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2012年7月21日 (土)

倉庫内の事故で発症した左半身RSD(23.11.30)

倉庫内の事故で発症した左半身RSD(23.11.30)

 

1 福岡高裁宮崎支部平成23年11月30日判決、鹿児島地裁平成23年5月8日判決(自保ジャーナル1864号108頁)  

  この事案の特徴は、①倉庫内作業中にフォークリフトが作業員(歩行者)に衝突した事故であること、②被害者が安全配慮義務違反による損害賠償請求をしたこと、③判決が3要件基準を正面から検討して誤用したことなどです。

 

2 症状の経過

ⅰ 被害者は事故時33歳位(症状固定時34歳)で8年間勤めていた会社を退職して訴訟の相手方となる会社に雇用され、約8か月後の平成17年7月28日に後退してきたフォークリフトと衝突する事故に遭います。地裁判決は安全配慮義務違反を否定して会社には責任はないとしたため被害者の症状の経過には触れていません。安全配慮義務違反を認めた高裁判決では被害者の症状の経過が述べられています。以下で「判決」とのみあるときは高裁判決を意味します。

 

 事故当日…E病院。当直医による湿布などの治療のみを受ける。

  翌日以降…Cクリニック。左肩打撲傷、腰椎部挫傷、左股関節部打撲傷、左下腿打撲傷で加療1か月との診断で以後7か月ほど通院して、電気治療等を受ける(実通院164日)。

  40日後…B病院。12日間に4回通院した。

  7か月後…平成18年3月2日にいったん症状固定となる。

       左半身(上半身・下半身)に痛み、しびれの自覚症状あり、握力は右35kg、左10kg。項頚部痛、背部痛、左上下肢のしびれ・放散痛、頚部運動制限の症状は初診時より悪化している。左頚部及び腰部の筋力低下、知覚鈍麻、腱反射の低下がある。MRIでは異常はなく、筋萎縮はない。

  9か月後…18年5月2日にJ病院に通院し、反射性交感神経性ジストロフィー(RSD)の疑いがあるとされる。

以後J病院の紹介でF大学麻酔科、G大学病院麻酔科、H病院ペインクリニックを受診し、少なくとも平成22年1月頃まで3年8か月以上通院治療を受けた。被害者はこの間に左半身の疼痛、左上肢の浮腫(脹れ)、発汗異常、皮膚の変色などの症状が確認される。

 

ⅱ RSDが見落とされがちであること

被害者は事故9か月後に初めてRSDの疑いを持たれています。裁判例では1年以上経過してRSDとの診断を受けた事案も多く見られ、提訴後の鑑定で初めてRSDと判断された事案もあり、RSDと思われる症状(上肢の拘縮など)が出ていてもRSDに言及していない事案も少なからずあり、RSDには見落とされ易い傾向がはっきりと出ています。現在の判定指標では優に診断できる症状が出ていても「RSD疑い」との診断を受けることも裁判例の上ではしばしば見られます。

 本件でも事故の9か月後に突如としてRSDを発症したのではなく、それ以前から症状は出ていたと考えられますが、各治療時点での症状の詳細は判決からは不明です。RSDを見落とした病院においてはRSDの症状をも見落としている(軽視している)ことが多く、RSDを最初に診断した病院に至って突如としてRSDに特徴的な症状がいくつか確認されていることもよく見られます。従って、本件でも浮腫、発汗異常、皮膚の変色などは事故後の比較的早い時期から生じていたと思います。

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  被害者は、事故9か月後に「RSDの疑い」があるとされ、その後3年

8か月以上も通院を続けています。判決ではこの間に被害者がRSDとの診断を受けたかどうかに言及していません。この点は事案のまとめが不十分であると思います。

「RSDの疑い」との診断を経たのちに3年8か月も診断が留保されたとは思えないこと、浮腫、発汗異常、皮膚の変色、持続的な痛みなどにより優にCRPSと判断できることから、本件ではRSD(CRPS)との診断を受けている可能性が高いと思います。いずれにしろ本件ではCRPSを発症したことは問題なく認めてよいと思います。

 

3 請求する相手とその法的構成

 ⅰ 被害者は会社のみを相手に安全配慮義務違反を根拠とした請求をしています。勤務先が被用者の生命・健康等を危険から保護するように配慮する義務(安全配慮義務)を怠り、雇用契約という契約上の義務に違反したことによる債務不履行(民法415条)に基づく請求です。

