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2012年11月16日 (金)

4か月治療中断した左上肢RSD(24.6.21)

 1 さいたま地裁平成24年6月21日判決

(自保ジャーナル1880号46頁)

  この事件では左上肢CRPSが問題となっています。この事案の特徴は、①被害者が事故後3か月半ほど通院した後に4か月近く通院を中断し、その後にRSDと診断されていること、②判決が自賠責の3要件基準をRSDの診断基準と誤解したことなどです。

 

2 症状の経過

 被害者は事故時33歳男子会社員で、平成19年5月15に直進走行中に追突事故に遭います。

  事故当日・・・B病院。救急車で搬送され、腰椎捻挫、頚椎捻挫、末梢神経障害、頚椎圧迫骨折との診断を受ける。

  翌日・・・C整形外科。頚椎・胸椎・腰椎捻挫、左肘捻挫と診断される。

  1週間後…C整形外科。5月22日に症状が悪化しているとされる。

2週間後…C整形外科。5月28日に抹消神経障害と診断される。左肘部に腫脹(はれ)が認められる。鎮痛剤投与やマッサージなどを受けるも、通院期間中に左上肢や左手指の痛みやしびれを訴え、9月3日まで約3か月半通院する。

その後は4か月近く通院せず。この間に左前腕から左手指にかけての部分が痩せ、コップを持つことも苦痛になり、再び通院する。

  7か月後…C整形外科に再び通院。担当医は一見して左手・左手指の筋萎縮を認め、専門医に紹介する。

  7か月半後…D医療センター。反射性交感神経性ジストロフィー(RSD)と診断される。以後50日間に6回通院。

  10か月後…E医院。自覚症状として左上肢の痛み、運動障害(動きが悪い)、知覚障害(しびれ感)、他覚的には手指の筋萎縮(1指に著明)が認められ、左上肢RSDとする。約8か月通院した。

  1年1か月後…平成20年6月28日に症状固定とされる。左上肢全体の知覚鈍麻、筋力低下、明らかな左手握力の低下、左母指球・小指球の萎縮、左前腕から手指にかけての疼痛が残存するとされる。  

 

 

3 通院の中断について

 ⅰ 被害者は事故後3か月半ほど通院したのち、4か月近く通院を中断しています。被害者は事故による痛みのため事故の約40日後には12年ほど勤めていた勤務先を退職し、その後に就職活動をしていたところ事故の約3か月後に母親が転倒して入院し、手術を受けるという事情が背景にあり、通院を続けても症状が軽快しないとの思いから通院をしなくなり、通院を再開するまでの間は自分で市販の鎮痛剤を購入して服用していたと主張しています。また、事故の半年後には父親が倒れて病院に搬送されたとの事情があったとしています。

   これに対して加害者側は、事故衝突の程度は比較的小さく、4か月も通院を中断したのは症状が治ゆしたからであり、別の原因で新たな症状が生じた可能性もあるので、事故との因果関係が認められないと主張します。

 

 ⅱ 判決の認定によると、被害者は左上肢・左手指の痛みを一貫して訴えていたほか、左肘には腫れが認められ、カルテなどからは通院により症状が軽くなっていく状況にはなかったようです。また、通院再開後の症状との間でも継続性が認められたことから、判決は症状が軽快したために通院を中断したわけではないとして、この点については被害者の主張を概ね認めた認定をしています。

 

 ⅲ 被害者は、事故11か月後の平成20年4月に就労に復帰してフォークリフト作業などに2か月ほど稼動し、同年9月からは介護の仕事に就き、特段の勤務制限を受けることなく判決時まで就労を続けています。被害者は通常の就労は可能であり、時に労働に差し支える程度の疼痛が生じるとして、後遺障害等級12級13号の「頑固な神経症状」が存在すると主張しています。

   これらの事情からは、被害者の痛みの症状は重症とは言えないようです。この事情もあって通院を中断して市販の鎮痛剤に頼ることになったと考えられます。通院再開後の症状と連続性があり、ほかに原因となる事情も見当たらないことから、被害者の後遺障害は事故によって生じたものと考えられます。なお、被害者の症状が重度ではないことは、判決が簡単に検討しただけでRSDを否定した背景となっているように見えます。

