我が鎖骨骨折などの分かりやすいものであったならば、被害者の過失は格段に低く(10%以下と)判断されたと思います。本件では被害者の症状が重く、統合失調症という特殊なものであったため、過失相殺で帳尻を合わせた感じがします。

その背後には、「この事故でここまでの怪我をする人は少ないはずだ。被害者には特殊な素因があるから特殊な症状が生じたのだ。その特殊性ゆえに賠償額を増やすのはよくない。」といった実感があるように感じます。

私はこの考えは良くないと思います。素因減額がからんだ事案では、差別感覚がにじみ出ている判決は少なくありません。

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4 症状の経過

  以下で統合失調症とあるのは、判決では全て精神分裂病(統合失調症の古い名称)と表記されています。被害者は事故直後から頭痛、首の痛みを訴え、その治療を受けている中に不眠が続き、3か月ほどの間に近親者に対する反抗、独語、空笑等の症状がみられるようになります。

  その後、頭部打撲後後遺症、統合失調症様症状の病名で治療を続けるも、頭痛を頻繁に訴え性格障害の症状や急性錯乱状態で家具を壊したり、暴れたりするようになりました。

  長期の入通院を経て、事故の4年3か月後には意識障害の疑いで入院した病院で脳波に異常があるとされ、その後の治療で脳波の改善が確認され、退院時には錯乱状態はおさまりました。しかし、その後の入通院の長期化からは、何回か症状が再発したと考えられます。

  被害者は事故の4年6か月後ころに初めて統合失調症との診断を受け、診断した医師は、「破瓜型(解体型)と緊張型の中間位の精神分裂病」であるとします。事故から約8年後の高裁判決の時点でもその症状が続き、就労に復帰できていない状況が続いていたようです。

5 現在の視点でも統合失調症となるか

 ⅰ 被害者は頭部外傷後の症状が悪化して統合失調症に至ったとされ、主治医は破瓜型と緊張型の中間くらいの統合失調症としました。

破瓜型とは今でいう解体型です。破瓜型という名称の頃は思春期頃に発症して、退行した子供のような傾向が生じること(自分の世界に閉じこもる。独り言をいう。1人でニヤニヤ笑ったり、奇妙なしぐさをしたりする)が重視されていました。名称が解体型とされたのは、外界を認識するまとまりの悪さ(常識的な世界を認識していない。脈絡のない話をする)が重視されたからです。

緊張型は、激しい興奮が出現する一方で、全く逆の無反応な状態が出現するタイプです。本件では急性錯乱がこれにあたるとされたようです。

 

 ⅱ しかし、現在であれば自賠責で高次脳機能障害(頭部外傷後の後遺症)として扱われる可能性が高い事案であると思います。上で述べた「性格障害」については、頭部外傷後に感情の抑制が効かなくなり、粗暴な言動をすることは、高次脳機能障害では少なからず見られます。また、感情の抑制が効かず、突発的に錯乱のような症状になることも考えられます。さらに急性錯乱については、せん妄の可能性もあります。

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6 せん妄ではなかろうか?

ⅰ 被害者は頭部外傷後に酷い頭痛に悩まされ、そのために不眠が続いて、その結果、意識低下ないし意識混濁の状況で急性の錯乱状態になったようです。脳波検査では意識障害の疑いありとされています。この部分を読んで率直に思ったことは、統合失調症ではなく、せん妄ではなかろうかということです。頭部外傷、不眠、意識低下、急性錯乱などせん妄の特徴を多く有しています。

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 ⅱ せん妄とは身体疾患が原因となって急性の脳障害が惹起される意識混濁とされ、意識が不鮮明な状態での言動や、錯覚、幻覚、妄想、興奮などが特徴的とされます。

本件でも上で挙げた独り言、空笑い、意識障害など全ての症状がせん妄でも生じるものです。現在においても、認知症と間違われるなどしてせん妄が見落とされることが少なくないとされています(『せん妄診療はじめの一歩』15頁)。

