無料ブログはココログ

« 典型的上肢CRPSを否定(25.10.31) | トップページ | 橈骨遠位端骨折とRSD(26.3.27) »

2014年8月 2日 (土)

CRPSと脳脊髄液減少症(25.10.30)

1 東京高裁平成25年10月30日判決(自保ジャーナル19071頁)

 (1審:新潟地裁長岡支部平成24年12月19日判決)

  この事案の特徴は、①事故後早期に左上肢のCRPS(RSD)と診断されていること、②その後に脳脊髄液減少症と診断されたこと、③胸郭出口症候群との診断も受けていること、などです。

 

2 症状の経過

ⅰ 被害者は45歳女子会社員です。平成13年7月15日に乗用車を運転停止中に追突事故(第1事故)に遭い、3年半後の平成17年1月25日に別の事故(第2事故、後退してきた車両に衝突された)に遭います。

平成18年に第1事故の、平成20年に第2事故の裁判が始まり、両者が併合されて判決が下されています。症状のほとんどは第2事故よりも前に出ているので、以下では第1事故を「事故」と呼び、第1事故を中心に述べます。「判決」とのみ書いたものは地裁判決です。

 

 ⅱ 被害者は事故後早期にCRPS(RSD)と診断され、その治療を受けて症状が少し改善し、1年2か月後からブラッドパッチを受けるなどして、後に低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)と診断され、訴訟では後者を中心に主張し、判決も後者を中心に検討しています。

   判決は加害者側の提出した医学意見に従ったために問題のある部分が多く存在します。この種の訴訟に提出される医学意見書のほとんどは問題のあるものであることや、その対処法は既に述べてきたとおりです。

 

3 CRPS(RSD)について

ⅰ 被害者は事故翌日には左上肢のだるさと痛み、頭痛(左側)、左肩、左肩甲部の痛みを訴え、2か月後には反射性交感神経性ジストロフィー(RSD)の疑いとされ、3か月後に左上半身のRSDと診断されています(21頁)。

  半年後の症状は、①左肩・肩甲骨から背部・上肢の痛み、②左背部の軽度腫脹、③めまい、ふらつき、④左背部・肩から上肢の感覚過敏、⑤左前腕尺側に軽度の筋萎縮、⑥左肩関節前方挙上、左肘関節屈曲・伸展に軽度の関節可動域制限あり、⑦左側の背部、肩から上腕の皮膚温低下などがみられる(22頁)とされています。 

 

ⅱ 上記のうち、①、②、④、⑤、⑥、⑦はCRPS患者に見られる症状であり、これらの症状を説明するほかの疾患が考えられないことや、日本版判定指標を満たすことから、この時点でCRPS(RSD)と診断したことは優に支持できます。

医学的には、この場合にCRPSではないと主張する場合には、その主張をする側においてこれらの症状をより合理的に説明できるほかの疾患をあげる(鑑別診断をあげる)必要があります。

 

ⅲ ところが、CRPSに限らず、訴訟では加害者側は鑑別診断(代替案)をあげることなく、診断基準を操作して「疾患Rであるとは言えない」と主張することが恒例です。

例えば、「CRPS(RSD)であれば症状P、Q、Rが絶対に生じる。被害者にはそれが生じていない。よって被害者はCRPSではない。」と主張します。この主張には、「よって、被害者の症状は根拠がないので否定するべきだ。」との逆転した主張が付随します。

  繰り返し述べてきましたが、CRPSに必須の症状が1つも存在しないことは世界中の全ての医師が認める定説で、全ての判定指標がこれを前提に作成されています。日本版判定指標も5項目のうち「いずれか2つ」を満たせば陽性とされます。なお、必須の症状が存在しないことは疾患として特別なことではなく、ほとんどの疾患で当てはまります。

 

ⅳ 地裁判決は、①被害者が灼熱痛を医師に訴えていなかった、②被害者を治療した医師が外傷性頚部症候群でも説明できるとか、頚椎部以外に左肩甲骨周辺から肩関節にかけての障害も疑われるとの意見を示したことがある、③星状節神経ブロックを施術しても症状は一進一退であった、④自賠責で非該当であった、などの理由で⑤RSDを発症したとするには「疑問の余地があり、直ちに認めることはできない」(36頁)とします。

