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2015年7月

2015年7月12日 (日)

むち打ち損傷の16日後に容態急変(43.11.15)

1 名古屋地裁昭和43年11月15日判決

  名古屋高裁昭和48年11月30日判決(交民6巻6号1742頁)

 

  かなり古い裁判例です。要約すると、むち打ち損傷の2日後から入院して16日後に容態が急変して22日後に死亡した事案について、高裁での3件の鑑定を経て因果関係が否定された事案です。

  この事案の特徴は、①2年後のルンバール事件最高裁判決(昭和50年10月24日)に通じる因果関係判断の枠組みが述べられていること、②むち打ち損傷についての昔の考えと今の考えの違いが出ていることなどです。

2 事故状況

ⅰ 被害者は事故時28歳の男子。大手建設会社に入社して9年を経た中堅技術者で、事故前の健康状態には全く問題がありません。昭和42年9月21日午前11時30分頃に小型乗用自動車を運転して左折のために先行車に続いて停止していたところを、小型貨物自動車に時速40キロほどの速度で追突され、先行車にも衝突するという事故に遭います。

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 ⅱ 時速40キロでの追突はかなり強い衝撃が生じます。現在の考えでは、脳や脊髄に損傷を与えるなどして人を死亡させる可能性を有することに争いはないと思います。事故のあった昭和42年の時点ではヘッドレストは旧式でより大きな被害が出やすい状況です。

   ところが、高裁判決は、時速40キロを前提に「脳ないし脊髄に浮腫を発生させるほど強力なものであったかどうかについては証拠上必ずしも明らかではなく」(1752頁)と述べて、追突による衝撃を重く見ていません。高裁判決はこの考えが背景にあります。

ⅲ 上記の「脳ないし脊髄に浮腫を発生させるほどの衝撃と言えるか」という視点にはそれ自体に問題があります。これは現在の裁判例にもしばしば見られる誤りです。

事故態様としては、現に生じた傷害が生じる「可能性」があれば足ります。その結果を生じさせる「可能性」がある事故態様で、現にその結果が生じたのであれば、原因としてそれ以上のものを求めることは誤りです。

たとえば同種事故(本件で言えば時速40kmでの追突事故)が1000件起きたと想定した場合に、1~2件で同種の結果が生じると考えることができればそれで十分です。まさにその事案こそが裁判で争われる事件であると言えます。膨大な数の交通事故のうち重大な結果に至ったものだけが訴訟に至ります。この「裁判に至る過程で事故が選別されている」という視点はごく基本的なものです。

3 症状の経過

  ポイントは事故16日後に症状が急激に悪化して22日後に死亡したことについて、事故との因果関係が認められるかどうかです。以下では、この点を考慮して症状の経過を述べます。

事故当日…E病院。通院。頭部挫傷、頚部鞭打損傷とされる。

事故翌日…食物等を飲み込む際にのどの痛みを覚え、医師の指示により2日後から入院することとなる。

2日後…E病院。入院。カラーによる頚部固定を行なう。入院中は食欲もあり、体温も平常であった。

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(評)嚥下障害は脳血管障害を疑うことができる有力な事情です。その他の訴えは不明ですが、むち打ち損傷では事故の翌日以降に頚部・頭部の痛みが強くなる事案が多く見られるので、頭部・頚部の痛みが事故直後より強くなったことが入院の事情として推測できます。

