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2014年6月 5日 (木)

典型的上肢CRPSを否定(25.10.31)

1 東京高裁平成25年10月31日判決(自保ジャーナル191338頁)

 (1審:水戸地裁麻生支部平成25年5月17日判決)

  この事案の特徴は、①典型的な上肢CRPSの症例であること、②自賠責の3要件を診断基準と誤解したこと、③上肢がむくんで腫れ上がった典型症例を逆に筋萎縮がないとして詐病と認定したこと、④左上肢機能の全廃(5級相当)を主張した被害者を14級相当としたこと、⑤由来する症状論を述べていることなどです。

 

2 症状の経過

ⅰ 被害者は症状固定時46歳の主婦です。平成20年8月16日に乗用車に同乗していて交差点で普通貨物自動車と出会い頭衝突する事故に遭います。被害者は事故直後からB病院に52日入院し、その後もB病院に通院して、約1年8か月後の平成22年6月23日に症状固定とされ、主治医は左上肢CRPSによる左上肢の拘縮とし、これに基づいて被害者は左上肢機能の全廃による5級相当の後遺障害が残存したと主張しています。

地裁判決は自保ジャーナル3頁分しかない非常に簡潔なもので、事故後の治療・症状の経過には触れていません。治療費が951万734円と高額であることからB病院以外にも通院していると思われますが、詳細は不明です。

高裁判決は事故直後の診断名は左肘打撲であった(44頁)としているので、この受傷や頚椎捻挫などがきっかけでCRPSの症状に至ったようです。高裁判決は症状固定時期を事故から約1年後の平成21年8月21に早めている(44頁)ことから、症状の進行の早い症例であったと思われます。

 

 ⅱ 地裁判決が非常に簡潔である理由として、①自賠責の3要件をCRPSの診断基準と誤解して直ちに結論を出したこと、②地裁支部の事件であること(大規模庁の交通事故専門部ではない)、③提訴した側も公設事務所の若い弁護士であること(公設事務所は種々雑多な仕事があり、専門的な訴訟をじっくりやることが困難な状況にあると推測できます)、④裁判官が加害者側の医学意見書を信じて簡単に結論が出せると考えたこと、⑤通院の状況や症状の経過などを後遺障害認定に際して重視する考えを持っていないことなどの事情が考えられます。

 

 ⅲ 自賠責では14級9号とされています。主治医の判断をそのまま採用した場合(5級)とは天と地ほどの違いがあります。なお、地裁判決にも高裁判決にも自賠責の認定理由は引用されていません。

   繰り返し述べてきましたが、CRPSに罹患していても自賠責の3要件基準を満たす人は1%以下と推測できます。平成15年に3要件基準が制定される以前は本件類似の症例は自賠責で重い後遺障害等級が認定されることも少なくなかったのですが、3要件基準が制定された以後の事故では自賠責ではほぼ全てが12級以下と認定されているようです(但し、労災では12級より重いと認定されることも少なくないようです)。

   自賠責では傷病名に関わらず後遺障害の度合いのみを判断することが原則です。3要件基準はこの原則の重大な例外として、重症事案を狙い撃ちして制定されています。その不合理はこれまで繰り返し述べてきたとおりです。

 

3 CRPSの典型症例であること

 ⅰ 主治医は被害者の左上肢の肩・肘・手・手指に著名な拘縮を認めるとしています(48頁)。また、上肢全体にむくみ(腫脹)が生じています。主治医の判断に従い、被害者は5級相当の後遺障害と主張しています。

   上肢全体に痛みが生じて腫れ上がった(むくんだ)状態となり、関節拘縮が生じる症例はCRPSの典型症例です。交通事故によるCRPSの裁判例においても、約半数は上肢全体に症状が生じている症例です。

 

 ⅱ 上肢の各関節の可動域を偽装することは非常に困難で、上肢の全ての関節の可動域を偽装することは不可能と容易に断言できます。例えば医師が患者の肩を固定して肩関節の屈曲、伸展をする(上肢を前後に動かす)場合に、患者が腕を突っ張って微妙な小さい角度での病的な抵抗を偽装することはまず不可能です。腕力の弱い女性が症状を偽装することはなおさら不可能です。肩関節だけではなく肘関節や手関節の症状をも偽装することはより一層不可能と言えます。