  上記①はCRPSには必須の症状は1つもないので論外です。しかし、このレベルで誤っている裁判例は多く見かけます。

  上記②は、外傷性頚部症候群は具体的な疾患を意味するものではないので鑑別診断の対象とはなりません。そもそもこの意見はRSDと診断した医師が外傷性頚部症候群のみでは説明できない部分があるとの趣旨で述べた内容です(21頁)。

 

  上記③はCRPS患者であっても、神経ブロック療法の著効例は7%で、一時的な有効例を含めて30%程度に過ぎません(『ペインクリニック』30巻別冊春号247頁、『複合性局所疼痛症候群CRPS』15頁)。CRPS患者の中には神経ブロックで症状が悪化する方(ABC症候群)もいます。しかし、一部であっても著明な効果が生じる患者がいるため、ほとんどの患者にこの治療が試みられます。また、一時的であれ疼痛緩和には意義がある(痛みの持続が症状の悪化をまねく)ため、通常は神経ブロックなどの疼痛緩和の治療が繰り返されます。

  本件の被害者は神経ブロックによる症状の改善が見られたため、1日に2回もの星状神経節ブロックの施術を受けており、非常に強い痛みが生じていたことが優に認められます。このことはRSD(CRPS)との診断を肯定する根拠となります。

  上記④は自賠責ではRSD(CRPS)であるかどうかを判断しないという基本構造を理解できていません(判断すれば医師法違反となります)。また、「自賠責はこう言っている。」としてその根拠を検討しないことは、裁判所が判断を放棄しているようにも見えます。

  上記⑤は訴訟で診断を検討することの法律的な意味を理解できていないため、「疑問の余地があるので直ちに診断が正しいとは認められない」との論理になったように見えます。この点は他の裁判例でも多く見られる深刻な誤りですので、項目を分けて述べます。 

 

4 診断は症状の存在を前提とした評価である

 

 ⅰ 症状と診断との間に「診断が正しいので症状が存在する」という関係や「診断が誤りなので症状は存在しない」との関係はありません。症状の存在は常に大前提であって、診断の適否に関わらず症状の存在は認められます。荒っぽいたとえですが、死亡診断書の傷病名が間違いだからと言って、死亡していないことにはならないのと同じです。

では、なぜ訴訟で診断の適否を検討するのでしょうか。この点の問題意識がないまま漫然と診断が「正しいといえるか」を検討している裁判例をしばしば目にします。

 

 ⅱ 訴訟で診断を検討するのは、通常は「治療の過程である医師がある診断を下した」との事実が存在するからです。例外的に、訴訟になってから鑑定などで「本当は疾患Rではなかろうか」として診断が検討されることもあります。

 

   「患者の症状と検査結果から医師がある診断を下した」との事実は、その症状を説明する理屈として医師がその病名を用いたという間接事実です。診断した病名だけではなく、その根拠となった症状(主要事実)が分かっていれば、この間接事実にはあまり意味はありません、診断は治療の過程で行なわれる医学的行為であって、訴訟で事実を認定するための行為ではありません。

 

 ⅲ ところが、診断を否定すれば被害者の主張する症状は認められなくなるとの誤解から、診断の適否を検討しているように見える判決は少なからず見かけます。

   この考えの根底には、①被害者の症状や検査結果から疾患Rであると判断できる場合には、②被害者の症状は「疾患Rによって引き起こされた症状」(由来する症状)となり、③疾患Rにより被害者の症状が合理的に説明できるようになり、④症状の存在が裏付けられる、との論理が存在するように見えます。

   しかし、被害者の症状を前提に疾患Rと診断し、その結果、「疾患Rに由来する症状」として被害者の症状が裏付けられるとするのは、たんなる循環論法です。

 

 ⅳ 循環論法であることはおくとして、「疾患Rに罹患したから疾患Rによる症状が引き起こされた」との関係性はほとんどの疾患で成り立ちません。現実には一定の症状と検査結果から、診断が下されます。