 

4 3要件基準について

 ⅰ 被害者は、D医療センターやE医院でRSDとの診断を受け、星状神経節ブロック療法を受けるなどしています。本件では上記の症状からも被害者がCRPS(RSD)であることは特に問題はありません。

   しかし、判決は「原告には中度の骨萎縮は認められたものの、関節拘縮や皮膚の変化(皮膚温の変化、皮膚の萎縮)が認められないのであって、RSDを発症したとまでは認め難く」とのみ簡単に述べて、この診断を否定しています。判決のこの部分は労災や自賠責の3要件基準によるものです。この種の誤りが裁判例の上で多く見られます。

 

 

ⅱ 3要件基準の位置づけ

労災や自賠責では反射性交感神経性ジストロフィー(RSD)について、①関節拘縮、②骨の萎縮、③皮膚の変化(皮膚温の変化、皮膚の萎縮)という慢性期の主要な3つのいずれの症状も健側と比較して明らかに認められる場合にかぎり、カウザルギーと同様の基準により、7級、9級、12級に認定するとしています。判決は、これを診断基準と誤解して本件にあてはめています。

 

 ⅲ 3要件基準は診断基準ではない

   すでに何回も書きましたが、3要件基準は診断基準ではありません。労災や自賠責においても3要件基準はRSDかどうかを認定する基準ではありません。後遺障害認定は医学的な診断の手続ではないので「RSDであるかどうか」を診断(認定)しません。この判断を行なえば、医師でない者が医学的な判断を行なったことになり、医師法違反になります。

労災の後遺障害認定手続は行政官が診断書と画像資料(通常はカルテは見ません)を主とする制約された資料をもとに、後遺障害の有無・程度を定型的に判断する行政手続です。この判断への不服申立は審査請求、再審査請求という行政不服審査法上の手続によりなされます。

自賠責の後遺障害認定手続は労災病院の医師との面談もなく、形式的手続としての特性がより純化されています。これらが医学的な診断や治療の過程とは根本的に異なることは明白でしょう。

 

 ⅳ 後遺障害の程度(重症度)を判断するための指標でもない

   3要件基準は後遺障害の程度を判断するための指標ではありません。上記のとおり、3要件を満たした場合にはあとは「カウザルギーと同様の基準により」後遺障害の程度を判断するものとされています。

従って、3要件を充たす度合を参考にして「骨萎縮が重いから後遺障害が重い」などの判断を行なうことは誤りです。

 

 ⅴ 3要件は純粋に間口での条件である

   以上のとおり、労災の通達の文言を正確に理解すれば、3要件は純粋に間口審査のためだけに用いられるべき要件であって、それ以上のものではないことは明らかです。

   即ち、被害者がRSDと診断されると後遺障害の程度を判断する前段階で、この上乗せ基準(3要件)が必要とされます。特定の疾患を狙い撃ちした間口での要件です。実際には自賠責ではほぼ全件で3要件を充たさないとされているようであり、この点に大きな問題があります。3要件を充たさないとされると格段に低い等級となります。

この厳格な間口での条件について誤った説明が周知されているようであり、後遺障害の程度の判断指標として用いるものや、あろうことかRSDであるかどうかを判断する基準として用いるものも多く見られます。

 

 ⅵ 不当な制約である

   労災の後遺障害認定手続においては、被災者の病名が問題とされることはなく、後遺障害の程度のみが問題とされるのが通常です。RSDの3要件はこれに対する例外であり、RSD患者を狙い打ちにしたものとなっています。

   では、なぜ労災ではRSDに対して、このような厳しい条件を間口で課しているのでしょうか。結論から言えば合理的な理由を見出すことはできず、不当な制約というほかありません。

 

5 3要件基準の不合理さ

 ⅰ 国際的な判定指標よりも格段に厳しいこと

   CRPS(RSD)については、必須の症状は1つたりとも存在しないことは医学的には定説で異論はありません。国際疼痛学会、米国・日本の医学会ではこれを前提とした判定指標を定めています。