   判決には症状の詳細は記載されていませんが、症状の発現の仕方(急激であるかどうか)、症状の日内変動(夜間に多いか)、症状の持続期間、注意障害の有無、見当識障害の有無、記憶障害の有無、思考態様などを検討して、せん妄との区別をする必要があります。

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7 統合失調症もありうる

 ⅰ 本件では経過観察を経て事故から4年半後頃に正式に統合失調症と診断されています。その後に長期化した入通院の過程でもこの診断は維持されています。従って、初期の症状がせん妄であったとしても、症状の慢性化により、統合失調症を併発した可能性も考えられます(これを併発と言えるかは問題がありそうですが)。本件では当初からせん妄が疑われずに統合失調症が疑われている点に疑問がありますが、統合失調症の可能性も考えられます。

   外傷後に統合失調症になることは症例としてありうることや、交通事故の裁判例でも事故後の統合失調症の発症が散見されるので、この事案も統合失調症との診断が正しいものとして以下の検討をします。

統合失調症は最新の精神疾患の分類(DSM-5)の中では「統合失調症スペクトラム障害および他の精神病性障害」とされ、せん妄はこれとは別の「神経認知障害群」のなかに位置づけられています。

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 ⅱ この判決に限らず、患者の症状の詳細を記載せずに、それを代替させる感覚で病名を記載している裁判例はしばしば見かけます。

しかし、ほとんどの疾患は必須の症状は1つもありません。同じ病名でも個別の患者の症状にはかなりの幅があるので、症状の詳細を述べなければ個々の患者の症状は分かりません。訴訟での金銭評価の対象は個々の被害者の具体的症状です。判決では被害者の具体的症状を認定して、それを金銭評価して賠償額を算定する手順を踏む必要があります。 

   本件では、判決では統合失調症で見られる典型症状が被害者に生じているとの前提で、症状の詳細を記載しなかったようにも見受けられます。しかし、判決に記載された症状のみをみれば、頭部外傷によるせん妄様の症状を呈する認知機能の障害として、高次脳機能障害の範疇におさまるものしか書かれていません。

   裁判例からは、細かな症状を判決で認定することに躊躇する裁判官は少なくないように見受けられます。個々の細かな症状の1つ1つを確実に裏付ける証拠は存在しないからです。確実な証拠がないと事実を認定しない傾向の強い裁判官は少なからずいます。これは「確実症候群」ともいうべき誤りです。証明度を高くしすぎる誤りです。

証明度を高くする説においても「おそらく~であろう」との心証(80%の心証。高度の蓋然性)で事実を認定できるとされています。学説では60%の心証で足りるとする説が多数を占めています。しかし、確実症候群に陥ると確実な証拠がない場合にはすぐに証明責任や代替概念(病名)に飛び付く傾向があります。これは事実認定に証明責任を取り込む誤りです。

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8 統合失調症の遺伝的要因

 ⅰ 判決で最も気になったのは統合失調症について述べた部分です。

判決は「一般に、精神分裂病は医学上遺伝性精神病とされ、遺伝性素因のない者は後天的な原因により発病することはありえないものとされ、法制度上も例えば優生保護法別表第一のようにこれを遺伝性精神病としている」と述べます。

上記のうち、「遺伝的素因のない者は後天的な原因により発病することはありえない」とする部分は、判決の書かれた昭和53年当時でも異端説であると思います。統合失調症の家族・親族内発症は古くから研究されてきたところ、家族・親族に患者がいない方でも発症することは古くから認められてきました。何ゆえここまでの異端説を判決が信じてしまったのか疑問です。優生保護法とセットで述べるこの部分は、判決の背後にある偏見の強さが出ています。

 優生保護法は、昭和15年(1940年)の国民優生法(断種法)を沿革として昭和23年に制定された法律で、優生思想のもとに中絶を強制するものです。第1条で「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」と明言した法律は、さすがに差別的な色彩が強すぎると思います。