 

 ⅱ 交通事故の場合、通常は加害者に不法行為(民法709条)による請求をします。加害者の勤務先には使用者責任(民法715条1項)による請求をします。本件の事故もフォークリフトという車両との交通事故ですので、この構成により請求することも可能です。

   しかし、不法行為による請求は3年で時効にかかります(民法724条)。本件では事故が平成17年7月で、訴訟の提起は平成22年です。最高裁平成16年12月24日判決(判例時報1887号52頁、私法判例リマークス32号64頁)は、「おそくとも症状固定日」が時効の起算日になると述べています。

この判決については、「両下肢RSDの否定」でも言及しています。

http://s-hat.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-3e9f.html

 

本件では症状固定日は平成18年3月2日です。この事件では訴訟でRSDではない(または因果関係を否定)された場合には、提訴した平成22年には3年以上経過しているため、不法行為による請求は時効にかかります。

 

 ⅲ 以上に対して安全配慮義務違反による請求は10年で時効となる(民法167条1項)ので本件では時効にはかかりません。被害者側が安全配慮義務違反による請求としたのはこの理由でしょう。

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これに対しては、①安全配慮義務違反による会社に対する請求、②不法行為による運転手に対する請求、③不法行為による会社に対する請求を並立させて3本立ての請求にすることも考えられます。

これは不法行為による請求はRSDが認められる場合には時効にかからないと思われること、不法行為による請求は運転手に過失があれば良い(しかも自賠法3条が適用される)のに対して安全配慮義務違反による請求は会社に安全配慮義務違反があることを立証しなければならないこと、仮に不法行為による請求が時効で通らなくとも安全配慮義務違反による請求が残っていることなどを根拠とします。

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   一方で、不法行為による請求が時効でダメになったときには安全配慮義務違反による請求も否定されやすくなるとの考えや、倉庫内での作業中の事故であり車両がフォークリフトであるという事件の特徴からは会社に対する安全配慮義務違反を主張するのが筋であるとの考えもありそうです。本件では再度の症状固定の診断がなされていない場合に、その日をいつにするのかという問題もあります。

私は主治医に再度の症状固定の診断をしてもらい、その日を正しい症状固定日として3本立ての構成で主張する方法が良いと思いますが、主治医の協力が得られないときなどに問題が生じます。

 

4 安全配慮義務違反の具体的な判断について

 ⅰ この事件では地裁は安全配慮義務違反がないと判断し、高裁は安全配慮義務違反があると判断しました。地裁も高裁も、作業車両が事故を起こさないように安全計画書が作成されていたこと、月に1度安全衛生会議が開かれていたこと、フォークリフトと歩行者をできるだけ区分するために歩行者専用通路が設置されていたことを認定しています。

   その上で地裁はフォークリフトを動かすときにいちいち誘導員(安全監視員)を配置する義務まではないとし、高裁は専業の誘導員は必要ないがフォークリフトがバックするときには誘導者を配置する義務があったとします。

高裁はこの作業現場の労働条件や事故発生の具体的状況(被害者をその場所に向わせた者が運転していたフォークリフトが被害者に衝突した)のほか、労働安全規則151条の7も根拠にしています。これによれば作業車両の行動区域に人を立ち入らせてはならず、人が立ち入るときには誘導者を配置する必要があります。

   人と作業車両が混在する状況で、作業車両が後退するときに安全を監視する者がいない状況を肯定することはできないので、私は高裁判決の結論が正しいと思います。

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 ⅱ 高裁判決は安全配慮義務違反を認めたものの、被害者にはフォークリフトが後退するときのブザー音に気付かなかった過失があるとして、4割の過失相殺をしています。

   この点は、そもそも自分に向ってくる車両の発する音を感知して回避することが法的な義務であるのか疑問があります。たしかに周囲を警戒して外敵から身を守ることは推奨される行動ですが、これが法的な義務であってその対応しだいで過失相殺の対象となるとするのは違和感があります。後方に人がいることに気付かずに車両をバックさせることは車両運転上の過失ですが、歩行者(被害者)がそれに気付かなかったという落ち度とは質的な違いがあります。