この典型症例においては、被害者の詐病や医師がそれを見落とすことはまず考えられないという特徴があります。従って、可動域測定の結果を否定することは、医師と患者の共謀を認定したことを意味します。

 

 ⅲ 裁判例によれば、この重症化した典型症例においても加害者側はほぼ全ての場合に被害者の後遺障害のほぼ全てを否定する主張を行い、その主張を裏付ける医学意見書や鑑定書を提出しています。この外形が理解できていれば加害者側が恒例として出してくる「問題のある医学的知見」(筋萎縮必須論や骨萎縮必須論など)を信じることもないと思います。

   医学的な争点が問題となる交通事故訴訟においては、加害者側はそれぞれの傷病に応じてパターン化した「問題のある医学的知見」のセットが書いてある医学意見書を出してくることが多くみられます。その内容は専門知識を駆使した巧妙なものであることが通常で、巧妙な法律論に誘導するものも多く見られます。

 

 ⅳ 残念ながら私の経験では本当に医師が書いたと私が信じることができた医学意見書はほとんど見たことがありません。その事件と同種の事件で恒例の「問題のある医学的知見」を列挙している医学意見書が出されることがほとんどです。

 そこで、私の事件では「本当に名義人の医師が書いたのであれば、『間違いなく自分が書いた。補助者もいない。』と一筆書いてくれないでしょうか。」と相手方に釈明を求めることが通例となっています。ほとんどの事件で相手方はその釈明に回答せずに逃げ回り、こちらは仕方なく5回、10回と求釈明を繰り返す状況となります。この具体的な方法については以下のエントリーで述べています。

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「損保側医学意見書への対応法」

http://s-hat.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-46d0.html

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   仮に万が一、名義人以外の人がその医学意見書の作成に関わっていたのに「自分ひとりで書き上げた」と嘘の回答し、その回答の内容が医学的にも重大な疑問のあると認定されれば、構造計算書の変造事件とは比較にならないほど重い罪に問われることでしょう。現実に重度の障害に苦しんでいる人に対して意図的な嘘として「詐病だ」と主張するわけですから。私の求釈明に答えられない名義人が少なからず存在するのは、もしかしたらそのような事情が影響しているのでしょうか。

 

4 3要件基準は診断基準ではない

 ⅰ 繰り返し述べてきたことですが、CRPS(RSD、カウザルギー)において必ず生じる症状は1つたりとも存在しません。これは世界中の医師が認める定説で、各種の判定指標もこれを前提に作られています。このことは日本版のCRPS判定指標を見れば即座に理解できると思います。

 

 ⅱ 労災や自賠責においてさえも3要件基準はRSDであるかどうかを診断する基準ではないこともこれまで繰り返し述べてきたとおりです。

労災や自賠責の認定係は、医師資格を有していることは必須ではありません。仮に自賠責で診断が行なわれれば医師法違反(犯罪)となります。医師の診断の適否を判断することも医師法違反となります。それゆえ自賠責では診断された病名に関係なく、医師が判断した後遺障害の程度を判断することが原則となっています。この基本的なことを知っていれば、自賠責の3要件基準を診断基準と誤解することはあり得ないと思います。

 

 ⅲ 労災や自賠責ではカウザルギーは医師の認めた診断と症状をもとに後遺障害の程度を判断し、RSDについては3要件を満たす場合にはカウザルギーと同様に扱われるとしています。つまり、3要件基準はRSDをカウザルギーと同様に扱うための要件であって、RSDであるかどうかを診断(認定)する要件ではありません。

   なお、3要件を満たせば医師の診断した症状が存在する前提で後遺障害の程度を判断することになるので、3要件基準が後遺障害の程度を判断する指標になることもありません。

   このように労災や自賠責において3要件基準が診断基準ではないことや、後遺障害の程度を判断する指標ではないことは、普通に基準を読めば簡単に理解できるはずです。しかし、なぜか誤解する人が多くいます。

 

 ⅳ 労災や自賠責の枠組みは、カウザルギー(神経損傷が確認されたもの)とRSD(神経損傷が確認されていないもの)という区分のもとで、RSDにおいては神経損傷が確認されていないことから、特に3要件を満たす場合にカウザルギーと同様に扱うとしたと理解できます。