改正されたのはそれほど古いことではなく、平成8年(1996年)の改正で母体保護法と法律名が変えられ、強制断種の条項が削除されました。

   旧法の別表の第1号では、遺伝性精神病として精神分裂病だけでなく、そううつ病やてんかんも列挙されています。これらの疾患の患者の全員を遺伝性とする理解は、法律制定の当時でも通用しなかったと思います。おそらくは症状が重く、近親者の状況から遺伝性が強いと推測できる事案が対象とされたのではないかと思います。上記以外にも多くの疾患が列挙されています。4号では20ほど列挙した中に血友病も含まれています。血友病は患者によって症状に大きな差があります。

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 ⅱ 遺伝的要因のある(強い)統合失調症が存在することは事実ですが、遺伝的要因がない人(低い人)も発症します。「統合失調症の発病危険率が一般人口のおおよそ1%であるのに対し、患者の第1度親族(両親、きょうだい、子供)の発病危険率はおおよそ10%と高く、両親がともに統合失調症であると危険率は50%に高まる。」(『知っておきたい精神医学の基礎知識、第2版』122頁)との理解が一般的であると思います。

   遺伝的要因といっても、統合失調症を発症させる遺伝子を特定して、ゲノム解析により遺伝子の有無を調べたわけではありません。近い親族に統合失調症を発症した人がいる場合に、その人が発症するリスクが高いという疫学的な事実をもって遺伝的要因としています。

   親族に統合失調症を発症した人がいなくとも発症する危険率が1%であることからは、全ての人が統合失調症を発症するリスクを有していると言えます。

遺伝子が全て同一である一卵性双生児であっても、1人が発症しても残りの1人が発症する確率は30%に過ぎないことからは、統合失調症の発症には社会的要因(環境)が関与しているとされます(『統合失調症がよくわかる本』83頁)。なお、一卵性双生児の場合は50%とする著書もあります(PHP新書『統合失調症-その新たなる真実』岡田尊司156頁)。 

   細かい話ですが、全く同一の遺伝子であっても、出生後に発現するかどうかがランダムに決まるものがあり(そのような遺伝性疾患もあります)、統合失調症に関連する遺伝子にこの性質があれば、一卵性双生児でも発症する人としない人に分かれます。

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 ⅲ 以上のとおり、判決が統合失調症は「遺伝性素因のない者は後天的な原因により発病することはありえない」と断言したことは誤りとなります。この誤りは判決の書かれた昭和53年当時でも十分に認識できたはずであり、不可解な感じもします。

なお、昭和62年の交通事故判例百選の解説では「遺伝的要因は、全統計としては有意に認められるが、規則性はない」とする医学大事典(南山堂)の記述を引用して、判決の考えを実質的に否定しています。

   判決が引用する主治医の意見には「精神分裂病は原因不明の疾患であるが遺伝的体質的素質の上に身体的心理的影響が加わって発病すると一般に考えられています」とあります。これを拡大解釈すると判決の理屈が導き出されますが、主治医は判決のような極端な考えを述べているわけではありません。

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 ⅳ なお、判決は被害者には統合失調症などの精神疾患の既往症はなく、被害者の近親者にもそのような病人はいないとも書いています。そうであれば、この被害者は遺伝的要因がない(低い)状況で統合失調症を発症したことになるはずです。

しかし、判決は、統合失調症は遺伝的素因がない人に発症することはあり得ないとする前提から、発症した人については、漏れなく遺伝的要因を考慮するべきであるとの方向に向かいました。

判決には、「統合失調症はごく一部(2~3%)の特殊な人達だけが発症する疾患で、社会の大多数の人々には無関係な疾患である」との差別感覚が強く出ています。現実には、人類のなかに統合失調症を発症しないと保証できる人は存在しません。

なお、統合失調症は不治の病ではありません。治療により治癒(寛解といいます)する人も多く存在します。判決からは、統合失調症はいったん発症したら治らない特殊な疾患であるとの偏見もにじみ出ています。

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ⅴ うつ病や統合失調症にり患すると、「もともとそのような病気を発症する人だった」との後知恵バイアスにさらされやすい面があります。

   うつ病に関しては、職場でのいじめやパワハラなどのほか、脳腫瘍、脳梗塞、パーキンソン病、甲状腺機能低下、アルコール依存、インターフェロンの投与など、遺伝とは関係しない多くの原因によっても発症します(加藤忠史『うつ病治療の基礎知識』15頁以下)。