   なお、「フォークリフトがバックするときの警報音は誰でも気付くはずである」とすることは誤りです。作業に集中しているときには大きな音であっても注意が向けられないことはよくあります。「不注意による盲目」が生じることは認知科学の実験でも実証されています(クリストファー・チャブリスとダニエル・シモンズの「見えないゴリラ」の実験が有名です。『錯覚の科学』文藝春秋)。標準的な注意力の人でも常に気付くわけではないため、労働安全規則151条の7では作業車両と人との混在を避けるように指導しています。   

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 ⅲ 私は車両の側に歩行者を回避すべき義務が課せられ、自分に向ってくる車両の音に気付かなかったことを歩行者(被害者)の過失とすることはできないのが原則であると思います。

歩行者の側に過失があるとされるのは、路上に飛び出したり、信号を無視して横断歩道を渡ろうとしたり、横断歩道から外れて直接道路を横断しようとするなどの事故への積極的関与がある場合に限定するべきです。自分に向ってくる加害車両の音に気付かなかったことを歩行者(被害者)の過失とする考えは、車両が危険の発生を支配する立場にあるという実態にも合わないと思います。本件では被害者はその場に居た(車両が来るのに気付かなかった)に過ぎません。

   本件が構内作業中の事故であるという特殊性を加味して、被害者に後退するフォークリフトを避けるべき法的義務を認める考えもありうるところですが、それは「フォークリフトの後退音がした場合には構内のいかなる場所に居る者も直ちに作業を止めてその音に注意する」などの強い条件付けが安全訓練などにより達成されている場合に限定されるべきです。人と作業車両の混在を認めて、「その都度気をつけなさい。」とすることは根本的な部分で見方を誤っています。

   本件では危険発生を予見して対応策で危険を予防できる立場の者が、その対応策が行われなかった結果被害に遭った者の過失を主張するとの構造もあります。以上から私は本件では過失相殺をすること自体に違和感があります。

 

5 自賠責の3要件基準は診断基準ではない

 ⅰ 本件では被害者がRSD(CRPS)であることに特に問題はありません。しかし、判決はRSDについての自賠責の3要件基準をRSDであるかどうかの認定基準であると誤解して、さらにそれが医学的な診断基準でもあると誤解して、本件の被害者をRSDではないとしました。

   CRPS(RSD)に必須の症状はないのでこの結論は論外ですが、自賠責の3要件基準をあたかも診断基準であるかのように主張することは加害者側の定番であり、この誤りに至った判決もしばしば見られます。本件の高裁判決は3要件基準を制定した厚生労働省労働基準局長の通達(平成15年8月8日基発0808002号)を引用した上で間違えている点に特徴があります。

   厚生労働省が通達で医学的な診断基準を定める立場にはないことは自明であるのに、どうして3要件基準が通達によるものであると指摘した上で診断基準と誤解したのか理解し難いところです。厚生労働省の通達は配下の組織などに行政上の事務処理の指針を与えるものではあっても、医学の学会を無視して特定の疾患について医学的な診断基準を公的に定めるものではありません。

私は主治医がCRPS(RSD)と診断した場合にそれが誤診である可能性は高く見ても100分の1以下であると思います。専門病院ではその可能性はさらに低くなると思います。交通事故は医療過誤事件ではないので診断をやり直す必要性はありません。自賠責の手続で独自に医学的な診断をするという発想も奇異です。

自賠責の後遺障害認定手続は医学的な診療・診断の手続ではなく、後遺障害の有無・程度を認定するためのもので、その手続の中で独自に医学的な診断が下されることはありません。患者本人と会うことのない自賠責の認定手続で診断が下されると医師法に違反します。もとより医師でない者が診断をすることはできません。

 

 ⅱ CRPSに必須の症状が1つもないことは世界中の医師が認める定説であり、これを前提に国際疼痛学会(IASP)、日本、アメリカの学会等が判定指標を公表しています。この判定指標を参考にそれぞれの国で具体的な患者の状況に応じて診断することになります。なお診断基準と判定指標は異なる概念です。

医学的な診断基準は医学会などを通して提唱され、これに基づき診療ガイドラインなどが作られています。もちろん、これに反対して別の診断基準を提唱することも自由です。こうして医学は発展してきました。CRPS(RSD)についても過去に多くの診断基準、疾病区分が提唱されてきました。以上に対して、国際的な学会や医師の動向を無視して日本の厚生労働省が特定の疾患の診断基準を通達で定めた事実はなく、厚生労働省にはその権限もないはずです。