 5~6日後…風邪気味の症状を呈する。

 11~12日後…風邪気味の症状を呈する。

 12日後…医師の許可を得て入浴した際に脳貧血で倒れたため、退院を見合わせる。

  (評)12日後の入浴が入院後の最初のものであるのかは不明です。症状が安定してきたことから医師の許可を得て事故後初めて入浴をしたようにも読めます。

 16日後…悪寒、発熱(39.4度)、関節痛、頭痛、全身発疹が生じるも解熱剤により回復した。

 17日後…発熱、関節痛、嘔気、食欲不振、全身倦怠感の症状が現れ、抗生物質が投与された。

 18日後…胸内苦悶、呼吸困難の訴えがある。

 19日後…意識不明となる。

 20日後…意識回復するが、午後に起き上がろうとしてけいれん発作を起こし、全身じんましんとなり、呼吸停止が頻繁になり、けいれん発作、呼吸停止を繰り返した。

      造影剤によるレントゲン検査では脳の左半分には血腫はみられなかったが、右半分は造影剤が入らず(脳圧が高くなっている可能性が考えられた)、検査はできなかった。

 21日後…四肢冷感、チアノーゼを呈した。

 22日後…死亡した。

4 解剖所見

  脳軟膜に充血と浮腫、脳実質に充血と浮腫、頚髄下部にある程度の充血と浮腫、脳軟膜に軽い炎症性の細胞侵潤のほか各所に小出血が認められ、頚髄の出血・癒着は認められなかった。脳の浮腫は脳幹だけではなく、脳全体に軽度のものが認められた。

  一方で、頭蓋内出血や脳内出血は見られず、くも膜下出血や硬膜下出血は否定される状況であったようです。なお、MRIが普及する以前の事件ですので、MRI検査は行なわれていません。

5 3件の鑑定

 ⅰ 地裁では鑑定が行なわれず、高裁で3件の鑑定が行なわれ、地裁判決の約5年後に高裁判決が出ています。まず事故と死亡の因果関係を認めるA鑑定が提出され、これを否定するB鑑定が提出されるも内容に難があったため、C鑑定が提出されたようです。

   3件の鑑定は全く異なる内容です。専門家が誠実に鑑定を行なえば大筋で似通った意見になり、細部での意見の不一致に集約されることが通常であると思います。しかし、交通事故訴訟では、医学意見が相互に天と地ほどの異なることが多く見られます。本件でもこれが確認できます。

 ⅱ A鑑定

   A鑑定は事故による脳や脊髄の損傷に起因して被害者が死亡したとします。事故が原因とすることは、事実の経過や解剖所見からは最も素直な考えであると思います。

   16日後に急激な症状の悪化が生じたことについては、事故により直接脳や脊髄に浮腫が生じたのではなく、まず事故により浮腫ができやすい状態が生じて、二次的に浮腫ができたとします。容態急変後の呼吸困難、高熱は脳幹部に浮腫が生じた結果として説明できるとします。頭蓋内出血や脳内出血が見られないことから晩発性の脳卒中ではないとしつつも、晩発性の脊髄損傷の可能性は考えられるとします。

脳が損傷を受けるなどしてその部分が壊死すると液化して浮腫が生じます。A鑑定はこの経緯により二次的に浮腫が生じ、脳圧が上昇するなどして死亡したとの意見です。但し、事故により脳が直接損傷を受けたのではなく、脳周辺の器官や脊髄が損傷を受け、それにより脳への血液供給が減少するなどして脳全体や脊髄に浮腫ができたとするようです。

   A鑑定の難点は、事故により脳にどのような損傷が生じて、いかなるメカニズムで脳に浮腫が生じたのかが不明であることです。

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 ⅲ B鑑定

   B鑑定は事故とは全く無関係の何らかの呼吸器系統の感染性胸部疾患により死亡したとします。容態急変前の風邪気味の症状や容態急変後の発熱、関節痛、頭痛、全身発疹、吐き気、全身倦怠感等は感染性疾患で説明できるとします。

   解剖所見は、呼吸停止が長く続いたことにより、脳に酸素欠乏が起こったために二次的に生じたものと推測できるとし、脳の浮腫が全体に及んでいることは、この考えを裏付けるとします。

   B鑑定の難点は、①具体的な疾患名(原因)が不明であること、②咳(せき)、鼻水、鼻炎などの症状は確認できないこと、③28歳の男性が事故とは全く無関係にこのような急激な症状を呈する疾患に感染したとは考えにくいこと、④入院中の病院内で被害者のみがその疾患に感染したとすることには疑問があること、⑤脳の右半分に造影剤が入らなかったことから右側に損傷部位が存在したと推測できること、⑥脳幹部の損傷(障害)から呼吸困難が生じたとすることが自然であること、⑦胸部感染疾患では脳全体の浮腫を説明することが困難であることなどが挙げられます。この難点ゆえにC鑑定が作成されたようです。