   但し、臨床での大規模調査による統計上の事実として、3要件を満たすRSDが1%以下と推測できることからは、3要件基準には合理性がないことは既に判明しています。これらは繰り返し述べてきました。

 

 ⅴ ところが3要件基準が制定された以後の裁判例では、加害者側は3要件基準を診断基準であると主張することが恒例となり、この誤った主張を採用した裁判例が多く見られるようになりました。

   また、加害者側は3要件を満たす度合いが重症さの度合いであるとの誤った主張をすることが普通になり、特に骨萎縮がなければ重症ではないとする主張は恒例となりました。この誤った主張を採用した裁判例も多く見られるようになりました。

 

5 3要件基準の当てはめについて

 ⅰ 自賠責では本件のような重症化した典型症例であっても、3要件の各要件を1つたりとも満たさないとしているものを多く見かけます。本件では主治医は左肩・肘・手関節・手指に著明な拘縮を認めたと診断書に記載しています(48頁)が、このような場合でも、「関節拘縮」の要件に該当しないと判断されていることが通常です。

なお、自賠責の後遺障害認定の原則論からは、診断される病名のいかんに関わらず上肢全体に関節拘縮が存在すれば5級となるはずです。RSDという傷病名を狙い撃ちして例外を設定している点に3要件基準の特殊性があります。

 

 ⅱ 自賠責では、まず①可動域測定の結果は他覚的所見ではないとの誤った理屈を前提として述べるものが多くみられます。他覚的所見については前回も述べましたので省略します。可動域検査の結果は他覚的所見であり、典型症例ではその偽装は不可能です。

   また、②関節拘縮が生じているのであれば骨萎縮が生じているはずだとして関節拘縮を否定することもあります。主治医が骨萎縮を認めている場合には、「明らかではない(著明ではない)」とか「軽度である」として骨萎縮の要件を満たさないとすることも多く見られます。

さらに、③関節拘縮が生じているならば筋萎縮が生じているはずであるとして、関節拘縮を否定することもあります。関節拘縮に筋萎縮が必須ではないことは繰り返し述べてきました。

以上のほかに、④レントゲンやMRIで確認できないから関節拘縮を認めないとするものが多く見られます。なお関節拘縮は原理的にレントゲンやMRIで確認することはできません。

 

 ⅲ 骨萎縮については、裁判例の上では主治医が骨萎縮を確認していた事例は少なからず見られます。本件でも主治医はレントゲンで前腕から手指にかけての骨萎縮が見られるとしています(48頁)。

   このような場合でも自賠責においては、「明らかではない」とか「軽度である」として骨萎縮の要件を満たさないとすることが通常です。なお、自賠責の認定係はレントゲンを読み取る能力があることは保証されていません。

   本件では地裁判決は骨萎縮の証明がないとしてこの要件を満たさないと認定しています(48頁)。おそらく、骨萎縮が「明らかでない」などの主張が加害者側から提出され、主治医の判断以上のものが要求されたと思われます。

   高裁判決は「レントゲン上、左上肢には著明な骨萎縮は認められず」(43頁)と認定しています。これは求められる骨萎縮の程度を「著明」というレベルに引き上げることにより否定の結論を導く論法です。これでは加害者側から骨萎縮を否定する医学意見書が出されると、「否定する医師がいるので著明ではない」という理屈になりそうです。

 

 ⅳ そもそもCRPSに骨萎縮は必須ではない(そもそもCRPSには必須の症状は1つたりとも存在しません。なぜかこの初歩的なことさえ知らない人が多くいるようです)と言ってしまえばそれまでです。従って、骨萎縮を要求すること自体が誤りであると容易に断言できます。

   また、CRPSには必須の症状がないため、ごく軽微な骨萎縮であっても擬陽性(カルテには「±」と記載されます)として積極的に考慮する必要があります。これに対して、骨萎縮が「著明」でなければならないとする考えが誤りであることは自明です。

 

ⅴ 以上の点をおくとして、レントゲンの読み取りができない人(裁判官)を相手にレントゲンに骨萎縮が写っていることを理解してもらうことは原理的に困難です。主治医が骨萎縮を認めていても、これを否定する意見が出されれば水掛け論になります。