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   なお、高次脳機能障害については厚生労働省が実質的に主体となって診断基準を定めていますが、医学的には「高次脳機能障害」という疾患単位はなく、国際的な疾病、傷病、死因分類(ICD-10)にもこの病名はありません。行政が福祉施策の対象を画するために作った行政上の概念が「高次脳機能障害」で、このため行政が「診断基準」(正しくは「保護要件」とすべき)でその行政上の概念の範囲を定めています。

この「高次脳機能障害」という行政上の概念は、現実に障害があるかどうかとは別の政策的な観点から定められているので、認知機能に障害が生じた方のごく一部しか補足しません。しかし、認知機能に障害があるかどうかを区分する医学的な疾患単位と誤解されやすいように周知されているふしもあります。

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 ⅲ RSDの3要件基準について三上容司医師は、「国際疼痛学会の診断基準(1994)、本邦の判定指標(2008)のいずれにおいても、これらの所見は必須ではなく、これらの所見を欠いてもCRPSと診断(判定)され得る。したがって、医学的診断基準に基づきCRPSないしRSDと診断され、後遺障害診断書が作成されたにもかかわらず、RSDとしての後遺障害が認定されないという事態が生じ得る」(『複合性局所疼痛症候群CRPS』243頁)と問題を指摘しています。

   三上医師は3要件基準の特殊性を指摘し、「後遺障害認定はあくまでも行政上の作業であり、医学ではない」とします。

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  労災や自賠責の手続においてすら3要件基準はRSDの診断基準ではありませんが、診断基準と誤解されやすいように周知されている面は否定しがたいと思います。

また、3要件基準は後遺障害の度合いと相関しないので通達そのものが有害です。後遺障害の程度については、ほかの後遺障害と同様に現に生じている障害をそのまま評価すれば足ります。何ゆえに後遺障害ではないもの、しかも無関係なものに焦点をずらして後遺障害の重症度を評価する基準が制定されたのか理解に苦しみます。これによりほぼ全ての患者は実際よりもかなり低く後遺障害が認定されることとなります。3要件基準は行政内部の手続の指標に過ぎず、「医学ではない」ので裁判所がこれに拘束される法的根拠はありません。

 

 ⅳ 3要件基準を診断基準と間違える誤りには、傷病一般に対する基本的な理解に問題があると思います。例えば、ある傷病Rの症状としてA~Fがあるとされているばあいに、症状Aは傷病Rの患者の80%に、症状Bは60%に、症状Dは50%に、症状Fは10%に確認できるというように、全ての患者にA~Fの症状が生じるわけではなく、個別の患者ごとに生じる症状(の組合せ)が異なることはよくあります。

従って、自賠責の3要件基準を見て最初に疑問に感じるべきことは、「RSDとはこの3つもの症状が全ての患者にもれなく生じる非常に特殊な傷病であろうか。」ということです。実際にはRSDにおいて必ず生じる症状は1つも存在せず、3要件基準は診断基準でもありません。

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6 事実認定の漏れ

 ⅰ 判決は3要件基準を当てはめて被害者をRSDではないとして、後遺障害等級14級9号の「局部に神経症状を残すもの」に該当するとしました。判決は被害者には単に痛みという自覚症状があるだけで、特に何らかの疾患があるわけではないとの結論になっています。

   この種の結論に対しては、「RSDではないとすると左上肢の浮腫、発汗異常、皮膚の変色などの現に存在する症状や検査結果はどう説明できるのだろうか。」との疑問が当然に残ります。

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 ⅱ 例えば、鑑別診断により他の疾患であるとした場合には、「RSDではなく、他の疾患でこれらの症状が生じました。」としてこの疑問は解消されます。これに対して「RSDではなく、ほかの何らかの疾患でもありませんでした。」となると、現に存在する症状や検査結果を説明するものがなくなり、不合理な結論となります。

重度の症状を訴えて病院に行ったところ、「ある傷病の診断基準に当てはまらないので、何らの傷病でもありません。」と言われて納得できる患者はいません。訴訟で同じことを言われて納得できる人もいません。

   これまで検討した誤って詐病を認定した判決においてさえ、その帰結を正当化するために、被害者による症状の偽装である、医師が患者に迎合して虚偽の診断をした、医師が誤って病的ではないものを病的と誤解した、検査機器の読み取りの間違いであるなどの事情(を示唆するもの)を詳細に述べるものがいくつかあります。それは上記の疑問に答える形で結論が不合理ではないことを示し、事実認定の洩れをなくすためです。