 ⅳ ウイルス性急性脳症について

   感染性胸部疾患とするB鑑定とは異なり、ウイルス性急性脳症と考えると、事故後の風邪気味の症状、容態急変後の感染症類似の症状および脳全体の浮腫などの解剖所見をA鑑定よりもすっきりと説明できます。B鑑定では浮腫が脳全体に及んだことの説明が困難です。B鑑定がこの疾患に言及しなかったことは少し奇異な感じもします。

   ウイルス性急性脳症ではウイルスに感染した人のごく一部にしか発症しないので、被害者のみが発症したことも説明できます。通常、髄液からはウイルスは検出されないので、この点も矛盾とはなりません。

なお、ここで「非常にまれな症例であるとしても死に至れば訴訟で争われることは必然である。従って、裁判所にそのような症例が集まることは必然である。」との理屈を持ち出すことには難点があります。本件では死亡に至るルートが絞られておらず、ウイルス性急性脳症は死亡に至る多数の説明の1つに過ぎません。

   本件ではウイルス性急性脳症とする決め手はありません。また、まれな疾患を想定すればほぼ全ての症状経過を説明できますが、それは場当たり的な説明に過ぎないとも言えます。事故直後に感染したとすることは場当たり的な説明の最たるものです。

   そこで事故という現実に生じた事実を基点に据えて、本件事故によりウイルスが血液脳関門を通過しやすい状況が生じ、事故により軽度の損傷を受けた脳や脊髄のダメージを大きくし、それがウイルス性急性脳症の発症につながったとする説明も考えられます。これで訴訟に現れた事情を過不足なく説明できます。なお、この場合には事故が原因であるとの結論になります。

   但し、この説明も場当たり的な要素が残ります。まず、ウイルス性急性脳症に感染しやすい状況とは何かが不明です。事故により脳や脊髄に何らかの損傷が生じたのであれば、ウイルス性急性脳症というまれな疾患を介することなく、その損傷の拡大として考える方が説明としてすっきりします。結局のところ事故を原因とした死亡であり、その経過のなかにウイルスが作用している可能性を指摘したに過ぎません。この意味でもA鑑定の方が適切であると思います。

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 ⅴ C鑑定

   C鑑定は、事故と無関係な何らかの原因により脳に血液不足が生じて、浮腫が発生し、脳機能障害により意識障害や中枢性呼吸障害を招来し、脳死に近い状態が生じて死亡したとします。

   一方で、受傷から16日後の急激な症状悪化を理由に事故との因果関係を否定します。即ち、①浮腫は通常24時間ないし48時間で最高となり、その後は徐々に消退するものであるから、受傷急性期に何らの症状も認められないような軽い浮腫が長期にわたって持続し、あるいは次第に助長されて16日後の時点で突然にしかも重篤症状を持って顕在化することは考えにくいとします。

   また、②脳および脊髄に挫傷や受傷時に生じたと思われる出血等が認められないから、浮腫の発生につき外力の影響は軽微であったとします。また、③外力自体も極めて軽微であったとします。さらに、④容態急変後の諸症状を脳幹部の局所障害として説明することは困難であるとします。

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 ⅵ C鑑定の難点

   C鑑定の最大の難点は、死亡の具体的な原因が全く不明であること(とにかく事故とは無関係と述べているにすぎないこと)にあります。本件では入院中に新たに怪我をしたとは考えられず事故以外の原因は見当たりません。

   また、上記③の事故の外力が極めて軽微とすることは無理があります。そもそも医師が言及するべき内容でもありません。

   上記①のように事故後症状が出るまでの期間を限定する理屈は、現在では加害者側から述べられる医学意見の定番です。しかし、頭部外傷の事案では受傷の2日後以降に症状が出現することが少なくないことは、一般常識に属することであると思います。受傷から1~2か月経過して症状が出ることもあるため事実に反します。