   主治医が骨萎縮を認めているのであれば普通に考えれば骨萎縮があります。これを否定する意見が出されたときに、それを打ち消すために別の医師の意見を出してその数や医師の経歴を競うのはばかげています。「間違いない」、「絶対に存在する」などの断言口調の強さを競い合うことは、なおさらばかげています。かといって、裁判官にレントゲンの読み取りができる能力を付与することも困難です。

   本件では、主治医は「前腕から手指にかけて」と部位を明確にして骨萎縮があると判断しています。これを信用しないのは医師と患者の共謀を認定することになります。このことが理解できていれば水掛け論で骨萎縮を否定することにはならないと思います。

裁判例の中には、「主治医の判断を特に疑うべき事情は加害者側から出されていない」との趣旨を述べて端的に主治医の判断を肯定したものもあります。私はこの判断が基本になると考えます。

 

 ⅵ 皮膚の変化については、本件では被害者の主治医がこれを認めていたのかどうか明確ではありません。被害者の上肢全体にはっきりとした腫脹(むくみ)が生じていたことからは、皮膚温の変化などの症状が存在したと思われますが、サーモグラフィー検査は受けていないようです。サーモグラフィー検査を受けて主治医が皮膚温の変化を認めていても、自賠責では「明らかではない」として否定されることが多いようです。

 

ⅶ 自賠責の認定では3要件基準を診断基準であると明記することはありません。しかし、3要件基準が診断基準であると読み手に誤解させるような書き方がされることは多く見られます。3要件基準を診断基準と誤解することが推奨されているような感じもします。

  なお、本件では被害者はCRPSと診断されているのですが、CRPSはRSD(CRPSタイプ1)とカウザルギー(CRPSタイプ2)の双方を含む概念です。このうち自賠責で3要件基準が適用されるのはRSDのみです。しかし、地裁判決も高裁判決もこの点を看過して単なる「CRPS」に3要件基準を適用しています。

 

6 疾患に対する見方そのものの問題

 ⅰ 地裁判決は自賠責の3要件基準をCRPSの診断基準と誤解して、①関節拘縮が存在することは否定せず、②骨萎縮と③皮膚の変化の証明がないとして、3要件を満たさないとして、「原告はCRPS罹患しているとはいえない」(48頁)としました。

   前回も述べましたが、CRPSとの診断が正しいかどうかは間接事実にすぎないので、この部分には間接事実に証明責任を適用する誤りがあります。また、関節拘縮(主要事実)が存在することを認めるのであれば、その程度において被害者の後遺障害を認めることになるはずです。

しかし、地裁判決はCRPSの罹患を認めなかったことにより、この関節拘縮は自動的に否定されると考えているようです。これは「診断が正しいと言えないので症状は認めない」との逆転した発想による誤りです。実は裁判例ではこの誤りは少なからず見られます。これは以下の考えが根底にあるようです。

 

 ⅱ 地裁判決は、CRPSに罹患するといくつかの定まった症状が必ず生じることになっており、それが自賠責でのRSDの3要件であると理解しています。なお、繰り返し述べてきましたが、CRPSにおいては必ず生じる症状は1つたりとも存在しません。

   地裁判決は、CRPSにおいては必ずRSDの3要件の症状が存在するとの関係を認めるばかりではなく、「CRPSに罹患したことによりこれらの症状が引き起こされる」との関係性を認めているようです。

   つまり、CRPSはあたかも特定の症状を必ず引き起こすウィルスのようなものであって、CRPSに罹患したことによりその症状が引き起こされるという見方です。この「疾患が症状を引き起こす」という誤解を基にしていると思われる裁判例は少なくありません。

   この考えを基にすると、「被害者はCRPSに罹患していない。よって、被害者にはCRPSが引き起こす症状が生じることはない」との独特の理屈が生み出されます。この理屈に囚われているからこそCRPSに罹患したかどうかを主要事実と誤解してしまうようです。

 

 ⅲ CRPSにおいて「疾患が症状を引き起こす」という見方は適切ではありません。そもそもCRPSは1つの原因により生じる疾患とは考えられていないので、疾患と症状の1対1関係は成り立ちません。

   現実には交通事故により神経が損傷を受けたことなどをきっかけに、痛み、しびれ、灼熱痛、アロディニア、むくみ(腫脹)、皮膚温変化、皮膚の萎縮、チアノーゼ、発汗過剰(過少)、骨萎縮、骨密度低下、筋萎縮などの様々な症状のうちのいくつかが生じて、それが一定レベルまで重症化することによりCRPSと診断されます。