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9 遺伝的要因と事故との競合

 ⅰ 判決は、統合失調症について「遺伝性素因のない者は後天的な原因により発病することはありえない」としたことから、発症した統合失調症は全て遺伝によるものということになりました。しかも、優生保護法を引用して、その遺伝的素因を有しているのは人口の中のごくわずかな人達だけであるとのニュアンスで述べています。

   一方で、判決は事故による頭部外傷が統合失調症を発症した間接的誘引にとなることまでも全く否定されているわけではないとして、頭部外傷と統合失調症との間に因果関係が肯定できるとしました。

   その上で、事故後の症状経過や主治医の意見を参照して、被害者の統合失調症の発症について、事故が間接的な誘引をなし、それがかなりの影響力を有していたとして、事故の起因力を3分の1としました。つまり、統合失調症を生じた原因の3分の2が遺伝性素因にあるとしました。

   この判決が注目されたのはこの部分です。この判決は「起因力」という表現で原因を分割して、事故が3分の1の原因であるとした点において、新奇性があるとされました。

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 ⅱ しかし、被害者が統合失調症を発症した原因の3分の1が事故にあるとして、残りの3分の2が被害者の遺伝子にあるとしたのは、大いに疑問です。要するに、被害者に対して「君が統合失調症を発症したのは君の遺伝子が悪いからだ」と正面切って宣言したことになります。かなり酷いことを言っています。

   上記のとおり、被害者は近親者に統合失調症の患者がいないので、遺伝的要因が低い部類に属します。また、人類の中には統合失調症を発症しないと保障できる人は存在しません。従って、判決が統合失調症を発症した原因の3分の2が遺伝的要因にあるとしたことは、事実認定として誤っています。発症リスクの観点からは遺伝的要因の作用した寄与度は一般人と同じ1%ほどになるはずです。

本件では、頭部外傷後に頭痛や不眠などからせん妄様の症状を呈して、その後に統合失調症を発症した経過も考慮すると、事故に遭わなければこの被害者は一生統合失調症を発症しなかったであろうと考えられます。よって、仮に「原因競合」の判断枠組を認めるとしても、この事件に関しては被害者の統合失調症の原因は事故のみにあると考えられます。

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10 結果からリスクを導き出す誤り

 ⅰ 以上の考えに対しては、「この人は現に統合失調症を発症したのであり、それはもともと統合失調症を発症するリスクが一般人よりも高かったからである」との反論が考えられます。確かに、基準時点での発症リスクが1%(一般人と同様)であるとしても、その後に判明した事情を考慮して、発症リスクを変化させることは、理屈としては間違っていません。ベイズ理論はこのような考えが基本となっています。

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 ⅱ しかし、統合失調症の発症リスクの検討において、統合失調症を発症したこと自体を考慮することには問題があります。発症リスク1%の人が統合失調症を発症したのか、発症リスク10%の人が統合失調症を発症したのかを判断する文脈で、「現に発症したから発症リスク10%の人だった」とすることは誤りです。

統合失調症の発症リスクの検討では、統合失調症を発症する前の事情(厳密に言うと、発症したこと以外)を検討する必要があります。本件では事故前に統合失調症の発症につながる徴候は確認されていないので、発症リスクは1%のままです。

判決は被害者の近親者には統合失調症の患者はいないとしながらも、「現に発症したのは、もともと発症しやすかったからである」との感覚で発症リスク66%(3分の2)とする前提で原因競合を述べていますが、この理屈は誤りというほかありません。また、差別的な感覚が強くにじみ出ています。

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 ⅲ なお、統合失調症を発症こと自体ではなく、発症した人の遺伝子を解析するという前提では、別の理屈が成り立ちます。

親族に統合失調症の患者がいない状況で統合失調症を発症した集団であっても、ゲノム解析で遺伝子を調べた場合には、発症しなかった集団に比べて、何らかの特徴を有している人が多く含まれていると思います。