C鑑定のその他の理屈についても、脳の損傷は必ずしも出血を伴うものではないこと、初期症状として事故翌日に嚥下障害が出ていたこと、浮腫の生じる原因によっては晩発性の症状もありうること、脳や脊髄の出血が少なかったことはむしろ長期間経過後に症状が顕在化したことを説明する事情となること等の難点があります。

6 高度の蓋然性

 ⅰ 高裁判決は、「こんにちにおける医学の進歩にもかかわらず医学的に解明し尽くされていない現象があり得る以上、相当因果関係があるというためにすべての場合に医学的に原因が明らかにされなければならないというものではないが、原因と結果との間には単なる可能性に止まらず高度の蓋然性が必要である」とします。この部分はのちのルンバール事件最高裁判決(昭和50年)の「高度の蓋然性」と同趣旨です。

 ⅱ 「高度の蓋然性」とは、簡単に言えば「高い可能性」です。世の中の出来事のメカニズムを解析し尽くすことは不可能ですので、全体的な観察から原因と目される事情が結果を生じさせた可能性の度合いを検討する必要性があります。その可能性が高いと言える場合には「高度の蓋然性」があると言えます。

   ルンバール事件では、ルンバールの投与が被害児の症状の悪化に影響したかどうかの医学的なメカニズムは不明でしたが、投与の直後に容態が急変したことや、それまで症状が安定していたことなどを理由に、メカニズムは不明でも全体的に見て「ルンバールの投与が症状の悪化に影響した可能性が高い」との趣旨で「高度の蓋然性」という言葉を用いています。

   ただし、この説明では不十分で、最高裁判決は次の「他原因考慮」を含めて「高度の蓋然性」の有無を検討しています。

7 他原因考慮

 ⅰ 高裁判決はA鑑定を正しいと見る余地がないではないが、「B鑑定あるいはC鑑定の指摘する他の原因があった可能性もいまだ捨てきれないものであるから」として、事故と被害者の死亡との因果関係を「肯認するべき高度の蓋然性があることについては証明がなかったことに帰する」と述べます。即ち、高裁判決は他の原因の考慮として、「他の原因があった可能性も捨てきれない」とのレベルでA鑑定を否定しました。

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 ⅱ ルンバール事件最高裁判決は、①全体的にみて原因と目される行為が結果を生じさせたことを推測させる事情がある、②他に原因として考えられるものが見当たらない(他原因考慮)の2つの要件を合わせて、因果関係を肯定できる「高度の蓋然性」に達すると判断しています。

B型肝炎事件の最高裁判決(平成18年6月16日)など、その後の最高裁判決もこの枠組みを用いています。

   即ち、因果関係について一応の推定が成り立つ程度の証明が被害者側によってなされ、これに対して加害者側が相当程度に可能性のある「他原因」を挙げることができなければ、因果関係を肯定するべきであるとするのが最高裁判例の準則であるといえます。

ⅲ 本件の高裁判決も基本的な枠組みは同じです。しかし、②の他原因考慮の部分で一般的・抽象的な「他原因」の存在可能性を理由に因果関係を否定したことは、現在の判例理論とは合いません。

   最高裁平成11年3月23日判決(判時1677号54頁)は、一般的抽象的な「他原因」の存在可能性で因果関係を否定することは誤りであるとの趣旨を述べます。

   平成18年のB型肝炎事件最高裁判決は、「本件集団予防接種等のほかには感染の原因となる可能性の高い具体的な事実の存在はうかがわれず、他の原因による感染の可能性は、一般的、抽象的なものに過ぎないこと等を総合すると」と述べて因果関係を認めました。

 

 ⅳ 本件では事実経過から事故と死亡との間に因果関係の一応の推定が成り立ち、B鑑定とC鑑定は具体的な他原因を挙げていないため、因果関係は肯定できます。この結論は一般人の多数の見方にも沿うものである思います。

   私も事故後の経緯からは事故により軽度の脳損傷が生じて、時間の経過により損傷部位が壊死して浮腫となり、これに何らかの要素が加わり、脳圧を徐々に上昇させ、16日後の容態の急変につながったとすることが最も合理的であると思います。他に相当程度の可能性が肯定できる具体的な原因は見当たりません。