   つまり、症状が先に存在し、それに対する評価としてCRPSとの診断が下されています。診断とは症状に対する評価です。これに対して、「CRPSに罹患したからこの症状が生じた」との見方は発想が逆です。

   CRPSは神経障害性疼痛とされる症状を生じる疾患の1つですが、神経障害性疼痛のメカニズムは多元的に説明されることが多数説で、1つの原因により特定の症状が引き起こされる関係にはありません。

   また、ほとんどの疾患において症状がある程度明確にならないとその診断を受けることができないとの事情は見られます。関節リウマチのように早期治療が効果的とされる疾患において早期治療のための「分類基準」が作られたものもあります。

   実際にもCRPSと診断される以前においては別の疾患で診断され、それが重症化してCRPSとされる事案は多く見られます。例えば、腕神経叢損傷が悪化してCRPS(を併発した)とされる場合などです。この場合には神経損傷による症状が一定のレベルを超えたことにより、CRPSと診断されたと言えます。

 

7 筋萎縮必須論は誤りである

 ⅰ 本件の被害者は上肢全体(肩・肘・手・指)に拘縮が及んでいて、上肢全体にむくみが生じているCRPSの典型症例です。患部のむくみ(腫脹)はほとんどの診断基準や判定指標で重視されてきた症状です。医学書で典型症例として写真が掲載されている患者の多くは患側の上肢が全体としてむくんだ状態にある方です。

   これに対して、高裁判決は上肢がむくんでいることはおかしい、筋萎縮が生じて細くなっていなければならないとして、被害者の詐病を疑う趣旨を述べます。さすがにいくらなんでもこれは酷すぎます。

 

 ⅱ 本件では加害者側は医学意見書を出して筋萎縮必須論を展開したようです。筋萎縮必須論の誤りはこれまで繰り返し述べてきました。CRPSにおいては患部のむくみ(腫脹)は典型症例です。筋萎縮が生じて患部がやせ細るのは全く逆の症状です。

   ところが、加害者側は被害者が詐病であると主張するために「上肢の可動域がこれほどまでに制限された状態が続いていたならば、重度の筋萎縮が生じているはずであって、それが生じていないことは私の長年の経験の中でも一度たりともなかったことである」などと力説する医学意見書が出されることがほとんど恒例となっています。

   高裁判決は「左上肢の関節拘縮があるのであれば、左上肢は運動を行なわず又は運動が制限されるために筋肉が萎縮し、その周径は減少していくものと考えられるところ」と述べ、「いずれも左上肢が右上肢よりも大きな値となっており、関節拘縮のために左上肢の筋肉の萎縮が生じていることとは矛盾した計測値が記録されている」として関節拘縮があるとは認められないとしました(43頁)。

 

 ⅲ CRPSでも筋萎縮が生じる場合はありますが、典型症例はむくみ(浮腫、腫脹)が生じる症例です。しかし、上記の理屈を信じきってしまった人を説得することは困難です。「上肢を動かさなければ筋の萎縮が生じるはずだ」という理屈はシンプルで力強さがあります。一度その理屈を信じきってしまえば、何を言っても無駄であるような感じさえします。

   かつて振り込め詐欺に遭ったおじいさんが銀行員を殴りとばしてATMにかじりついて振込みを果たそうとした事件がありましたが、何かを強く信じきった人を説得してその誤りを認めてもらうことは非常に大きな困難を伴います。

   なお、筋萎縮必須論を信じなかった裁判例においては「筋萎縮はCRPSで重視されない症状である」と簡単に述べて否定したものがいくつか見られます。このように筋萎縮必須論の理屈には反論をせずに、事実として否定することが正しいと思います。

 

8 「由来する症状論」は誤りである

 ⅰ 前回に述べた「由来する症状論」が本件の高裁判決でも述べられています。高裁判決は「控訴人の症状がCRPSに由来するものとは認めがたい」(43頁)とします。自保ジャーナルのタイトルにも「由来する症状ではないと否認して」との言葉が入っています。この理屈(由来する症状論)は一定の構造を有する判断過程を導くものとして加害者側から意図的に用いられています。