   これらの判定指標は4ないし5項目のうち任意の2項目に該当する患者の感度が概ね80%となるように作られています。感度とは疾患を有する者が検査で陽性となる度合いです。感度80%の検査では疾患を有する人の80%が陽性(CRPSの指標の2項目を充足)になります。国ごとに異なる判定指標が作られたのは、国ごとの医療文化などの事情を反映した精緻な診断ができるようにするためです。

   日本では5項目のうち2項目を満たせば陽性となる判定指標が作られました。もちろん必須の症状は1つたりとも必要ではなく、5項目をAないしEとした場合、AB、AC、AD、AE、BC、BD、BE、CD、CE、DEの10通りの組合せのいずれかの症状がある患者はCRPSの可能性が特に高いと言えます。

 

ここで2項目を満たす患者について「CRPSの可能性が80%である」と表現するのはちょっと乱暴です。正確にはCRPS患者の8割は上記の10通りのどれかを満たすというのが感度80%の意味することです。逆に言うとCRPS患者の約2割はA~Eのうち1つしか満たさないと言えます(より厳密には1つも満たさないCRPS患者もありえます)。

 

 

 ⅱ せいぜい1~2%しか捕捉できない

これに対して、3要件基準は、①A(皮膚・爪・毛のいずれかの萎縮性変化)のうち皮膚の変化のみ、②B(関節可動域制限)のうちの関節拘縮のみ、③A~Eに含まれない骨萎縮を3要件として要求し、しかもそれらが「明らか」であることも要求しています。

   まず、上記の10通りの組合せのうちABの組合せみに限定しているので、この時点で捕捉されるCRPS患者が約8%にまで激減することが予想されます。この時点で3要件の正当性は完全に否定されます。

   しかも、そのAとBの各要件を両方とも限定してさらなり絞り込みをしています。加えて、AとB以外の要件(骨萎縮)を新たに課しています。この時点でこの要件を満たすCRPS(RSD)患者は1%以下と予想できます。

 

   さらに、3要件の全てが「明らか」であることを要求し、しかも、その「明らか」であることが、制約された資料(カルテに記載のある症状も診断書に記載がない限り考慮されません)により、医師でない素人が形式的にこれを判断できることを必要としています。

   これでは、どれほどひいき目にみても、3要件で捕捉できるのはCRPS(RSD)患者のうちでもせいぜい1~2%でしょう。普通に考えれば0.1%以下でしょう。実際にも裁判例では重症化した典型症例でさえもほとんど全ての場合に自賠責では3要件基準を満たさなかったとされています。

 

 ⅲ 基準そのものが極めて不合理である

労災や自賠責の後遺障害認定が、簡易迅速な形式的手続であり、訴訟のように実態を反映できる手続ではないとしても、さすがにこの3要件基準はひど過ぎると思います。どうしてこのような基準が作られたのか理解し難いところです。

現に存在する各部位の後遺障害をそのまま判断すれば足りるので最初から必要のない基準です。なぜ特定の傷病のみを狙い撃ちした上乗せ基準が作られたのか不可解です。

   労災の認定を争う訴訟(行政訴訟)ではこの問題が顕在化します。訴訟での審理の対象は原処分である労災の認定の適法性であるところ、「労災の認定基準に従ってなされた認定として正しいか。」を訴訟で判断するとした場合には3要件基準そのものが不合理であるとしなければ、被害者は救済されないこととなります。

 

 ⅳ 骨萎縮が3要件基準に含まれていることについて

   骨萎縮は日本の判定指標だけではなく、国際疼痛学会や米国の判定指標でも判断要素には含まれていません。これまでに公表されてきた各種の診断基準でも骨の萎縮は重視されていません。これはCRPSにおいては軽度のものを含めても骨萎縮の発症率が低いこと(829人の患者による有名な大規模調査によればCRPS患者全体の36%)などに因ると思われます。