   この判決のように不合理な結果を放置して「とにかく診断基準が出した結果です。その先は知りません。」とすることは事実認定に重大な洩れが残ります。

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ⅲ 判決は「ある傷病の診断基準に当てはまらないので、何らの傷病でもありません。」との論理で不合理な結果を導いています。現実に存在する症状や検査結果に合わない不合理な結果となる場合には、その前提となる事実や論理について再検討すべきです。

   例えば、双方の代理人に「自賠責の3要件の位置づけは診断基準でよいのか、医学的な診断基準(判定指標)とはどのような関係になるのか。」と釈明を求めるという方法もあります。ほとんどの場合に誤解を回避できるのと思います。疑問点について釈明を求めることは裁判官の訴訟指揮の基本です。判決については何ゆえ不合理な部分を放置した判決が出されてしまったのだろうか、との疑問が残ります。

   これに対しては、「釈明を求めると双方代理人が自身の立場に都合の良い、いいかげんな意見を出してきて、訴訟が混乱するだけである。」、「虚偽の証拠の提出を促すようなものである。」との反論もありそうですが、その基本的な考えに同意できません。私の経験では「不意打ち判決」と言われるもののほぼ全部は簡単に釈明できて当事者にほぼ争いがない部分についての誤解に基づくものです。

   弁護士が依頼者と打ち合わせをして訴訟を提起、遂行する過程においては、依頼者や関係者の話をよく聞くことにより誤解を訂正したり、自分で文献を調べて誤解を訂正したり、証拠を取り寄せて誤解を訂正したりすることの連続です。これに対して裁判官はこのような誤解訂正の機会が限定されています。疑問に思った点はどんどん釈明を求めなければ誤解が残る可能性が高いと思います。

 

7 訴訟での後遺障害等級の位置づけ

 ⅰ 仮に判決のようにRSDではないとした場合でも、この事案では被害者は患部に強い痛みを訴えその疼痛を緩和するため3年8か月以上も通院しており、この点をそのまま評価すれば12級13号の「局部に頑固な神経症状を残すもの」に相当します。3年8か月以上も疼痛緩和の治療を受け続けた患者について「頑固な痛み」を認めないのは、一般的な常識にも反すると思います。

   これに対して判決は14級としています。その理由は3要件基準を診断基準であると誤解した結果、被害者がRSDではないとしたために、被害者の症状に傷病名がつかなかったとの形式論にあるようです。つまり、判決は被害者の症状(疼痛、左上肢の浮腫、発汗異常、皮膚の変色など)を説明できる医学的な根拠はないのでその症状は医学的な裏付を欠くたんなる自覚症状に過ぎないとして、12級にはできないとしたようです。

   これは労災や自賠責の認定基準を訴訟に取り入れた結果であるようです。これらの手続では大まかに説明すると、12級は「障害の存在が医学的に証明できるもの」であり、14級は「障害の存在が医学的に説明できるもの」とされています(『青い本23訂版』298頁など)。判決はこの基準を訴訟での判断に取り入れたものと思われます。

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 ⅱ しかし、民事訴訟は自賠責や労災の認定手続の続審ないし上級審ではありません。例えば労災での後遺障害認定(行政処分)を争うためには、異議申立、審査請求、再審査請求を経てから裁判所に行政訴訟を提起して、各過程で労災の後遺障害認定(原処分)の是非が判断されます。これに対して民事の交通事故訴訟はそのような構造を有しておらず、審理の対象も自賠責や労災の後遺障害認定の是非ではありません。

   もとより行政訴訟においてさえも司法(裁判所)は行政とは異なる独自の判断がなしうる立場にあります。ましてや民事の交通事故訴訟での後遺障害の有無・程度の判断が自賠責の認定基準に拘束されると考える法的根拠は全くありません。むしろこれに縛られず、後遺障害の有無・程度を柔軟かつ合理的に判断することが求められます。

被害者は損害賠償額算定の目安とするために後遺障害等級を主張しているのであって、自賠責で認定されるべきであった後遺障害等級を主張しているわけではありません。

 

 ⅲ 裁判例においても、例えば後遺障害等級4級と判断したにも関わらず、労働能力喪失率を92%より低く判断するものはしばしば見られ、12級との後遺障害等級を認定しつつ労働能力喪失率を20%以上と重くするものもあり、自賠責の後遺障害等級や労働能力喪失率に縛られないものはしばしばみられます。