8 結論の妥当性

 ⅰ 以上から私は現在の判例理論ではA鑑定が採用されると考えます。A鑑定の利点は、①交通事故によるむち打ち損傷という具体的な原因が存在すること、②入院中に死亡の結果を招くような他原因が介在した可能性はかなり低いこと、③解剖所見と矛盾しないことにあります。

   一般人のものの見方からすれば、むち打ち損傷の2、3週間後になって急に症状が出ること(手や足のしびれ、脳の障害など)は、しばしば起きることです。また、原因として他のものが見当たらないので、交通事故が最も可能性の高い原因と考えられます。

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 ⅱ A鑑定の難点は事故から16日後になって急激に症状が悪化したメカニズムについて具体的に説明できない点にあります。従って、この期間に他の原因が介在した「可能性」を否定し尽すことは原理的に不可能です。

   この視点からB鑑定を見ると、高熱、呼吸困難、発疹、全員倦怠感などの症状は感染症であると考える一応の理由があるので、B鑑定が正しいの「可能性」は捨て切れません。同様にC鑑定を見ると、本件事故から16日後の容体悪化までの間に何らかの事情(受傷)が介在した「可能性」も捨て切れません。この種の可能性を否定することはおおよそ不可能です。それゆえにこの種の可能性を過大に見ることは誤りとなります。

   従って、結論の妥当性から見てもA鑑定が正しいとすることに問題はないと思います。

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9 最初が最大論(悪化否定論)

 ⅰ 以上に対して、「事故による症状であるならば、事故直後の時期に最大の症状が出るはずであって、事故から2~3週間経過した後に症状が悪化することはありえない。」との考えに基づいた裁判例がしばしば見られます。この考えは、加害者側から出される恒例の主張に影響されたものです。

   この考えを信じている方は、「事故後に症状が送れて現れるとしても2~3日後までが限度であり、それ以上後に症状が出てきた場合には因果関係は認められない」との思考に陥ります。むち打ち損傷の著書には1週間後に症状が出ることに言及しているものがいくつかあり、この考えは事実に反します。

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 ⅱ 事故から一定期間経過した後に新たな症状が出たり、症状が重くなったりした場合において、加害者側は以下の主張をすることがよく見られます。「事故による症状は事故直後に最大の症状が出てその後は治療により改善することが普通であり、事故後に一定期間経過してから新たな症状が出たり、症状が重くなったりすることはあり得ない。」との主張です。これは「最初が最大論」ないし「悪化否定論」というべき恒例の主張です。

 ⅲ これは事故後に新たな症状が出たり、症状が悪化したりした事案のほぼ全てで加害者側が医学意見書などで主張してくる特殊な主張です。もちろん、誤りです。

   これまで解説した裁判例の中にも事故から2週間以上経過してから新たな症状が出てきた事案は少なくありません。むち打ち症に関する書籍の多くは事故後に症状が出てくる事案があることに言及しています。

   新聞などでも例えば柔道の授業で頭を打ったが、何も症状が出ていないのでそのまま続けるなどしたところ、数時間~数日後に急に倒れて重症になった(死亡した)との内容のニュースはたまに目にします。頭部の怪我の場合には事故から1~2か月してから症状が出てくる場合もあることは一般人の多くが知っていることでしょう。このような立場からは、本件で因果関係を肯定するのはごく当たり前のことです。事故後に入院していた本件では、事故以外の原因が作用した可能性はかなり低くなります。

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10 「高次脳機能障害」は疾患の名称ではない

 ⅰ ところが、自賠責では高次脳機能障害の要件として、事故直後からの意識障害を必須としているため、脳の障害の事例の場合には、事故直後に必ず症状が出るはずであるとの誤解に陥りやすい面があります。

   結論から言えば、高次脳機能障害で事故直後の意識障害を必須としたのは誤りというほかありません。この要件のために現実に症状の生じた方の9割以上が除外されていると思います。違うというのであれば、統計などのデータを見せて欲しいと思います。