ギボンズの基準のような特異な基準(個人が公表したものにすぎず、公表以来これを用いる医師は世界的にはほとんどおらず、なぜか日本でのみよく知られている。感度・特異度の統計も存在しない)では骨萎縮を要件に入れていますが、基本的に重視されていない症状です。

 

 

 ⅴ カウザルギーとの不均衡

同じくCRPSであってもカウザルギー(CRPSタイプ2)であればこの上乗せ基準(3要件基準)は適用されません。本件では肘部で神経損傷が生じていた可能性があり、その場合にはカウザルギー(CRPSタイプ2)となり、3要件基準は適用されません。電気生理学検査などにより神経損傷が判明したかどうかにより格段の差が生じます。

カウザルギーとされた場合には、現に存在する後遺障害をそのまま判断します。例えば、肩や肘の可動域が制限されていればその度合いに応じて後遺障害認定がなされます。上肢の肩・肘・手関節がほとんど動かなくなる典型的に重症化した上肢CRPSでは4級ないし5級となります。痛みが就労に影響する度合いも現実の就労状況(就労先での就業制限など)を参考に判断できます。このように他の後遺障害と同様に判断すれば足りるので3要件基準はもともと必要がありません。

 

これに対して、3要件基準が適用される場合には、これを満たさないと自動的に14級以下となります(場合によっては12級とされます)。従って、カウザルギーであれば4級ないし5級とされる被害者であってもRSDとされた場合にはこの上乗せ基準を満たさないとして14級や12級にされるおそれがあり、裁判例ではその例が少なからず確認できます。

 

6 鑑別診断について

 ⅰ 判決は3要件基準を診断基準と誤解して、これにあてはめて簡潔にRSDとは認められないとしていますが、「では本当の病名は何であるのか?」という問題は放置しています。この点も繰り返し述べてきましたが、やはり事実認定としてまずいと思います。

 

現実に症状が存在して病院である傷病(例えば疾患R)が診断された患者に対して、「疾患Rではない」とする場合には、代替候補(が優勢であること)を認定する必要があります3要件基準を用いた判決の多くは、3要件基準を当てはめて「とにかくRSDではない。その先は知らない。」という認定となっていますが、事実認定ではこのような論理は例外的です。

   この考えの背景には、「被害者にはRSDであることを証明する責任があり、裁判所が認定するのは被害者がRSDであるといえるかであり、その先は認定する必要がない。」とする誤った考えから証明責任を事実認定に取り込む誤りが存在するように見えます。このため行政の許認可での要件審査のように形式的な一方通行の検討しかなされていません。

 

   事実認定では「何が起きたのか」を判断するはずで、「~と証明できたとする証拠があるか」を判断するわけではないはずです。証明責任は自由心証の尽きたところで機能を始めるとする定説によれば、真偽不明になった場合に結論(法規の適用)を決めるのが証明責任であって、事実を認定するために証明責任を用いるわけではないはずです。「真偽不明になったので、証明責任で事実を認定しました。」という理屈はそれ自体が矛盾しています。

 

 ⅱ 本件でこのような誤りに陥ってしまうのは、3要件基準を診断基準と誤解した場合にはこれのみで結論が出せる(RSDかどうか判断できる)ように見えることにあるようです。

現実にはCRPSの判定指標を用いた医学的な方法によっても、判定指標だけでは結論は出ません。判定指標はあくまでも「CRPS患者の約8割はこの指標を満たす(2項目を充足する)」という目安に過ぎず、指標に含まれない症状も含めて症状の全体をほかの傷病で説明できるかどうかを検討する(鑑別診断)必要があります。

 

7 背理法について

 ⅰ 裁判においても、ある事実の存否が問題となっている場合に「仮にAでないとした場合にほかに候補が見当たらない。ほかの候補では合理的に説明できず矛盾が生じる。」ことは「Aである」との認定をなす重要な判断要素となります。