   本件では、3年8か月以上も麻酔科やペインクリニックに通院して疼痛緩和の治療を続けたという事実からは、12級の「局部に頑固な神経症状を残すもの」に該当するとの判断が容易に導かれると思います。

   実際にも被害者は労災の手続では12級の認定を受けていたのですが、判決は14級としています。判決は浮腫や皮膚の変色なども自覚症状と同様に扱う点で、実は自賠責や労災の基準にも合致していません。

労災の基準は労災の手続内での指標に過ぎず訴訟での判断を拘束するものではありませんが、訴訟での判断を合理的なものとするためにその基準を参考にすることは私も構わないと思います。しかし、この判決のように実質論を無視するために形式論の部分だけをつまみ食いして、合理的でない判断に至ることは正しくないと思います。

被害者の状況を実質的に認定すれば、CRPSによる労務への影響がかなり大きく、ほとんど就労不可能の状況にあるので7級ないし9級に相当する後遺障害があるとするべきでしょう。

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 ⅳ なお、本件では判決が実質論として14級相当との心証に基づいている可能性もあります。3年8か月以上も疼痛治療の通院をした事案であっても、被害者への診断を否定する判断に帳尻を合わせる考え方をすると別の見方になる可能性があります。

   即ち、「この被害者はわけの分からない事情で長期間の通院をした非常に特殊な性格や体質の持ち主である。」、「この被害者は『痛がり屋』という特殊性があるのではないか。」、「ほとんど詐病に近いのではないか。」との見方になる可能性があります。

これは誤った判断を前提としてそれを正当化するために泥縄式に特殊な想定に至る典型例と言えます。確証バイアスが良くない方向に強く出たといえます。これまで検討した裁判例にもこの感覚を窺わせるものは少なくありません。

これは「特殊な状況」を説明するために「特殊な人」を導くものです。特殊な結論に至った場合には検討をやり直すことが穏健で、特殊な前提を導いて帳尻を合わせるのは良くないと思います。しかし、形式論により「理詰めで結論に達した」との実感があるときには、その結論が特殊ではないように見えることもあります。

問題はこの先にあります。この判断枠組みが定型化されてしまうと毎回同じような結論に至ります。すると「医学的な診断が否定された事案では、長期間の入通院をしている患者は例外なく問題のある人である。」との結論が類例によりどんどん補強され、確信が強くなります。誤った思考パターンが定型化され誤った結論を出し続けることによる偏見の強化です。

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8 医学的な診断の検討方法について

ⅰ 患者への診断は「この患者にはいかなる疾患が存在するであろうか。」との視点から候補となるいくつかの疾患を比較・検討してなされます。CRPS(RSD)との診断が下されたのであれば、その診断を覆すためにはその患者の症状をより合理的に説明できる他の疾患を持ち出さなければなりません。

これに対して、加害者側は訴訟で「ある傷病の診断基準に当てはまらないので、何らの傷病でもありません。」との論理を常用してきます。加害者側の主張の奇妙さは以下の例を想定してみれば明らかであると思います。

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   医師X「この患者には症状A~Eが確認されています。」

   研修医J「傷病SではこのうちCとDが説明できますね。」

   研修医K「しかし、それ以外のA、C、Eは説明できませんね。そこで傷病Tではどうでしょうか。AとCとDが説明できます。」

   医師X「では傷病TではBとEはどう説明するんだ。」

   研修医K「…何か別の傷病を併発しているかも知れません。」

   医師X「傷病RならA、B、Cが説明できるし、傷病Rでも人によってはDやEが生じることもあると報告されているよ。」

 

加害者「そこで傷病Rに絞って検討すると、実は要件A~EのほかにFGHも必要で、しかも全ての要件が明確(症状が重度)でないと傷病Rとは断定できません。従って、この人は何らの傷病でもありませんね。詐病でしょう。」

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 ⅱ 診断に際しては多くの候補から患者の症状や検査結果に当てはまるものを選択していきます。これに対して、訴訟では加害者側は被害者の主張する傷病を否定するため、その診断基準を厳格化する方向に誘導します。