 

   CRPS患者の症状も様々な態様があります。日本版判定指標は5項目のうちいずれか2つを満たす場合(仮に5項目をA~Eとすると、AB、AC、AD、AE、BC、BD、BE、CD、CE、DEの10通りのパターンがあります)に陽性(感度約80%)となります。つまり、CRPS患者の8割は10通りもの症状の出方をしていて、残りの2割はそれとは異なる症状の出方をしています。

   この前提においてCRPS患者の症状をCRPSに罹患したことにより引き起こされた症状と見ることは現実に合いません。実際には様々な要因から一定の症状が一定の重症度になることにより、CRPSと評価されています。

 

5 診断が否定された場合の方が症状を合理的に説明できる

 

 ⅰ 現実の問題として、被害者の症状を生じさせている傷病名が分からなければその症状がどの程度であるのかがよく分からないという実感は存在すると思います。そこで傷病名に注目することは自然な感覚です。この考えを突き詰めると、症状そのものよりも症状を生じさせた傷病名の方が大切であるという感覚に行き着きます。

   この感覚から、「被害者はCRPSであるとは言い切れない。よって、被害者の症状が重い症状とは言い切れない。」との理屈が生み出されるようです。つまり、傷病名の方が大切なので傷病名の方が主要事実になって、症状がそこから導き出されるという理屈です。しかし、これは単なる循環論法で、しかも診断の実態に合わないことは既に述べたとおりです。

 

 ⅱ 正しい方法(鑑別診断)で診断の適否を検討した場合は、診断が否定された場合にこそ症状の存在がより合理的に説明できるようになります。

 

   例えば、患者の症状(A~E)を確認した医師が線維筋痛症と診断したとして、鑑別診断によりCRPSと修正された場合を想定すると、その鑑別診断が正しいとされたのはより合理的に患者の症状を説明できるからです。

   この場合には新たな病名によって「より合理的に症状が裏付けられた」という見方もできそうですが、検討対象の症状は同じです。

 

   鑑別診断の考えはポパーの反証主義に通じるものがあります。即ち、全ての理論はそれを絶対的に正しいとする根拠を得ることはできず(経験主義)、たんに現時点で反証を免れているに過ぎない。より多くの反証を克服することにより理論はより高い信頼性を得ることができる。反証が認められた場合でもその反証が絶対に正しいわけではないが、理論はより真理に近づいたといえる。この過程を確保するために理論は反証可能性を有していなければならない。

   つまり、ある診断が下されたとしてもそれが正しいと断定する根拠はなく、反証(鑑別診断)により診断が変わる可能性は常に存在します。より多くの鑑別診断を受けた診断は信頼性が高まります。 

 

 ⅲ 以上に対しては、例えば食あたりだと思われていた患者が実は胃ガンであったという場合には、患者が訴える腹痛への評価は異なるはずであり、腹痛という同一の対象であっても、他人による評価という間主観的な尺度で見れば症状の強さに格段の違いがあるという反論が考えられます。

   しかし、これは例示内容に問題があります。一定期間続いた腹痛その他の症状を生じる疾患として合理的な範囲内での比較検討であれば、診断の適否により症状の見方が変わることはありません。重度の胃潰瘍の症状と胃がんの症状とでは前者の方が重くても特に問題はないと思います。

 

 ⅳ まとめ

「医師Aが患者PをCRPSと診断した」という事実は、その診断が誤診であるかもしれないとしても、その医師がその診断を下すほどの症状を患者に確認した事実を意味します。従って、この限度において診断は(漠然とした)症状の存在を裏付ける間接事実です。但し、診断の基礎となった具体的な症状が判明している場合には「診断により症状が裏付けられる」との関係は認められません。

また、医学的に正しい方法(鑑別診断)でその診断が否定された場合には、患者の症状は「より合理的に説明できる」という意味において裏付けられています。但し、対象となる症状そのものは変わりません。 

 