   「由来する症状論」では、①被害者が疾患Rにり患したと認めるに足る証拠はない。故に②被害者の症状は疾患Rに由来する症状とは認められない。として、「被害者が訴える症状Sは本件事故により被害者が疾患Rにり患したことに由来するものではない」などと述べます。

 

 ⅱ 被害者のある症状が特定の疾患(例えば疾患R)に由来するかどうかは必ずしも問題にするべき事柄ではありません。症状が存在すると認定できて、それが事故によって生じたと認定できれば、疾患Rに罹患したかどうかにこだわる必要はありません。症状の有無ではなく罹患の有無にこだわる「由来する症状論」は論点ずらしです。

「由来する症状論」は、症状から目をそらして診断というハードルに向かわせるというトリックが存在します。仮に、「診断が正しいとは認められないので、症状は認められない。」との表現ならば容易に誤りと気付くはずです。

しかし、「疾患Rに罹患したから症状が生じた」との表現に含まれる問題は気付き難いものです。ここから1歩進んで「疾患Rに罹患したとは認められないから、疾患Rに由来する症状とは認められない」との表現になると、問題意識がなければ騙されていることに気付くのはかなり困難です。

 

 ⅲ 「由来する症状論」は被害者の症状(主要事実)ではなく、診断の適否(間接事実)の方を重視するように仕向けます。医学的には診断が正しかろうが誤っていようが症状の有無には影響しません。診断は症状をもとに下される評価であって症状を変える力はありません。

   ところが、「由来する症状論」においては、まず、①疾患Rとの診断の適否を検討します。その上で②疾患Rと認められなければ何らかの症状があるとしてもそれは疾患Rに由来した症状ではないとされます。「罹患したから症状が生じる」という逆転した発想を滑り込ませることは「由来する症状論」の前提となっています。

 

 ⅳ この法律構成は加害者側の視点から作り出されています。即ち、①各種の検査結果などから被害者に症状が存在することを正面から否定することはやりにくい。②しかし、「疾患Rに罹患したことは確実だ」という命題なら否定できそうだ。③そこで症状の有無を検討対象から外して、「疾患Rに罹患したことは確実とはいえない。よって、症状は疾患Rに由来する症状とは認められない。」とする理屈が生み出されます。

   本件では主治医は被害者に骨萎縮があると判断しました。しかし、「CRPSに由来する骨萎縮は著明なものでなければならない」という理屈で高裁判決は骨萎縮そのものが認められないとしています(43頁右列下部)。

   主治医は被害者に重度の関節拘縮があるとしました。しかし、「CRPSに由来する関節拘縮を認めるためには著明な骨萎縮と筋萎縮が必要である」との理屈で地裁判決も高裁判決も関節拘縮を否定しました。

   このアクロバティックな判断を可能としたのは、「CRPSに罹患した」とするための要件を格段に厳しくする自賠責の3要件基準です。この3要件基準や筋萎縮必須論に向かわせるための舞台装置が「由来する症状論」です。

 

 ⅴ 「由来する症状論」においては、「では一体被害者の症状に対していかなる診断が下されるべきか」という問題は無視されます。「とにかく疾患Rに由来する症状ではない」とだけ判断されます。

これは「疾患Rに罹患したこと」が主要事実と誤解されていることによります。もちろん主要事実であるとしても事実認定に証明責任を取り込むことや、背理法を無視した認定は誤りですが、「由来する症状論」は「被害者は疾患Rにり患したかもしれないが、それを認めるに足りる証拠はない」との判断の空洞化に誘導します。

 

 ⅵ 気付いてみると、一番重要な症状の有無や程度(主要事実)は正面から検討されていません。「疾患Rに由来すると言えるほどの症状か」という逆転した発想のなかで判断が空洞化しています。診断の適否も「確実ではない(認めるに足りる証拠はない)」とされて実質的な検討はされていません。このように判断を極限まで空洞化して否定の結論を導くところに「由来する症状論」の特徴があります。

 

 ⅶ 実質的な認定を行なえば、被害者の治療をしてきた主治医の判断や被害者がどのような治療を受けてきたかなどの事情が重視されますが、本件では判決に記載すらされていません。「筋萎縮」、「骨萎縮」などのキーワードの概念的な操作に誘導することにより、実質的な検討から遠ざけることが「由来する症状論」の特徴です。