   健康な人であっても、ほぼ全ての人は何らかの遺伝性疾患の潜在的遺伝子を有しており、配偶者がたまたま同じ遺伝性疾患の潜在的遺伝子を有していれば子供にその遺伝子が発現する可能性があります。

潜在的遺伝子を有しない場合でも、遺伝子の突然変異により遺伝性疾患を発症しやすい遺伝子が生じる可能性もあります。例えば妊娠時に病気にかかったことにより、遺伝子変異が生じる可能性もあります。

   このような事情から、親族に統合失調症の患者がいない状況で統合失調症を発症した集団においても、統合失調症患者に多く見られる遺伝子を有している人の割合が高くなっていると思います。

   これは発症したこと自体により、発症リスクが高くなったという話ではなく、DNAを解析したならば遺伝的要因が発見される人の割合が高いであろうという話です。統合失調症を発症した人の中には遺伝的要因のない(低い)人もいるので、発症したことを理由にその人の遺伝的要因が強いとは言えません。

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 ⅳ 統合失調症の遺伝子については、20084月までの1921論文で690の候補遺伝子が報告されましたが、再現性のある結果はほとんど得られませんでした。一方で2008年から始まった大規模ゲノム解析プロジェクトでは統合失調症に関連する可能性がある一塩基多型(SNP)が3800万個も同定されました(以上、『こころの科学』18088頁。20153月)。これだけ多いと、どの遺伝子が作用しているのか全く不明です。

   但し、数キロ塩基以上に及ぶコピー数変異(CNV)のうち10数個が統合失調症と関連することが判明しています(上掲89頁)。『統合失調症-その新たなる真実』(岡田尊司)159頁で言及されているディスク1と呼ばれている遺伝子変異(1番染色体と11番染色体の転座)もこれにあたると思います。

   もちろん、これらの遺伝子変異があっても統合失調症を発症しない人もおり、発症しない人が大半であるものもあります。統合失調症にり患しても寛解する(完治する)人も少なくないことから、環境的な要因も一定の割合で影響していると思います。

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11 素因減額論の差別的性質

 ⅰ 本件とは異なり、仮に被害者の近親者に統合失調症の患者がいて、事故時点での発症リスクが10%であるとして、それを考慮して10%の原因競合を認めることは妥当でしょうか。この場合に、「君が統合失調症を発症したのは君の遺伝子にも原因があるんだ」とすることは、遺伝子レベルで差別することになります。素因減額を認める考えには、この差別的な性質が不可避的に生じます。

   素因が明確に特定された場合には、その素因を理由に無条件で被害者が受け取るべき賠償額が減らされるため、被害者に落ち度がなくとも素因を保有していることそれ自体が差別扱いの根拠になります。

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 ⅱ 例えば、血友病の患者が事故による出血が止まりにくいため重い後遺障害を残したとして、血友病を素因として大幅な減額をすることは、差別的な性格が強いと考えられます。事故に遭わなければその後遺障害を残すことなく一生を終えたであろうという人に対して、血友病を理由に素因減額することは差別というほかありません。

   本件においては、被害者は事故に遭わなければ統合失調症を発症することがなく一生を終えたであろうと考えられます。事故前には何も症状が出ていないにも関わらず、遺伝的要因を理由に減額したことは、差別的な傾向が強く出ています。

頚椎後縦靭帯骨化症が素因とされた裁判例は多く、事故時に頚椎後縦靭帯骨化症が存在し、そのために怪我が重くなったこと(四肢麻痺などの重症化が生じたこと)が素因減額の対象とされています。しかし、この事案においても、その人は事故に遭わなければそのような重大な後遺障害を残すことなく一生を終えたと考えられます。

   以上のように見てくると、被害者が重い後遺障害を残すことになったのは、加害者の不注意のせいであって、被害者の素因のせいではないと言わざるを得ません。何の落ち度もない被害者の素因に責任を負わせる考えは、差別的な本質が不可避的に生じます。

本件のように事故時に何一つ症状が生じていないにも関わらず、「悪い遺伝子を持っていたはずだ」として差別扱いすることは、かなり悪質な差別であると思います。

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