6 間接事実に証明責任を適用する誤り

 ⅰ 傷病名が主要事実であると誤解して、「疾患Rであると認めるに足りる証拠はない」などの形で認定している裁判例はしばしば見られます。本件では、RSDとの診断について、「疑問の余地があり、直ちに認めることはできない」との理由で否定の結論を導います。

 

   この部分には4点の誤りがあります。①傷病名は主要事実ではなく間接事実です。②かりに証明責任が適用される事柄であったとしても、求める証明度が高すぎます。③「証明責任は自由心証が尽きたところでその機能を開始する」(定説)とされているように、証明責任は事実認定の道具ではなく、自由心証で事実が認定できなかったという異常事態において結論(法規の適用)を決める道具です。④自由心証に証明責任を取り込むことは誤りです。

 

 ⅱ 最高裁判決が述べる「高度の蓋然性」は80%ほどの心証(証明度)であるとされています。従って、「おそらく~であろう」との心証であれば足ります。アメリカでは証拠の優越(50%超原則)とされていて、この見地から80%ほどの心証では高すぎるとの批判があります。

以上に対して、「確実」ないし「ほぼ確実」(95~99%)とのレベルの証明度を求めることは誤りです。この誤りに陥ると、表見証明、一応の証明、間接反証などの民事訴訟法概念が機能する余地を失います。 

 

ⅲ この判決は間接事実についても全般的に「~であると認めることはできるか」との視点で検討していて、「何が起きたのか」の視点で実質的な心証を形成していないことが気にかかります。

間接事実についてはそこから得た心証をそのまま述べる必要があります。これにより初めて主要事実の存否を推論する基礎とすることができます。ありのままの心証を基礎としなければ、正しい推論はできません。

 

例えば、数学の問題を解く過程では無理数などはそのままの形で保存(記号化)してその先に進む基礎とします。これに対して「π(3.14…)」という記号を用いずに「3以下であるとは認められない」と結論付けると先に進めません。

 

事実認定も同じで、ある事実について「おそらく~であろう」、「~であるとするのは躊躇する」、「この事実からは~とは考えにくい」、「~の事実と整合する」などの形で各事実に即したありのままの推論を示すことによって、その先の推論の基礎となります。そもそも間接事実については「~であるとは認められない」との結論を出す必要もありません。

しかし、間接事実についてありのままの心証を述べることをことさらに避けている裁判例は少なくありません。「誤った判断を述べてはいけない」という考えからできるだけ心証を開示せず、「確実に~と認めるに足りる証拠はない」という言い方に逃げているように見える裁判例は少なからず見られます。

 

もちろん、主要事実においてさえも「確実」との心証を求めることは正しくありません。求める心証を必要以上に高くすることは事実に即した認定から遠ざかります。事実に最も近くなるためには「生じた可能性が最も高い事実は何か(何が生じたのか)」の視点で検討する必要があります。

その検討を総合した結果、「高度の蓋然性」をもって主要事実の存否を判断できない場合に、初めて証明責任を持ち出して結論(法規の適用)を決めることとなります。

従って、主要事実を認定する場合においても、いきなり「~であると認めることができるか」という視点を持ち出すのはまずく、「何が起きたのか」との視点でその事案を解明できた度合いをそのまま記述し、解明できていない部分について、その度合いが主要事実に求められる証明度に達していないことを示した上で、やむを得ない最終手段として証明責任に結論をゆだねることになるはずです。

 

7 背理法無視の誤謬(他事情考慮の欠落)

 ⅰ 本件で被害者がRSDと診断されたことは、「被害者の症状や検査結果等について医師がRSDと評価できるとして、その診断を下した」との意味を有する事実です。

   もちろん、のちに行なわれた別の精密検査により、別の診断が下された場合においてもこの事実自体は不変です。「その状況をより合理的に説明できる対案が提示され、その対案の方が優れていたから対案を支持する」との状況が生じたとしても、最初に下された診断の元になった症状が否定されるわけではありません。むしろ逆に症状がより合理的に説明できるようになるはずです。

 