背理法は事実認定の中核をなす論理であり、背理法を無視した認定は当然に誤りとされます。背理法を検討していなければ審理不尽となります。「Aである」という命題を検討するに際して「Aではない」と仮定して「AでないとするとBが考えられる。しかしBは誤りである。」、よって「Aではない」は誤りである。「Aである」もしくは「Aではない」のいずれかである(排中律)から「Aである」を導くのが背理法です。

刑事裁判では「Tはその時間に東京にいた」を検討するに際して「Tはその時間に大阪にいた。」が成り立てば「Tはその時間に東京にいた」は成り立たないとの背理法(アリバイ認定)がなされます。

   これに対して、「仮にAでないとした場合にほかの候補が一応は見当たらない。しかし、何らかの別事情ではないと信じられる程度にAが強く証明されていないので、他の事情の余地は否定できない。よってAであるとは言い切れない。」との考えで他の候補の検討をすることなく、「Aではない」とすることは正しくありません。

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 ⅱ 背理法はあまりにも基本的過ぎて見落としがちかもしれません。例えば、交通事故直後に大腿骨骨折と診断された場合にも現実には車両の速度、衝突した角度、車両の強度、被害者の骨の強度などの事情から因果関係を認定するのではなく、「ほかに原因がない(衝突の瞬間に自分で骨を折ったなどの代替候補が否定できる)」との視点から背理法を暗黙のうちに取り入れて因果関係を認定しています。

   この場合に加害者が「自動車の速度が不明なので因果関係を認めるべきではない。」、「自動車の破損が軽度なので因果関係を認めるべきではない」と主張したとしても、「では、ほかの原因はありうるのか?」との考察からその主張は認められません。加害者は代替原因が存在すること(またはそれが優勢であること)を主張する必要があり、それができなければ反論としての価値はありません。

しかし、被害者の怪我が大腿骨骨折ではなく、むち打ちなどのときは「では、ほかの原因がありうるか?」との考察の重要性が見落とされることは少なくないようです。背理法は意識しないとその重要性を理解できないかもしれません。しかし、因果関係を背理法抜きで認定できる事例は実際にはほとんどないと言えます。

例えば科学法則は経験的に知られた事実に過ぎない(論理的に導かれるものではない)ので、厳密に言えば全ての科学法則は「これ以外の合理的な説明は考えられない。別の説明がなされたとしてもそれは誤りであろう。」という形で背理法(下記のとおりこれを背理法と言うのは厳密には正しくないかもしれません)を取り込んでいます。背理法は事実認定のための中心的道具と言えます。

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ⅲ 但し、より厳密に言うと「他の候補では説明できない」という形で背理法を用いるときには、論理的に完全無欠の結論を出せるわけではありません。「他の候補」となりうるものを全て列挙して検討することはできないからです。それゆえに全ての科学法則は経験的に知られた事実に過ぎない(論理的に導かれる絶対的なものではない)とされます。

「Aである」との主張をする側が「Aではない」との結論を導く他の全ての候補を検討して否定することは不可能です。これに対して「Aではない」との主張をする側は反例を1個指摘すれば足ります。従って、他の候補を主張する責任は「Aである」を否定する側にあります。

これは議論の一般論としての常識的な責任分配です。自由心証のレベルではこの常識的な責任分配が用いられます。ほとんどの方は無意識にこの議論のルールを取り入れて判断しています。自由心証で真偽不明となった場合には、法的な証明責任の分配に従います。

この両者のレベルの違いは重要です。「Aである」を否定するためには、「Aではない」とする反例を1つ挙げれば足ります。それをせずに「とにかくAではない。その先は知らない。」との反論をなすことは議論の基本的なルールを逸脱したものとなります。

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なお、経験主義は論理学とはそりが合わず、現実の世の中の事象に背理法を適用する場合には、命題が否定されるときのみ背理法は論理的な厳密性を有していると言えます(ポパーの反証主義も基本的にはこの考え同じと言えます)。例えば、アリバイによる反証が認められれば背理法により犯人性が否定できますが、アリバイによる反証が認められなかったことは犯人であることを意味するわけではありません。事故直後に大腿骨骨折が判明したとの事例でも、大腿骨骨折と事故との因果関係を否定しようとする反証(例えば、事故直後に自分で骨折させた)が否定されたとしても、事故による大腿骨骨折が論理的に確定するわけではありません。