RSDの3要件や高次脳機能障害の3要件については、現実に症状のある人のうちどれくらいの人がこの要件を満たすのかの統計があえて作られていないようにも見えます。公的な要件がその検証を受けることもなく、使用され続けることはあってはならないことです。CRPS(RSD)患者であっても自賠責でRSDの3要件を満たすとされる人は1%以下であろうということは、これまでも繰り返し述べてきました。

 ⅱ なお、高次脳機能障害という疾患が存在すると誤解している人が少なくないようですが、「高次脳機能障害」は疾患の名称ではなく、労災や自賠責での保護区分の名称です。障害者総合支援法や介護保険法では「高次脳機能障害」とは異なる保護区分が設定されています。

   行政施策ごとに設定される保護区分のうち、労災や自賠責では「高次脳機能障害」という名称の保護区分が設定され、保護されるための要件が「診断基準」の名称で作られました。

紛らわしいので、「保護区分D」、「保護区分Dに該当するための要件」との名称にした方が良いと思います。誤解を誘引するために紛らわしい名称を用いているようにも見えます。細かいことですが、労災と自賠責では保護区分に該当するための要件が異なります。自賠責の方が格段に厳しくなっています。

   従って、症状のある人のうちごく一部しかこの要件を満たさないことは制度それ自体が当然の前提としています。自賠責では要件が厳しすぎる点に大きな問題があります。私は、後遺障害等級を付されるべき症状の出ている人のうち1%以下しかこの要件を満たさないのではないかと危惧しています。

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 ⅲ 国際疾患分類には「高次脳機能障害」という名称の疾患は存在しないので、そのような疾患が存在しないことは争う余地がありません。しかし、上記の行政上の保護区分に影響されて、医学的な概念としての「高次脳機能障害」が生まれ、その概念が曖昧なまま運用されて、現実の症状やMRIの結果などを場当たり的に判断して、「高次脳機能障害」との診断が下されているため、混乱しやすい面があります。

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11 事実認定の空洞化

 ⅰ 本件の高裁判決は結論の妥当性の価値判断としても、A鑑定をそれ程重視していません。私は、現在においても本件の高裁判決と同様の価値判断に至る裁判官は少なくないと思います。

また、ルンバール事件等の最高裁判決の準則を前提として本件を検討した場合においても「高度の蓋然性」を認めない裁判官は少なくないと思います。この考えには法的に見ていくつかの誤りがあります。

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 ⅱ まず、「高度の蓋然性」を高く見すぎる誤りがあります。学説では「高度の蓋然性」は80%ほどの可能性と考えられています(例えば、和田『基礎から分かる民事訴訟法』276頁)。従って、「おそらく~であろう」との心証に至れば事実として認定することができます。これに対して、90%以上と誤解しているように見える裁判例をしばしば目にします。

   なお、学説の上では優越的蓋然性説が有力です。これは50%超説とも言われますが、実際には51%では足りず60%ほどとする趣旨と考えられています。須藤裁判官は60%対80%の対立図式で説明し、60%で良いとします(「民事裁判における原則的証明度としての相当程度の蓋然性」『民事手続の現代的使命』339頁)。私もこの考えに賛成です。

   いずれにしても、90%の可能性(蓋然性)を求めることは誤りで、80%を超える可能性があればその事実を認めることができることには争いがありません。

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 ⅲ 本件では、交通事故という現存する具体的な原因を挙げているA鑑定と、存在自体が確認されていない事情により結果が生じたとするB鑑定・C鑑定とでは、質的に大きく異なります。この状況において、交通事故が原因である可能性が80%を下回ることはないと思います。B鑑定やC鑑定は一般的・抽象的な他原因の存在可能性を述べたに過ぎません。

   本件の高裁判決が「B鑑定あるいはC鑑定の指摘する他の原因があったという可能性もいまだに捨てきれない」と述べていることからは、求める証明の度合いを高く設定しすぎる誤りに陥っていると考えられます。