 ⅱ 判決の最大の問題は、事故の半年後に確認された症状がCRPS(RSD)ではないとした場合に、その症状をより合理的に説明する傷病名が存在しないことです。これは背理法無視という基本的かつ致命的な誤りです。この場合の背理法は、①「A」または「A以外」である(排中律)、②「A以外」ではない、③よって「A」である、との単純な論理です。

論理の基本原則である背理法を無視した思考に基づき「とにかく『確実にRSDである』とは言えない。よって、RSDであるとは認められない。RSDではないとした場合の候補は見当たらないが、実際に何であるかは関知しない。」との論理は、それ自体が誤りであるというほかありません。これに対して、被害者側は「ではRSDではないとしたら、一体この症状をどうやって説明できるのか」と憤ることでしょう。

   裁判例においては「他の妥当な説明が見当たらない」、「他に考えられる事情はない」、「他の原因は考えられない」との論理を用いる事実認定は多く見られます。

 

 ⅲ 最高裁判例には、因果関係判断については他原因考慮(それでないとした場合に他に原因がありうるか)との点から、相当の可能性がある具体的な他原因をあげなければ、一応の証明ができている原因を否定できないとする準則を述べる一連の判決があり、この準則を前提とする概括的認定に関する一連の判決もあります。

   最高裁判例からは、一定のレベルで証明ができている事柄について、代替案も示さずに「『確実にAである』とは言えない」との理由のみで否定することは誤りとされます。これは論理の基本原則ないし一般的な常識からも当然というべきでしょう。

   従って、医師が症状を列挙してこれに基づいてある診断を下した場合には、その診断を否定するためには代替案(鑑別診断)をあげなければならないことは、医学的な常識であるとともに最高裁判例の事実認定の準則にも合致します。

 

 

8 胸郭出口症候群について

 ⅰ 被害者については、2年4か月後のカルテに胸郭出口症候群との記載があり、2年8月後と3年1か月後に作成された後遺障害診断書に胸郭出口症候群と記載されています(36頁)。その根拠として血管造影検査の結果。左右の鎖骨下動脈の径に差があるとされているようです。この診断は被害者についてRSDと診断した医師ではなく、外傷性低髄液圧症候群とした医師により行なわれています。

低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)が問題となる事案では、これに併せて胸郭出口症候群の診断も下されている事案は少なからず見られます。このタイプの事案では低髄液圧症候群が中心的に議論されていて、胸郭出口症候群の診断根拠がはっきりしないものが多く見られます。本件もこれに属します。

 

 ⅱ 本件では事故後の被害者の症状の経過からは、胸郭出口症候群による神経損傷を基盤にしてCRPS(RSD)を発症したように見えます。

   即ち、事故翌日に被害者が訴えた、左上肢のだるさと痛み、頭痛(左側)、左肩、左肩甲部の痛みは胸郭出口症候群の典型症状です。

 

   上記のとおり半年後の症状は、①左肩・肩甲骨から背部・上肢の痛み、②左背部の軽度腫脹、③めまい、ふらつき、④左背部・肩から上肢の感覚過敏、⑤左前腕尺側に軽度の筋萎縮、⑥左肩関節前方挙上、左肘関節屈曲・伸展に軽度の関節可動域制限あり、⑦左側の背部、肩から上腕の皮膚温低下などがみられる(22頁)とされています。

   このうち、①、④は胸郭出口症候群でよく見られるもので、③のめまいなどの愁訴も胸郭出口症候群でしばしばみられる症状とされています。また、⑤は胸郭出口症候群による神経損傷により生じたものとして説明できます。筋組織は神経の支配が失われると萎縮を生じます。

   一方で、②の腫脹、⑥の肘関節の可動域制限、⑦の皮膚温低下は胸郭出口症候群のみでは説明しにくく、これを基盤としてCRPS(RSD)の段階に至ったと見るべき症状と言えます。

   なお、可動域制限(⑥)については、胸郭出口症候群で肩関節の可動域制限が生じている事案はしばしばみられますが、その可動域制限が肘関節や手関節に及んでいる場合や、可動域制限が重くなった場合にはCRPSの段階に至ったと見るべき要因となります。

 