本件の高裁判決は、実質的には被害者の詐病と医師の共謀を認定するものです。しかし、判決はキーワードの概念的な操作により結論を導いているため、被害者の詐病を実質的に認定しつつも、医師が共謀したとの認識はないように見受けられます。これも判断の空洞化を導く「由来する症状論」の効果であるといえます。

 

9 症状は主として背景事情(事案の全体)から認定していくほかない

 ⅰ この事件では地裁判決も高裁判決も、被害者の症状を認めるためには、確実な根拠を必要とするとして、骨萎縮や筋委縮などを重視します。高裁判決はこれらが認められないので、被害者の症状は「他覚的に認められるものではない」(44頁 )としています。

   つまり、「関節拘縮を認めるためには、骨萎縮という他覚的所見や筋委縮をいう他覚的所見が必要である」との前提に立っています。もちろん、この考えは他覚的所見の意味を誤って理解しています。他覚的所見とは医師が感知したすべての所見を意味します。この点については前回も述べました。

 

 ⅱ 高裁判決は、他覚的所見の意味を誤って理解したため、関節拘縮を認めた主治医の可動域測定の結果をそのまま信用するという穏当な判断ができなくなっています。

   医師が上肢全体に著明な関節拘縮を認めたとする本件で、その判断が誤りである可能性はゼロですので、関節拘縮を認めないことは医師と患者が共謀したと認定したことになります。判決は「患者が必死に偽装すれば医者を騙せる」と考えているかも知れませんが、ここまで騙される医師はまずいないと断言できます。判決は、実質的な心証を持たずに概念的な操作で認定しているように見えます。

   私はこの誤りの根底には、症状が何らかの別の症状や検査結果により裏付けられるとの誤解が存在すると思います。ある症状についてそれを確実に認定できる画像所見などを求めれば、ほぼ全ての症状の存在を肯定できなくなります。症状の存在を認定する根拠に画像所見を求めること自体が誤りです。

症状の存在は、基本的には被害者本人の訴えや、被害者を診察した医師の判断や、通院の期間や受けてきた治療の内容や、就労や日常生活などへの影響といった総合的な事情から認定するほかないものです。これらの背景的な事情の積み重ねこそが事実認定の本質であり、裁判官はときには全人格を賭けてその認定を行うことが求められます。この要請から逃避すれば事実認定は空洞化してしまいます。この認定をする度量がないまま画像所見などで裏付けられないとして切り捨てていけば事実認定の空洞化は避けられません。

 

 ⅲ 事実認定は主張に対応する「絶対証拠」の有無をチェックする作業ではないのですが、対応する証拠を個別にチェックしているように見受けられる裁判例をしばしば目にします。

   伝統的に支持されてきた事実認定論では「動かし難い事実」を軸にしてそこからの推論の積み重ねにより事案の全体像を作り上げて、個々の証拠の検討はこの事案の全体像に整合するかどうかという視点で行なわれます。全体の視点と個別の証拠を常につき合わせながら、相互のチェックを繰り返していくことが事実認定の基本であると思います。

   これと対極にあるのは、全体像を練り上げる以前の段階で、個別の部分で「絶対証拠」がないことだけで証明責任を適用して否定の結論を導くことです。全体像を持たずに個別の部分ごとに細分化した認定を繰り返すことは伝統的な事実認定論とは正反対のものです。

   本件では被害者の事故後の治療の経過や医師の診断からは被害者の主張する症状はほぼ全て存在すると考えられます。ところが、地裁判決も高裁判決もこの全体像を持つことなく、細分化された部分の判断で結論を出しています。その思考過程が「~であるとは認められない」との判断であるため、事実認定がさらに空洞化してしまったように見えます。

 

10 タクシー代について

 ⅰ 本件では被害者は通院などのほか養護学校に通う子供の送り迎えや買い物などの細かなことにもタクシーを利用していたことから、810万円ものタクシー代が損害として主張されています。

一般的には通院だけでなく買い物などの細かなことにもタクシーを利用するのは、事故による症状が重いからであるとされます。タクシー代を否定する場合には、「そんなに頻繁にタクシーを使うほど重い症状ではない」と述べることが通常です。