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 ⅳ もう1つの誤りは、実質的な心証を形成しない誤りです。事実認定では、「何が起きたのか」との視点で、「生じた可能性が最も高い事実は何か」を探求する必要があります。即ち、事実認定のレベルでは獲得した心証をありのままに述べ、その後にその内容が事実として認定できるほどの証明の度合いを兼ね備えているかを検討する必要があります。

これに対して、自由心証に証明責任を取り込む誤りに陥り、実質的な心証を形成する以前の段階で証明責任を考慮に入れて、「~であるとの証明ができたといえるほどの証拠があるか」とのハードル型思考に陥っている判決をしばしば目にします。この誤りに陥ると実質的心証が形成されず、「とにかく証明責任を満たしたとは言えない」との判断がなされ、心証の空洞化が生じます。

本件の高裁判決が、「何が起きたのか」や「生じた可能性が最も高い事実は何か」の心証を述べることなく、「因果関係を肯認すべき高度の蓋然性があることについては証明がなかったことに帰する」と述べて心証が空洞化していることは、この誤りを示すものであると思います。

この2つの誤りはほとんどの場合セットになっています。この誤りは現在の裁判例にもしばしば見られるものであり、古くて新しい問題であると思います。

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12 むちうち損傷の概念

ⅰ 昭和40年代のこの時期の裁判例や文献では、「むち打ち損傷」の概念が今と異なります。頚部の過伸展や屈曲が生じる態様の交通事故は広く「むち打ち損傷」とされ、「むち打ち損傷」から生じる結果も軽度の症状から重症事案、死亡事案まで様々なものが含まれています。

  つまり、「むち打ち損傷→結果」との単純な図式で、「結果」には多種多様なものが含められています。本件も「むち打ち損傷による死亡」との図式で扱われています。

ⅱ 現在は「むち打ち損傷」に代わり「外傷性頸部症候群」との病名が定着し、対象とする症状もこの病名に合わせて限定されるようになりました。現在は事故の外形が「むち打ち損傷」でも、のちに軽度外傷性脳損傷、低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)、胸郭出口症候群、CRPSなどの診断が下されると、「むち打ち損傷」は軽視されます。

  私は「むち打ち損傷」を軽視することは良くないと思います。とくに因果関係判断においては、「むち打ち損傷→結果」との単純な図式の方が、本質を捉えていると思います。

即ち、事故の態様(原因)と症状(結果)に着目して、「その症状はむち打ち損傷から生じることがある類のものである」、「他の原因は見当たらない」との方式でシンプルに判断することが正しいと思います。

 ⅲ これに対して、加害者側は証明妨害のために色々な立証命題を被害者側に押し付けてくることが通常です。

例えば、CRPSの事案では、①「事故はCRPSを発症させるほどのものであるか」、②「事故後早期にCRPSを発症したといえるか」、③「被害者の症状はCRPSに由来するものと言えるか」との立証命題を次々と被害者側に押し付けてきます。

   これらを取り入れてしまうと「(A)CRPSを発症させるほどの事故→(B)事故直後のCRPSの発症→(C)CRPSに由来する症状」を検討する誤りに向かいます。

上記(A)と上記(B)の誤りは上で述べたとおりです。上記(C)が誤りであることはこれまでも繰り返し述べてきました。しかし、この誤りに誘導されてしまった裁判例はしばしば目にします。症状に着目すれば、事故直後から症状が連続していることが明白であるにも関わらず、CRPSとの診断が正しいかどうかにより因果関係が決まるというのは奇妙なことです。

   なお、診断は症状を大前提としてその評価として下されるものであり、診断が正しくとも、誤っていたとしても、変更されたとしても、その元となる症状は変わりません。従って、「病名→症状」の流れはその部分だけで誤りと断定できます。

ⅳ この理屈による弊害が最も強く出ているのは、脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)の事案です。交通事故後にこの病名が診断された膨大な数の事例(裁判例)が存在することは、交通事故(とくにむち打ち損傷)により、この病名に対応する一定範囲内の症状が生じることを裏付けます。

   ところが、裁判例では診断が正しいかどうかの無益な議論に終始して、その議論の帰結により症状の有無や程度を決める誤りに陥っているものが多く見られます。

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