 ⅲ 胸郭出口症候群が基盤となってCRPS(RSD)を発症したと思われる事案は裁判例では少なからず見られます。

最初に胸郭出口症候群との診断を受けた場合には、その後に症状が悪化し続けて「ここまで重症化したらCRPS(RSD)と診断するべきではないか」と思われる状況となっても、胸郭出口症候群の診断を維持していることはしばしば見られます。

   逆に最初にCRPS(RSD)との診断を受けた場合には、そこに至る過程で胸郭出口症候群を生じているように見えても、その検査を受けていないことが多く見られます。 

 

9 脳脊髄液減少症を検討する意味について

 ⅰ 本件では、脳脊髄液減少症について、①モクリ基準、②国際頭痛分類基準、③神経学会基準、④研究会ガイドライン、⑤厚労省報告書基準などに言及して検討しています(26頁以下)。

   どうしてこれらの基準を列挙して検討しているのかというと、やはり、「正しい基準」がどれであるのかを判断したいからでしょう。判決は、①被害者が脳脊髄液減少症に罹患していれば、②被害者の症状は『脳脊髄液減少症に由来する症状』となり、③傷病名の裏付けのある症状となる、との考えでこの検討をしていると考えられます。

   その前提として、脳脊髄液減少症という疾患についての医学的に正しい診断基準を当てはめることによって、被害者が脳脊髄液減少症に罹患しているかどうかを正確に判断できるとの考えから、上記の各診断基準の比較検討をしていると考えられます。

 

 ⅱ けれども、やはりこの考え方は構造自体に問題があると思います。仮に、脳脊髄液減少症の診断が正しいとされたとして、そこから導かれる患者の症状というものは存在するでしょうか。

   これが循環論法であることはひとまず措くとして、患者の訴える症状と検査結果をもとに脳脊髄液減少症と診断し、その結果患者の訴える症状が「診断が正しいというお墨付き」のある症状となり、その症状の存在を認めることができるという関係性は認められません。

   脳脊髄液減少症の患者にも色々な症状があり、診断が正しいからと言って具体的な症状が導かれるわけではありません。診断は症状の存在を大前提として、これに対する評価として下されるものであって、診断の適否により症状の有無や程度が左右される関係は存在しません。

上記の脳脊髄液減少症についての各種の診断基準は、それぞれが対象とする病態が必ずしも一致していません。このためそのまま診断基準の優劣を検討することができないという問題もあります。

仮に対象とする病態が一致していたとしても、診断基準の優劣の検討は「より多くの患者を適切に選別できるかどうか」との視点で行なわれるので、診断基準が正しいかどうかという意味での検討は次元が異なります。

 

 ⅲ 診断を否定しても症状の存在は否定されないため、ある診断を否定するためには、その診断に取って代わって症状を説明することのできる別の病名をあげる(鑑別診断をあげる)必要があります。

   診断基準とされるもののほぼ全部は、その基準のみで全ての患者を選別できるものではなく、通常はその疾患に罹患していても診断基準を満たさない患者が1~2割ほど存在します。この場合には鑑別診断により、他の疾患の可能性を否定した上でその疾患の診断が下されます。

これに対して、判決では全ての脳脊髄液減少症患者を1人残らず選別できる「正しい診断基準」という架空の存在を想定して、それが何であるかを検討しているように見えます。このため診断基準を列挙して検討するという手法を取っています。

 

 ⅳ 本件で現実に存在する事実は、「その被害者の症状や検査結果から、A医師が脳脊髄液減少症と診断した」との事実です。即ち、①被害者にある一定の症状と検査結果が存在していて、②それらはA医師が脳脊髄液減少症と評価できるものである、との事実です。

上記②の「A医師が脳脊髄液減少症と評価したこと」は事実であるので、事実自体は否定できません。そこで、「本当は脳脊髄液減少症ではない」という次元の異なる主張をすることとなりますが、この主張ではA医師が確認した症状を否定できるはずがありません。被害者の症状の存否や程度に関しては、診断の適否を検討することにあまり意味はありません。