 

このように現実の事象に背理法を適用する場合には、論理学での背理法のような厳密さはありませんが、一般的には現実の世の中の事象にも背理法は用いられています。

 

 ⅳ 以上のとおり、「~ではない」との事実を認定した場合に、「では何であるのか?」との問題に答える代替候補が用意されていない場合には事実認定は問題をはらむこととなります。

   しかし、上記のように「被害者にはRSDであることを証明する責任があり、裁判所が認定するのは被害者がRSDであるといえるかであり、その先は認定する必要がない。」という種類の誤解が出発点で存在するように見える事実認定は少なからず見かけます。

   正しくは、「何が起きたのか」を自由心証で認定し、「何が起きたのか」についてどうしても認定できない事態に陥ったときには何も認定せず、証明責任を負担する者に法規が適用できないことの不利益を課すこととなるはずです。

 

私の経験では証明責任に頼らなければ事実の概要が判断できない事件は100件に1件ほどであると思います。普通に判断して結論が出せない事件はまずありません。これに対して、証明責任を事実認定に取り込む誤りに陥っているように見える判決では「事実が認定できる」とするためのハードルを高くしすぎる誤りに陥っているように見えます。もとより「何が起きたのか?」という視点ではなく「~と認定できる証拠があるか」との形でハードルを越えるかどうかの視点で検討すること自体にも問題があります。

また、事実認定に証明責任の視点を取り込んで証明責任を負うものに厳しいハードルを課した認定することでその認定が正当化されるとの感覚を持っているように見えるものもあります。当事者の主張するストーリー全体の合理性よりも、書面による証拠を重視するべきとの価値観を持っているように見えるものもあります。

   しかし、自由心証のレベルですでにして証明責任が取り込まれて、当事者の一方に不利なハードルが課せられ、その結果として真偽不明になったとして事実が認定されずに不利に扱われるという「二重の不利益」は法の予定していない論理です。

 

8 証明責任に合わせた記述について

 ⅰ 判決文では「~ではないと思われる」との心証であっても、「~であるとは認めるに足りない。」という書き方をされる方が多く(もちろん心証の度合いが分かる書き方をされる方も多くおられますが)、それが法律的に厳密であると思われているふしもありますが、私は、これは避けるべきでしかも上述の弊害を生じる原因でもあると思います。

自由心証のレベルで「~ではないと思われる」との心証であれば、それをそのまま書くべきであって、「~であると認めるには足りない」などの心証と乖離した表現は用いるべきではないと思います。

特に自由心証では結論が出なかったとの論理に見える書き方(なぜその事実を認定できたのかという問題が生じます)や、自由心証のなかに証明責任を取り込む誤りに陥っているように見える書き方(証明責任を考慮して事実認定をしたかのような書き方)は避けるべきであると思います。誤った書き慣わしが身についてしまうとその論理をも無意識に取り込んでしまうことになります。

   証明責任は自由心証による事実認定とはまったく異なる次元で用いるべき概念であり、それゆえに証明責任は自由心証の尽きたところでその機能を開始するとされます。その証明責任を自由心証に取り込んで事実認定を補佐する道具のように表現することは誤りと言うほかありません。

 

 ⅱ この考えには異論があるようにも思いますが、私は証明責任とはあたかも問題が解けなかった受験生が振る五角形の鉛筆のようなものであり、最後までその使用を避けるべき最終手段であると考えています。証明責任には「愚者のサイコロ」という側面があることは否定できないと思います。安易に証明責任に頼ることは司法サービスの質を低下させ、裁判を受ける者の顧客満足度を低下させます。

 実際に体験した事実を訴訟で主張する当事者本人(もちろん何が起きたのかを熟知しています)は、事実に迫るための十分な努力をせずに証明責任に結果を丸投げしたように見える判決に対しては、「なんだサイコロで決めたのか?」との不満を抱くことになると思います。

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