   一定の症状や検査結果を有する患者について、それを説明する傷病を探すための検討がなされるべき文脈で、「ある傷病の診断基準に当てはまらないので、何らの傷病でもありません。」との論理が持ち出されることは、それ自体が奇異なことです。上記の例では医師や研修医に求められているのは、症状を最も合理的に説明できる傷病を提示して他の候補を適切に除外していくことです。上手く説明できる傷病がないからといって、その症状や検査結果がなかったことにはなりません。

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 ⅲ しかし、この論理を取り込んだ裁判例はしばしば見かけます。それは、「被害者が主張している傷病に対応する診断基準を用いたところその傷病であるとは認めることはできず、一方で被害者はほかの傷病であることを主張していないので、結果的に被害者は何らの傷病でもないこととなる。」との考えです。

   例えば本件においては「被害者はRSDという傷病を主張したのであるから、RSDの診断基準に当てはめてその結果RSDと認められなかった場合には、それ以上のことは被害者も主張していないので認定ができるはずもない。」ということになりそうです。

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   自由心証においては「この患者にはいかなる傷病が存在するであろうか。」との視点で検討すべきですが、加害者側は「この患者がRSDであるといえる確実な証拠はあるか。」との視点に誘導していきます。これは自由心証に先立って証明責任を導入させようとする錯誤論法です。この問題の重要性を見落としてしまうと誤った検討をしてしまいます。

   例えば、「この患者はCRPSとの診断を受けているところ、判定要素のうち1つしか満たさない。しかし、他の疾患ではその症状を説明できないため最終的にはCRPSと診断する。」とすべきところで、対案の検討がないまま「CRPSであるとする確実な根拠がないのでCRPSであるとは認めない。」とすることは誤りです。

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9 証明責任による事実認定について

 ⅰ では証明責任という概念を介することによって、「ある傷病の診断基準に当てはまらないので、何らの傷病でもありません。」との論理を正当化できる場合があるでしょうか。

   その前提として、双方から出された全ての証拠から被害者の主張する事実があるとの心証を得るに至らなかった場合において、裁判官は真偽不明と判断して証明責任を適用した結果として「被害者の主張する事実を否定する生の事実が認定できる」といえるでしょうか。

   この考えに対して伝統的な考えからは、証明責任は「被害者の主張する法律効果の発生を認めない」という法規適用のレベルで作用するもので、「被害者の主張する事実を否定する生の事実の存在を認める」という事実のレベルで作用するわけではないとの批判が考えられます。

証明責任の機能については学説(法規不適用説、証明責任規範説)の上で争いがありますが、両説とも「真偽不明となった場合に被害者の主張した事実を否定する生の事実を認定できる」との論理を少なくとも直接には導きません。これが一般的な考え方であると思います。

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 ⅱ このように証明責任は事実認定のための道具ではなく事実が認定できなかったときに結論(法規の適用)を決めるもの(法が認めたサイコロ)であるとしても、証明責任に従ってある法規を適用するための法律要件(の要素)の存否を決めると、その結論は一定範囲で生の事実の存否に連動します。

この見地から証明責任の効果を事実面にも広く波及させていくという立場もありうるところです。その延長として、「ある傷病の診断基準に当てはまらないので、何らの傷病でもありません。」との論理までも正当化できるでしょうか。要件事実論の事例演習においては、証明責任を用いた事実認定としてこの種の思考が滑り込まされるおそれがあります。

 しかし、「ある傷病の診断基準に当てはまらないので、何らの傷病でもありません。」との論理は、それ自体が論理として誤っています。従って、証明責任により誤った論理が導かれたのであれば、その過程のどこかに誤りがあると疑うべきで、誤りに合わせた理屈を探すべきではありません。

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 ⅲ 対案なき検討について

   ある傷病の診断基準のみを検討することは、対案なき検討という根本的な問題があります。単に診断基準を当てはめるだけではなく、他の疾患と比較して検討する必要があります。他の候補の検討は非常に重要です。患者の症状を説明できるほかの候補がない場合にはCRPSと診断できるにも関わらず、CRPSのみを検討してその診断基準を厳格にするとそれができなくなります。

   「AかA以外のいずれかである(排中律)。A以外は考えられない。よってAである」という背理法的考察は事実認定では不可欠です。これに対して、「Aであるとする確実な証拠はない。よってAではない。」との理屈は誤りです。この誤りは「Aであるかどうか」の検討で他の候補が考えられるかを検討していないことに由来します。