このことは医学的に正しい手順に従い、被害者の症状を説明できる別の疾患をあげて、その疾患により被害者の症状が説明された場合を想定すれば明らかでしょう。

 

 ⅴ 脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)が問題となる事案においては、胸郭出口症候群やCRPSだけではなく、高次脳機能障害や軽度外傷性脳損傷などの別の疾患の診断も受けていることがしばしばあります。

この場合には、脳脊髄液減少症の病名が対象とする症状はどの範囲のものであるのかはっきりしない裁判例がほとんどです。脳脊髄減少症と他の疾患があいまって症状を生じさせているとの趣旨で、かなり広い範囲の症状を脳脊髄減少症で説明しようとしているように見えます。

 

10 症状をいかにして認定するべきか

 ⅰ 「診断が正しいから症状が存在する」との考えや、「診断が正しくないので症状の存在は認められない」との考えが誤りであることは明らかです。また、診断が正しいとされたことにより、「正しい診断というお墨付きのある症状」になるとの考えも同様に誤りです。

   診断は症状を前提として、その評価として下されるものであるとの基本的な考えからは、診断の適否をいくら検討しても症状の有無や程度は見えてこないはずです。症状の有無や程度を判断するためには、症状そのものにより近い証拠を吟味するべきです。

 

 ⅱ 被害者の症状の存否や程度に関しては、①被害者本人の訴え、②それを医師が確認したこと、③検査結果、④治療内容、⑤治療期間、⑥就労や日常生活への影響、⑦診断(症状を確認した医師の評価)、⑦その他の事情を総合して認定する必要があります。

 

   事故後の通院状況や治療内容から「本当に痛くて治療を続けているのであろう」と考えられる場合はしばしば存在します。扶養家族がいるのに就労できずに治療を続けている事情などから被害者の症状の重さを推し量ることもできます。事故前に10年以上まじめに就労していたのに就労ができなくなったとの事情も症状を裏付けます。この種の判断は一般人の常識感覚からは当然のことであり、「弁論の全趣旨」から心証を形成する訴訟でも同様です。

   ところが、上記のうちの診断のみに着目して、しかも、診断の適否にのみ着目し、さらに代替案(鑑別診断)をあげずに診断の適否を検討し、症状の存否を判断することは、やはり感覚としても非常にずれていると思います。一般人からは「裁判官は頭が固いなあ。どうして症状に関連する他の多くの事情に目を向けないのだろう。」と見られると思います。

 ⅲ もちろん、裁判例のなかには通院や治療の状況などから心証を形成して、傷病名に拘らないものも多く見られます。

   最近のものでは横浜地裁平成24年7月31日判決(判例時報2163号79頁)は、被害者について「脳脊髄液減少症の疑いが相当程度ある」との認定で、事故後の症状や治療経過から後遺障害を認定(9級)しています。

   京都地裁平成23年11月11日(自保ジャーナル1871号29頁)は、CRPSの事案で「病名としては不確定であるが、症状として難治性疼痛がある事実は認められ、発現時期等から、本件事故に起因するものである蓋然性が認められる」としています。

   東京高裁平成22年9月9日判決(自保ジャーナル1832号1頁)は「WHOの定めた軽度外傷性脳損傷に関する平成16年の定義に該当するか否かについては本件訴訟においてそれを確定することが必要であるわけではない。本件訴訟において重要なことは本件事故によって(被害者)が頭部に衝撃を受け脳幹部に損傷を来してこれを原因として後遺障害を残存させたかどうかである」としています。

1 存在を認めなかった症状について

 ⅰ 判決は、被害者に対するCRPS、胸郭出口症候群、低髄液圧症候群との診断を「正しいとは言えない」という形で証明責任によって否定する形になっています。その結果、診断の基礎となった症状を裏づけのない症状であるとして被害者の症状を否定する方向に向かっています。

   この部分の構造的なまずさは上記のとおりですが、その結果として被害者の症状の一部を詐病であるとしてその疑いを述べています。即ち、①視力低下、②光過敏、③音過敏、④歩行不能、⑤立位保持困難、⑥座位維持困難、⑦思考力の低下、⑧記憶力の低下、⑨集中力の低下、⑩気力の低下などを列挙して、「そもそも原告にかかる症状が生じているか疑問がある」(37頁)と述べています。