ところが高裁判決は「症状が重ければタクシーを使って色々なところに行けるはずがない」と逆の理屈を述べています。高裁判決は「本件事故によって左上肢全体に疼痛があり、左上肢の関節拘縮があるのであれば、買い物は困難であろうし、通院とは無関係の場所に頻繁に赴く必要もないであろう」(44頁 )とします。また、事故前から長男の送り迎えにタクシーを利用していたことも認定して、タクシー代は事故による損害ではないとしています(44頁)。

 

 ⅱ 上記のとおり被害者の症状の存否は、通院の状況、症状の経過、医師の判断、被害者の日常生活の変化などの事情を総合的に判断して行なわれるべきものであって、検査結果などに視野を限定して判断するべきものではありません。ところが、本件では地裁判決も高裁判決も通院の状況や症状の経過に触れず、筋萎縮・骨萎縮がないとして後遺障害(症状)を否定しています。

   被害者がタクシーを多用したことは、通常は症状が重かった根拠となる間接事実です。しかし、本件では症状の判断では検討されず、症状(後遺障害)を否定したあとに「症状が重ければタクシーを使って色々なところにいけたはずがない」として、前提にあわせた理屈を展開しています。この部分は判断の構造に問題があります。

   また、この部分は「障害者は家でおとなしくしているべきだ」という差別的な視点が強すぎます。世の中には被害者と同レベルの後遺障害があっても必死に頑張って障害者枠などでなんとか働いている人も多く存在します。少しでも活動範囲を広げようとスポーツをしている人もいます。この判決の見方によるとパラリンピックに出ている人はすべて詐病になりかねません。盲目の人がマラソンを完走したりすると、詐病を疑うことになりそうです。

 

 ⅲ 通常とは反対の理屈を用いる上記の認定は、事実からの実質的心証に導かれたものというよりも、トコロテン方式で押し出されるようにして出てきたものです。高裁判決は後遺障害を否定する事実認定を行ったあとで、それにつじつまを合わせるように上記の認定をしており、その構造自体に問題があります。

自由心証が尽きたところで証明責任は機能を開始するとされている(定説)ように、証明責任は事実を認定する道具ではなく、真偽不明となった状況において結果(法規の適用)を決めるための道具であって、合理的な推論を積み重ねた上で事実を認定した状況とは根本的に異なります。

証明責任は真偽不明の状況に陥っても結論を出さなければならない職責にある裁判官に特別に使用することが許された道具です。裁判官はきちんと心証を取って証明責任に頼らずに判断をすることが望ましいことは言うまでもありません。たとえるならば証明責任は試験問題が解けなかった受験生が振る五角形のサイコロ(愚者のサイコロ)のようなものであって、その使用は最大限避けられるべきものです。証明責任の使用は事実認定を空洞化させます。

ところが一部の裁判例ではありますが、定説とは逆に事実を認定するに際して最初から証明責任の所在を考慮して「証明責任を満たすほどの証拠があるか」との視点で事実を認定しているように見えるものもあります。これでは自由心証は最初から存在しません。さらには、事実を細分化してその1つ1つを順番に証明責任で認定しているように見えるもの(すごろく認定)もまれに目にします。

また、証明責任を使用して事実を認定したあとで、その結果につじつまを合わせて別の事実を認定しているように見える裁判例もあります。これはサイコロを振って「2」の目が出たあとで「今日は3月2日だから2の目が出たんだ」と後付で理屈を述べるようなもの(サイコロの出た目に合わせる認定)です。証明責任により導かれた結果をもとに別の事実を認定することは、民事訴訟法が予定していないことであると思います。

 

 ⅳ 本件の高裁判決は、関節拘縮の有無の認定で「由来する症状論」を用いて「~であるとは認められない」という形で証明責任に頼った事実認定として関節拘縮を否定しています。事案の全体像を視野に入れた総合的な判断は行なわれておらず、実質的心証の裏づけのない空洞化した認定がされています。

   その後に検討したタクシーの多用は、普通は症状が重かったことを裏付ける事実です。ところが高裁判決は先に認定した事実につじつまを合わせるために、「症状が重ければタクシーを使って色々なところに行けるはずがない」としています。

高裁判決は事実認定を部分ごとに細分化して、しかもその結論を証明責任にゆだねて、証明責任が導いた結果につじつまを合わせるべくその後の認定をしているように見えます。

 

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