   真偽不明とする以前に背理法的考察を経ておくこと(その診断を否定しても他の傷病で説明できる等の事情により結論の妥当性が維持されるかの検討をすること)は不可欠です。

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 ⅳ 厳格基準の誤謬、自由心証に証明責任を取り込む誤謬

ある特定の疾患の診断基準をあてはめるに際して、基準を殊更に厳格にすることも誤りです。これは「厳格な基準であるほど正しい結論が導かれる」とのバイアスにより生じます。実際には基準を厳しくすればするほど、感度(疾患を有する者が陽性になる度合い)が低下してしまいます。訴訟はごく一部の重症患者のみを救済するためのものではなく、全ての被害者を救済するためのものです。

この厳格基準の誤謬の背景として、証明責任を自由心証に取り込む誤謬がしばしば見られます。即ち、「傷病の証明責任は被害者側にあるので、診断基準をより厳格にするべきである。」との形で証明責任を自由心証に取り込んでしまう誤りです。もとより証明責任は真偽不明になったときに不利益に扱われるという結果についてのものであり、結果が出る前から不利に扱い、その結果さらに不利に扱うこと(二重の不利益)を意味しません。

従って、自由心証での判断に先行して証明責任を考慮した枠組みを設定すること(被害者の主張する傷病が存在する確実な証拠があるかとの枠組みで検討すること)は、その構造自体に誤りがあります。しかし、「この主張・立証が証明責任のハードルを越えたか。」という視点から検討するハードル設定の誤謬(証明責任を自由心証に取り込む誤謬)に陥っているように見える判決は少なからずみかけます。

このタイプには「80%の心証でAが起きているように見えるけれど、95%を超えないと認定できないので、Aを否定してBにする。」という理屈で認定をしているように見えるものがあります。このやり方では大半の場合に事実に反する認定に至ると思います。

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証明責任は真偽不明になったときに初めて使用が許されるものであって、自由心証の初期設定としてあらかじめ「証明責任のハードル」を設定することは誤りです。また、ある事実の存否はその事実が起きた実質的な可能性を探求することにより決められるはずで、「証明責任のハードル」という無関係かつ不明確な感覚論を持ち込むことは合理的ではありません。

事実認定は「Pが起きたことが確実であるか」ではなく、「何が起きたのか」との視点で最も可能性の高いものを選択する過程と言えます。最も可能性の高い出来事について「確実に起きた」とはいえないとして、これよりも可能性の低い出来事が起きたことにするのは不合理です。この不合理を回避するために動かし難い事実からの推論、背理法的考察、釈明などにより合理的な心証を獲得する必要があります。それこそが事実認定と言われるものであると思います。

なお、「80%の心証でAが起きているように見えるけれども、Bの可能性も20%あり、その先はいくら考えても、釈明を促してもどうしても分からなかった。」という場合には、恥を忍んで証明責任に頼るという考えもありそうですが、AとBの相対評価が80%対20%でAの優勢が明らかであれば、Aを選択する十分な心証が存在すると言うべきです。

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 ⅴ 証明責任による事実認定の問題

証明責任を真偽不明となった場合に被害者の主張する事実を否定する生の事実を認定する道具と捉えること(ある傷病の存否のみを検討して、真偽不明との判断からその傷病が存在しないとの事実を認定すること)は、もとより問題があります。真偽不明であるがゆえに証明責任を持ち出したのに、その証明責任により事実が認定できてしまうのはおかしなことです。真偽不明を繰り返して広範囲な事実を認定していくことはなおさら問題があります。

   複雑な事件での事実認定においては、まず事件全体の中から主要事実・間接事実等の分類にこだわらず「動かし難い事実」を見つけ出し、この「動かし難い事実」やそこから直接に導かれる事実、それら相互の関係性から事件の骨格を組み立てていくというのが、伝統的に支持されてきた事実認定論であると思います。自由心証の領域では全ての証拠を完全に等価値とすることから出発して思考を組み立てる必要があります。「分かること」を積み重ねて事実を認定していくことは常識に適ったことです。

   これに対して、いきなり要件事実を「認定」しようとして、証拠を序列化して少数の証拠のみを検討しただけで直ちに真偽不明として証明責任に飛びついてその要件事実を確定して、次の要件事実の検討に移るという不可解な手順で認定をしているように見えるものもまれに見られます。「分からない」を積み重ねて事実を認定していくのは正しくないと思います。

 

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