   その理由として、①視力低下については事故から半年後にその訴えがあると述べ、①から⑩について事故直後に受診した病院ではそれを裏付ける明確な他覚所見がないとします。 

 

 ⅱ しかし、交通事故後にしばらくして視力の低下を訴える事案はしばしば見られます。①から⑩はその性質上、「明確な他覚的所見」(この表現には問題があります)を得られにくいものです。そのこと故に詐病を疑うというのも疑問です。

   不定愁訴(医学的に説明できない症状)を訴える患者は、総合診療の現場の1033%を占めると言われています(『不定愁訴の診断と治療』3頁)。その症状が存在しないと考える医師はまずいません。

 ⅲ 判決は「他覚的所見」を画像所見などに限定する意味に誤解しています。「他覚的所見」は医師が五感の作用により確認できた全ての症状を意味します。患者の協力を得て看取した症状も当然に「他覚的所見」とされます。このことはこれまでにも繰り返し述べてきたとおりです。

   他覚的所見の意味を誤解している判決では、「他覚的所見のないものは14級で、あるものは12級」との誤りと抱き合わせで誤解していることが通常で、この判決もこの誤りを取り込んでいます。

   「他覚的所見」は医師が看取した全ての所見であるため他覚的所見の有無では区別できないので、『青い本』では12級と14級は証明と説明の違いとしています。訴訟では、全ての証拠を総合的に吟味して心証が取れれば「証明あり」と単純に考えれば足りる話です。

画像があるから認めるという証拠の制限は、弁論の全趣旨から自由に認定でることを骨格とする自由心証主義に反します。

 ⅳ また、①から③はバレリュー症状などとして裁判例ではしばしば目にします。判決がめまい、ふらつき、耳鳴りの存在を認めつつ、①から③を否定することは、一貫しません。

上記の⑦から⑩に関して、強い痛みが続くと痛みによる健忘症や集中力の低下は多く見られます。被害者が事故の2か月後という早期にRSDを疑われ、1日2回ものブロック注射を受けてきた事情からは、⑦から⑩が存在することは特に疑うべきことではないと思います。

   さらに、④から⑥については、被害者が長期間訴えてきた症状であり、後遺障害診断書にもその記載があることや、被害者の受けてきた治療内容からは、現実にもその症状が存在していると考える方が穏健であると思います。 

 

 ⅴ 判決はCRPS、胸郭出口症候群、低髄液圧症候群を発症したことを認めなかったことが症状を否定することに直結するとの誤った思考から、症状の一部のみ(頭痛、頚部痛、めまい、ふらつき、耳鳴り、左肩・左肩甲部・左上肢の痛みやしびれ)を認め、それ以外を否定しています(37頁)。

   そのすぐ下の部分で、認めなかった症状についてその存在が疑わしいとして後付けの根拠を述べているのですが、証明責任で結論を決めた後で泥縄式にこの結論に従った事実認定をしているように見えます。この部分も構造的にまずいと思います。

   自由心証で実質的な心証を得られなかったために、証明責任に頼って結論を決めたはずであるのに、その後にその結論をもとに別の事実を認定することは、事実認定の構造としても難があります。

   判決は「~であると認めることはできるか」との形で証明責任を先取りした事実認定(自由心証に証明責任を取り込む誤り)をしており、この誤りのために証明責任を適用した結論を元に自由心証で事実認定を行なう誤りが無意識に生じているように見えます。

« 典型的上肢CRPSを否定(25.10.31) | トップページ | 橈骨遠位端骨折とRSD(26.3.27) »

CRPS/RSD」カテゴリの記事

事実認定」カテゴリの記事

低脊髄圧症候群/脳脊髄液減少症」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1413382/56971588

この記事へのトラックバック一覧です: CRPSと脳脊髄液減少症(25.10.30):

« 典型的上肢CRPSを否定(25.10.31) | トップページ | 橈骨遠位端骨折とRSD(26.3.27) »